スライド 1

無機化学 I
齋藤軍治
2013/10/4
○ 出席: 10回以上 (>2/3)
○ レポート: 5回程度(翌週に必ず提出)
○ 期末試験: 授業+レポートより出題
授業内容はHP(暫定)で紹介
http://saitolab.meijo-u.ac.jp/index.html
第一章 化学の歴史(ここは 前期「化学」と重複)
出典 1)武田和子 「化学と人間の物語」河出書房1966
2)アイザック・アシモフ 「化学の歴史」 玉虫文一、竹内敬人訳
河出書房1967
3)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目的
1)社会と化学(科学)の変遷
2)化学の進化過程
3)HP(http://saitolab.meijo-u.ac.jp/index.html)で化学者のエピソード
などを紹介
A) 古代の工芸技術 前4000-前8世紀(メソポタミア文明)
B) ギリシャ・ヘレニズム・ローマ(前8-3世紀)
C) 4-16世紀 イスラム―インド―中国―ヨーロッパ 錬金術
D) 近代化学の誕生 (17 世紀―18世紀)
E)化学の拡大。隣接科学との融合(19世紀)
F)無節操的飛躍と基礎科学(20世紀~)
A) 古代の工芸技術 前4000-前8世紀
(メソポタミア文明)
金属:金、銀、銅、錫 → 青銅 → 鉄 → 鋼
石・宝石、ガラス・うわぐすり、染料と顔料、薬、香料、毒
●「ものを焼く」、「金、銅など入手しやすいもので道具を作る」、「粘土
を焼き固める」など原始的な作業は「化学」にいれない・・・
体系化と知識の蓄積・応用により「化学・科学」となる・・・西暦紀元前
4000年ほど前
●エジプト(ナイル河)
●メソポタミア(チグリス・ユウーフラテス河)イラク・バグダッドの
南の都バブ・イル(バベル)→ バビロン → バビロニア文明
呪い・占い師(知識階級)・・加持祈祷、予言、天文(占星術)、自然現
象(気候)、医療、物質(金属、毒、医薬) → 化学は最も汚い業務
→ 職人・奴隷(金銀細工師、ガラス工、鉱夫、鍛冶屋(武器作成は高
等職)、鋳物師) 何も記録を残していない(サイエンスではない)
しかし、「物」を残す
1.金属加工品、武器、2.ガラスとうわぐすり、3.染料、4.薬、香料
バビロン(イラク)
17世紀のヨーロッパ人
が描いたバビロン想像図
復元されたイシュタル門
1.金属・合金 金属加工品 (戦争の道具)
●金→銅(エジプトではシナイ半島産の銅が金より古く知られていた)
孔雀石[Cu2(CO3)(OH)2 マラカイト] 青緑色鉱物(宝石)を
炭火で焼く→ 緑青 粉末孔雀石+脂肪 → アイシャドウ
●鉛(紀元前3400)、銀
●青銅: 銅と錫の合金 硬くて強い(難点 重い 武器としては扱いに
くい)前2700-2000 錫の産出地(ギリシャ・英国他)と交易人(フェニ
キア人)→エーゲ海文明 シュメール人(鍛冶屋) 錫、アンチモン
●鉄 純粋な鉄の製造は困難・・隕石
貴重であり、あられ石(CaC
O3)、ラピスラズリ(Na-Ca-Al-Si-S-O-Cl、混合物、ウルトラマリンの原
料)といっしょに首飾り・・・前2000―1400年ころから ハッティ人(ヒッタ
イト、ヘテ)が鉄製武器でエジプトを悩ます、前1100年 アッシリア 鉄
器による侵略と記録
●真鍮: 銅と亜鉛の合金 中国 前2000年
ラピスラズリ:エジプト、シュメール、バビロニアな
どの古代から、宝石として、また顔料ウルトラマリ
孔雀石(マラカイト) Cu2CO3(OH)2 であり、 ンの原料として珍重されてきた。日本ではトルコ
銅製品にできるサビの緑青の主成分と同 石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。ラ
じである。皮膜状、粉状、微結晶の集合体 ピスはラテン語で「石」 、ラズリはペルシア語から
(塊状や層状など)などの形態で産出する アラビア語に入った “lazward”(ラズワルド: 天・
空・青などの意でアジュールの語源)が起源で
「群青の空の色」を意味している。石言葉は「尊
厳・崇高」など。
2.ガラスとうわぐすり
メソポタミア(アッシリア)・エジプト 前5000年―
●石英→薄緑色ガラス
● +孔雀石+石灰→水色、藍色 “エジプシャンブルー”最古
の合成顔料の一つ
● +コバルト → 青紫
●炭酸ソーダ+石英 → 加熱により透明ガラス
3.染料
●インド藍(indigo): インド大青より 青色柱状結晶、水・アルコー
ルに不溶:繊維に染めるため、一度可溶状態にして(この場合は
還元体 無色)繊維に染めてから、空気中に放置し酸化する(建
染染料) ジーンズの青色
● クリムゾン:カイガラムシより、明赤色、現在はカルミン酸のAl,
Ca塩(カーミン色素、食品添加剤)、スクールカラー
● アリザリン:西洋茜の根から、赤色
建染(たてぞめ)染料・クリムゾンはHP参照
合成染料は19世紀の産物
1856 William Henry Perkin アニリンの酸化でモーブ染料(紫)
1869 茜染料 アリザリン, 1880 インディゴ BASF
色
名前
漢字・英語
同色・混同色
備考
#0F5474
あいいろ
藍色
インディゴ
アイで染めた色
#855896
#DC143C
B22D35
モーブ
クリムソン
あかねいろ
mauve
crimson
茜色
アニリンから合成される染料の色
ハーバード大学のスクールカラー
アカネの根で染めた色
インド藍でのジーンズ
4.薬・香料・毒
ミョウバン、ヒマシ油、天然ソーダ(防腐剤)、乳香(乳白色~橙色の
涙滴状の樹脂)、没薬 (赤褐色の涙滴状樹脂)
●ミョウバン:MIMIII(SO4) 2・12H2O[MI2(SO4), MIII2(SO4)3の複塩]で焼
いてできる無水物を焼きミョウバンという(食品添加剤)
殺菌剤、染色剤、防水剤、消火剤、沈澱剤、ナスの色付け、ウニの
保存剤として利用
乳香、没薬、毒ニンジン、ヒヨスはHP参照
没薬樹
ボスウェリア属植物の花
カリミョウバン
乳香
クロムミョウバン
B) ギリシャ・ヘレニズム・ローマ(前8-3世紀)
●ギリシャ文明 前8世紀~前338年マケドニア(フィリッポス王)侵
略: 頭脳(机上)派・・・天文、数学、哲学、しかし化学(奴隷、職人
の仕事)は進歩せず 四元素説:土、空気、火、水
◎デモクリトス(BC469-370) 原子論
◎プラトン(BC427-347)
◎アリストテレス(BC384-322)の四元素説(下図)+天体
火(Fire)
アリストテレス
空気(Air)
土(Earth)
水(Water)
ガリレオ・ガリレイは太陽中心
説(地動説)をめぐって生涯ア
リストテレス学派と対立し、結
果として裁判にまで巻き込ま
れ る こ と に なった 。 古 代ギ リ
シャにおいて大いに科学を進
歩させたアリストテレスの説が、
後の時代には逆にそれを遅ら
せてしまったという皮肉な事
態を招いた。
●アリストテレスはマケドニア王子(フィリッポス王の息子)の家庭教
師 王子→アレキサンドロス三世
●ヘレニズム時代 (ギリシャ文明の拡散と古代オリエント文明との融
合)とアレキサンドリア(アル=イスカンダリーヤ)前340-前30年の期
間
●自然科学の中心はアレキサンドリア:プトレマイオス(アレキサンダ
ー王の友人・部下、プトレマイオス一世 在位 前305-285)王朝~クレ
オパトラ7世(在位 前51-30) → ローマ帝国に併合
●プトレマイオス2世 (在位 前288-246)学問芸術のパトロンとなり
自然科学が隆盛、アレクサンドリア文学の黄金時代、 しかし、ヘルメ
ス主義による「まがい科学」が横行
●ローマ(帝国は前27年より、実用一点バリ、質実剛健、軍人国家)
工学・土木建築が進む 天文、数学、哲学は進歩せず 化学は置き
去り
アレキサンダー帝国
アレキサンダー大王
アレク
サンド
リア
プトレマイオス2世夫妻
アレクサンドリア図書館
クレオパトラ7世
ヘルメス主義(英語:Hermeticism)とは、主として、ヘルメス・トリスメ
ギストスという著者に仮託された古代の神秘主義的な一群の文献ヘ
ルメス文書に基づく、哲学的・宗教的思想の総称。ヘルメス文書で扱
われる、占星術、錬金術、神智学、自然哲学などを含み、日本語で
は神秘学の名で呼ばれるような概念にも近い。
例:三位一体+錬金術 → 水銀+硫黄+塩
贋金つくりが横行(金+亜鉛、銀+亜鉛、金+銅、銅+ヒ素(銀色))し
たため、3世紀末 贋金・偽宝石つくりに関するヘルメス術禁止令(皇
帝ディオクレティアヌス)
ヘルメス術の地下組織化と占星術・神秘主義の増強、アラビア、ヨー
ロッパへの浸透
中世錬金術に展開:エリキシル(エリクサー) 賢者の石 どんな卑金
属でも金・銀に変える、どんな病気でも治す。
C)4-16世紀
イスラム―インド―中国―ヨーロッパ 錬金術
●イスラム錬金術
622年 イスラム教によるアラビア部族の統一とペルシャ、中央アジア、
シリア、エジプト、小アジア、北アフリカ、イベリア半島への進出
十字軍以降 錬金術(アルケミー)書の翻訳 アラビア語→ヘブライ語
→ラテン語
4元素説を踏襲。錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現
在の化学薬品の発見が多くなされており、実験道具が発明された。そ
の成果は現在の化学 (Chemistry) に引き継がれている。
●インド錬金術 8世紀
化学の芽は無し
●古代中国から10世紀
前11世紀―前10世紀 青銅、 前6世紀 鉄、ついで真鍮、亜鉛
前2世紀以降
シルクロードを用いた交易、文化交流
140年ころ 錬金術の書 硫黄、水銀、金、鉛などの化学反応
唐 618年 李淵―290年間 907年滅ぶ 唐時代は錬金術が隆
盛(道教が国教であり、神仙思想が占める)
紀元4世紀 抱朴子 不老長寿 唐の6人の皇帝は丹薬で中毒死
火薬、鉱物、樹脂、薬草、抽出法(毒、薬)、メッキ技術 しかし化学
にならず。
宋 朱子学(実践道徳) 錬金術落ちぶれる
化学の芽は無し
辰砂は硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物で、別名に賢者の石、赤
色硫化水銀、丹砂、朱砂、水銀朱などがある。日本では古来「丹
(に)」と呼ばれた。加熱で水銀を与える。HP参照
●中世ヨーロッパ (5世紀―15世紀)
1000年かけて錬金術から化学の芽が
○395年 東ローマ(ビザンチン帝国1000年続く)、西ローマ(5世紀
にゲルマン民族の侵入で滅びる・・4世紀後半のフン族の侵入→
ゲルマン民族(ゴート族)の移動→西ローマ帝国簒奪476年→族間
紛争→8世紀末イタリア、ドイツ、フランスの基盤形成→11世紀イ
ギリス、北欧諸国)
○キリスト教 4-5世紀 ローマ帝国容認、11世紀 2つに分裂 ギリ
シャ正教(モスクワ)+ローマン・カトリック(ヴァチカン):後者が西
ヨーロッパ文化圏をまとめる(従って、宗教色の強い科学となる)
知識人=聖職者
○学術の活発化 12世紀 共通語(ラテン語)、大学(イタリア・ボ
ローニャ、フランス・パリ、イギリス・オックスフォード)
○十字軍(1095-1291)の働き:イスラム文化をヨーロッパに持ち込む
ボローニャ 40万人の人口を抱え、都市圏にはおよそ1000万人が暮らす。また、11世紀創
立の有名なボローニャ大学には10万人を超える学生がいる。世界の大学の原点とされ、「母
なる大学」とも雅称される
11世紀、ボローニャは自由中世コムーネとして再成長を始め、1164年には神聖ローマ皇帝フ
リードリヒ1世に対抗するロンバルディア同盟へ加わった。1088年、ストゥディオと呼ばれるボ
ローニャ大学が創立された。これが今やヨーロッパ最古の大学となり、イルネリウスのような名
の知られた中世の学者、ダンテ・アリギエーリ、ジョヴァンニ・ボッカッチョ、フランチェスコ・ペト
ラルカ、後にガリレオ・ガリレイ、コペルニクスいった学生らを誇る。
15世紀、著名な建築家や画家が存在し、彼らがボローニャを真の芸術都市にした、繁栄の時
代だった。ルネサンス時代、ボローニャは、秀でた女性であればどんな専門的職業にも就けた
唯一のイタリア都市だった。ボローニャの女性はイタリア他都市の女性よりもさらに大きな自由
を持っていた。一部の女性は、大学で単位を得る機会すら持っていたのだ。
12-14世紀3人の錬金術師(本質的に宗教家)
○マグヌス(12-13世紀ドイツ ヒ素の発見)
○ベーコン(13世紀イギリス、オクスフォード大、パリ大に学ぶ、
大西洋を西にすすめ、さればアジアに到着する→コロンブス)
○ルル(13-14世紀スペイン 無水アルコールの作成法) 空想
的・典型的錬金術師 ルル主義者の元祖
医術化学 16-17世紀 科学的な展開が一部にある(正確な実験・
記述)ただし、まだ錬金術の域
○ヘルモント(16-17世紀 ガス、柳の実験(光合成の観測)、定
量的観測
○グラウバー(ヘルモントの一世代後、硫酸ナトリウム10水和
物は俗に芒硝あるいはグラウバー塩とよばれ(Na2SO410H2O)。
入浴剤、下剤、漢方薬)
詳しくはHP参照
D) 近代化学の誕生 (17 世紀―18世紀、主に英国・
フランス)この節以降は、各研究者の歴史(詳しくはHP参照)を見
ることで科学の歴史を探る
科学思考と定量実験、但し、まだ宗教臭の強い科学
第一期 ボイル、フック、キャベンディッシュ、プリーストリー(以上英)、
シェーレ(スウェーデン)
第二期 フロジストン説 シュタール(ドイツ)以降
第三期 ラボアジェ(仏)、フロジストン説の打破、酸素、化学方程式、
元素表、科学的命名法
●ボイル(英、1627-1691)ボイルの法則、元素の定義、原子論 貴族、
錬金術的思考(金属を元素と考えず、別の金属に変化できると考え
た)、神学、フックの師、7種の金属(金、銀、銅、鉄、錫、鉛、水銀)、
2種の非金属(炭素、硫黄)が古代より知られ、これらは元素である。
他に、中世の錬金術師により見出されたヒ素、アンチモン、ビスマス、
亜鉛は元素。 1661年 “疑い深い化学者”
●フック(英、1635-1703) フックの法則、顕微鏡による観察
”cell” を細胞の意味で初めて使用 きわめて幅広い科学者、性格
が悪く弟子がいない。ニュートンと激しく対立、ニュートンはフックの
科学業績や肖像画を消却
Robert Boyle、1627年1月25日 – 1691年12月30日)アイルランド・リズモ
ア出身, ボイルの法則、元素の定義、原子論、で近代化学の創始者,
著書『懐疑的化学者』 ( The Sceptical Chymist) は化学という分野の基礎
を築いたとされている。1657年、ロバート・フックを助手として自ら空
気ポンプの製作を始めた。1659年に "machina Boyleana" と名付けた空
気ポンプを完成させ、一連の空気についての実験を始めた。ボイルの
法則の発表、音の伝播に空気が果たしている役割の解明、水が凍結
する際の膨張力の研究、比重と屈折の研究、結晶の研究、電気の研
究、色の研究、流体静力学の研究がある
Robert Hooke、1635年7月18日 - 1703年3月3日)は、イギリスの自
然哲学者、建築家、博物学者。王立協会フェロー。実験と理論の
両面を通じて科学革命で重要な役割を演じた。ロバート・ボイルの
弟子。科学業績は、フックの法則、顕微鏡による観察、"cell" を
細胞の意味で初めて使用
●シュタール(ドイツ、1659-1734) 医師、プロセイン王の侍医、フロジ
ストン説を提唱し、ボイル、フックの進めた科学的化学を逆行させ、
長期間すぐれた化学者の成長は止まる:1780年までにフロジスト
ン説はほぼ全ての化学者に受け入れられ、皆、フロギストン獲得
を目指す。
●キャベンディシュ(英、1731-1810)オームの法則、クーロンの法則
を発見。ただし発表せず。貴族、人嫌いの偏屈者、研究のみのす
ぐれた実験家。燃えやすい空気(水素)獲得。
●プリーストリー(英、1733-1804) フロジストンを抜いた空気(酸素)
獲得、アンモニア、塩化水素、一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化
硫黄発見。電気化学、科学と神学、神学者、牧師、フロジストン信
奉者。
●シェーレ(スウェーデン、1742-1786)、火の空気(酸素)獲得、バリ
ウム、塩素、マンガン、モリブデン、タングステンの発見 アンモニ
アの合成。グリセリン、乳酸、クエン酸、シアン化水素、シュウ酸、
フッ化水素、酪酸、硫化水素を発見、薬屋、すぐれた実験家、若死
(薬品をなめる癖あり)、他の科学集団とは別個の研究生活。
●ラヴォアジェ(仏、1743-1794) 幅広い科学者、フロジzトン説打破、
近代化学樹立、質量保存の法則、物質の命名法、化学方程式、
経済官僚、ロベスピエールによりギロチンで断首刑 “共和国は科
学者を必要とせず“、ベルトレ、デューマ、パストゥール、ベルセー
リウス、デーヴィーに影響を与える。
ラヴォアジェ
1777年、アントワーヌ・ラヴォアジエは フロギストン説への一連の反論を開始した。
これにプリーストリーが1783年に反論。プリーストリーはラヴォアジエの理論を一部受
け入れたものの、ラヴォアジエの革命的主張全体に同意する準備ができていなかった。
ラヴォアジエの主張とは、元素と化合物という新しい化学の考え方であり、物質の新た
な命名法である。ラヴォアジエの立論の基礎となったのは、皮肉なことにプリースト
リーの「脱フロギストン空気」や燃焼や水についての実験だった。結局プリーストリー
は生涯ラヴォアジエの新説を受け入れることができず、フロギストン説に固執した。
ラヴォアジエの理論は「定量的」であり、化学反応によって質量が増えたり減った
りしないという概念(質量保存の法則)に基づいている。対照的にプリーストリーは熱、色、
体積の変化の「定性的」な観察を好んだ。
1794年5月8日の革命裁判所の審判で「水と有害物質を
タバコに混入した」との(架空の)罪で死刑とされ、その日
のうちに 断頭台で処刑された。裁判長は「共和国は科
学者を必要とせず」と言う。ラヴォアジエが投獄・処刑さ
れた理由については、革命指導者の一人で化学者
でもあったジャン=ポール・マラーが、かつて学会に
提出した論文が審査を担当したラヴォアジエによって(彼
によれば「実験もせず憶測の内容であったため」)却下
されたことの逆恨みによるものであるとも伝えられている。
天文学者・数学者のジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、
ラヴォアジェ夫妻
ラヴォアジエの死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、
彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」とその才能を惜しんだ。
無機化学1
10月11日 第2回
1章 歴史 続き
2章 原子、量子、結合
E)化学の拡大。隣接科学との融合(19世紀)
19世紀の化学:物理化学、原子論、分子、電気化学、電磁気学、
熱力学、有機化学、生化学、不活性ガス
●ボルタ(イタリア、1745-1827) 電池
●シャルル(仏、1746-1823) シャルルの法則、気球乗り
●ベルトレ(仏、1747-1822) ラヴォアジェの友人・弟子、物質の命
名法、プルーストと定比例の法則で論争し負ける。ナポレオンの
エジプト遠征に同行 (他に、数学者フーリエが同行・・ロゼッタス
トーン、 シャンポリオンが関連)
●プルースト(仏、1754-1826) 定比例の法則
●ドルトン(英、1766-1844) ニュートン信奉者、色盲、倍数比例の
法則
●アヴォガドロ(イタリア、1776-1856)アヴォガドロの仮説、分子
●ゲーリュサック(仏、1778-1850)ベルトレの弟子、気体反応の法
則
ドルトン
(John Dalton, 1766年9月6日 - 1844年7月27日)は、イギリスの化
学者、物理学者ならびに気象学者。科学業績は原子説、倍数比
例の法則、ドルトンの法則。また、自分自身と親族の色覚を研究し、
自らが先天色覚異常であることを発見したことによって、ドルトニ
ズムの語源となった。ジェームズ・プレスコット・ジュール(ジュール
の法則、ジュール・トムソン効果)は弟子
ドルトンは相対原子質量(原子量)の表を出版した。最初の表には、水素、酸素、窒素、炭
素、硫黄、リンという6種類の元素が掲載されており、水素原子の質量を1としている。同時
代の化学者らによる水、アンモニア、二酸化炭素などの分析からそれら元素の相対原子
質量を求めたことがわかった。気体が全て原子から成ると確信したドルトンは、次に原子
の相対的大きさ(直径)を求めるという問題に直面した。そして組み合わせは常に可能な
限り単純なものになると仮定し、化学反応が異なる質量の粒子の組み合わせで起きると
いう考え方に到達した。この点が古代ギリシアのデモクリトスやルクレティウスの原
子論と異なる点である。この考え方を物質全般に拡張することで倍数比例の法則が導か
れ、実験によってそれが正しいことを確認した。
実験者としては極めて粗雑、声が不明瞭で説明も要領を得ず、講師としてはあまり優秀で
はなかった
質量作用の法則(law of conservation of mass)1774 ラボアジェ、化学反応の
前後で、反応物の質量の総和と生成物の質量の総和は等しい
ボイル=シャルルの法則(combined gas law)は、理想気体の体積と圧力、温度
に関係する法則。ロバート・ボイルが発見したボイルの法則(1660)と、ジャック・
シャルルが発見したシャルルの法則(1787)を組み合わせたもの。
「気体の圧力P は体積V に反比例し絶対温度T に比例する」というもの。
ここで、n = m /M は気体の物質量、R は気体定数、m は気体の質量、M は気体
のモル質量である
定比例の法則(law of definite proportions): 1799 プルースト、一つの化合物
について、それを構成する元素の質量比は常に一定。
純粋な水の水素と酸素の質量の比は常に1:8(1Hと16Oのみを考えた場合)。
しかし、金属間化合物や一部の金属酸化物では成分元素の比がある範囲で変
化するものも知られており、不定比化合物あるいはベルトライド化合物と呼ばれ
ている。それに対し定比例の法則に従い、特定の組成しかとらない化合物は、定
比化合物あるいはドルトナイド化合物と呼ばれている。
倍数比例の法則( law of multiple proportions)1803 ドルトン、同じ成分元素からなる
化合物の間に成り立つ法則。炭素原子1個に対して酸素原子が1個結合した化合物
が一酸化炭素であり、炭素原子1個に対して酸素原子が2個結合した化合物が二酸
化炭素である。●原子はそれ以上分割できない粒子であるから、炭素原子1個に対し
酸素原子が非整数個結合したような化合物が存在せず、倍数比例の法則が成立す
るということになる。
CO (C + O):
CO2 (C + 2O)
気体反応の法則(law of gaseous reaction) 1808 ゲイリュサック、2種以上
の気体物質が関与する化学
反応について成り立つ法則である。ある反応に2種以上の気体が関与
する場合、反応で消費あるいは生成した各気体の体積には同じ圧力、
同じ温度のもとで簡単な整数比が成り立つ
2H2 + O2 →2H2O 2:1:2
定比例の法則も倍数比例の法則も受け入れられるようになっていったが、ドルトン
の原子論(分子を考えなかった)では、どうしても都合がつかないような状況が生じ
てきた。それが気体反応の法則である。例えば窒素1体積と酸素1体積から一酸化
窒素2体積が生じる反応において、窒素も酸素ももし原子だとすれば、分割されて
しまい、分割できないという原子論の基本に反してしまう。その矛盾を解決したのが
アボガドロである。N2 + O2 → 2NO 1:1:2
アメデオ・アヴォガドロ(1776年8月9日 - 1856年7月9日)は、イタリアのトリノ出
身の物理学者、化学者。「分子」、「アボガドロの法則」で知られる。
生涯トリノ近郊を離れることがほとんどなかった。
アボガドロの法則「同温同圧のもと、全ての気体は同じ体積中に同数の分子を
含む」。1803年にイギリスのドルトンが原子量を初めて公開しており、1811年当
時、物質が原子から構成されると主張する原子説はほとんどの化学者に共通
の認識となっていた。ドルトンは一種類の元素からなる気体は原子から構成されると信じてい
た。しかし、ドルトンの原子説で説明できない現象が残っていた。気体同士の反応である。例
えば水素2容積と酸素1容積を化合させると必ず水蒸気2容積となる(反応前後の温度が等し
い場合)。ドルトンの主張に従って、この反応を現代風に記述すると、以下のようになる。
一単位の水素原子と一単位の酸素原子が結合すると、一単位の水蒸気となる。これは2対1
対2という実験結果と合致しない。アヴォガドロの主張は二つの部分からなる。まず、同単位の
気体は同じ体積を占めること、次に、気体は原子ではなく、同種の原子が2つ結合した分子か
らなるというものである。以上から、反応式は以下のように変化する
分子に付いている係数は、2対1対2であり、実験結果を直接説明できた。
アボガドロの法則は一見、古い仮説を組み合わせただけのように見えることもあり、発表後も
重要性が理解されなかった(法曹界の出身故に論文の文章が難解だった事も一因と言われ
ている) 0℃、1.01x105 Pa、22.4 Lの気体中に6.02x1023個の分子
●ベルセリウス(スウェーデン、1779-1848)化学で落第点の大化学者、
アルファベット式化学記号、ヴェーラーは弟子、陰気で一徹であり
デーヴィーと気が合わず。有機化学開始
●デーヴィー(1778-1829) 研究と遊びの達人、電気化学、ファラディー
は弟子、多くの元素を発見・単離、笑気ガス中毒、一酸化炭素の吸
引実験で死線をさまよう、三塩化窒素で視力(デュロンの負傷も
NCl3 の爆発)を損ない助手を雇う(ファラディー)。
●デュロン(仏、1785-1838)ベルトレの学生、片目、片方の手に指がな
い
●プティ(仏、1791-1820)ベルトレの学生・・デュロン・プティの法則
●ファラディー(英、1791-1867)化学、電磁気学など幅広い研究・教育、
ファラディーの法則
●ヴェーラー(独、1800-1882) 有機化学の創始、尿素
●リービッヒ(独、1803-1873)有機化学、実験教育、偉大な頑固もの
●フランクランド(英、1825-1899)原子価
●ケクレ(独、1829-1896)有機化学、夢とベンゼン
サー・ハンフリー・デービー(1778年12月17日 - 1829年5月29日)は、
イギリスの化学者で発明家。電気分解により、アルカリ金属(Na,K)
やアルカリ土類金属(Mg, Ca, Ba), Bを発見し、塩素やヨウ素の性質
を研究した。ベルセリウスは On Some Chemical Agencies of Electricity
と題したデービーの1806年の Bakerian Lectureを「化学の理論を豊かに
した最良の論文のひとつ」としている。この論文は19世紀前半の様々な
化学親和力理論の核となった。燃料電池のアイデアを提案。1815年、デービー灯を発明
し、可燃性の気体が存在しても坑夫が安全に働けるようになった。マイケル・ファラ
デー、ウィリアム・トムソンは弟子。
1801年(23歳)、デービーは比較的新しい分
野である動電気学(現在の電気化学)の講演
を行い、科学的発見によって文明が進歩して
いくというビジョンを観客に提示した。デー
ビーは講演に華々しい、時には危険ですらあ
る実験を組み込み、天地創造の引用を散り
ばめつつ、本物の科学的情報も織り込んで
解説した。講演者として人気を博しただけで
なく、ハンサムなデービーは女性からの人気
も高かった。Gillrayの風刺画で描かれた観客
のほぼ半数は女性である。動電気学の一連
の講演が終了すると、デービーは農芸化学
の一連の講演を開 始し、さらに人気を博した。
王立研究所でガーネット博士が行った講演の様子。ふいごを持っているのがデービー、右
端にいるのがベンジャミン・トンプソン。ガーネット博士は被験者の鼻をつまんでいる。
マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)は、イングラン人の
化学者・物理学者(あるいは当時の呼称では自然哲学者)で、電磁気学および電気化学の分
野での貢献で知られている。ファラデーの電磁誘導の法則、電気化学,ファラデー効果、ファラ
デーケージ、ファラデー定数、ファラデーカップ、ファラデーの電気分解の法則、電気力線、直
流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、物理学における電磁場の基礎理論を確
立。それを後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが発展させた。同様に電磁誘導の法則、反
磁性、電気分解の法則などを発見。磁性が光線に影響を与えること、2つの現象が根底で関
連していることを明らかにした。電磁気を利用して回転する装置(電動機)を発明し、その後の
電動機技術の基礎を築いた。それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般が彼の業績から発
展したものである。
化学者としては、ベンゼンを発見し、塩素の包接水和物を研究し、原始的な形のブンゼン
バーナーを発明し、酸化数の体系を提案した。アノード、カソード、電極 (electrode)、イオンと
いった用語はファラデーが一般化させた。
ファラデーは一般向けの講演も多く行った。世界の優秀な科学者たちを集めた金曜講演(1825
年より開始)、少年少女向きのクリスマス・レクチャー、有名なロウソクの科学などであり、今日
まで続いているものも多い。
化学者アウグスト・ケクレ(18291896)が、ロンドンに滞在中だっ
た1854年に乗り合い馬車での移
動中に見たという有名な夢です。
夢の中に蛇が出てきて、自分のシッポをくわえてそこへ球が
飛んできて跳ねまわり始めた。最初は大きい球に小さい球が
1つずつくっつく。回転を始めた。やがて大きな球は小さい球
を複数くっつけ、もっとも多い球は4つになった。それが回転
する蛇と一緒に回り出し、つながって鎖を作っていく。すると
蛇は運動をやめて消えた。
ベンゼン構造の着想として、「ケクレの夢」で
伝説になったウロボロスの蛇。白黒に描かれ
たこのタイプは10世紀のビザンチンの書物に
良く出てくるらしい
●ファント・ホッフ(オランダ、1852-1911)正四面体炭素原子、反応速度、
ノーベル賞
●ファン・デル・ワールス(オランダ、1837-1923)ファンデルワールス方程
式、ノーベル賞
●ヴェルナー(スイス、1866-1919) 配位化合物、ノーベル賞
●フィッシャー(独、1852-1919)単糖類、ノーベル賞、偉大な化学者
●マイヤー(独、1830-1895)元素の周期性
●メンデレーエフ(ロシア、1834-1907)(1834-1907)周期律、女性教育
◎周期律の提案のち、化学的に獲得できない(化学反応しない)原子分
である不活性ガスが見いだされる。
●レーリー(英、1842-1919)アルゴンの発見、ノーベル賞
●ラムゼー(英、1852-1916)不活性ガスの発見、ノーベル賞
◎ついで、電子(ストーニー、クルックス、ジョゼフ・トムソン)、X線(レント
ゲン:電磁波)、放射線(ベックレル)の研究が、20世紀の科学の出発点
である原子構造につながる(キュリー、ラザーフォード・・a, b, g線)
●日本の化学者 宇田川 榕菴(1798-1846) 舎密開宗
アルフレート・ヴェルナー(1866年12月12日 – 1919年11月15日)
はスイスの化学者。遷移元素錯体の八面体形の構造を提唱し、
1913年にノーベル化学賞を受賞した。錯体化学の創始者。無機
化学の分野では最初のノーベル化学賞であり、1973年までは唯
一だった。
配位化学 1893年、ヴェルナーは錯イオンを含む配位化合物の正しい構造を提唱した最初の
人物となった。それは、中心に遷移金属原子があり、その周りに中性または陰イオンの配位
子があるという構造である。例えばコバルトは CoCl3•6NH3 という化学式で表される錯体を形
成するが、ドットで表されている部分の関係は謎だった。ヴェルナーは [Co(NH3)6]Cl3 という構
造を提唱し、Co3+ イオンを6つの NH3 が取り囲んで八面体を形成しているとした。3つの Cl- は
自由イオンとして分離しており、ヴェルナーは水溶液の電気伝導率の測定と硝酸銀を使って
塩素陰イオンを沈殿させる実験で確認した。後に CoCl3•6NH3 の化学的性質についてのヴェ
ルナーの提案を確認するのに、磁化率の測定も行われた。
cis-[Co(NH3)4Cl2]+
trans-[Co(NH3)4Cl2]+
ドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフ(1834年1月27日-1907年1月20日)
はロシアの化学者であり、元素の周期律表を作成し、それまでに発見され
ていた元素を並べ周期的に性質を同じくした元素が現れることを確認し、
発見されていなかった数々の元素の存在を予言したことで知られている。
また、「石油の無機起源説」の提唱者としても近年再評価されている
1.元素は原子量の順に並べると明らかにその性質ごとの周期性を表す。
2.科学的特性の類似する元素はほぼ同じ原子量であるか(例:白金、イリジウム、オス
ミウム)、原子量が規則的に増加するか(例:カリウム、ルビジウム、セシウム)
である。
3.元素グループ内での原子量順に並べた元素の配列はいわゆる原子価だけでなく、ある
範囲まで、独特の化学的特性と一致する。
4.分子の大きさが化合物の性質を決定するように、原子量の大きさが元素の性質を決定
する。
5.未知の元素の発見が期待される。たとえば、共に原子量が65から75の間であり、科
学的特性がアルミニウムに類似する元素およびケイ素に類似する元素が存在するで
あろう(後年、該当するガリウム、ゲルマニウムが発見される)。
6.元素の原子量は原子番号順で前後する元素の原子量に関する知識により修正できるこ
とがある。例えば、テルルの原子量は123から126の間にあり、128になりえない。
元素の特徴的な特性はその原子量から予言できる。
7.広範囲に存在している元素の原子量は小さい。
1906年(72歳) ノーベル化学賞にノミネートされるも、たった一票の差でアンリ・モ
アッサンに敗れる。翌年に死去。
1859年から1861年(25歳ー27歳)の間気体の密度についてパリで研
究を行う。また、ドイツのハイデルベルクでグスタフ・キルヒホッフと共
に分光器についての研究を行った。1863年再びロシアに戻り、1865
年(31歳)にはサンクトペテルブルクの化学技術大学で化学の教授と
なった。 35歳 周期表
1890年(56)、サンクトペテルブルク大学の学生の奨学金増額要求を
文部大臣に取り次ぎ、拒否されるとそれに抗議して同大学を辞職。
1893年(59)、メンデレーエフは度量衡局の所長となった。ここでのメ
ンデレーエフの仕事はウォッカの製造技術の標準化であった。メンデ
レーエフは、エチルアルコール分子1に対して水分子2の割合で混合
するのが最適であると結論づけたが、これは体積比にして38%アル
コールと62%の水に相当する。これにより、1894年に新法が制定され、
すべてのウオッカは40%(体積比)のアルコールを含むものと規定され
た。この比率は現在においても多くのウオッカで用いられている。メン
デレーエフは死去するまで度量衡局の局長を務めた。
ロシア モスクワ ウオッカ博物館
F)無節操的飛躍と基礎科学(20世紀~)
1.原子の成り立ち:レントゲン、ベックレル、キューリ(1911) 、ラザ
フォード、モーズリー、ユーリー(重水素、 1934)、キューリ(1935)、
チャドウィック(中性子1935)、ハーン、シーボーグ
2.量子力学 :プランク(1918), アインシュタイン(1921)、ボーア
(1922)、ドブローイ(1929)、ハイゼンベルグ(1932)、ゾンマーフェル
ト、シュレーディンガー(1933)、ディラック(1933)、ハイトラー、ロンド
ン、パウリ(1945)、ボルン(1954)、スレーター、ウィグナー(1963)、
朝永(1965)、ファインマン(1965)
量子化学:ヒュッケル、ルイス、ポーリング(1954)、マリケン(1966)、
福井(1981)、ホフマン(1981)、コーン(1998)
3.結合:イオン結合:マーデルング、ボルン、ハーバー、共有結合:
ポーリング他多数、金属結合:ゾンマーフェルト他多数、ファン・デ
ル・ワールス結合
4.熱力学:19世紀:ル・シャトリエ、カルノ、ジュール、クラジウス、ク
ラペーロン、ヘルムホルツ、ケルヴィン(トムソン)、ファントホッフ
(1901)、アレニウス(1903)、オストヴァルト(1909)、20世紀:ネルン
スト(1920)、ボルン・ハーバーのサイクル、オンサーガー(1968) 、
ブリゴジン(1977)
5.化学反応:ポラニー(1986)、ウッドワード・ホフマン・福井、平衡:
酸・塩基 ブレンシュテッド、ローリー、ルイス、ピアソン、ハメット、
統計:ボルツマン、フェルミ、ボース、アインシュタイン、連鎖反応
(1956)、高速化学反応(1967) 、遊離基スペクトルスコピー(ヘルツ
ベルグ 1971)
6.構造:ラウエ(1914)、ブラッグ(1915)、デバイ(1936)、ホジキン
(1964、生化学物質)、フィッシャー・ウィルキンソン(有機金属錯塩
1973)、リブスコム(ボラン、1976)、核酸の基本構造(1980)、巨大
分子微細構造(1982)、光合成反応中心(1988)
7.固体・金属・超伝導:固体物理、固体化学、材料化学:ロー
レンツ(1902)、ゼーマン(1902)、フェルミ(1938)、ブロッホ
(1952)、ショックレー(1958)、ワイス、ネール(1970)、江崎
(1973)、モット(1977)、アンダーソン(1977)、ヴァンブレック
(1977)、超伝導:オンネス(1913)、バーディーン(1972)、クー
パー(1972)、シュリーファー(1972)、ジョセフソン(1973)、クリッ
ツィンク(1985)、ベドノルツ(1987)、 ミューラー(1987)、ギンズ
ブルグ(2003)
8.界面、表面:ラングミュアー(1932)
9.測定技術:電気炉 モアサン(1906)、質量分析 アストン
(1922)、有機微量分析 プレーグル(1923)、ラマン分光(ラマ
ン 1930)、サイクロトロン(ローレンス1939)、高圧 ブリッジ
マン(1946)、NMR(ブロッホ 1952)、位相差顕微鏡(ゼルニ
ケ、1953)、ペーパークロマト(アミノ酸分析 1952)、ポーラロ
グラフィー(1959)、メスバウアー(1961)、レーザーの開発
(1964)、分子、原子の観測と操作・・電子顕微鏡・STMの開
発(1986)、AFM,田中(2002)
10.高分子、衣料、機材:シュタウディンガー(1953)、ツィグ
ラー・ナッタ(1963)、フローリー(1974)、ヒーガー・マクダイア
ミッド・白川(2000)
11・機能材料
色素:バイヤー(1905)、エレクトロニクス:トランジスタ(ブラッ
テン・バーディーン・ショックレー(1956)、液晶(1888ライニッ
ツァー・レーマン)、エネルギー材料、触媒(グリニャール
(1913)、ボッシュ(1931)、ツィグラー・ナッタ(1963)、野依
(2001), 根岸・鈴木(2010)、クラウンエーテル(ペダーセン
1987)、クリプタンド(レーン1987)、分子認識(クラム1987)、
フラーレン(クロトー・スモーリー・カール(1996)、ナノチューブ
(飯島)、グラフェン(ガイム・ノボセロフ 2010)
12.生化学、生命化学、医薬、農薬 (糖 フィシャー(1902)、クロ
ロフィル ウィルシュテッター(1915)、空中窒素固定法 ハー
バー・ボッシュ、胆汁酸 ウィーラント(1927)、ステリン類(1928)、
アルコル発酵(1929)、血液色素(1930)、ビタミン(1937,1938)、
性ホルモン(1939)、食糧保存(1945)、酵素(1946)、アルカロイ
ド(1947)、血清タンパク質(1948)、抗原抗体(ポーリング
1954)、合成ホルモン(1955)、ヌクレオチド(1957)、インシュリ
ン(1958)、炭酸同化作用(カルビン、1961)、リボ核酸分解酵
素(1972)、生体内エネルギー伝達(1978)、
13.環境化学 クルッツェン・モリーナ・ローランド(1995)
14.宇宙化学
レポート(1)
二クロム酸カリウム、塩化鉄、塩化錫、ミュバン、硫酸銅、酢酸銅、酢酸アルミニウム
などが使われている。中には劇物に該当するものもあるため、趣味の染織工芸などで
は天然材料である鉄漿や灰汁なども使用されている。大島紬などでは泥に含まれる
鉄分で媒染を行っている
物質、事項
化学式、読み方
特徴
二クロム酸カリウム
塩化鉄
塩化錫
硫酸銅
酢酸アルミニウム
鉄漿
てっしょう、おはぐろ
灰汁
あく、はいじる
大島紬などでは泥に含まれる鉄分で媒染:
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