(最終回) 展望はサイエンスから (1998/12) - Ken Kimura.com

アメリカ医療はいま:医療現場からのレポート、
「医療経営情報」( ミクス書籍 )、No.109、1998-12、
PP.40-43
Doctrina
Theses & Articles
アメリカ医療はいま:医療現場からのレポート
最終回 展望はサイエンスから
木村 健
■アメリカナイゼーション
「ここ数年の間に、50人もの方々がニッポンからアイオワ大学病院の経営を見学に来られました。
政府関係では厚生省・文部省・内閣調査室、国立の医療センターから、民間からは理事長・病院長の団
体、Y さんのような医療法人の経営者、医療コンサルタント会社のスタッフ、はては企業で危機管理を
している方など多岐多彩でした。それまでにも、大学のドクターが学会の帰りにちょっと寄っていかれ
ることはありました。しかし、ほんの数年間にこれほど多くの人たちが医療経営を学びに来られたとい
うことは、ただごとではない気がします」
六月の晴れた日、ブラッディ・マリーのグラスを傾けながら、Y 氏と過ごしたひとときの会話である。
「お察しの通りです。ニッポンでは2000年を目途に医療のすべての分野に及ぶ大改革が実施され
ようとしております。なにしろ誰にも経験のない領域に踏み込む改革ですから、幾多の難関を乗り越え
てきたアイオワ大学の病院経営から予備知識を貯えておいて、きたるべきショックに備えられているの
でしょう。私は、今度の改革は医療のアメリカナイゼーションだと理解しています。度重なる医療改革
を経験済みのアメリカ医療から学ぼうとするのは、極めて適切なアプローチだと思います」
「皆さんとの対話に出てきた言葉を列記してみますと、平均在院日数、包括支払い制度(DRG)、クォ
リティアシュアランス、コスト効率、マネージドケア、クリティカル・パス、インフォームド・コンセ
ント、カルテ開示、薬品の包括購入、研修医制度、専門医制度、家庭医の養成、医師の技術料、医学部
の就学年数や入試制度、国公立病院の定員法の見直し、保険診療への自由経済の参入、などなど。医療・
医学の全域について真剣にお考えになっている様子がよくわかります。いままで『先送り』で置き去り
にされてきた諸問題が、この期に及んで顕在化したということでしょうか」
Y 氏はブラッディ・マリーをガブリと飲んで説明してくれた。
「改革の根底は何といっても経済です。ニッポンの総医療費は去年までずっと増加の一途をたどり、
96年には28・5兆円に達しました。ところが昨年は微増にとどまり、今年は少し減って28兆円台
になる予測です、これは過去50年間で初めてのことです。みんなで仲良く分け合って食べていたパン
が年々大きくなっていた間は、問題先送りでよかったのですが、パンが小さくなると口にできない人も
出てきました。これは生死のかかった深刻な問題です」
「しかし、見方を変えるとニッポンの総医療費は GNP 比で7% 足らず、アメリカのそれが9% であ
るのと比べると、まだまだ少ないように思えます、Y さんの愛仁会のように、全国の平均水準をはるか
に超えたテクノロジーとサービス内容を誇る医療法人がある一方、医院や病院の中には、とても先進国
のものとは思えぬ施設や設備で、医療サービスの内容も感心できないところがあると聞いております。
施設間で医療サービスの内容に歴然とした格差があるのに、対価が定額に規定されているというのは納
得できません。質のよいものは高価であるという市場経済の原則に立ち戻って、それぞれの医療サービ
スの対価を決める時期が来ていると思います」
「おっしゃる通りです。いままでのニッポンでは、
『医療サービスは万人のもの、すべての人に平等に』
という精神を貫いて来ましたから、医療サービスは価格に違いのある商いの対象にしてはならなかった
のです」
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「それでは競争にならないではありませんか。『ニッポンの医療界を眺めると北朝鮮のそれを見ている
ようだ』と発言して叱られたことがありましたが、当たらずと言えども遠からずと思っています。病院
が収益を上げるのに、サービスを商品として売ることができないのなら、どうすればよいのでしょう」
「数です。通院や入院の日数、検査の件数や投薬や点滴の数を増やして収入を得るという出来高払い
でやってまいりました」
「なるほど。だから、ある日気づいてみたら40日近い平均在院日数を維持してちょうどペイできる
ような医療サービスのスタイルができ上がってしまっていたのですね」
「その通りです」
「
『平均在院日数』という言葉はアイオワ大学を訪問されたすべての方から聞きました。皆さん、ニッ
ポンの病院も平均在院日数をアメリカ並みの一週間前後に減らすのが目標だとおっしゃる。だが、仮に
これが実現すると、ニッポン中の病院は空床だらけになって、空家の様を呈しますぞ」
「そうなることは重々承知しております。2000年の医療改革の結果、現在210万床ある総病床
のうち半分は要らなくなるだろうと予測しています」
■ポイントは平均在院日数
「在院日数を減らすのは口で言うほど簡単ではありませんよ。ケアの現場で一番人手がかかるのは入
退院前後の患者さまです。その数が増えると、それに応じたサービス余力の増強が要ります。入院のルー
チン検査の件数は、これまでの何倍かになるでしょう。放射線診断や諸検査のニーズが増すと、技師の
数や設備を増やさねば対処できません。入退院ごとに病床のベッドメイクの回数が増えれば、当然リネ
ン類の洗濯量も増えるでしょう。栄養科で用意する食事の数も増える。看護部では入退院時の指導のた
めに、ケアにあたる看護婦を増やさねばなりません。回転が早くなると24時間いつ入退院してもよい
というシステムをとらざるをえませんが、こうなると事務関係では飛躍的に増える事務手続きの処置に、
三交代シフトで働くスタッフが要り、これまた人を増やさねばなりません。
医局ではドクター一人が一年間にケアする患者さまの実数が増えるのですから、検査や処方をできる
限り省いたとしても、仕事量と就労時間はいままでの倍にも三倍にも増えるでしょう。病棟からの呼び
出しベルは鳴りっぱなし、カルテやその他の書類が医局のデスクに山と積まれ、これで外来も手術も増
えるとたまりません。いままでのように秘書もアシスタントもなしでやっていくことは不可能です。ち
なみに、私のアイオワ大学外科では50人の外科医に、セクレタリーとアシスタントが100人ついて
いますから、年間一万件、一人あたり年間200件の手術をして、なお講義や学会の仕事をこなせる余
力が生まれるのです」
「今後予定されている改革では、平均在院日数を減らすのが最大の焦点です。その結果、空床が増え
倒産に至る病院も出ると思います。おっしゃるような混乱もあるでしょう。しかし、医療サービスの質
の維持も困難で、コスト効果も低い現状から、明日の先進医療に向かって脱皮するためには、平均在院
日数の短縮は避けて通ることのできない最重要課題だと考えています」
「平均在院日数に関して古い話を聞いてください。いまから16年前の83年、私はまだ兵庫県立こ
ども病院に勤めていました。その年八ヵ国から40人の小児医に参加してもらって、『小児医療関係者
の現況と将来展望:小児外科の社会経済的側面から』と題する国際パネルを開催しました。小児病院を
西欧とアジアの二つのグループに分け運営状況を比較してみると、両者の間には平均在院日数と職員数
にはっきりした違いが見られました①(別表参照)。職員数ではニッポンが極端に少なかったのが印象
的でした、アジアの病院が西欧型の短い在院日数で医療サービスを提供するためには、1 床あたりの職
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員数の増加が必須であると、西欧側のパネリストから指摘を受けました」
■23年目のクリティカル・パス
「16年前すでに、
『平均在院日数』に関してこんなデータをお持ちだったとは恐れ入りました。とこ
ろで、アメリカではいつごろどういう動機で『平均在院日数』を減らす発想が出て来たのでしよう」
「メディケアとメディケイドという政府管掌の老人および生活保護者の保険が 65 年にスタートしま
した。初めはバラ色の末来だったのですが、10年後にはすでに政府の財政を圧迫し、医療機関は経費
節約型の医療サービスに転じざるを得なくなりました。83年、政府はこれら保険の医療費支払いに『包
括支払い方式 (DRG)』を採用すると宣告しました。DRG では一件あたりの受け取る額が決まっている
ので、病院は必要最小限の入院加療コストで退院してもらうという策で対応しました。その後、政府に
習って民間の保険会社も病院や医師への支払い額に制限を加えてきたため、医療サービス提供側は『マ
ネージドケア』という新しいスタイルの医療サービスを開発せざるを得なくなりました。
アメリカの医療経済はニッポンと違って市場経済のメカニズムで動いています。患者サービスのよい
病院に人気が集まるのは当然ですが、それを維持するにはカネがかかります。財源としては入院料をた
くさんいただくしかありません。入院料を高くすると保険会社は値切ってくる、自己負担の増えた患者
さまからは文句が出るで、人気が落ちてきます。まさにあちらを立てればこちらが立たずです。これを
解決するために、患者さまに早く退院してもらって、一回の入院にかかる費用の総額を下げるという方
針が打ち出されました。これが市場経済で動くアメリカ医療社会でのマネージドケアの始まりでした。
マネージドケアは病院が生き残りをかけた苦肉の策として在院日数を切りつめた結果生まれたので
す。これをよしとして発案されたものではありません。コスト削減型医療サービスとでも呼ぶべきマネー
ジドケアで、コストをさらに削減するためには、同じ病気の患者さまの治療に各ドクターがそれぞれば
らばらの治療方針を立てていたのでは効率がよくない。そこで同一疾患には一定規格のケア指針をつく
り、みんながそれに従えばコスト効率がよくなるだろうという考えから、産業界で用いられていたクリ
ティカル・パス(ケアマップともいう)が医療に応用されるようになりました。いまニッポンで流行の
クリティカル・パスを私は25年前にすでに実施していたと言っても、にわかには信じてもらえないで
しょう。
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我田引水になりますが、図②を見ていただくと、いまのクリティカル・パスの思想を生かしたケア方
針がおわかりいただけるでしょう。これは23年前にメヂカルフレンド社から出版した『小児外科の臨
床と看護』という小著から少し手直しして転載したものです。図の A は同じ科に主治医が三人いると、
三人三様の治療方針でケアするという従来のスタイルを示したものです。図の B は医師団が一定規格の
ケア方針でケアにあたる場合の指示の流れを示しています。これこそクリティカル・パスです。実際に
この方針で小児外科の患児のケアを行ったところ、73年には平均在院日数21日、年間手術例300
例であったのが、85年にはそれぞれ6日と1000例になりました。この間に使用した病床の数もド
クターおよびナースのマンパワーも既存のまま変わっていません。
しかし、それ以上先に進むには、先に述べた西欧型の病院に倣って職員を増やし、検査室・手術室・
ICU など中央サービス部門を強化せずには、実施が困難であるという究極点に達したと思っています」
■課題は医学教育にまで・・・・・・
「いや、
恐れ入りました。これこそ私どもが2000年に直面するであろう医療改革にほかなりません、
いまアメリカの大学病院の第一線で、バリバリの現役外科医として活動されていますが、ニッポンに居
られたころ遭遇されたような診療推進上の困難というものはありませんか」
「幸いなことにアイオワ大学病院は全米でトップ・クラスの病院経営の専門家グループによって経営
されております。診療の実際でドクターが困難と思うことは、すなわち患者さまへのサービスの質の低
下につながります。300人ほど働いている病院経営専門家チームのおかげで診療上の支障を感じたこ
とは本当に一度も経験しておりません」
「300人も病院経営のスタッフがいるとは羨しい限りです。臨床の現場から見た病院経営をニッポ
ンとアメリカ両国にまたがって経験されて、
ニッポンの医療界の将来展望のキーポイントはなんでしょう」
「診療そのものを根底から変える必要があります」
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「それは2000年に行なわれようとしていますが……」
「制度ではなくて、診療の内容です。たとえばニッポンの病院では、普通の食事が取れている患者さ
まに、栄養と称して糖液とビタミン剤を混じた点滴をするのがルーチンになっています。これは全国で
一日何十万件にものぼるでしょう。アメリカの医療の現場ではこんな無意味なことはできません。その
ほか手術後の創には、処置と称してヨードチンキを塗ってガーゼを毎日交換する。アメリカでは創はカ
バーせず開放するから、ヨードチンキ塗布だのガーゼ交換だの一切しない、それでも傷はみごとに治る。
なぜ治るかというと、開放型のほうが創傷の治癒の病態生理の理にかなっているからです。これをさか
のぼると医学教育に踏み込むのでこのへんでやめておきますが、日常の医療行為の一つひとつをサイエ
ンスの観点から見直す時期に来ています。これをせずに『平均在院日数』を減らすことはできません」
アイオワ大学教授(アイオワ大学付属病院小児外科部長)木村 健
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