容積率に余裕のある団地型マンションの建替え合意に伴う諸問題

本稿は「マンション学」第 41 号 2012 年に掲載されたものに
若干の補記、加筆をして PDF 化したものである。(藤木)
容積率に余裕のある団地型マンションの建替え合意に伴う諸問題
…… 千里ニュータウンに於ける最高裁上告棄却二事件を通しての考察 ……
藤
木
良
1 本論の目的
明
替え合意が整った団地型マンションで、近隣住民
平成 14 年 6 月に「マンションの建替えの円滑化
からの総合設計許可処分取消請求を含めて、何件
等に関する法律」が制定され、それを露払いとし
かの訴訟が生じている事態にも注目させられる。
て同年 12 月には「建物の区分所有等に関する法
その傍らで、国土交通省は平成 17 年に「マンシ
律」の建替えに関わる条項が大幅に改定(一般に改
ョン建替え実務マニュアル」、平成 22 年に「団地
正とされるが、本項では以下、改定とする)され、
型マンション再生マニュアル」を公表したし、一
さらに国土交通省は平成 15 年 1 月に「合意形成の
部の自治体では、建替え助成制度、容積率の緩和
進め方に関するマニュアル」、「建替えか修繕かを
を含めて建替え支援への動きが顕著である。つま
判断するためのマニュアル」を公表した。この一
り、住民間、または近隣住民とのトラブルが発生
連の流れを第 155 回国会のために作成された「法
している一方で、国、自治体は建替え促進に向け
律案に関する参考資料」は「老朽化により居住水
てさまざまな政策を打ち出しているのである。
準の低下したストックも増加していることから、
筆者は、建替えを巡るこれらの諸現象は、平成
マンションの適切な維持管理、建替えの円滑化を
14 年の区分所有法改定時に、改定前法の「老朽化」
図る必要性が増してきた。」ことによるとする。注1
「費用の過分性」を含めた建替え合意の法定要件
このフレーズは[老朽化⇒適切な維持管理]、[老
が十分に審議されず、経済政策上の観点から改定
朽化⇒建替えの円滑化]の二義的に解釈されるが、
がなされたことに大きく起因すると判断している。
ここには“老朽化”という用語の概念規定が曖昧
今後、ますます増大する経年マンションの課題に
であることによる自家撞着がある。
対する抜本的な法整備が行なわれなければ、千里
ニュータウンで生じた事件と同根の住民間、なら
ちなみに、前出の「参考資料」には「老朽マン
ションの全国建替え事例一覧」が、合意形成マニ
びに近隣とのトラブル、法廷闘争は再生産される。
ュアルには「老朽マンションの既往の建替え実現
そこで、本稿では千里ニュータウンにおける最
注1
リストに上げら
高裁上告二事件の経緯を時系列的に再考し、建替
れた昭和 30 年代以降に分譲されたいわゆるマン
え合意に伴う諸問題の整理を行なう。筆者は法律
ションの建替え事例は、一部を除いて建替え前の
学、不動産流通学を専門にしないので、専門外の
容積率に余裕があり、建替えに伴う余剰床を分譲
分野は先行研究、報告に委ねる。注 2
することで無償、または一部費用負担により新た
2 対象とした二事件の概要
事例リスト」が付されている。
な住戸を取得する等価交換方式による建替えであ
事件の一つは、平成 8 年 12 月、建替え決議に棄
り、これを国が[老朽化⇒建替えの円滑化]とい
権した区分所有者 5 名が、参加者に建替え決議無
う図式で括り込んだのである。
効確認を請求したことに端を発する「新千里桜ヶ
以上の問題意識に立つとき、平成 14 年の区分所
丘住宅事件」(以下、
「桜ヶ丘」とする)である。
「桜
有法改定を前後して、大阪千里ニュータウンにお
ヶ丘」は 12 棟、272 戸からなるが、団地全体の建
いて建替えの賛否をめぐり最高裁上告に至った二
替え決議は行なわず、旧法に基づき棟ごとに 5 分
事件がある。また、最近も改定法に従って法定建
の 4 の法定決議によっている。
NPO 法人山村集落再生塾主宰
愛知産業大学造形学部特任教授・工博
1
4 建替え計画の時代背景
非賛成者が無効確認の根幹としたのは、決議が
旧法 62 条にいう「費用の過分性」を満たしていな
両団地に建替え話が持ち上がったのはバブル経
いとするもので、一審、二審ともに非賛成者の請
済期である。周知のとおり昭和 60 年代から平成初
求を退け、最高裁も上告を棄却している。
頭にかけての異常な高景気をバブル経済期とされ
事件のもう一つは、改定法に基づき団地管理組
る。通説では昭和 60 年のプラザ合意に伴う急激な
合が行なった団地の一括建替え決議後、参加者の
円高の進行を受けて、当時の中曽根内閣が景気浮
区分所有者から権利移譲を受けた共同事業予定者
揚政策を取ったことを切っ掛けとし、株価が急落
が、非賛成者に売渡請求をしたことを発端とする
した平成 3 年初めまでとされる。しかしながら、
「千里桃山台第 2 団地住宅事件」(以下、
「桃山台」
庶民の体感的なバブル景気観はその後も続き、実
とする)で、一審が共同事業予定者の請求を妥当と
質的には金融機関の破綻が次々に生じた平成 7 年
判断した後、非賛成者が控訴し、敗訴、さらに最
ころまで、最盛期への幻影を追っていた。そこへ
高裁に上告したが棄却されたものである。この事
平成 7 年 1 月 17 日に兵庫県南部地震が発生し、ひ
件では改定法 70 条の「手続き要件」、ならびに 70
とつの大きな時代の終焉を象徴したともいえる。
条そのものの違憲性が主な争点となっている。
それ以降は低成長経済に移行したが、平成 13 年に
なお、非賛成者は最高裁の上告棄却後、管理組
小泉内閣が誕生し、
「聖域なき構造改革」を打ち出
合と共同事業者に対し、万一事業が頓挫した場合
し、その一環として都心での容積率の規制緩和が
の損害を管理組合財産から補填する旨の理事長事
なされ、超高層マンションが地方都市にまで、ま
業者間契約の無効確認、および事業者が当該土地
さに雨後の竹の子のように建設された。平成 14
を第三者に転売した際の売買契約書等の開示を求
年の円滑化法の制定、区分所有法の改定はこのよ
めて提訴したが、一審、二審ともに敗訴した。
うな状況下で行なわれたのである。
これらの経済政策の一方で、平成 7 年の兵庫県
3 建替え決議に至る共通点
両団地内に建替えの話が持ち上がってから建替
南部地震は建物の安全性への関心を高めると同時
え決議に至るまでの経緯を見ると、多くの共通す
に、マンション定住化時代への節目ともなった。
る課題が浮上する。そこで、両事件の一審、二審
また、平成 9 年に第 3 回気候変動枠組条約締約国
の判決文、法廷に提出された証拠の一部などから
会議が京都で開催され、
「京都議定書」が締約され
団地内に建替えの話が持ち上がってから建替え決
たこともマンションの長寿命化への意識を高揚す
議に至るまでの経緯を表 1 にまとめた。
る上で重要なメルクマールであったのを記憶して
表 1 からは、両団地の建替え決議がいわゆる「等
おいてよい。環境保全意識がようやくにして庶民
価交換方式」によってなされたことを前提にして、
意識の中に醸成され始める大きな契機となった。
つまるところ、バブル経済期の土地価格の急激
以下の四点の共通事項が確認できる。
な高騰を背景にして持ち上がった等価交換方式に
1) 建替え話が持ち上がったのは築 20 年前後であ
よる建替え話は、バブル崩壊後も幻影を追うよう
り、バブル経済期突入から最盛期にあたる。
2) 建替え話が持ち上がってほどなく、建替えを視
にして多くの容積率に余裕のある団地型マンショ
野に入れた委員会を立ち上げ、建替えに関する
ンで検討され、建替え推進派と、定住、環境保全
意向調査を実施しているが、この時点で多くの
の面からそれに疑問視をする消極派との対立を生
区分所有者が建替えに関心を寄せている。
み出したといえる。この現象は形を変えて自治体
3) 両団地とも当初は全員合意を目標としたが、建
の政策にも現れている。
「 桜ヶ丘」のある豊中市は、
平成 7 年に全国に先駆けて「大規模団地建替助成
替え決議の直前に法定決議に切り替えている。
要綱」を公布する一方で、
「 桃山台」の吹田市では、
4) 建替え決議の直前に自治体は建替えに関連す
平成 10 年に「環境影響評価条例」を制定した上で、
る要項、条例を公布している。
平成 16 年には市条例を改正し、「桃山台」地域の
上記の他にも微妙に絡み合う事項があるが、取
容積率を、例外規定をつけて 200%から 150%に低
あえず上記四点に絞ってその詳細を見る。
2
表 1 両団地の建替えを巡る経過比較
桜 ヶ 丘
和暦
西暦
マンション関連事項
昭和58年
59年
60年
61年
62年
63年
平成01年
02年
1983年 5月 区分所有法改正
1984年
1985年
1986年 12月 バブル景気突入
1987年
1988年
1989年
1990年
03年
04年
05年
06年
07年
1991年 2月 バブル景気崩壊
1992年
1993年
1994年
1995年 1月 兵庫県南部地震
08年
09年
10年
11年
12年
13年
14年
15年
16年
17年
18年
19年
20年
21年
22年
23年
従
前
初年度入居 昭和42年(1967年)
敷地面積 24,348㎡
建築面積 4,368㎡(17.9%)
延床面積 16,638㎡(68.2%)
4 階建て12棟 272戸
3DK 57.17㎡ 56.21㎡
売渡請求額 4,080万円
桃 山 台
従
前
初年度入居 昭和44年(1969年)
敷地面積 36,776.94㎡
6,031㎡(16.4 %)
建築面積
延床面積 24,638.95㎡(67.0 %)
5階建て17棟 380戸
3DK 270戸51.16㎡ 3LDK110戸66.45㎡
売渡請求額 3DK 1,840万円
3LDK 2,270万円
自治会の席で建替え話
アンケート調査(分譲主体協力)
「建替検討委員会」発足
1月 87.5%が建替えに賛意
3月 「建替検討調査報告書」92.3%建替え賛成
407戸 還元90㎡ 14階建て案
24階建て高層案
4月 「将来計画専門委員会」設置決定
10月 建物・設備総合調査診断
478戸 還元80.36㎡案
「建替検討委員会」を「建替委員会」に改組
4月 「大規模団地建替助成要綱」(豊中市)
12月 建替え基本スケジュール・試案広報
5月 共同事業予定者維持回復費用提示 1,173万円/戸 10月 建替え意向調査
9月 公団と建替えに関する意見交換
2月 全員合意から法定決議へ
1996年
4月 建替え決議
4,5月 非賛成者へ参加可否確認
8月 買受指定者8戸に売渡請求
12月 非賛成者5名が建替え決議無効提訴
7月 吹田市と建替えに関して懇談
5月 買受指定者8戸に明渡請求提訴
1997年 12月 京都議定書採択
6月 共同事業者予定者補修費用提示 645万円/戸
10月 民間事業会社と意見交換
1998年
2月 「建替えシミュレーション」
3月 地裁判決言渡
1999年
4月 高裁控訴
9月 高裁棄却
16月 85%が建替え希望と広報(注3)
2000年 12月 管理適正化法制定
10月 最高裁上告
12月 「修繕計画見直し案」(土地建物管理専門委員会)
6月 最高裁上告棄却
7月 民間事業会社へ建替え提案依頼
2001年 4月 第一次小泉内閣誕生
4月 「建替え委員会」に名称変更
11月 非賛成者住戸明渡し完了
2002年 6月 建替え円滑化法制定
建替え条件付90%賛成と広報(注3)
12月 区分所有法建替え条項改定
建替え円滑化法改正
6月 2030年までの修繕計画作成
8月 建替え事業参加意向伺い
9月 コンサルタント決定
「リニューアル検討委員会」
12月 第一次コンペ
4月 第二次提案依頼
2003年 1月 合意形成の進め方に関する 1月 ころ 住民退去
マニュアル
7月 工事着工
6月 賛成派と修繕派の公開討論
7月 共同事業予定者決定
建替えか修繕かを判断する
11月 「リニューアル計画案」
ためのマニュアル
2月 「現環境を守る会」設立
11月 完成 入居開始
2004年
3月 非賛成者同居人参加希望なしの意思表示
1
524戸 還元面積 72㎡ 19階建て
6月 吹田市と事前協議
7月 吹田市条例改正施行 容積率200%→150%
老朽度判定調査
8月 修繕・建替え比較検討会
9月 全員合意から法定建替えへ決議
12月 建替えの臨時総会通知
1月 通知事項説明会
2005年 11月 マンション建替え実務
マニュアル
3月 建替え決議
4月 非賛成者へ建替え参加可否確認
5,6月 非賛成者建替え参加回答
7月 設計変更に向け「参加者の会」結成
8月 共同事業予定者非賛成者の一人に明渡請求提訴
9月「入居権喪失」「買取額減額」通知
10月 資産売買契約
11月 住民一斉退去
7月 共同事業予定者非賛成者の三人に明渡請求提訴
2006年
10月 地裁判決言渡
2007年
11月 非賛成者高裁控訴
5月 高裁判決言渡
2008年
6月 最高裁上告
11,12月 立ち退き強制執行
4月 最高裁上告棄却
2009年
8月 非賛成者損害補填契約無効確認等請求提訴
2010年
4月 地裁判決言渡
2011年
非賛成者高裁控訴
12月 高裁判決言渡
:築 20 年次
:築 30 年次
3
これらの状況は千里ニュータウンに限ったこと
減している。自治体の政策は両団地にそのまま反
映し、「桜ヶ丘」では「大規模団地建替助成要綱」
ではない。首都圏の多くの団地型マンションでも
の公表を受けて建替え決議に臨み、
「桃山台」では
同時期に建替え検討委員会が立ち上がっている。
市条例改正に伴い容積率が減じられる可能性があ
分譲主体やデベロッパーが建替え話を管理組合に
るのを知って、建替え合意前に吹田市へ駆け込み
持ちかけたものが少なからずあり、
「桜ヶ丘」、
「桃
申請をした上で建替え決議の総会を開催している。
山台」と同時期に分譲された 700 戸を越える団地
また、両団地ともに建替え決議の直前に、それま
型マンションにおいて、自治体が容積率 250%、
で建替えは全員合意にするとしてきたものを法定
高さ 100m を容認し、還元率 120%、30 階建ての
決議に切り替えていることを共通とする。この全
超高層を含む 2,000 戸近い複合マンションへの建
員合意から法定決議への切り替えの中に、
[ 老朽化
替え案を 10 年にわたって幻影した例がある。建替
⇒適切な維持管理]、[老朽化⇒建替えの円滑化]
え計画を断念した現在では 62.9 ㎡の 3LDK が 400
という二義性の欺瞞が潜んでいるといえる。
万円で市場に出た。ちなみに、この団地の隣接地
5 公示価格の動向
の平成 23 年度公示価格は 216,000 円/㎡であり、
3LDK 400 万円の不動産流通価格は、団地の敷地
上述の時代動向を前提にして、両団地の最寄駅
を更地にした場合の土地持分資産を無いものとす
近辺の土地公示価格を図 1,2 に示した。
るところまで割り込んでいる。
1,200,000
円/㎡
緑丘2-8-5
緑丘2-9-3
緑丘3-25-10
1,000,000
以上は、土地と建物を分離処理できないマンシ
緑丘4-16-11
西緑丘2-1-13
西緑丘3-21-17
800,000
東豊中2-2-47
ョンの区分所有権、厳密に言えば住戸の価格を、
東豊中2-5-18
東豊中3-10-13
600,000
東豊中3-11-7
新千里西2-11-3
現在の不動産流通業界は確定的に評価できないこ
新千里西3-8-3
400,000
新千里西3-16-16
新千里北2-24-9
新千里北3-11-3
とを示している。これは、最寄駅からの利便性に
新千里北3-11-10
200,000
上新田2-4-10
22年
21年
20年
19年
18年
17年
16年
15年
14年
13年
9年
12年
11年
8年
10年
7年
6年
5年
4年
3年
64年
63年
平成2年
62年
61年
60年
59年
58年
57年
56年
55年
54年
53年
52年
51年
50年
49年
48年
昭和47年
上新田2-7-28
0
大差ないものの、「桜ヶ丘」の売渡請求額が 3DK
4,080 万円(約 72,000 円/㎡)に対して、
「桜ヶ丘」の
図 1 千里中央駅を最寄駅とする公示価格の変動
9 年後に建替え決議を実施した「桃山台」では 3DK
1,200,000
円/㎡
山田上54-1
1,000,000
山田上2953
1,840 万円(35,965 円/㎡)、3LDK 2,270 万円(34,161
佐竹台3-8-3
佐竹台3-8-13
800,000
佐竹台4-7-15
円/㎡)であることからも明らかである。
佐竹台5-9-6
桃山台3-27-3
600,000
桃山台3-8-10
高野台3-12-5
しかしながらこの問題の法廷での争点は両事件
高野台3-15-11
400,000
高野台3-7-2
五月が丘南10-11
で趣を異にする。
「桜ヶ丘」では、旧法に従って建
五月が丘北13-28
200,000
22年
21年
20年
19年
18年
17年
16年
15年
14年
13年
12年
11年
10年
9年
8年
7年
6年
5年
4年
3年
平成2年
64年
63年
62年
61年
60年
59年
58年
57年
56年
55年
54年
53年
52年
51年
50年
49年
48年
昭和47年
佐井寺3-20-32
0
物評価額に対する修繕費用の過分性が、「桃山台」
では売渡請求額そのものが問題となっている。
「桜
図 2 南千里駅を最寄駅とする公示価格の変動
「桜ヶ丘」は地下鉄千里中央駅から徒歩 6 分、
ヶ丘」では、建替え参加者側が原価法を基準にし
「桃山台」は阪急線南千里駅から徒歩 4 分で、図
た建物一戸当たり 300 万円を提示し、非賛成者は
1,2 に上げた土地は最寄駅から 450∼2,300m の範
具体的な評価額の提示は留保し、過分性の判断と
囲にあり、住宅用敷地であるので必ずしも両団地
して 30 年にわたって培った良好な団地環境等を
の更地価格を表しているものではない。しかしな
旧法 60 条にいう「その他の事情」として考慮する
がら周辺土地の価格動向を知ることができる。い
べきであると主張した。一方、
「桃山台」では近隣
ずれの図からも、昭和 62 年に急激な価格上昇を来
土地の取引事例から、提示された売渡請求額を不
たし、平成 3 年にはわずか 4 年の内に昭和 62 年の
当とした。本稿では不動産鑑定手法について深入
最大で 4.5 倍になり、平成 4 年には急激な下落を
りしないことを冒頭で述べたが、マンションは土
来たしたことを読み取れる。まさに、この時期に
地と建物が不可分の関係にあるから、建物だけの
両団地の建替え話が持ち上がり、区分所有者の建
評価額を客観的に決定するのが困難なこと、売渡
替えへの関心を背景にして、建替え推進派が建替
請求額もまた時代状況を反映した極めて流動的な
注3
ものであることを確認することで十分であろう。
え実現に向けての運動を進めたのである。
4
回復費用 に 関して十 分 な審議を し なかった のは
6 老朽化と修繕費用
旧法では「建物の老朽化」と「費用の過分性」
“老朽化”に関しても同様であり、改定法第 62
とを定め、改定法では第 62 条 5 項で建替え理由の
条 5 項は「桜ヶ丘」の高裁が判示した「大多数の
通知を義務付けている。前者は「建物の老朽化」
区分所有者の意見を尊重するという観点」を受け
と、修繕に要する「費用の過分性」を客観要件と
継いだ手続要件にしかなっていない。つまり、改
し、後者は修繕と建替えを比較することを手続要
定法第 62 条 5 項は区分所有者の五分の四が賛成す
件の一部としているので、本来ならここで「建物
るための参考資料で足りるのである。
「桃山台」で
の老朽とは何なのか」、また「建物の維持修繕とは
は、共同事業者の費用負担により「老朽度判定調
何なのか」について触れなければならない。しか
査」が実施されており、そこに改修費用が記載さ
しながら、本稿はその一般論、ならびに私見を述
れているが、高裁は改定法第 62 条 6 項、第 70 条
べるものではなく、区分所有法、その関連マニュ
4 項を「建替えをするか否かの判断に際し、区分
アル、および法廷で争点となった概念規定の曖昧
所有者が合理的な判断をするに足りる程度の情報
注4
が提供されることを要求している」と解し、
「建替
さを以下に指摘するにとどめる。
えの合理性を客観的に担保している必要まではな
まず、「建物の老朽化」であるが、旧法第 62 条
にいう「建物の老朽化」は極めて曖昧な用語とし
い」としたのである。
て使用されており、等価交換方式による無償建替
7 環境保全の視点
えであるにも関わらず「桜ヶ丘」でこの用語の解
[3 建替え決議に至る共通点]で、両事件に共
釈が大きな争点となり、十分な審議がされなかっ
通する項目を 4 点あげたが、それ以外に表 1 では
た結果が平成 14 年の建替え条項の改定に繋がっ
詳細の見えない重要共通事項が隠れている。
「桜ヶ丘」では建替え決議に 8 名が棄権したが、
たことを指摘したい。
「 桜ヶ丘」の高裁判決では「老
朽とは、(中略)物理的効用の減退を指すと解する
建替え決議に先立ち「全員一致から法定決議へ」
のが相当である。」とした上で、
「築後 30 年という
切り替えたこと、余剰床の還元率を高めることを
年月の経過により、建物として社会通念上要求さ
優先し、30 年にわたって育て上げた団地環境への
れる一定の性能が損なわれている。」とし、「結局
配慮を伴わない経済効率優先の計画であることへ
は社会通念に従って判断せざるを得ない」と判示
の疑念が、棄権した主要理由であったとの聞き取
した。つまり、多数が老朽と判断したから旧法第
りを棄権者の一人から筆者は事件当時にしている。
62 条に違反するものではないとしたのである。こ
一方、
「桃山台」では建替え決議後、非賛成者は
の判断は、[1 本論の目的]に上げた「参考資料」
管理組合の行なった「建替え参加可否確認」に対
にある老朽化、さらには老朽マンションという用
していったん参加の意思表示をしている。その後、
語に直接つながる。加えるなら、一部のマスコミ
非賛成者の一人は「参加者の会」を設立し、団地
がそれに便乗し、30 年を過ぎると“老朽化マンシ
環境の継承、バリアフリーなどを挙げて共同事業
ョン”とする社会通念を形成したのである。
者主導の建替え計画の見直しを提言している。つ
一方、建物の維持修繕については修繕費用に主
まり、両事件のこれらの動きは、等価交換方式に
体が置かれる。改定法も旧法の「費用の過分性」
よる建替え計画の経済効率主義、言い換えると還
を継承しており、建替えと修繕費用との比較に重
元率至上主義への見直しを迫ったものと理解でき
心を置く解釈がされている。ちなみに、「桜ヶ丘」
る。実はこの点が今後のマンションの建替えを考
の法廷では建物の効用の維持回復費用として建替
える上で時代的な重要課題である。政府は「新成
え参加者は専有部分の修繕を含めた 1,173 万円/戸
長戦略実現に向けた 3 段構えの経済対策」を平成
を事前取得した上で 645 万円/戸を、非賛成者は一
22 年 9 月に閣議決定し、そこにマンションの建替
審で 79 万円/戸を、二審では専有部分の設備配管
えを促進するための容積率緩和を盛り込んだが、
改修を含めても 157 万円/戸を証拠として提示し、
マンションの“老朽化”に名を借りた景気浮揚策
双方がその妥当性を主張したが、法廷は詳細を精
に他ならず、ここに環境保全の視点は窺えない。
査することなく、
「 大多数の区分所有者の意見を尊
ちなみに、
「桜ヶ丘」、
「桃山台」ともに建替え計画
重するという観点」から非賛成者の主張を退けた。
の高層化に対して周辺住民の強力な反対運動が立
ち上がったことを付記しておく。
平成 14 年の区分所有法の改定にあたって、維持
5
8 区分所有法の違憲性
9 むすび
「桜ヶ丘」では、非賛成者の高裁控訴が棄却さ
以上に見たとおり、
「桜ヶ丘」、
「桃山台」の両事
れた後、直ちに最高裁判所に上告している。民事
件は等価交換方式による建替えに絡むものであり、
訴訟法第 312 条は「判決に憲法の解釈の誤りがあ
これをもって「老朽化⇒建替えの円滑化」という
ること、その他憲法の違反があることを理由とす
図式で括れるものではないことは自明である。
るとき」に限って最高裁へ上告することができる
つまり平成 14 年法改定の根幹にあるのは、“等
と定めている。つまり、「桜ヶ丘」の建替え決議、
価交換方式による建替え”を[老朽化⇒建替えの
ならびに地裁、高裁の判断には、重大な違憲性が
円滑化]と読み替えた経済効率論に立脚しており、
あることを理由として上告されたのである。しか
結果として非賛成者の住みなれた住まいを奪うだけ
し、8 ヶ月後にこの上告は棄却された。
ではなく、建替え可能なものと、容易でないものと
「桜ヶ丘」
「桃山台」両事件の間には区分所有法
のマンション間格差を拡大させる結果を招いた。
[老
の改定が挟まっているが、
「桃山台」の高裁での非
朽化]という言葉に付与された二義性には、ここ
賛成者の主張の基盤は、まさに「桜ヶ丘」の上告
でもまた近年さまざまな局面で社会現象として露
理由を受けた形で、改定法第 70 条にいう「団地内
呈してきた格差の拡大が内在していたのである。
建物の一括建替え決議」の定めは、所有権の制約
高齢化、空き家・賃貸率の増加、加えて地価の
に止まらず、剥奪に当たり、憲法第 13 条に定める
下落とともに管理組合運営が空洞化しつつあるマ
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」
ンションが顕在化してきた実態は、
[ 老朽化⇒適切
を前提にして、憲法第 22 条“居住の自由”、憲法
な維持管理]
[老朽化⇒建替えの円滑化]の曖昧な
29 条“財産権の保障”に違反するとした。加えて、
二元論で括れるものではなく、経年マンションの
消費者契約法、国際人権規約違反を主張した。こ
維持・保全を軸とした区分所有法そのものの抜本
れに対して高裁は、平成 14 年の法改定は「団地に
的な見直し、ならびに関連法の整備を必要として
ある区分所有建物の効用を増進し、団地全体の活
いる。そこでは高齢者、少数者の保護、居住権擁
性化を図るという社会経済政策に基づく目的を達
護の視点から経済効率に基づく配分論を見直さな
成するために立法されたものと解することができ
ければならないし、「建物の資源の有効利用」は、
注1
る。 」とした上で、「社会全体の利益を図るため
「強い共通認識が現時点で社会にあるとは認め難
には居住の自由について規制を加えることができ
い。」とした「桃山台」高裁の判断が根底から問い
る。」と判示し、非賛成者の主張を退けたのである。
返されなければならない。東日本大震災による未
加えて、非賛成者がいう「建物の資源の有効利用」
曾有の災害に遭遇して、マンション問題において
については、
「 強い共通認識が現時点で社会にある
も新たな価値観の創造を迫られている。
とは認め難い。」とした。この「桃山台」での高裁
注1 文中の老朽化、老朽化マンション、社会経済政策の下線は筆者による。
判断は、
「桜ヶ丘」の高裁でいう「大多数の区分所
注2 「桜ヶ丘」
「桃山台」事件に触れた法律分野からの主要論考として以 下がある。
有者の意見を尊重するという観点」と連動する。
・丸山英気『マンションの建替えと法』日本評論社 2000.03.30
1
・鎌野邦樹「建替えの要件である費用の過分性」マンション学第 7 号
つまり、社会経済政策、換言すると多数が経済効
1999.04.10
率上の判断から建替えを求めれば、その実現を区
・鎌野邦樹「建替え・復旧及び団地について −建替え、復旧関係をめぐ
る審議経過− 」マンション学第 13 号 2002.04.25
分所有法は容認すると解釈できる。その結果とし
・稲本洋之助・鎌野邦樹『コメンタールマンション区分所有法 第 2 版』
て非賛成者は住みなれた住戸からの退出を余儀な
日本評論社 2004.10.20
・吉田邦彦「老朽化マンション(特に団地)の建替えをめぐる諸問題と
くされるのである。
課題
千里桃山台事件の検討を通じて」判例時報 2080 号 2010.08.21
「桃山台」では、最高裁上告中にも拘わらず非
・遠藤比呂通『人権という幻 対話と尊厳の憲法学 』勁草書房 2011.09.09
賛成者の立ち退きが強制執行されたことも記憶し
注3「桃山台」での建替え推進派は、平成 12 年に「85%が建替え希望」、
平成 14 年に「建替え賛成 90%」と広報しているが、非賛成者は建
ておかなければならない。最高裁上告棄却後に、
替え決議前調査で 4/5 を超えたことはないとする。建替え推進派の
非賛成者が提訴した事件の高裁控訴審判決には、
情報操作の可能性、非賛成者に対する匿名個人からの嫌がらせも両
事件に共通する問題であるが、本稿ではそれには直接触れない。
すでに解体した建物に関して「損害補填契約無効
注4 建築実務の立場から「費用の過分性」について以下で詳述した。
確認等請求」をなすことに意味はないと解される
・藤木良明他「区分所有法第 62 条 1 項「費用の過分性」をめぐる問題」
判断がなされている。
マンション学第 11 号 2001.04.25
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