第3節 科学技術と社会との関係深化 (PDF:1115KB) - 文部科学省

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第1章
科学技術と社会
者とのコミュニケーションの在り方に関しては、その円滑な推進のための日本独自の方法を開発
第1章
していくことも模索すべきであろう。
このような視点から、中央教育審議会答申「グローバル化社会の大学院教育~世界の多様な分
野で大学院修了者が活躍するために~」
(平成23年1月31日)は、
「科学技術の急速な発展に伴う
学術の体系の変革、学問分野の学際化・融合化、さらには環境、生命、情報など自然、人間、社
ふ かん
会が複雑に絡む高度な課題の達成には、幅広い知識を基に俯瞰的なものの見方ができる人材の育
成が不可欠」と指摘しており、学問分野の枠を超えたアプローチによる連携型の研究の推進が期
待されている。
自然科学分野の研究者・技術者と人文・社会科学分野の研究者が、課題達成に向けて協働して
対応する例として、東京大学高齢社会総合研究機構における取組がある。超高齢社会での広範で
複雑な課題に取り組むために、法学、経済学、社会学、心理学、教育学などの人文・社会科学の
研究者と、医学、看護学、理学、工学などの自然科学の研究者が協働して研究プロジェクトを進
めている。今後も、このような研究者の主体的、能動的な関与を一層促していく必要がある。
第3節
1
科学技術と社会との関係深化
科学技術と社会との関係に関する近年の動向
これまで科学技術は、国民生活に物質的な豊かさをもたらしたり、新しい産業の創生による雇
用の創出を促進したりするなど、社会の発展に様々な影響を与えてきた。また、インターネット
などの情報技術を基盤にした新しい技術やサービスの発展により、均一な情報を全世界に瞬時に
伝達することが可能となり、これによりチュニジアやエジプトでの政変のような、社会システム
の変革や社会の価値観の転換を引き起こす事例が世界中で示されるようになってきている。
近年においても、インターネットの普及や生殖医療の高度化等、将来の社会を大きく変える科
学技術の進歩が見られ、科学技術と社会との関わりは一層深まっている(第1-1-32表)。記憶に
新しい大規模災害や世界規模の感染症の発生、気候変動などの地球規模の問題の顕在化、社会の
安全が脅かされる出来事、食品の安全性や食品情報の取扱いに関する問題など、国際レベルから
身近な生活のレベルまで、科学技術が良くも悪くも人々の生活に密接に関わるようになってきて
いる。倫理的・法的・社会的な課題やリスクへの対処など、科学技術をどのように管理するかは、
人々の人生観や社会の在り方にも関わる問題である。
このように科学技術と社会との関係が深化していく中で、科学技術の振興を推進するに当たっ
て、社会との関係の在り方を検討することは重要である。
47
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第1部
社会とともに創り進める科学技術
● 第1-1-32表/科学技術と社会との関わりに関する近年の出来事
年
平成7年
(1995年)
平成8年
(1996年)
平成9年
(1997年)
平成10年
(1998年)
平成11年
(1999年)
平成12年
(2000年)
平成13年
(2001年)
平成14年
(2002年)
平成15年
(2003年)
平成16年
(2004年)
平成17年
(2005年)
平成18年
(2006年)
平成19年
(2007年)
平成20年
(2008年)
平成21年
(2009年)
平成22年
(2010年)
科学技術及び社会に関する動向
・阪神・淡路大震災
・地下鉄サリン事件
・英国で体細胞クローン羊ドリー誕生
我が国の科学技術と社会に関する政策動向
1
・「科学技術基本法 」成立
2
・米国でヒトES細胞の培養に成功
・「環境アセスメント法 」成立
3
・「臓器移植法 」成立
4
・「大学等技術移転促進法(TLO法) 」成立
・携帯電話によるインターネット接続サービス開始
・「臓器移植法」に基づく初の臓器移植実施
・世界科学会議(ブダペスト会議)開催
・JCO臨界事故
・コンピュータ西暦2000年(Y2K)問題
5
・牛海綿状脳症(BSE1)日本国内発生確認
・米国同時多発テロ
・我が国のインターネット人口普及率が50%超に
・
「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律 」
成立
・「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」
(文部科学省、厚生労働省、経済産業省)
・国際連合持続可能な開発に関する世界首脳会議
(ヨハネスブルク・サミット)
6
・「知的財産基本法 」成立
・新型肺炎SARS流行
・ヒトゲノム解読完了
・鳥インフルエンザ日本国内発生
・第1回科学技術と人類の未来に関するフォーラム
(STSフォーラム)
・耐震強度偽装問題
・気候変動枠組条約締約国会議・京都議定書発効
・米国産牛肉輸入再開
・山中伸弥教授、iPS細胞樹立成功
・「科学者の行動規範について」
(日本学術会議)
・長期戦略指針「イノベーション25」(閣議決定)
7
・新型インフルエンザの世界的流行
・小惑星探査機「はやぶさ」地球帰還
・「研究開発力強化法 」成立
・革新的技術特区創設
・「事業仕分け」の実施
・
「『国民との科学・技術対話』の推進について」
(科
学技術政策担当大臣、総合科学技術会議有識者議
員)
・
「平成23年度科学・技術重要施策アクション・プラ
ン」
(科学技術政策担当大臣、総合科学技術会議有
識者議員)
平成23年 ・チュニジア・エジプトでの政変
(2011年) (ソーシャルメディアを通じて組織された国民の
大規模なデモ等の影響で長期政権が崩壊)
・東日本大震災
注:1.科学技術基本法(平成7年11月15日法律第130号)
2.環境影響評価法(平成9年6月13日法律第81号)
3.臓器の移植に関する法律(平成9年7月16日法律第104号)
4.大学等における技術に関する研究成果の民間事業者への移転の促進に関する法律(平成10年5月6日法律第
52号)
5.ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(平成12年12月6日法律第146号)
6.知的財産基本法(平成14年12月4日法律第122号)
7.研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律
(平成20年6月11日法律第63号)
資料:文部科学省作成
1
Bovine Spongiform Encephalopathy
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第1章
科学技術と社会
第1章
【コラム④】 分子生物学と平家物語
分子生物学者マックス・デルブリュック博士(Max Delbruck 1906-1981)は、ウイルスの複製と遺伝的構
造の解明により1969年にノーベル医学・生理学賞が決まった際に、これを祝う研究者たちに平家物語の冒頭
部分の英訳を配った。
「The temple bell echoes (祇園 精 舎の鐘の声、)
the impermanence of all thing.(諸 行 無 常 の響 あり。)
The colors of the flowers(娑羅双樹の花の色、)
teaching the truth that those who flourish must decay.(盛 者必衰のことわりをあらわす。)
Pride lasts but a little while(おごれる人も久しからず。)
like a dream in a spring night.(ただ春の夜の夢のごとし。)
Before long the mighty are cast down(たけき者も遂にはほろびぬ、)
and are as dust before the wind(ひとえに風の前の塵に同じ。)」
これを受け取った渡辺格・慶應義塾大学名誉教授は、このエピソードを紹介した著書「人間の終 焉分子生
物学者のことあげ」
(昭和51年朝日出版社)の中で「Delbruckは、はかなさを生命の特質とし、その中に“美”
までも見ているようだ」と語っている。これについて、ソニーコンピューターサイエンス研究所の桜田一洋
氏は「Delbruckは、自分が開拓した分子生物学により、将来、老化や死がコントロールされ得ることを想像
していたと思われる。彼はそれをよいとも悪いともいわず、生命のはかなさの持つ美というイメージを通じ
てその意味を伝えようとしたのである」と述べていた1。
分子生物学は、生命現象は物理現象として説明できる、という「遺伝子決定論」から、生物の特性が遺伝
子に加えて環境要因により変わるという立場で研究が進められ、そして、遺伝情報がどのように個人の様々
な形態、性質、病気などに関わっているのか、という点に研究の中心が移りつつあり、今後、この分野の研
究が進むと、様々な生命現象を引き起こすヒトの個体に存在する偶然の仕組みが解明され、その研究成果が、
個人レベルの生活や生死により深く関わってくる可能性が出てくると考えられる。前出の桜田氏は、自身も
携わる、このエピゲノミクス2と呼ばれる最新の研究の進展を基に、最近の著書では、Delbruck博士は生命の
「偶然性」に美を見ていたのではないか、と語っている。現代の科学は、生命の根源へと迫り続けており、
人々の価値観や人生観と深く関わる問題ともなっているのである。
ぎ お ん しょう じ ゃ
し ょ ぎょう む じょう
さ
ひびき
ら そうじゅ
しょう じ ゃ ひ っ す い
よ
しゅう え ん
2
欧米における科学技術と社会に関する歩み
科学技術と社会との関係をどのように調和させていくかということは、我が国だけでなく、諸
欧米においても重要な課題であり、様々な取組が進められてきた。
英国では、1990年代に遺伝子組換え作物やBSE(牛海綿状脳症)問題の取扱いを巡って国民
の科学技術に対する信頼感が揺らぐ事態となり、科学者と国民あるいは国会議員など、様々な人々
の間での相互理解を醸成する活動を進めてきた。それまでの公衆の啓蒙という要素の濃かった「科
学技術の公衆理解(Public Understanding of Science)
」という考え方を転換し、公衆と科学者の
双方向性の対話による「科学技術の公衆関与(Public Engagement in Science and Technology)」
が重要であると言われるようになった。
「科学技術の公衆関与」の活動は、2000年に英国の上院から出された報告書「科学と社会
(Science and Society)」等の報告書において、
「科学と社会の関与」が取り上げられたことを契
機とし、従来のような科学者から公衆への講義などの一方通行の知識の受け渡しだけではなく、
科学者と公衆が意見交換をしたり、共同でプロジェクトを実施したりすることにより、相互に関
1
2
「科学技術と社会 20世紀から21世紀への変容」
(科学技術振興機構研究開発戦略センター編、平成18年丸善プラネット株式会社)
DNAのメチル化など、後天的な変化によって遺伝子の働きを制御する生体内のメカニズムの研究
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第1部
社会とともに創り進める科学技術
係を深めるといった双方向性の活動を実施することが重要との考えから、近年、強化されている。
以降、科学と公衆との間の関係の改善のために、様々な取組がされてきた。
2007年には、ビジネス・イノベーション・技能省(BIS)の支援により、サイエンスワイズ
事業:科学とイノベーションにおける公衆対話専門家センター(Sciencewise-ERC:Sciencewise
Expert Resource Centre for Public Dialogue in Science and Innovation)が創設された。これは、
科学技術の社会への影響に関して、専門家から成るチームを整備し、政策立案者などに対して様々
な情報・助言・ガイダンスなどを提供する機関である。政策立案者が公衆の視点や関心を理解し、
公衆との対話を促進することを助けている。
2008年には、高等教育助成会議などの資金により、地域の公的な機関と大学とが協力して「対
話の場」をつくるなど、地域において住民が科学技術に関わっていくことを促進する取組が開始
された。
また、2010年には、報告書「万人のための科学:万人のための科学の専門家集団からの報告及
び行動計画(SCIENCE FOR ALL:Report and action plan from the Science for All Expert Group)」1
がBISより発表され、
「公衆・科学・政策集団間の関係についての認識を改善すること」、
「社会
メディアを通じた公衆関与の可能性を進展させること」、「国家的課題に関する公衆の合意を確立
すること」等について取り組むことが示された。
米国では、1948年に設立された米国最大の科学者団体である米国科学振興協会(AAAS2)
が中心になって、科学技術と社会との良好な関係を構築する活動を実施している。特に、英国と
同様に、従来の科学技術の公衆理解の向上に関する活動を超えて、様々な科学技術のテーマに対
して、公衆との対話の機会を増やす取組を実施している。
その活動の一つとして、AAASは、国内外の世界50か国から約5,000人の科学者、企業家、
政策担当者、ジャーナリストなどが参加する世界最大規模の学会を毎年開催している。2010年の
年次大会では、「科学と社会を繋ぐ(Bridging Science and Society)」をテーマとし、
「量子物理
学のニューフロンティア」、「気候に関する地球工学」、「研究者以外の職業へ」、「劇場における科
学」、「幹細胞研究の未来」、「イルカと人の驚くべき医学的関連性」、「交通、混雑と社会」、「科学
者と公衆関与」など、最先端の科学から、科学技術政策や科学教育及び科学技術コミュニケーショ
ンといった広範な事柄について、150以上の会合が開催された。このような様々な課題に対して、
社会における広い層で情報の共有が図られている。
また、AAASは、米国政府と科学者との間を繋ぐ機能を有している。現オバマ政権下で、大
統領に対し科学技術政策に関するアドバイスを与える、科学技術担当大統領補佐官であり、同時
に大統領府科学技術政策局(OSTP3)の局長であるジョン・ホルドレンは、2006年にはAA
AS会長であり、補佐官に就任する前はハーバード大学の物理学者であった。このように、米国
においては、科学者が科学技術政策系のNPOや政府機関に流動する頭脳循環が確立されており、
このことが、科学技術政策に幅広い層の知見を反映させることを可能にしている。
3
科学技術と社会の接点で生ずる倫理的・法的・社会的課題(ELSI)
科学技術が発展し、その内容が複雑化、多様化する中、生命倫理問題等、倫理的・法的・社会
的な課題(ELSI)に関する国民との関係はますます深まっている。
1
2
3
http://interactive.bis.gov.uk/scienceandsociety/site/all/
American Association for the Advancement of Science
Office of Science and Technology Policy
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第1章
科学技術と社会
(1) ライフサイエンス分野の取組
第1章
ライフサイエンス分野では、生命倫理がELSIの大きな課題を占め、その対象にはヒトゲノ
ム研究やその成果の利用、臨床研究、遺伝子治療、再生医療などが広く含まれる。
我が国では、生命倫理に関わる法律や政府指針として、これまでに、
「ヒトに関するクローン技
術等の規制に関する法律」
(平成12年)、
「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」
(文部
科学省・厚生労働省・経済産業省)
(平成13年)、
「疫学研究に関する倫理指針」
(文部科学省・厚
生労働省)(平成14年)などを策定してきた。
平成22年度には、指針において禁止されていたヒトES細胞1等からの生殖細胞の作成が、総
合科学技術会議から容認されたことを受けて、文部科学省は「ヒトES細胞の使用に関する指針」
及び「ヒトES細胞の樹立及び分配に関する指針」の改正並びに「ヒトiPS細胞2又はヒト組織
幹細胞3からの生殖細胞の作成を行う研究に関する指針」の策定を行い、平成22年5月に施行し
た。
さらに、文部科学省と厚生労働省は、生殖補助医療研究を目的とした受精胚の作成・利用に関
して「ヒト受精胚の作成を行う生殖補助医療研究に関する倫理指針」を平成22年12月に策定し、
平成23年4月に施行した。
我が国においては政府機関が中心となって指針を策定するという取組が中心であるが、欧米で
は政府機関による指針やガイドラインなどの策定以外に、学術団体や研究者などのグループが中
心になった生命倫理に関する活動も盛んである。
その一つが、研究進展による社会影響などを検討する目的で、科学研究プロジェクトの中に倫
理的・法的・社会的課題(ELSI)を取り扱うグループを置くという取組であり、ヒトゲノム
計画において初めて実施された。このようなグループは、生命科学及び医学の研究者や哲学及び
法学などの人文科学や社会科学分野の専門家で構成されることが多い。
また、iPS細胞に関するELSIとして、Stem Cell Network(2001年創設、カナダ)やThe
Hinxton Group(2004年創設、米国)などが国際的なネットワークを形成することによって活動
を実施している。
我が国におけるELSIの実施例として、京都大学のゲノムELSIユニットがある。これは、
文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「ゲノム科学の総合的推進に向けた大規模ゲノム情
報生産・高度情報解析支援」(平成22年度~26年度)内の組織として、京都大学に設置された。
ゲノムELSIユニットでは、ゲノム研究におけるELSIなどの課題について、研究者だけで
なく社会の様々な分野の人と一緒に対応策を検討する取組を行っている。この活動を通して、ゲ
ノム研究のELSIに関する情報を共有した、人的なネットワークが形成されている。
(2) ナノテクノロジー分野の取組
ナノテクノロジーは、ナノサイズの粒子、繊維、膜などの人工物を製造する技術や製造された
ナノ材料を用いた技術をいう。ナノサイズの物質は、同じ化学構造のものと比べて、同一質量中
の個数と表面積が非常に多くなるため、他の物質との吸着を起こしやすくなり、また、その影響
も大きくなると考えられ、ELSIの課題と同時に、リスクについて予測し、あらかじめ対策を
1
2
3
さまざまな異なる細胞に分化し、増殖する能力を持つ、発生初期の胚由来の細胞
ES細胞と同じように、さまざまな細胞への分化が可能な細胞であり、胚由来ではなく、皮膚などの細胞から作成できる細胞
生体のさまざな組織にある幹細胞
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第1部
社会とともに創り進める科学技術
立てておくこと等、環境・健康・安全(EHS1)関連も課題とされている。
米国では、ナノテクノロジーのリスクに関する取組は、2000年の国家ナノテクノロジー戦略(N
NI)2において初めて言及され、省庁横断的な取組を進めている。EUでは、第6次フレームワー
クプログラム(FP6)の環境・健康・安全関連のプロジェクトにおいて、ナノ安全やナノ対話
などのプログラムを開始した。
我が国では、第3期基本計画の分野別推進戦略3「ナノテクノロジー・材料分野」において、
「ナ
ノテクノロジーの社会受容のための研究開発」が重要とされた。平成19年から平成21年の3年間、
文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、環境省の関係5省の連携の下で、
「ナノテク
ノロジーの研究開発推進と社会受容に関する基盤開発連携施策群」として、ナノテクノロジーの
発展の方向性に関する課題の検討や研究環境の整備などを推進し、実験動物などを用いたナノ粒
子の生体影響についての研究が進められた。また、工業用ナノ材料に関する有害性などの知見を
収集し、環境省では、環境リスクを低減するための「工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイ
ドライン」を平成21年3月に公表するとともに、産業技術総合研究所では、カーボンナノチュー
ブ4、フラーレン5 及び二酸化チタン6 の作業環境での許容暴露濃度の目安値を提案した「ナノ材
料リスク評価書(中間報告版)」を平成21年10月に世界で初めて公表した。
さらに、東京大学ナノマテリアルセンターを中心に、物質・材料研究機構及び産業技術総合研
究所との連携の下、
「ナノテクノロジーの研究開発推進の共通基盤となるデータベース指標の構築
に向けた調査研究」として、ナノテクノロジーの現状や問題点の客観的・科学的な把握、社会受
容促進のための情報蓄積などを実施している。
4
リスクに関する取組
科学技術に関して、環境や人体に対する安全性等、リスクに関する問題については、社会的影
響の大きさや人々の関心の高まりから、質の高い科学的合理性や社会的正当性に基づいて検討す
ることが要請されているとともに、その情報の共有を図り、社会が対策をあらかじめ検討する必
要があるとの認識が国内外で広がっており、様々な取組が行われている。
リスクに関する取組としては、安全規制のためのリスク評価、リスク管理及びリスクコミュニ
ケーション等がある。
リスク評価は、リスクの大きさを科学的に評価する作業であり、その結果とともに技術的可能
性や費用対効果などを考慮してリスク管理が行われることとなるが、その際に重要なことが、円
滑なリスクコミュニケーションの確保であるとされている。リスクコミュニケーションは、リス
クに関する、個人、機関、集団間での情報及び意見の相互交換であり、平時から常に行っておく
べき情報の共有や意見交換と、緊急時に被害や社会的損失を最小限にするための危機管理として
の情報提供などがある。食品の安全、化学物質の管理、原子力安全などの科学技術が関わる様々
な分野で、リスクコミュニケーションが必要とされている。
リスクコミュニケーションにおいて難しいことは、実際のリスクと人が認識するリスクの間に、
往々にして隔たりがあることである。リスクコミュニケーションには、リスクについての科学的
1
2
3
4
5
6
Environmental, Health and Safety
National Nanotechnology Initiative
http://www8.cao.go.jp/cstp/kihon3/bunyabetu.html
原子5~10個分の太さのチューブ状の炭素原子集合体で、構造によって金属にも半導体にもなるという特性を持つもの
60個以上の炭素原子が球状に結合した構造を持つ炭素分子
金属酸化物であり、化粧品、塗料及び光触媒として使用
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第1章
科学技術と社会
な分析や評価の情報を透明化し、関係者間で共有することが重要である。
第1章
食品の安全性に関する取組は、平成13年のBSE問題などにより、平成15年に食品安全基本法
が制定されるのに併せて、食品衛生法などが一部改正されることにより始まった。輸入食品の安
全性、食品に残留する農薬等について、食品添加物の安全性、食中毒防止対策、健康食品の安全
性などがリスクコミュニケーションのテーマとなる。
食品の安全性に対するリスクコミュニケーションの活動は、内閣府の食品安全委員会、厚生労
働省、農林水産省が中心となって推進している。
また、化学物質の管理に関しては、環境省が中心となって、必要に応じ関係省庁とも連携しつ
つ、リスクコミュニケーションの活動を進めている。具体的には、化学物質が環境を通じて人や
生態系に悪影響を及ぼす可能性(以下「環境リスク」という)などの化学物質についての分かり
やすい情報の作成・提供、身近な化学物質に関する疑問に対して対応する人材の育成(化学物質
アドバイザー)、並びに市民・産業・行政等による環境リスクなどの化学物質に関する情報の共有
及び相互理解の促進のために、「化学物質と環境円卓会議」の開催を行ってきている。
原子力安全に関しては、原子力施設の安全確保に万全を期すことはもとより、安全確保に関す
る様々な取組を国民の理解や信頼を得つつ進めていくことが重要である。原子力安全委員会は、
平成15年11月に、リスク情報を活用した原子力安全規制の導入の「基本方針」について決定し、
平成19年9月には、今後の課題と方向性に関する報告書をまとめた1。この報告書では、今後の
課題の一つとしてリスクコミュニケーションの推進を取り上げており、全ての関係者は、肯定的
な側面だけでなく否定的な側面についての情報も公正に伝え相互に意思疎通を図るリスクコミュ
ニケーションを積極的に推進することが必要であるとしている(第1-1-33表)。このため、説明
会やシンポジウムの開催、中立的なリスクコミュニケータの人材育成等を通じた国民とのリスク
コミュニケーションの推進、現場における関係者の安全に係る意識高揚や安全文化の醸成等が重
要であり、こうした組織内外を対象としたリスクコミュニケーション活動を総合的に推進してい
くことが重要であるとしている。今後は、事故に関するコミュニケーションに課題を残したこと
など今回の原子力発電所の事故の教訓を踏まえて、平常時はもとより、非常時においても、社会
の要請に応え、科学技術により検証された情報を分かりやすい形で提供するため、リスクコミュ
ニケーションの改善を図る必要がある。
この他、自治体と地域の企業等を中心としたリスクコミュニケーションの活動も様々に実施さ
れている。
また、特定非営利活動法人(以下「NPO法人」という)2等による科学技術と社会とのコミュ
ニケーションの推進を目的とした活動は、生命科学や医療及びエネルギー等の様々な分野を含ん
でいることから、これらの活動もリスクコミュニケーションを進展させると考えられる。
さらに、
これらの取組を支えるレギュラトリーサイエンスがある。
レギュラトリーサイエンスは、
科学技術の成果を支える信頼性と波及効果を予測及び評価し、
リスクに対して科学的な根拠を与え
る科学である。さらに、リスク管理に関わる法や規制の社会的合意の形成を支援することを目的と
しており、科学技術と社会との調和を実現する上で重要である。平成22年度より農林水産省では、
食品安全などに関する「レギュラトリーサイエンス新技術開発事業」が開始されている。
1
2
「リスク情報を活用した安全規制の導入に関する関係機関の取組みと今後の課題と方向性 −リスク情報のより一層の活用と進展に向けて−」
(平成19年9月 原子力安全委員会了承)
ボランティア活動などの社会貢献活動を行う営利を目的としない団体を“Non Profit Organization”と総称する。このうち、特定非営利
活動法人(いわゆるNPO法人)は、特定非営利活動促進法に基づき、個人以外で権利や義務の帰属主体となり得る法人格を取得した法人
の一般的な総称である。
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第1部
社会とともに創り進める科学技術
● 第1-1-33表/公的機関によるリスクコミュニケーションの取組
年
平成13年から
平成15年から
平成15年から
平成16年から
担当組織
内容
環境省
「化学物質と環境円卓会議」
:化学物質の環境リスクにつ
いて、国民的参加による取組を促進することを目的とし
て、市民、産業、行政の代表者による化学物質の環境リ
スクに関する情報の共有及び相互理解を促進する場を
平成22年8月までに26回開催
厚生労働省、食品安全委員 「食品に関するリスクコミュニケーション」という意見
会、農林水産省
交換会を、BSE対策、輸入食品の安全確保対策、残留
農薬等のポジティブリスト1制度、健康食品などをテー
マとして、全国各地で開催
原子力安全委員会
「リスク情報を活用した原子力安全規制への取組」のた
め、基本方針の策定、今後の課題と方向性に関する報告
書を作成
製品評価技術基盤機構
化学物質に関する情報提供
化学物質管理センター
化学物質に関するリスクコミュニケーションの国内事
例の紹介
資料:文部科学省作成
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「原則としてすべて禁止とするが、認可するものだけを一覧表とする」ことにより規制をおこなうもの
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