博士学位論文 - 日本赤十字看護大学

博士学位論文
内容の要旨および審査の結果の要旨
第22集
平成27年
日本赤十字看護大学
はしがき
本篇は、学位規則(昭和28年4月1日文部省令第9号)第8条による公表を目的
として、平成26年度において博士の学位を授与した者の論文内容の要旨および論文
審査の結果の要旨を収録したものである。
学位記番号に付した甲は学位規則第4条第1項(いわゆる課程博士)によるもので
あり、乙は学位規則第4条第2項(いわゆる論文博士)によるものであることを示す。
目
学位記番号
学位の種類
氏
次
名
論 文 題 目
頁
甲第 58 号
博士(看護学) 今泉 亜子
精神科病院に長期入院する高齢女性患者が語る
「生きている世界」-社会復帰病棟におけるエ
スノグラフィー
Narratives of Long-Stay Elderly Patients on
the World That They Live in: Ethnography at
the Female Psychiatric Rehabilitation Ward
(1)
甲第 59 号
博士(看護学) 山内 朋子
児童精神科病棟の自由時間のホールで展開され
る発達障害の学童への看護師のかかわり
Nursing Care for School Aged Children with
Developmental Disabilites in the Hall of
Children’s Psychiatric Ward During Free
Time
(4)
甲第 60 号
博士(看護学) 福井 里佳
看護学実習における大学教員の「問いかけ」に
より展開される学生との対話の様相
Aspects of Dialogue with Students Progressed
by Faculty “Asking Questions” in Clinical
Nursing Practicum
(9)
甲第 61 号
博士(看護学) 三上 由美子
親への移行期における夫婦関係の良好さを支援
するプログラムの効果
The Effects of an Educational Program on
Supporting Good Marital Relationship
During the Transition to Parenthood
(13)
甲第 62 号
博士(看護学) 茂野 香おる
現任教育の一環として臨床看護研究を行った看
護系大学出身の中堅看護師の経験
The Experiences of Proficient Nurses
Graduated from University Who Conduct
Clinical Nursing Research as Employee Staff
Development
(17)
氏
名:今 泉 亜 子
学 位 の 種 類:博士(看護学)
学 位 記 番 号:甲 第58号
学位授与年月日:平成27年 3月17日
学位授与の要件:学位規則第4条第1項該当
論 文 題 目:精神科病院に長期入院する高齢女性患者が語る「生きている
世界」-社会復帰病棟におけるエスノグラフィー
Narratives of Long-Stay Elderly Patients on the World That
They Live in: Ethnography at the Female Psychiatric
Rehabilitation Ward
論 文 審 査 委 員:主査 守 田 美奈子
副査
武 井 麻 子(正研究指導教員)
副査
筒 井 真優美(副研究指導教員)
副査
佐々木 幾 美
副査 本 庄 恵 子
論 文 内 容 の 要 旨
【研究の動機と背景】
日本では、精神科における入院期間の短縮化と退院の促進が進められているが、現状では長期
入院患者は減少しておらず、高齢化によるさまざまな問題が指摘されている。だが、高齢の長期
入院患者の多くが女性の統合失調症患者であることは、あまり注目されていない。彼らの退院が
なぜ進まないのかを考えるためには、患者自身がどのような世界に生きているのか、これからの
人生をどう考えているのかを知る必要がある。
【研究の目的】
精神科社会復帰病棟でのフィールドワークを通して、長期入院の高齢女性患者たちが「生きて
いる世界」とはどのようなものであるかを、彼女たちの語りから明らかにする。
なお、
「生きている世界」とは、研究参加者自らが語った、内的世界と外的現実の全てを含む体
験世界のことをいう。
【研究方法】
本研究ではエスノグラフィーの方法を用い、精神科病院の女性社会復帰病棟で 1 年 10 か月、
週 1 回、日勤帯に患者と関わって過ごすフィールドワークを計 87 回行った。
研究参加者は、70 歳以上で通算入院期間が 40 年以上の 3 名と約 10 年の 1 名の女性患者であ
る。また、補助的情報を得る目的で、9 名の看護者に半構成的インタビューを行った。
本研究は、日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会(2013-85)及び病院の研究倫理審査委員会
- 1 -
の承認を得て実施し、研究に参加した患者と看護師から文書による同意を得た。
【結果】
研究に参加した 4 名の患者は、いずれも独特の生きている世界をもっていた。ある患者は人か
らリスペクトされる「正しい人」になろうと日々努力をしており、ある患者は病棟や他の患者た
ちをシニカルな目で批評する一方で、自分には「待ってくれている人」がいるというファンタジ
ーを持ち続けていた。また、被害的になりやすく、現実ともファンタジーともつかない話をして
聞かせる患者や、病院を「終の住処」と捉え、退院させられないよう「喧嘩をしない」という戦
略を意図的にとっている患者もいた。
4 人とも「自分は馬鹿だ」と否定的に語り、修正することはできなかった。だが、その背景に
は幼少時からの家族葛藤があることが少しずつ分かってきた。しかも彼女たちは他者に頼らず、
自分だけを頼みに生きてきたが、結婚し子供を育てること、さらには職業をもつことにも失敗し
たことが心の傷となっていた。彼女たちの行動の裏には、人に認めて貰いたい、構ってもらいた
いという切なる思いがあったが、人に理解してもらえるような形で表現することは難しかった。
しかし、研究者と何気ない会話をかわすうちに、徐々に彼女たちは自らの生きている世界を語
り始め、そのことに喜びを見出すようになった。
【考察】
研究参加者たちの拭いがたい否定的な自己像と他者への不信感の背景には、幼い頃からの度重
なる自己愛の傷つき体験があった。しかもそこには、戦後の時代を生きた女性ならではの困難が
あった。自分の存在を受け入れてくれる家も子どももなく、働く場もない彼女たちに居場所を提
供したのは、精神科病院だけであった。そのため、彼女たちは病院を自らのアイデンティティの
拠り所とするしかなく、退院は自己の存在そのものを揺るがすことだったのである。
しかし、彼女たちが頼っていたのは「病院」ではあったが、
「人」ではなかった。スタッフの異
動の激しい病棟にあって、彼女たちはいつか見捨てられるのではないかという不安を抱え、身体
のことでさえ医師や看護師に相談せず、独自のセルフケアの方法を編み出していた。その一方で、
自分は他の患者とは違うと思うことで自尊心を保っており、こうした「自恃の精神」や自分なり
の信念、そしてファンタジーが、この病棟に生き残るための彼女たちの支えとなっていた。
他者に抜きがたい不信をもつ彼女たちが心を開いて、自らの世界を語るようになるには、傍に
いて言語的にも感情的にも反応を返すというやりとりが重要であった。彼女たちが求めていたの
は、雑談ができるような、気の置けない、対等で安定した関係だったのである。
【結論】
人生の初期から自己愛の傷つきを体験し続けてきた患者の他者への不信感は根深く、しかも職
員の異動が多く、長く安定した関係を維持することが難しい治療環境は、ますます患者とスタッ
フとの距離を遠ざけるものとなっている。しかし、そのような状況の中でも、患者たちの感情に
耳を澄ませ、それに反応することでつながりを生みだし、安全感を提供することは可能である。
逆に、そうしたアプローチなしに退院促進を唱えても、それは患者に不安と苦痛を与えるだけに
なりかねないのである。
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論文審査の結果の要旨
本研究は、精神科病棟での 1 年 10 か月にわたるフィールドワークに基づくものであり、結果で
は研究参加者となった女性高齢患者たちの豊富な語りが生き生きと示されている。そこには、研
究対象としての患者ではなく、同じ女性として、この社会に生きる者同士の共感に基づく関係が
みてとれ、だからこそこうした興味深い語りが得られたものと評価できる。
また、研究参加者のほとんどが自己卑下するような言葉を口にする一方で、
「自恃の精神」とも
いうべき信念をもち、自分なりに逞しく困難な状況を生き延びようとしていること、患者たちが
病院に依存しているようでいて、実は病院スタッフを頼りにしているわけではないこと、にもか
かわらず対等な立場で気軽に無駄話ができるような関係を求めていることなど、本研究で明らか
にされたことは、病棟で業務に追われる看護師たちがともすれば見過ごしがちな点であり、貴重
な証言といえよう。
また、彼女たちの否定的な自己像には、幼い頃からの度重なる自己愛の傷つき体験や女性とし
て生きる上での挫折体験が関連していることも、彼女たちを理解する上では見過ごすことのでき
ない点である。そして、そうした過去の体験は、病棟スタッフとの関係においても再現されてい
るのだが、そのことに気づかれないでいることも多い。結果として、
「厄介な患者」
「難しい患者」
というレッテルを貼られて、そのまま入院が長期化していってしまいかねないのである。
こうした、とくに高齢化した女性の長期入院患者の抱える重要な問題を、患者の視点から描き
だしたことは、看護研究として高く評価できる。
また、文章も読みやすく、論理的に展開されており、学位論文としての水準を十分に満たして
いる。
博士学位論文審査会では、本論文を学位規程第 3 条に定める博士(看護学)の学位論文として
「合格」と判定した。その後、口頭での最終試験を行い、これについても「合格」と認めた。
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氏
名:山 内 朋 子
学 位 の 種 類:博士(看護学)
学 位 記 番 号:甲 第59号
学位授与年月日:平成27年 3月17日
学位授与の要件:学位規則第4条第1項該当
論 文 題 目:児童精神科病棟の自由時間のホールで展開される
発達障害の学童への看護師のかかわり
Nursing Care for School Aged Children with Developmental
Disabilites in the Hall of Children’s Psychiatric Ward
During Free Time
論 文 審 査 委 員:主査 高 田 早 苗
副査
筒 井 真優美(正研究指導教員)
副査
小 宮 敬 子(副研究指導教員)
副査
守 田 美奈子
副査 佐々木 幾 美
論 文 内 容 の 要 旨
【研究の背景】
発達障害に関する診療技術の向上や法的整備の進展の影響もあり、発達障害の学童の数は増加
している。発達障害の学童は障害特性や独自の空間認知特性の影響から、自由に過ごすことや集
団行動などが苦手である。特性による集団生活上の困難さに、虐待やいじめなどの傷つき体験が
絡み合って日常生活に支障をきたした発達障害の学童は、児童精神科病棟への入院を余儀なくさ
れていた。入院している発達障害の学童が再び家庭や学校で生活するためには、他の子どもや看
護師との交流を図る自由時間のホールが重要な意味を持つ時間であり、空間であると考えられ
る。
先行研究では、看護師が発達障害の学童の特性に応じたかかわりやその子どもなりの成長を意
識したかかわりをしていることが明らかになっている。しかし、自由時間のホールに焦点を当て
た研究は見当たらず、その時空間におけるかかわりも探求されてこなかった。このかかわりを明
らかにすることで、発達障害の学童が自由時間に複数の人々がいる空間で過ごすために必要な支
援や、看護師が行う具体的な看護実践を示すことができ、かかわりが発達障害の学童の治療や成
長にどう寄与するかを探求できると考える。
【研究目的】
児童精神科病棟の日課がない自由時間に複数の人々がいるホールで展開される発達障害の学童
への看護師のかかわりを明らかにする。
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【研究方法】
エスノグラフィー(Emerson, Fretz, & Shaw, 1995/1998)の研究デザインに基づいたフィールドワ
ークを行い、参与観察を主としてインタビューを併用した。児童思春期精神科の入院治療を継続
的に行っている一病院を研究施設とし、児童精神科閉鎖病棟でデータを収集した。研究参加者は、
看護師 16 名のうち 13 名と、医療スタッフ 11 名のうち保育士 5 名・医師 1 名・臨床心理士 1 名・
精神保健福祉士 1 名、入院中の発達障害の学童 19 名とその家族であった。発達障害の学童は広
汎性発達障害または注意欠陥多動性障害の 7 歳~11 歳の子どもであった。予備調査を含めて 2 年
間、計 81 回、データ収集を行った。データは Emerson, Fretz, & Shaw の方法を用いて分析し、経
時的に見ていくことで意味が見出せるかかわりに、場面毎に意味が見出せるかかわりを織り交ぜ
ながら、看護師のかかわりをプロセスとして構造化した。
【倫理的配慮】
日本赤十字看護大学の研究倫理審査委員会(承認番号:予備調査 2012-99, 本調査 2013-71)及
び研究施設の看護研究審査会・倫理委員会(受付番号:予備調査 H24-92, 本調査 H25-57)の承
認を得て行った。研究参加者には口頭及び文書にて研究の趣旨と方法、研究参加の自由意志、匿
名性の保持、結果の公表などを説明して同意を得た。子どもの特性や発達段階に応じて子どもが
理解できる言葉で説明し、子どもの生活や遊びに支障がないように注意を払って観察を行った。
【結果】
自由時間のホールにおいて看護師は、発達障害の学童が他の子どもや看護師との相互作用を通
じて徐々に自分なりの方法で自由時間を過ごしたり、複数の人々がいるホールで過ごしたりでき
るようにかかわっていた。自由時間のホールにおける看護師のかかわりと発達障害の学童の変化
を入院から退院までのプロセスで記述した。
1.ホールに居続けられるようにかかわる
入院後 1 週間~1 ヶ月、発達障害の学童は怖がってホールに出てこないこともあれば、緊張し
た様子や興奮した様子でホールにいるなど、様々だった。看護師は、発達障害の学童がホールに
居続けられるように、ホールに入る最初の一歩を後押しし、ホールという場や人に慣れるまでは
立ち入らず、ホールで受ける刺激が最小限になるように誘導し、他の子どもとの交流の機会を作
り出していた。看護師のかかわりによって発達障害の学童はホールに身を置いて、集団生活をス
タートすることができていた。
2.あらわになったトラブルや危険行為に対応できるようにかかわる
入院後 1 ヶ月~3 ヶ月、発達障害の学童はホールで他の子どもと遊ぶようになるとトラブルに
なったり、遊びをエスカレートさせて危険行為をしたりするようになった。
看護師は、発達障害の学童が入院前にしていた暴言・暴力がようやく出現したことを確認し、
子どもに適切な対応方法を伝え、思いを言葉にすることや看護師への相談を促していた。また、
看護師は子ども同士の遊びが、遊びの範疇を超えた状態や危険性を伴う状態、周りにいる他の子
どもにとって迷惑な状態に達したと判断した瞬間に、適切なかかわり方を伝え、危険行為を制止
していた。この過程において看護師は、発達障害の学童の傍にいて問題を共に解決しながら子ど
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もとの信頼関係を築き、子どもに振り回されない関係も築いていた。
看護師は発達障害の学童から「構って欲しい」言動や暴言・暴力を受けて揺さぶられた感情を
多職種チームに言語化し、交代し合いながらホールに出ていた。看護師は、発達障害の学童の言
動について多職種間で話し合うことで意味を理解し、多職種の多様なまなざしを統合したかかわ
りを実践していた。看護師のかかわりによって発達障害の学童は入院前の行動パターンを修正
し、大人との関係を修復することができていた。
3.自分なりの方法で過ごせるようにかかわる
入院後 3 ヶ月以上経つと、看護師は発達障害の学童のホールで過ごす様子が変化していること
を捉え、子どもがホールで自分なりの方法で過ごせるように、子どもが看護師に近づいてきても
離れられるまで待ち、子ども同士の遊びには加わらずにいた。看護師は発達障害の学童が退院に
至るまでのかかわりを「育てなおし」と表現していた。
一連の看護師のかかわりによって、発達障害の学童は自由時間に複数の人々がいる空間で自分
なりの過ごし方ができるようになっていた。
【考察】
A.ホールという擬似社会
自由時間のホールという時空間とそこに存在する集団は、発達障害の学童にとって「不自由な
時間」や刺激に溢れる空間であることの混乱といじめなどの傷つき体験を伴う過酷さがある一方
で、学童期として成長する上では欠かせないものであった。発達障害の学童がこの過酷さを乗り
越えて家庭や学校で再び生活できるように、看護師はホールという擬似社会において、発達障害
の学童個々に焦点を当てた、子どもが退院に至るまでの長期的な「育てなおし」のかかわりと、
その時々のホールを形成している集団に焦点を当てた、集団のダイナミクスに応じたかかわりを
行っていた。これら、2 つのかかわりを以下で具体的に描く。
B.ホールにおける「育てなおし」のかかわり
看護師はホールにおいて発達障害の学童にとっての安全感や安心感を保障し、基本的信頼感や
自律性を育み、愛着の形成や修復を行い、周囲との交流を生み出して、子どもと大人との関係や
同年代の子どもとの関係を修復していた。また、発達障害の学童が周囲との交流で生じる対立や
葛藤を乗り越えられるように、看護師は子どもの行動パターンを修正し、対人関係スキルやコミ
ュニケーションスキルを育んでいた。これらの「育てなおし」のかかわりによって、発達障害の
学童を学童期本来の発達段階に近づけ、学童期としての成長を育むことが重要であると示唆され
た。
C.集団のダイナミクスに応じたかかわり
特性や入院背景、入院時期が異なる複数の発達障害の学童がいるホールにおいて、看護師は子
ども個々と複数存在する小集団のダイナミクス、ホールにいる集団全体のダイナミクスを見て、
集団を維持・活性化していた。集団が流動的で、何が起こるかが予測困難な時空間であるからこ
そ、看護師が集団の交流の様相から危険性を予測しながら、発達障害の学童が成長する上で必要
な傷つき体験も経験できるように見守り、瞬時に判断と対応を行う意味があった。
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D.多職種チームでかかわる意味
看護師が発達障害の学童の暴言・暴力といった言動によって揺さぶられる感情への葛藤や、子
どもの言動の意味を理解する困難さを乗り越えるためには、その感情を受け止め、子どもの言動
に関する多様な視点や解決を共有し合える、多職種チームの支えが重要であると示唆された。
論文審査の結果の要旨
発達障害に関する診療技術が向上し、法的整備が進展する一方で、養育上の困難さといった問
題があり、発達障害の学童が安心して暮らすことができる社会環境は十分に整っているとは言え
ない現状がある。本研究はこうした社会状況に即して発達障害の学童に着目し、家庭生活が困難
となって入院した発達障害の学童への看護師のかかわりに焦点を当てており、現代的意義のある
研究と言える。
先行研究の多くは、看護師が行う、発達障害の学童個人への認知行動療法に基づくかかわり
や、看護師が抱く、かかわりの困難感に焦点が当てられており、発達障害の学童が苦手とする特
定の時間や空間における看護師のかかわりは探求されてこなかった。本研究は、発達障害の学童
が過ごす非構造化された自由時間や、複数の人々と過ごすホールという空間に着目した点、及
び、治療目的や看護師が行うケアが明確になっていない、自由時間のホールで展開されるかかわ
りに着目した点にオリジナリティがある。
文献検討は、発達障害の学童の特性を詳細に言及し、全体が論理的に記述されている。結果で
は、継続的なフィールドワークで得た豊富なデータを多用し、情景が生き生きと描き出されてい
る。発達障害の学童に密接にかかわる看護師の様子を丁寧に表現したことで、ホールに複雑に混
在している、場面毎に意味が見出せるかかわりと数ヶ月間に渡って経時的に見ていくことで意味
が見出せるかかわりの両方を浮き彫りにできたことが評価できる。
自由時間のホールという時空間やそこに存在する集団は発達障害の学童にとって、混乱や傷つ
き体験を伴う過酷さがある一方で、成長には欠かせないものである。この過酷さを成長につなげ
るために、ホールという擬似社会において看護師が発達障害の学童へ行っている、安全感や安心
感の保障、周囲との交流の生み出し、対立・葛藤を乗り越えるためのスキルの育みといったかか
わりに高い専門性があることが描き出された。また、看護師は発達障害の学童個々と同時に、ホ
ールに複数存在する小集団のダイナミクスを見て、学童期に必要な子ども同士の交流やぶつかり
合いを見守り、危険性を予測しながら対応するなど、ホールを形成している集団のダイナミクス
に応じたかかわりをしていることが描き出されている。個々へのかかわりと集団へのかかわりの
両側面を言及した点が本研究のユニークさであり、それらを具体的に示した点が評価できる。
本研究で得られた結果は、発達障害の学童が苦手とする自由時間や刺激に溢れた空間、集団の
場における、周囲の支援のあり方を示唆するものである。また、本研究で明らかになったかかわ
りは、自由時間のホールという時空間を越えて、発達障害の学童を育むあり方や子ども一般を育
むあり方を示唆するものである。これらは、発達障害の学童のケアに日々携わっている児童精神
科領域の看護実践や、発達障害の学童と接する機会が増加している小児看護領域の看護実践に重
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要な示唆を与えると期待できる。
博士学位論文審査会では、本論文を学位規程第 3 条に定める博士(看護学)の学位論文として
「合格」と判定した。その後、口頭での最終試験を行い、これについても「合格」と認めた。
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氏
名:福 井 里 佳
学 位 の 種 類:博士(看護学)
学 位 記 番 号:甲 第60号
学位授与年月日:平成27年 3月17日
学位授与の要件:学位規則第4条第1項該当
論 文 題 目:看護学実習における大学教員の「問いかけ」により展開され
る学生との対話の様相
Aspects of Dialogue with Students Progressed by Faculty
“Asking Questions” in Clinical Nursing Practicum
論 文 審 査 委 員:主査 守 田 美奈子
副査
佐々木 幾 美(正研究指導教員)
副査
筒 井 真優美(副研究指導教員)
副査
武 井 麻 子
副査 本 庄 恵 子
論 文 内 容 の 要 旨
【研究の背景】
看護基礎教育の学士課程への移行が進められるなかで、看護実践能力とともに論理的思考や創
造的思考、問題解決能力を含む学士力の育成が求められている。看護学実習(以下、実習)は、
学生の看護の思考や問題解決能力、実践力の基礎を培うためにカリキュラムの中核的な位置づけ
をなす。実習において大学教員(以下教員)が学生に問いかけることは、学生の思考能力育成の
ために重要な教育方法であり、教育学の用語で発問や questioning として論じられてきた。1980
年代以降、経験や状況下での学びを重視する学習者中心の教育が強調されるようになり、実習指
導での教員の「問いかけ」は、科学的思考に基づく知識や根拠を求めるためのみでなく、学生の
思いや考えを知り、受け持ち患者の状況や看護をともに考えるための学生との対話に用いられて
いる。複雑な臨床状況や患者の変化、学生の学習過程に応じて、「問いかけ」は日々日常的に行
われているために、「問いかけ」に焦点を当てた学生との対話を立ちどまってふり返ることは難
しい。教員、学生にとっての「問いかけ」から展開される対話の様相を描くことによって、教員
が実習指導での学生との対話を見直すきっかけとなったり、自分の背景や傾向に気づいて改善に
つなげたり、意識的に対話に活かすことができるのではないだろうか。実習での教員の「問いか
け」により、学生との対話はどのように展開され、そこでは何が起こっているのだろうか。受け
持ち患者や学生に応じて、教員はどのように学生に問いかけ、実習指導を行っているのか、そこ
で生じている様相については明らかにされていない。
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【研究目的】
本研究では実習において教員の「問いかけ」により学生との対話がどのように展開されている
のか、その様相を明らかにする。
【研究方法】
質的記述的研究デザインを用いて、実習の参与観察および実習期間終了後の教員へのインタビ
ューによりデータ収集を行った。研究参加者は、関東地方の 2 看護系大学において基礎看護学ま
たは成人看護学の実習指導を担当する教員 4 名と学生 21 名であった。フィールドは関東地方の
総合病院 3 施設の 4 病棟であった。データ収集期間は、予備調査を含めて 2011 年 10 月~2013 年
4 月までの約 1 年 7 カ月であった。研究者は、基本的に「観察者としての参加者」として実習の
参与観察を行った。インタビューは、教員 1 名あたり 2~3 回実施した。データ分析は、佐藤
(2008)による質的データ分析の方法を参考に行った。Lincoln & Guba(1985)による質的研究の真
実性の 4 つの基準の確保に努め、データ収集と分析の過程で看護教育研究者による定期的なスー
パービジョンおよびピアデブリーフィングを受けた。また実習場面の状況や文脈がわかるように
可能なかぎり記述し、分析の各段階での記録を残して経過を確認しながら進めた。
【倫理的配慮】
本研究は本学研究倫理審査委員会の承認(2012-76)を受けて、研究依頼施設の学長または学部
長、病院施設長または看護部へ説明し承諾を得て実施した。また研究参加者の教員、学生には文
書と口頭で説明し同意を得て実施した。実習施設病棟の看護師へは研究開始前に文書を配布し実
習開始時に改めて口頭で説明した。患者・家族へは、学生の受け持ち患者決定後に調査について
説明を行い、負担を考慮してベッドサイドでの参与観察は挨拶やラウンドにとどめた。
【結果】
1.「問いかけ」の形をした指導
この様相では、疑問の表現である「問い」の形をとりながらも、教員の大切にしたいと思って
いる看護の視点や考え方を伝えようとする指導として投げかけられていた。
a.実習目標達成のための学生の視点の修正と後押し
教員は、学生が自分で気づいたことから看護を考えることを大切にしたいという思いをもちな
がらも、学生それぞれの学習状況や実習時期、患者の状態や治療、退院指導といった現実の臨床
状況から指導の優先順位をつけ、それを「問いかけ」に反映させていた。
b.「問いかけ」の調整と今日必要な看護への誘導
教員は、達成すべき実習目標と患者の状態、学生の状況を推し量りながら、看護の思考のプロ
セスを踏んで患者に応じたケアを実施できるように、学生の反応や応答から「問いかけ」の内容
や表現のしかたを調整し、患者に今日必要な看護の視点へと誘導していた。
c.遠回しの「問いかけ」と学生の戸惑いの反応
指導としての「問いかけ」は、教員自身の看護観が先行したり、学生の自主性を尊重する指導
観が影響したりすることによって、遠回しの「問いかけ」として表現されることがあった。その
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時、学生にとっては、何が問われているのかが伝わりにくく戸惑いが生じていた。
2.「問いかけ」を介した学生の自問と内省
学生が患者についてとらえていることをわかりたいという教員の思いから、学生の言動に対し
て生じた疑問や違和感が学生への「問いかけ」となり、対話が展開されていた。
a.教員の違和感の表現としての「問いかけ」による直面化
「問いかけ」は、言語化されていない暗黙の患者に対する学生の思いや、患者の情報の意味に
ついてまだ考えられていない学生の思考に向けられていた。「問いかけ」を契機に、学生には自
分の中にある漠然とした患者への思いや自分の思考に気づくという直面化が起こっていた。
b.学生の実習経験を辿ろうとする教員と学生のふり返り
学生の患者とのかかわり方や、学生の側から話しかけてくる行動を変化に気づいた教員は、驚
きと疑問から学生がどのような実習経験をしたのかを辿るように問いかけ、学生の学びや変化を
とらえ直していた。
3.看護師としての教員の問いの共有
教員は、学生と一緒に受け持ち患者の看護に継続的にかかわる中で、長期入院治療や病状に伴
う患者の苦痛の大きさを感じたり、医療処置の様子に違和感をもつことがあり、学生の気持ちと
重ね合わせるように医療のジレンマとしての自問をつぶやいたり、患者の苦痛を受けとめてどの
ように看護を実践するかという「問いかけ」を行っていた。
【考察】
教員は実習目標を達成しなければならないという指導目標に関する考え方と、学生の主体性を
大事にしたいという学習者尊重の考え方の間でジレンマを抱えていた。現実の患者の看護が行わ
れる中での実習において、この 2 つの考え方は「問いかけ」を通して学生との対話の揺れ動きと
して示されていた。そこには、患者の状態や治療、入院期間など学生を待てずに看護を優先しな
くてはならないという臨床の状況だけでなく、教育に内在するパラドクスや、医療や大学教育の
動向をふまえて行政から求められる看護教育の成果や課題も影響していた。「問いかけ」を通し
た対話は、教員の意図だけでなく、学生の反応や応答により相互に影響を与え合いながら展開さ
れていた。教員は実習でのジレンマに陥りやすいことを自覚し、教育方法の規範から自由になる
ことで日頃の学生との対話を見直し、共に看護を学ぶ対話の場を築いていく必要があるのではな
いかと考える。
論文審査の結果の要旨
本論文は、看護学実習での教員の「問いかけ」から展開される学生との対話の様相を明らかに
し、その基礎的な知見を得ようとする研究である。「問いかけ」から展開される学生との対話は
実習の中では日常的に行われているものであるが、その対話の中に潜んでいる教員自身の思考や
感情、経験や価値観を浮かび上がらせ、学生の反応や応答との間で生じていることを対話の展開
を通して明らかにした点が本研究のオリジナリティである。
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先行研究では、状況や文脈、関係性を含めた学習者の経験と対話を重視する学習者中心の教育
観を強調する立場から、科学的思考に基づく知識や判断、根拠だけを尋ねるだけではなく、学生
の思いや考えを知り、反応に応じた「問いかけ」を対話の中に組み込んでいくことの重要性が指
摘されているが、それらは教員のインタビューなどを中心に明らかにされた知見のみである。本
研究のように、参加観察を通して教員の「問いかけ」から学生との対話がどのように展開してい
くのかという様相が記述された研究はなく、刻々と変化する場面の分析を通して、生き生きとし
た場面として記述している点が本研究のユニークさとして評価できる。また、看護学士課程にお
いて看護実践能力の育成が求められる中で、教員が教育の成果と教育の規範との間でジレンマを
抱えている実態も明らかにした点も評価された。
本研究で得られた結果は、教員が自らの学生との対話を再考する際の示唆を与えるだけでなく、
今後の看護学実習のあり方として、看護を学ぶ対話の場を築く上での重要な示唆を与えるもので
ある。
博士学位論文審査会では、本論文を学位規程第 3 条に定める博士(看護学)の学位論文として
「合格」と判定した。その後、口頭での最終試験を行い、これについても「合格」と認めた。
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氏
名:三 上 由美子
学 位 の 種 類:博士(看護学)
学 位 記 番 号:甲 第61号
学位授与年月日:平成27年 3月17日
学位授与の要件:学位規則第4条第1項該当
論 文 題 目:親への移行期における夫婦関係の良好さを支援するプログラ
ムの効果
The Effects of an Educational Program on Supporting Good
Marital Relationship During the Transition to Parenthood
論 文 審 査 委 員:主査 佐々木 幾 美
副査
井 村 真 澄(正研究指導教員)
副査
筒 井 真優美(副研究指導教員)
副査
鶴 田 惠 子
副査 本 庄 恵 子
論 文 内 容 の 要 旨
【研究の背景】
本邦の少子高齢化、地域社会の育児力の低下、女性の社会進出、男性の育児参加の低さ等によ
り、夫婦の子育て力は脆弱性を増している。親への移行期にある夫婦は、二者から三者への関係
性の再構築、親役割習得という発達課題と役割移行の危機に直面し、二者間葛藤の増大や親機能
の不全等に陥るリスクを抱え、それらは子どもの心身の発達にも影響し、虐待発生の背景要因に
もなっている。そのため、夫婦関係を良好に保ち、親役割遂行を支援することは、家族および子
どもの健全な成長発達にとって不可欠である。欧米では親への移行期における夫婦関係の悪化を
予防する教育プログラムが開発され、RCT による効果が確認され始めているが、本邦での実践・研
究報告はなく、夫婦関係を維持・促進する効果的支援プログラムを開発・検証し、実施すること
は喫緊の課題となっている。
【研究目的】
初めて子どもを持つ日本人夫婦に対して、親への移行期における夫婦関係の良好さを支援する
プログラムを開発し、その効果を明らかにする。
【教育プログラムの開発】
1)米国で開発された Becoming Parents Program(BPP)を参考に、助産師の実践に焦点を当て日
本文化の特性を加え、①現実的な予測、②夫婦の役割調整の準備、③養育行動、④ストレスコ
ントロール、⑤コミュニケーション、⑥関係維持行動についての情報提供、リハーサル、夫婦
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間の話し合いを行うプログラム試案(以下試案)を作成した。
2)予備的研究:試案を用いて、関東圏の産科施設 A・B で第一子出産予定の妊娠 34 週以降
の夫婦を対象に、介入群 12 名(試案実施)
、対照群 35 名(非実施)の 2 群比較研究を実施し
た。試案実施前と出産後 1 か月に、対象者の特性(属性や産後のサポート状況等)、夫婦関係
の良好さ指標:①夫婦関係の調和性尺度 The Marital Dyadic Adjustment Scale [以下 MDAS](α
= .72)
、②親密な関係尺度の日本語版の 4 下位尺度 love(α= .88)
、maintenance(α= .76)
、
ambivalence(α= .73)
、conflict(α= .61)
、③心理的サポート尺度(α = .85)を用いて調査
した。その結果 2 群間に有意差はみられず、男女別分析において、女性介入群に conflict の低
下(p = .03)と心理的サポートの上昇(p = .006)、心理的サポートに介入効果がみられた(β
= .31、p = .021、adj-R2 = .674)。内容の役立ち度は 8 割以上で、試案は概ね妥当な内容と判断
した。
3)改良点として、男性への効果向上のための説明内容、ブースター効果のための産後 2 回の情
報提供カード送付を付加しプログラムを完成させた。
【研究方法】
1)研究デザイン:比較群を持つ事前事後テスト(pretest-posttest control group design)
2)研究参加者:予備的研究と同条件とし、サンプルサイズは 145 名以上と算定した。
3)調査時期:2012 年 11 月から 2014 年 2 月の参加者募集期間中、前半の対照群募集終了後に介
入群を募集し、2014 年 9 月まで調査票の回収を行った。うち、プログラム実施期間は 2013 年
11 月から 2014 年 4 月であった。
4)介入内容:介入群には、妊娠 34 週以降に 1 夫婦に対して 1 回のプログラム(産前 120 分クラ
ス、産後情報提供カード 2 通送付)を実施し、2 施設で通算 16 回実施した。
5)調査指標:①MDAS、②親密な関係尺度:love、maintenance、ambivalence、conflict、③心理的
サポート尺度、対象者の特性、プログラム役立ち度と自由記述に、夫婦関係に関する自由記述
を加えた。調査票は、妊娠 34 週以降プログラム実施前、産後 1 か月後、3~4 か月後の合計 3
回、郵送にて送付回収した。
6)分析方法:基本統計量の算出後、データの種類に応じて t 検定、χ2検定またはフィッシャー直
接確率検定、重回帰分析、反復測定分散分析、多重比較を SPSS ver. 22 にて実施した。全項目
90%以上回答ケースを分析対象とし、両側検定、有意水準 5%未満とした。記述的データは、介
入内容、夫婦関係の良好さ指標の概念ごとに内容を分類した。
【倫理的配慮】
本学(2013-80)
、研究対象施設 A(24-013)の倫理審査委員会の承認および研究対象施設 B(院
長許可)を得て実施した。尺度開発者には書面許可を得て使用した。
【結果】
1)応募者 210 名、適格参加者 179 名のうち対照群 80 名(追跡率 88.8%)
、介入群 72 名(追跡率
80.9%)の計 152 名(追跡率 84.9%)を分析対象とした。2 群間の均質性は保たれた。
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2)プログラム介入効果:産後 3~4 か月の maintenance(β= .152、p = .022、adj-R2 = .346)と心
理的サポート(β= .172、p = .018、adj-R2 = .234)に有意に寄与していた。
3)時期別効果:(1)群別分析において、対照群内では妊娠期から産後 1 か月、1 か月から産後
3~4 か月の時期毎に MDAS(p= .006, p= .003)、love(p = .000, p= .031)、maintenance(p= .011,
p= .020)、心理的サポート(p= .003,)が低下し、妊娠期から産後 3~4 か月に ambivalence(p= .015)
が上昇した。介入群内では産後 1 か月と比較して産後 3~4 か月に心理的サポート(p= .044)の
上昇が確認された。(2)男女別分析において、女性対照群内では妊娠期から産後 3~4 か月
MDAS(p= .012)の低下、妊娠期から産後 1 か月、1 か月から産後 3~4 か月の時期毎に love
(p= .003, p= .037)、心理的サポート(p= .000, p= .000)の低下、1 か月から 3~4 か月に maintenance
(p= .025)の低下が認められ、ambivalence(p= .032)conflict(p= .043)は産後 1 か月に上昇し
ていた。女性介入群内では妊娠期と比較して産後 3~4 か月の love(p= .044)、産後 1 か月の
maintenance(p= .035)、心理的サポート(p= .020)が低下していた。男性対照群内では産後 1
か月に MDAS(p= .034)の低下と、love(p= .010)、maintenance(p= .005)の低下がみられた。
男性介入群内に指標の有意な低下はなかった。(3)里帰り分娩の有無による夫婦関係の良好
さ指標に有意差はなく、産後 3~4 か月時点で「パートナーと二人の生活」群は、「妻が親元滞
在中」群と比較して、産後 3~4 か月の MDAS(p = .021)、love(p = .026)、maintenance(p
= .006)が高かった。(4)プログラム役立ち度は 7 割以上、夫婦関係に役だつとのコメントが
得られた。
【考察】
本プログラムは、心理的サポートや maintenance など夫婦関係の肯定的な側面に効果を持ち、親
への移行期にある夫婦関係の良好さを維持・向上させることに 20~30%寄与することが確認され
た。一般的に夫婦関係の良好さが低下しやすい時期に、対照群内では出産後 1 か月および産後 3
~4 か月に夫婦関係の良好さが低下している一方で、介入群内ではほとんど低下しなかったこと
は、プログラムによって夫婦関係の良好さが維持された可能性を示唆している。一方、夫婦関係
の ambivalence や conflict への効果が確認されなかった理由として、プログラム内容が産後に直面
する現実的困難や個別的な夫婦間葛藤に対して十分対応していないとも考えられ、今後のプログ
ラム修正では、個別的な葛藤対処方法、夫婦の話し合いや共同活動の機会を提供する等の改善を
加える必要性が示唆された。
産後 3~4 か月時点において、妻が親元に滞在しているよりも、夫婦の生活の場で子育てに取り
組む方が夫婦関係は良好であった理由として、育児期の感情や行動を夫婦で共有しやすく、夫婦
だけの親密な時間・空間をもつ機会が作りやすいこと等によると推察された。プログラムを実施
する際には、性役割に対する中立的情報提供や、個々の夫婦の価値・関係性・意思決定を尊重し
た支援を行うことが必要であることも示唆された。
【結論】
本研究では、初めての子を持つ日本人夫婦に対して、親への移行期における夫婦関係の良好さ
を支援するプログラムを開発した。プログラムは出産後 3~4 か月の maintenance と心理的サポー
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トに有意な効果を示し、親への移行期にある夫婦関係の良好さに対し 20~30%寄与することが確
認された。対照群で産後 3~4 か月の MDAS 、 love 、 maintenance、心理的サポートの低下と
ambivalence の上昇がみられたのに対して、介入群では著しい低下はみられず、夫婦関係の良好さ
が維持されたことから、プログラムの有効性が確認された。
本プログラムは助産師の通常業務に取り入れることが可能であり、親への移行期にある夫婦に
対する実効性のある支援プログラムとして助産実践に活用できると考えられた。
論文審査の結果の要旨
社会の子育て力や夫婦の子育て力が脆弱性を増す現代社会において、多重の発達的危機に直面
する親への移行期にある夫婦に対して、支援プログラムを開発し、その有効性を明らかにした研
究であり、本邦における喫緊の課題に即応する現代的意義のある研究である。
夫婦の良好な関係を保つための支援を考案するにあたり、欧米における先行研究を丹念に吟味
したうえで、夫婦や家族関係における日米文化の相違を明確化して、日本文化特有の夫婦や家族
の関係性に適合させた教育プログラムを開発した点、およびこれまで主に心理学領域で開発され
た支援モデルを、看護学領域の助産師が実施できるプログラムとして開発した点において本研究
の新規性と独創性が認められた。
さらに、開発した夫婦関係の良好さを支援するプログラムが、産後の夫婦の関係性が悪化する
ことを防ぎ、良好な関係性を維持することに対して、実際にある程度の効果を持つことが確認さ
れたことで、臨床における実効性のある支援として活用できることが期待され、臨床還元性の高
い研究であると評価された。また、夫婦関係指標に加えて、日本文化特有の里帰りに関する結果
を明示し、考察している点も本研究のユニークな着眼点であることが評価された。
本プログラムの男性に対する効果が十分に確認されなかったことに関しての考察もなされ、今
後の改良点を具体的に検討していることや、プログラムの効果を量的な評価指標のみならず、プ
ログラムに対する参加者の評価や夫婦関係についての記述データを得て、相補的に分析・考察し
ていることも評価された。プログラム試案を用いて 47 名を対象に予備的研究を実施し、その結果
をもとにプログラムに改良を加え、最終的に完成させたプログラムを用いて 152 名を対象に効果
検証を行うという一連のプロセスに精力的に取り組み、数年にわたり継続的に地道に努力した点
も評価に値した。
博士学位論文審査会では、本論文を学位規程第 3 条に定める博士(看護学)の学位論文として
「合格」と判定した。その後、口頭での最終試験を行い、これについても「合格」と認めた。
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氏
名:茂 野 香おる
学 位 の 種 類:博士(看護学)
学 位 記 番 号:甲 第62号
学位授与年月日:平成27年 3月17日
学位授与の要件:学位規則第4条第1項該当
論 文 題 目:現任教育の一環として臨床看護研究を行った看護系大学出身
の中堅看護師の経験
The Experiences of Proficient Nurses Graduated from
University Who Conduct Clinical Nursing Research as
Employee Staff Development
論 文 審 査 委 員:主査 筒 井 真優美
副査
坂 口 千 鶴(正研究指導教員)
副査
守 田 美奈子(副研究指導教員)
副査
鶴 田 惠 子
副査 佐々木 幾 美
論 文 内 容 の 要 旨
【研究の動機と背景】
現在、日本国内の多くの病院では現任教育プログラムにおいて看護研究が組み込まれ、臨床
でケアを提供している看護師が看護研究を行うことが一般的となっている。臨床における看護
研究は看護実践の質の向上のために重要と考えられ、研究を通して実践から知識を得て、その
知識を実践に活用することが求められている。このような中、研究者自身も臨床看護師に看護研
究を指導する機会があり、忙しい中で熱心に取り組む看護師がいる一方、看護研究を行うこと
自体に疑問を感じ、看護研究を実施する上で様々な葛藤を抱えている看護師も存在し、臨床看
護師が看護研究を行うことの意義について疑問を感じるようになった。実際、先行研究におい
ても臨床看護師が看護研究を行う上での課題として、時間の確保、計画書や論文の書き方、文
献検索を行う環境、研究を推進する上での支援等が指摘されている。しかし、これらの研究は
看護師全般を対象としていることが明らかとなり、看護研究の基礎知識がある看護系大学出身の
看護師を対象とした研究はほとんど行われていない。そこで、看護系大学出身の中堅看護師が、
看護研究を行う過程において具体的にどのような経験をし、その経験が本人にとってどのよう
な意味をもつのかについて探求したいと考えた。
【研究の目的】
現任教育の一環として臨床看護研究を行う過程において、看護系大学出身の中堅看護師がどの
ような経験をしているのか、またその経験をどのように意味づけているのかを明らかにする。
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【研究方法】
研究デザインは質的記述的研究である。研究参加者は、地域の中核となる医療機関に勤務し
ている看護系大学出身の経験3~7年目の役職のない看護師で、院内で行われる看護研究の中
心的役割を担う者6名であった。データ収集は、Flick(1995/2002)のエピソード・インタビュ
ーの手法を用いて、①研究開始から計画書作成までの期間、②データ収集・分析の期間、③研
究終了後全体を振り返る期間で行った。参加者1名につき 8 か月から 17 か月(平均 10 ヶ月)の
期間をかけて、5 回から 6 回のインタビューを行った。インタビューでは、研究活動の中で印象
に残る出来事を振り返ってもらい、その経験をエピソードとして感情も含めて自由に語っても
らった。語りの内容は了承を得た上で IC レコーダーに録音した。データ分析は、Flick
(1995/2002)の分析方法を参考に行った。語りの内容を逐語録として起した後、研究の進捗状
況の中での参加者個々の出来事と、その経験をどのように意味づけているのかに注目して、文
脈ごとにコード化した。得られたコードから、類似性に従ってカテゴリーを形成した。事例ご
とにカテゴリーの類似性からテーマとなる内容を明らかにし、さらに複数の事例で比較検討し、
特徴的なテーマを導き出した。倫理的配慮については、研究倫理審査委員会の承認を受けた
(No.2013-10)。
【結果】
1.研究参加者の属性:本研究の参加者は、男性 1 名、女性 5 名で、臨床経験 3 年から 7 年であ
った。参加者 6 名のうち 5 名は今回初めて看護研究を行い、残り 1 名は 2 回目であった。
2.看護系大学出身の中堅看護師の臨床看護研究における経験:分析の結果、以下の7テーマが抽
出された。
1)大学の研究と臨床看護研究との差異に戸惑う:参加者全員、文献検索と文献検討を踏まえて、
目的と一貫した研究方法をもとに大学での卒業研究を行っていた。そのため、研究環境が整
わない中で、先行研究や研究方法等に関して十分に時間をかけないまま行う臨床の看護研究
に対して、根底から研究概念の転換を迫られるような大きな戸惑いを感じていた。
2)戸惑いながらも自身が置かれた状況を受け止めようとする:大学で行った研究と臨床で行う
研究とのギャップに困惑する参加者ではあったが、研究を行うことを拒むこともできず、研
究を引き受けようと自身を納得させていた。研究を行うと決めてからは、よりよい患者のた
めの看護実践に向けて部署内の問題解決や実践の振り返りを目的に、研究を開始した。
3)患者の看護に活かせる研究を探求したい:研究を引き受けることに決めた参加者たちの気持
ちの根底には、患者の看護に活かしたいという強い思いがあった。そのため、多くの参加者
は、臨床での看護研究を個人的な興味というよりも、現場の看護実践に即したテーマに設定
していた。
4)厳しい条件の中でも科学的な研究をしようと奮闘する:臨床現場で研究を行うには十分な環
境が整っていないと感じていた参加者たちは、様々な葛藤に直面しながらも患者の看護が向
上するための根拠となるデータを求めようと、出来る限り科学的な方法に近づけるよう試行
錯誤していた。
5)探求心に突き動かされて研究にのめり込む:参加者たちは、環境も整わず十分な支援も得ら
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れない中で、それでも自らの好奇心に突き動かされながら、研究によって得られる知見に魅
せられたかのように研究にのめり込んでいった。
6)チームにおける確固たる存在になっていく:参加者たちは、研究を遂行する上で、チームメ
ンバーとの関係をもとに、病棟スタッフへの研究協力の要請、その他の病院内の関係者との
関係も拡大させながら、様々な人々とのネットワークを構築していた。
7)研究を通して自身の認識・行動の変化に気づく:研究成果を学会や院内の発表会で報告し終
えた参加者たちは、臨床における看護研究の意義や特徴を見出し、大学で経験した研究とは
異なる研究の存在を認め、研究の概念を拡大して考えていた。また、自ら行った研究につい
ての限界を自覚して非常に厳しい評価をしていたが、臨床での看護研究を通して根拠をもっ
た看護を主体的に実践していこうと考えていた。
【考察】
1)臨床看護研究への違和感を抱きつつも看護実践に活かす研究課題を探求する:大学という研
究環境が整った中で看護研究の基礎的知識を学んだ大卒看護師は、不十分な文献検討の中で
厳格性を欠く研究方法で行う臨床看護研究に、研究の概念そのものを転換するよう迫られる
経験をしていた。臨床看護研究に違和感を抱きつつ避けては通れないものと捉えた大卒看護
師は、短期間で日常的な疑問を看護実践に活かすための研究課題へと洗練させていった。
2)看護実践に還元するために科学的であろうとする:研究を拒むこともできず、引き受けるこ
とを自身に納得させた参加者たちは、よりよい看護実践に向けて、大学で培われた探求心や
好奇心を原動力にして、研究にのめり込んでいった。そこには、患者の看護に活かすための
根拠を見出したいという合理的根拠づけの思考があり、臨床現場での様々な問題解決や実践
の振り返りを目的に、より科学的な研究方法を試行錯誤していた。
3)研究活動を通してチームに影響しうる存在になっていく:研究への強い使命感で研究を進め
ていた大卒看護師は、様々な困難に直面しながらも研究チームにおける個々のメンバーの状
況を理解し、メンバーが持てる能力を発揮できるよう調整して、研究チーム全体をけん引す
る存在となっていた。チームとして協働して行った研究の成果を報告し終えた大卒看護師は、
自ら行った研究を厳しく評価しながらも、メンバーから大きな力を得られ自身も高められる
組織としての学びに気づき、臨床における看護研究の意義を見出していた。
論文審査の結果の要旨
本研究は、大学で看護研究を習得した看護系大学出身の看護師を対象に、臨床で看護研究を
行う過程で経験する出来事とそれを本人がどのように意味づけているのかを明らかにする目的
で実施された。研究方法として、看護研究開始から結果発表に至るまでを、平均 10 ヶ月と長期
に渡る縦断的なインタビューを用いた。今回の研究において、今後臨床現場で活躍を期待され
る看護系大学を卒業した看護師に焦点を当て、また研究活動の過程に沿って1名につき 5 回か
ら6回という綿密なインタビューを行った点で大きな意義があり、研究としてオリジナリティ
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があるとの評価を得た。
結果においては、研究活動における各時期での参加者の体験が丁寧に描かれ、参加者の研究
に対する捉え方の変化、また多くの困難な経験を乗り越えていく過程も詳細に描かれているこ
とに意義があるとの評価を得た。さらに、看護系大学出身の看護師が現場の改善に向けて研究
的視点で取り組んでいる姿も描かれ、特に看護系大学出身の看護師のクリティカルシンキング
等の思考の特徴が示されたことは新たな発見であるとの評価も得た。
今回の研究を通して、4 年制大学の看護基礎教育課程において、「看護研究」を履修する意義
を確認できる結果となり、今後も積極的に履修を勧めることの重要性が示唆された。また、看
護系大学出身の中堅看護師が行う臨床での看護研究が、看護師自身の学びや成長だけでなく、
看護実践の向上にもつながる可能性も示唆され、今後のキャリア支援に活かされることが期待
された。
博士学位論文審査会では、本論文を学位規程第 3 条に定める博士(看護学)の学位論文として
「合格」と判定した。その後、口頭での最終試験を行い、これについても「合格」と認めた。
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博
士
学
位
論
文
内容の要旨および審査結果の要旨
第 22 集
平成 27 年 6 月 12 日
編集・発行
日本赤十字看護大学大学院
〒150-0012
東京都渋谷区広尾 4-1-3