灰 と 幻 想 の グ リ ム ガ ル le v e l.2

灰と幻想のグリムガル
大切じゃないものなんか、ない。
level.2
十文字青
1.格 の 違 い
7
﹂
﹁何 だ何 だ何 だーっ ﹂ ランタが天 パ頭 をブルンブルン振 ってあたりを見 まわした。
午後六時 の鐘。 だいたい、 こんなめちゃくちゃな鳴 らし方
│
オルタナの市場 にけたたましい鐘 の音 が鳴 り響 きはじめた。
﹁ あ、六時﹂ ハ ル ヒ ロ は眉 を ひ そ め た。﹁⋮⋮ じ ゃ な い よ ね? さ っ き、七回鳴 っ た し。
カンカンカンカンカンカンッ。
戦利品 を買取商 に売 り払 い、今日 の けを山分 けして、 さあこれからどうしようかと話
しあうでもなくだらだら話 している最中 だった。
イラスト/白井鋭利
﹂
わあああぁっと喚声 があがった。 どこだろう。 けっこう遠 くだ。
ランタが鼻 の穴 を広 げて﹁ おいおいおいおい!﹂ とか﹁ おーおーおー!﹂ とか叫 んでい
る。 なんでテンション上 がってんだよ。馬鹿 じゃないのか。
﹁ え﹂ ハルヒロは首 をひねった。意味 はわかるが、耳慣 れない言葉 だ。
﹁敵襲 って
│
モグゾーは兜 の後 ろを撫 でながら、不安 そうにきょろきょろしている。﹁⋮⋮ もー?﹂
﹁ まさか⋮⋮﹂ メリイはちょっとだけ腰 を落 として両目 をすぼめた。﹁敵襲?﹂
﹁非常事態⋮⋮ っぽい?﹂ シホルはユメに身体 をすり寄 せた。
﹁ んぬー﹂ ユメはお下 げをくいっと引 っぱり、目 をぱちくりさせた。﹁何 やろなあ﹂
!?
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1.格 の 違 い
9
﹁ メリイ、敵 って﹂ とハルヒロが
えた。
0
0
た!﹂
﹁侵入 された⋮⋮!﹂
0
くと、 メリイは口早 に﹁ おそらく、 オーク﹂ とだけ答
オーク?
﹁逃 げろ!﹂ と誰 かがわめいた。﹁ オーク!﹂﹁ オークだぞ!﹂
﹁ オークだ!﹂﹁ オークがき
﹁ ほ?﹂ ユメは顎 に人差 し指 をあてた。﹁ オークラくんは誰 の親友 なん?﹂
﹁違 うだろっ!﹂ ハルヒロは反射的 にツッコミを入 れた。 そのときだった。
﹂ ランタはあらがおうとしているが、無駄 な抵抗 だ。﹁何 だよこれっ ﹂
市場 を思 い思 いに行 き交 っていた人々 が激流 と化 したのだ。 あっという間 だった。 ハル
ヒロたちは人波 にもまれた。 もう押 されるまま移動 することしかできない。
│
﹁ ちょっ
ところまではよかったのだが、人々 にぐいぐい押 さ
﹁ ハ ル く ん!﹂ ユ メ の声 が す る。﹁ ハ ル⋮⋮
﹂ あ れ は メ リ イ の声 だ ろ う か。 モ グ ゾ ー の
れまくって、仲間 たちから引 き離 されてしまった。
して、見事 に帽子 をキャッチした
│
﹁ ぼ、帽子、 が⋮⋮ っ﹂ シホルの帽子 が脱 げた。 ハルヒロはとっさに﹁ おっ﹂ と手 をのば
蹴 られたりしていて大変 そうだ。
﹁ うわぁわぁぁ﹂ モグゾーは目 を回 している。身体 がでかいぶん、 かなり肘 で突 かれたり
!?
りあえず、流 されるまま進 むしかない。
敵襲、 とメリイが言 っていた。敵?
ころじゃないって。
それで、誰 も彼 も逃 げている?
だけど逃 げるって、
露店 がひっくり返 され、品物 が散乱 して踏 み荒 らされている。 もったいない。骨組 みが
へし折 られて、 ぶっ倒 れている屋台 もあった。店 の人、 ショックだろうな。 いや、 それど
が、敵 に襲 われている。 それってもしかして、 やばいんじゃないの⋮⋮?
│
ここ、街 だし。 みんなここに住 んでるわけだし。 オルタナは高 くて厚 い壁 に囲 まれてい
る。 ここより安全 な場所 なんてない
はずだ。 と思 う。 たぶん。 その安全 なはずの場所
どこにだよ?
ルタナが攻 められてるってこと?
オーク。
なんとなく聞 き覚 えがあるような、 ないような。 とにかく、何 か普通 じゃないことが起
こっているのだ。敵襲 だから、 ようするに敵 が攻 めてきた? オークとかってやつに、 オ
オークって⋮⋮?
気 をつけなきゃいけないのは、 むしろこっちか。へたに流 れに逆 らったら、突 き倒 され
る。蹴 っ飛 ばされる。踏 みにじられて、死 んでしまったりしかねない。 それはいやだ。 と
いるのかわからない。
﹁ みんな、気 をつけて⋮⋮!﹂
﹁ み、 みんな⋮⋮!﹂ ハルヒロは必死 に手 を振 った。 だめだ。 もはやモグゾーさえどこに
頭 だけはかろうじて見 える。 でも、 そっちのほうにはどうやっても行 けない。
!?
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1.格 の 違 い
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﹁ ぎゃあああああああぁぁぁぁぁ⋮⋮!﹂ という悲鳴 が進行方向 から聞 こえてきた。
﹁ いる、敵 が⋮⋮!﹂﹁ あっちはだめだ!﹂﹁逃 げろ、逆方向 に⋮⋮!﹂
│
お、押 すなって⋮⋮!﹂
て か、苦
途端 に人 の波 が逆流 しはじめた。 でも、 いきなりは無理 だって。前 のほうにいる人 たち
は方向転換 しようとしているが、後 ろのほうの人 たちはそのまま進 もうとしている。悪 い
しいんだけど!
こ と に、 ハ ル ヒ ロ は ち ょ う ど そ の境目 あ た り に い て、身動 き が と れ な い。
﹁
このままでは圧死 する。 そんな死 に方、冗談 じゃない。 ハルヒロはなんとか人 を押 しの
け、 かいくぐって、 その先 に壊 れていない、暗 い色 の幕 が下 ろされた屋台 があったので、
中 に入 りこんだ。
﹁ うっ、くっさ⋮⋮﹂
たらしい、 アクセサリー?
みたいな物 とか。
変 なにおいがする。 においだけじゃない。陳列台 や棚 に並 んでいる物 がそもそも変 だ。
生 き物 の死骸? 剝製? あとは骨 とか、歯 とか、羽根 とか。 それらを組 みあわせて作 っ
﹁ こっちへおいで﹂
られたので、 ハルヒロはおずおずと奥 のほうに進 んだ。
突然、声 がして、 ハルヒロは﹁ ひっ﹂ と跳 びあがった。見 ると、屋台 の奥 で黒 っぽい服
を着 たしわくちゃの老婆 が手招 きしている。 あからさまにあやしい。迷 っていると、老婆
に﹁早 くおし!﹂ と
﹁⋮⋮ ええと、 ここは、 おばあさんの店⋮⋮ ですか?﹂
﹁ おばあさんなんて、失礼 な若造 だね。 レディーと呼 んどくれ﹂
﹁ レ、 レディー﹂ とハルヒロが言 いなおしたら、老婆 はニヤッと笑 った。
﹁ ゴー﹂
﹁⋮⋮ や、 そっちのレディーじゃないよね?﹂
﹁切 れがないツッコミだねえ﹂
そもそもボケが微妙 だったせいだろ何 なんだよこのババアとハルヒロは思 ったが、口 に
は出 さないでおいた。
老婆 は、 やれやれ、 と肩 をすくめた。﹁ あたしは、 バーバ﹂
﹁ まんまかよ﹂
│
あたしはバーバ。 まじない師 だよ。見 てのとおり、
﹁ ふん。さっきよりはマシなツッコミだね﹂
﹁ そりゃどうも⋮⋮﹂
﹁精進 しな。 まあいい。 あらためて
この店 でまじないグッズを売 ってる。 おまえさんは義勇兵 かい﹂
といっても、 この屋台 は幕 で覆 われているので、 どうなっているのか見 えない。 でも、 ま
﹁ そう、だけど﹂ ハルヒロは鼻 で息 をしないように注意 しながら、外 のほうに目 をやった。
だかなり騒 がしいから、事件 は継続中 だろう。
﹁⋮⋮事件、 なのかな。事件 か﹂
﹁ オークかい。 まあ、 たまぁーにはあることさね。 ん?
﹁ まあ、長 くはないっすけど。義勇兵歴﹂
﹂
﹁ その感 じだと、童貞 だろ﹂
﹁ どっ⋮⋮
若 いんだろ! 女 とやりたい、 オークを殺 したい!
﹁ そういうの、 なんかめんどくさいんで﹂
てことはあんた、新兵 かい﹂
欲 を出 さないでどうするよ!﹂
│
がある。
﹁ あほうっ!﹂ バーバは唾 を飛 ばしてさらに言 いつのろうとしたみたいだが、 バッ
幕 がめくられた。
いや、何 か?
﹁ あ⋮⋮﹂ ハルヒロはまばたきをした。
│
誰 か入 ってきたのだ。誰 か
人⋮⋮ じゃない。
だって、肌 が緑色 だ。
身体 は大 きい。背丈 よりも、横幅 が。厚 みがすごい。
鼻 は潰れていて、耳 は小 さく尖 っていて、口 が大 きくて、猪 みたいな
髪 の毛 が真 っ赤 だ。
鎧 を着ていて、重 そうな片刃 の剣 を持 っている。
﹁ え っ、 お、 お れ
ぎ、義勇兵、 やっつけな!
童貞卒業 のチャンスだよ!﹂
ほれ、気張 りな、盗賊!﹂ バーバはハルヒロの背中 を、 ど
言語 で何 か怒鳴 って剣 で突 いてくる。
りつけられた。
﹂ ハルヒロはかわす。 なんとかよけたら陳列台 に倒 れこんでしまっ
オークは陳列台 に上 がって追 いかけてきた。﹁ オッシュバグダ⋮⋮ ッ!﹂
﹁ んなこと言 われたって⋮⋮!﹂ ハルヒロは陳列台 の上 を転 がって逃 げる。
て、 バーバに﹁ こら、 なんてことするんだい!﹂ と
﹁ いやいやいや⋮⋮
かオッとかが多 い
そうになりながらオークに近 づいてゆく羽目 になった。 オークはシュとかシャとかバッと
んっ、 と押 した。 ババアというわりには力 が強 い。 ハルヒロは﹁ わっ、 わ、 わっ﹂ と転 び
﹁ あたしなんかババアだよ!
と、盗賊 だし、 おれ!﹂
﹂ ハ ル ヒ ロ は ダ ガ ー を抜 こ う と し た が、手 に つ か な い。
﹁ む、 む、無
中 に入 ってくるとは!
│
何 だ、 あいつ。
﹁
オ ー ク だ﹂ と バ ー バ が呻 く よ う に言 っ て、何 か棒 み た い な物 を手 に と っ た。
﹁店 の
と、
﹁ 覇 気 が な い!﹂ バ ー バ は ハ ル ヒ ロ に 人 差 し 指 を 突 き つ け た。
﹁ お ま え さ ん、 男 だ ろ!
﹁⋮⋮ もう、 シングルでもダブルでもトリプルでも、何 でもいいっす﹂
ダブル童貞 かい﹂
クを殺 して一人前。 その経験 がないやつは童貞扱 いされるものなのさ。何 だ、 おまえさん、
﹁馬鹿 だね。女 とやったことがあるかどうかって話 をしてるんじゃないよ。義勇兵 はオー
!?
理 だって、一人 じゃ!
!?
!?
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こない?﹂
ばい。 しゃれになってない。 ハルヒロは幕 に突 っこんで、屋台 の外 に出 た。
だめだ。死 ぬ。 マジで殺 される。 ハルヒロは﹁ ひいいいぃぃぃ!﹂ と悲鳴 をあげつつ、
手当 たり次第 に物 を投 げた。 ぶつけられても、 オークはおかまいなしだ。 やばいやばいや
﹁⋮⋮ れ?
と思 っ た ら、屋台 の中 か ら﹁ こ、 こ ら義勇兵!﹂ と バ ー バ の声 が し た。﹁ あ ん た、 こ の
哀 れなババアを見捨 てる気 かい! 人 でなしが⋮⋮!﹂
﹁ そうは言 うけどさ⋮⋮﹂
遠 くに別 のオークの姿 が見 えた。敵襲 というくらいだからあたりまえかもしれないが、
オークは一人 じゃない。何人 もいる。 まずい。
これはまずい。大 いにまずい。
逃 げよう。誰 かがドッカーンとオークをやっつけてくれるまで、 どこかに隠 れていよう。
バーバなんて知 ったことじゃない。見知 らぬ他人 だし。助 ける義理 なんかない。助 けられ
そうにないし。
﹁ しょうがない⋮⋮ よね?﹂
ハルヒロは一 つ息 をついた。
│
そして、勢 いよくバーバの屋台 の幕 をまくりあげた。
﹁
くっそ⋮⋮!﹂
なんでだよ。何 をやってるんだ、自分。逃 げるんじゃなかったのか。 いや、 そりゃ逃 げ
たいのは山々 だけどさ。 いくら赤 の他人 でも、見捨 てたりしたらさすがに寝覚 めが悪 い。
だから、 しょうがなかった。本当 に気 が進 まないのだが、人 としてこうするしか。
│
オ ー ク が剣 を振 り お ろ し、 バ ー バ は そ れ を杖 で受 け止 め て、﹁ ふ ん っ ぬ ぬ ぬ ぬ⋮⋮﹂ と
顔 を真 っ赤 にしている。 なんとか受 け止 めてはいるものの
ぎりぎりだよな。 どう見 て
も。 バーバはしゃがみこんでしまっている。 これ以上 ないくらい必死 だ。 ていうかよかっ
の背中 めがけて突撃 する。
﹁背面打突⋮⋮!﹂
い
たよね、杖 が頑丈 で。感心 している場合 じゃないか。 ハルヒロはダガーを抜 いた。 オーク
﹁ ガシュハッ!﹂
ガッッと刃先 が滑 った。鎧 だ。弾 かれた。 オークが振 り向 く。
﹁義勇兵 っ!﹂ バーバは目 を輝 かせた。﹁恋 に落 ちそうだよ!﹂
﹁ や め て く れ る マ ジ で!﹂ ハ ル ヒ ロ は オ ー ク に背 を向 け た。﹁ こ、 こ っ ち こ い!
や、 こなくてもいいけど⋮⋮!﹂
軽装 で全力疾走 している。 でも、 ぜんぜん引 き離 せない。﹁怖 ぇーよ、 もう⋮⋮!﹂
走 っていると、 すぐに息 があがった。 オークはけっこう重装備 なのに、速い。 ハルヒロは
シ ュ ハ ッ シ ュ ッ!﹂ と か言 い な が ら追 い か け て く る。 ハ ル ヒ ロ は屋台 か ら出 て逃 げ る。
残念 ながら、 オークは標的 をバーバからハルヒロに変更 したみたいだ。 あーやめればよ
か っ た。 や っ ぱ り逃 げ ち ゃ え ば よ か っ た。後悔先 に立 た ず だ。 オ ー ク が﹁ ハ ッ シ ュ ハ ッ
!?
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1.格 の 違 い
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弱音 を吐 きながらも、小道 に入 ったり屋台 と屋台 の間 を強引 に通 り抜 けたりして、 ハル
ヒロはなんとかオークを撒 こうとした。
オークは、 しかし、鎧 をガッシャガシャ鳴 らして、 どこまでもどこまでもついてくる。
そろそろあきらめたくなってきた。 あの、 すいませーん。 ゴールしちゃってもいいっす
か。 いいよね?
向 こうの角 を曲 がったら、 ゴールということにしよう。 そこまでは粘 ろう。 それ以上 は
たぶん、無理。気力 と体力 の限界。引退 します。 ごめんなさい。
ハルヒロは半 ば倒 れこむようにして角 を曲 がった。
﹁ しゃがめ⋮⋮!﹂ と低 い、 ハスキーな声 が怒鳴 った。
とっさにそのとおりにすると、頭上 を何 かが通 りすぎていった。
何 かというか、剣 だ。
角 の向 こ う に誰 か が い て、 そ の誰 か が ハ ス キ ー な声 の主 で、 そ い つ が剣 を横薙 ぎ に振
るったのだ。
剣 はハルヒロに追 いすがろうとしていたオークに命中 した。
﹁ オゴッ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮ え﹂
ハルヒロは振 り向 いた。
│
オークは首 を刎 ね飛 ばされていた。 こっちに背 を向 けている銀髪 の男 がやったのだ。
レンジ。
は ず な の だ が、 と て も そ ん な ふ う に は見 え な
ハ ル ヒ ロ と同 じ日 に義 勇 兵 に な っ た
い。 かっこいい鎧 を身 につけているうえに、 ファー付 きの陣羽織 なんか着 ちゃっているし。
0
0
持 っている剣 もごつくてすごそうだし。最初 から違 うやつだと思 ってはいたが、 それにし
てもこの差 は大 きい。大 きすぎる。 だって、一撃 だよ?
たった一撃 で、 オークをしとめてしまうなんて。
﹁大丈夫 か﹂ とレンジに かれて、 ハルヒロはカクカクッとうなずいた。 うっわ。 かっこ
おうとしたら、声 が飛 んできた。
﹁ レンジ、 まだいやがるぞ⋮⋮!﹂
悪 っ。 なっさけなっ。猛烈 に恥 ずかしい。慌 てて立 ちあがって、 とりあえず礼 くらいは言
見 ると、立派 な鎧 を着 た丸刈 りの男 が道 の向 こうを指 さしている。ロンだ。 ロンが指 し
示 している方向 から、 オークが。 しかも、一人 じゃない。二人。 いや、三人 も。
﹁ ジール・ メア・ グラム・フェル・ カノン﹂黒縁眼鏡 をかけた魔法使 いアダチが、杖 の先
はさっぱりわからない。 とにかく青 っぽい魔法生物 が飛 んでいって、一人 のオークの脚 に
でエレメンタル文字 を描 きながら呪文 を唱 えた。 あれは何 の魔法 なのだろう。 ハルヒロに
絡 みついた。 オークは脚 をもつれさせて、転 びはしなかったが、 どうやら思 うように歩 け
ないみたいだ。
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1.格 の 違 い
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│
ただ、仲間 が一人遅 れても、二人 のオークはかまわず駆 けてくる。
と、路地 から長 い脚 がぬっと出 てきて、一人 のオークの膝 を踏 みつけるように蹴 っ
た。絶妙 のタイミングだった。 あれはかわせない。 おそらく、盗賊 のスキル、喧嘩殺法 の
膝砕 だ。 オークが﹁ ギャオッ﹂ とつんのめる。誰 の仕業 なのか。 あの派手 な装 い。露出度
高 っ。色 っぽい。 サッサか。
﹁ よくやった⋮⋮!﹂ ロンが進 みでて、 オークと斬 り結 ぶ。 ロンも小柄 ではないが、 オー
ク は け っ こ う す ご い体格 を し て い る。 そ れ で も、 ロ ン が押 し て い る よ う に見 え る。
﹁おら
おらおらおらおらぁ⋮⋮ ッ!﹂
│
でも、サッサに膝砕 をお見舞 いされたオークが、痛 そうにしながらも体勢 を立 てなおし
て、仲間 に加勢 しようとしている。
と言 うには、彼女 はちっちゃす
そうはさせまいと、 そのオークの前 に立 ちふさがる
ぎる。 たぶん、百五十 センチないだろう。神官 の服 を着 て、短 い杖 のような物 を手 に持 っ
ん、 いったい何 をするつもりなのか。
ているが、子供 が頑張 ってそれっぽい恰好 をしているようにしか見 えない。 あのチビちゃ
﹁ ぃぁ⋮⋮ っ﹂ チビちゃんは杖 を前 に出 した。
オークが﹁ フアッ!﹂ と剣 で杖 を払 う。
﹁ なっ⋮⋮﹂ ハルヒロは声 を失 った。
﹂ オークは崩 れ落 ちこそしなかったものの、足 が止 まった。
│
杖 は弾かれずに弧 を描 いた。杖 ごとチビちゃんがくるっと回 る。 その勢 いのまま、 チビ
ちゃんはオークの下腹部 を杖 で一撃 した。
﹁
ゃぁ⋮⋮ っ!﹂
﹁ ゴ、 フッ⋮⋮
ハルヒロは見 とれてしまった。
おらぐぉらぁー⋮⋮ っ!﹂
その大声 に気 をとられている間 に、 レンジが残 りの一人、 アダチの魔法 で足止 めされて
いるオークに肉薄 していた。
⋮⋮ すっげー力任 せ。 あと、声 でかっ。
の頭 をかち割 った。
﹁ どぅらぁっ!
膝 をつかせた。 こうなってしまったら勝 ちだ。 ロンは矢継 ぎ早 に剣 を振 りおろし、 オーク
﹁ おおおおおおおおぉぉぉ⋮⋮!﹂ とロンが攻 めに攻 めて攻 めまくり、 とうとうオークに
ひっくり返 りかけて、 あわあわしているオークなんて、 レンジにとっては物 の数 に入 ら
ないだろう。 レンジはオークの喉元 に剣 を突 き入 れ、 ねじ斬 った。
レンジは剣 を引 き抜 きながら、 オークの胸板 を蹴 っ飛 ばした。
次 の瞬間 にはもう、 レンジのごつい剣 がオークの肩口 に食 いこんでいた。 オークは頑丈
そうな鎧 を着 けているのに、 レンジの手 にかかれば関係 ないのか。
﹁上出来 だ、 チビ﹂
跳 び下 がったチビちゃんの頭 を、 レンジが大 きな手 で撫 でた。
﹁ ぁぅ⋮⋮﹂ チビちゃんの顔 が真 っ赤 に染 まる。
!?
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1.格 の 違 い
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あの体重移動。
盗賊 ギルドのバルバラ先生 はまったく足音 を立 てないでするする歩いたり走 ったりする
が、 あれに似 ている。
あの剣捌 き。
かなり重 そうな剣 なのに、 レンジは自分 の腕 を振 るように操 る。
レンジはまるで紙 でも切 るみたいにオークの首 を断 ち斬 った。
│
いや斬れないでしょ、骨 とか硬 いし、 そんなふうには。
と思 うのに、実際、 スパッと斬 れてしまっているのだから不思議 だ。
﹁一丁上 がりか﹂ ロンが剣 の平 で自分 の肩 をぽんぽんと叩 いた。
ハルヒロはボーッとしていた。
│
もしかしたら、 かえってそのおかげで気 づいたのかもしれない。 どこか一点 を注視 する
のではなくて、全体 をなんとなく、見 るともなく見 るような感 じになっていて
何 かが
動 いた。
建物 の上 だ。屋根 の上。
ハルヒロはとっさに叫 んだ。﹁ レンジ、上⋮⋮!﹂
﹁ ッ⋮⋮!﹂ レンジは即座 に跳 びすさった。
一瞬 でも遅 れていたら、レンジはバッサリやられていただろう。
そいつは建物 から飛 び降 りてレンジに躍 りかかったのだ。 オーク。 もちろん、 オークだ。
髪 は白 い。光沢 があるから、銀色 にも見 える。奇 しくも、 レンジも銀髪 だ。銀髪 はやばい
の法則 でもあるのか。 あのオークも明 らかにやばい。身体 も大 きいが、黒 っぽい鎧 を身 に
つけた上 に、虎柄 というかたぶん虎 の毛皮 のマントをつけていて、 ド派手 でやばい。顔 に
びっしりと施 された入 れ墨 が凶暴 そうでやばい。目 つきがやばい。黄色 い瞳 が獰猛 そうで
やばい。 それでいて表情 は落 ちつきはらっていて、 けっこう頭 がよさそうでやばい。
そして、剣。 そのオークが持 っている片刃 の剣 が、紫色 っぽくて長 くて分厚 くて鋭 そう
で、峰 がギザギザになっていて、 そうとうやばい。
ついでに、 そのオークがレンジに向 きなおると、周 りの建物 の屋根 の上 に十人 くらいの
オークたちがぬっと姿 を現 して、本当 にどうしようもなくやばい。
│
オークたちが屋根 から下 りようとしたら、虎 マントのボスっぽいオークが左手 をあげて
制 した。それからやつは﹁ オレ﹂ と言 った。
え? オレ⋮⋮?
﹁ イシュ・ ドグラン。 オマエ、 ナンダ﹂
しゃべった。
オークが、片言 ではあるものの、人間 の言葉 を。
レンジはちょっとだけ口許 をゆるめた。 どうやら笑 ったらしい。 よく笑 えるものだ。 こ
の状況 で笑 うとか、 おかしくない? おかしいよね?
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1.格 の 違 い
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﹁ レンジだ。俺 とやろうってのか、 イシュ・ ドグラン﹂
あげると、他 のオークたちはそろって武器 を下 ろした。 もしかして、一騎打 ちをする宣言
﹁ オンガシュラッドゥ!﹂ と、 イシュ・ ドグランとかいうらしいオークのボスが声 を張 り
でもしたのか。
﹁ おまえらも手 を出 すな﹂ とレンジが仲間 たちに向 かって低 く言 った。
やるのか。
やっちゃうんですか。本当 に?
本気 らしい。
というかもう、二人 は打 ちあっている。
いったいどっちが先手 をとったのか。 ハルヒロにはよくわからない。 でも、二人 の剣 が
ガッツンガッツン衝突 している。火花 が散 る。
鍔迫 り合 いになった。
押 しあう。
だけじゃなくて、微妙 に位置 どりを変 えながら、膝 をぶつけあっている。 もしハルヒロ
があんなふうに膝蹴 りされたら、一発 で転 んでしまうだろう。互 いに相手 の体勢 を崩 そう
としているのだ。 だけど崩 れない。
パッと離 れた。
イシュ・ ドグランがレンジの脚 を狙 う。 レンジは跳 んでこれをかわし、 イシュ・ ドグラ
ンの頭 に斬 りつけた。
│
マントだ。虎皮 のマント
イシュ・ ドグランはこれを手甲 で弾 いて、 すっと身 を沈 め
をレンジに投 げつけた。 ハルヒロは完全 に意表 を衝 かれたが、 レンジは違 った。慌 てず騒
がず左手 でマントを鷲 づかみにして、剣 でイシュ・ ドグランを突 く。 イシュ・ ドグランは
たぶん、 いきなりのマント攻撃 でレンジをびびらせて隙 を作 ろうとしたのだろう。 その試
みが失敗 して、下 がる。下 がって、低 く身構 えた。
﹁ イイゾ。 ニンゲン。 オマエ、 イイ、 センシダ﹂
﹁ そうか﹂
倒 せ⋮⋮!
レンジは短 く答 えながらイシュ・ ドグランに迫 る。 また打 ちあいだ。今度 は、 でも、 レ
ン ジ が攻 め て い る。 ハ ル ヒ ロ は知 ら ず に拳 を握 り し め て い た。 い け る。 倒 せ る。 い け。
いっちゃえ。 やれ!
いけそうだと思 ったのに。
そう見 えたのだ。 レンジは優勢 だった。 そのはずなのに、突然、 イシュ・ ドグランの剣
がレンジの左腕 を深 く斬 り裂 いた。
なんで⋮⋮?
わからない。 ハルヒロにはさっぱり。
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1.格 の 違 い
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げた。
レンジは距離 をとって、左腕 を振 った。肘 のあたりにそうとうな傷 を負 っている。 もの
すごい血 だ。 レンジの仲間 たちが声 をあげたり息 をのんだりして、 オークたちは歓声 をあ
レンジは左腕 をだらっと下 げて、右手 だけで剣 を扱 うつもりみたいだ。 というか、 あの
怪我 だとそうするしかないか。 レンジの剣 はでかいし、不利 だ。
それなのに、 レンジは、 ふう、 と息 をついて、笑 った。
﹁ やるな﹂
さっきとは違 う。
口許 をゆるめただけじゃない。顔全体 を、 にい⋮⋮ と笑 わせた。
ぞっとした。 ハルヒロは正直、怖 い、 と思 った。レンジが怖 い。 まあ、最初 から怖 かっ
たけど。
レンジがまた攻 めに出 る。 イシュ・ ドグランはレンジの剣 をガッとそらした。 イシュ・
ドグランは両手持 ちで、 レンジは片手持 ちだ。 どうしてもレンジの斬撃 のほうが軽 くなる。
まともに打 ちあったって勝 てないだろ。
実際、 レンジは剣 を吹 っ飛 ばされそうになって、 なんとか持 ちこたえはしたが、顔 から
胸 までがガラ空 きになった。 やばいって。
﹁ ぃっ⋮⋮!﹂ とチビちゃんが叫 んだ。
イシュ・ ドグランが、 レンジの顔面 に裏拳 をドゴッと叩 きこんだのだ。素手 じゃない。
イシュ・ ドグランの手甲 はたぶん金属製 で、拳 まで覆 っている。 レンジの鼻 が切 れ、潰 れ
て、一瞬 で血塗 れになった。
それでもレンジは笑 っている。 まだ攻 める。
攻 めては撥 ね返 され、弾 かれて、反撃 を食 らう。
オッシュッ!
オッシュッ!﹂ オークたちが足 を踏 み鳴 らして大騒 ぎし
また、 イシュ・ ドグランの凶暴 な剣 は、多少 の装甲 なら引 き裂 いてしまう。
みるみるうちにレンジは傷 だらけになった。 レンジも鎧 を着 ているが、全身 を隈 なく防
護 するタイプの鎧 じゃない。隙間 がある。 イシュ・ ドグランの攻撃 は的確 にそこを衝 く。
ている。
﹁ オッシュッ!
レンジは攻 めつづけているが、見 ているのがつらい。 もう意地 だけだろ。 それか、守 り
に回 ったら即 やられるから、攻 めるしかない、 みたいな。
チビちゃん!
サッサ!
レンジが死 んじまうぞ!﹂
﹁ ロ ン!﹂ ハ ル ヒ ロ は 我 慢 で き な く な っ た。﹁ い い の か よ、 レ ン ジ の こ と 助 け な く て!
アダチ!
でせせら笑 ってみせた。
﹁ あとであたしたちがレンジに殺 される﹂
﹁ そんなことしたら﹂ サッサは顔色 が悪 い。脂汗 までかきながらも、無理 やりという感 じ
﹁ ぅぁー⋮⋮ っ!﹂ チビちゃんがすごい形相 で何 か言 った。 まるで念 を送 るみたいに。
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それが合図 だったわけじゃないとは思 うけど。
レンジが攻 めて、イシュ・ ドグランがレンジの剣 をガッとそらした。少 し前に似 たよう
な光景 を見 た。 レンジは剣 を吹 っ飛 ばされそうになって、 どうにか持 ちこたえる。 でも、
顔から胸 までがガラ空 きだ。 やばい。 さっきとまったく同 じだ。 やられる。
イシュ・ ドグランは、 レンジの顔面 を殴 ろうとしたのか。
させなかった。
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両手持 ち。 レ ン ジ は と っ さ に剣 を両手持 ち し て振 り あ げ た。 イ シ ュ・ ド グ ラ ン は の け
ぞってそれをかわした
けど、 そんな馬鹿 な。左手 は使 えなくなっていたはずじゃ。 で
も、 げんにレンジはしっかりと剣 を両手 で握 っている。
﹁ オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ⋮⋮ ッ!﹂
レンジが血 に餓 えた野獣 みたいに咆吼 した。
それでイシュ・ ドグランが怯 んだとは思 えないが、一瞬動 きが止 まったように見 えた。
レンジが斜 めに振 りおろした剣 が、 イシュ・ ドグランの左肩 にめりこんだ。
次 の瞬間、 レンジは剣 を手放 した。
イシュ・ ドグランを押 し倒 して、殴 る。
息 もつかせず殴 る。
規則的 に殴 る。 むしろ丹念 に殴 る。
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1.格 の 違 い
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イシュ・ ドグランはもう動 かない。
あたりは静 まりかえっていて、 レンジがイシュ・ ドグランを殴 りつける鈍 い音 だけが響
いている。
レンジの身体 だけが躍動 している。
最後 にレンジは、両手 を組 みあわせて高々 と振 りかぶった。
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それをイシュ・ ドグランの顔 だったものに叩 きつけた。
そして、深 いため息 をつき、首 を左右 に曲 げた。
﹁悪 くなかった。 イシュ・ ドグラン。 おまえの名前 は覚 えておいてやる﹂
ロンが、 ふん、 と鼻 を鳴らした。﹁ ボロボロじゃねえか﹂
アダチは眼鏡 を光 らせて、建物 の上 にいるオークたちを睨 んでいる。
サッサは今 にも倒 れそうだ。 チビちゃんがレンジめがけて駆 けてゆく。
レンジはチビちゃんを追 い払 ってイシュ・ ドグランの剣 を拾 いあげ、 その切 っ先 をオー
ク た ち の ほ う に向 け た。
﹁ お ま え た ち は ど う す る。 や る な ら、 い っ ぺ ん に か か っ て こ い。
それはさすがにちょっと、 ハッタリきかせすぎじゃない⋮⋮?
相手 してやる﹂
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いや
ハルヒロとしてはそう思 えてしょうがなかった。生 きた心地 がしなかったが、 こういう
ときはあれくらい大 きく出 たほうがいいものなのか。
一人 のオークが腕 を振 った。何人 かのオークが抗議 するみたいに唸 るような声 を出 した
が、腕 を振 ったオークに目 を向 けられると黙 った。
オークたちが一斉 に退 きはじめた。
﹁ た⋮⋮﹂ ハルヒロはあやうくへたりこんでしまうところだった。﹁助 かっ⋮⋮ た?﹂
ぜんぶ目 の前 で起 こったことだ。 でも、 まだ信 じられない。 ハルヒロはレンジを見 つめ
た。何度 も見 なおした。 レンジってほんとにすごいんだ。強 いんだ。我 が身 に引 き比 べて
羨 んだり卑屈 になったりするのも馬鹿馬鹿 しい。⋮⋮ レンジ、 やばい。
やばすぎる。
﹁ あ﹂ ハルヒロは自分 の手に目 を落 とした。 それから、 あちこち見 まわした。 ない。
シ ホ ル の帽子。魔法使 い の帽子 が な い。 い つ ま で持 っ て い た っ け。 そ れ ど こ ろ じ ゃ な
かったので、覚 えていない。 とにかく、 なくしてしまったようだ。
﹁何 やってんだよ、 おれ⋮⋮﹂
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