日本語敎育硏究 第31輯(2015 2. 28. pp.149~162) * 日本語スタイル切換え能力の習得と維持のメカニズム -帰国10年後の元学習者の推量·確認要求表現の場合- 李吉鎔** 8) [ 要 旨 ] 本研究は、日本語のコミュニケーション能力の習得および維持に関する研究事例として、元学習者HT氏の 日本語習得期および維持期の談話資料から推量·確認要求のモダリティー形式を取り出し、スタイル切換え の側面から考察を行ったものである。元学習者HT氏の習得期と、帰国後約10年が経過した時点の維持期に、 計12回の縦断的な談話収録調査を行って得た資料を分析した。推量·確認要求表現の習得に関して言えば、 フォーマルな談話ではヨネの使用が多く、ヨネはフォーマルな形式として捉えられるという金京実(2001)の 結果を追認した。カジュアルな談話では地域方言形のヤロウやジャナイカの砕けた表現のジャンなども使用 されていることも明らかになった。特に維持期では、談話のフォーマリティー(formality)に応じて、ジャナイ カとジャナイデスカという丁寧形式の使用有無、ダロウとデショウという形式による区別、またヨネの使用 有無といった3種類の切換えを行っていることがわかった。こうしたHT氏の推量·確認要求表現に関する習得 と維持のメカニズムについて考察した結果を、中間言語の一般的特性に照らすと、永続性(stability)や逆戻り 性(backsliding)、体系性(systematicity)を確認することができた。 キーワード:中間言語、言語維持、スタイル切換え能力、推量、確認要求 1. はじめに 学習者言語は、一般に目標言語に向かって発達していく体系性を持った中間言語(Interlan- guage,IL)として考えられている(Selinker1972など)。学習者は母語の知識と目標言語の知識を活 用して独自の体系を築くことが指摘されているが(李吉鎔2008など)、そこにどのような規則性が あるのか、個別事象の詳細な検討が望まれる。本研究では、研究事例として推量·確認要求表現 の切換え能力という社会言語能力の習得と維持を取り上げるが、そこには次のような社会的理 由(①)と教育的配慮(②)、そして学術的理由(③)がある。すなわち、①学習者の発音や文法項目の ミスに比べ、社会言語的なルール違反に対する母語話者の許容度が低いため(渋谷1992)、②学習 者が日本語でのコミュニケーションの中で円満な人間関係を築き、維持するためにも、ことば の適切な運用を捉えた社会言語能力の習得は緊急を要する。③しかし日本語における第2言語習 得研究を概観すると、助詞や動詞の活用などの文法形態素が中心にある学習者の文法能力の習 得を捉えたものが多く、社会言語能力の習得、中でもスタイル切換え能力の習得に関するもの * This work was supported by the National Research Foundation of Korea Grant funded by the korean Government(NRF-2013S1A5A2A01015164) ** 中央大学校アジア文化学部 副教授,社会言語学 150 日本語敎育硏究 第31輯 は少ない。 そこで本研究では、バリエーション理論)の観点から日本語学習者のスタイル切換えという社 会言語能力の習得を捉え、推量·確認要求表現の切換え能力の習得·使用実態について分析し、そこ にどのような中間言語の一般的特性が見られるか、習得と維持のメカニズムの解明を試みる。 2. 問題のありか 本研究で推量·確認要求表現の切換え能力の習得および維持を取り上げるのは、次の理由による。 第一に、日本語では、話し手と聞き手の情報の保持についての話し手の見積もりによって、ダ ロウとデショウ、ジャナイカなどの表現群のうちから、一つの形式を選択することになる。話し 手が聞き手の有している情報量をどのように設定して言語形式を決定するかは、時として非母 語話者に不適切な談話を生じさせたり、ポライトネスの欠如によるコミュニケーション上の問 題を生じさせたりする。逆に言えば、そこにコミュニケーションを円滑に行おうとする日本語の ポライトネスの実現の仕方が表れていることになる(銅直2001:59)。したがって、推量·確認要求 表現は、日本語学習者においても、日本語での適切な意思疎通を行うために、習得が望ましい 項目の一つである。 第二に、ダロウとデショウ、ジャナイカなどの推量·確認要求表現については、(1)ダロウの意 味機能を統一的に捉えようとした論考(金水1992、森山1992、宮崎1993·2004など)、(2)それぞれの 形式の意味記述や用法間の相違について考察した研究(田野村1988、鄭1992、蓮沼1995、三宅 2011など)、(3)ポライトネスの観点からダロウを扱ったもの(銅直2001など)や、接触言語的観点か らダロウの拡散的用法などについての応用的な研究(簡2009)などがある。学習者言語についての 研究は多いとは言えない状況であるが、金京実(2001)は、OPI談話の『KYコーパス』を用いて韓 国語を母語とする日本語学習者の確認要求表現の使い分けを調べている(表1参照)。 <表1> 各段階における3形式の使用回数(金京実2001:49より引用) よね だろう じゃないか 合計 初級(5人) 0 0 0 0 中級(10人) 0 4 0 4 上級(10人) 39 17 1 57 超級(5人) 43 5 3 51 表1をみると、全体的な出現頻度はヨネが圧倒的に多く、ダロウ(デショウを含む)·ジャナイカ は少ない。このヨネのうち、多くは、下記の例のように、文であらわされる情報が話し手のみに 属するもの、つまりヨに置換可能なものであり、自分しか知らない情報を述べるときにヨネが使 われることが多いという(金京実2001:49)。 [1] S: 大学の違いですね一、私が韓国で出た大学は短大だったんですよね、<KS01> 金京実(2001:50)は、ヨネの多用について、上級と超級段階の日本語学習者はヨネのネが「丁寧
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