建築コスト管理システム研究所

建築
コスト 米国の公共調達における「フェアーで
リーズナブルな価格」をめぐって
No. 8
外国の制度を社会的・文化的背景を無視して,
そのまま当て嵌めようとしても,単純にはいかな
いことが多い。たとえば,数年前の公共調達でよ
うやく導入された入札ボンド制度は,発注者側の
保証措置として米国での伝統的方法をまねたもの
だ。もともと工事完成保証人をたてることが支配
的だった日本では,その不合理を克服する手段と
してのボンド導入を昭和40年代末から検討した経
緯があるが,実現できずにいたものだった。だが,
ここで話題にしたいと える入札価格の“真実性”
は日米でだいぶ異なり,ほとんど相互理解が難し
いとさえ思ってしまうのである。
*
*
*
米国政府の公共調達は FAR(連邦調達規則 the
(注) http://en.wikipedia.org/よ
り。 CFR は Code of Federal
Regulations の 略。右 上 は Title
48の連邦調達規則 FAR の冊子で
8分冊もある。これらは連邦官報
(Federal Register:右図)への
掲載後に CFR に収められる。それ
ぞれインターネットで閲覧可能。
冊子は1年に1度の改訂版が四半
期毎に分けて出る。
図1
米国連邦規則集 C FR と官報
Federal Acquisition Regulations)に則って行わ
れる。これは GSA(連邦調達庁)
,DOD(国防総
しく,厳密な構成になっている。オンラインで閲
省)
,NASA(航空宇宙局)等,多くの連邦機関
覧可能なことや詳細な索引もあり実務には役立つ。
が使っている。総論的な記述部分のみで2分冊,
ところでこの FAR は,1984年に発布したもので
計2,000ページほどの文書であり,連邦機関別の章
比 的に新しく ,連邦権限強化の流れの中で19
を含めると膨大になる。物品・サービス調達等も
世紀末以後に整備されてきた連邦規則集 CFR
含み,建設分野はその一部だが,これほど細かい
(the Code of Federal Regulations)の一部に位
規定でまとまったものは,おそらく日本にはない
ものだろう。用語の定義,いくつかの契約タイプ
別の記述など,繰り返しも多いが,法令文書よろ
それまでは軍・民の機関毎に1940年代にできた別々の
調達基準があった。FAR はいわば,米政府の全省庁の
統一基準といえる。
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表1 全50巻(Title)ある C FR の内容(抄)
:
:
:
(一般条項)
(権限と協定)
(大統領)
:
(住 宅 都 市 開
:
表2 G S AR 「48C FR C HAP TER 5―G S A」
の内容
(
(不当な商慣習および私的利害の衝突)
(行政上の事項)
(契約の公表)
(請負業者の資格取得)
(政府機関の必要事項)
(商品の獲得)
(単純化した獲得
発)
:
:
(公
的契約および不動産管理)
:
:
(連邦調
手順)
達規則)
:
:
(注)
に示す
調達規則システム)
(用語定義)
(運輸)
(戦争および国防)
をもとに作成。
の
が表2
である。
(封印入札)=価格競争型入札(最
低基準による落札)
(交渉での請負契約)=
競争的交渉方式(複数基準による落札)
(請負契約の種類)
(特別な契約方法)
(中小企業プログラム)
置づけられている。図1,表1に示す CFR は連邦
行政の各分野にわたり,公共建築物を扱う GSA
(連邦調達庁)の記述は CFR の第48巻「連邦調
(政府調達への労働法規適用)
安全・麻薬取締)
達規則 FAR」の第5章にある(表2)
。これを
(海外調達)
(特許・情報・著作権)
(ボンドと保険)
GSAR(GSA 調達規則)ともいう。このほか,関
係マニュアル GSAM も別にある。あえていえば
FAR と GSAM に基づき,GSA の公共建築の発注
業務は執り行われる。
なお,CFR の整備は1930年代のニューディール
政策以降本格化し,各時代の政権が取り組んだ行
政改革のたびに見直されてきた。とくに最近は,
コスト・ベネフィットの え方が重視されるが,
これは1980年代以降の OECD 主要諸国共通の行政
経営の新パラダイム New Public M anagement の
流れを汲むものである。クリントン政権時代の1994
年に成立した FASA(the Federal Acquisition
Streamlining Act of 1994:PublicLaw103-355:
連邦調達合理化法)はその一つである。同法は理
念としてはフェアー・オポチュニティ(公平な機
会)を掲げ,政府調達コンピュータ・ネットワー
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2010 WINTER
(ワークプレイスの環境・保全・
(税)
(契約資金調達)
(抗議・論争・嘆願)
(建設
契約及びエンジニアリング契約)
(サービス契約)
(連邦供給スケ
ジュール契約)
(管理契
約と会計監査)
(契約の修正)
(品質の保証)
(運搬)
(契約の終了)
(誓願条
項と契約条項)
(書式)
(不動
産の貸借金利の獲得)
(注)
のタイトルを抜き出した。
全体で230ページ程,これを解説したマニュアル
は450ページ程で,内容は発注事務全般にわたる。なお,
後述する
は515の「競争的交渉方式」で適用する
もの。
ク(FACNET)の推進を全省庁に課している。そ
表3 FAR で請負業者に提出が求められる宣誓文書
れに伴い FAR も大改訂となったようだ。
*
*
*
(現時点のコスト・プライスデータの証明)
標題の「フェアーでリーズナブルな」は,FAR
の随所で多用されるキーワードで,価格の決まり
-
方に関する米国独特の表現である。それは公共調
達における基本的理念として規定され,予定価格
(正確には contract pricing)の設定方法にも絡
む。GSAR や GSAM でも度々ふれている。
筆者がこれを取りあげたのは,いわゆるダンピ
ング傾向が顕著に観察される日本の建設入札では
参 になる え方を含んでいる,と思ったためで
ある。発注者・受注者間のみならず元・下間の契
約でも,競争は常に「フェアーでリーズナブルな
価格」をめぐり行わねばならぬと思う。
「フェアーでリーズナブルな価格」の定義は,
残念ながら FAR や GSAM では明確でないが,国
書類番号を規定する。
価格交渉が合意に達した段階の年月日を記入する。
サインをした年月日を記入する。
(
)
(注)
15406-2。日本語は仮訳(若干省略している)。
防総省(DOD)発行の実務者向けガイド「Contract Pricing Reference Guides」には説明があ
い需要と供給の状況,経済の一般的状況,価格決
る。それによると,フェアーとは,買い手(政府)
定プロセスに関係する競争的な状況などマーケッ
と売り手(請負業者)の両者にとってのフェアー
トの情報,また,独占や寡占などの売買当事者が
だといっている。買い手にとってのフェアーとは,
構成する市場構造による 相 対 的 な 価 格 支 配 力
それがフェアーな市場での価格であること,また
(pricing power)の差など,入手可能な情報を
は,許容されるトータル・コストと適正な利潤を
十分にふまえた上で,慎重で有能な買い手が支払
加えた価格だとしている。一方,売り手にとって
ってもよいと える価格のことだと説明している。
のフェアーとは,契約内容を実現するために売り
*
*
*
手の能力で実現することが可能な現実的な価格の
1962年に調達価格真正法(TINA)という,い
ことだとしている。もしこれを下回れば,品質低
かにも米国らしい法律ができた。この法律(the
下,工期延長,倒産,入札参加資格停止など,政
Truth-in Negotiations Act,Public Law 87-653)
府にとっても請負業者にとってもリスクが伴うよ
は,朝鮮戦争の頃から国防費が増大し,私企業と
うな結果になる価格だともいっている。フェアー
の契約が増加したことを背景として,米国会計検
は米国では,競争上の基本的な理念の一つである。
査院(GAO)が大幅に人員削減されるなかで,国
そして,リーズナブルとは,価格決定に関係深
防総省等の政府機関と国防産業の攻撃を排して生
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建築コスト遊学 No . 8
まれたとされている。
は発注者側の権限を高める作用がある。
TINA により現在は65万ドル (約5,800万円)
一方の米国建設業協会 AGCA に集まったゼネコ
以上の連邦政府との契約(競争的交渉方式)にお
ン関係者もそろって TINA の存在を認知していた。
いては,それに参加する請負業者はコストデータ
米国の元・下間の取引はオープンブックが基本で
を提出する義務を負う。これは下請が出すコスト
ある。FAR の規定では,一定金額(今は65万ド
にも適用される。そして,それらデータが正確
ル)以上の元・下間取引に関しても TINA は適用
( accurate),完 全( complete),最 新( cur-
される。発注者・受注者間と同様に,不誠実な行
rent)のものであることを保証しなければならない,
動を取る同業者は仲間から爪弾きにされるとの反
と定めている。政府側の技術者はそのデータを参
応があった。彼らは互いにフェアーな戦い( )
に,
「フェアーでリーズナブルな価格」を設定し,
を誓い合っているのである。
別の入札やネゴにも利用できる。そして,最終的
*
*
*
な契約合意に達する段階(handshake)では請負
FAR では発注者側が「フェアーでリーズナブル
業者は表3に示す宣誓文書の提出を求められる。
な価格」をつかむため,プライスやコスト,また
日本では,国の低入札価格調査や応札者の見積
コストの現実性(realism)の分析を行うようにと,
を活用する予定価格作成においては,業者側の価
その具体的な技法をも示している。その基本はコ
格の真実性が常に焦点となる。この点で TINA の
ストの積み上げ型か,市場価格からのアプローチ
存在は日米の文脈の違いを改めて認識させられる。
になるようだ。前述の国防総省発行のガイドにも,
*
*
*
2009年秋に積算に関する訪米調査の機会があり,
ミクロ経済学の教科書かと見紛うばかりの詳しい
解説がある。
公共建築の発注者・受注者を代表する GSA と
一方,日本の予定価格の決定方法については,
AGCA を訪れた。この TINA についての質問項目
予算決算及び会計令(昭和22年勅令)第80条第2
も用意していた。GSA 本部の調達分析官は,請負
項に,予定価格は「取引の実例価格,需給の状
業者から上がってくる価格情報が「正確であると
況,履行の難易,数量の多寡,履行期間の長短等
いうことは保証(guarantee)されてはいないが,
を 慮して適正に定めなければならない」として
こちらが要求(require)するものである。不誠実
いるのみで,具体的な手続きや判断基準は示され
な行動が分かると業者は3∼5年間,公共工事か
ない。少なくとも「適正に」の哲学は米国に比べ
ら外される」といっていた。このように TINA に
て曖昧に思える。まして TINA のような法律に守
られた価格情報の確度に関する規定はない。
上述の FASA により,5で割れる西暦年に GDP デフ
レーター等を基に5万ドル単位でその閾値(しきいち)
最近,予定価格のあり方に疑問を向ける論調や,
が改訂されることになっている。TINA の適用値は
95%以上の落札率は談合だという根拠のない指摘
1994年当初は10万ドルだったが少額の micro purchase
もあるが,それらは予定価格に関する規定類の不
や small purchase を主として規定する FASA の成立
後には50万ドルに引き上げられていた。日本円表示は
1ドルを90円で換算。
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備やその曖昧さが原因だといえないだろうか。
*
*
*
ところで「フェアー」という言葉に抵抗を感じ
る方もいるだろう。関西新国際空港プロジェクト
いる。文化的背景を咀嚼しつつ,
「フェアーでリー
ズナブルな価格」の意味をわれわれはよく勉強す
る必要があるのではないか。
を発端にした80年代後半の日米建設摩擦では,フ
(主席研究員 岩松 準)
ェアー・オポチュニティ(公平な機会)は米国側
が強力に主張した理念であった。一方,農耕文化
が色濃い日本は,もともと「フェアー・シェアー
(公平な分配=結果の平等)
」を理念とする国とい
われてきた。両者は本来,相容れない性格のもの
で,この時は互いに「フェアー」の意味をめぐっ
ての論争が展開された。この点は今後も日米の壁
は解消しがたいものが残るのであろう。
一方,グローバル化の進展による競争至上主義
は,現実に日本の建設ビジネスの世界にも影響を
与え,発注者・受注者間,そして元・下間の請負
契約において非条理ともうつる価格競争を招いて
主要参
文献>
1. 渡瀬義男「米国会計検査院(GAO)の80年」レファレ
ンス,平成17年6月号,pp.33-61
2. Carl L. Vacketta, Federal Government Contract
Overview , FindLaw, a Thomson Reuters business,
1999.(http://library.findlaw.com)
3. Defense Procurement and Acquisition Policy, Contract Pricing Reference Guides (http://www.acq.osd.
mil)
4. F.C.M osher,The GAO :The Quest for Accountability in American Government, Westview, 1979
5. CFR,FAR,GSAM 等の公式文書は,米国政府のポー
タルページIAE(Integrated Acquisition Environment ;
http://www.arnet.gov/)から入手可能。
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