誌面PDFファイルを開く

絶対に断らない。
にうかがった 。「 鹿 児 島ではいま だ
お り 、松 岡さんは 麻 酔・救 急・集 中
それが救急医です。
まつおかよしのり
救急医の松岡良典さんは久留米市出身。2013年 月、妻
治 療 を 中 心に 、全 部で
つの 専 門
に 、自 分の 専 門 外 は 診 ない とい う
医資格を取得している。
Yoshinori Matsuoka
松岡 良典
Yoshinori Matsuoka
松岡 良典
習慣が根強い。しかし、救急の患者
VOL.26
医を志した理由、
鹿児島の医療の課題について話を聞いた。
かりつけ医として外来診療も手がける。開業のきっかけ、救急
こって し ま う 。
こ れ を 解 決 す るに
は ない。だか ら『 た らい回 し 』が 起
さんに自 分で医 師 を 選んでいる 暇
ても 助かる し 、助か ら ない 人 は 誰
余 念がない。「 助かる 人は 誰がやっ
や地元の消防組合との勉強会にも
自 身の 勉 強に 加 え 、後 進の 指 導
年 度の 外
人 、合
件以上
年
月
人(
性が高まるんです 」。もっともや り
さんは私たちの努力で救える可能
日現在)。
これは危機的状
がい を 感 じるの は 、心 肺 停 止 な ど
専 門 医 は たったの
強 と 少 ない上 、鹿 児 島 県の 救 急 科
す 。救 急 科 専 門 医 は 全 国に
は 、救 急 科 専 門 医 を 増や すこ とで
日平均
間に入る手術は年間
来 患 者 数は
にも 対 応 す る 。
外 来 診 療も 行い、風 邪 な どの 患 者
がやっても 助から ない。た だ 、努 力
「 超 人 的 」。松 岡 良 典 さんの働 き
ぶ り を 見 た 人 は 誰しも そ う 思 う
だろ う 。松 岡 さん は 南 九 州 市 川 辺
町にある 松 岡 救 急 ク リニックの院
倍は必
救 急 車 を 受 け 入 れ る ク リニック
さくない。それでも地域のかかりつ
人の医師がいるとはいえ、負担は小
ロの救急医は、的確な診断を行い、
要でしょう 」。松 岡さんの考 えるプ
になったと聞くと、本当に良かった
という 。「 人づてに患 者さんが元 気
といった 重 症 患 者 が 助かった 時 だ
況で す 。少 な く ともこの
件、
最後まで治すことができる医師を
と思いますね。
これ以上のものはあ
件にも上った。
年 度の 受 け 入 れ 件 数 は
件~
け 医 として 病 気 を 予 防し 、日 常 的
指す。「最後は専門医に任せればい
りません」。松岡さんの体調を心配
日
なケアを提供して症状改善を助け
い、となると救急医全体のレベル低
する 声も ある が 、本 人 は 笑 顔でこ
だ 。救 急 搬 送 は
るのも大事な仕事だと松岡さんは
下 を 招 きま す 。説 得 力のある 診 断
と」だ と松 岡 さん はいう 。「 専 門 外
め ら れ るの は「 絶 対に 断 ら ないこ
者 と相 対 する 救 急 医 。救 急 医に求
ま さに 命の 危 険 が 迫っている 患
イケア 施 設 と薬 膳レスト ランも 準
運動療法や食事療法を提供するデ
られるよ う 専 門 外 来 を 充 実 させ、
で す 。地 元で 質の 高い 医 療 を 受 け
は 大 事で す が 、予 防 は もっと 大 事
んが、きちん と休めていま すよ 。休
外来診療と救急の合間に手術も行う。
手術はすべて院長である松岡さんが執刀。
救急と発症予防の
機能を備えた病院
だから診られない、という言い訳は
備しています」
責任をもって治すのが
プロの救急医
自 分には 許 されま せん 。新 生 児か
ら 高 齢 者 、軽 症か ら 最 重 症 患 者ま
ですべて受け入れ、
必要があれば手
術も しま す 。麻 酔 専 門 医の 資 格 が
2
5
あるから手術までできるんです」
鹿児島の医療の課題を松岡さん
この日の救急搬送は2件。外来診療を遅らせて対応していた。
2
仕 事 は 救 急 だ けに 留 ま ら ない 。
日とはいきませ
考 えている 。「 救 急 をやっていて 残
に上った 。現 在 、松 岡さんの他に
35
う答える。「週休
日、
1
をし、最後まで責任をもって治すの
長を務めている。 時間
4
2
0
1
5
10
1
念なのは、手遅れとなって搬送され
2
次 第で助かる グレーゾ ーンの患 者
千人
上げた。 時間365日の救急診療に加え、日中は地域のか
の故郷の鹿児島で、全国でも珍しい救急専門クリニックを立ち
3
1
5
0
2
0
1
4
5
0
0
1
がプロの救 急 医です 」。その言 葉 ど
3
6
5
る ケ ー スが 非 常に 多いこ と 。救 急
24
1
22
23
VOL.26
24
8
転倒して救急搬送された女性の傷を縫合する松岡さん。
やさしく声をかけながら手早く処置する。
2
0
1
4
6
9
7
日は子どもたちや妻と過ごすのが
楽しみなんです」
その 後 、肉 体 的にも 精 神 的にも
過酷といわれる救急医をめざして
勉強を始めた松岡さん。救急では、
医師になった
原点に立ち返りたい
そん な「 出 世コース」を 離れ 、開
松岡さんは
年
月から
鹿児島大学医学部の非常勤講師と
しても 活 動 している 。研 修 医や 医
学 部 生 を 受け 入れ 、現 場で 彼 ら を
口 県 美 祢 市に 、松 岡 さんの 考 えに
多 領 域の知 識・技 術 を 効 率 良 く 身
月には 山
にいる と救 急 医 としての自 分が薄
共 鳴し た 医 師の救 急 ク リニックが
年
通 常の何 倍ものスピ ー ドでそれ ら
れてい く 気 が して 。医 師 を 志 し た
開 院 予 定 だ 。救 急のニー ズが あ り
ね
を 習 得 すべく 、膨 大 な 数の 救 急 患
初 心に戻って開 業しまし た 」。ク リ
み
指 導 する 。
幼い 頃の 松 岡 さん は 体 が 弱 く 、
者 を 診 察 し 、治 療の 合 間には 昼 夜
業 し たの は な ぜか 。「 大 き な 組 織
病院に行くことが多かった。自然と
ながらも受け入れ先のない地域は
全国各地にある。救急医を増やし、
ニックのある南九州市川辺町は、松
岡 さんの 妻の 出 身 地・枕 崎 市か ら
り な が ら 、夜 間や 休 日には 市 外の
たい と 、松 岡 さんの 奮 闘 は 今 日 も
い医 療 ネットワ ー ク をつく り 上 げ
「目の前の患者だけを診ていては
え 、卒 業 後 は 救 命 救 急セン タ ーに
病院に搬送される患者も少なくな
続く。「しばらくは厳しい状況が続
救 急 ク リニック を 中 核 とし た 新し
だ 。「かっこよ くて、きつく な く 、自
勤 務し なが ら 大 学 院に進 学し 、研
かった 。松 岡さんは 、薩 摩 半 島の中
く と 思いま す が 、救 急 医 が 増 えれ
進 学 。学 生 時 代 は ボ クシン グに 明
分ほ ど 。病 床 過 剰 地 域で あ
分の時間が取れそうという理由で
究にも 従 事 。新 しい造 影 剤 を 開 発
央部にあたる川辺町で開業すれば
車で
法 医 学 専 攻 を 考 えていま し た 。ど
し、国際特許を取得した。
こうした
ば 状 況 は 改 善 する は ず 。総 合 病 院
助け られる 人 数 は 限 られる 」と 考
こにでもいる大学生と同じです」と
診 療 圏が 広が り 、多 くの患 者 を 助
大 医 学 部 附 属 病 院の 講 師に 就 任 。
け られる と 判 断 。全 国 的にも 珍 し
規模の医療を個人でできる救急ク
年生
リニックを広め、逼迫している地域
医 療 を 助けるモデルケ ースとして
い最 新 機 器 を 導 入し 、手 術 室 を 完
備 。的 確 な 診 断で 病 気 を 早 期 発 見
発信していきたいと思っています」
集中治療部門の副部長としても活
し、
治療までできる体制を整えた。
の時、目の前で起こったバイク事故
クか ら 医 師 が 駆けつけ た が 、うろ
佐賀大講師に就任した頃の松岡さん
(中央)
。次第に救急の現場から
離れることに疑問を感じるようになる。
うろ する ばか りで 何もで き なかっ
た とい う 。「 その う ち 救 急 隊 が 到
着し 、
て き ぱ き と 処 置 を してけ が
人 を 搬 送 していきま し た が 、後 日
1979年福岡県久留米市生まれ。佐賀大学医学
部卒業。2010年九州大学大学院医学系学府機
能制御医学専攻博士課程修了。医学博士。九
州大学病院救命救急センター勤務、佐賀大学
医学部附属病院麻酔・蘇生学講師、同集中治
療部副部長などを経て、2013年3月松岡救急ク
リニック開院。
日本救急医学会専門医、
日本整
形外科学会専門医、
日本脳卒中学会専門医、
日
本集中治療医学会専門医、
日本整形外科学会
認定リウマチ医、
日本麻酔科学会認定医、厚生
労働省麻酔科標榜医、
日本医師会認定産業医。
ウェブサイト http://matsuokaqq.com
松岡良典(まつおか・よしのり)
花が供 え られているのを 見て亡 く
なった と 知 り ま し た 。命の 危 機 が
迫っている 時に 適 切に 処 置で きる
のが本当の医者ではないのか、
この
度方向転
ひざの痛みを訴える患者にも画像や模型を見せながら丁寧に説明。
「患者さんと真剣に向き合い、説得力のある診断・治療をすれば患者
さんはついてきてくださいます」
救急医を志したのは大学
実 績 が 買 われ 、 歳の 若 さで 佐 賀
け 暮れ 、勉 強 は 二の 次 だった そ う
を問わず勉強に励んだ。
につける 必 要 が ある 。松 岡 さん は
4
9
医 師 を 志 すよ うに な り 、医 学 部に
バイク事故を目撃し
救急医の道を選択
2
0
1
5
2
0
1
5
松岡さんは笑う。
30
躍した。
32
がきっかけ だった 。近 くのク リニッ
5
ままでは中途半端な医者にしかな
れ ない と 、そこで
換したんです」
1
8
0
24