出版にむけた想い

震災の記憶 Memoroj pri la Japana Katastrofo
出版社 ホリゾント出版 A4判、176 ページ、1500 円(本体価格)
ほりやすお
東日本大震災が起こったときに、私は「余生は震災とともに生きよう」と決めました。
こんな大震災、それに加えて原発の大事故、これを他人事として生きることは、日本人と
してできないと思いました。
「ともに生きる」と言っても、それは難しいことですが、少な
くとも「忘れない」
、
「できる限り支援する」をやり続けようと心に決めました。
最初に被災地を訪問したのは、2011 年 6 月末の宮城県でした。次は 8 月末の岩手県、10
月末の福島県でした。恐ろしい光景でした。当時はまだ瓦礫の山でした。あったはずの町
がそっくり消えていました。自分はどうしたら良いのだろうかと自問し続けました。
6 月の末、毎日新聞夕刊に、岩手県釜石市唐丹町の子ども 130 人を支援する運動のことが
載りました。この運動を主宰した岩手県の元高校教師高舘千枝子さんも、この大震災に自
分はどうあるべきか、問いかけていました。私はすぐに参加をしましたが、高舘さんに支
援金を送っているだけでは、日赤に支援金を送っているのと大して変わりません。それで、
真剣にこの運動に関わり始めました。これによって、被災が身近になりました。唐丹の被
災者、唐丹の子どもたちと親しくなりました。機会あるごとに、被災地を訪問するように
なりました。様々なことを見ます、聞きます、写真も撮ります。しかし、それを個人の段
階に留めていては、大した支援にはなりません。そこで報告し始めました。
それまで毎年出版し続けていた「Raportoj el Japanio」15、16,17巻は、全部震
災の記事にしました。
「世界の旅人堀さんのエスペラント気ままエッセー」も、第 2、3、4
巻では半分以上のページは、震災関係にしました。お陰様で、それぞれ 300 部出したもの
はほとんど売れて、在庫はほとんど残りませんでした。しかし、膨大な写真が残っていま
す。今回の本ではこれを活用して、写真+日エス対訳詩集として出版しました。当初は、
半分だけカラーにしようと思いましたが、どうせなら、と思い切って写真は全部カラーに
し、500 部印刷しました。玄関に山積みになった本を見て、ため息が出ましたが、エスぺラ
ンチストは本当に信頼できる人だと感動しました。私のパソコンに入っているアドレスに
お知らせを載せると、何と、出版から 3 週間目の今日、残部は 50 になりました。
この間、
「エスぺラントは世界を変えられる」と、心底から思いました。震災を報告する
ように、苦しんでいる人々を助ける、圧政に苦しんでいる人を助ける、平和のために働く、
そんな思いを本当にこめてエスぺラントを使うなら、エスペラントによって、平和な、人
権が保障される世界を作れる、と確信しました。もうエスぺラントは趣味でなく、そのた
めの武器なのだと確信しました。
Kiam okazis la Orient-Japana Katastrofo, mi decidis, ke mi vivu kun la katastrofo,
nome kun la suferantoj. Mi partoprenis en la projekto helpi 130 gelernantojn de la
urbeto Tooni de la gubernio Iŭate. Poste mi jam vizitis 30 fojojn la marbordajn regionojn
suferantajn pro la cunamo kaj la nuklea akcidento. Ĉi-foje mi eldonis tiun ĉi foto-libron
kun poemoj en la japana kaj Esperanto. Mi tre dankas al esperantistoj en Japanio kaj
eksterlando pro ilia granda helpo.