30 代の9年間を費やして 日赤・派遣社員を正社員化へ 勝利和解が

元原告
廣瀬明美
◆30 代の9年間を費やして
私は、日本赤十字社(以下日赤)と人材派遣会社
から丁寧に違法の解消を交
最大手(株)スタッフサービス(以下SS)を相手に、日
渉して来たことが最終的に
赤への地位確認と両社への損害賠償請求事件を闘
は社会問題化し大きな成果
って来ました。就労直後の違法解消にむけ約9年、事
となりました。
実上の解雇から5年半、東京地裁・高裁で4年余りで
す。長きに渡り間接雇用の1人争議を 30 代女性が無
◆勝利和解がもたらしたもの
権利状態で闘って来られたのも全国の多様なつなが
働いていた時期は 2006 年からのいわゆる「派遣バブ
りと応援や励ましがあったからです。心より感謝を申し
ル」と「年越し派遣村」が出現した3年3カ月余りです。
上げます。
不当な日赤からの事実上の解雇通告は、SSに 2009
不当な事実上の解雇後も、「人々の命を救う血液事
年東京労働局の是正指導が入ったためで、会社間の
業を、子どもが生まれても、やり甲斐をもって働き続け
違法を巡って私は翻弄され日赤が労働者派遣契約を
たい」と、もがきにもがいた闘いでした。子どもを産む
一方的に打ち切ったのです。
選択を「迫られる」大事な 30 代の 9 年間を、職場の違
最後まで諦めなかった現場に戻るということは残念な
法解消、不当な解雇撤回、主に派遣法の法整備やほ
がら出来ませんでしたが、和解の席上で日赤の上司
かの係争との相互支援などに費やすことに至りまし
(就労中の団交で直接解雇通告をしたことを謝罪した)
た。
より「長年の貢献と感謝」を述べていただきました。ま
結果的に日赤において派遣法違反から常用代替を
た、本件は原判決で不充分ながらも「一連の派遣法
無くし、職場全体の業務のバランスに繋げ、派遣先と
違反と日赤の直接雇用の職員との同一業務」が認定
派遣元のコンプライアンス改善に働きかけたことは両
されました。これは、既に 2010 年3月に厚労省、東京
社にも人材派遣業界にも大きく影響させることができ
と神奈川労働局からも一連の派遣法違反が両社に認
ました。
定されているところです。高裁判決でも最高裁に行っ
てもここは覆すことは出来ない不動のものです。
◆日赤・派遣社員を正社員化へ
この種の事件では珍しく、派遣元はもとより日赤本社
2009 年 10 月、私は事実上の解雇後すぐに神奈川
からも金銭を拠出させ、両社ともにもうこれ以上係争を
労働局へ、日赤が「直接雇用の申し込み義務」があっ
したくないというところまで持ち込み、モラル違反への
たことから雇用回復のために申告をしました。私の申
プレッシャーと最後まで譲らなかった雇用への一定の
告によって、日赤とSSの違法状態に遭っていた派遣
責任(地位確認)につなげられたと評価しています。
社員は是正措置として直接雇用に切り替りました。
日赤ではこれまで前例がなかったが、2009 年 12 月
◆生涯派遣は許さない
までにまず 10 名が契約社員に切り替わるなど、派遣
派遣法は今年で 30 年。制定当初から国は女性の働
社員を契約社員や正社員へと転換しました。元派遣
き方の多様性を甘言してきました。そして規制緩和を
社員で現在直接雇用され産休中の方もいます。職場
繰り返した現在でも派遣労働者の6割が女性です。安
がゴロっと変わる契機を作れたことは私の願いであっ
倍政権の「派遣法改正」の狙いは、派遣社員なのに、
た「気持ちよく働きたい」「違法な状態でなく献血者や
仕事は正社員と同等、また、それ以上の仕事でも、賃
世間の皆様と接したい」ということが実現しました。
金や処遇は低いまま、これが「いかに、生命を育む身
私自身には何一つ反映されずに悔しい思いですが、
体を壊し将来が奪われる被害」をもたらすかを、訴え
他の方々に少しでも良い労働環境が実現し、9年前
ていく役割を果たしたいと思います。