作品ファイル(PDF:2.5MB)

そ
こ
で
、
人
々
が
訪
れ
、
そ
の
製
作
風
景
や
演
奏
を
見
て
、
聞
い
て
楽
し
む
こ
と
が
で
き
る
太
鼓
屋
を
提
案
す
る
。
し
か
し
、
都
市
の
発
展
と
共
に
そ
の
数
は
減
少
し
、
今
日
で
は
四
軒
の
太
鼓
屋
が
残
っ
て
い
る
。
こ
こ
は
江
戸
時
代
よ
り
太
鼓
作
り
が
行
わ
れ
、
そ
れ
に
よ
っ
て
村
は
繁
栄
し
た
。
敷
地
は
大
阪
府
大
阪
市
浪
速
区
。
太
鼓
と
い
う
伝
統
を
継
承
す
る
た
め
の
建
築
。
街の成り立ちと太鼓
大阪府大阪市浪速区
皮革の流通
この芦原橋駅周辺は近世江戸時代には渡辺村、近代では西浜、現代では浪速と呼ばれる。また、当時の渡邊村は西日本の皮革の集散地であり、元和年間に革商いを許可
九州・中国・四国の各地で生産された原皮 かなりの部分が渡辺村へ送られたようで、年間一○万枚を超える皮革が、渡辺村に集められた。中心がずっと堺であったため、
された十二軒の革問屋がいた村である。その十二軒には屋号が与えられた。そのため、太鼓産業も盛んで、太鼓職人も全国からこの地域に集まった。近世江戸時代にお
各地の物資が大坂へ集められるのは、ようやく西廻り航路が利用されはじめる 17 世紀半ばになってからだった。渡辺村が皮革の集散地となるのも、1706 年 ( 宝永三年 )
いての大阪市浪速、渡邊村は穢多村であったため、皮革産業が盛んであった。
以降渡辺村の流通網は、これ以降、西日本の全域に広がっていく。この各地との貿易により利益を生み、村の人口は増加する。
九
月
二
日
朝
四
ツ
九九
月月
三三
日日
朝朝
六六
ツツ
発着
九
月
四
日
∼
十
四
日
松
原
会
所
赤
間
勢 楠 底 木
田 橋 井 月
会 野
所
九九
月月
十二
四十
日五
日
朝
出
帆
九九
月月
二二
十十
五七
日日
着朝
出
帆
若 下
松 関
九九
月月
二二
十十
七八
日日
着出
帆
九九
月月
二二
十十
八九
日日
着出
帆
九十
月月
三朔
十日
日出
着帆
西 中 宝
丿 丿 津
浦 関
十十
月月
二三
日日
暮出
六帆
ツ
着
十十 十十
月月 月月
三四 四四
日日 日日
着出 着夜
帆
八
ツ
出
帆
鼻
操
島
多 三
度 味
津 線
島
十同
月日
五出
日帆
着
十十
月月
六七
日日
夜出
四帆
ツ
着
高 大
松 多
麻
十十
月月
八十
日日
夜出
四帆
ツ
着
現在も残る 4 軒の太鼓屋
江戸時代には渡辺村のほぼ全家庭が太鼓産業に携わっていた。現在、大阪市内には 5 軒の太鼓屋(太鼓製造業を営んでいる太鼓店をさす)があり、その内の 4 軒、太鼓正、
坂東太鼓店、田端太鼓工芸、中兼太鼓店が JR 環状線の芦原橋駅周辺にある。都市の発展とともに伝統のある太鼓屋は減少し、4 軒となった。現地ヒアリング調査により、
その 4 軒の内、2 軒は職人兼店主が高齢だが、跡継ぎが見つからずに廃業寸前だという。
十
月
十
一
日
夜
九
ツ
着
太鼓正
明 大
石 坂
坂東太鼓店
太鼓正
中兼太鼓店
田端太鼓工芸
中兼太鼓店
田端太鼓工芸
坂東太鼓店
1797 年(寛政九年)
出展:
『部落解放浪速地区総合実態調査報告書』
「福岡藩皮革の大坂廻送」
より
2015 年(現在)
敷地と周辺計画
ランドスケープ
敷地は江戸時代の古地図を重ね合わ
岡のある広場
せたときに旧渡辺村の位置にあたる。
敷地を緩やかな岡にすることで、人々が
ケヤキ
展望
訪れ集い合い、小さなアクティビティを
旧渡辺道だったところから敷地内ま
渡辺村の様子
で連続したケヤキの木を植えること
木デッキ
生み出す。周囲には木デッキを配するこ
で、周囲と敷地を一体として計画す
とで、
くつろげる都市公園となる。
この地
る。ケヤキは音の鳴りと木目の美し
域には蒲団太鼓や盆踊りがあるが、
岡のある広場
展望
さから太鼓の素材として最も優れた
木材である。この周囲に植えられた
上層部は木々より高く、螺旋になってい
木々は 50 年∼60 年後、大木となる
るので、街を360度見渡すことができる。
と、ここで太鼓として生まれ変わり、
櫓の最上部には直径2000mm以上の
販売される。建築の上部は木よりも
大きな太鼓が置かれていて、その太鼓
少し高くなり、上部や展望スペース
が時報の役割を果たし、音とともに時を
からは街を見渡すことができる。建
知らせる。
築の周囲には木のデッキを配し、人々
樹木
が座ったり、くつろげる公園のよう
通りから続く木々が敷地の周囲を取り囲
な場とした。この地域には蒲団太鼓
む。
この木々は周囲から敷地を切り取る
や盆踊りなどの祭りがあり、その際
壁のような役割をする。
はこの建築の周辺に人が集い賑わい
をみせる。
構成
建築を巡り、太鼓を知る。
かつて太鼓櫓は街に時や緊急を知ら
建築の上から下へと太鼓が出来ていく
せる塔であった。
そこに太鼓屋という機
。人々はその行程に沿って、外部の螺
能と人々が見学するための動線を付加
旋を下って行くことで、太鼓作りを見
する。螺旋状の外部動線は街のあらゆ
る方角を眺めることができ、
シークエン
構造
機能
3. 皮張り
1. 胴作り
皮張り
胴削り
荒胴作り
皮張り(締太鼓)
るだけでなく音でも楽しみ、知ること
動線
ができる。太鼓作りは原木から胴(荒
スを生み出す。それにしたがい内側の
胴)を切り出すところから始まる。そ
水平な床に太鼓屋としての機能が入っ
の荒胴をチョウナやノミで削り、歌口
ている。人々は動線に沿って、上部から
(太鼓胴の縁部分)や内側を整えて、
太鼓が出来上がる行程を楽しめる。
胴にしていく。次に皮を作る。皮は初
めは乾皮なため、水に一晩浸し、柔ら
かくする。そして、皮を削り、皮の暑
さを整える。戸板の上に水洗いしてき
れいになった皮を方向に気をつけなが
ら広げ、伸ばしながらクギでとめる。
2. 皮作り
4. 舞台
塩抜き作業
演奏
皮すき
水張りされた皮を二、三日、太陽の直
射日光にあて自然乾燥する。最後に皮
張りだが、太鼓の上に職人が乗り、足
で皮を伸ばす。鏡の部分と胴に接して
いる皮を交互に木槌で打って、皮を伸
ばす。ジャッキで台を上げ、音を聞き
ながら皮を伸ばす。
1000 mm
太鼓の種類と直径
太鼓の皮は叩いていると伸びるので
ない。その張り替えていらなくなっ
建築となる。
1.太鼓の皮(直径355mm)と木材(
30mm×30mm×250mm×2本、
戸袋窓
二尺 (606mm)
500 mm
355mm
作業工程
(中層部)
210×210mm
1
2
30mm×30mm×190mm×2本)
3
250mm
2.直径に合わせて木フレームを作る 摺り上げ窓
3.太鼓の皮を水に浸して皮を柔らかく
する
4.皮を引っ張りながら、太鼓鋲を打ち
摺り上げ窓
(下層部)
付け皮をフレームに張り付ける
480×480mm
250mm
七寸 (212mm)
一尺二寸五分 (379mm)
一尺一寸 (333mm)
一尺九寸 (575mm)
戸袋窓
一尺二寸 (363mm)
る。
八寸 (242mm)
鼓職人達の手で建築へと生まれ変わ
一尺二寸 (363mm)
様々なものがある。ここから生まれ
た太鼓がまた太鼓屋に帰ってき、太
太鼓が人々の手に渡り、そして最後に
跳ね上げ窓
二尺五寸 (757mm)
のスケールに合わせ、建具の種類も
達の手でつくる。この建築で生まれた
190mm
部の太鼓屋としての機能と太鼓の皮
作りの手順に沿って、建具を太鼓職人
m
シークエンスを生み出す。また、内
数年に一度張り替える。そこで、太鼓
5m
グリッドが大きくなり、建具による
250mm
太鼓の皮は叩いていると伸びるので、
190mm
る。上部から下部にかけて、徐々に
建具作り
250mm
合わせて、建具のスケールも変化す
141×141mm
35
た皮を建具として建築に利用する。
建築の天井高(空間のスケール)に
跳ね上げ窓
(上層部)
二尺九寸 (878mm)
数年に一回は張り替えなければなら
5.向かい合う2辺に鋲を打ち付け皮にた
るみが出ないように張る
6.数日乾燥させて、完成
長胴太鼓
平太鼓
桶胴太鼓
附締太鼓
団扇太鼓
0 mm
建具
4
5
6
地上階平面図 縮尺 1/100
地上 2000mm 平面図 縮尺 1/100
地上 7000mm 平面図 縮尺 1/100
地上 10000mm 平面図 縮尺 1/100