九州中国学会大会要項 - 九州大学大学院言語文化研究院

平成二十七年度(第六十三回)
九州中国学会大会要項
期 日
平成二十七年五月十六日(土)十七日(日) 会 場
九州大学伊都キャンパス椎木講堂2F第三講義室
平成二十七年度(第六十三回)九州中国学会開催のご案内
九州中国学会会長 柴 田 篤 平成二十七年度大会開催校代表 東 英 寿 拝啓 春分の候、会員の皆様には益々ご清祥のことと、お慶び申しあげます。
さて、かねてご案内申し上げておりましたとおり、来る五月十六日(土)及び十七日(日)の両日、
九州大学伊都キャンパス椎木講堂におきまして、平成二十七年度九州中国学会大会を開催いたします。
本年は、慶應義塾大学教授の掘川貴司先生のご講演と十名の方の研究発表を予定しています。
会員の皆様には、万障お繰り合わせの上、奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。
敬 具 平 成 二 十 七 年 三 月 二 十 三 日
なお、出欠のご意向を、同封の葉書にて四月二十二日(水)までにお知らせください。
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平成27年度(第63回)九州中国学会大会概要
日
5月
日(土)
16
5月 日(日)
17
時
行 事
場 所
10:30
理 事 会
イトリー・イト(椎木講堂2F)
12:40
受付開始
椎木講堂第3講義室前
13:20
開 会 式
13:30
研究発表
16:10
講 演
17:15
総
会
18:10
懇 親 会
イトリー・イト(椎木講堂2F)
9:00
受付開始
椎木講堂第3講義室前
9:30
研究発表
12:40
閉 会 式
椎木講堂第3講義室
椎木講堂第3講義室
注意事項
*昼食
・16日の昼食は各自でお取りください。校内の食堂は開いておりま
すが、学校周辺には飲食店がございませんのでご注意ください。
・16日の理事会に出席される方については、当方で用意します。
*当日の費用(受付で徴収)
大会参加費 1,000円(会員以外の一般参加者も同じ)
懇 親 会 費 6,000円(大学院生は、3,000円)
・学会費は当日の会場では徴収しません。同封の郵便振込用紙にて
各自お振り込みください。
*大会事務局連絡先
〒819-0395 福岡市西区元岡744
九州大学大学院比較社会文化研究院 東 英寿研究室
電話(092)802-5639/ E-mail: [email protected]
*懇親会場
イトリー・イト(椎木講堂2F)
電話(092)807-0270
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訂
正
平成 27 年度(第 63 回)九州中国学会大
会概要に誤りがありました。
5 月 17 日(日)の受付開始、および研究
発表の開始時刻は、正しくは以下のとおり
です。お詫びして、訂正いたします。
平成 27 年度(第 63 回)
九州中国学会大会概要
5
9:30
受付開始
講義室前
月
17
10:00
研究発表
日
(日)
椎木講堂第3
椎木講堂第3
講義室
12:40
閉 会 式
大 会 日 程 五月 十 六 日 ( 土 )
理 事 会 (椎木講堂2F イトリー・イト)
(十時三十分~十三時)
(十二時四十分~)
受 付 開 始 開 会 式 (十三時二十分~十三時三十分)
研究発表Ⅰ (十三時三十分~十六時)
蒙 顕 鵬(四川大学大学院) ①黄庭堅の挽詞について [司会]中 尾 健一郎(熊本大学) ②清華簡『赤 之集湯之屋』と戦国期楚の巫術的風習
横 山 慎 悟(九州大学大学院) [司会]近 藤 則 之(佐賀大学) ③明末浙東文人銭文薦とその詩文集『麗矚楼集』について
邵 劼(九州大学大学院) [司会]竹 村 則 行(九州大学名誉教授) -3-
④日本伝存の旧鈔本『史記』の文献的価値について
李 由(南京大学大学院) [司会]陳 翀(広島大学) ⑤从西域之神到东土隐士 唐
—宋维摩诘图题诗之衍变 —
查 屏 球(復旦大学・九州大学)
[司会]陳 翀(広島大学) (休憩一〇分)
十六時十分~十七時十分
【講 演】(九州中国学会、科研(B)「宋人文集の編纂と伝承に関する総合的研究」班共催)
堀 川 貴 司(慶應義塾大学) 五山文学における詩集の編成について 総 会(十七時十五分~十八時)
懇親会(椎木講堂2F イトリー・イト)
(十八時十分~二十時)
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五月 一 七 日 ( 日 )
受 付 開 始 (九時三十分~)
研究発表Ⅱ(十時~十一時)
⑥文人伝統と近代美術―二〇世紀初頭の厦門と台湾出身画家たちの交流を中心に―
羽田 ジェシカ( 九州大学・福岡大学非常勤講師)
[司会]間 ふさ子(福岡大学) ⑦漢語における「左右」の特異性と、元曲元刊本中の用例との関連性
宮 下 尚 子(熊本大学非常勤講師)
[司会]西 山 猛(九州大学) (休憩一〇分)
研究発表Ⅲ(十一時十分~十二時四十分)
⑧『五行大義』でよむ『竹取物語』求婚難題譚の構成
福 永 美 佳(尚絅大学) [司会]山 田 俊(熊本県立大学) -5-
⑨顧頡剛の尚書研究の方法と経緯に関する考察
竹 元 規 人(福岡教育大学)
[司会]山 田 俊(熊本県立大学) ⑩憤歎からみた法家思想の展開について ―『韓非子』孤憤篇と『潜夫論』潜歎篇を中心にして―
横 山 裕(九州保健福祉大学) [司会]近 藤 則 之(佐賀大学) 閉
会 式 (十二時四十分~十二時五十分)
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〈講 演〉
五山文学における詩集の編成について
堀 川 貴 司(慶應義塾大学)
日本中世、およそ一三世紀後半から一七世紀前半にかけて、約四〇〇年にわたって盛んな活動を続け
た、禅僧による漢文学である五山文学は、同時代の中国、すなわち南宋から明にかけての文学に強い影
響を受けている。この講演では、五山僧たちの別集の編成方法について分析することによって、五山文
学研究の一視点を確保するとともに、中国文学研究の参考にもなればと思っている。
具体的には、総集と別集、偈頌(げじゅ)と詩、など、大きな枠組についてまず述べた上で、別集の
編成方式について、制作年代順に並べる方式、詩体ごとに分けていく方式、内容(テーマ)ごとに分け
ていく方式、などの例を見ていくとともに、小規模の別集「行巻」
(あんけん)についても触れる。
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発 表 要 旨 ①黄庭堅の挽詞について
蒙 顕 鵬(四川大学大学院)
挽詞とは、死者の生前の遺徳を頌えるための儀礼的、形式的な歌辞であり、その内容は当たり障りの
無い抽象的であることが求められ、死者についての具体的な言及は一般的に避けられる傾向にあったも
のである。これに対し、北宋の文人黄庭堅の作った十二題三十七首の挽詞は、典故表現を駆使し、死者
の事績とその評価を明晰に述べることが多い。ここには宋代における葬礼のあり方や、死に対する意識
にも何らかの変化がきざしているようにも思われる。
本発表では、従来不正確なままであった黄庭堅の挽詞についての製作年の検討を行うとともに、彼以
前の六朝・唐代の代表的な挽詞との比較から、その特色を考察する。そして陳師道など同世代文人の作
品 へ の 影 響 な ど も 視 野 に 入 れ、 こ の 挽 詞 の 製 作 態 度 の 変 化 か ら 新 た な 宋 代 文 学 研 究 の 課 題 を 模 索 し た
い。
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②清華簡『赤 之集湯之屋』と戦国期楚の巫術的風習
横 山 慎 悟(九州大学大学院)
清華大学が二〇〇八年に入手した楚簡資料、所謂「清華簡」には、動物や神霊と交感する能力を持つ
伊尹の活躍を伝える『赤 之集湯之屋』という文献が含まれていた。近年、竹簡背面に劃線(人工的な
傷)の存在によって、本篇と清華簡『尹至』・『尹誥』とが同一巻にまとめられていた可能性が指摘され
ている 。
『尹 至 』
・『尹誥』は現在に伝わらない『尚書』の一篇と目される文献であり、現地風俗や民間信仰の影
響の強い『赤 之集湯之屋』とは異なる性質の物語を伝えるものである。これら三篇が同等の扱いを受
けていたことからは、戦国期の楚における『尚書』受容の有り様を知ることができるように思われる。
『尚書』の登場人物である伊尹、ある
本発 表 で は 、
『赤 之集湯之屋』に見える巫術的要素に着目し、
いはその主君である湯が『赤 之集湯之屋』において巫術的能力を付与された事情について考えたい。
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③明末浙東文人銭文薦とその詩文集『麗矚楼集』について
邵 劼(九州大学大学院)
明の万暦・崇禎年間の詩壇は、後期の古文辞派・公安派・竟陵派の三流派が相次いで主流となり、詩
壇を主導した。しかし、浙東地域においてはこの変遷過程が異なっていた。袁氏兄弟の公安派は主流と
はならず、古文辞派からそのまま竟陵派が流行したのである。この古文辞派から竟陵派への特異な変遷、
およびその原因については、長い間解明されないままであった。
この問題の解明の手がかりとなる人物として、明末に活躍した慈渓(いまの浙江省寧波市慈城鎮)の
人、銭文薦が挙げられる。彼の詩文集は、中国本土では既に失われ、
『麗矚楼集』十二巻(内閣文庫蔵)
及び『翠瀑閣詩集』一巻(台湾傅斯年図書館蔵)が現存している。
本発表では、これら新発見の資料をもとに銭文薦の交遊関係と詩作の特色を紹介する。さらに浙東詩
壇における特異な詩風変遷の道筋と明末の浙東学術との関係性についても考察を加えたい。
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④日本伝存の旧鈔本『史記』の文献的価値について
李 由(南京大学大学院)
日本に伝存する旧鈔本『史記』の文献的価値については、従来より中国では羅振玉、また日本では瀧
川資言、水澤利忠らによって注目され、それぞれに優れた研究が蓄積されてきた。二〇一三年、中華書
局より『史記』の新しい点校本が刊行されたが、同書は日本の旧鈔本に基づいて旧刊本の誤りを訂正し
たことが凡例にも明言されている。しかしこの修訂本は、日本求古楼旧蔵本「夏本紀」
(現台北国家図書
館所蔵)、宮内庁書陵部所蔵「范雎蔡澤列伝」等、なお幾つかの旧鈔本を利用しておらず、いまだ完璧な
テキストとは言い難い。本発表では、新たにこれらの旧鈔本を用いて校勘し、通行本『史記』の本文や
注釈の 誤 り を 指 摘 し た い 。
また、上述の日本求古楼旧蔵本「夏本紀」の底本について、発表者はこれが宋の真宗期の鈔本に基づ
くものであろうことを新たに発見した。これによって写本から版本に移ってゆく際のテキストの変化に
ついて、さまざまなことが解明できると考える。
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⑤从西域之神到东土隐士
唐宋维摩诘图题诗之衍变
—
—
查 屏 球(復旦大学・九州大学)
盛唐时代,顾恺之、吴道子维摩诘图最为流行,其构图与动作、表情也成为一种固定范式,诗家多以朝
圣心理诠释图象。中唐之后,以 白居易为代表,诗
人多好以维摩诘自况,在诗中多将自己的生活“维摩诘
化”
,诗与写真图象也是以维摩诘图为样本。这一艺术思维影响到了晚唐至北宋的维摩诘图的创作,促使
维摩诘艺术形象的生活化与本土化。其中随着白居易影响扩大,维摩化的白居易画像流传至广,维摩诘形
象也渐渐香山居士化。到了水墨禅画流行之后,诗画合一,其中的维摩诘形象宗教性、异域性特点渐少,
并与中土传统的隐士合成,完成了本土化与生活化过程。
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⑥文人伝統と近代美術
二〇世紀初頭の厦門と台湾出身画家たちの交流を中心に —
—
羽 田 ジェシカ (九州大学・福岡大学非常勤講師)
旧漢字文化圏における近代「美術」の形成は、従来の「書画」の概念から「美術」という西洋由来の
コンセプトへの転換を意味する。詩、書、画は分離され、西洋の素材を用いる「西洋画」というジャン
ルが作られ、伝統の素材や技法を用いる絵画は「国画」および「東洋画」としてこれと相対化された。
現在の中国と台湾近代美術の研究においても、基本的に西洋画と国画、東洋画という枠組みに分けて考
察されてきた。しかし、いわゆる「西洋画家」と分類された当時の画家たちの中には、漢文化における
根強い文人伝統の影響を受け、伝統の書画概念、技法や素材を駆使して、ジャンルをまたいだ創作活動
を行っていた者も多かった。中国で長い歴史を持つ文人伝統の取捨は、漢文素養の高い植民地初代の画
家たちにとっては文化アイデンティティに関わる問題でもあり、彼らの美術観の形成に重要な影響を与
えた。本研究は、台湾海峡を挟んだ台湾と厦門出身の作家を中心に、海を越えて交流した伝統を重視す
る文人サークルと台湾海峡両岸での近代美術の形成関係を明らかにし、文人伝統が近代美術の形成に果
たした 役 割 を 考 察 す る 。
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⑦漢語における「左右」の特異性と、元曲元刊本中の用例との関連性
宮 下 尚 子(熊本大学非常勤講師)
左右(右左)とは、話者の相対的空間認知を示す術語として、上下、前後、内外、縦横等の二項対立
という枠組で語られることが多い。また、「〜の右」
「右回り」というときに参照点が話者か対象物かと
いうことも従来議論の対象であった。しかし、中国においては古来「天子南面」という思想に基づき、
左と右の位相が決定される。この場合の参照点は話者でも対象物でもなく、話中には存在していない
「天子」あるいは「聖人」であり、同様に、身体のどちら側を右とし左とするかという二項対立的、対称
的な位置関係としてのみ左右が存在しているのではないことは周知の通りである。そのため「尚左尚右」
と言われるように、時代によって尊右か尊左かで揺れていた。清の趙翼によると元代は尚右とあるが、
このことが、当時の口語を反映するとされる元曲元刊本(
『元刊雑劇三十種』
)中での「左」
「右」の用例
とどの よ う な 関 連 性 を 持 つ か を 議 論 す る 。
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⑧『五行大義』でよむ『竹取物語』求婚難題譚の構成
福 永 美 佳(尚絅大学)
今回 の 発 表 で は 、
『続日本紀』によれば、遅くとも天平宝字元年(七五七)以前に日本に伝来し、陰陽
寮 で 教 科 書 と し て 使 用 さ れ て い た『 五 行 大 義 』
(隋・蕭吉の撰とされる)を手引きとして、
『竹取物語』
の求婚譚がいかに構成されているかを論じたい。
先行研究は、五人の求婚者がどの五行の元素を表象しているかを明らかにしようとしていたが、意見
の一致を見ていない。その理由の一つが、難題譚と木火土金水のいずれか一つを、一対一に対応させよ
うと試みたからであり、かぐや姫がどのように求婚を退けたかという過程に五行説を持ち込むという視
点が欠 け て い る た め だ と 考 え ら れ る 。
本発表は、『五行大義』が、求婚を失敗させる手がかりとなるものであることを示したいと考えてい
る。本発表では、この観点から、いかにかぐや姫が偽物を見破ったか、そしてなぜ求婚者が破滅したか、
につい て 論 じ る 。
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⑨顧頡剛の尚書研究の方法と経緯に関する考察
竹 元 規 人(福岡教育大学)
二〇一二年、二〇一三年に行った発表に続き、今年度は顧頡剛の尚書研究を検討する。顧は一九二〇
年代後半からライフワークとして尚書研究に取り組み、計画を完成させるには至らなかったものの、多
くの成果を残した。その研究は晩年の助手の劉起釪に引き継がれ、
『尚書校釈訳論』
(二〇〇五年刊)に
結実した。顧の尚書研究は、劉や許冠三らによって、顧の古史研究の到達点であると同時に、長い経学
の歴史と近代以来の中国古史学を総合し発展させたものと評価されてきた。その内容と論点は多岐にわ
たるが、本発表ではまず、詩経への注目から出発した顧が尚書研究に傾倒していく経緯、研究の方法と
展開、劉起釪の尚書研究との比較、そして学術史上の位置づけ、といった論点に関し、一定の見通しを
示すこ と と し た い 。
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⑩憤歎からみた法家思想の展開について 『韓非子』孤憤篇と『潜夫論』潜歎篇を中心にして —
—
横 山 裕(九州保健福祉大学)
法家思想は、李悝、商鞅、申不害、慎到といった先駆者達の思想を総合化する形で韓非(及びその後
学)によって集成された。韓非は戦国時代にあって滅亡に瀕する祖国韓を救うに有効であると信じる自
説が採用されないことに憤り孤憤篇を著した。韓非の死後、韓非の思想は秦の始皇帝の中国統一によっ
て有効性が証明された。秦は法を統一国家の根底に据えた。このことは法家思想にとって統一帝国の政
治を実際に担いうるか否かの新たな実験となった。結果は三〇年足らずで秦は滅び、その後、法家思想
は漢代において秦の反省を踏まえ実際政治上での再構築を経て漢末に至って完成する。ところが、後漢
末において法家思想の有効性を信じる王符はその有効性が発揮されない現実を歎き潜歎篇を著してい
る。一体、なぜ法家思想はその信奉者を憤歎させるのか?
本発表では、秦漢二代で法思想を説いた韓非と王符に共通する憤歎から法思想の限界について明らか
にして み た い 。
-17-
◆
大会会場案内
◆
生協食堂
コンビニ
生協食堂
コンビニ
公共交通機関の利用
【福岡空港から】
地下鉄+JR+昭和バス:
福岡空港駅―(地下鉄空港線,約25分)―姪浜駅で乗り換え(直通列車の場合乗り
換え不要)―(JR筑肥線,約8分)―九大学研都市駅―(昭和バス・九大工学部
前行,約15分)―九大ビッグオレンジ前バス停
【博多駅から】
地下鉄+JR+昭和バス:
博多駅―(地下鉄空港線,約19分)―姪浜駅で乗り換え(直通列車の場合乗り換え
不要)―(JR筑肥線,約8分)―九大学研都市駅―(昭和バス・九大工学部前行,
約15分)―九大ビッグオレンジ前バス停
西鉄バス:
博多駅前(A)バス停―(西鉄バス・九大伊都キャンパス行,約58分)―九大ビッ
グオレンジ前バス停
【天神から】
地下鉄+JR+昭和バス:
天神駅―(地下鉄空港線,約13分)―姪浜駅で乗り換え(直通列車の場合乗り換え
不要)―(JR筑肥線,約8分)―九大学研都市駅―(昭和バス・九大工学部前行,
約15分)―九大ビッグオレンジ前バス停
西鉄バス:
天神ソラリアステージ前(2B)バス停―(西鉄バス・九大伊都キャンパス行,約
45分)―九大ビッグオレンジ前バス停