地理空間情報の表現と 人間の空間認知

090917
岡部篤行東京大学名誉教授退職記念シンポジウム
「明日の空間情報科学と都市解析」
地理空間情報の表現と
人間の空間認知
若林芳樹(首都大学東京・都市環境学部)
アウトライン
1.
2.
3.
4.
5.
2
地理空間情報の多様な表現
デジタル化による地図表現の変化
地図の知覚・認知とデザイン
地理空間情報の効果的表現
地理的視覚化と空間的思考
1.地理空間情報の多様な表現
ToblerとGouldの実験

1980年代の後半,ア
メリカの地理学者
Waldo ToblerがPeter
Gouldと共同で地理
的符号化の多様性
を調べる実験を実施
した。

その方法は,世界の
友人34人に緯度経
度で宛先を表記した
手紙をTobler宛に投
函してもらうというも
ので,結果的に4通
が届いた。
3
GouldがToblerに宛てた手紙
(グールド&ピッツ編, 2008, p.328)
Toblerたちの実験結果の解釈と含意
解釈1: 「1割しか届かなかった」



人間に対する地理空間情報の伝達に緯度経度はなじまない
緯度経度の宛先を識別して配送する仕組み(ex.緯度経度を所番地
に変換する逆アドレスマッチング)がなければ郵便は届かない
cf.)インターネットのIPアドレス:コード化されたサイバースぺースの住所
解釈2: 「1割も届いた」


ユーモアのセンスと地理的知識を持ち合わせた郵便局員が緯度経
度で宛先を推理した?(宛名の”Professor”が手がかりになる)

緯度経度だけで正確に位置を特定できなくても,世界地図の基礎的知
識(ex.赤道,本初子午線など)があればおよその見当はつく
人間と機械は地理的位置について異なるコードを用いているが,表現
の背後に隠れた,コード化されていない情報を推理する能力を,人間
はもっている(ex.空間的思考)

4
日常的な地理空間情報の表現:会場所在地の例
・緯度経度:「北緯35°42‘ 57.36“, 東経139°45’ 31.98”」
→ 直接参照
・郵便・電話番号:「〒113-8657」,「℡ (81) 03-5841-8205」
・住所:「文京区弥生1-1-1 東京大学弥生講堂」
間接参照
・道案内文:「地下鉄東京メトロ 南北線「東大前」駅下車 徒歩1分」
弥生講堂のWebページの案内図
5
Google Maps
伝達のための地理空間情報の表現
おもな地理参照システム
システム
一意性の範囲 メトリック 空間解像度
地名
多様
no
地物の種類によって異なる
所番地
グローバル
no
住居表示の単位
郵便番号
国
no
郵便集配圏の面積
電話局番
国
no
多様
緯度経度
グローバル
yes
無限
Longley et al. (2005, p..112)などに基づき作成.

地球上に存在する特定の位置を表現する仕方は多様


目的,受け手,状況によって使い分けられる
とくに地図は地理空間情報を表現するのに効果的
Ex.)地図上の情報を言葉に逐一変換することの難しさ

地理情報技術によって変わる地図表現
Ex.)3D,アニメーション,音声,マルチメディア地図
6
2.デジタル化による地図表現の変化
地理空間情報の表現
+
地理空間情報の貯蔵
紙地図の時代
表現と貯蔵の分離
空間表現
空間データ
デジタル化以降
表現の多様化
7
情報量の増大
ヴァーチャル地図の登場
有形の実体か?
目で見ることができるか?
Kraak&Ormeling(2003) after Moellering (1980)
8
表層構造
(surface structure)
深層構造
(deep structure)
Nyerges (1980)
多様な地理空間表現を詰め込んだ日本のカーナビ
2D地図(平面図)
施設名,住所,電話番号で検索
音声案内
3D地図(立体図)
鳥瞰図,略図(画面分割)
※ 日本で独自の進化→ 携帯電話と同様にガラパゴス化?
9
紙地図とデジタル地図の比較


あらゆる面でデジタル地図が優位
デジタル地図にない紙地図の特性(技術的には解決可能)
 表示画面の制約→ 広い視野・一覧性の欠如
 解像度の制約→ デバイスによる細密度の限界
 携帯の容易さ・・・
①スケール
②表示範囲
③画像情報
④次元性
⑤情報の更新
⑥情報の流れ
10
紙地図
デジタル地図(GIS)
固定
固定
静止画のみ
平面(2D)が一般的
修正・更新が困難
制作者からの一方的伝達
可変
シームレス
動画も可能
3D表現も容易
修正・更新が容易
地図と利用者の対話性
地図の利用者と作成者の境界が曖昧化

作成者
利用者

一方向的情報伝達
作成者と利用者の分離
Ex.)Shannonの情報理論に基づく
地図コミュニケーション回路
デジタル化

作成者利用者

双方向的情報伝達
作成者と利用者の相互浸透
Ex.)対話型・参加型地図作成,
Web2.0(GIS/2)
11
3.地図の知覚・認知とデザイン

認知地図学(cognitive cartography)(Montello 2002)

1970年代:地図デザイン技法の科学的研究
ex.記号表現の視覚的効果 ←精神物理学,ゲシュタルト心理学

1990年代:認知科学的地図デザイン研究


Lloyd, R.:コネクショニストモデル,MacEachren,A.M.:Geovisualization
地図を読むのに必要な基礎的能力→ 心理学での研究蓄積


12
視点取得(ex.Piagetの3つ山課題),心的回転・・・
地図の種類や読図の目的によって必要な能力は異なる
Ex.)案内図から現在地と経路を探す/地形図から土地の起伏を読む
/主題図から地域的傾向を読む
心的回転課題
空間的能力(spatial abilities)

空間的視覚化(spaitial visualization)


2次元・3次元の視覚刺激の心的操作能力(ex. 心的回転).下
位能力には配置の認識・記憶・想起などがあり,幾何学的構
造を理解するのに必要.
空間的定位(spatial orientation)


(Golledge&Stimson,1997)
視覚刺激の要素を理解して別の視点からの見え方を想像す
る能力(ex.視点取得).地図の読図や空間移動に重要で,方
向感覚とも関係する.
空間的関係(spatial relation)

13
空間のパターン・形状・配置・連結・空間的自己相関・階層性・
地域区分・距離減衰・近隣関係などの分析能力.地理学的技
能を測るのには重要な項目.
4.地理空間情報の効果的表現
読み手の特性や場面に応じて効果的表現は異なる
 誰のため?:伝える相手による違い
【事例1】空間認知の男女差
【事例2】空間認知の文化的差異

どんな場面で?:地図利用の状況による違い
【事例3】整列効果と地図の整置
何のために?(目的):ナビゲーション,意思決定,知
的発見,美的鑑賞・・・
※ ユビキタス・マッピングの時代:

いつでも,どこでも,誰でも→ いつ,どこで,誰が(,何の目
的で)・・・使用される状況が重要(context awareness)
14
【事例1】空間表現と空間認知の男女差(?)

方向感覚質問紙で測ると女性の方が評価が低い


実際のナヴィゲーション課題では明瞭な男女差はみられない




男:全体的な位置関係を把握して目的地に向う(方位方略)
女:ルートに沿った目印(ランドマーク)を記憶(ルート方略)
道案内の仕方の違い



男:方向感覚に自信があるため人に頼らずに道に迷う
女:自信がないときは人に尋ねたり案内図を持参する
ナヴィゲーションの仕方(方略)の違い


自信のなさ?→ 自己評価の限界(能力とは別)
男:方位(東西南北)や距離を使う人が多い
女:目印(ランドマーク)を多用する人が多い
心的回転(mental rotation)課題

男性より女性の方が苦手→ カーナビのヘディングアップ地図は女性が好む?
※ 男女差の傾向や原因は未解明:ex.生物学的性差/ジェンダー差
15
女性のための地図(?)
『Link Link! 』(昭文社, 2003年)
 特徴
細長い判型:片手でめくれる
 ブランドショップのリスト:若い女性
向け
 若い女性向け繁華街の詳細図
 街路に沿って整置(北が上とは限ら
ない)=ヘディングアップ
 ランドマークの写真を添付
→ 空間認知の性差と符合する


地図表現の先祖返り?:中世の
帯状地図(ex.道中図)
16
【事例2】文化的影響:観光案内図の日米比較(鈴木2008)
日本の観光案内図
・言語情報より地図を重視
・道路よりランドマークや結節点
を強調
・サーベイマップ型
・案内書の配列は地域別
アメリカの観光案内図
・地図より言語情報を重視
・パス=道路を強調(道路名称)
・ルート(ネットワーク)マップ型
・案内書の配列はカテゴリー別
・住居表示方式:道路/街区
・物的環境の形態:街路パターン
・空間認知・伝達様式
17
【事例3】整列効果
地図の向きによってわかりやすさが違う


整列効果(alignment effect):覚えたとき
に使った地図の向きが,現地での身体
の向きと合わない場合,理解するのに
時間がかかり,間違いも増える。
ただし,常に整置した方がよいとは限ら
ない(Ex.広域の小縮尺地図,カーナビの
地図の向き)
地図は南が上で整置したつもりで
も,設置場所では45度ズレてい
る(岡山市内で撮影)
18
西武鉄道の路線図:整置して南が上だとわかりにくい
整列効果が現れる条件と原因

地図を見て記憶したときに整列効果が現れる

じかに経路を見たり移動して覚えた場合,整列効果は現れない

小縮尺の地図ほど整列効果が現れやすい

地上に立って覚えた場合より,高いところから見下して覚えたとき
に整列効果が起きやすい
自分の周囲を気にせずに地図だけで考えると整列効果は起きない
↓


記憶した地図と自分の周囲の環境とを同時に想起したとき,参照
枠の干渉がおきるため,整列効果が生じる



対象を見るときの参照枠の広さが影響する
カーナビでノースアップ地図を好む人は参照枠を切り替えられる?
整列効果を避けるには?

19
Ex.)整置した地図を使用する,地図に没入する,自分の周囲の空間だけを
意識する,地図を斜めから見る(地上に近い位置で対象を見る)
×
干渉
記憶した路線図(北が上)
目の前の整置した路線図(南が上)
身体の向きは意識していな
い(身体周囲の空間と地図と
は分離して捉えられている)
20
従来の地図認知研究の問題点

実験的研究の限界:

地図そのものの善し悪しよりも,それが使われる状況に即し
て評価すべき→ 生態的(ecological)アプローチ




古典的コミュニケーションモデルの限界


整置,伝える相手,使用目的・・・
地図の記号要素を切り離さずに総体としてみる
操作性(ユーザインタフェース)の影響→ デジタル特有
一方向的情報伝達,送り手と受け手の情報は不変,情報の
形式のみ(意味は対象外)
ナビゲーションなど日常的な場面が対象

21
科学的研究,専門的業務は?→ より高次の知的過程(Ex.空
間的思考)への応用
5.地理的視覚化と空間的思考

地理的視覚化(Geovisualization)(MacEachren 1995)

地理学・地球科学での科学的視覚化と探索的データ解析に基づく
分析

専門的研究のための地理情報の視覚化技術の開発(一般向けにも
応用可能)
→ 空間的思考を支援するツールとしての地図/GIS


空間的思考の3要素:空間表現はその一つ

空間概念(ex.距離測度の違い,座標系,次元)

空間表現(ex.平面図/鳥瞰図,投影法,デザイン原理)

空間推論(ex.最短距離探索,情報の外挿・内挿,意思決定)
空間的思考の応用:いずれも地図が重要な役目を果たす

22
空間的行動,空間的推論,伝達
地理的視覚化の役割


科学的視覚化と地図学の
関係


描かれる対象
非空間的

空間的
地図学

探
索
情
報
伝
達
出典:Kraak&Ormeling(2003)
23
目的
科学的視覚化
地理的視覚化の機能
提示presentation コミュニケーション
↓
総合synthesis
↓
分析analysis
↓
探索explore
視覚化
地理的視覚化への取り組み
ICA(国際地図学
会)視覚化委員会
のアジェンダ

伝達と視覚化の比較
伝達
Communication
利用者と地図との対話性
低い
地図利用
公的
地図の情報
既知の情報を提示
地図利用特性
①
地理的視覚化の認
知的・ユーザビリティ MacEachren (1995)に基づき作成
の問題
②
表現と地図学的視
覚化との関係
③
知識発見での地理
的視覚化の利用
④
ユーザインタフェー
スの問題
→ 開発されたツールの
認知科学的評価
24
視覚化
Visualization
高い
私的
未知の情報を発見
GeoViz Toolkit のインタフェース(GeoVistaより)
データ・情報から知識・知恵へ

GISの“I”(情報)をめぐる2つのメタファ(Poore&Chrisman 2006):

不変のメタファ:ex. Shannonの情報理論


送り手と受け手の情報が変わらないことが理想
洗練のメタファ:ex. Wienerのサイバネティクス
情報の階層性:データ,情報,知識,知恵
Cf.) GIS vs. GKS(地理知識システム)(Taylor 1990)


知識を生み出す空間的思考を支援するGIS&T


地理空間情報をよりよく“読む“ための地理的視覚化
「木を見ながら森を見る」 “see the wood for the trees”
知恵
知識
情報
データ
25
Shannonのモデル
情報のピラミッド
参考文献
グールド,P.&ピッツ,F.編 2008. 『地理学の声』古今書院.
村越 真・若林芳樹編 2008. 『GISと空間認知』古今書院.
若林芳樹 1999. 『認知地図の空間分析』地人書房.
若林芳樹 2008. 地理空間の認知における地図の役割.認知科学 15(1): 3850.
Kraak, M.-J. & Ormeling, F. 2003. Cartography: Visualization of geospatial data 2nd
ed.. Harlow: Prentice Hall.
Longley, P. et. Al. 2005. Geographic Information Systems and Science 2nd. Ed..
Chichester: Wiley.
MacEachren, A.M. 1995. How Maps Work. New York: Guilford.
National Research Council 2006. Learning to Think Spatially. Washington DC:
National Academies Press.
Poore, B.S. & Chrisman, N.R. 2006. Oreder from noise: toward a social theory
of geographic information. Ann. Assoc. Amer. Geogr. 96: 508-523.
26
地図を「見る」から「読む」へ

高野孟(1999)『最新世界地図の読み方』
「世界地図は,大人の目で見てこそ,さらに面白い。大人になっ
た今だからこそ,世界地図を「見る」だけでなく「読む」ことがで
きる。」
「今まで,われわれの地図的想像力は,あれこれと地図や地図
帳をひっくり返して目的に適った地図を探したり,それを別の
地図と並べて頭の中で重ね合わせてみたりすることに大半が
費やされてきた。しかしこれからは,そういう初歩的な作業は
マシンとソフトウェアに任せきりにして,われわれ自身はその
遙か先まで想像力を伸ばし…」
27