Discussion Paper No. 43 市場経済移行下のベトナム鉄鋼業 ―その達成と課題― 川端望 2015 年 5 月 Data Science and Service Research Discussion Paper Center for Data Science and Service Research Graduate School of Economic and Management Tohoku University 27-1 Kawauchi, Aobaku Sendai 980-8576, JAPAN 市場経済移行下のベトナム鉄鋼業 -その達成と課題- 川端 望 【要旨】 本稿の目的は,市場経済移行下におけるベトナム鉄鋼業の達成と課題を明らかにす ることである。ベトナムでは,工業化水準の低さに制約されながらも,鋼材集約度が 高い経済構造に助けられ,建設用鋼材を中心に鉄鋼需要が拡大している。そして,鉄 鋼業は,総じて言えば,市場経済移行の下,民間企業や外資企業を中心的担い手とし て,拡大する国内市場を獲得して生産を拡大させている。競争による優勝劣敗の選択 が正常に機能しつつある。生産体制が脆弱であること,能力過剰が設備稼働率を低迷 させていることなど課題は多いが,投資競争の下で次第に改善される傾向がみられる。 ただし,国有企業の経営状態や政府に依存した投資行動には改善が見られず,その改 革を加速することが急務である。 I はじめに 1 本稿の課題 本稿の目的は,市場経済移行下におけるベトナム鉄鋼業の達成と課題を明らかにするこ とである。とくに,国内需要の増加に対応した輸入代替と生産の拡大,生産体制の整備と 設備投資が,市場経済化による競争圧力によって進展しているかどうかを検証する。それ は,政府の政策によって競争が歪められていることがないかどうかを検討することでもあ る。あわせて,ベトナムに独自の特徴を抽出することを試みる。 まず,英語・日本語による先行研究を検討し,分析視角を提示する。ベトナム鉄鋼業は 今世紀になって,短期間の間に大きく姿を変えたため,事実経過と研究の経過を対応させ ながら述べたい。 2 ベトナム鉄鋼業と市場経済移行:事実経過と先行研究の到達点 (1) 日越共同研究によるベトナム鉄鋼業研究の開始 1990 年代前半までは,ベトナム鉄鋼業の産業規模が非常に小さかったために,英語圏・ 日本語圏ではアカデミックな研究は皆無であった。産業発展の課題を経済学的に提起した のは,国際協力事業団(現・国際協力機構)(JICA)とベトナム計画投資省との間で実施 されたベトナム市場経済化に関わる日越共同研究(1995-2001 年)であった1 。 この研究は 3 つのフェーズからなっていたが,フェーズが進むにつれて,ベトナムが貿 易・投資の自由化という国際環境の下で市場経済化と工業化を推進しなければならないと いう認識が共有されていった(今岡・大野[1999],大野[2000],大野・川端編著[2003])。 その際,ベトナム側が,銑鋼一貫企業を含む鉄鋼業の育成策を強く求めてきたのに対して 日本側ではこれを慎重に検討していた。というのは,経験的に見て,鉄鋼業は資本集約的 であるために途上国では比較優位分野になりにくく,また輸入代替産業となりやすいとみ られたからである。こうした産業の育成には幼稚産業保護を必要とする場合が多く,1990 年代以後の,貿易・資本の自由化という通商政策の潮流には合致しにくいと思われていた。 しかし,検討の結果,鉄鋼業の育成にもそれなりの位置づけが与えられる方向に議論は 進んでいった。まず最初に指摘されたのは,ベトナムの産業基盤が弱いために,工業化を 進めていくと, 「たとえば製造工業製品の輸出が拡大しても,同時に,当該輸出製品の生産 に必要な関連部品・資本財のかなりの輸入増大をともなう」(今岡・大野[1999: 215])とい うことであった。機械原料であり建設資材である鉄鋼はこの現象が深刻であり,1989-95 年の産業別輸入誘発係数では最大であった(今岡・大野[1999: 215])。この指摘を受けて, 日本側メンバーは,ベトナムは経済政策の潮流にしたがって,貿易・投資の自由化の下で の輸出志向工業化をめざすべきとしながらも,それが誘発する鉄鋼の国内需要を捕捉し, 輸入を代替するために,鉄鋼業を段階的に建設する戦略も補足的に求められるという視点 を獲得していった(日越共同研究プロジェクト貿易産業部会日本側メンバー[2001],川端 [2003: 174][2005: 174])2 。 この拡大を推進するための産業政策と事業主体は,当初はベトナム鉄鋼公社(Vietnam Steel Corporation=VNS),および VNS と外資との合弁企業と想定されていた。日越共同研 1 2 日越共同研究は正式名称を「ヴィエトナム国市場経済化支援開発政策調査」と言い,1995 年 4 月の 日越首脳会談での合意をうけて実施された事業である。日本政府の制度的枠組みとして JICA の開 発調査事業であり,ベトナムとの関係においては JICA とベトナム計画投資省(MPI)の共同研究 であった。主査であった石川滋氏にちなんで,「石川プロジェクト」と呼ばれた。主査によるプロ ジェクト全体の回顧として石川[2006]第 5 章がある。 鉄鋼を消費する産業からの後方連関効果を重視して鉄鋼業発展の可能性を探る方法は,韓国を事例 とする研究で従来から存在していたが(小島・渡辺[1983],今岡・大野[1985]),「日越共同研究」 以後は,貿易・資本の自由化のもとで途上国鉄鋼業の発展を探る切り口として,より注目されるよ うになった。佐藤[2014: 23,24.27]とそこでの引用文献を参照。 2 究では,国際経済統合を妨げない程度の限定された保護の下で,VNS が合理的な産業発展 計画を立て,実行することは不可能ではないとみていた。しかし同時に,大規模で近代的 な投資を遂行するためには,外資企業が関与することが不可欠であるとした(日越共同研 究プロジェクト貿易産業部会日本側メンバー[2001],川端[2001])。 (2) ベトナム政府の鉄鋼産業政策 VNS は,漸進的な産業建設を目指す鉄鋼業のマスタープランを作成して政府の承認を獲 得し,冷延鋼板製造企業や電炉・圧延企業を建設した。これは,大筋では,日越共同研究 の結果とも一致していた。しかし,ベトナム政府の姿勢は 2000 年代半ばに大きく転換した。 VNS による鉄鋼業建設計画へのコミットメントを著しく弱める反面,外資と民間企業の参 入を歓迎し,外資 100%の投資も許容するようになったのである。 これは市場経済化をより推進する方向ではあったが,1つの不十分性と1つの行き過ぎ が現れていた。不十分性とは,すでに民間企業が多数出現した条鋼セクターについて,VNS による投資計画を見直すことがなかったことであった。行き過ぎとは,外資による大型プ ロジェクトに対して,その実現性をよく審査することなく,次々と認可を与えたことであ った。大型プロジェクトの中には,着工の見通しがまったくないままにライセンスを獲得 して土地を占拠する投機的なものも少なくなかったのである(Kawabata[2007])。 (3) 先行研究によるベトナム鉄鋼業の評価 こうした政策転換のもとでベトナムの鉄鋼生産は拡大していった。これに対して,日越 共同研究を引き継いだ国民経済大学(NEU)と JICA との共同研究(2001-2004 年)とベト ナム開発フォーラム(VDF) (2004-),それにアジア経済研究所における「アジアにおける 鉄鋼業の発展と変容」研究会で3 ,川端望がベトナム鉄鋼業を担当して調査を行った。川端 は,民間企業と外資企業の成長がベトナム鉄鋼業に新局面をもたらしたとして,産業政策 を 市 場 経 済 に ふ さ わ し い も の に 転 換 す べ き こ と を 提 案 し た ( 川 端 [2005][2007] , Kawabata[2007]) 。まず,条鋼セクターでは民間企業が現代的な生産を行えるようになった ことを踏まえ,VNS はイコール・フッティングでこれと競争すべきとした。また鋼板セク ターを中心とした大型プロジェクトでは,市場経済下であっても政府がプロジェクトの質 を審査すべきことを強調した(川端[2005],Kawabata[2007])。あわせて,環境規制,貿易 自由化を合理的な順序と速度で進めることを提案した。同じころ,早稲田大学ベトナム総 合研究所の共同研究では保倉裕が,外資プロジェクトの合理性を検討していた(保倉 [2010]) 。 3 VDF は 2013 年まで政策研究大学院大学(GRIPS)と NEU の共同研究事業であり,また 21 世紀 COE, GCOE の事業の一環でもあった。2013 年以後は独立した研究機関となっている。VDF の活動に参 加していた川端望がアジア経済研究所の研究会にも参加しており,同趣旨の論文がアジア経済研究 所では日本語で(川端[2007]),VDF では英語で発表された(Kawabata[2007])。 3 しかし,2010 年代にはベトナム鉄鋼業を対象とした研究はほとんど途絶えてしまった。 わずかに,冷延鋼板企業のビジネスモデルに関する川端の研究(川端[2011])と,アセア ン鉄鋼業の 1 つとしてベトナムをも概観する研究があるのみとなっている(保倉[2014]) 。 世界金融危機を経た市場動向と輸入代替の進展,生産構造の現代化の到達点とその限界を 解明することが必要である。 とくに,2016 年には台湾資本による大型銑鋼一貫企業フォルモサ・ハティン・スチール (Formosa Ha Tinh Steel=FHS)の稼働が予定されている。これによってベトナム鉄鋼業の 生産構造は大きく変動すると予想される。大型銑鋼一貫企業が不在であったこれまでの時 期を総括しておくことは有意義であろう。また,FHS の出現がベトナム鉄鋼業にどのよう な可能性を拓くのか,従来から存在する企業にとって競合する存在なのか,それとも共存 しうる存在なのかなどを明らかにするためにも,市場と生産の現状を改めて把握しなけれ ばならない。研究の空白を埋めることが必要なのである。 (4) アセアンの中のベトナム鉄鋼業 アセアンの鉄鋼業全体に目を向けると,本格的な銑鋼一貫体制が存在しないという条件 の下で,発展の方向を探り,到達点を評価するという課題は実は共通であった 4 。2000 年 代にはアジア経済研究所のプロジェクトにより,タイ,マレーシア,インドネシア,ベト ナムのそれぞれについて研究がすすめられた(佐藤編[2007][2008])。この研究は,各国の 固有の社会・経済条件が産業発展をどう規定したかを詳細に解明した。と同時に,タイの 事例をもとに,外資系企業による輸出志向の産業発展が,アセアン諸国の鉄鋼市場にある 程度共通の傾向をもたらす可能性も提起された(川端[2008])。すなわち,輸出産業からの 後方連関効果によって鉄鋼業に発展の機会が生まれるとともに,一部で早期に高級鋼材の 需要が生まれて市場が階層化するという現象である。ベトナムについても階層性の存在は 指摘されたが,高級鋼材の需要は小さいとされた(川端[2007][2011]) 。 ベトナム鉄鋼業はアセアンの中でも後発であるが,他国に比して発展のスピードは速い。 国内市場のありかたを出発点として,輸入代替経路,生産構造が持つ特徴を,他のアセア ン諸国と比較しながら分析することが必要である。本稿はこの課題にも挑みたいと思う。 (5) 世界的能力過剰の下で問われる市場経済化 2010 年代になって,世界の鉄鋼業では過剰能力の存在が注目されるようになってきた。 OECD 鉄鋼委員会の推計によれば,世界の粗鋼生産能力は 2013 年に 21 億 6400 万トンに達 したが,需要は 16 億 4800 万トンであり,需給ギャップは 5 億 1600 万トンに達した (OECD[2015:7])。生産能力は,今後も拡大する見通しである。OECD のポリシーペーパ 4 インドネシアやマレーシアには,直接還元炉による製鉄企業が設立されたが,大型銑鋼一貫企業の ような供給体制を整えるに至らなかった。 4 ーは,その原因の一つとして,政府の介入をあげている。新生産能力を追加するプロジェ クトへの承認や補助,また非効率な設備を維持しようとするための補助が競争をゆがめて いるというのである(OECD[2015])。ただし,そうした行為を行っている国を名指ししては いない。 過剰能力の検出の上では,未稼働の生産能力が最も多く存在している中国が注目される のが自然なことである。しかし,ベトナムを含む他の新興国の生産能力拡大も注目される ようになっている。世界的な能力過剰のもとで生産能力を拡大することは反競争的行動で はないか,と問われやすい情勢が生じているのである。とくにベトナムは市場経済移行国 であり,現在の産業発展が市場経済化の産物であるのか,なお残る政府の介入によるもの であるのかは,必ず問いただされる立場にある。 日越共同研究から VDF に至る先行研究は,ベトナム工業化の見地から見て,国際経済統 合と市場経済化を不可避の前提としたうえで,それでも必要となる産業政策を明らかにし ようとしてきた。これに対し,現在求められているのは,現に実行されている産業政策が, 国際的にみて市場と競争をゆがめる反競争的なものでないかどうかの点検なのである。 3 分析視角と本稿の構成 (1) 分析視角 以上の事実経過と先行研究を踏まえて,本稿の分析視角を設定しよう。 本稿は,ベトナムの鉄鋼業の発展を,市場の拡大に応じて輸入を代替し,さらに生産を 拡大する過程が円滑に進行しているかどうか,それが市場経済移行と競争の作用であるか どうかを尺度として評価する。 まず国内需要を分析し,需要の特質をアセアン諸国と比較する。需要分析を生産の分析 に先行させるのである。 次に,設備投資と生産の動向を分析する。その際,一方では,国際的な水準から見て現 代的な技術が選択されているかどうかを評価する。と同時に,市場の需要に応える技術選 択であるかどうかの評価も行う。問題の残る技術であっても,ベトナムの市場に対応して いるのであれば,存在意義があると言えるからである。 また生産と投資を評価する際に,一時点での水準だけではなく,時系列的に見た傾向を 重視する。生産規模が小さいことや技術の方式が現代的でないことから,ただちに否定的 な評価を導くべきではない。むしろ,傾向として,需要の拡大に応えながら技術が現代化 しつつあるか, 政府の支援を受けない企業が優位に立ちつつあるかに注目すべきであろう。 そうした優勝劣敗が進行しているのであれば,ベトナムの市場経済化は鉄鋼業において機 能しており,産業発展を促進しつつあると言えるからである。 5 これら産業組織自体の分析とあわせて,政府の通商・産業政策を評価する必要がある。 これは,一方では国有企業改革の進行状況を,他方では政府の支援によらない民間企業, 外資系企業の発展を,そして輸出入に対する政策の影響を尺度として評価することができ るだろう。 (2) 本稿の構成 以下,第Ⅱ節ではベトナムの国内鉄鋼市場がどれほど拡大しているかを分析する。まず, 他のアセアン諸国との比較において市場規模の拡大の度合いと,主要な需要産業および需 要される鋼材の品種を明らかにする。第Ⅲ節では鉄鋼生産と設備投資について分析する。 どのような産業向けのどのような品種の鋼材において輸入代替が達成されたのか,その生 産にあたってはどのような企業がどのような技術を採用しながら投資を進めているかを明 らかにする。その上で,FHS が稼働することの意義を述べる。第Ⅳ節では,ベトナムの鉄 鋼貿易を分析する。ベトナムの鋼材輸出と輸入の性質を明らかにし,能力過剰に誘発され た輸出ドライブが生じているかどうか,海外の能力過剰による輸入鋼材の流入が市場にど のような影響を与えているかを明らかにする。第Ⅴ節は結論である。 II ベトナム鉄鋼市場の拡大 1 国内市場の拡大 アセアン諸国の鉄鋼消費の推移を図示したのが図 1である5 。 ベトナムの鉄鋼需要は 2000 年代前半には毎年伸び続け,2007 年に 900 万トンを突破した。その後は上下を繰り返しな がらも,2013 年には史上最高の 1176 万 9000 トンに達した。1990 年代にはアセアン諸国中 最下位であったが,2013 年にはタイ,インドネシアに次ぐ 3 位となった。 図示したアセアン 6 か国の中では,ベトナムは GDP が 5 位,1 人当たり GDP では最下 位である。にもかかわらず鋼材需要が 3 位ということは,GDP 当たりの鋼材消費(鋼材集 約度)が高いことを意味する。鋼材集約度を 2011-2013 年単純平均で算出すると,ベトナ ムは 24.7 グラム/ドルと 6 か国中のトップであり,2 位であるタイの 17.9 グラム/ドル, 5 ここでは重量ベースの鋼材見掛消費を需要の指標としている。見掛消費とは生産に輸入を加え,輸 出を差し引いた値であり,在庫変動を考慮しない需要指標である。鉄鋼業における工程は 製銑・製 鋼・圧延の主要 3 段階があり,圧延には熱間圧延と冷間圧延がある。製管は圧延に準じたものと扱 うことができる。さらに圧延後に表面処理や加工がおこなわれる。表面処理までが,通常,鉄鋼業 に属するものとして扱われる。工程のどの段階で需要を見るかで数値は変わってくる。ここでの鋼 材見掛消費は,熱間圧延鋼材の生産に全鋼材輸入を加え,全鋼材輸出を差し引いたものである。ア セアン諸国では熱延鋼材を輸入して冷延したり,冷延鋼材を輸入して表面処理したりする企業が多 い。この部分についての二重計算を回避するためには,この計算方法が適している。 6 図 1 アセアン諸国の鋼材需要推移 18000 16000 14000 インドネシア マレーシア 12000 フィリピン 10000 千 ト ン シンガポール タイ 8000 ベトナム 6000 4000 2000 0 年 (注) 見掛消費は生産から輸出を引き、輸入を加えたもの。SEAISI は重複計算を避けるために,生産は 熱延鋼材、輸出入は最終鋼材で見ている。 (出所) SEAISI[various years]より作成。 マレーシアの 14.2 グラム/ドルを大きく引き離している6 。これは,ベトナムが鉄鋼を消 費しやすい経済構造を持っていることを意味している。 需要の変動はベトナム経済全体の動向,とくに投資と密接にかかわっていた。ベトナム 経済は 2007 年まで 3 年連続 8%台の高成長を続け,とくに 2007 年には投資ブームの様相 を呈していた(CIEM[2013:44])。2008 年の世界金融危機で成長率は低下したが,政府の経 済刺激策によって一時的に回復した。しかし,急速にインフレーションが広がったために, 政府は 2010-11 年には引き締め策に転換した。ベトナム経済の総投資額成長率は 2002-06 年平均には 13.4%であったが,2007-11 年平均には 8.3%に低下した。後者の期間は,27.0%, 7.8%,11.4%,7.8%,-9.3%と上下を繰り返した(CIEM[2013:80-81])。この投資の上下が 時にはタイムラグを伴いながら鋼材見掛消費に反映したものと思われる。 6 GDP,1 人当たり GDP は World Bank, Data のオンラインデータベース(http://data.worldbank.org/) よ り(2015 年 4 月 28 日検索)。2011 年価格の購買力平価による数値を用いた。 7 2 国内鉄鋼市場の構成 (1) 建設用条鋼需要の中心的役割 それではベトナム鉄鋼市場の構成はどのような特徴を持っているだろうか。他のアセア ン諸国,とくに鉄鋼需要の大きいタイ,インドネシア,マレーシアと比較しながら見てみ よう。 まず受注先産業の構成であるが,その把握は容易ではない。鋼材の受注先産業を把握す る統計は,日本には存在するがアセアン諸国には存在しない。受注先について唯一,各国 を横断して行われている調査は,日本鉄鋼連盟が会員企業の各国拠点に対して行っている アンケート調査である。2012 年の調査結果が経済産業省の「アジア地域における鉄鋼産業 基盤戦略調査」報告書に掲載されているが(経済産業省[2014:7]),これによると,ベトナ ムの特徴は,何よりも建設業からの需要の割合が 65%と大きいことである。タイでは 54%, マレーシアでは 38%,インドネシアでは 61%である。対して,自動車産業からの需要はベ トナムでは 3%と著しく小さい。タイは 16%,マレーシアは 14%,インドネシアは 19%で ある。 建設用鋼材の需要を,鋼材需要の品種の構成から考えてみる7 。アセアン諸国鋼材需要を 条鋼類と鋼板・鋼管類に分けて示したのが図 2である。発展途上国の場合,条鋼類はほと んどが建設用として用いられる8 。一方,鋼板・鋼管類の用途は様々である。そのため,ま ずは条鋼類を建設用の需要を反映したものとして見てみる。すると,まず目に付くのは, ベトナムは条鋼類に限ると需要量がアセアン最大だということである。これに対し鋼板・ 鋼管類では鋼材全体と同様に,タイ,インドネシアに次ぐ 3 位となる。条鋼類の比率を見 ると 52.4%であり9 ,鉄鋼需要の多い諸国の中では,マレーシアよりは低いが,タイ,イン ドネシアよりは高い。つまり,ベトナムは鋼材需要の総量としてはタイ,インドネシア, マレーシアに急速に追いついたが,その構成から見ると建設用の需要に依存しているとい うことである。 2013 年の品種別需要を詳しく見ると,条鋼類の 65.0%は棒鋼,29.8%は線材が占めてい る。これは,鉄筋コンクリート製の建設工事が需要の大半を占めていることを意味する。 ベトナムではオフィスビルやマンション・アパートのみならず,一戸建て住宅にも鉄筋コ 7 8 9 建設産業は国を超えて比較可能な物量指標がないために,建設用鋼材の需要量そのものに注目する。 東南アジア鉄鋼協会統計では条鋼類は「レール・付属品」,「シートパイル」,「形鋼」,「棒鋼」,「線 材」の 5 品種からなる。このうち「レール・付属品」は鉄道用鋼材であるが,他は途上国ではほと んど建設用である。先進国になると,線材や棒鋼の需要に占める機械構造用の割合が拡大する。 SEAISI[2014]。本稿では SEAISI の公式数値を多用する。以後,出所が記されていない統計数値は, すべて SEAISI[various years]からの引用,またそこからの計算によるものである。 8 図 2 アセアン諸国の品種別鋼材需要構成(2011-2013 年平均) 18,000 16,000 14,000 12,000 千 10,000 ト ン 8,000 鋼板・鋼管類 6,000 条鋼類 4,000 2,000 0 出所:SEAISI[2014]より作成。 ンクリート製が多い。面積 100 平方メートル当たり 2.6 トンの鉄筋を使用するという10 。建 設業の成長が棒鋼・線材需要に直結するのである。 これに対して,製造業からの需要は弱い。表 1は,鋼材を需要する製造業の生産動向を 国別に比較したものである11 。ベトナムでは,タイ,インドネシアに比べると四輪自動車(乗 用車,商用車)と白物家電の生産量が小さい。このことが鋼板類の需要の差につながってい ると推定できる。とくに,自動車の生産台数の差は決定的に大きい 12 。便宜的に日本製小 型乗用車の推計原単位 1152 キログラム/台を用いると(玉城・醍醐・林・松野・足立[2009]), 自動車用鋼材の需要がタイでは 279 万 8000 トン,インドネシアでは 122 万 8000 トン生み 10 共英製鋼におけるインタビュー(2014 年 8 月 4 日)。 製造業は,建設産業とは逆に,各種製品の生産量に比較可能な物量指標が存在する一方で,鋼材 の品種と需要産業が直結していない。例えば厚板は船体にも使われるが建設にも使われる。亜鉛め っき鋼板は自動車の車体にも使われるがトタン屋根にもなる。このため,製品の生産量から鋼材需 要を推定する。 12 玉城・醍醐・林・松野・足立[2009]の推定によれば,2005 年度の日本における 1 台あたり鋼材原 単位は普通乗用車が 1633 キログラム,小型乗用車が 1152 キログラム,軽四輪車が 794 キログラム である。経験則的に語られる原単位はもう少し小さく,700-800 キログラムであることが多い。例 えば,杉本[2007:49]や『日刊鉄鋼新聞』2015 年 1 月 29 日を参照。これは,玉城らが自動車産業へ の鋼材投入量を用い,したがって加工工程でスクラップとなった鋼材を含んでいるのに対して,経 験則的に語られる原単位は,完成車の重量当たりの原単位を指しているからだと思われる。 11 9 表 1 アセアン諸国における自動車・家電製品生産台数 四輪車(2012年) 二輪車(2012年) 冷蔵庫(2011年) 洗濯機(2011年) ベトナム 40,470 3,634,500 (911000) (582000) タイ インドネシア マレーシア 2,429,142 1,065,557 569,620 2,606,161 7,079,721 6,505,000 2,857,000 422,000 5,872,000 729,000 312,000 フィリピン 日本(参考) 55,360 9,943,077 588,458 563,169 301,000 2,006,995 645,000 2,292,249 注:ベトナムの冷蔵庫とエアコンは2010年のもの。 原資料:冷蔵庫,洗濯機について。アセアン諸国は日本電機工業会。日本は経済産業省『生産動態 統計調査』。 出所:二輪車,四輪車は,ベトナムの二輪車のみGeneral Statistics Office of Vietnam[2014:505]より。 それ以外は日本自動車工業会[2014:13-14,199]より。家電はアセアン諸国は松岡[2012],日本は日本 電機工業会「各種統計データ」のページ(http://www.jema-net.or.jp/Japanese/data/data1.html) (2015年3月6日検索)より。 出されるのに対して,ベトナムではわずか 4 万 7000 トンである。他方,ベトナムは二輪車 (オートバイ)生産ではインドネシアには及ばないもののタイを上回っている。これはこれ で一定の冷延鋼板や構造用鋼管の需要を生み出しており,重要な意義がある。しかし,二 輪車の 1 台あたり鋼材使用は,信頼できる推計がないものの,自動車よりははるかに小さ いと考えられる13 。オートバイ生産では,自動車生産の少なさを相殺できないだろう。 (2) 鋼板類需要の伸びが意味するもの それでは,現時点での総需要に占める割合ではなく,傾向としての需要の伸び率を品種 ごとに見るとどうだろうか。表 2はベトナムの品種別鋼材需要を 2005 年と 2013 年につい て見たものである。 まず条鋼類と鋼板・鋼管類の比率を見ると,鋼板・鋼管類の比率が 2005 年の 43.2%から 2013 年の 50.4%に上昇している。一般的には,条鋼類よりは鋼板・鋼管類の方が,製造業 向けに用いられやすい。よって正確な度合いはわからないが,製造業向けの比率が徐々に 拡大している可能性が高い。 ただし,鋼板類の最終需要を見ると,留保すべき点も浮かんでくる。熱延鋼板類の需要 には冷延母材や製管母材としての需要が,冷延鋼板類の需要には表面処理母材としての需 要が含まれている。そこで 2013 年について,各品種について次工程の母材としての需要を 取り除いた最終需要を推定してみると,熱延薄板・帯鋼が 288 万 5000 トン14 ,冷延鋼板類 がわずか 2 万 4000 トン,そして表面処理鋼板類が 209 万 5000 トンとなる。見掛消費が在 庫変動を反映していないための異常値の可能性があるが,過去にさかのぼってみても,冷 延鋼板類の最終需要は 2010 年の 80 万 1900 トンを最高として,2011 年は 25 万 3878 トン, 13 オートバイの総重量を,小型乗用車の 10 分の 1,重量に占める鋼材比率を小型乗用車と同様とす れば,1 台あたりの鋼材使用量は小型乗用車の 10 分の 1 程度だと推定される。 14 鋼板類の相互関係だけを見ることが目的であるため,ここには溶接鋼管の母材としての需要は含 んでいる。 10 表 2 ベトナムの鋼材品種別見掛消費とその伸び 2005 鋼材合計 条鋼類計 鋼板・鋼管類計 鋼板・鋼管類比率 形鋼 棒鋼・線材 厚中板 熱延薄板・帯鋼 冷延鋼板類 表面処理鋼板類 鋼管類 単位:トン。 出所:SEAISI[various years]。 増加倍 2013鋼板・鋼管 率 類最終需要 6,109,124 2.1 2,619,196 1.8 3,489,928 2.4 2013 増加量 5,659,876 11,769,000 3,212,804 5,832,000 2,447,072 5,937,000 43.2% 50.4% 338,103 257,000 2,874,701 5,529,000 638,265 819,000 729,210 5,027,000 783,682 2,229,000 553,838 2,095,000 541,101 933,000 -81,103 2,654,299 180,735 4,297,790 1,445,318 1,541,162 391,899 0.8 1.9 1.3 6.9 2.8 3.8 1.7 2,885,000 24,000 2,095,000 933,000 2012 年は 32 万 6000 トンに過ぎない。つまり,ベトナムでの製品としての鋼板需要は,主 に熱延薄板・帯鋼と表面処理鋼板によって構成されており,冷延鋼板類は最終製品として 使用されず,ほとんど表面処理鋼板類の母材になっていると考えられる。一般的に,冷延 鋼板類は製造業向けの比率が高い鋼材である。逆に,表面処理鋼板類は,途上国ではまず 工場,倉庫,住宅の屋根や壁,ダクト,シャッター等の材料として建設産業向けに用いら れることが多く,工業化の進展とともに自動車の車体や家電製品の筐体などに用途がシフ トしていく。ベトナムの場合も,工場の屋根はもちろん,前述の鉄筋コンクリート製一戸 建て住宅の屋根用材料としてカラー鋼板が用いられることが多い。一方,製造業向けの需 要は前述の通り大きくない。そのため,冷延鋼板類が少なく表面処理鋼板類が多いという ベトナムの需要構成は,その用途が建設向けに偏っていることをうかがわせるものである。 III 鉄鋼生産の拡大 1 輸入代替の進展とその限界 (1) 3 つのセクターが分離した生産構造 鉄鋼生産は,品種別大分類によって条鋼類,鋼板類,鋼管類に分かれ,さらに工程が多 段階にわたっていることを踏まえて評価しなければならない。ベトナムでは条鋼類と鋼板 類,鋼管類とで,大きく異なるセクターが形成されている。3つのセクターにおける工程 別の生産・輸出入をマテリアル・フローとして示したものが図 4 である。これによって, 11 図 3 ベトナム鉄鋼業の大分類品種別マテリアル・フロー(2013 年)。 高炉 銑鉄生産 能力 3829 生産 N.A. スクラップ国内供給 2371 電炉-ビレット連続 鋳造 ビレット輸出 354 条鋼類国内市場 5832 能力 11430 条鋼圧延 生産 5474 能力 11480 輸出 547 棒鋼 468 生産 5123 銑鉄・スクラップ輸 入 3265 ビレット・鋼塊輸入 366 条鋼類輸入1256 棒鋼161 線材735 鋼管類国内市場933 鋼管類輸入 171 冷延鋼板類輸入(電磁鋼板含む) 632 輸出207 造管 能力 2115 生産 969 熱延鋼板類輸入(薄板・帯鋼,厚中 板) 6039 冷間圧延 能力 3430 生産 1992 表面処理鋼板類輸入 693 単位:1000トン。出所:SEAISI[2014]より作成。 鋼板類国内市場 5004 熱延鋼板類 2885 冷延鋼板類 24 表面処理鋼板類 2095 めっき/カラー塗装 能力 3419/663 生産 2205 輸出 1391 熱延鋼板類 193 冷延鋼板類 395 表面処理鋼板類 803 3つのセクターのマテリアル・フローが国内生産においてはまったく分離していること, 鋼板セクターと鋼管セクターが共通の輸入母材を持つというつながりのみを持っているこ とがわかる15 。そして,条鋼類では粗鋼・半製品(ビレット)生産が行われている一方, 鋼板類と鋼管類では粗鋼・半製品も熱延鋼材も生産されておらず,ベトナム国内には冷延 工程,表面処理工程,製管工程のみが存在することがわかるのである。 (1) 粗鋼自給率の向上と条鋼セクターでの粗鋼生産の確立 粗鋼生産の確立は,鉄鋼業の発展の一指標である。ベトナムの場合は,粗鋼生産は条鋼 セクターに限られており,そこでは粗鋼は連続鋳造されて半製品のビレットとなる。つま り,粗鋼生産とビレット生産はほぼ等しい。 条鋼類とビレットの需給関係推移を表したのが図 4と図 5である。ベトナムでは単純圧 延による建設用条鋼の自給化は 2000 年代前半に達成されたが,条鋼生産の拡大とともにそ の母材であるビレットの輸入が伸びるという問題を伴っていた。しかし,2005 年以後,粗 鋼・ビレット生産が急速に伸びて輸入が急減し,2013 年には輸出入が拮抗するに至った。 内需に対応して川下から川上へと生産が拡大したのである 16 。こうして,建設産業向け条 鋼類セクターにおいては,サプライ・チェーンが粗鋼レベルから確立された。次の課題は, 粗鋼の鉄源としてのスクラップまたは銑鉄の安定的確保であろう。 建設用条鋼向けに限られているにもかかわらず,この粗鋼生産拡大は,他のアセアン諸 国と比べても目覚ましいものであった。これを示すのが図 6である。2005 年には 100 万ト ンに満たなかったベトナムの生産量が,2013 年には 547 万 4000 トンに達し,アセアン諸 国のトップを占めるに至ったことがわかる。最終需要に対する粗鋼の自給率を,鋼材見掛 消費に占める粗鋼生産で測ると,ベトナムは 2005 年には 15.7%に過ぎなかったが,2013 年には 46.5%に達した。そして,ベトナムの粗鋼(鋼塊・半製品)貿易は,輸入 36 万 6000 トンに対して,これにほぼ等しい 35 万 4000 トンの輸出を記録するまでに至った。拡大す る建設需要に対応することによって,ベトナムは粗鋼生産という,鉄鋼業の重要な生産段 階において輸入代替を画期的に進展させたのである。 15 熱延鋼板類が生産されている国では,鋼板類セクターと,鋼管類セクターは共通の熱延工程を持 つ。また銑鋼一貫企業が多様な鋼材をフルライン生産している国では,3つのセクターが共通の製 銑工程,製鋼工程を持つ。 16 これは赤松要の雁行形態論を想起させる構図である(Akamatsu[1962])。ただし,鉄鋼業について 製品の多様化と変遷を考える場合,ここで生じている川下から川上へという流れが唯一のものでは ない。低級品から高級品へという流れも想定しうる。また,製品選択の原理には,ここで見られる 内需拡大に対応した選択の他に,比較優位に対応した選択もありうる。こうした多様なパターンと 雁行形態論の理論的な構成の関係について,いま立ち入って論じる余裕がない。ここでは,ただ内 需拡大に対応した生産拡大,輸入減と輸出の開始という発展の構図が見られることが確認できれば よい。 図 4 ベトナムにおける条鋼類の需給推移 7000 6000 生産 5000 千 ト ン 輸入 4000 3000 輸出 2000 見掛消 費 1000 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 図 5 ベトナムにおけるビレットの需給推移 7,000 6,000 生産 5,000 千 ト ン 4,000 輸入 3,000 輸出 2,000 見掛消費 1,000 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 14 図 6 アセアン諸国の粗鋼生産推移 7000 6000 インドネシア 5000 マレーシア フィリピン 4000 シンガポール 千 ト ン タイ 3000 ベトナム 2000 1000 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 (2) 川下に限定された鋼板・鋼管セクターの生産拡大 これに対して鋼板・鋼管セクターでは,生産の拡大は熱延工程よりも川下に限られてい た。 まず表面処理鋼板について,図 7が示すように需要の伸びと歩調をそろえて生産が拡大 して来た。近年は輸出と輸入がともに伸びているが,これは細かな仕様別のすみわけが進 んでいるからであろう。詳しくは生産分析のところで述べるが,ベトナムではこれまで製 造できなかった自動車車体等に用いられる高級鋼板を輸入し,建設用鋼板を輸出している と思われる。表面処理鋼板の生産拡大は,母材としての冷延鋼板の需要を生み出したが, 図 8が示すように,冷延鋼板類でも 2000 年代後半に急速に生産が拡大し,輸入代替が進展 した。この両品種においても内需に対応した生産拡大,輸入代替の進展は明確である。ま た溶接鋼管についても,図 9のように 2000 年代半ばにはほぼ自給を達成していたが,その 後も内需拡大に対応した生産の拡大が見られる。 しかし,熱延鋼板類(熱延薄板・帯鋼,厚中板)はベトナムではまったく生産されてい ない17 。このため,冷延鋼板類や鋼管類の生産が,そのまま母材としての熱延鋼板類の輸 17 クーロン・ビナシン(Cuu Long- Vinashin)社が厚中板用圧延機を設置して,2007 年に生産を開始 したが,その後安定的に稼働できていない。 15 図 7 ベトナムにおける表面処理鋼板類の需給推移 2500 2000 千 ト ン 生産 1500 輸入 1000 輸出 見掛消 費 500 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 図 8 ベトナムにおける冷延鋼板類の需給推移 2500 2000 千 ト ン 生産 1500 輸入 1000 輸出 見掛消費 500 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 16 図 9 ベトナムにおける溶接鋼管の需給推移 1000 900 800 生産 700 600 千 ト ン 輸入 500 400 輸出 300 見掛消 費 200 100 0 年 出所:SEAISI[various years]より作成。 入を誘発するのである。熱延鋼板類の輸入は 2005 年には 136 万 7000 トンであったが,2013 年には 603 万 9000 トンに増大した。ここにベトナム鉄鋼業における,現段階の輸入代替の 最大の課題がある。 それでは,こうしたマテリアル・フローはいかなる企業と生産設備によって担われてい るのだろうか。これを次に検討する。 2 技術選択と設備投資 ここではベトナム鉄鋼業の主要な企業と設備能力を,条鋼類セクターと鋼板類セクター について見てみよう。この両セクターは市場と生産の規模が相対的に大きく,ベトナム鉄 鋼業の到達点と限界を評価するための焦点だからである。企業の類型化には,どのような 工程を手掛けているかと,垂直統合を行っているかどうかを基準とする方法を用いる 18 。 18 この方法の詳細は,岡本[1984],溝田[1982],川端[2005]を参照。 17 (1) 条鋼類セクター まず条鋼類セクターの主要企業と設備能力,2013 年の生産実績をまとめたものが表 3で ある19 。主要企業は 2013 年時点で 13 社存在し,これらが条鋼生産の 77%を担っていた。 2014 年と 2015 年には見込みを含めて新たな企業が加わるので,主要企業は 15 社となる。 新設企業が稼働した時点での類型別企業数は,高炉を基礎に製銑・製鋼・圧延工程を垂直 統合した銑鋼一貫企業が 2 社,製銑・製鋼工程を垂直統合した企業が 1 社,電炉を基礎に 製鋼・圧延工程を垂直統合した企業が 5 社,誘導炉による単純製鋼企業が 2 社,単圧企業 が 5 社である。 製品はほとんどが建設用の棒鋼と線材であり,TISCO, ポミナ・スチール(Pomina Steel) など数社が形鋼を手がけている。新設のポスコ特殊鋼ベトナム(POSCO SS Vn)は,社名 からは製造業向けの特殊鋼条鋼を生産する可能性があるが,製品仕様が公表されるまでは 確実ではない。 所有形態から見ると, かつて生産の中心部分を担った国有企業 VNS 傘下の企業の地位は 後退し,VNS と外資の合弁企業,外資 100%企業,民間企業など多様な企業が競争してい る。とりわけ,生産量 1 位と 2 位のポミナ・スチールとホア・ファット・グループ(Hoa Phat Group=HPG)がいずれも民間企業であり,生産量もそれぞれ 70 万トンを超えていること は注目に値する。 生産技術を企業形態別にみると,銑鋼一貫企業である HPG,TISCO は,ベトナムの条鋼 類生産企業としては相対的に大規模であり,圧延工程では年産 30 万トン以上の標準的な設 備を持つ。しかし,高炉・転炉法による粗鋼生産の規模は,多くの先進国・新興国で最小 効率規模とされる年産 300 万トンよりは小型である。HPG や TISCO は,小型の一貫製鉄 所が多数存在している中国から技術を導入しているのである 20 。 このうち VNS 傘下の TISCO については,川端[2001]以来指摘されてきたように,技術 も操業も問題が多く,近年も財務問題から設備投資プロジェクトが停滞し,政府の支援を 仰いでいる。この設備投資プロジェクトは 2007 年 9 月に開始されたもので,鉄鉱山,内容 積 550 立方メートルの高炉,転炉,ビレット連続鋳造機に投資して年間生産能力 50 万トン を追加するものであった。当初予定では投資額は 1 億 7870 万ドルとされていたが,エンジ ニアリング企業との再交渉や工事遅延によって 3 億 7700 万ドルに膨れ上がり,TISCO は 自前で計画を完遂することができなくなった。そのため,首相決定により国家資本投資会 19 条鋼類の主要企業の基準は,2013 年における条鋼類またはビレットの生産高が 15 万トン以上の企 業である。 20 以上の技術的事項については,TISCO(2014 年 8 月 5 日)およびホア・ファット・スチール(2014 年 8 月 4 日)におけるインタビューと工場見学で確認した。 18 表 3 ベトナムの主な条鋼製造企業 備考 垂直 製鋼 統合 企業 所有 350㎥,450㎥ → Hoa Phat 民間 100㎥,120㎥ → TISCO Pomina VNS(Phu My) Viet Y VNS65% 民間 VNS 民間 An Hung Tuong 民間 誘導炉 Vina Kyoei Hai Phong Steel その他(約20社) 民間 誘導炉 Kyoei Vietnam Viet Duc 製銑(高炉) 企業 所有 Hoa Phat 民間 TISCO その他(約10社) VNS65% 能力 3829 (2014年稼働) *Viet – Trung Mining and Metallurgy) 能力 備考 転炉・電炉・ 誘導炉 電炉 電炉 11430 電炉 電炉 垂直 条鋼熱延 統合 企業 所有 → Hoa Phat 民間 727 → → → → TISCO Pomina VNS(Phu My) Viet Y VNS65% 民間 VNS 民間 VNS外資合弁 (日本) 外資(日本) 民間 VNS外資合弁 (豪州) 482 737 386 242 (2014年稼働) VNS外資合 弁(中国) 550 550㎥ → *Viet – Trung Mining and Metallurgy Vinausteel VNS外資合 弁(中国) (2015年稼働見込み) *POSCO SS 外資(韓国) Vietnam VNS外資合 *Vina Kyoei 弁(日本) 550 電炉 能力 生産 427 215 189 11480 182 SSE 民間 173 VPS VNS外資 JV(韓国) 167 その他(VSA会員15 社) その他(VSA会員外) (小計) (2015年稼働見込み) 862 約500 5123 1000 電炉 → *POSCO SS Vietnam 外資(韓国) 500 電炉 → *Vina Kyoei新ライン VNS外資合弁 (日本) 1000 - 500 - 注:単位は1000トン。 出所:各社の生産量はVSA[2014a]に依拠したが,VSA会員外の企業を含めた条鋼生産の合計はSEAISI[2014]を用いた。 既存企業の生産能力はSEAISI[2014]を基本とし,OECD[2013], 各社のWebsiteにおける公表情報,さらに不足する場合は各種報道とインタビューで得た数値で補って作成した。 社(SCIC)に 4760 万ドルの増資を引き受けてもらい,辛うじて工事を継続している 21 。明 らかに政府の補助なしには経営が成り立たない状態である。 一方,HPG の経営業績はきわめてよく,証券会社での投資家向けアナリスト・レポート でも高く評価されている(VPBS[2013][2014])。北部のハイズォン省に生産能力約 100 万ト ンの製鉄所を保有しており,その能力を 175 万トンに引き上げようとしている。完成時に はグループ全体の能力は 200 万トンとなる。この製鉄所は,新規に一貫製鉄所として設計 されたものであり,設備レイアウト等は合理的で,臨海部にはないが河川には面している 22 。 建設済みの高炉は内容積 350 立方メートルと 450 立方メートルのものであるが,計画中の 高炉は予定能力から見て 1000 立方メートル程度と予想される。中国に多く存在する小規模 一貫製鉄所と同等の能力・設備である23 。HPG の投資額は,第 2 高炉を伴うフェーズ 2 が 3 兆 2000 億ドン,第 3 高炉を伴うフェーズ 3 が 3 兆 8000 億ドン,合計すれば 7 兆ドンで あり,2015 年 4 月の為替レートでは約 3 億 2400 万ドルである(HPG[2013:28][2014:36])。 大まかに言えば,HPG は,TISCO よりも大規模な設備能力への投資を,より少ない金額で, 政府の補助なしに推進しているのである。 ポミナ・スチールなど 13 社の電炉企業は,HPG が,政府による鉄鉱石輸出禁止政策に よって保護されていると主張している24 。しかし,この政策が HPG を補助する効果は小さ く,存在しても短期的なものに過ぎないと思われる。というのは,HPG は,これまでは北 部に保有する鉄鉱山から鉱石を調達しており,すでに確保した埋蔵量については輸出禁止 政策の恩恵を受けるわけではない。また,今後の生産能力拡大の際には,輸入鉱石を使用 する方針だからである25 。 電炉を基礎とする製鋼・圧延企業については,2015 年に操業を開始するビナ・キョウエ イや POSCO SS の新ラインを含めて,いずれも能力 50 万トン以上の電炉を持ち,取鍋製 錬炉(LF)も併設するなど,世界で標準的な設備能力を備えている。2000 年代前半までは, こうした製鋼設備はベトナムに全く存在しなかったので(川端[2003]),画期的な変化と言 えるだろう。また,単純圧延企業も,ビナ・キョウエイ(Vina Kyoei)とキョウエイ・ス 21 VNS(2014 年 8 月 4 日),TISCO(2014 年 8 月 5 日)におけるインタビュー,および“TISCO to get $63.2 million to expand production,” Viet Nam News biz hub, January 28, 2015(http://bizhub.vn/news/9696/tisco-to-get-632-million-to-expand-production.html)ほかの報道による。 22 HPG[2014:24]ホア・ファット・スチールにおける工場見学とインタビュー( 2014 年 8 月 4 日)に よる。 23 中国の小規模一貫製鉄所については川端・趙[2014]を参照。 24 “Cross-border iron ore smuggling,” Viet Nam Net Bridge, December 3, 2014 (http://english.vietnamnet.vn/fms/special-reports/117753/cross-border-iron-ore-smuggling--the-real-concer n.html). 25 HPG におけるインタビュー(2014 年 8 月 4 日)による。なお,この鉄鉱石輸出禁止政策の意図が 資源保全にあるのか,国内の銑鋼一貫企業保護にあるのかは明確ではない。ただ,HPG に対する保 護の効果は薄いとしても,別の副作用が大きいと思われる。それは,ベトナムで最大の埋蔵量( 5 億 4400 万トン)を持つタッケー鉱山の開発に対する影響である。タッケー鉱山は鉱床が海面下に 伸びていることや,鉱石の亜鉛含有率が高く鉱石処理が難しいことなどのため(国際経済交流財団 チール・ベトナム(Kyoei Steel Viet Nam=KSVC)は世界で標準的な設備能力を持っており 26 ,他はやや小型のラインであるが,特異な点は見られない。 この他,ベトナムでは誘導炉による小ロットの製鋼とビレット生産が行われている。誘 導炉は電炉と異なり溶解するだけで製錬ができない。ベトナムでは,投資コストが安いこ とと,市場の変動に柔軟に対応できることから盛んにおこなわれている。統計はないが, 誘導炉から約 150 万トンのビレットが製造されていると推定されている 27 。成分無調整の 半製品や鋼材は当然品質が劣るので,誘導炉による製鋼は先進国では見られない 28 。ベト ナムではこうした鋼材が 2000 年頃から大量に出回っており,その品質の悪さが問題とされ てきた(川端[2003:186-187])。しかし,ここでも変化は生じている。まず,生産の大規模 化である。ここでは最大手 2 社を主要企業に数え上げたが,アン・フン・トゥン(An Hung Tuong)は 30 万トン,ハイフォン・スチール(Hai Phong Steel)は 50 万トンの誘導炉と連 続鋳造機を持っている(OECD[2013:374,377])。次に,これらの企業がそれなりに技術を改 善していることである。まず,良質スクラップを選別したうえで,取鍋製錬を通すことで 成分を調整している。そして,以前にしばしば見られた超小型のペンシル・インゴットで はなく,連続鋳造によるビレットを製造している。そして,主要企業も,品質がある程度 劣ることは承知の上で,選別や点検をしながら購入しているのである。管理の上で,ベト ナムの個人住宅用の棒鋼に加工するならば,許容範囲であるという。現時点では,誘導炉 製ビレットの生産と使用は,ベトナムの市場に適応する企業行動として評価すべき面もあ るだろう。 主要企業以外では,短期的視野による投資の問題が目立つ。例えば,ベトナムではスク ラップが不足する一方で北部に鉄鉱山が存在するため,2000 年代半ばには,ここで列挙し た 3 社以外にも民間企業のヴァン・ロイ・スチール(Val Loi Steel),ディン・ブー・スチ ール(Dinh Vu Steel)など多くの企業が小型高炉建設を試みた。しかし,高炉は投資額が 大きい一方で操業の調節が難しいため,世界金融危機前後の市場変動に対処するにはかえ って不効率であった29 。例えば,オーストラリアの投資企業 VII は,財政的に行き詰った ディン・ブー・スチールに出資したが,損失を被って 2011 年に持分を売却した。その際の コメントは,ディン・ブーの電炉は効率的だが未完成の高炉は財政負担になるというもの であった(VII[2011]) 。 [2009:26-28]),これまでも何度も開発が試みられながら実現しなかった。開発には外資の技術と資 金導入が必要と思われるが,輸出禁止政策はこれを抑止する効果を持ってしまう。 26 実際の生産能力は,設備と操業上の改善によって変動しうる。例えば,ビナ・キョウエイの設備 能力はもともと 30 万トンであるが,モーターの増強,圧延速度の増加,サイズ替えの時間短縮な ど設備と操業の改善により,実際には 45 万トンの製造が可能である。共英製鋼インタビュー,2014 年 8 月 3 日。 27 共英製鋼インタビュー,2014 年 8 月 4 日。 28 誘導炉による製鋼が盛んなのはインドである。石上[2011]に詳しい。 29 “Steel firms in a hole”, Vietnam Investment Review, July 26, 2011 (http://www.vir.com.vn/steel-firms-in-a-hole.html). 21 2013 年の条鋼類の国内市場規模は 583 万 2000 トンであったが(前掲表 2),製鋼能力が 1143 万トン,圧延能力が 1148 万トンに達していた。輸出市場も開拓されているとはいえ, 生産は 512 万 3000 トン,設備稼働率は 50%以下であるから,深刻な能力過剰状態に陥っ ている。2014-2015 年にはここに製鋼能力が 205 万トン,圧延能力が 150 万トン加わる。 ただ,これまでのところ,機会主義的行動に走った企業が淘汰され,残った民間企業や外 資合弁企業が成長を続けるという,市場による選択がそれなりに作用しているといえる。 この競争を通して,粗鋼の自給が達成されたと言えるだろう。その例外は,政府支援によ って投資を続けている TISCO である。国有企業と他の企業とのイコール・フッティングが 完成しているとは言えない状態である。 (2) 鋼板類セクター 鋼板類セクターの主要企業と設備能力,2013 年の生産実績をまとめたものが表 4である 30 。主要企業は 2013 年時点で 11 社存在し,これらが冷延鋼板類生産の全量,表面処理鋼 板生産の 88%を担っていた。2014 年には大型の設備を持つ冷延・表面処理統合企業が 1 社 追加されて主要企業が 12 社となった。新設企業を含めると,類型別企業数は,冷延・表面 処理統合企業が 5 社,単純冷延企業が 4 社,うち 3 社が普通鋼で 1 社がステンレス,単純 表面処理企業が 3 社である。 所有形態を見ると,条鋼セクターと同様に VNS 傘下の国有企業の地位が低下し,民間企 業が多数出現している。外資では,VNS との合弁よりも外資 100%企業の進出が目立って いる。冷延鋼板類で最大の生産高を記録しているのは韓国系のポスコ・ベトナム(POSCO Vietnam)であり31 ,2 位は民間企業のホア・セン・グループ(Hoa Sen Group=HSG)であ る。表面処理鋼板類では,HSG が他社を大きく引き離している。 鋼板類セクターでは,各企業が保有する技術と製品の関係に注目する必要がある。市場 に近い側から見ると,表面処理工程においては,製造業向けの高級鋼板を製造できる企業 は 2 社に限られており,それぞれそのための独自設備や付帯設備を備えている。台湾・日 本系のチャイナ・スチール・スミキン・ベトナム(China Steel Sumikin Vietnam=CSVC)は, ベトナムでは初めての,自動車や家電製品に用いられる高級鋼板である鉄合金化溶融亜鉛 めっき鋼板(GA)を製造する企業であり,年間 30 万トンの生産能力を持っている32 。ペ ルスティマ・ベトナム(Perstima Vietnam)は,缶用ブリキ・ティンフリー鋼板を年間 13 30 鋼板類の主要企業の基準は以下のいずれかにあてはまることである。1)冷間圧延機を保有している 企業,2)2013 年における建設用表面処理鋼板の生産量が 15 万トン以上である企業,3)建設用以外 の表面処理鋼板を製造している表面処理企業。 31 日本の新日鉄住金も 15%出資しているが,経営権を POSCO が掌握しているので韓国系とみなして いる。 32 CSVC におけるインタビューと会社資料で確認。 22 表 4 ベトナムの主な鋼板製造企業 垂直統 表面処理 合 冷間圧延 企業 所有 Hoa Sen SUNSCO Nam Kim Steel Dai Thien Loc POSCO Viet Nam 民間 外資(日本) 民間 民間 外資(韓国) Phu My Flat Steel VNS 能力 生産量 備考 743 レバース5基100万トン 134 レバース1基25万トン (記録なし) 75 885 タンデム120万トン 3430 112 レバース2基40万5000トン Thong Nhat Flat Steel VNS 22 レバース1基20万トン POSCO VST 97 ゼンジミア23万5000トン 外資(韓国) (計) (2014年稼働) 2067 → → → → 企業 所有 Hoa Sen SUNSCO Nam Kim Steel Dai Thien Loc Ton Dong A 民間 外資(日本) 民間 民間 民間 VNS外資合弁(日 本,マレーシア) 外資(マレーシア・ 日本) SSSC Perstima Viet Nam その他GI,PPGI(VSA 会員10社) (計) (2014年稼働) 能力 生産 (GI/GL) 備考 875 218 159 126 159 3419 GI,GL,PP GI,GL,PP GI,GL,PP GI,GL,PP GI,GL,PP 157 GI,PP 64 ブリキ・ティン フリー 237 GI,GL,PP 1996 タンデム。酸洗鋼板,電磁 → *CSVC 300 GI, GA 鋼板も製造 注:単位は1000トン。ペルスティマ・ベトナムの親会社はマレーシアのペルスティマであるが,親会社にJFEスチールが出資している。 GI:溶融亜鉛めっき鋼板。GL:溶融亜鉛・アルミ合金めっき鋼板,GA:合金化溶融亜鉛めっき鋼板,PP:カラー鋼板(カラー塗装された溶融めっき鋼板)。PPにはGIベースとGL ベースを含む。 出所:生産量はVSA[2014a]に依拠したため,SEAISI[2014]を用いた図3とは冷延鋼板類,表面処理鋼板類それぞれの合計の生産高が異なる。 既存企業の生産能力は SEAISI[2014]を基本とし,OECD[2013],各社のWebsiteにおける公表情報,さらに不足する場合は各種報道で補って作成。 *CSVC 外資(台湾・日本) 1200 - 万トン製造することができる33 。しかし,製造業向け鋼板の需要規模が小さいベトナムで は,この 2 社の能力もフル稼働することは容易ではない。とりわけ,生産能力が大きく, しかも自動車向けを想定した設備構成となっている CSVC は,どのようにして稼働率を高 めるかが課題である34 。輸出向けを多くすることもあり得るだろう。 上記 2 社以外,つまり,HSG をはじめとする民間の主要企業,日系のマルイチ・サン・ スチール(Maruichi Sun Steel=SUNSCO) ,VNS と日本・マレーシア企業合弁のサザン・ス チール・シート(Southern Steel Sheet=SSSC),非主要企業各社,は標準的な溶融めっきラ インとカラー塗装ラインを保有している 35 。これらの各社が製造しているのは,溶融亜鉛 めっき鋼板(GI),アルミ・亜鉛合金めっき鋼板(GL) ,カラー鋼板(PPGI,PPGL)であ る。その主な用途は総じて建設用である。表 4から計算すれば,これらの企業の生産量が, ベトナムの表面処理鋼板生産の 96.8%を占める。つまり,これまでのところベトナムにお ける鋼板類セクターが製造しているのはほとんどが建設用表面処理鋼板であり,冷延鋼板 はその母材として用いられているのである36 。 冷延工程においては,POSCO ベトナムと CSVC が年産 120 万トンの生産能力を持つ連 続式圧延機(タンデム・ミル)と連続焼鈍ライン(CAL)を保有している 37 。両者のミル は先進国企業と同一水準のものであり,製造業向けの高級冷延鋼板を量産することが可能 である。CSVC では,発電機やモーターに用いられる高級鋼板である電磁鋼板も,タンデ ム・ミルの後に専用の焼鈍・コーティングライン(ACL)を通すことで製造することがで きる。いずれも規模の経済性が高いため,生産量が大きいときには低コストとなる。しか し,ここでも高級鋼板はもちろん,最終製品としての冷延鋼板類の需要がきわめて少ない という困難がある。POSCO ベトナムや CSVC も,国内市場向けには表面処理母材のフル ハード鋼板を製造せざるを得ないだろう。しかし,フルハード鋼板の生産比率を高めると, 33 Perstima Vietnam ウェブサイト。General Information のページ (http://www.perstima.com.vn/general-information.asp)。 34 CSVC は,2014 年 8 月 6 日に訪問した際は,製造業各社の認証獲得に挑んでいる段階であった。 35 高級鋼板を製造するためには,付加的な設備と技術が必要である。例えば,設備について言うと, 自動車の車体に使用する軟鋼板を製造するには,鋼板の時効を制御するために,焼鈍炉に過時効帯 を設ける必要があるし,合金化溶融めっき鋼板を製造するためには,亜鉛めっき後に亜鉛めっき層 と鉄とを相互拡散させるための特殊な装置をラインに付加する必要がある。操業方法にも種々の技 術を適用することが必要となる。 36 標準的な亜鉛めっきラインは建設用鋼板の製造を想定していること,こうしたラインで製造でき る鋼板の品質には限りがあること,これまでの著者のヒアリング,工場見学の限りではすべて主用 途が建設であったことから,こう判断できる。ただし,鋼製家具や冷凍庫,冷蔵庫,配電盤などの 製造業向けに一部使用されている可能性は否定できないので,より詳しい調査が必要である。 37 連続式圧延機とは,複数の圧延スタンドを直列に並べたものである。圧延機の起点で ほどいた熱 延薄板・帯鋼を一気に通板し,出口で製品の冷延コイルを巻き取る。対して逆転式圧延機は,単独 の圧延スタンドしか持たない。スタンド脇の片側でほどいた熱延薄板・帯鋼を通板させ,反対側で 巻き取る。次にこれをまたほどいて通板し,元の側で巻き取る。これを何度か繰り返して最終的に 冷延コイルができあがる。 その分だけ CAL や ACL の稼働率が落ちてしまう38 。設備の有効活用のためには,この 2 社は高級鋼板の需要を海外に求めざるを得ないだろう。 VNS 傘下企業および民間各社の冷間圧延機は 1 基あたり年産 20 万トン程度の逆転式(レ バース・ミル)である。HSG の生産量が多いのは,レバース・ミルを 5 基保有することで 98 万トンの生産能力を保有しているからである(HSG[2013-2014:18])。レバース・ミルは, 小規模生産向けの標準的な設備である。フル稼働時の生産性はタンデム・ミルに比べれば はるかに低い。逆に言えば,受注量が少ない状況ではレバース・ミルを用いる方が効率的 である。焼鈍設備については,HSG や SUNSCO など垂直統合企業の場合は保有していな い。表面処理(めっき)鋼板の母材をもっぱら製造するからである。単純冷延企業である フーミ・フラット・スチール(PFS)はバッチ式焼鈍設備を保有している。 なお,POSCO VST はステンレス鋼板用の年産 23 万 5000 トンのゼンジミア式圧延機を 備えており,これは標準的な設備と言える39 。 2013 年においてベトナムにおける冷延鋼板類の需要は,表面処理母材となるものを含め て 222 万 9000 トン,表面処理鋼板類の需要は 209 万 5000 トンである(前掲表 2)。対して 冷間圧延能力が 343 万トン,めっき能力が 341 万 9000 トンであるから,条鋼セクターほど ではないが能力過剰である。前掲図 7,図 8のように輸出も伸びつつはあるが,それでも 2013 年の設備稼働率は冷延能力が 60.3%,めっき能力が 58.4%であった40 。 生き残り競争が激しくなる中で,企業間格差が表面化しており,とくに冷延工程でそれ が明確になりつつある。最大手の POSCO ベトナムは 2013 年の稼働率は 73.7%とそう悪く なかったが,販売に占める輸出比率が 34.8%に達していた41 。輸出に活路を見出していた のである。一方,VNS 傘下の 2 社の稼働率は,PFS は 27.6%に過ぎず,トン・ニャット・ フラット・スチール(TNFS)に至っては 10.9%であった。表面処理工程を持たないこの 2 社 は,後工程に材料をはめ込むこともできず,外部への販売では POSCO ベトナムとの競争 に敗れつつある。この状態で,2014 年に CSVC の能力が加わったのである。さらに激化す る競争の下で,VNS 傘下の 2 社は危険な状態に追い込まれつつある。 38 表面処理鋼板を製造するめっきラインには焼鈍設備が組み込まれている。このため,冷延工場で フルハード鋼板を製造した場合には,CAL は稼働しない。また,ACL は電磁鋼板を製造しない限 り稼働しない。 39 POSVO VST ウェブサイト,History のページ(http://poscovst.com.vn/Eng/History.aspx)。ゼンジミア 式圧延機とは,逆転式圧延機の一種であり,ロールが,小径のワークロール (実際に板に接するロ ール)と,これを取り巻く多段ロールの組み合わせからなっている。加工硬化の大きいステンレス 鋼板を能率よく圧延するのに適している。 40 VSA[2014a]記載の生産量から計算。SEAISI[2014]記載の生産量から計算すると冷延 58.1%,めっき 64.4%となる。 41 VSA[2014a][2014b]により計算。 25 3 フォルモサ・ハティン・スチール稼働の意義 ベトナム鉄鋼業の条鋼・鋼板セクターがこれまで見たような状況にある下で,フォルモ サ・ハティン・スチール(Formosa Ha Tinh Steel=FHS)の稼働が迫っている。 FHS は,台湾プラスチック・グループ(台塑集団)が過半数を出資する外資企業であり, 台湾名は台塑河靜鋼鉄公司である。2015 年 2 月には,従来 5%を出資していた台湾の銑鋼 一貫企業中国鋼鉄(CSC)が,出資比率を 25%に引き上げることを決定した。FHS 社は 2008 年に設立され,ハティン省の沿岸部に製鉄所を建設中である。建設地は,以前に JICA お よび旧アルセロール(Arcelor。現在はアルセロール・ミッタル=Arcelor Mittal)が VNS の ために行ったフィージビリティ・スタディにおいて,国内では一貫製鉄所建設に最適とさ れていた場所である。当初は 2015 年に稼働する予定であったが,2014 年に発生した反中 国暴動による被害を受け,稼働が 1 年延期された42 。 FHS の投資計画概要は表 5,表 6のとおりである。FHS の製鉄所は,ベトナムに建設さ れる,はじめての世界標準を満たす立地・規模を持つ大型臨海銑鋼一貫製鉄所となる。第 1 期第 1 段階が完成すれば,ベトナムは一気に約 2,000 万トンの粗鋼生産能力を保有する ことになり,そのうち 3 割以上を FHS が持つことになるのである。 FHS については,鉄鋼業の経験を持たない台湾プラスチック・グループが手がけたプロ ジェクトであるため,当初は実現を疑問視する意見もあった。しかし,計画が進むにつれ て,正常に稼働する可能性が高まっている。まず,設備サプライヤを見ると実績のある企 業が多い。高炉を供給する中国冶金科工集団中冶賽迪工程技術股份有限公司(CISDI)は, 4,000 立方メートルを超える大型高炉を輸出するのは初めての経験であるが 43 ,すでにこの クラスの高炉を中国国内で 14 基建設している44 。また,転炉以後の設備を供給する日本の スチールプランテック,日独合弁のプライメタルズ・テクノロジーズは国際的に実績ある サプライヤである。よって,フォルモサの設備自体については何ら問題はないと言える。 もちろん,低コストで高品質の鋼材を生産するには設備だけではなく,知識やノウハウが 必要であるが,この点は,25%資本参加する CSC から供給されることになるだろう45 。 42 FHS の建設現場では中国人労働者が働いており,その中から死傷者が出た。ベトナム人労働者も 負傷した。 43 中国冶金科工集団有限公司「中冶賽迪総包越南台塑河静鋼高炉基礎工程開工」(国務院国有資産監 督管理委員会のサイトに 2013 年 3 月 6 日に転載) (http://www.sasac.gov.cn/n1180/n1226/n2410/n314289/15172482.html)。 44 CISDI 英語版ウェブサイト。Products>We do steel business>Iron making>Introduction のページ (http://www.cisdigroup.com/3-ironmaking-instruction.html)。 45 ただし,FHS の建設工事管理は万全とはいいがたい。反中国暴動により工期が遅れたことに加え, 2015 年 3 月には港湾の工事現場で足場が崩落して死傷者が出ている。”Scaffold collapse kills at least 14 at Taiwan’s Formosa steel complex in central Vietnam”, Than Nien News, March 26, 2015 (http://www.thanhniennews.com/society/scaffold-collapse-kills-at-least-14-at-taiwans-formosa-steel-compl ex-in-central-vietnam-40301.html). 26 表 5 フォルモサ・ハティン・スチールの投資計画 建設期 製鉄所 港湾 累計高炉基 数 第1期 第 1 期+1 第2期 第 2 期+1 2 3 5 6 累計粗鋼生 産 能 力 (1000t) 7,070 10,600 18,100 21,850 発電所 累計埠頭数 累計取扱量 (1000t) 累計発電設 備容量(MW) 28,610 41,790 70,030 84,280 650 950 1,700 2,150 11 17 26 32 累計投資金 額 ( 100 万 USD) 9,996 14,270 20,000 超 出 所 : 台 塑 河 靜 鋼 鐡 工 業 責 任 有 限 公 司 ウ ェ ブ サ イ ト 。「 投 資 計 画 内 容 」 の ペ ー ジ (http://www.fhs.com.tw/Intro/cover04.html)。 表 6 フォルモサ・ハティン・スチール第 1 期の設備投資計画 設備 高炉 転炉 主要サプライヤ 中国冶金科工集団 中冶賽迪工程技術 スチールプランテ ック スラブ連続鋳造 機 シーメンス* ビレット連続鋳 造機 シーメンス* ブルーム連続鋳 造機 ビレット分塊圧 延機 ホット・ストリ ップ・ミル シーメンス* 棒鋼・線材圧延 機 線材圧延機 SMS Meer プライメタルズ・ テクノロジーズ (旧三菱日立製鉄 機械) 不明 設備仕様 4350 ㎥ 基数 2 年間生産能力(1000t) 6,394 300t 溶銑予備処理設備,二次 精錬設備 2st, T210-270,W900-1880 2.7m t/y 8st, 130×130-180×180 L12m 6st 260×300-360×450 3 7,070 2 5,400 1 1,200 1 1,500 160×160,180×180 1 1,000 粗圧延機 2st,サイジン グプレス,仕上圧延機 7st 1 5,300 1 600 1 600 不明 注:シーメンスと三菱重工は製鉄機械部門を統合した合弁会社プライメタルズ・テクノロジー ズを 2015 年 1 月に発足させた。ホット・ストリップ・ミルの契約が新合弁会社に移されたこ とはウェブサイトから判明するのだが,連続鋳造機の契約については公表資料からは判然とし ない。 出所:台塑河靜鋼鐡工業責任有限公司,スチールプランテック,ジーメンス,中国冶金科工集 団(MCC),中冶賽迪集団(CISDI),Primetals テクノロジーズ・ジャパン,SMS Meer の各社ウェ ブサイトとプレスリリース,および中国国務院国有資産監督管理委員会のウェブサイトより作 成46 。 46 台塑河靜鋼鐡工業責任有限公司「投資計画内容」のページ (http://www.fhs.com.tw/Intro/cover04.html),スチールプランテック「製品一覧」のページ (https://steelplantech.com/ja/product/),「Formosa Ha Tinh Steel Corporation, Vietnam 向け転炉プラン ト一式を Formosa Heavy Industries Corporation より受注」スチールプランテック,プレスリリース, 27 設備構成から見て,FHS の製品構成は,熱延薄板・帯鋼最大 530 万トン,棒鋼・線材合 計最大 120 万トン,ブルーム,ビレットが数十万トンと予想される。この製品供給がベト ナムの鉄鋼市場に与えるインパクトは,条鋼類セクターと鋼板類・鋼管類セクターとでは 大きく異なっている。 まず条鋼類については,ベトナム国内に供給しようとすれば過剰供給は必至であり,生 き残りをかけた激烈な競争を発生させるだろう。もともと FHS は,まだベトナムでビレッ トの輸入代替が完了していなかった時期に計画されたために,条鋼類を含む製品構成にな ったのだと思われる。建設用の棒鋼や線材の場合,必ずしも銑鋼一貫企業が有利とは限ら ないので,生き残り競争は FHS にとっても望むところではない。ブルーム用連鋳機がばね 用,鍛造用,タイヤコード,ベアリングにも対応する設備となっていることから 47 ,おそ らく,製品構成を高級鋼材を重点とするものに調整するか,あるいは半製品・条鋼類につ いては輸出をめざすかの政策をとるものと予想される。しかし,建設用鋼材にも対応した 設備であることは間違いないので,FHS が全体として条鋼セクターの設備過剰を激化させ, 既存企業の脅威になる可能性は高い。 鋼板類および鋼管類のセクターについては,まったく事情が異なる。FHS は,全量を輸 入に頼る熱延薄板・帯鋼の輸入代替を一気に進める可能性を持っているからである。そし て,ベトナムで冷延鋼板類や溶接鋼管を製造する企業にとっては,母材の有力な供給ソー スとなるのである。この両セクターにおいては,FHS の巨大な生産能力は,過剰供給を生 み出す懸念がなく,むしろ FHS 自身には巨大な利益獲得機会を拓き,ベトナムの産業発展 を後押しする存在なのである。 FHS と並行して計画されていた他の一貫製鉄所建設プロジェクトは,いずれも停滞して いる。クワンガイ省ズンクワット工業団地において,台湾の義聯集団(E-United Group)が 粗鋼生産能力 350 万トンの一貫製鉄所を建設しようとしているが,2015 年現在,ほとんど 工事は進展していない。このプロジェクトは,もともとタイクーン・グループ(Tycoon Group)が計画した,財務見通しも技術的な裏付けもないプロジェクトを,義聯集団が買 い取ったものである(Kawabata[2007])。先進国の有力企業が参加しない限りは実行できな 2012 年 8 月 9 日(http://steelplantech.com/ja/news/2643/),“Formosa Heavy Industries orders four continuous casting lines from Siemens for major steelmaking project in Vietnam ,” Siemens, Press Release, Nov.26, 2012(http://www.siemens.com.tw/release/pdf/20121224_111348e.pdf), 「ベトナム向け大型熱延 設備受注」三菱日立製鉄機械(現プライメタルズテクノロジーズジャパン)ニュースリリース,2012 年 11 月 6 日(http://www.primetals.co.jp/japan/press/121106.html),Formosa Ha Tinh Steel orders semi-continuous billet mill, SMS Meer Press Release, March 15, 2014(http://www.sms-meer.com/en/news-media/news/single/article/formosa-ha-tinh-steel-bestellt-halbkonti nuierliche-knueppelstrasse.html), EPC Contract for Blast Furnaces of Formosa Ha Tinh Steel Inked, CISDI, Company News, December 10, 2012(http://www.cisdigroup.com/news3-1213.html), 中国冶金科工集団有 限公司「中冶設計承建越南台塑河静鋼銭棒材項目開工」(国務院国有資産監督管理委員会のサイト に 2013 年 8 月 9 日に転載)(http://www.sasac.gov.cn/n1180/n1226/n2410/n314274/15464817.html)。 28 いものと思われ,実際,義聯集団は日本の JFE スチールに参加を要請した。しかし,JFE スチールは,2012 年から 2 年余り検討した末,参加を断った48 。また,FHS に土地を奪わ れた格好の VNS は,インドのタタ・スチール(Tata Steel)と合弁での一貫製鉄所建設を模索 していた。しかし,政府からの支援の見込みがなく,傘下企業の経営難で大型プロジェク トを推進する余裕がないことから,ほぼ断念した模様である49 。 IV 鉄鋼貿易 1 産業発展の結果としての鋼材輸出 ベトナムの鉄鋼輸入は,統計によって数値が異なる。SEAISI 統計でさえも,品種別輸入 統計と輸入先国別輸入統計の数値が異なっており,後者には異常値と思われるものも含ま れている。そうした制約を考慮の上で検討しなければならない。 ベトナムの半製品・鋼材輸出は 2008 年に初めて合計 100 万トンを超え,2013 年にはそ れぞれ 35 万 4000 トンと 214 万 5000 トンに達した。最終鋼材の生産に対する輸出比率は 20.8%である。輸出量が最大の品種は,前掲図 3に示すように表面処理鋼板類である。輸 入が 63 万 9000 トンに対して輸出 80 万 3000 トンと輸出超過を達成している。このほか, 棒鋼,鋼管類も輸出超過である。鉄鋼の輸出先は SEAISI 統計の「その他」の国が最も多 くなっており, 詳細は不明であるがラオス,カンボジア向けが中心ではないかと思われる。 加えて,アセアン諸国に向かっている。 ベトナムの鉄鋼輸出拡大は,産業発展の自然な結果という性格が強い。最大の輸出品目 である表面処理鋼板類の需給動向は前掲図 7のとおりであり,国内需要の伸びに沿って生 産が拡大し,ついに輸出に転じたというものである。 そして,その輸出量はいまだに大量というのは程遠い水準にある。これは一方では産業 発展の到達点が高くないことを意味し,他方では設備過剰の傾向が輸出ドライブには結び ついていないことを意味している。設備過剰は稼働率の低下に帰結していると考えられる。 2 流入する輸入品との競争 ベトナム鉄鋼業は,むしろ海外,とりわけ中国の能力過剰圧力の結果としての輸入の増 加によって影響を受けている。 47 Formosa Heavy Industries orders four continuous casting lines from Siemens for major steelmaking project in Vietnam,” Siemens Press Release, Nov.26, 2012 48 「ベトナムでの製鉄所建設に関する FS の中止について」JFE スチール,ニュースリリース,2014 年 9 月 16 日(http://www.jfe-steel.co.jp/release/2014/09/140916.html)。 29 ベトナムにおいては,2000 年代初頭までは国内企業保護のための関税政策がとられてい た。例えば,棒鋼・線材に 40%,亜鉛めっき鋼板に 30%が課税されていた。しかし,WTO のデータベースで確認できる 2015 年現在のベトナムの鉄鋼関税は,MFN でビレット 7%, 異形棒鋼 7.5%,形鋼 10%,線材 6.7%,冷延広幅帯鋼 4.7-7%,亜鉛めっき鋼板(GI)12%, 亜鉛・アルミニウム合金めっき鋼板(GL)12%,広幅ブリキ・ティンフリー鋼板 5%,ス テンレス冷延広幅帯鋼 10%などとなっており,ベトナムで生産されていない厚中板,熱延 広幅帯鋼,電磁鋼板は 0%である50 。水準の是非については当然議論がありうるが,傾向と しては引き下げられており,また市場を極度に歪めると指弾されるような水準ではない。 そして,アセアン経済共同体(AEC),アセアン・中国自由貿易協定(ACFTA),日本・アセ アン包括的経済連携協定(AJCEP),日本・ベトナム経済連携協定(JVEPA)などの地域的 自由貿易協定により,主要な貿易相手との間ではさらなる引き下げや免税が進んでいる。 この動きが逆転することは考えにくい。つまり,ベトナム鉄鋼業では古典的保護貿易はも はや考えられない状況にある。 2013 年の半製品・鋼材輸入はそれぞれ 36 万 6000 トンと 879 万 1000 トンであった。最 終鋼材の輸入では史上最高であり, 半製品を合わせた数値では 2009 年に次ぐ史上 2 位であ った。 品種別の輸入量は前掲図 3のとおりである。熱延鋼板類が 603 万 9000 トンと,最終鋼材 輸入の 68.7%を占めており,その量は時系列的に拡大傾向にある。これは,鋼板を熱延す る企業が不在のまま需要が拡大しているためである。しかし,これとは別に拡大傾向を見 せているのが線材の輸入である。輸入量は 73 万 5000 トンで最終鋼材輸入の 8.4%を占める にすぎないが,線材需要に対する輸入品の浸透率は 42.3%にも達しているのである51 。 全鉄鋼の輸入先国別統計を見ると,もっとも目立つのは中国からの輸入の増大である。 2013 年の輸入は 351 万 2799 トンに達し,国別統計では輸入全体の 37.3%を占める。2009 年には 16.1%に過ぎなかったので,シェアが大きく拡大しているのである。SEAISI の分析 に よ れ ば , 熱 延 薄 板 ・ 帯 鋼 輸 入 の 60% , 線 材 輸 入 の 80% が 中 国 か ら の 輸 入 で あ る (SEAISI[2014:8])。 中国鉄鋼業が過剰能力を抱えていることは中国政府も認めるところである。実際,2013 年における中国の粗鋼生産能力は 11 億 622 万トンであったのに対して粗鋼生産量は 8 億 2200 万トンに過ぎなかった( 《中国鋼鉄工業年鑑》編輯委員会[2014:269,293])。過剰能力の 49 2014 年 8 月 5 日,VNS 本社でのインタビュー。 WTO Tariff Database (http://tariffdata.wto.org/) (2015 年 4 月 5 日検索)。いずれも類似製品の中で最 高の税率を示したもの。 51 類似製品の棒鋼は輸出超過であり,輸入浸透率も 10%未満である。棒鋼は,線材に比べると流通 過程における注文が径や長さについて多仕様・小ロットになりやすく,在庫圧縮のニーズも強い。 このため,輸入品が比較的浸透しにくいのだと思われる。 50 30 存在は,一部で安値輸出の誘因となり,結果としてベトナムに鋼材が流入しているものと 思われる。 いまのところベトナムで熱延薄板・帯鋼が生産されていないため,輸入品と国内生産と の深刻な競合が発生しているのは線材だけである。しかし,FHS が稼働すれば,熱延薄板・ 帯鋼市場でも競合が激しくなる。世界の能力過剰状態が継続すれば,ベトナム鉄鋼企業は より厳しい生き残り競争を迫られるだろう。 V おわりに 1 分析のまとめ 市場について。ベトナム鉄鋼業の国内市場は急速に拡大しており,すでに他のアセアン 諸国に引けを取らない規模に達している。しかし,需要の多くは建設産業から生じており, 棒鋼・線材や建設用表面処理鋼板に集中している。自動車用をはじめとする高級鋼材の需 要は少ない。これは,建設産業の成長が鋼材需要を誘発しやすいというベトナムの経済構 造の特徴を示すと同時に,ベトナム工業化の到達点がまだ高いものではないことを意味し ている。 生産について。ベトナム鉄鋼業は,条鋼類ではビレットの輸入代替を達成し,粗鋼生産 をアセアン諸国のトップとなるまでに増加させた。鋼板類では表面処理鋼板類と冷延鋼板 類について輸入代替を達成した。しかし,生産は需要の構成以上に建設用鋼材に偏ってい る。また,鋼板・鋼管セクターでは,銑鋼一貫生産が行われていないだけでなく熱延鋼板 類の圧延も行われていない。このため,生産拡大とともに母材の輸入も拡大している。そ の意味では生産体制は依然として脆弱である。 投資について。質的には,電炉や圧延機について標準的な設備への投資が増えて来てい る。一部では,小型高炉,誘導炉,逆転式圧延機など,生産効率や品質の上で問題のある 技術も用いられている。しかし,これはベトナム市場に適応した生産が行うための技術選 択と言う側面も持っている。量的には,条鋼セクター,鋼板セクターのいずれにおいても, 過大な投資による能力過剰が見られる。能力過剰のうち,VNS,とくに条鋼セクターでの子 会社 TISCO については,政府の支援に原因がある。しかし,全体としては,むしろ民間企 業・外資企業の投資競争によるところが大きい。これまでのところその影響は国内にとど まっているが,今後,他のアセアン諸国市場を巻き込んだ生き残り競争が激化するかもし れない。 競争について。民間企業と外資企業は生産と投資の主要な担い手になりつつある。そし て,条鋼,鋼板のいずれのセクターにおいても,相対的に優れた設備,優れた企業が生き 31 残って生産を拡大する競争のダイナミクスが観察される。傾向としては,市場経済への移 行は着実に進展し,能力過剰による困難を伴いながらではあるが,競争による選択は正常 に作用しつつあるのである。TISCO は政府支援によって投資を継続しているが,産業の大 勢を決する大きさではない。全体としてベトナム鉄鋼業における設備投資は,確かに能力 過剰を招いているが,その大部分は競争の結果であり,反競争的な行動による部分は小さ い。最大規模のプロジェクトである FHS についても,条鋼類については設備過剰を激化さ せるおそれがあるが,鋼板類についてはまったく異なる。FHS の熱延薄板・帯鋼生産は, むしろ鋼板・鋼管セクターにおける母材の輸入代替を健全に推し進めるものなのである。 貿易について。ベトナムの鉄鋼輸出は,産業発展の自然な結果であり,また量的にも小 さい。過剰生産のはけ口が輸出に向かっているわけではない。むしろ,ベトナムは輸入鋼 材の急増という形で,中国における過剰生産の影響を強く受けており,線材輸入にそれが 表れている。これまでのところは,熱延薄板・帯鋼がベトナムで生産されていなかったた めに,競合が大規模になることはなかった。FHS の稼働とともに,輸入品との競合は激し くなるであろう。 2 結論と残された課題 ベトナム鉄鋼業は,工業化水準の低さに制約されながらも,鋼材集約度が高い経済構造 に助けられ,建設用鋼材の国内市場を与えられている。そして,総じて言えば,市場経済 移行の下,拡大する国内市場を獲得して生産を拡大させており,競争による優勝劣敗の選 択が正常に機能する方向に向かっている。民間企業と外資企業は,生産と投資の主要な担 い手になっている。これが本稿の主要な結論である。 生産体制が脆弱であること,能力過剰への傾向が企業を苦しめていること,先進国基準 から見れば現代的とは言えない技術がなお採用されていることなど,課題は多い。しかし, いずれも投資競争の下で次第に改善する傾向が見られるのである。 産業全体の傾向に反して,改善が見られないのが国有企業 VNS の傘下企業である。生き 残り競争の下で,国有企業 VNS 傘下の企業は不利な状況に追い込まれつつあり,改革を加 速することが急務となっている。しかし,TISCO が経営の自立化を達成できず,民間企業 と同程度の投資にも政府の支援を得ているという,市場経済化に逆行する動きが見られる。 能力過剰の下で政府の支援により投資を続けることは,産業発展を妨げる要因となるだろ う。 本稿では,産業発展の見地から分析を行った。そのため,民間企業,国有企業,外資企 業の行動については,十分な分析をすることができなかった。また国有企業と外資との合 弁企業についても,その独自の性格を論じることができなかった。民間企業の成長や国有 企業の停滞を理解するには,それぞれの企業が,どのような条件の下で,いかなる論理に 32 もとづいて投資決定や技術選択を行ってきたかを解明しなければならない。また,外資企 業の投資動向を理解するには,各企業の戦略の中でベトナムがどのように位置付けられて いるかを明らかにしなければならない。国有企業と外資企業の行動が交錯する地点として 合弁企業を理解する必要もある。これらが残された課題である。 33 引用文献 <著書・論文・報告書> 石川滋[2006]『国際開発政策研究』東洋経済新報社。 石上悦朗[2011]「インド鉄鋼業の発展と多様な生産主体の存在」『ふぇらむ』第 16 巻第 2 号,日本鉄鋼協会,2 月,66-71 頁。 今岡日出紀・大野幸一[1985]「韓国・台湾の工業発展――複線型成長パターンの検証」(今 岡日出紀・大野幸一・横山久編『中進国の工業発展――複線型成長の理論と実証』アジア 経済研究所,11-54 頁)。 今岡日出紀・大野幸一[1999]「グローバライゼーション下での貿易・産業政策」(石川滋・ 原洋之介編『ヴィエトナムの市場経済化』東洋経済新報社,211-224 頁)。 ヴィエトナム社会主義共和国計画投資省・国際協力事業団(MPI-JICA)[2001]『ヴィエト ナム国市場経済化支援計画策定調査第3フェーズ最終報告書 第2巻 貿易産業』。 大野健一[2000]『途上国のグローバリゼーション:自立的発展は可能か』東洋経済新報社。 大野健一・川端望編著[2003]『ベトナムの工業化戦略:グローバル化時代の途上国産業支 援』日本評論社。 岡本博公[1984]『現代鉄鋼企業の類型分析』ミネルヴァ書房。 川端望[2001]「ヴィエトナム鉄鋼業の現状と課題」(MPI-JICA[2001]139-193 頁)。 川 端 望 [2003] 「 鉄 鋼 業 ― ― 輸 入 代 替 産 業 の 現 実 的 オ プ シ ョ ン 」( 大 野 ・ 川 端 編 著 [2003]173-217 頁)。 川端望[2005]『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』ミネルヴァ書房。 川端望[2007]「ベトナムの鉄鋼業 川端望[2008]「タイの鉄鋼業 ―新局面と政策転換―」(佐藤編著[2007]173-207 頁)。 ―地場熱延企業の挑戦と階層的企業間分業の形成―」(佐藤 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