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日本統計学会誌
第 44 巻, 第 1 号, 2014 年 9 月
137 頁 ∼ 157 頁
特 集
マルコフスイッチングモデルの
マクロ経済・ファイナンスへの応用
沖本 竜義∗
Markov-Switching Models
with Applications in Macroeconomics and Finance
Tatsuyoshi Okimoto∗
経済やファイナンスデータの中には,景気循環や政策の変更などに応じて,挙動が大きく変化
しているようなデータが少なくない.本稿では,そのようなデータを分析するための強力なツー
ルのひとつであるマルコフスイッチングモデルを概観する.具体的には,モデルを簡単に紹介し
た後,マルコフスイッチングモデルの重要な要素であるマルコフ連鎖について述べ,具体例を用
いて解釈の仕方を説明する.続いて,マルコフスイッチングモデルの統計的推測問題について触
れ,最後に,マクロ経済やファイナンスへの応用例を紹介する.
Many economic and financial data seem to change their behavior depending on the business
cycle and/or policy regime. In this paper, we review the Markov switching (MS) model as
one of the most powerful tools to analyze such economic and financial data with switching
regimes. More specifically, following the brief introduction of the MS model, we discuss the
Markov chain which is an important component of the model and explain how to interpret the
MS model using a simple example. Lastly, we argue the statistical inference associated with
the MS model and provide some applications to macroeconomics and finance.
キーワード: MS モデル,レジームスイッチングモデル
はじめに
1.
経済やファイナンスデータの中には,景気循環や政策の変更などに応じて,挙動が大き
く変化しているようなデータが少なくない.例えば,アベノミクス以降,円安が進み,株
価が大きく上昇しているのは記憶に新しいことであろう.また,リーマンショックやユー
ロ危機などの金融危機が投資家の行動に影響を与え,金融市場の動向を大きく変えた可能
性もある.つまり,多くの経済時系列データにおいて,同一の関係が常に成立する可能性
∗
オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院:Crawford Building 132, Lennox Crossing, ANU,
Canberra, 0200 Australia (E-mail: [email protected]).
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は少なく,経済変数間の関係は状況に応じて少なからず変化し,いくつかの状態が存在し
ていることが予想されるのである.このような状態はレジーム (regime) と呼ばれ,状態が
変化するようなモデルは総称してレジームスイッチングモデル (regime switching model)
と呼ばれる.
レジームスイッチングモデルを考える上で,一番大きな問題は状態をどのように扱うか
であり,大別して 2 つの方法がある.まず,1 つめは状態が観測可能な変数によって決ま
るモデルであり,その代表的なモデルが閾値モデル (threshold model) や平滑推移モデル
(smooth transition model) である.もう 1 つの方法は,状態が観察不可能な変数によって
決まるモデルであり,その代表的なモデルがマルコフスイッチング (MS) モデル (Markov
switching model) である.経済やファイナンスデータは,景気や投資家の心理など,観測で
きない変数に影響を受けるものも多く,MS モデルは,そのような観測できない変数の状態
によって特性が異なるデータを分析するのに便利なモデルである.特に,Hamilton (1989)
が MS モデルによって景気循環 (business cycle) をうまく捉えることができることを示し
て以来,MS モデルは経済やファイナンスの分野で非常に頻繁に用いられることとなった.
本稿では,MS モデルについて簡単に説明し,その応用例を紹介する.MS モデルの詳細
に関しては,例えば,Kim and Nelson (1999a) を参照されたい.また,状態を観測可能な
変数を用いてモデル化する閾値モデルと平滑推移モデルに関しては,それぞれ Tong (1990)
と Franses and van Dijk (2000) を参照されたい.
本稿の構成は以下の通りである.まず,第 2 節で MS モデルを概観する.次に,第 3 節
で MS モデルの重要な構成要素であるマルコフ連鎖について述べ,第 4 節で具体例を用い
て,モデルのパラメータや結果の解釈の仕方について説明する.第 5 節では,MS モデル
の統計的推測の問題について議論し,第 6 節では,MS モデルの応用例を紹介する.最後
に,第 7 節でまとめと今後の展望について述べる.
2.
マルコフスイッチングモデル
MS モデルは閾値モデルのように状態が離散的に変化するモデルであるが,観測できる
変数によって状態が決まる閾値モデルに対して,MS モデルは状態を観測できない変数と
してモデル化する.言い換えれば,MS モデルは観測データ yt の従う過程が,観測できな
い変数の状態に応じて変化するようなモデルとなる.経済やファイナンスデータは景気や
投資家の心理など,観測できない変数に影響を受けるものも多く,MS モデルは魅力的な
モデルとなっている.
それでは,MS モデルを推定することによって,どのようなことが明らかにできるのだ
ろうか?上で述べたように,経済やファイナンスのデータには,状態変化をしている可能
性が多いにもかかわらず,どのような状態が存在し,状態変化がどのようなタイミングで
マルコフスイッチングモデル
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生じているのかを特定できることは少ない.このような時に,MS モデルを推定すること
によって,マクロ経済市場や金融市場にどのような状態が存在するのか,各状態がどのよ
うな確率で推移するのか,過去のある時点において各状態であった確率はどの程度であっ
たのか,というような問いに,データ主体で答えることができるのである.
以下では,AR(1) モデルの例を中心に,MS モデルについてに説明していく.しかしな
がら,概念的には MS モデルは回帰モデル,VAR モデル,誤差修正モデル,GARCH モデ
ルなど,経済・ファイナンスデータの実証分析に用いられる多くのモデルに適用が可能で
あることに注意されたい1) .
MS モデルでは観測できない状態が存在することを仮定し,それを st で表す.一般的に,
M 個の状態が存在するとすると,st は 1, 2, . . . , M のいずれかの値をとることになる.そ
して,st の値に応じて,yt が従うモデルが変化すると仮定する.例えば,2 状態 MSAR(1)
モデルは

 y =φ +φ y
t
01
11 t−1 + σ1 εt , st = 1
 y =φ +φ y
t
02
12 t−1 + σ2 εt , st = 2
(2.1)
という形で表わされる.ここで,εt ∼ iid N (0, 1) が仮定されることが多いが,正規分布と
は異なる分布を用いることもできるし,εt の分布を状態に依存させることもできる2) .(2.1)
からわかるように,MSAR(1) モデルでは,観測できない状態変数 st の値に応じて,yt は
パラメータの異なる AR(1) モデルに従うことになる.この形より,M 状態への拡張はほ
ぼ明らかであろう.また,(2.1) のモデルは
yt = φ0 (st ) + φ1 (st )yt−1 + σ(st )εt
(2.2)
と表現されることもある.
もちろん,モデルのすべてのパラメータが状態変化する必要はない.目的に応じて,変
更するパラメータを限定することによって,ある特性の状態変化を分析をすることも可能
である.例えば,(2.2) において,φ0 だけが状態に依存すると仮定すると,状態に応じて,
過程の期待値が変化するモデルとなり,φ0 と φ1 が状態変化すると仮定すると,状態に応じ
て,過程の期待値だけではなく,自己相関構造も変化するモデルとなる.ボラティリティ
の状態変化にだけ,興味があるとすれば,σ だけが状態に依存すると仮定すればよいとい
うことになる.
また,上で述べたように,MS モデルは広範囲なモデルに対して応用が可能であるうえ
に,構造変化やモデルの非線形性,ボラティリティクラスタリング,分布の厚い裾や非対
1)
2)
GARCH モデルは,状態が無限の過去に依存するため,GARCH モデルに MS モデルを応用するには,少し
工夫が必要となる.この点に関しては,Gray (1996) ならびに Haas et al. (2004) を参照されたい.
この点に関しては,例えば,Perez-Quiros and Timmermann (2001) や Okimoto (2008) を参照されたい.
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称性など,経済・ファイナンスデータの重要な特徴を柔軟にモデル化することが可能であ
る3) .その結果,MS モデルは経済・ファイナンスデータの分析において,非常に魅力的な
モデルとなっており,多くの分野で応用されることとなっている.
MS モデルを完全に特定するためには,状態 st の従う確率過程を定める必要がある.
Hamilton (1989) は st の確率過程として,マルコフ連鎖 (Markov chain) を用いることを提
案している.マルコフ連鎖は代表的な離散確率過程であり,以下で見るように今期の状態
確率が前期の状態だけに依存して決まる非常に単純なモデルである.しかしながら,状態
をうまく定義することによって,今期の状態確率が前期の状態だけでなくより遠い過去の
状態にも依存するようにできる.また,目的に応じて推移確率に様々な制約を課すことも
できる.その結果,MS モデルは扱いやすさと柔軟性を兼ね揃えた便利なモデルとなって
いる.次節では,マルコフ連鎖について簡単に説明する.
マルコフ連鎖
3.
M 状態マルコフ連鎖では,st は 1, 2, . . . , M のうちの 1 つの値をとり,st = j となる
確率は st−1 の値だけに依存すると仮定される.この性質はしばしばマルコフ性 (Markov
property) と呼ばれ,具体的には,
P (st = j|st−1 = i, st−2 = k, . . .) = P (st = j|st−1 = i) = pij
(3.1)
が成立すると仮定される.このとき,pij は状態 i から状態 j への推移確率 (transition
probability) と呼ばれ,推移確率を M × M 行列 P にまとめたもの


p11
p21 . . . pM 1




p22 . . . pM 2 
 p12

P=
..
.. 
 ..
..
 .

.
.
.


p1M
p2M
...
(3.2)
pM M
は推移確率行列 (transition probability matrix) と呼ばれる.ここで,P の (j, i) 成分が推
移確率 pij になっていることに注意されたい.例えば,(2,1) 成分は状態 1 から状態 2 に移
動する確率である.このとき,πt を
(
)0
πt = P (st = 1), P (st = 2), . . . , P (st = M )
という M × 1 ベクトルとすると,πt は
πt+1 = Pπt
3)
MS モデルのモーメントに関しては,例えば,Timmermann (2000) を参照されたい.
(3.3)
マルコフスイッチングモデル
141
を満たす.つまり,今期の状態確率に推移確率行列をかけると,来期の状態確率が得られ
るのである.また,状態 i の平均持続期間は,1/(1 − pii ) で与えられることが知られてお
り,pii が高いほど状態 i の平均持続期間は長くなる.
ここで推移確率は確率であるので,
pi1 + pi2 + · · · + piM = 1
(3.4)
が成立することにも注意しよう.したがって,例えば,2 状態マルコフ連鎖の推移確率行
列は

P=
p11
1 − p22
1 − p11
p22


(3.5)
という形になり,p11 と p22 という 2 つのパラメータで表されることになる.また,(3.4)
より,
P0 1 = 1
が成立する.ここで,1 は 1 を並べた n × 1 ベクトルである.つまり,1 は P0 の固有値で
ある.任意の行列とその転置行列は同一の固有値をもつので,任意のマルコフ連鎖におけ
る推移確率行列は 1 を必ず固有値にもつことがわかる.
次に,ξt を時点 t における状態を表す M × 1 ベクトルとしよう.つまり,ξt は,st = i
の場合に,M × M 単位行列 IM の第 i 列に等しくなるベクトルである.st = i のとき ξt+1
の第 j 成分は pij の確率で 1,1 − pij の確率で 0 をとる確率変数となり,その期待値は pij
に等しくなる.したがって,st = i を所与としたときの ξt+1 の条件付き期待値は
E(ξt+1 |st = i) = ( pi1
pi2
···
0
piM ) = Pξt
(3.6)
と書くことができる.また,st = i という条件は,ξt の値を所与とすることと同じことで
あり,さらにマルコフ性 (3.1) より,(3.6) は
E(ξt+1 |ξt , ξt−1 , . . .) = Pξt
と書き直すことができる.ゆえに,マルコフ連鎖に従う状態ベクトル ξt は
ξt+1 = Pξt + vt+1
(3.7)
という VAR(1) モデルに従い,推移確率行列はその係数行列になることがわかる.ここで,
vt+1 ≡ ξt+1 − E(ξt+1 |ξt , ξt−1 , . . .)
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はマルチンゲール差分系列になることに注意しよう.つまり,vt の期待値は 0 であり,過
去の状態からは予測不可能である.言い換えれば,Pξt は今期の状態を所与としたときの,
来期の状態の MSE を最小とする予測となるのである.
マルコフ連鎖においては,推移確率に制約を課すことによって,状態の推移をコント
ロールすることもできる.例えば,(3.5) において,p22 = 1 とすると,状態 2 は吸収状態
(absorbing state) と呼ばれる状態となる.つまり,一度状態 2 に移動すると,それ以降は
状態 2 にとどまるのである.このようなマルコフ連鎖を用いた MS モデルは恒久的な構造
変化を分析するのに便利である.また,推移確率に制約をもたない MS モデルと比較する
ことによって,推移的な変化と恒久的な変化のどちらが適当であるかを検証することもで
きるであろう.さらに,これを複数状態に拡張すれば,複数の構造変化をもつ時系列データ
の分析に用いることもできる.これらの応用例については,例えば,Chib (1998), Pesaran
et al. (2006), Inoue and Okimoto (2008) などを参照されたい.
2 状態マルコフ連鎖において,吸収状態が存在しないとき,マルコフ連鎖は既約である
といわれる.一般的に,任意の状態から任意の状態へ移ることができるマルコフ連鎖は既
約なマルコフ連鎖といわれる.既約なマルコフ連鎖において,推移確率行列 P の固有値の
ひとつが 1 で,それ以外の固有値の絶対値が 1 より小さいとき,既約なマルコフ連鎖はエ
ルゴード的といわれる.エルゴード的マルコフ連鎖においては,
π∗ = Pπ∗
を満たす定常確率 (stationary probability) が一意に存在することが知られている.した
がって,定常確率は推移確率行列 P の固有値 1 に対する各成分の合計が 1 となるように基
準化された固有ベクトルと解釈することができる.また,
lim Pm = (π∗ , π∗ , . . . , π∗ )
m→∞
が成立することも示すことができ,これは初期状態にかかわらず,十分時間が経過した将
来を考えると,各状態にいる確率は定常確率に等しくなることを示している.また,定常
確率はマルコフ連鎖の VAR(1) 表現 (3.7) の条件なし期待値にもなっており,各状態が実
現する平均的な確率ということもできる.
2 状態エルゴード的マルコフ連鎖の状態 1 の定常確率は
π1∗ =
1 − p22
= 1 − π2∗
2 − p11 − p22
(3.8)
で与えられることが知られている.(3.8) より,p11 が高いほど状態 1 の定常確率は高くな
り,p22 が低いほど状態 1 の定常確率は高くなることがわかる.一般的に, M 状態マルコ
マルコフスイッチングモデル
フ連鎖の定常確率は,A を

A=
IM − P
10
143


という (M + 1) × M 行列として,(A0 A)−1 A0 という行列の第 M + 1 列で与えられること
が知られている.
マルコフ連鎖はマルコフ性 (3.1) を仮定するため,st がマルコフ連鎖に従うというのは,
一見するとかなり制約的なモデルのように思えるが,それは必ずしも正しくない.例えば,
今期の状態確率が前期と 2 期前の状態の両方に依存する 2 状態モデルを考えよう.この場
合,新しい状態 s∗t を



1




 2
s∗t =


3




 4
st = 1, st−1 = 1
st = 2, st−1 = 1
(3.9)
st = 1, st−1 = 2
st = 2, st−1 = 2
と定義することによって,この 2 状態モデルは,s∗t がマルコフ連鎖に従うような 4 状態モ
デルで書き直すことができる4) .同様にすると,今期の状態確率が 3 期以上の過去の値に
依存するような場合でも,その依存が有限次の過去である限り,理論的には必ず状態が有
限個のマルコフ連鎖で書き直すことができる.したがって,st がマルコフ連鎖に従うとい
うのは,それほど強い制約ではないのである.
また,推移確率を時変的にすることもできる.例えば,Diebold et al. (1994) や Filardo
(1994) は推移確率を経済変数のロジスティック関数でモデル化し,推移確率が経済変数の
値によって変化する MS モデルを考えている.具体的には,t − 1 期までに観測可能で推移
確率に影響を及ぼす可能性がある変数からなるベクトルを zt−1 として,推移確率を
pij,t (zt−1 ) =
exp(z0t−1 β)
1 + exp(z0t−1 β)
とモデル化することを提案している.そのほかでは,Durland and McCurdy (1994) は,t
期の推移確率が各状態の t 期までの持続期間に依存するようにモデルを拡張している.
以上,見てきたように,マルコフ連鎖は今期の状態確率が前期の状態だけに依存して決
まる非常に単純なモデルであるが,状態をうまく定義することによって,今期の状態確率
が前期の状態だけでなくより遠い過去の状態にも依存するようにできる.また,目的に応
じて推移確率に様々な制約を課したり,時変的にすることもできる.その結果,MS モデ
ルは扱いやすさと柔軟性を兼ね揃えた便利なモデルとなっているのである.
4)
ただし,この場合,例えば,状態 1 から状態 3 に移動することはなくなるので,推移確率に制約を課す必要
があることに注意されたい.
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4.
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
MS モデルの具体例
本節では,MS モデルの具体例を用いて,パラメータや結果の解釈の仕方について簡単
に述べる.そのために,例えば,日次の株式収益率に,次のような 2 状態 MS モデル

 y =µ +σ ε , s =1
t
1
1 t
t
(4.1)
 y =µ +σ ε , s =2
t
2
2 t
t
を当てはめた状況を考えよう.ただし,εt ∼ iid N (0, 1) とする. また,st は推移確率行
列が (3.5) で表されるマルコフ連鎖に従うとしよう.このとき,モデルのパラメータは,
θ = (µ1 , µ2 , σ1 , σ2 , p11 , p22 ) となり,実際のデータを用いて,これらのパラメータを推定す
ることになる.パラメータの推定法に関しては,次節で述べることとして,ここでは,パ
ラメータを推定したところ,(ˆ
µ1 , µ
ˆ2 , σ
ˆ1 , σ
ˆ2 , pˆ11 , pˆ22 ) = (−2, 1, 2, 1, 0.8, 0.9) という結果が得
られたとしよう.すなわち,日次の株式収益率が

 y = −2 + 2ε , s = 1
t
t
t
 y =1+ε ,
st = 2
t
t
という MS モデルに従い,st は推移確率行列が


0.8 0.1

P=
0.2 0.9
(4.2)
(4.3)
に等しいマルコフ連鎖に従うという結果が得られたということである.以下では,この推
定結果からどのようなことが示唆されるかを考える.
まず,MS モデルの解釈において,重要なことは,状態の解釈である.具体的には,各状
態がどのような性質を持ち,その結果,各状態がどのような状態を表しているのかを判断
することである.(4.2) より,状態 1 のモデルの期待値と標準偏差は,それぞれ −2 と 2 で
あることがわかる.つまり,期待収益率は低く,ボラティリティも比較的大きな値となっ
ている.したがって,状態 1 は,株式市場のパフォーマンスも悪く,リスクも大きいので,
株式市場の中でも下落相場であるベア市場を表していると解釈することができる.逆に,
状態 2 のモデルの期待値と標準偏差は,それぞれ 1 と 1 であり,期待収益率は高く,ボラ
ティリティは小さなものとなっている.したがって,状態 2 は,株式市場のパフォーマン
スは良好で,リスクも小さいので,株式市場の中でも上昇相場であるブル市場を表してい
ると解釈することができる.このように,MS モデルの各状態は推定結果に基づいて,分析
者自身が解釈を与えるのが普通である.言い換えれば,分析者が事前に各状態を特定する
必要はなく,データからどのような状態が存在するのかを明らかにできるのが特徴である.
また,状態に対して,何かしらの事前情報がある場合は,その情報を各状態のパラメータ
の条件として課すことによって,ある程度,状態を特定した形でモデルを推定することも
145
マルコフスイッチングモデル
できる.例えば,株式市場のベア市場とブル市場の分類に興味があるような場合は,(4.1)
のモデルに µ1 < 0, µ2 > 0 というような制約を課したうえで,分析をすることもできる.
次に,st が従うマルコフ連鎖の推移確率行列 (4.3) より,状態の推移に関して示唆され
ることを見てみよう.まず,p11 = 0.8 であるので,今日がベア市場であったとすると,確
率 0.8 で明日もベア市場となり,確率 0.2 でブル市場に変化することが示唆される.同様
に,p22 = 0.9 であるので,今日がブル市場であったとすると,確率 0.9 で明日もブル市場
となり,確率 0.1 でベア市場に変化することがわかる.また,ベア市場の平均持続期間は
1/(1 − 0.8) = 5 日であり,ブル市場の平均持続期間は 1/(1 − 0.9) = 10 日となる.つまり,
ベア市場は平均的に 1 週間続き,ブル市場は 2 週間続くことが示唆されるのである.さら
に,(3.8) より,ベア市場の定常確率が,
π1∗ =
1
1 − 0.9
=
2 − 0.8 − 0.9
3
となることもわかる.これより,まず,今から遠い将来,例えば,1 か月後の株式市場は,
今の状態がどちらの状態であれ,確率 1/3 でベア市場になり,確率 2/3 でブル市場になる
ことが示唆される.また,1 年に 246 営業日あるとすると,市場は平均的に年間のうち 82
日間ベア市場にあり,164 日間ブル市場にあることも示唆される.最後に,今日がベア市
場である確率が 0.5 であったとすると,(3.3) より,

πt+1 = 

0.8 0.1
0.2 0.9


0.5
0.5

=

0.45

0.55
となるので,明日は確率 0.45 でベア市場になり,確率 0.55 でブル市場になることがわかる.
MS モデルの場合,状態は観測不能であるため,実際の状態や状態確率はわからないの
で,上のような計算はあまり意味がないように感じるかもしれないが,そういうわけでは
ない.なぜならば,推定結果と観測値から,状態確率は推測することができるからである.
例えば,yt = −3 という観測値が観測されたとしよう.状態 i における yt の確率密度 fi は,
平均 µi , 標準偏差 σi の正規分布の密度となるので,yt = −3 という観測値が,状態 1 で実
現していたとすると,その確率密度は
(
)
(−3 − µ1 )2
1
exp
−
= 0.176
f1 (−3) = √
2σ12
2πσ12
となる.それに対して,状態 2 で実現していたとすると,その確率密度は,
(
)
1
(−3 − µ2 )2
√
f2 (−3) =
exp −
= 0.000
2σ22
2πσ22
となる.これより,yt = −3 という観測値は,状態 1 から発生している確率が極めて高く,
146
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
P (st = 1|yt = −3) ≈ 1 となることがわかる.同様に,yt = 0 とすると,
(
)
1
(0 − µ1 )2
f1 (0) = √
exp
−
= 0.121
2σ12
2πσ12
)
(
1
(0 − µ2 )2
f2 (0) = √
= 0.242
exp −
2σ22
2πσ22
となり,yt = 0 という観測値が状態 2 から生じている可能性が 2 倍程度高いことがわかる.
したがって,P (st = 1|yt = 0) ≈ 1/3 と推測できるのである.実際には,yt だけではなく,
ほかの観測値を用いることもでき,どの情報を用いるかによって,いくつかの状態確率が
存在する.この点については,次節で詳しく述べる.
MS モデルの統計的推測
5.
本節では,MS モデルの統計的推測について述べる.MS モデルの推定は,最尤法で行わ
れるのが一般的である5) .最尤法では,θ を推定するパラメータからなるベクトル,Ωt−1
を時点 t − 1 終了時の情報集合,fYt |Ωt−1 (yt |Ωt−1 ; θ) を Ωt−1 を所与としたときの yt の条件
付密度,T を標本サイズとして,
L(θ) =
T
∑
log fYt |Ωt−1 (yt |Ωt−1 ; θ)
(5.1)
t=1
で与えられる対数尤度を最大とするような θ の値を最尤推定量とする.(5.1) より,条件付
密度 fYt |Ωt−1 が求まれば,(5.1) を求めることができるが,MS モデルの場合,状態が観測で
きないので,これは厄介な問題となる.以下では,2 状態 MS モデルを例にして,fYt |Ωt−1
の計算法を説明する.
2 状態 MS モデルの場合,状態が 2 つ存在し,データがどちらの状態から生成されたものか
確定することができないので,データは 2 つの条件付分布の混合分布 (mixture distribution)
から生成されたと考えられる.したがって,fYt |Ωt−1 は
fYt |Ωt−1 (yt |Ωt−1 ) =
P (st = 1|Ωt−1 )f (yt |Ωt−1 , st = 1)
+P (st = 2|Ωt−1 )f (yt |Ωt−1 , st = 2)
(5.2)
という形で書けることになる.状態を所与とすると,条件付分布は 1 つに定まるので,
f (yt |Ωt−1 , st = i), (i = 1, 2) の計算は容易である.また,2 状態モデルの場合,P (st =
2|Ωt−1 ) は
P (st = 2|Ωt−1 ) = 1 − P (st = 1|Ωt−1 )
5)
ここで扱っている最尤法は,尤度の計算に必要となる初期値を所与として扱うため,条件付最尤法と呼ばれ
ることがある.また,MSAR モデルを最尤法で推定したときの最尤推定量の性質に関しては,例えば,Douc
et al. (2004) を参照されたい.
マルコフスイッチングモデル
147
から求められるので,問題は条件付確率 P (st = 1|Ωt−1 ) をどのように求めるかということ
に帰着される.
まず,t = 1 のときを考える.仮に,s0 に関して,何かしらの情報がある場合は,その情
報を用いて,P (s1 = 1|Ω0 ) を定めればよい.例えば,s0 = 1 という情報があったとすると,
P (s1 = 1|Ω0 ) = p11 となる.もし,s0 に関して,何の情報もない場合は,P (s1 = 1|Ω0 ) を
その条件なし期待値,つまり定常確率 (3.8) とすればよい.一般的に,P (st = 1|Ωt−1 ) が
求められたとすると,yt の条件付密度の値を用いて,P (st = 1|Ωt ) を
P (st = 1|Ωt ) =
P (st = 1|Ωt−1 )f (yt |Ωt−1 , st = 1)
fYt |Ωt−1 (yt |Ωt−1 )
(5.3)
と更新することができる.ここで,fYt |Ωt−1 (yt |Ωt−1 ) は (5.2) より求められる yt の条件付
密度である.この確率は,フィルター化確率 (filtered probability) と呼ばれ,時点 t まで
の情報に基づいた時点 t における各状態の確率を表す.(5.2) と (5.3) より,状態 1 のフィ
ルター化確率は,yt の条件付密度のうち,状態 1 が寄与する割合を求めたものと解釈でき
ることがわかるであろう.フィルター化確率が求まれば,それに推移確率をかけることに
よって,t 期までの情報に基づいた t + 1 期の条件付確率が
P (st+1 = 1|Ωt ) =
=
P (st = 1|Ωt )P (st+1 = 1|st = 1) + P (st = 2|Ωt )P (st+1 = 1|st = 2)
P (st = 1|Ωt )p11 + (1 − P (st = 1|Ωt ))(1 − p22 )
(5.4)
と求められる.したがって,(5.3) と (5.4) を用いれば,P (st = 1|Ωt−1 ) から P (st+1 = 1|Ωt )
を求めることができるので,この手順を t = 1 から t = T − 1 まで繰り返すことによって,
条件付確率 P (st = 1|Ωt−1 ) の値を全時点について求めることができるのである.
以上の結果を用いれば,(5.1) と (5.2) から対数尤度を計算することは難しくはない.し
かしながら,MS モデルはパラメータの数が大きくなる傾向があるため,パラメータに関し
て対数尤度を最大化することが困難な場合がある.そのため,Hamilton (1990) では,EM
アルゴリズムを用いて最尤推定値を求める方法が紹介されており,EM アルゴリズムを用
いることによって,初期値に対して頑健的に最尤推定値が求められることが確認されてい
る.EM アルゴリズムは,Dempster et al. (1977) が提案した不完全な状態で観測された
データについて最尤推定値を求める手法であり,EM アルゴリズムに関する詳細は,例え
ば小西他 (2008) を参照されたい.
MS モデルの最大の利点の 1 つは,観測できない状態に関しても推測を行うことができ
ることである.もう少し正確にいうと,最尤法から求められたパラメータを用いて,全観
測値を所与としたときの状態確率を各時点で評価することができる.この確率は平滑化確
率 (smoothed probability) と呼ばれ,時点 t における状態 i の平滑化確率は P (st = i|ΩT )
で定義される.例えば,観測できない状態が景気の状態と仮定できるような場合,標本の
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日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
各時点において景気がどのような状態にあったかを確率的に評価できることは非常に有用
であろう.また,状態変化のタイミングを�