し、 「高齢者が住み慣れ た。世界を見れば決して らここまでやってきまし か、それだけを願いなが た」と感激した様子で挨 院として戻って参りまし この地に茅ヶ崎徳洲会病 島・副理事長は「皆さん、 3代目院長を務めた福 浜支店長は新病院の完成 村高男・常務執行役員横 住民の皆様の健康管理を 者の協力に謝意を表した。 すのではなく、日頃から を祝福するとともに関係 していただきたいと思い 病気が悪くなってから治 院にも頑張っていただき、 と結んだ。 神事の後、竣工祝賀会 に就任した 年前、医 師 服部市長は茅ヶ崎市の 上増えている状況を明か 高齢化について説明。 なっています。茅ヶ崎病 AG(心臓カテーテル検 査)室、1階の外来、X 線検査室などを見学。出 る湘南東部医療圏の会議 で、茅ヶ崎徳洲会病院の 完成がたびたび話題にな ったことを打ち明け、こ の新病院が在宅医療・介 護にもかかわることに期 待を寄せた。 康友の会の清水亨相談役 長が行った。佐藤副院長 中締めは佐藤信昭副院 防長、茅ヶ崎市議会の広 市消防本部の川上幸男消 の数野隆人会長、茅ヶ崎 歓談中、湘南病院協会 ための医療を行っていき 茅ヶ崎病院も患者さんの 忘 れ る こ と な く、 新 生・ まれた病院。その歴史を 院は市民の嘆願書から生 たいと思います」と力強 茅ヶ崎医師会関係者によ 安心」 、 「徳洲会はやっぱ 会した。 く挨拶し、一本締めで閉 ハビリ室などが好評で、 り救急でしょう」と、救 場者を誘導したり、医療 病院の職員を配置し、来 見学コースの随所に新 しており、改めて地域に 崎徳洲会総合病院を認知 どの来場者が以前の茅ヶ 感を寄せていた。ほとん 急医療に対し厚い信頼 機器や院内の各スペース ことが印象に残った。 根付いた医療機関だった に、すぐに来られるので 評で、なかでも「緊急時 トでいいですね」など好 院の頃に比べてコンパク 象的」 、「機械は以前の病 病院」 、「明るい空間が印 ら は、「 す ご く き れ い な 見学を終えた参加者か いた。 について説明したりして る声が上がっていた。 快適な療養環境に感心す 数野会長は茅ヶ崎市、 ぞれ祝辞を送った。 瀬忠夫議長が登壇、それ 時に高らかに杯を掲げた。 は「茅ヶ崎徳洲会総合病 が取り、祝意を表すと同 ました」と感想を述べた。 方々も安心できると感じ 川上消防長は救急要請 2012年に茅ヶ崎徳洲会総合病院が湘南藤沢徳洲会病院として新築移転後、跡 命は平等ではありませ 拶。徳洲会病院跡地に新 来賓の祝辞は河野太郎 が毎年1万件を超えてい 地に再び病院が誕生したことを祝った。同時開催の内覧会には地域の方々をはじめ ん 」と語気を強め、「これか たに病院を開設するケー 代議士と茅ヶ崎市の服部 ます」と呼びかけ、新病 た地域で安心して生活す 4836人が参加。この日を待ち望んでいた様子がうかがえた。 らも、この新しい病院が スは徳洲会グループ初で 信明市長。河野代議士は 院が地域医療の核となる る状況を挙げ、新病院の れる社会の実現」という ますます繁栄し、その力 あると強調し、茅ヶ崎徳 歳 るために、医療・福祉の 徳洲会の哲学・理念が国 洲会総合病院に比べ、居 団塊の世代が 一体的サービスが必要」 内だけでなく海外にも着 が余れば少しでも恵まれ などをアピールした。最 以上となる“2025年 完成で救急医療の充実が 実に広がっている様子を ないところに医療を届け 後に「この新病院も皆様 いです」と締めくくった。 住性を大きく改善した点 たい。それが私たちの願 の力で育てていただきた 問題”に言及し、医療機 と訴求。市内で徳洲会が 1016床のソフィア徳 とを回顧。「内科、外科、 紹 介。「 ヨ ー ロ ッ パ で は 4人からスタートした こ 田病院がオープンして8 いと思います」と呼びか 関 の 重 要 性 を 指 摘。 「い 図れることを望んだ。ま を開催した。冒頭、施主 年が経ちました。スタッ け、今後は近隣の湘南藤 多様な介護サービスを提 として医療法人徳洲会の 産科、小児科が1人ず つ しっかり徳洲会の哲学・ 「茅ヶ崎に、132床なが 沢病院とともに地域医療 た事前に院内を見学した 鈴木隆夫理事長、茅ヶ崎 で、市民の皆様だけが 頼 ら救急をベースにする新 らしくなったのは半年 後 。 フ は ほ ぼ 現 地 の 方 で す が 、 長 を 務 め る 野 口 院 長 は 、 りでした。ようやく病 院 しい病院をオープンする 供していることをふまえ 徳洲会病院の野口有生院 理念を守り、朝礼で理念 ことができました」と笑 こ と を 明 か し、 「シンプ 長、一般社団法人徳洲会 その間も『救急は絶対 に の唱和を行っています。 歳以上の人口比が1割を ルながら機能的で地域の の福島安義・副理事長が 断らない』という信条 を またアフリカでは カ国 かに高齢化に備えていく 超え、毎年1000人以 意味をなすと思います」 それぞれ挨拶。鈴木理事 守りとおしてきたのは 市 を守ることを約束した。 かが国の大事な課題にも 病院を設計した梓設計、 時にス 口では、新病院のパンフ たバッグが配布された。 見学 者から 婦人科 のゆっ たりし た病室 や見晴 らしの 良いリ 乾杯の音頭は、湘南健 長と福島・副理事長は茅 民の皆様に対する約束 だ 顔 で 報 告 し、「 当 院 は 5 この後、茅ヶ崎徳洲会 開院します」と高らかに 茅ヶ崎徳洲会病院の院 ヶ崎徳洲会総合病院で院 を超える国々に透析機器 月1日午前0時、夜中に の運営に貢献していま 状を贈呈。梓設計の松本 年央会長、鹿島建設の野 内覧会は午前 5階の産婦人科病棟、2 のリハビリテーション室、 レットなど記念品を詰め タートし、参加者は6階 階の内視鏡センターやC 建物の老朽化などで 3 年に 長職を務めたことから、 ったからです」と当時 の を寄贈し、透析センター ことに期待を寄せた。 当時を振り返るとともに 心境を吐露した。 した。野口院長は院長と より被災したのを受け、 れぞれ鈴木理事長が感謝 施工した鹿島建設に、そ 徳洲会の医師らが支援に 茅ヶ崎徳洲会総合病院 宣言した。 鈴木理事長は今年はじ の後の徳洲会 最後に鈴木理事長は 「ど 快適な療養環境に 多くの見学者感心 す」と国際医療協力の成 くの方々が大 めにネパールに透析機器 果を披露した。 変な思いをし を寄贈したことを紹介。 年前に新築移転したこ と て き ま し た。 4月 の発展の礎と 日に同国が地震に この苦労がそ を振り返り、「この間、多 75 内覧会には朝から切れ目なく参加者が続いた しての決意を見せた。 25 10 中締めを行う佐藤副院長 75 は、産 リハビリテーション室の見晴らしの良さに感動 なっています」 向かう可能性を示唆した。 と、 列 席 し て いた歴代院長 続 け て「 生 命だけは平等 だ」、「いつで も、 ど こ で も、 誰 でもが最善の 関係者一同に謝意を表す鈴木理事長 司会進行役は中村伊予子・事 務次長が務めた 「新病院の開設が大きな 余興で、地元の円蔵祭囃子保存会が祭囃 子を披露した 改めて関係者に謝意を示 を開催した。地元の行政や医療関係者、徳洲会グループ関係者ら538人が出席、 どうしたら役に立てるの うしたら命を守れるか、 内覧会には4836人が参加 盛 大に竣 工 祝 賀 会 開 催 26 医療法人徳洲会は 月 日、茅ヶ崎徳洲会病院(神奈川県、132床) の竣工祝賀会 4 鈴木理事長は初代院長 15 35 らをたたえ た 。 500人以上が列席し、 新病院の完成を祝福 医療を受けら 内覧会参加者に配布した記念品セット。 病院のロゴが入った防水ポーチも 数野会長は茅ヶ崎病院が在宅医療・ 介護にもかかわることを期待 新病院開設により、救急医療の充実 を展望する川上消防長 茅 ヶ 崎 徳洲会病院 「この地に再び帰ってきました」 い の ち 服部市長は医療・福祉の一体的サービス で、茅ヶ崎病院が大きな意味をもたらす と強調 設計者、施工者に感謝状が贈られた (写真は梓設計の松本会長) 「乾杯!」と力強い声で音頭を取る 清水相談役 救急をベースにした病院らしく、野口院 長は深夜の開院を宣言 「この地に再び茅ヶ崎徳洲会病院が帰っ てきました」と福島・副理事長 25 平成 27 年 5 月 4 日 月曜日│No.978 ❹ 聞 新 洲 徳 生 命だけは平等だ
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