O BRASIL No. 967

BOLETIM
No. 967
(会報)
PRIMAVERA
発行
一般財団法人 日伯協会
(春)
理事長
三 野 哲 治
TEL/FAX
O BRAS
IL
2015
URL
http://www.nippaku-k.or.jp
E-mail
[email protected]
平成27年4月30日
(季 刊)
神戸(078)230−2891
〒650−0003 神戸市中央区山本通3丁目19−8 海外移住と文化の交流センター2階
編集
会報編集委員会
パラナ州マリンガ市の日本庭園(兵庫県加古川市が支援)
今号の主な記事
6
P.
2
移住ミュージアムだより
P.
8
日ブラジル外交関係樹立120周年に寄せて
P.
3
移住者を支えた宗教家、
リスボンからの手紙
P.
9
ブラジルの日系団体紹介
P.
4
ブラジルトピックス
P.
10
企業紹介(フルッタ・フルッタ)
P.
5
ブラジル経済情報、表紙の言葉
P.
11
書籍紹介、編集後記
P.
12
私とブラジル
第2回
日伯協会からのお知らせ
P.
6-7
印刷/菱三印刷株式会社 〒652-0803 神戸市兵庫区大開通2丁目2-11 TEL
(078)
576-3961
私とブラジル
6
第
2
回
日本人ブラジル移住 周年記念式典”に参加
一般財団法人日伯協会 副理事長
中林 志郎
(川崎重工業株式会社 顧問)
日本人ブラジル移住100周年記念式典では、
日本からも家電、電子、バイクなど30以上の企業
「友情の灯」入場リレーと点火式が開幕を飾りま
が進出している。特に1975年にHONDAが現地法
した。式典での、皇太子殿下のお言葉の中で、
人(モトホンダ・ダ・アマゾニア・リミターダ)
「…最初のブラジル移民船,笠戸丸の神戸港出港
からちょうど100年目にあたる4月28日には、神戸
で開催された日伯交流年・ブラジル移住100周年
記念式典にも出席をいたしました。神戸では、
ちょうど100年前の笠戸丸の出航時刻である午後5
時55分に合わせ、移住者の皆さんが出発前の日々
を送った、海外移住センターの屋上で採火された
「友情の灯」を、神戸港に停泊しているすべての
船舶の霧笛と共に、サントス港へと送り出しまし
た。1908年当時に思いをはせ、とても感慨深いも
のがありました。…」
が非常に印象的であり、当時協会の方々がどのよ
2
No.967
を設立し、翌年から二輪車生産を開始し2007年に
は累計1,000万台を、2014年8月には累計2,000万台
を達成している。二輪車はマナウスで生産し、
1,600㎞下流のベレンまで5・6日かけ海上輸送し、
サンパウロまで5・6日での陸上輸送という12日程
度要しているとのことでした。
アマゾンは、河口では川幅が350kmであるが、
マナウスでも10㎞以上あり、川というよりも瀬戸
内海という印象でした。また、ソリモンエス川
(白い川)とネグロ川(黒い川)の合流点の見学
やピラニア釣りも挑戦できましが、雨季終了直後
で水量も多く、世界最大のジャングルや大湿原に
興奮が続きました。
うに「友情の灯」をブラジルまで届けるかを非常
その後、サンパウロに戻り、西村理事長がブラ
に苦労され、当社としても少しお手伝いできたこ
ジル日本移民百周年記念協会執行委員長の松尾治
とは非常に良かったと感じました。
氏(1955年渡伯の日系一世)と面談されヨーロッ
翌日22日には、ロンドリーナで「ローランジア
パ経由で帰国の途につきました。2週間以上の訪
での日本移民100周年記念式・祭典」とマリンガ
問でしたが、日本と12時間の時差があるため、午
市100周年記念公園開会式に参加しました。23日
後9時にホテルでパソコンを立ち上げると会社か
にはクリチーバで、「中川トミ公園」を見学後、
らのメールをはじめ仕事が待ち受けており、朝5
ハリマ化成(Harima do Brasil Indústria Quími-
時頃には業務が終了し、少し仮眠して行事や見学
ca
に参加できた事は幸運(?)でありました。
Ltda. )パラナ工場を見学させて頂き、クリ
チーバ文化援護協会主催の交流会にも参加しまし
最後に、100周年記念式典に参加して、改めて
た。アントニオ上野元下院議員他多くの人たちに
先人の移民当時の苦労を実感できたと共に、首都
会うことができました。
としての政策面や明るい国民性、イグアスやアマ
サンパウロでの100周年記念式典後にローラン
ゾンの大自然とその雄大さなどを短期間にブラジ
ジア、マリンガ、ロンドリーナ、クリチーバ、サ
ルを多面的に知ることができ、日本とブラジルの
ンパウロと3日間で移動した距離が1700kmで、そ
更なる友好を深めていきたいと感じました。1972
れをバス移動ということでした。それが普通とい
年に上田将雄川重相談役(元川崎車両社長)が就
う国情にびっくりしました。
任し、以降23年間理事長を務めさせて頂き、その
周年記念式典後、マナウスで西部アマゾン日伯
後、1997年平田幸廣特別顧問(元副社長)、2005
協会/アマゾナス日系商工会議所との会合にも参
年には西村顧問(元副社長)が理事長に就任し、
加しました。マナウスは19世紀天然ゴムブームの
当社役員が1972年から2013年まで理事長を務めさ
集積地として栄えたが、ゴムの木を海外に持ち出
せて頂いたことは非常に名誉なことであったと感
されたことで衰退した。その後は、コーヒー栽培
謝すると共に、微力ではありますが、私も今後と
等で都市基盤を支えた時代もあったが、1967年経
も当協会の発展に尽力して参ります。
済特区の許可を受け1990年には企業誘致は500件、
日ブラジル外交関係樹立120周年に寄せて
日伯文化の違いを理解して
長く付き合おう
ブラジル日本商工会議所 副会頭 天野
一郎
今年は日伯修好120周年記念の年ということで、
し多くのブラジル人は幸せです。橋の下で暮らす
様々な行事が計画され、にぎわっています。津軽
一家が、拾ってきた薪を使い、拾ってきたソ
の「ねぷた」がカーニバルに参加しブラジル人と
ファーで楽しそうに夕餉の準備をしています。
一緒に踊り、みんなで楽しんでいます。同じ人間
サントスの海岸でビーチサッカーをサリドマイ
同士なので、意識、文化に共通点はたくさん見ら
ドの人も一緒にプレーしているのを見て感動しま
れます。また相違点もたくさんあります。
した。そうですブラジルでは人と比べたりせず、
みな幸せなのです。この比較しない社会がまた、
私はサンパウロに37年住んでいます。ブラジル
住み易いひとつの要因でもあります。だからと
生活の方が日本での生活より長くなりました。サ
いって向上心はとても大きいものがあります。会
ンパウロに着いた当初はいわゆるカルチャー
社が終わると、夜間大学に通い、資格を取ってよ
ショックで、早く東京に戻りたくなったものです。
り良いキャリアを目指します。朝は暗いうちから
まあよくこんなに長く住んでいるものと驚かれた
通勤通学のバスは人でいっぱいです。
りしますが、今では私はすっかりここでの生活が
定着しています。それだけ日本人にとって住み心
ここでは建築に対する法規制の問題は別に譲っ
地の良さがあるということです。皆さんは日本人
て、建築の方法が日本とは異なります。日本では
の意識、日本の文化についてはよくご存じですか
設計図に沿って柱などを用意して棟上げを行いま
ら、「ブラジルの日本」とは異なると思われる、
す。ブラジルではレンガを積んでいくため、窓の
意識、文化について私なりに感じたことを記して
位置が気に入らなかったら、レンガでふさいで、
みたいと思います。
気に入った場所に穴を開け、窓を作ります。入り
口のドアもそうです。日本の消費税に当たる税は
ブラジルは移民の国ですから、誰でも受け入れ
州税ですから、州ごとに、商品ごとに税率が異な
てくれます。下手なポルトガル語で一生懸命話し
ります。その複雑さは日本の単一税率から見ると
かけると、分りづらいのに嫌がりもせず理解しよ
気の遠くなるほど複雑です。しかもすべてイン
うとしてくれます。これが住み易いひとつの要因
ターネットで財務省のデーターベースにアクセス
です。大概の国は自前の車産業や、電気産業を
しなければ商品伝票の発行ができません。国土が
持っています。でもブラジルにはありません。政
広くインターネット環境が充実していないのに、
府関係者にこれを質すと、「誰でも受け入れて、
です。電子投票は何年も前から実施済みです。ま
国の発展に寄与してくれるならそれで良いの
ず実施して、不都合があれば変えれば良いという
だ。」とのことです。これが、ブラジル進出の
考えです。この考えでやるため、新しい法律はす
きっかけとなる企業がある一因です。しかしナ
ぐにできます。どう対応したらよいか、セミナー
ショナリズムも共存しています。部品の国産化率
は盛況です。
の制限、国産品を入手せず、輸入する場合の高関
税などで、国内産業を守ります。
このように私なりにいくつかの例を挙げてみま
日本は格差社会だと問題になっていますが、ブ
したが、考え方の違いを理解してその良さを吸収
ラジルでは自家用ジェット、ヘリコプターを持っ
し、次の修好150年、200年へ長く付き合える環境
ている人から、橋の下で暮らしている人がいるよ
を整えていくことが大事だと思います。
うに、格差は日本をはるかに越えています。しか
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No.967
ブラジルの日系団体紹介
クリチーバ
日伯文化援護協会
ASSOCIAÇÃO CULTURAL E BENEFICENTE
NIPO-BRASILEIRA DE CURITIBA
本部:Rua Atílio Bório,71-Cristo Rei-Curitiba/PR
会長:ルイ・原・聖
事業内容】援護・福祉事業、スポーツ事業、文化事業、
日本語の普及等
スポーツでは野球場、ナイター設備が完備されたテニス
場、プール、ゲートボール場、体育館等の施設があり、体育
館では柔道、空手等も盛んである。
教育部門では日本語学校、50人収容の学生寮も運営、
地方からの学生には好評です。特に日本語講座は1984年
に開講され、従来の国語教育でなく、外国語としての日本
語教育を行う新しいタイプの学校として31年の歴史がある。
地域との交流
文化援護協会事務所
パラナ州に日本人が入植して今年で100年になります。
第二次大戦により海岸地帯からの立ち退き命令を受けた
移住者が、クリチーバ市へ移住し日系家族は急速に増え
ました。クリチーバ市には現在、約45,000人の日系人が
住んでいます。
戦後の混乱期、日系人の意思疎通と相互扶助が必要と
考えた指導者達により、1946年友の会が組織され、会長
に東野音市が選ばれた。以後、町の各地域で青年団、文
化団体、援護団体等が生まれ、1994年、諸団体を全て統
合したクリチーバ日伯文化援護協会が設立された。初代
会長にはルイ原氏が選ばれた。
協会の会員数は800名ですが、クリチーバ市全体の日系
人を対象に、又地域のブラジル社会も包含した三大祭りが
行われている。
春祭り、花祭り、移民祭りがそれで、金曜日から日曜日
までの三日間、大勢の人々で日本の祭りが再現されます。
協会の主な活動
祭りは大きな舞台を設置、舞台では多彩なプログラムが
組まれ、日本の伝統文化が披露される。
協会所属のクラブが出店を出し、色々な日本食が楽しめ、
クリチーバ市民だけでなく、地方からも大勢の方々が来ら
れます。
会場では日系企業が自社製品を展示、和風商品の出店
が並び、日本の祭りを思い起こさせる。
人気は年毎に高まり、当地の恒例の行事となっている。
4
No.967
協会は福祉、文化、スポーツ、教育の拡充を目標に運営
されている。
文化部 門で
は日本 舞 踊 、
生け花、茶道、
カラオケ 等 の
教 室を 運営し
ている。
フルッタフルッタ を 支えてくれた人
長澤 誠
株式会社フルッタフルッタ 代表取締役 CEO トリーの畑
アグロフォレス
左からCAMTA小野部長、斉木専務、坂口理事長、
長澤、北島義弘氏
実
アサイーの果
2002年12月にフルッタフルッタは神戸・三宮にアマゾンのフ
ルーツを使ったジューススタンドを出したことから始まった。
その1年後に東京に拠点を移し、
2004年に通販による販売
が採れなくても、他の作物で食べていけることができる』
という
ことを学んだのである。
これこそ『自然とともに生きる』
である。
2012年のリオサミットで
『グリーンエコノミー』が提唱された
が、経済と環境が共存する新たな社会を築いていくことが、
を開始し、2006年にアサイージュースをスーパーなどでも販
人間社会に課せられた次なる課題であり、
まさにアグロフォレ
売を開始した。
そして2014年12月17日には念願であった東証
ストリーは、
グリーンエコノミーの数少ない先進事例なのであ
マザーズ市場にとうとう上場を果たした。
る。
フルッタフルッタはビジネスを通してアグロフォレストリーを
フルッタフルッタを語る時、創業時からフルッタフルッタに心
血を注いで支えてくれた北島義弘氏の存在を抜きには語れ
発展させ、農業技術とビジネスモデルを世界中に拡大させる
ことを真の大義としている。
ない。彼は24歳で海外実習生として移住し、
CAMTA(トメア
上場は
『第二の創業』
といわれるように通過点にしか過ぎ
ス総合農業協同組合)
の職員となった。
その後ベレンで貿易
ない。北島氏が繋いでくれた
『絆』
をどう広げていくかは、
ひと
業や観光業を営む傍ら、
パラ州日系商工会議所の創立に携
えに我々の腕にかかっている。
わり、
アマゾニア日伯協会理事、
日伯交流協会地方理事を歴
任された。
また、
ブラジル日本交流協会研修生の受け入れ窓
ひと口メモ
口も務められ、北伯の日系社会の重鎮的な存在であった。
し
アサイー
(アサイ、和名:ワカバ
かしながら、彼は無念にも渡伯50年を目前にした2013年5月
キャベツヤシ、学名:Euterpe
に74歳でこの世を去った。
私と彼の出会いは2000年のことで、
当時アマゾナス州でク
プアスの安定供給ができる生産者を探していた折である。
パ
ラー州にクプアスの一大産地があるからベレンにいる北島氏
o l e r a c e a 、ポ ルトガ ル 語:
Açaí)
は、
ブラジル・アマゾンが
原産のヤシ科の植物。
北島義弘氏
いつも小洒落たブラジル
紳士だった
に会いに行くよう勧められたのがきっかけであった。彼と出
会ったことでCAMTAを知ることになり、
クプアスの話も進み
いよいよトメアスを訪問することになる。
その後トメアスの日系生産者とアグロフォレストリーに出会
い、
クプアスから一転してアサイーやそのほかのフルーツを
CAMTAから独占輸入をする権利を得て2002年の起業に
至った。彼は壮大な夢を託すかのようにCAMTAとの橋渡し
を引き受けてくれることになり、
当社の現地代理人に就いても
らうことになった。
当社の企業理念は『自然とともに生きる』である。CAMTA
が営む『森をつくる農業』
と呼ばれるアグロフォレストリーは、複
数の農作物を混植する
“多様性”
を取り込んだ栽培を実践した
ものである。
まわりに住む先住民が飢えずに生きている。
そして
住まいの周りには様々な有用植物が植えられて『一つの作物
5
No.967
会
日伯協
からの
せ
お知ら
Relatório
レポート
理事会・評議員会を開催
ブラジル・ポルトガル語講座
日伯協会は、3月24日㈫海外移住と文化の交流セン
ターに於いて、理事会・評議員会を開催し、平成27年
度事業計画案と予算案について審議しました。
2月7日㈯∼3月14日㈯の6週間にわたって、会話コース
16名、文法講読コース7名で開催しました。
会話コースは、今回が入門ということもあって、初めて
事業計画では、目前に控えた第45回神戸まつりへの
の方が2/3となりました。文法講読コースは、ブラジル滞
参加を始め、27年度も盛りだくさんの事業を実施する
在経験のある方や、これから本格的に勉強しようという方
ことで、原案通り可決承認されました。
で、いずれのコースも、熱のこもった講座となりました。
今回受講方の多くが次回以降も継続受講されます。
実施事業
会報の発行 ………………………………………年4回
神戸まつりへの参加 …………………… 250名目標
中南米音楽会 ……………………………… 年3∼4回
ポルトガル語講座 ………………………………年3回
移住ミュージアム企画展 ………………………年2回
新春フェスタ
ブラジル訪問団への参加
共催・後援事業
平成28年の日伯協会創立90周年準備
移住ミュージアム企画委員会開催
毎年1回開催の学識経験者を始めとする各界から選任
の委員による委員会を、3月4日㈬当センター・セミナー
ルームで開催しました。
事 務 局からの 1年 間 の 活 動 報 告 の 後、全 員で 移 住
ミュージアムを見学し、最後に総括としての感想と今後の
予 算
上記事業に必要な予算は原案通り可決、承認されました。
取り組みに対する意見交換をしました。意見・提言は、平
成27年度の取り組みに生かしていきます。
第19回中南米音楽会開催
3月22日㈰名古屋大学大学院の西村秀人准教授を招
いて、「音で聴くタンゴ発展史」アルゼンチン・タンゴと
日本のタンゴ名曲集と、題した音楽会を開催しました。
誰でも一度は聞いたことのある有名な曲「ラ・クンパ
ルシータ」の演奏を聴くところから入り、歴史と数々の
名曲を聴きながらのトークを、参加者一同楽しいひと時
を過ごしました。
兵庫県・パラナ州友好提携45周年記念訪問団来県
4月16日㈭西森ルイス下院議員を団長とする使節団26名が来県、
午前中淡路市を訪問した後、移住ミュージアムを訪れた。
三野理事長の歓迎挨拶に続いて三井専門調査員の案内で館内
を見学された。団員の中にはここから出発された方もおられ、
よくこの
建物が残っていたと喜んでおられた。特に5階に掲示されている写真
を見て当時を思い出し、更に神戸港を眺めて感慨に浸っておられた。
井戸兵庫県知事を表敬訪問された後、場所をホテルオークラに移し18
時30分より45周年記念交流推進に関する声明調印式が行われ、引き続
き総勢75名
(日本側から49名)
が参加しての歓迎レセプションが行われた。
声明調印式では、三野理事長が立会人を務め、
レセプションには理事
6
No.967
長以下13名が参加しました。
Notícias
今後のスケジュール
決算理事会・評議員会を開催予定
6月4日㈭理事会、6月23日㈫定時評議員会を開催します。ここでは、平成26年度の事業報告と決算案、並びに理事辞任
に伴う選任などについて審議することになっています。
一般財団法人としての初めての決算ですので、新公益法人法の規定に基づき、実施することになります。
移住ミュージアム企画展開催
第13回「春の企画展」を5月22日㈮の内覧会をスタート
に7月26日㈰の約2か月間にわたって、海外移住と文化の
交流センター1階特別展示会場で開催します。
テーマ
「日本人のブラジル移住開始までの
知られざる前史」
タイトル
「日本・ブラジル外交関係樹立120周年記念」
笠戸丸移民はこうして始まった
展示内容
パネル約30枚、120年の主な歩みの大パネル、
関連実物展示を予定しています。
一人でも多くの方にご来場いただき、移住史の一端に
触れていただければ幸いです。
神戸まつり参加者募集
日伯協会は、神戸ブ
ラジル協会と合同チー
ムで5月17日㈰の第45
回神戸まつりに参加い
たします。
今回は、日本・ブラ
ジル外交関係樹立120
周年記念にちなんで、
250名規模で参加しま
す。会員の皆様のご参
加をお待ちしておりま
す。
第20回中南米音楽会開催
ブラジル訪問団参加者募集
平成21年に始まった中南米音楽会は、今年で6年目を
迎えました。演奏グループは、8グループで少しずつ定着し
てきました。各グループとも、練習を積み重ね、大きく成長し
てきています。今年もご期待ください。
本年度第1回目は、7月12日㈰サンバ、ボサノヴァ、
ショー
ロなどを得意とするMisturado(ミスツラード)
とコンジュン
ト・エミ・ペ・ベによるショーロを中心としたコンサートです。
日ブラジル外交関係樹立120周年並びに兵庫県パラ
ナ州友好都市提携45周年、ブラジル兵庫県人会創立55
周年にあたり、(公財)兵庫県国際交流協会と合同で兵
庫県民交流団を募集することにしています。
具体的スケジュールは、5月中旬に決定、募集が開始
されますが、8月中旬から約12日間程度の行程になる
予定です。ご期待ください。
パラナ州日本移民入植100周年を記念して鯉のぼりを寄贈
4月16日㈭株式会社徳永こいのぼりの徳永
深二会長兼CEOより北パラナ日本移民入植
100周年を祝してルイス西森団長に鯉のぼり
が贈られた。
鯉のぼりは、日伯両国旗とIMIN-100が入っ
た吹き流しと3匹の鯉でお父さん鯉が10mの日
本でも珍しく、素晴らしい図柄のものです。
加古川の姉妹都市であるマリンガ市の日本
公園に揚げられる。
7
No.967
移住ミュージアムだより
日系社会次世代育成研修生の見学
文欄に記載してくれた文面を読むと日本語レベルに差が
あったが、その中からいくつかを紹介します(原文のまま)。
「移住のじゅんび、知らない国へ行くたいへんさがわかり
ました。とてもよくせつめいされてとてもよかったです」(ブ
ラジル・男子)
「知っていた移住をした人の名前があってよ
かったです。父母祖がのりましたふねをみることができま
した。アルゼンチン(私の国)のことをいろんなインフォ
メーションがあってとてもよかったです」(アルゼンチン・女
子)
「ペルーについてのことあまりありません」(ペルー・男
子)
「色んな事を覚えられましたけど、ボリビアの話はあま
りなかったので、まだ色々なボリビアの事のお話をできる
平成27年1月28日㈬、
(公財)海外日系人協会(引率者:
と思います」(ボリビア・女子)
「感想は、再整備事業協力
熊澤義矩氏)の行事の一環としてブラジル(20名)、アル
金寄進者にたくさんの知っている名前を見つけて良かった。
ゼンチン(6名)、ペルー(4名)、ボリビア(4名)、パラグア
それとまた祖父母達がこんな所にいたことがわかってすご
イ(3名)計37名の生徒(13∼17歳)がミュージアムを見学
いなぁと思いました」(パラグアイ・女子)
今回の日本訪問(約1か月間)の経験を生かして、今後
した。
全員が日本語会話を理解しており、講義と館内案内で1
の活躍・交流に期待したい。
時間半を要し、最後にアンケートをお願いした。その感想
三重大学学生の見学
平成27年2月17日㈫、三重大学の藤本久司准教授が5名
の学生を引率して来場された。
その中に、二人の日系ブラジ
ル人学生(サンパウロ出身の男・女)が含まれ、
男子学生は小
学生のときに来日し、努力の末正規受験で合格し工学部に
在籍している。女子学生はサンパウロ総合大学から来日し、
1
年間人文学部で学んでいる。
ほかの3名の日本人女子学生
は日頃、
外国人生徒への進学支援で勉強を無償ボランティア
で教えおり、問題意識や活動意欲の高い学生である
(藤本
准教授談)。そのうち2名は医学部生、1名は教育学部の大
学院生である。
最初の45分間、
日本からの移民の歴史、
ブラジルの食生
ミュージアム見学後に書いたアンケートの感想欄に、
「農業
活を大きく変えた農業面での活躍、
また、子供の教育に心血
技術がブラジルの食料問題に貢献し、
日本人の
“骨身を削
を注いだ親達、
セラード開発などに貢献した日系人農家の筆
る”
強い精神力は本能的に備わっていると思い、
日本人に生
舌に尽くせない努力により、
“ジャポネースガランチード”
に至
まれてきたことを誇りに思い、多文化共生に向けて私も貢献
る話を紹介した。
したい」
とあった。
フジアルテ株式会社新入社員一行の見学
平成27年4月7日㈫、
フジアルテ株式会社の新入社員が
ミュージアムを訪れた。同社は大阪市港区に本社を置く総合
人材サービス業の会社です。国内の拠点の外、
サンパウロ市
にも現地法人を置き、
ブラジル進出企業への人材面・ビジネス
面でもサポートを行っている。
男子4名、女子7名がブラジル紹介の講義を聴講した後、
ミュージアムを見学した。
同社社長のご指示で今回の見学に
なったそうである。
こうした形の見学が増え、
当ミュージアムへ
の来館者が増えることを期待したい。
8
No.967
ブラジル移住者
を支えた宗教家
中村 ドミンゴス長八
日本人初のカトリック海外派遣宣教師としてブラジルへ
五島列島へは長崎からジェットフォイルで1時間半程、
西海
渡伯が実現したのである。誰もブラジル行きを志願しなかっ
国立公園の中にあり、
豊かな自然が残っている。
キリスト教へ
たが、
「もう年老いておりますので、
さほどお役に立つとは思
の迫害を逃れて移り住み、信仰を守り続けた潜伏キリシタン
いませんが、
もし私でよければ、
私がブラジルに参りましょう」
と
の島でもあり、百四十あまりの島の津々浦々に五十ほどの教
58歳の中村司祭が手を挙げたのである。
会がある。
その中心となる堂崎協会に、
渡伯し終生移住者へ
1923年8月サントスに着き、
サンパウロを経由しボツカツに到
の布教活動に従事した中村ドミンゴ長八神父の写真と資料
着した。神父は直に巡回を始め、
カフェランジャの町を訪ね平
が掲示されていた。
野植民地を手始めとして内陸各地で任務に従事した。
ミサ
中村神父は1865年福江島の奥浦村でキリシタンの末裔と
用の荷物を背負い、
馬車や馬、
ある時は徒歩で信者を訪ね、
して生まれ、
ラテン語・フランス語も修得した。
やがて1897年に
サンパウロだけでなく、
ミナス、
パラナも巡回している。1928年
司祭に叙品され、
奄美大島で伝道の第一歩を踏出した。
にはソロカバナ線のアルヴァレス・マシャ―ド町に移り、信者の
その頃ブラジルへは、各地の潜在キリシタンが自由な信仰
支援を受け木造の教会を造り、
布教活動の拠点とした。神父
と新たな生活を求めて移住し、特にボツカツ周辺に集中して
は1940年75歳で亡くなられたが、
一生貧を友とし到る所に敬
暮らしていた。教会は日曜日のミサに遠くから訪れる日本人の
虔な足跡と逸話を残し、
日本人だけでなく次第にブラジル人
存在を知り、
また新たにキリスト教を
からも、驚きと敬慕をもって受け入れ
信仰する人達に応えるべく、1919年
られた。
東山農場監督安田良一の許で、
ドイ
中村神父がブラジルに渡航する以
ツ人神父が日本人移住者の教化に
前の移住者は、
ブラジル人からパゴ
努めるようになった。熱心な神父で
ン即ち邪教徒としてひそかに蔑視さ
あったが、言葉の問題で信者との意
れていたが、神父の存在が日本人移
志の疎通が十分ではなく、布教の目
住者を見る目も変えさせて行った。
的を達し得なかった。現 地司祭は
現在はローマ教皇庁へ列福調査
ローマ教皇使節を通じ日本人司祭の
開始の申請書が提出されている。
ブラジル派遣を要請し、
日本人初の
海外派遣宣教師として中村司祭の
カ
ルタ・リジュボエッタ
∼リスボンからの手紙∼
岐部 雅之(在ポルトガル日本国大使館・専門調査員)
アズレージョ工房を訪ねて
ポルトガル各地を歩いていると、街の至る所で目に入って
来るアズレージョ
(Azulejo;装飾・絵タイル)。建物の内装や
見本と焼き上げる前の作品
色づけする筆者
を選び、色付け作業を行いました。
4色(青、黄、緑、赤)が使
外壁のみならず、鍋敷きや小物入れとしても利用され、お土
える中、青に絞って色の濃淡で表現を試みましたが、仕上が
産物で持ち帰ることもできます。また、
リスボン市内には、国
り具合がどうなるか、本稿執筆時点では一抹の不安が拭い
立アズレージョ博物館(Museu Nacional do Azulejo)
が
きれない心境です。
あり、貴重なアズレージョの鑑賞はもちろんのこと、その歴
さて、
2011年5月から在ポルトガル日本国大使館の専
史を学べる上でも訪れる価値は高いと言えます。さらに、館
門調査員として勤務し、同年7月から本コラムを寄稿させて
内のレストランでは、アズレージョに囲まれた空間でカフェ
もらってきましたが、任期満了により6月末に帰国する予定
を愉しみながら一休みするのもお勧めです。
です。執筆の機会を与えていただいた日伯協会関係者の
今回、鑑賞だけでは飽き足らず、実際にアズレージョを
方々、そして本コラムを読んでくださった方々に感謝の気持
作ってみようということで、
リスボン対岸のセトゥーバルに
ちでいっぱいです。ありがとうございました。アデウシュ
近いアゼイタン
(Azeitão)
にあるアズレージョ工房を訪問。
絵心のない私は、幾つかあるデザインから気に入ったもの
(Adeus)
!
※なお、内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、大使館の意見を代表するも
のではありません。
9
No.967
Tópicos (Brasil)
ニッケイ新聞他より
トピックス
ルセフ政権が苦戦
地理統計院
(IBGE)
は2014年のGDPは、前年比0.1%で5年振
りの低成長であったことを明らかにした。資源の価格下落、ペトロブ
ラスの汚職疑惑が影響しており、2015年も年間インフレ率は7.9%
を見込まれ、GDPは0.5%のマイナスが予測されている。ただし、米
格付け大手のS&P社は、
「ばらまき的な政策に傾斜してきたルセフ
政権に財政再建を進める意思が見える」
と前向きの評価をしている。
ブラジルで反政府デモ
3月15日ルセフ政権に抗議するデモが全国各地で行われた。経
済の停滞と汚職疑惑の拡大に国民の不満は噴出しており、全国で
200万人が参加したと報じられている。
リオデジャネイロ市制
450周年
リオ市は3月1日に市制450周年を迎えた。
コンサート会場では午前0時に出演歌手揃っ
て
「シダーデ・マラヴィリョウザ」
を歌い花火が
打ち上げられた。カリオカ街では450メートル
のケーキが配られた。
サンパウロ日本国総領事館が
開設され100年
在聖領事館は1915年7月14日に開設された。100周年を迎える
今年、各種の記念式典が企画されている。
巨匠・大竹富江さん
が 2月12日逝去
大竹さんは日本移民100周年の大
型立体オブジェ、イビラプエラ公園内
の講堂等多様な作品が愛され伯国社
会で最も知られた日本人だった。1913 移民100周年を記念して製作された
巨大オブジェ
(サントス港)
年京都で生まれ1936年渡伯後39歳
で絵の道に、誰にも師事せず抽象画で頭角を現し、
ブラジルを代表
する芸術家となった。2010年には建築家オスカー・ニーマイヤーと共
に連邦政府が贈る最高位の文化勲章を受章されている。
10
No.967
日ブラジル外交関係樹立
120周年事業
120周年ロゴマークとしてブルー
ノ・ヒトシ・テルヤさんの作品が最
優秀作品に選ばれた。広島の平
和記念公園を訪れた際、折鶴が
平和の象徴であることを知り、
そ
こから発想を得たとのこと。応募
理由は
「日系人として日本文化に誇りを持っているから」。
1月27日 120周年
オープニングイべント
在聖日本国領事公邸で開
催、小池信也シェフの和食講
義に続いて和食が立食形式
で振る舞われた。
2月14日 聖市のカーニバルに立佞武多
「アギア・デ・オウロ」チー
ムに五 所 川原 市の立 佞
武多が参加した。チーム
のテーマは
「日伯融合」で
侍姿で踊る人も。福島総
領事、
コシノジュンコ、
ジー
コの各氏も参加した。
2月28日 ミナス日本祭り開催
折り紙、生け花等の文化講座、琉球國祭り太鼓の演奏及
び「日伯国家事業展覧会」
が開催された。
3月12日 パラナ州政庁で記念事業の開幕式
日伯修好120周年・パラナ州日本人入植百周年・パラナ州
兵庫県姉妹州県提携45周年の三つの節目を迎えることから
パラナ州政府、在クリチーバ日本国総領事館、パラナ州記念
事業実行委員会の合同で記念式典が行われた。式典には
リッシャ州知事、梅田大使ほか250名が出席した。
ジーコ氏とマルシアさんが
「日ブラジル外交関係樹立
120周年」親善大使に
ブラジル経済 ルセフ政権への逆風強まる
SMBC日興証券 武田泰典
2期目のルセフ政権は格下げの回避や市場の信頼回復に重
した中、ルセフ大統領の支持率は今年に入って以降、急落し
点を置き、1期目のばら撒き的な政策を見直して財政再建に
ており、大規模な反政府デモが3月15日と4月12日に全国各地
舵を切った。政府は昨年12月以降、燃料税や自動車向け付加
で起きている。
価値税の引き上げ、電力会社や国営銀行への補助金削減、一
ただ、こうした反発にも関わらず、大統領は財政再建に対
部社会保障支出の給付要件厳格化などの財政再建策を相次い
する強い意思を繰り返し表明している。議会側も徐々に妥協
で打ち出している。ブラジル中央銀行もこれに呼応して昨年
する姿勢を見せ始めており、財政再建は一定程度進展する見
10月以降、政策金利の引き上げを再開した。しかし、増税や
通しである。今年は財政再建策が景気の重石になるものの、
補助金削減により、電気料金や燃料価格を中心に物価が大幅
内外企業の政府に対する信頼回復に伴い投資が今後徐々に持
に上昇。個人消費や投資も低迷し、昨年来の高インフレと景
ち直していくとみられることから、来年以降は景気も回復に
気悪化は今年に入って一段と深刻化した。ルセフ大統領や与
転じよう。
党議員の多くは昨年10月の選挙で低所得者向け支援策の継続
などを訴えて当選していたこともあり、選挙後の政策見直し
に対して労働組合など与党の支持者は強く反発した。与党議
員の一部もこれに同調する形で財政再建策に異を唱え、議会
での法案審議を拒否するなど政府に対抗した。更に、ペトロ
ブラスを巡る汚職問題が国民の政治不信に拍車をかけた。最
高裁判所は3月6日、検察当局から要請があった政治家への捜
査開始を承認。捜査対象となった政治家は47人に達し(4月
中旬時点)、そのうち46人が連立与党のメンバーだった。そ
の中には上下両院議長や党財務責任者に加え、ルセフ政権1
期目の官房長官や鉱業・エネルギー相も含まれている。こう
表紙 の言葉
(%)
80
ルセフ大統領の支持率
不支持
60
どちらでもない
40
20
0
13年3月
支持
13年9月
14年3月
14年9月
15年3月
(出所:調査会社ダッタフォーリャよりSMBC日興証券作成)
パラナ州マリンガ市の日本庭園
この日本庭園は、ブラジル日本移民100周年記念祭にマリンガ市が計画し、2005年に着工し2014年5月完成したものです。総面積は
10万平方メートルで、ブラジルでは最大の日本庭園です。敷地内には、茶室、パーティ会場などが建造されており、マリンガ市民を
はじめブラジル国民に親しまれています。
茶室
庭園入口前にある
モニュメント
庭園内を流れる小川
東屋
11
No.967
LIVROS
ブラジルの環境都市を創った日本人
中村ひとし物語
服部圭郎著/未来社/2,800円+税
「とにかくやってみる」を信念にクリチバに奇跡をおこした日系人
多くの自然公園整備、環境政策で手腕を振るい
ブラジルが世界に誇る都市を創った男の物語。
中村矗は1944年千葉で生まれ、神戸をへて明石で明石高校へ、大阪府立大(造園学科 修士)を卒
業。1970年大阪万博で盛り上がる日本を背にして、あるぜんちな丸で神戸港からブラジルへ。先輩を
頼りにクリチーバ市に近い実験農場で働くが倒産、クリチーバ市役所の契約職員として建設局公園
庭園係りに。親の反対を押し切って結婚した久美子夫人は2年後に来伯したが、早々に夫婦して自動
車事故に遭い、中村は瀕死の重傷を負う悲運に見舞われた。長い入院生活を克服すると、市の職員
の傍ら造園業を始め、パラナ州で最大の会社に成長させた。公務員との二足の草鞋であったが、その頃は呑気で鷹揚な時代であった。
都市には緑が必要と考えるレンネルが市長に就任すると、その能力を認められ環境都市クリチバの街造りに貢献し、環境局長として自然公園
整備、環境政策で手腕をふるった。
イグアス公園と街路樹づくり、ファベイラでのゴミ買いプロジェクトを実行、環境改善に大きな成果を上げる。
レンネルがパラナ州知事となると州環境局長に任命され、漁師を対象としたゴミ買いプログラム、パラナグァ再生事業、パラナ松の保全等の
政策を実行する。
更にブラジリアの公園事業を始めとする、環境保全プロジェクトにも貢献している。
自分の可能性を試す舞台としてブラジルを選び、
「とにかくやってみる」を信念に創造的な都市づくりを行った人生が紹介されている。
キリシタンの里、福岡県大刀洗町今村
「国会議員になった隠れキリシタン」で紹介された平田
進氏の両親の出身地。
貧しい農村からは希望を求め、多数の人がブラジルに
移住している。
現在も住民の多くがカトリック教徒で、週末には今村教
会でミサが行われている。
今村教会
Nota do Editor
編 集 後 記
日ブラジル外交関係樹立120周年の記念事業は全伯で400以上が予定され、日系人皆さんの意気込みが感じられる。日本からは「文化交流
史」櫻井亜木子さんの薩摩琵琶が演奏され、アギア・デ・オウロに立佞武多が参加した。9月には「日伯協働」の花火祭りも開催される。
総重量5トンの立佞武多の輸送は、ブラジルと繋がりの深い商船三井が協力した。
2011年の夏季号(952号)より4年に亘ってポルトガルより、「リスボンからの手紙」の題で寄稿頂いた岐部さんが帰国されます。長い間
ありがとうございました。
編集】編集委員会:池田光昭、鹿子嶋栄三、加茂周治、竹内康雄、辻信一、南部真知子、西田裕、三井敏明(50音順)