未来心の丘

一東 略歴
1942 広島県世羅郡甲山町に生まれる
1957 彫刻家 圓鍔勝三氏に師事
1962 日展初入選 以後連続8回入選
1969 イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学
同アカデミーでファッツィーニ教授に師事
未来心の丘
∑
COLLE DELLA SPERANZA
1971 イタリア国立アカデミー卒業
同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞
1974 ファッツィーニ教授の助手としてヴァチカン宮殿
謁見の間の「キリストの復活」制作に参加
1977 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞
第11回クワドリエンナーレ出品
1979 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞
いとか、面白いとか、安全だとか、かっこいいと
かのレベルだ。自然が子供たちに生命力の種子を
蒔いているのだと思う。だから、小さな頃に自然
の中で遊ぶことが大切だと考えている。
しかし、現代の日本では自然の中で遊ぶことは困
難になってきている。若い人たちの中にコミュニ
ケーションがうまくとれない人が多くなってしまっ
第1回ヘンリー・ムーア大賞展
1980 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マ
リーノ市)
1981 第2回ヘンリー・ムーア大賞展
1987 第5回ヘンリー・ムーア大賞展
1988 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」制作開始
1988 国際石彫シンポジウム(西ベルリン)
1989 国際石彫シンポジウム(バルセロナ)
1990 個展形式4人展(日独文化センター ベルリン)
たのも、このことと関係があるのではないだろう
1990 ヴァチカン宮殿にてローマ法王ヨハネ・パウロ
か。自然によってまかれていた種がなくなると、い
二世に謁見
くら人間社会の中で水や栄養を与えられたとして
1993 広島ホームテレビより文化賞受賞
も、子供たちは育つことができない状況になってき
ているのではないだろうか。
未来心の丘は大理石でできている。大理石は母な
る海から生まれた–いわば水の神だと思っている
が、大理石の作品の中で遊ぶことは、水の神が見
1998 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カラーラ)
2000 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」第1期
オープン
2004 カラーラにてチャンピ・イタリア大統領に謁見
2004 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸)
2005 MAA大賞受賞(イタリア)
2006 広島文化賞受賞
守りエネルギーを与えているように思える。ちょう
ど子供たちを見守る母の存在のように。
一東
Mail [email protected] Tel 090-2446-4823
Le esperienze fuori dall’ordinario, facendoci
vedere il mondo in modo nuovo, ci stimolano al
suo ascolto. Sono queste esperienze a riempirci
il cuore di speranza. La creazione di uno spazio
che oltrepassi i limiti dell’ordinario è una delle
intuizioni più importanti della scultura ambientale.
未来心の丘(第1期)の制作に、12年の歳月をかけ
ている。当初は丘の頂上に「光明の塔」だけが設置
される予定だったが、次から次へと広がっていき、
5,000平方メートルの公園にまで拡張された。
環境彫刻において作品の規模が大きくなると、周囲
の景観とのバランスが自ずから異なってくる。作品
からみれば、対峙する自然の範囲が広がってくるの
だ。大きくなればなるほど、参加する周囲の景観は
いっそう広がってゆく。私の視界もどんどん広がっ
ていく。規模が大きくなるにつれてそのことによる
難しさを感じ、絶えずハラハラしながら石との対話
を続けてきた。
しかし、この規模の拡大は、子供の頃の遊びが広
がっていく様子に似ている。小さな頃は遊ぶ範囲は
狭い。自然との対話を繰り返す中で、だんだんと行
動範囲が広がり、遊びの内容も深くなる。自然の中
で遊ぶのは得意だった私には、この「ハラハラ」は
楽しみを伴うハラハラであった。(ドキドキといっ
てもいいかもしれない。)
Colle Della Speranza
「光明の塔」の高さは5mに過ぎない。もちろん、
規模の拡大を予想せずに設置した。しかし、周囲の
ポイントからは中心として存在している。周囲のエ
ネルギーを集結し天へと発信する役割と、天からは
子供たちへの未来へのエネルギーを受けている。
「光明の塔」は合掌の姿に見えるという人もいれ
がぬくもりがあり、夏は涼風が吹いている。
並みへ問いかけている。彼らがどこへ行きたがって
て初めて空間が生まれるのだ。同時に「2」は「陰
いるかわかるだろう。作家はもはや運搬役に過ぎな
と陽」であったり、「有と無」であったり、対立す
いのだ。
る概念とバランスを表現できる。
「白獅子の塔」は全体のバランスを保つ役目を果た
「天猫」は「未
しながら、西へ向けて1本の石が昇ろうとしてい
来からの炎」と
る。まるで人生の集大成というべき地点に臨むよう
ともに守護の役
に。
割を担ってい
これらのポイントたちは天からのシグナルを受け、
る。エレベー
地から生命感を発している。ある場所では流れ、別
ターに乗って訪
の場所ではよどみ、周囲の景観に呼応している。
に出迎えるの
る。規模の拡大につれて、意識せずとも石が置ける
が、「天猫」で
ようになったのを感じた。
ある。猫という
最初に「光明の塔」を設置したこともあり、どのポ
生き物は、中庸
くかのように。
とを通じて感性を豊かにしていく。冬は動きはない
の造形では空間は生まれない。2本が組み合わされ
れた人々を最初
ど子供が母を中心としながら遊びの場を拡大してい
に置きたかった。人々は生活の中に四季を感じるこ
「亀玉の舞台」の3つの石は、海の水平線と島の山
質だったと思う。私に気負いがあれば、石は拒絶す
つでも中心を感じながら、拡大をしてきた。ちょう
「風の四季」はもともと一本の石であったので近く
ば、「人」という字に見えるという人もいる。1本
今にして思えば、最初は石を置くことにかなり神経
イントからも中心である「光明の塔」が見える。い
生き物である。
の存在だと思
う。遠からず近からず一人で生きている。そんな彼
らの生態から、人間として教わることも多い。
未来心の丘で子供たちが遊ぶさまを見ることが、一
番楽しい。子供たち、特に5歳までは大自然の子だ
と思っている。昔の大人たちは子供たちを自然に預
け、子供たちは自然の中で遊んでいた。また、神社
仏閣のように歴史を通じて作られてきた建築物の中
で見守られながら遊んでいた。自然の中で遊ぶのだ
から予期しないことがよく起こる。ひとつひとつ対
応することを通じて、自然とのつきあい方を学んで
「未来からの炎」は天からのシグナルを受けて、天
に応える地上の炎である。象に見えるという人がい
るが、猫と同じように象は死ぬときに姿を見せない
いく。対応といえば大げさだが、こうした方が楽し