創立90周年に向けてさらなる飛躍を (平成27年4月

創立 90 周年に向けてさらなる飛躍を
秦野高等学校 校長 神戸秀巳
『学校は、建物ではない。“人”であり、“想い”である。』と生徒によく言います。
実際に、生徒のほとんどは、秦野高校の「校風」に好感と期待を抱いて、秦野高校を志願
しています。伝統、部活動、生徒会活動、学校行事、学力向上進学重点校、文武両道、元
気と明るさなど、動機は人により異なります。私はそれらをひっくるめて、秦野高校の
「遺伝子」と呼んでいます。
そんな秦野高校が来年創立 90 周年(平塚市金目での草創期から数えると 130 年)を迎
えます。秦野高校、同窓会「広陵会」、PTAの三者からなる「創立 90 周年」準備会を
この4月に立ち上げました。組織と内容などについて、これから話を進めていきます。
正門脇に建つ「開校之碑」
明治開化の期 大住郡 淘綾郡 足柄上郡
玄関の校名プレート
大正十五年
更に高きを望み
ここ秦野
の有志 中等教育の重さを慮り 阿夫利嶺
下大槻の広畑が丘に学校組合立奈珂中学校
南の地に郡立の学校を興さんと欲せり
を開校す その後 神奈川県奈珂中学校
明治十九年未だ県立中学校設立の議
熟
県立秦野中学校を経て
県立秦野高等
さざるの時
金目村の地に三郡共立学校
学校となる 今日に至るまで六十年の歳月
を創立せり
その後 校名を中郡共立学校
を刻み
三郡共立学校創立の時より 実に
中郡立中郡学校と改称し 更に実業教育
百年を数ふ 讃ふべし六十年の歴史を
の奨励に基づき 中郡立農業学校となる
想ふべし百年の星霜を
時移り明治四十二年 当地域の中等普通
教育に対する要望益々切なるにより
昭和六十一年十月二十九日
中郡立農業学校の諸施設 人材を引き
神奈川県立秦野高等学校同窓会
継ぎ
私立育英学校を開校す
三郡共立
学校より育英学校に及ぶ四十年間 幾多
の英才を輩出せり
創立六十周年 草創百年祭を記念して
之を建つ
前頁の「開校之碑」の下段には、次の記述があります。脈々と受け継がれてきた「歴史」
のすごさとともに、先人たちの想いを感じています。
秦野高等学校 略史
※年号の漢数字を算用数字に変更しました
○数字は便宜上つけたものです
①三郡共立学校
⑥私立育英学校
大住 淘綾
足柄上
明治42年より大正15年
明治19年より29年
1886
1926
1896
②二郡共立学校
⑦学校組合立奈珂中学校
中郡 足柄上
明治29年より31年
中郡金目村外
大正15年より昭和4年
1898
③中郡共立学校
26ヶ町村
1929
⑧神奈川県奈珂中学校
明治31年より33年
昭和4年より10年
1900
④中郡立中郡学校
1935
⑨県立秦野中学校
明治33年より35年
昭和10年より23年
1902
⑤中郡立農業学校
1948
⑩県立秦野高等学校
明治35年より41年
昭和23年より現在に至る
1908
「90 周年」は、秦野高校にとって大きな節目の年です。同窓会(畑野会長)やPTA
(戸村会長)と手を携え、大きく飛躍できるチャンスでもあります。現在神奈川県が進め
ている「県立高校改革」の動きを十分に理解したうえで、創立百周年を迎えた時の「しか
るべき秦野高校像」をイメージし、「秦野高校の存在意義」「秦野高校のめざすべき方向
性」「秦野高校の新たな伝統づくり」について関係者間で認識を共有し、皆で力を合わせ、
未来を見据えた積極的な取組を進めていきたいと考えています。
※「しかるべき」 適切な、ふさわしい、そうなるのが当然である
生徒・保護者・同窓生・教職員が主役であることは当然ですが、私たちは「地域社会に
おける県立高校の果たす役割」を非常に重要なものと捉えています。家庭や地域社会とと
もに未来を担う人材を育てる使命を感じています。様々な場面で『地域の教育力向上及び
地域活性化へお役に立てるよう、地域との連携を強化していきます』と述べています。
最近、地域の連合自治会や地元秦野市の皆様とお会いして、『秦野高校の垣根が低くな
った』『地域の人たちの秦野高校を見る目が明らかに変わった』と言われることが多くな
っています。大変ありがたいことです。生徒や教職員がボランティアなどで地域に出てい
き、皆さまからの『あなたたちがいて助かるわ』の言葉は私たちのモチベーションアップ
へとつながります。【地域への貢献】この視点を忘れることなく取り組んでまいります。
平成 27 年4月