感動を疑え。 - 愛知芸術文化センター

愛知県芸術劇場
Mini Theater Selection
感動を疑え。
年から始まる、ミニセレ。
愛知県芸術劇場のプロデューサー陣が選りすぐった小規模劇場のための公演です。
ちょっととんがった公演、当劇場に初お目見えのカンパニー、そして愛知発の作品 …
。
泣ける、笑える、感動する。とは限りません。
時にはぎょっとするかもしれません。モヤモヤするかもしれません。
いえ、むしろそう思ってもらうことを、我々は期待しています。
気持ちいい感動よりも、ざらついた衝動を残したい。
そこに感じてほしいものがある。それが、ミニセレです。
2015 始動
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愛知県芸術劇場
〒461- 8525 名古屋市東区東桜1-13-2
TE L:052- 971- 5609(10:00 -18:00) FAX:052- 971- 5541
MAIL:[email protected]
WEB:http://www.aac.pref.aichi.jp/
開館時間・休館日
9:00 - 22:00
・毎月第1および第3月曜日(祝休日の場合、翌平日)
・年末年始(12/28 - 1/3)
※6月の毎月曜日は電気設備点検のため全館休館となります。
アクセス
名古屋市営地下鉄東山線名城線「栄」駅下車 徒歩5分
(東改札口よりオアシス21地下連絡通路経由または2F連絡橋経由)
愛知県芸術劇場
@APAT_info
あなたは、この9演目をどう観るか
何が、どう面白い?各カンパニー・出演者を知る9名は、ミニセレをこう推す!
よく言われてきたことですが、チェーホフ4大戯曲のひとつ『かもめ』に
は、実は『ハムレット』が強く意識されています。たとえば、主人公のひとり
である若い作家トレープレフにはハムレットが、母親である大女優アル
カージナにはハムレットの母ガートルードの影が重なり合う、という仕掛
けです。とはいえ、普通のお芝居で両者を見比べてみても、両者はどこま
でいっても『かもめ』は『かもめ』、
『ハムレット』は『ハムレット』であって、
そのつながりは、せいぜい頭で納得されるレベルにとどまってしまうのが
常です。
ところが、三浦基演出による地点版『かもめ』を初めてみたとき、私は
チェーホフとシェイクスピアとが、一挙にどっと押し寄せてくる瞬間に立ち
会ってしまったような気分に襲われたのです。あたかも『かもめ』における
トレープレフ/ニーナのカップルが、ハムレット/オフィーリアのカップルと
同じ舞台上で出会い、あたかも4人が折り重なるように言葉を躍らせているかの
ような光景が、そこには立ち現れていました。というより、そこにはもはや、それぞ
れの名前などもはやどうでもよくなるような、
奇妙で極限的な、一組の男女の関係
性が浮かび上がっていたのです。その衝撃力に打たれたとき、ふと私たちは、私
たち自身のなかに、トレープレフが、ニーナが、ハムレットが、オフィーリアがたし
かに存在していることを実感するのではないでしょうか。
実験劇などと気負う必要は一切ありません。ジェットコースターが動き出す直
前のように心を静めて、あとは流れに身を委ねること。めくるめく世界が、あっと
いうまにあなたを飲み込んでくれることでしょう。
中川賢一さんは一言でいうとパワフルな方ですね。以前、愛知
県芸術劇場で一緒にワークショップを行ったとき、軍手をはめて
力一杯ピアノを弾くという曲(一柳慧「ピアノ音楽第六」)を聴かせ
てもらってびっくりしました。いや、ピアノの演奏が力一杯、という
直接的なことだけでなくて、人の心にダッとダイレクトに伝えられ
るという意味で・・・ピアノの演奏はもちろん、一言しゃべったとし
てもギュッと力強く引き寄せられるようなところがあります。たぶ
んすごく純粋な方だと思います。テクニックについては超絶すばら
しいし。
あとは、
曲のアナリーゼ(分析)が超面白い。
笑いもありつつ、
この
フレーズはこんな感じ、
実は昔のこの曲のこことつながっていて、
と
すぐに弾いてくれて・
・
・現代曲って、
聴いて面白いものもあるんです
けど、
説明を受けると、
よりいっそう想像力が深まるところがある。
それに、
以前僕がヴァイオリニストのアルディッティさんと共演し
たときに思ったんですが、CDで聴いてもよくわかんないところが、
生で聴くとわかるんです。
普段聴き慣れているような展開があるわ
けではなかったり、和音が複雑過ぎるとか・・・だんだん頭の中が
ぼーっとしてきちゃうんですけど、作曲家の意図がなんとなく伝
わってくる。
こういう風に作られているからこういう風に演奏がされ
るんだとか。
現代音楽って生で聴くとすごく楽しいですよ。
(談)
ニブロールは今風に言えばディレクター・コレクティブ、振付けの矢内原美邦を
中心に、映像や衣装、音楽、美術のディレクターが共同で作品を作る。十何年も前
からこのスタイルで、しつこい議論(喧嘩ともいう)をしながらダンスの時代を切
り開いてきた。
今でこそ多くの日本の若者が八頭身のモデル体型だが、ほんの20年前には子
供ちっくな農耕民族型でいっぱいだった。けれど巷はヨーロッパの有名カンパ
ニーの美しく技術もピカイチなダンスに夢中で、日本のダンサーもそこを目指して
四苦八苦していた。だがどこまでそういった西洋のコンテクストからなるダンステ
クニックが私達に当てはまるのか…。疑問を抱き始めていた観客の前に現れたの
がニブロールだ。
創生期の作品で、矢内原はアラベスクを拒絶し、ピルエットを呪い、ユニゾンを
嫌悪した。みな西洋のザ・ダンスを代表するピカピカに制御された美だ。矢内原は
これらを廃した上で、突き飛ばしたり、疾走したり、叫んだり、暴力的にコントロー
ル不能な動きをダンサーの限界にまで課して、
情緒不安定で若い怒りに満ちた世
界を構築した。
そして、
そこに先端的な映像や衣装、
美術といった失踪する情報を
詰め込んで、
あふれる鮮やかさの渦に、
繊細で情緒的な陶然の時間を表現してみ
せた。
あれは今でいうクールジャパンとかいうものの前触れではなかったか。
さて、でも現在のニブロールにはピルエットもアラベスクもユニゾンも出てくる。
なんたる裏切り!でもそれはもはや西洋の模倣でも無批判な憧れでもないだろ
う。七転八倒を経て、ぜいぜいと息づきながら、現在の日本人(八頭身)がやっと
獲得した日本のコンテンポラリーダンスの現在形なのではないかしら。
森山直人(演劇批評/ 京都造形芸術大学教員)
白井 剛(振付家・ダンサー)
前田愛実(劇評ライター)
三浦基と地点の作品は驚きにあふれている。はじめて地点の作品を観る観客
の最初の5分間の表情が、わたしにはたやすく思い浮かべられる。――唖然。こ
の「唖然」のために三浦基は俳優たちとともにニヤニヤしながら策を練る、いや、
そんな現場を見たわけではないのだが、なんだかそんな気がするのだ。けれど、
それはただのこけおどしなどではない。この「唖然」は、わたしたちに見えている
(つもりになっている)世界を、演劇という時間の中で組み直すためのひとつの儀
式なのだ。実際、
「唖然」を抱えたまま終演を迎え、劇の時間が終わってみると、
「これこそはこの戯曲にとってもっともふさわしい上演だったのだ」と確信してい
る自分がいることに、また驚かされる。わたしはチェーホフの言葉が、ひとつ残ら
ずこんなにも聞こえてくる上演を地点以外に見たことはない。
さてそんな地点が、今回AAF戯曲賞受賞作品を上演する。そのこと自体も驚き
なのだが、受賞作「茨姫」が地点の上演でどうなるか、一読したが、まったく想像で
きない。それでもわたしは知っている。
「 唖然」の後に、
「 これこそはこの戯曲に
とってもっともふさわしい上演だったのだ」と、観客のあなたが確信することを。
身近な素材のへんちくりんな衣装、シンプルなメカニズム、そして「えっ」と思う
が考えてみるといとも簡単なトリック、それらはしばしば笑いを誘い、ほっこりとし
た気分にさせてくれる。
それは私たち自身も人形や菓子箱などを組み合せて物語を作って遊んだ昔が
あったことを想いださせてくれるからだろか? 普通はそんなことはすっかり忘れ
てしまうが、ヴィクトリアさんは64歳の今も子供の頃の空想を鮮やかに覚えている
に違いない。そんなおとぎ話作りが天才俳優のお父さんとした遊びだったのかも
しれない。そしてそれは繰り返され、次の世代に受け継がれた。実際息子のジェー
ムズ、そして今回主役を演じる娘のオーレリアはそれぞれ独立したカンパニーを
持ち大活躍をしている。
子供たちだけではない。ご主人と71年に作り出した「シルク・ボンジュール」は
サーカス界に革命を起こし、
「ヌーボー・シルク(新しいサーカス)」という新たな潮
流を生み出した。
ヴィクトリアさんの不思議なスケッチの数々、
それが紡ぎ出すのは単なる童話で
はない。
それは人生の光と陰が映ろう深く秘められた心象風景だ。
だからこそパリの
「大人」
たちはこの公演を見て、
笑い、
驚き、
夢や郷愁そして時には戦慄を抱き、
舞台
の照明が消えるや劇場の床を踏み鳴らしてブラボーの喝采を送るのだ。
演劇は重い。重さのない光で構成された映画のようにはいかない。舞台があ
り、俳優がいる。重みばかりか暑苦しさまである。けれども、山本卓卓さんの『う
まれてないからまだしねない』という戯曲を読んだときの印象は奇妙な浮力の存
在だった。しかも、ゴキブリや老人、父母たちの昭和の想い出、必要のない人生目
標等、私たちの社会がやっかいで無意味だと排除しているものたちを浮かび上が
らせるのだ。その上で、それらに再度重みが与えられる。まるで、宗教の儀式のよ
うに、穢れたものとかいつの間にやら押し付けられた価値観とかが地を離れ浮
遊(神聖化)し、それがまた身体に付着するという受肉現象が起きる。しかし、得
体の知れない破局の迫る現在、その重みと私たちは向き合わざるをえない。
「重
み」とは、先送りできない、今日の、いまここでの時間である。避難所で食事の列
に並ばねばならない、決して編集のできない時間。やりすごそうにもやりすごせな
い時間に直面すること。私たちの知覚をまっとうなものとするためには、このよう
な演劇の重力が必要である。
永山智行
(宮崎県立芸術劇場 演劇ディレクター/ 第2回AAF戯曲賞受賞作家)
20世紀を代表するロシアの音楽家イゴール・ストラヴィンスキー
(1882∼1971年)を抜きに現代のダンスは語れない。伝説的なプ
ロデューサー、ディアギレフ率いるバレエ・リュスに楽曲を提供す
るなど数々の名作誕生の原動力となった。このたび日本を代表す
るバレリーナ酒井はなら国内外の実力派ダンサーがストラヴィン
スキーの音楽に刺激を受けた鬼才たちの秀作に挑む。
ニジンスキー振付により1913年に初演された『春の祭典』を
2004年に早逝したウヴェ・ショルツ振付のソロ版で上演。ショル
ツは音楽を視覚化する「シンフォニック・バレエ」に手腕を発揮し
再評価が高まる。音楽とダンスが分かち難く結び付く濃密な時間
の流れに身を委ねたい。
『火の鳥』もバレエ音楽として書かれ1910年に初演された。その
力強く壮大な音楽を清新なコンテンポラリー・バレエに仕上げた
マルコ・ゲッケは、ユニークなムーヴメントの造形に定評がある。
男女2人の奇妙で驚異的なダンスは、まさに圧巻だ。
『悪魔の物語』は香港を拠点に活躍するユーリ・ンが2004年に
ストラヴィンスキーの『兵士の物語』(1918年)を基に創作した愛
知芸術文化センター発の評判作。音楽と朗読とダンスの融合に
挑んだ原作の精神を生かしてきた舞台の満を持しての再演であ
る。刺激的なリ・クリエイションに期待したい。
3つのスタイルの異なるダンスを体感することによって、ストラ
ヴィンスキーの音楽の魅力や可能性を再発見できるだろう。ダン
ス/音楽ファンならずとも見逃す手はあるまい。
坂田英三(美術作家)
松田正隆(劇作家)
「ポストドラマ演劇」とかなんとか言われるようになって以 来
(?)、舞台上でどんなことが行なわれても一々驚かなくなったように
も思えるのだが、
『長崎を上演する』には驚くしかない。いや、話はと
りたてて奇想天外でも不条理でもないのだ。その意味では普通に
「ドラマ演劇」と言える。例えば「喫茶店での男女の会話」のシーン。
これを上演するに際し松田正隆の演出は、パイプ椅子2つに向
かい合って座り、飲み物を口元へやったりテーブルに置いたりしな
がら会話する、というものだが、何とグラスとテーブルがない!のだ。
グラスを持っている体(てい)で、テーブルがあるつもりで、演技が行
なわれる。これはかなり奇妙な状態ではないだろうか。グラスの中
に液体が入ってなかったり、琥珀色をしているけれど実はほうじ茶、
というようなことはよくあることだし、グラスがなくてもさもあるよう
に注ぎ過ぎてあわてて口へ運ぶとかすれば「マイム」ということで納
得がいく。つまり、省くもの・行為と省かない行為・ものとが普通と
「逆」になっている。そう、ここでは、演劇という「表象=再現前」
(⃝⃝を演じる=
⃝⃝のフリをする)をそもそもの「身上」とする表現の問い直し、
「ポストドラマ演
劇」を経た後で「ドラマ演劇」を再考することが目論まれているのだ。広さも定か
ではない何もない空間のある一角に照明が灯り、見えないカップから珈琲を啜り
ながら淡々と由無し言を語る人物がホログラフィもしくは亡霊のようにぼーっと
浮かび上がり、ひとしきり話しては消えていく。そんなふうに継起していく『長崎
を上演する』を観ながら、そこにいる者は誰か? それを観ている私とは何者か?
「タマネギ」が剥かれていく。裸形の「ドラマ演劇」、そんな言葉が浮かんだ。
「東京現音計画」という名前を知ってますか。私も最近知った名前です。つけら
れた名前も良いのですが、演奏する作品とミュージシャンが素晴らしいのです。
しかし、人の好みは多種多様ですし、音楽のみならず美術芸術芸能といったも
のは、受け手の側で嫌いだと言われたら、はい、それまでよ!最も分かりやすいの
は食べ物です。山海の珍味を選りすぐり、それをどこのだれが作ろうが、
「ねぎは
嫌いだ」
「生魚はダメだ」といわれたら、またまた、はいそれまでよ!ことほど左様
に、幻影錯覚、趣味嗜好に支えられたものの一つとして音楽があります。
だから、私がここで褒めたとしてもそれはもうなかったことに等しいのですが、
それでも「東京現音計画」をお薦めします。そこで行われていることに妥協はあり
ません。今日的に考えられるようなことが、考えられない場所からガーンと出てき
てかっこよく堂々と見事に演奏されるのです。まことに尖がらかっていてかっこよ
い!あなたも「東京現音計画」の世界を体中に浴びて、心で味わってみたらいか
がですか?
坂田 明(サックス、クラリネット奏者)
桜井圭介(音楽家・ダンス批評)
高橋森彦(舞踊評論家)
公演 情 報
音 楽
範宙遊 泳「幼 女 Xの人 生で 一番 楽しい数 時 間」
10月1日(木)19:30- / 2日(金)19:30- / 3日(土)14:00- 18:00一般 / 前売3,000円 学生 / 前売2,000円 当日各500円増
高校生 / 1,000円
作・演出:山本卓卓 出演:大橋一輝、埜本幸良、福原冠
お問合せ / 範宙遊泳 090-6182-1813 発売 / 8月22日(土)
ダ ン ス
第 14 回 A A F 戯 曲 賞受 賞作「 茨 姫」
8月13日(木)19:30- / 14日(金)19:30- / 15日(土)19:30一般 / 前売3,000円 当日3,500円 学生 / 2,000円
高校生 / 1,000円
作:水都サリホ 演出:三浦基(地点)
お問合せ / 愛知県芸術劇場 052-971-5609 発売 / 6月27日(土)
演 劇
「 ミュルミュル ミュール」
10月21日(水)19:00一般 / 4,000円 学生 / 2,000円
構想・演出:ヴィクトリア・ティエレ=チャップリン 出演:オーレリア・ティエレほか
お問合せ / 愛知県芸術劇場 052-971-5609 発売 / 6月27日(土)
パフォーマンス
音 楽
中川賢 一 現代 音 楽コンサート「 フェラーリのピアノ曲を堪 能 する! 」
7月18日(土)15:00一般 / 3,000円 学生 / 1,500円
出演:中川賢一(ピアノ)、小坂圭太(ピアノ)、照喜名俊典(トロンボーン)
お問合せ / 愛知県芸術劇場 052-971-5609 発売 / 5月30日(土)
演 劇
ダ ン ス
ニブロール「リアルリアリティ」
6月5日(金)19:30- / 6日(土)14:00- / 7日(日)14:00一般 / 前売3,200円 学生 / 前売2,800円 当日3,500円
振付:矢内原美邦、映像:高橋啓祐、音楽:SKANK/スカンク、美術:カミイケタクヤ
出演:小山衣美、鶴見未穂子、森井淳、石垣文子、田辺舞、堀江善弘、渡邊智美
お問合せ / プリコグ 03-6825-1223 発売 / 4月4日(土)
演 劇
演 劇
地 点「 かもめ 」
5月9日(土)19:30- / 10日(日)15:00- / 11日(月)19:30一般 / 前売3,000円 当日3,500円 学生 / 前売2,000円 当日2,500円
演出:三浦基
出演:安部聡子、石田大、小河原康二、
窪田史恵、河野早紀、小林洋平
お問合せ / 合同会社地点 075-888-5343 発売 / 4月4日(土)
ストラヴィンスキー・トリプル・ビル「春 の 祭 典」
「火の鳥」
「悪 魔の物 語(兵士 の 物 語より)」
11月28日(土)15:00- 19:00- / 29日(日)15:00一般 / 5,000円 学生 / 4,000円
出演:アレクサンダー・ザイツェフ、小㞍健太、高比良洋、チョウ・シューイ、
津村禮次郎、酒井はな
お問合せ / 愛知県芸術劇場 052-971-5609 発売 / 9月26日(土)
東 京 現音 計 画 # 0 6 ベストセレクション1
2016年1月23日(土)15:00一般 / 2,500円 学生 / 2,000円 当日各500円増 高校生以下無料(要予約)
出演:東京現音計画<有馬純寿(エレクトロニクス)、大石将紀(サクソフォン)、神田佳子(打楽器)、
黒田亜樹(ピアノ)、橋本晋哉(チューバ)>
お問合せ / ナヤ・コレクティブ 03-3921-4309 発売 / 11月2日(月)
マレビトの 会「長 崎を上演する」
2016年3月26日(土)15:00- / 27日(日)15:00一般 / 前売3,000円 当日3,500円 学生 / 前売2,000円 当日2,500円
作・演出:松田正隆
お問合せ / マレビトの会 [email protected] 発売 / 2016年2月6日(土)
※各 情 報は 都 合により 、変 更する場 合 があります 。