5月号 - e-dream-s

e-dream-s
No.66
通信
発行:2006 年 5 月 14 日 特定非営利活動法人 イー・ドリームズ
目次
1.
2.
3.
4.
5.
6.
もう一人の私
辻 荘一
p.2
「青葉、若葉」の日本:繰り返される叙情
井川 好二
Microsoft と e-dream-s
中川 房代
p.9
ECAP 2006 下見報告
稲川 宏美
p.11
キズナへの旅路
仙崎 裕右
p.14
「ララミー牧場」の夕暮れ
塚本 美紀
p.18
p.4
ソウル市内にあるJoongrang Middle Schoolで生徒たちに話をする仙崎さん
(2006.5…稲川 宏美)
1
もう一人の私
代表理事
辻荘一
ネットの世界は所詮バーチャルな世界。結局は現実世界の従属物にしか過ぎず、
そう決めればネットと無関係に生活して行くことも簡単だし、これからそうい
うタイプの人間が多数いるだろうと、考えて来たがどうもネットの影響はもっ
と大きな社会的変化を促すようだ。
今、インターネットが進化して Web 1.0 から Web 2.01に進化しつつあると言
われている。この曖昧かつ複雑な概念をひとことで説明するのは難しいが、梅
田望夫による「誰もがネット上に自分の分身を持つ時代」という理解の仕方が
個人的にはしっくり来る。今回は Web 2.0 の重要な柱の一つであるアドセンス
というグーグルのサービスについて話をすすめたい。
あるサイト(http://nonne.nobody.jp/ado.htm)によればアドセンスとは次のような
ものだ。
グーグルが提供するクリック報酬型の広告です。通常のアフィリエイト
広告とどこが違うのかといいますと、通常は私たちが気に入った広告を
選んで貼りますが、アドセンスの場合、リンクコードを挿入するだけで、
自分のサイトに一番適した広告が自動で表示されます。懸賞なら懸賞の
広告、結婚なら結婚関連の広告といった具合に、サイト自体を認識して
広告が表示されます。ですので、広告主ごとの申請、承認といった手間
がありませんので、簡単に作業ができるというメリットがあります。さ
らに、背景の色や枠の色、文字色など自由に決められますので、自分の
サイトのデザインを壊す心配もありません
@aglance を例にとって言えば、無料でアドセンスに申し込むと@aglance の
ページの一部に小さな広告が自動的に掲載されて、その広告がクリックされる
たびに e-dream-s にお金が入るという仕組みだ。広告は@aglance に来るタイ
プの人達の興味を引くであろう「写真」「カメラ」「海外旅行」「教育」などの分
野になる。これがすべて自動で行われるのである。今までもウェブ広告はあっ
たのだが、手続きが面倒な上クリック単価も安かった。それが無料の申し込み
1
Web 2.0 とは、従来の WWW におけるサービスやユーザ体験を超えて次第に台頭しつつある
新しいウェブのあり方に関する総称である。Web 2.0 という言葉は、あくまでもコンテンツの
提供の仕方や、技術の提供の仕方、あるいは要素技術の組み合わせの仕方、サービスの使い方な
どを漠然と指しているため、明確な定義づけがなされている訳ではない。
http://www.sophia-it.com/category/web2.0.jsp
2
のみで、通常他のアフェリエイトでは1〜5円程度のところが、Google アド
センスは数円〜数百円にもなるということである。
「金がないのは首がないのと同じ」という言い方があるように収入がないのは
社会的な存在がないのと同じであり、同時にお金はたくさんあるけれど詰まら
ない人間も確かにいるわけで、現実世界においては収入と人格が私たちの存在
そのものである。ところが、ウェブ世界でもアドセンスによって誰でも訪問者
の多いサイトを作りさえすれば収入になる、つまり自分のサイトで自己表現し
たり意見を述べたりすることでお金が稼げるということであれば、それはつま
り収入と人格を備えた自分の分身がウェブ上に人格と収入のある自分の分身が
いるということになる。
また、現実世界の人格とウェブ世界の人格が同じである必要はなくて、現実世
界で農業をやりながらウェブ世界ではゲーム評論家とか、現実世界では主婦で
ウェブ世界では有名エッセイストなどということがやる気と才能さえあれば簡
単にできる世界になりつつある。
パラレルワールドという分野の SF では、自分が生きている現実とは違う世界が、
微妙に違うものから全く違うものまで無数に同時に存在するが、実際に現実世
界とウェブ世界の二つの世界が微妙に重なり合って互いに影響を与え合う時代
へと変わりつつある。今はまだ現実世界の比重が圧倒的に大きいが、今後ネッ
ト上に分身を持つ人がさらに増えて、ネット世界の重要性がさらに高まると予
想されるのである。
3
e-dream-s.come.true
「青葉、若葉2」の日本:繰り返される叙情
井川
好二
紀三井寺 結縁坂
Photo by Koji Igawa, May 2006
「この間の連休に、和歌山3へ行ってきましたんエ」
「ほ〜お、和歌山か。遠かったやろ?けど、なんで?」
「母を連れて、紀三井寺4へお参りどす」
「なるほど。西国三十三所5、観音参りの第二番札所か」
2
松尾芭蕉が「奥の細道」の中、日光にて詠んだ句「あらたうと/青葉若葉の/
日の光」より。[中村裕(2003).「名句で味わう 四季の言葉」東京:小学館、参
照]。
3 和歌山市:和歌山県北西部の市。県庁所在地。紀ノ川河口左岸、紀伊水道に面
し、河口付近は金属・化学工場地帯。もと徳川氏 55 万石の城下町。竹垣城址に
は城門・城塁・城濠を遺す。紀三井寺・和歌の浦の名所がある。人口 39 万 7 千。
古名、雄之水門おのみなと吹上浜。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
4 き‐みいでら
【紀三井寺】和歌山市名草山にある救世観音宗の寺。もと真言宗。
正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。770 年(宝亀 1)唐僧の為光が開基と伝え、
西国三十三所第 2 番の札所。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
5 三十三所観音【さんじゅうさんしょかんのん】観音菩薩を本尊として安置し,
4
「へえ。亡くなった父の供養にと、出不精の母を、朝早うから車に乗して、行
ってきましたん」
「エライなあ」
「そんなこと・・・けど、初めてどしたけど、和歌山も宜しいな」
「そやろ」
「連休中は天気も良うて、青葉がキラキラしてて、ひかりいっぱいの紀州路ど
した」
四国八十八カ所6が、弘法大師・空海7の修行場所を巡ってその功徳に与ろうと、
室町時代に始まり江戸初期に定着した霊場めぐりの巡礼であるのに比して、西
国三十三所の方は、さらに古い平安時代から始まった観音信仰の霊場巡りであ
る。ちなみに、第一番は、那智勝浦の青岸渡寺8。
衆生済度や現世利益の霊験所として数えられた 33 の霊場寺院。法華経普門品が
説く観音の 33 の変化身にちなむ。西国・坂東・秩父の 3 か所が著名。三十三所巡
礼の確実な初見は 1161(応保 1)以前に園城寺の覚忠が行なったもの。西国三十
三所が紀伊国那智青岸渡寺に始まり美濃国谷汲寺に終わる現行の順路となり,巡
礼歌が作られ,巡礼が修験者ばかりでなく広く民衆の間に盛行するようになるの
は室町中期の 15 世紀後半である。[岩波日本史辞典]
6 四国八十八か所【しこくはちじゅうはっかしょ】四国にある空海の旧跡とされ
る 88 の霊場。これらを巡拝することを四国巡礼,四国遍路という。熊野信仰の影
響を受けた宗教者の修行にはじまるが,室町中期以降に民間に広まる。現在の形
になったのは江戸中期。文化文政期(1804‐30)に最も盛んになり,四国にならっ
た小域霊場が江戸・京都・小豆島などに造られた。現在も行われる。[岩波日本史
辞典]
7 くうかい【空海】平安初期の僧。わが国真言宗の開祖。讃岐の人。灌頂号は遍
照金剛。初め大学で学び、のち仏門に入り四国で修行、804 年(延暦 23)入唐
して恵果けいかに学び、806 年(大同 1)帰朝。京都の東寺・高野山金剛峯寺の
経営に努めたほか、宮中真言院や後七日御修法の設営によって真言密教を国家
仏教として定着させた。また、身分を問わない学校として綜芸種智院しゆげい
しゆちいんを設立。詩文に長じ、また三筆の一。著「三教指帰」「性霊集」「文
鏡秘府論」「十住心論」「篆隷万象名義」など。諡号しごうは弘法大師。(774~
835)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
8 せいがんと‐じ【青岸渡寺】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺。
山号は那智山。仁徳天皇の時代、裸形上人の創建と伝えるが、12 世紀に那智大
社の神宮寺として堂宇が整う。西国三十三所第 1 番の札所。那智観音堂。那智
の観音。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
5
「松尾芭蕉9はん、紀三井寺へも来はったらしいんどす。それが、春やったん
どすけど、有名な紀三井寺の桜に、ちょっと間に合わんかったそうで、花はも
う散ってしもてたんどす。その時詠みはった句の碑が、境内におまして」
みあぐれば/桜しもうて/紀三井寺
「折角、和歌山まで来たのに、名高い桜が見られんとは、とても残念。天下の
芭蕉はんにしたら、ちょっと、僻っぽうて、可愛いおすやろ。母と、ウチらと
同じ気持ちやなあ、云うて」
焼津の鰹のたたきをあてに、オーソドックスに辛口の上酒「剣菱10」を飲んでい
ると、キラキラ光る和歌山の山と海が、頭の中に浮かんでくる。紀州徳川家 55
万石、太平楽の山と海。海外から帰ってくるたびに、飛行機の窓から見える、
あの山と海である。
それに、青葉の頃は、芭蕉が日光で詠んだと云う、「あらたうと/青葉若葉の/
日の光」を思い出す。もちろん、作品的にはもっと有名な、素堂11の「目に青葉
/山ほととぎす/初がつお」でもいいのだが。
これは、Déjà vu と云うより、さらに深く厚い。DNA に刻まれた、民族的記憶
と云って良いほどである。つまり、日本文化を共有する人間には、日本の季節、
景色、叙情が、三つ巴に重なりあって、息苦しいほどに逃げ場がなくなる時が
あるのである。
9
まつお‐ばしょう【松尾芭蕉】江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と
自署。別号、桃青・泊船堂・釣月庵・風羅坊など。伊賀上野に生れ、藤堂良精
の子良忠(俳号、蝉吟)の近習となり、俳諧に志した。一時京都にあり北村季
吟にも師事、のち江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉庵
に移り、談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。その間
各地を旅して多くの名句と紀行文を残し、難波の旅舎に没。句は「俳諧七部集」
などに結集、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の
細道」「嵯峨日記」などがある。(1644~1694)[株式会社岩波書店 広辞苑第五
版]
10 剣菱 (樽を包んだ薦こもに、剣菱の紋があるからいう) 摂津の伊丹(いたみ)
産の上酒の銘。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
11 やまぐち‐そどう【山口素堂】江戸中期の俳人。名は信章、号は素仙堂など、
庵号は其日庵。甲州の人。儒学・書道・和歌・茶道・能楽をも学び、江戸に出
て芭蕉と親交を結んで蕉風の成立に影響するところ多く、葛飾かつしか風の祖
とされる。(1642~1716)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
6
紀三井寺境内より和歌浦片男波12海岸を臨む
Photo by Koji Igawa May 2006
だから、日本の自然は、繰り返される叙情によって、飼いならされてしまった
自然である。何回も歌や俳句に詠まれることによって、すっかり domesticate
されたしまった自然なのである。グランドキャニオンやゴビ砂漠のように、荒々
しい自然ではない。人を圧倒する自然ではない。
歌に詠まれた故地に、わざわざ出かけて、その叙情を重ねる旅を始めたのは、
芭蕉であり、弟子たちがそれに習い、今に引き継がれている。司馬遼太郎13の「街
道をゆく」シリーズも、その系統といえなくもない。
西国三十三所や、四国八十八カ所の巡礼や、伊勢参りなどの宗教的理由により、
同じ寺や神社に詣った人間たちの、思い入れもまた日本の自然、景色に、色濃
く重なっているのである。
12
かた‐おなみ【片男波】(山部赤人の歌「和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦
辺をさして鶴たず鳴き渡る」の「かたをなみ」にこじつけた語) 男波おなみ。高
い波。謡、松風「寄せては帰る―」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
13しば‐りょうたろう【司馬遼太郎】小説家。本名、福田定一。大阪生れ。大阪
外大卒。乱世・変革期の群像を描いた「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の
雲」などの小説や、紀行「街道をゆく」で司馬史観と呼ばれる柔軟な歴史解釈
を示す。文化勲章。(1923~1996)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
7
ある季節に、同じ景色を見た人間たちが、時空を超えて、同じ叙情に共感する。
不思議といえば不思議だが、それが飼いならされた自然の中で暮らす日本人の
文化なのである。
剣菱のストレートな酔いが、頭をより柔軟にさせて、若葉の片男波で、初鰹が
飛び跳ねているのが見える。「もういっぱい!」
もちろん、個人の好みや趣味でかわってくる部分もあるが、飼いならされて自
然をつくりだす、共有された叙情は、日本人の中で揺るぎなく繰り返されてい
く。初めて行った場所でも、過去から積み重ねられた叙情に、気づき納得する
のが文化。人は、青葉若葉の日の光に、「あらとうと」と思うのである。
「せんせ、今日は結構酔うてはりますね」
「いや、そんなことない」
「エエご機嫌」
「酔眼朦朧やけど、頭はしっかり青葉の頃や」
「そうどすか?」
「そういえば、こんな歌もあった:
夏山の/青葉まじりのおそ桜/初花よりも/めづらしきかな(藤原盛房)(平
安後期)」
息苦しいほどに、共有された叙情が、季節と景色のなかで生きている。
「せんせ、今度一緒に、和歌山へ行きましょ!」(Sunday, May 14, 2006)
8
Microsoft と e-dream-s
中
川
房
代
最近新聞で、CSR という文字をよく見かけるようになった。CSR というのは、
“Corporate Social Responsibility”の略で、日本語では「企業の社会的責任」。
企業活動の中で、自分たちの利益追求だけでなく、その地域経済や社会に貢献
していくことも必要だという考え方であり、その考え方に基づいた活動を「企
業市民活動」とも言う。CSR のない企業は、今や時代遅れであり、社会的にも信
用されず、そのことがマイナスイメージにもつながり業績にも関わってくる、
と言われている。身近なところでは、リサイクルに熱心な企業、“環境に優し
い”製品を製造している企業、地域のイベントに協賛している企業、などがそ
の一例としてあげられる。
中でも、Microsoft 社が、社会貢献、特に NPO 支援に熱心なのは、ご存知だろう
か?これまでも、何年か前から「マイクロソフト NPO 支援プログラム」などを
行ってきていたが、今年はグレードアップした NPO の経営力強化の支援策
「NPO-J」を発表した。(詳しい内容はホームページに書かれているので、興味
のある方はどうぞ。)
NPO の経営力強化の支援策「NPO-J」14
1. IT スキルの習得:「デジタルリテラシーカリキュラム」
2. IT 活用の啓発 :「NPO Day」
3. IT 活用の促進 :「NPO パートナーシッププログラム」
4. IT 活用の拡充 :「マイクロソフト NPO 支援プログラム」
2の「NPO Day」はこれまでいくつかの国で展開してきたそうだが、今年は初め
て日本で、3会場で開催。既に4月21日に開かれた東京会場のイベント15では、会
長兼チーフソフトウェアアーキテクトのビル・ゲイツ氏が来日し、講演を行っ
た。Microsoftはこのイベントにかなり力を入れている、ということだ。6月10
日(土)は福岡で、13日(火)には大阪でも開催される。東京のイベントには
行ってみたかったのだが平日だったので行けず。大阪も平日だし、ちょっと行
けそうもない…。残念。
別にMicrosoftの宣伝をしている訳ではない。実は、私はMacユーザーでApple社
14
15
Microsoft ホームページより
http://www.microsoft.com/japan/mscorp/citizenship/NPOJ/
東京会場のイベントの報告
http://www.microsoft.com/japan/events/npoday06/default.mspx
9
のiBookやPowerBookを愛用している。まあ、MicrosoftのWord、Excel、PowerPoint、
Entourageは使っているが。そんなことはどうでもよくって、企業もNPO的な社
会貢献活動を始めてきているし、それが主流になりつつある、ということが言
いたかっただけである。
さて、5月27日〜28日には、e-dream-sの第22回理事会を開催する。
7年目に突入するNPO法人 e-dream-s。教育用写真サイト「アット・ア・グラン
ス」@aglance事業も順調に運営してきているし、目標の画像数1万枚まであと数
ヶ月というところまできている。韓国の英語教師との相互理解のためのプロジ
ェクトECAP「イーキャップ」(Educators’Collaboration of Asia- Pacific)も、
今年で4回目。韓国の英語教師の研究会との連携も強めてきていて、今夏の開催
が楽しみである。
e-dream-sの基盤はできた。その基盤の上に立って、どう成長していくのか?ど
んな事業をしていくのか?企業も社会貢献をする時代だ。NPOも、営利とは言わ
ないが企業的な事業展開していくのもいい。今までとは全く違う分野への挑戦
もしてみたい。Microsoftに対抗するという訳でもないが、「企業になんか、負
けてらんないヨ!」という気概は持っている。どんな話ができるか、理事会が
楽しみである。
今年の開催地は京都府の間人(たいざ)。日本海に面したオーシャンビューの部
屋とお風呂。きれいな夕日を見ながら、皆で話をしましょう。勿論お料理も乞
うご期待!
10
ECAP 2006 下見報告
稲川
宏美
「Yunbinn さんてこの人ですよ。」と仙崎さんに ECAP 2005 の写真の人物を指
さしてもらっても、あまりピンと来ない。その Yunbinn に連休に下見のために
韓国に行くとメールをうつが、音沙汰なし。半信半疑でとりあえず飛行機を予
約し、到着時刻を知らせると直前にやっと返事が来た。とりあえずは会えそう
だ。企画会議で、私の内心の不安を見透かしたように井川先生から言われた一
言「あかんかっても、もともと。一回相手になげてみることが大事や!」と言
う言葉を胸に韓国へ向かった。
おりたったインチョン空港、”
Mr Lee Youngkap will pick you up”
とメール
にあったので背の高い男性の姿を探すが、女性が2人、”
Ms Inagawa, Mr
Senzaki”というカードを持って待っていてくれた。やっとずっとメールでやり
とりしていた Yunbinn 本人と会えたのである。彼女はほっそりしたかわいい人
物で随分若く見える。もう一人の Ms. Noh は自己紹介のあと“Remember my
name, I am “
Mi-zu-no”
「日本のミズノといっしょです。」とにこやかに言って
場の雰囲気を和らげてくれる。彼女は日本に1年半いたことがあって日本語が
うまい。その日本経験の故に今回の ECAP のリーダーの命を受けたそうだ。予
想通り暖かい出迎えだったが、会合の方はどうだろう?何人来るのか Yunbinn
にたずねると”
Maybe,10 to 12”
という返事。2人で12人相手に話すの?と少
し不安になる。
翌日は朝から Ms. Ku や Youngkap の学校での授業参加や生徒との交流、こ
れはあれよあれよという間に時間がたち新鮮で楽しい時が流れた。(詳しくは
仙崎さんの記事を読んでください。)
いよいよ夕食会。私の真ん前に Yunbinn が座ったので食事が始まって間もな
く、「いつ ECAP の話始めたらいいのかな?」と小声で聞いたのに「みんなお腹
減ってるからどんどん食べましょう。」と隣から元気な男性の声で返事が返って
きた。それではとおずおず箸を持つと「韓国の箸は重くて持ちにくいでしょう。
でもこうやってつまんでね。ほら、日韓で競争しましょう。」とまたまた気を使
ってくれる。そうこうする内にその日の授業参加の事、昨年の ECAP のホーム
ステイのことなどどんどん会話がはずんでいく。写真入りの参加者プロフィー
ルは、昨年の ECAP の思い出やこれからの事に対する具体的イメージを韓国の
先生方にかきたてたようだ。食事の最後に本論に入った時には私も緊張感を感
じることなく話すことが出来た。スケジュールもトピックもまず、韓国側から
提案があり、それをもとに話し合った。こちら側ですでにおさえている8月1
8日の帰りの飛行機の時間から彼らが最初に示してくれたスケジュール通りに
はできないとわかると、すぐにじゃあこうしようとトントンと話が進んでいく。
11
15日に戦争に関連した所に韓国の先生達といっしょに行きたいと言うと「じ
ゃあ、独立門あたりで何かやってるだろうからそこへ行こう。刑務所跡も行け
ばいい。でも日本の参加者達はホントにみんな行きたいのかな?」とちょっと
けげんそう。でもこれはきっと私たちにとってはとても良い経験になるだろう
し、きちんと学習していかなければならない課題だ。政治的な事については
「official なトピックとしては扱えないね。でも個人的になら夜にいくらでも話
す時間はあるよ」とさらっと流された。全体を通してこの夕食会での韓国の先
生達との打ち合わせは、率直で、気持ちの良い運びであったと思う。
韓国の先生達はほんとに親しみやすく、親切で誠実だ。しかし、そのような
彼らの誠実さを引き出したのはこの4年間の ECAP で築かれた信頼関係に他な
らない。決して個人的な友達関係ではない。最初の ECAP2003 の時にいた韓国
の先生はもうこの場には一人もいない。また、韓国の先生達がいくら “We are
missing Mr / Ms ---!”
と残念がっても、昨年参加し、ホームステイなどいろんな
世話をした e-dream-s の何人かの会員が意に反しながらも今年は参加せず、後
輩に場所を譲っていく。国とかどっかからお金をもらってるわけでもないのに
こんな場を自分たちの手で作りあげてきた e-dream-s は、やっぱり誇るべき組
織だ。この素晴らしいチャンスを最大限生かして参加者全員がさらなるジャン
プをできるようこれからしっかり準備していかなければならない。
下見報告
スケジュール
5/3
5/4
5/5
5/6
5/4
夜 ソウル着
学校見学、授業参加 (詳しくは仙崎さんの記事を参照)
3時~ 市内見学
夕食会 韓国の先生方と打ち合わせ
独立門、刑務所跡、東大門、水郷 等 見学
午前 帰国
打ち合わせ内容
韓国側参加者 8名
1.日程について
2.ディスカッションのトピックについて
3.KOSETA SEMINAR でのプレゼンテーションについて
4.テレビ会議について
12
1.日程
日
午前の部
8/14
(月)
午後の部
ソウル着
開会式 17:00
夜の部
歓迎パーティー
(ホテル泊)
8/15
(火)
フィールドワーク1
グループディスカッショ ホストファミリーと行動
ン
(ホームステイ)
8/16
(水)
グループプレゼンテ KOSETA セミナーに参加
ーション
(プレゼンテーション)
グループのメンバーと行動
(ホームステイかホテル)
8/17
(木)
講演など
フィールドワーク2
閉会式
フェアウェルパーティー
(ホームステイ)
8/18
(金)
フリータイム
帰国
※フィールドワーク1では独立門や刑務所跡に行き、なんらかの集会や
イベントがあればいっしょに参加する。
※フィールドワーク2は、グループごとに。
2.ディスカッショントピック
まだ検討の必要性があるので改めて報告しますが、現在次の様なトピッ
クがでています。
・英語教育における IT 教育の役割
・小、中、高における英語教育の現状
(授業のビデオ、カリキュラム、教案などをもちよって検討しあう)
・韓国人にとって英語とは何か、日本人にとって英語とは何か。
・英語教育における問題点、特に receptive skill と productive skill に
ついて
3.KOSETA SEMINAR でのプレゼンテーション
与えられる時間は20分。
(参加者がするプレゼンテーションはすべて20分である)
会場はインチョン。 参加する韓国人教師は300人~400人。
プレゼンテーションに必要なコンピューター、プロジェクターなどの機器は
要望に応じて使用できる。
4.テレビ会議
7月初旬頃にお互い参加者の顔合わせとして出来る範囲でやる方向性を確
認。
13
キズナ16への旅路
仙崎 裕右
(ソウル
韓国料理店
경목궁にて
撮影
店の人)
わずか1時間半足らずの空の旅。 ECAP2006 の打ち合わせのため、一路ソ
ウルへ。私にとっては、初めての訪韓である。印象深い旅となった。17
・・・と1年前の e-dream-s 通信のパクリはこの辺にして(といいつつ、何
度か繰り返すが)、話を進める。稲川先生が打ち合わせのことを詳しく書いてく
ださるので、私は、学校訪問を中心に進めたい。
少しの不安と、大いなる期待をもって仁川空港に降り立った。
ECAPと書いたプラカードを手に、こちらに目を向けている2人の笑顔。
こちらも笑顔で握手を交わす。
(中略)すばらしいチームワークで、私たちを案
18
内してくれる。
16
17
18
2005 年8月にリリースされたオレンジレンジの曲名
e-dream-s 通信 2005 年7月号より。©相澤恵理子
同上。
14
5月4日、朝7時。眠い目をこすりつつ、昨年同じグループで仲良くなった
Young-kap さんがホテルに迎えに来る。同じく昨年同じグループになった
Mi-soon さんの勤める中学校を訪問する。中学1年生の英語の授業2つと3年
生の日本語のクラスを訪れた。昨年の話に出てきた、教室にPCが常備された
環境、パワーポイントを活用し、生徒も歌に音声に合わせて活気あるクラスを
繰り広げていた。稲川先生も授業に参加。生徒と楽しくゲームしていた。
訪問が終わり、すぐに仕事を終えた Young-kap さんがお迎え。彼の学校で、
中間テストが終わり、日本語を勉強している生徒と交流を持つことができた。
はにかみながらもしっかり答える子どもたち。1時間はあっという間だった。
Young-kap さんに次に連れて行ってもらったのは昌徳宮19。車を降りると今
回の中心メンバーの一人である Yunbinn さんが待っている。息をつかせぬ連係
プレイである。観光の後、他の SeoulSETA20の先生方も合流し、日本側と合わせ
て 10 人で韓国料理店で本場の料理に舌鼓を打ちながら、ECAP2006 の打ち合わ
せが滞りなく進んだ。今回集まったメンバーの大半が昨年のECAPで顔を合
わせたメンバーである。顔写真つきプロフィールを持参したが、顔を見ながら、
昨年、一昨年を思い出し、話が盛り上がった。昨年参加していてよかった、と
19
(창덕궁、チャンドックン)李氏朝鮮時代の宮殿。世界遺産。
20
Seoul SETA(Seoul Secondary English Teachers Association:http://www.seoulseta.net/)
会長の名前は Lee Byong Ho(イ・ビョンホ)という。某有名俳優と酷似しているが、彼は
Lee Byung Hun である。韓国人の名前は難しい。
15
つくづく感じされられた。
「そこで得た絆は、将来の貴重な財産となるだろう21」
とは昨年の相澤さんの言葉だが、その一端を早くも感じることができた1日で
あった。今年の新しいキズナECAPはソウル・Yeoiudo(汝矣島)中学22とイ
ンチョンと2都市にわたって行われる。
5日は韓国にとってもこどもの日。こいのぼりや兜はないものの、子どもた
ちが主役の日である。にもかかわらず、韓国の先生方は日本からの客人をもて
なすことを忘れない。Young-kap さんが水原(スウォン)の古城を案内してく
れた。いったん彼の家により、奥さんと8歳の娘さんと合流し、水原市内の高
層マンションに向かう。そこで、彼のお兄さんの家があり、その奥さんと娘さ
んが待っていた。女性陣は市内の警察署が主催するこどもの日のイベントに向
かい、男二人で華城23を回る。その間も、Ok-keun さんから「Yusuke は楽しん
でるか?」と電話がかかる。細やかな配慮に頭が下がる。
(水原
華城にて)
Young-kap さんのお兄さんのお宅でしばし休憩を取る。お嬢さんがパソコンで
遊んでいる。初めて会ったときには挨拶すら言えなかった Young-kap さんの娘
さんも子ども同士、あるいは、パパとはしゃいでいる姿に、貴重なこどもの日、
父親を半日奪ってしまったことに申し訳ないなぁ、と感じていただけに、ホッ
とする。
晩は女性陣も加わり、6人で近くのプルコギ店へ。味覚がお子ちゃまの筆者
も、食が進む。ソウルに戻り、眠らない、新宿を思わせる東大門(トンデムン)
周辺で買い物まで付き合ってくれた。Young-kap さんの別れ際の「充分なもて
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e-dream-s 通信 2005 年7月号より。©相澤恵理子
22ソウル南西部にある中学校。前述のイ・ビョンホ氏が校長を勤める。
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(화성、ファソン)18 世紀末に建てられた、李氏朝鮮の王城の跡。世界遺産。
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なしができず申し訳ない」という言葉に驚いた。客をもてなす精神にはもはや
脱帽である。
今回の旅で Seoul SETA の皆さんの温かさに触れると同時に、教育現場では、
何度も”
I envy you! ”
と口走る場面が多かった。何か逆に韓国の先生方にも得る
もの、「부럽다(うらやましい)」と思ってもらえるようなものがないといけな
い、どちらにとっても実りあるECAPにしたい、そう感じさせる旅だった。
何度か引用した相澤さんの昨年の文章に出てきた「絆」から連想して、オレ
ンジレンジの「キズナ」というタイトルを本文のタイトルにしてみた。歌詞の
最後はこう締めくくられる。
♪いま 何してるかな 君も見ているかな
雨は止み 空に架かるアーチ 虹でつながる君とボク
(©ORANGE RANGE)
海峡にかかった日韓の友好の虹の架け橋(A Rainbow Over The Strait)をさ
らに連想させるではないか。この夏、どんな新しい虹の架け橋が日韓の間にで
きるだろうか。
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「ララミー牧場」の夕暮れ
塚本
美紀
3 月下旬、2 週間米国に滞在し、ワシントンDCとワイオミング州を訪問した。
昨年度から引き続き行っているテレビ会議の準備のためだ。今年度のパートナ
ー校であるイースト高校は、ワイオミング州シャイアンにある。ワイオミング
州は米国中西部に位置し、人口約 500,000 人、全米 50 州の中で最も人口の少な
い州である。その州都シャイアンは、およそ 55,000 人が住む西部開拓時代の街
並みや雰囲気が残っている街である。
滞在中の最後の週末、テレビ会議のパ
ートナーであるジムの奥さんジーンの
両親の家を訪問した。ジーンの両親は
定年退職後、ララミーで小さな牧場を
営んでいる。大きなログハウスの扉を
開けると広いリビングルームがあり、
暖炉の前には心地よさそうな大きな椅
子が並んでいた。奥の台所からジーン
の両親が顔いっぱいの笑顔で現れた。
お父さんは、お客様をお迎えするために正装しているのだと、ジーンズの裾を
少しあげ、見事な模様のウエスタンブーツを見せてくれた。そして、夕食の準
備ができるまで、牧場を案内してくれた。
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3 月とはいえ、高地にあるワイオミング
は気温が低く、雪の日も珍しくない。
ロッキー山脈からは、冷たくて強い風
が絶え間なく吹いている。「荒涼とし
た」という形容がぴったりの大地であ
る。足元の雑草に目をやると、まるで
フリーズドライのように枯れている。
名前を呼ぶと集まってくる馬たちに夢
中になっていたのも束の間、体が芯か
ら冷えてきたことに気づいた。防寒用の上着を着ていても、長い間外に立って
いるのはつらい。家の中に戻り、しばらくすると近所に住む甥一家が集まって
きた。
窓の外は見事な夕焼けである。この地に生まれ育ったジーンも、息を呑むほど
美しい夕焼けだと言い、しばらく皆で無言のまま、その夕焼けを見つめた。家
族が集まり夕食のテーブルを囲んでいる部屋の中は暖かい。しかし窓の外では、
ゴーゴーと風が吹き荒れている。周りには誰もいない。いるのは、テーブルを
囲んでいる「家族」だけである。しばらくして、先日 12 歳になったばかりのジ
ムの息子の誕生日を祝って、皆がカー
ドとプレゼントを渡した。一家はバプ
テストの敬虔な信者であり、カードに
は「神の恵み」といった言葉で溢れて
いた。日頃は神の存在など考えること
もない私だが、自分たち以外に誰もい
ない、この荒涼とした大地に住んでい
たら、信じられるのは「神」と「家族」
なのだという気持ちになるような気
がした。
家族でしっかり固まっているイメージの一方で、異質なものを積極的に取り入
れようとする姿勢もある。ジーンの両親は一時期、ネイティブアメリカンの子
供を養子として育てていたという。お父さんは、当時知り合ったネイティブア
メリカンからもらったというビーズで鮮やかな模様が描かれたベルトのバック
ルをつけていて、ネイティブインディアンたちとの思い出話をしてくれた。甥
一家にホームステイしている少女はドイツ人であり、ジーンの両親は彼女のこ
とを孫のように可愛がっている。ジム一家もジーンの両親一家も甥一家も、断
続的にホームステイとして海外の子供たちを受け入れている。
ワイオミング州は他の中西部の州と同様、白人の比率が高く、9 割以上が白人で
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ある。ちなみに首都のワシントンDCの白人比率はおよそ 3 割で、大きな違い
である。米国で出会ったある校長先生の言葉を思い出す。「私たちの住んでいる
この町は、比較的同質な人たちの集まりです。けれども、ここにいる子供たち
がこれから出て行く社会は、もっと多様性に富んだ場所でしょう。子供たちに
そのための準備をさせることが我々大人の責任なのです。」同様の考えを持つジ
ムも、地域の国際交流やホームステイをアレンジする仕事をボランティアで行
っている。常に異なるものを自らの中に取り入れつつ、さらに新たなものを探
し多様性に挑戦している、そんなたくましいアメリカの姿を、今回の米国訪問
で垣間見たような気がする。
滞在しているホテルに戻るためにログハウスを出ると、満点の星空だった。見
慣れているはずの星座も、普段より強い光を放ち、うんと大きく見えるので、
夢の中で見ているようだった。ほんの束の間の滞在であったが、「西部劇」の暮
らしに触れたような錯覚を持ちながら、「ララミー牧場」を後にした。
編集後記
私の勤務校のテレビ会議を行っている教室の設備の多くは教員の私物である。予算
がつくのを待っていたら何も始められないので、いろいろな物を持ち寄り、できる
範囲でやっている。そんな中、予算がつくかもしれないのでどんな機材が必要か計
画書を出しなさいということになった。パンフレットを見ていて、世の中にはいろ
いろな「ハイテク機材」があることに驚くと同時に、それらを使って授業をしてい
る自分を想像したらわくわくしてきた。「ハイテク機材」があれば、誰でもすぐに
授業がうまくいくというわけではないことは承知しているが、この高揚感を大切に
したいと思う。
(塚本美紀)
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