鉄鋼基材に被覆した DLC 膜の摩擦・摩耗挙動および密着性に及ぼす

鉄鋼基材に被覆した DLC 膜の摩擦・摩耗挙動および密着性に及ぼす
微粒子ピーニング処理の効果
亀山雄高* 丹羽章文** 小茂鳥潤***
Effect of Fine Particle Bombardment treatment
on tribological properties and adhesion of DLC film coated on SCM440 Steel
by
Yutaka KAMEYAMA* Akifumi NIWA** and Jun KOMOTORI***
To improve poor adhesion of Diamond-like Carbon (DLC) coatings on the steel substrate, Fine Particle Bombardment (FPB)
using Cr based shot particles are combined with DLC coating process. The FPB treatment distributes diffused Cr elements onto the
treated surface, creating a Cr-rich layer. The FPB treatment increases the surface hardness and roughness. Wear test was conducted
to compare the tribological properties of the DLC coated FPB treated steels and that of the DLC coated non FPB treated ones with a
special focused on the Cr-rich layer, surface hardness and roughness. The DLC coated surface, after FPB treatment, kept low
friction coefficient, while the DLC coated non FPB treated ones showed a sudden increase indicating the delamination of DLC
layer. This is because of Cr-rich layer, which increase adhesion between DLC coating and steel substrate.
Key words: Shot peening, FPB treatment, Diamond-like carbon, Surface modification, Tribological properties
緒
1
Particle Bombardment; FPB)処理 6)と DLC 被覆とを組み
言
ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜は,耐摩耗性
合わせた複合表面処理を提案することとした.かかる複
に優れることから,摩耗対策が重要となる磁気ディスク
合表面処理を施した SCM440 鋼の摩擦・摩耗特性を明ら
などに対して実用化されてきた 1).これに加え近年では,
かにするとともに,FPB 処理による基材表面への Cr 元
燃費向上策の一環として自動車エンジン部品などに対
素の拡散や表面硬さの上昇が,界面密着性に及ぼす影響
する適用も進んでいる 2).将来的には,自動車産業にお
と関連付けて検討・考察を加えた.
ける DLC 膜の利用範囲は,ギアやカムなど多様な摺動
部材へと拡大していくものと期待されている.その場合,
2
実 験 方 法
供試材には SCM440 鋼を用いた.同材の化学組成を
素材としては鉄鋼材料が用いられるのが一般的である
Table1 に示す.また,同材は納入状態で使用したが,調
が,DLC 膜との密着性に劣ることが実用上の問題点とし
質が施されており焼戻しマルテンサイト組織となって
て指摘されている.この理由として,鋼は DLC 膜と比
いる.φ19mm の丸棒状の素材から,t=1.2mm の円盤を機
較した場合に低硬さであることや,その主成分である Fe
械加工により作製し,その片面に,#320~#1200 の耐水研
元素が,黒鉛の形成を促す触媒作用を示すこと 3)などが
磨紙を用いて研磨を施した.その後,Fig.1 に示すフロー
指摘されている.
チャートに従い試験片の作製を行った.
DLC 被覆を実機に適用した際に良好な摩擦・摩耗特性
同図中の Polished シリーズは,コロイダルシリカ懸濁
を実現するためには,膜の密着性を改善することが必要
液を用いた研磨を施して鏡面状に仕上げた試験片であ
不可欠である.そのため,鉄鋼基材と DLC 膜の双方に
る.Polished-D シリーズは,鏡面状態まで研磨を施した
対して化学的親和性に優れる Si,Cr,Ti などの中間層の
利用が提案され実用化に至っている 4),5).しかしながら,
この対策では施工プロセスが複雑になるばかりか,部材
Table1 Chemical composition of SCM440 steel
中に力学的弱部となる界面の数を増やすことになる.し
たがって,中間層に代わる新たな対策の開発が望まれて
いる.
C
Si
Mn
P
S
Ni
Cr
Mo
Cu
Ti
Al
0.40 0.25 0.81 0.013 0.017 0.02 1.04 0.16 0.01 0.001 0.047
このような観点から著者らは,微粒子ピーニング(Fine
+
原稿受理 平成
*
学 生 員
年
月
日
Received
慶應義塾大学大学院理工学研究科 〒223-8522 横浜市港北区日吉,Grad. School of Keio Univ., Kohoku-ku, Yokohama,
223-8522
** 非 会 員
*** 正 会 員
223-8522
旭硝子株式会社中央研究所 〒221-8755 横浜市神奈川区羽沢町,Asahi Glass Co., Ltd, Yokohama, 221-8755
慶應義塾大学理工学部機械工学科 〒223-8522 横浜市港北区日吉,Dept. of Mech. Eng. Keio Univ., Kohoku-ku, Yokohama,
合表面処理では基材表面に微細な凹凸が形成されるた
めに,通常用いられるスクラッチ試験や圧痕法では,
DLC 膜の密着性を適切に評価できないものと判断した
Machining
ためである.
3
Polishing
(SiC paper #320~#1200)
3・
・1
実験結果および
実験結果および考察
および考察
FPB 処理による
処理による基材表面
による基材表面へ
基材表面への Cr 元素の
元素の拡散
FPB 処理により基材の表面へ Cr 元素の拡散が生じる
か否か明らかにするため,CrFPB,Polished の両シリー
FPB treatment
(#320 Cr particle)
Mirror finished
(Colloidal Silica)
Interlayer
deposition (Si)
DLC coating
(C6H6 gas reactant)
DLC coating
CrFPB
CrFPB-D
Polished-D
Polished
SiLayered-D
Fig.1 Conditions of Specimen Preparation
ズの表面において,エネルギー分散型 X 線分光法(EDX)
を用いて Cr 元素濃度を定量した結果を Fig.2 に示す.
CrFPB シリーズでは,FPB 処理を施さない場合と比較し
て Cr 濃度がおよそ 10 倍に増加していることがわかる.
また,グロー放電発光分光法(GD-OES)を用いて Cr 元
素の深さ方向の分布を分析した結果を Fig.3 に示す.同
図の縦軸に示している「信号強度」は,元素濃度に比例
する値である.同図より,CrFPB シリーズの Cr 元素濃
度は,表面からおよそ 4µm の範囲で,未処理材のそれよ
表面に DLC 被覆を施した試験片である.CrFPB シリー
ズは,Cr 粒子を投射材に用いて FPB 処理を施した試験
片である.CrFPB-D シリーズは,その表面に DLC 被覆
を施した試験片である.また,SiLayered-D シリーズは,
鏡面状に仕上げた表面へ,工業的に利用されている Si
中間層を被覆してから DLC 被覆を施した試験片であり,
比較のために用いた.
なお,これらの試験片の DLC 被覆は,イオン化蒸着
法により行った.その際,反応ガスは C6H6 を用い,試
りも増加していることがわかる.
次に,CrFPB シリーズの表面近傍の縦断面を,EDX に
より分析した.Fig.4 にその結果を示す.同図(a)は,ナ
イタールエッチングにて現出させた微視組織の二次電
子像である.表面近傍には,周囲とは結晶粒の様相が異
なる組織が,凹凸に沿って形成されていることがわかる
(白枠内)
.この変性組織は,高木ら 7)が報告しているナ
ノ結晶組織と類似しており,FPB 処理によって表層に繰
り返し塑性流動が生じた結果形成されたものと考えら
験片温度 250℃,圧力 2.7×10-1Pa,バイアス電圧-2kV,
成膜速度 1.1×10-2µm/s の条件のもと,膜厚が 1µm とな
12
Cr concentration, at.%
るよう処理時間を調整した.なお,この条件で作製した
膜について,ナノインデンターにより測定した硬さとヤ
ング率はそれぞれおよそ 24000MPa,170GPa である.ま
た,FPB 処理は,空気吸引式ピーニング装置(
(株)不
二製作所製 SFK-2S 型)を用いて,投射圧力 0.6MPa,投
射時間 15 秒,試験片とノズル間の距離 100mm の条件の
もとで行った.このとき用いた Cr 粒子は,顆粒状の形
状を有しており,ふるい分けにより測定した粒度分布は,
10
8
6
4
2
0
45µm 以下のものが約 80%,45µm を超えて 75µm 以下の
CrFPB
Polished
Fig.2 Cr concentration on the surface
ものが約 15%であった.
以上のようにして作製した試験片に対して,ボールオ
大気中にて無潤滑で摩擦・摩耗試験を行った.なお,ス
トロークは 8mm,摺動速度は 5mm/s,垂直荷重は 9.8N
もしくは 0.196N とした.本研究は,提案した手法に関
する基礎的な知見を得ることを目標としており,相手材
の摩耗の影響を極力排除できるよう,φ10mm のアルミナ
ボールを相手材として選択した.ボール材を保持するア
ームに接続されたロードセルによって検出した摩擦力
より,摩擦係数を算出した.
なお,本研究では DLC 膜の密着性を,摩擦・摩耗試
験結果から定性的に評価している.これは,提案する複
1.5
Signal intensity, orb. unit
ンディスク往復摺動形式の摩耗試験機を用いて,室温・
1.2
CrFPB
0.9
0.6
0.3
0
Polished
0
1
2
3
4
Depth from surface, µm
Fig.3 GD-OES depth profile of Cr elements
5
3・
・2 DLC 被覆材の
被覆材の摺動特性に
摺動特性に及ぼす FPB 処理の
処理の効
果
Fig.5 に,試験荷重を 9.8N(膜における最大ヘルツ圧
Surface
はおよそ 1100MPa)として摩擦・摩耗試験を 2000 サイ
クルまで行った際の,摩擦係数の変化を示す.同図より,
DLC 膜を有するシリーズ(図中
, , 印)は,試験
初期ではいずれも 0.15~0.20 程度の低い摩擦係数を示し
ていることがわかる.しかしながら,Polished-D シリー
ズの摩擦係数は,試験開始より約 700 サイクルを経過し
2µm
(a) SE
た時点で上昇し始め,最終的には DLC 膜を有さない
Polished シリーズのそれと同程度の値に達している.こ
のような摩擦係数の経時変化は,試験中に DLC 膜がは
Surface
く離し,摺動面から失われていくことを示しているもの
と考えられる.
これとは対照的に,CrFPB-D シリーズは,中間層を介
して DLC 被覆を施してある SiLayered-D シリーズと同様
に,摩擦係数が試験終了時まで比較的低い値を維持して
いることがわかる.これは,DLC 膜が摩擦・摩耗試験中
(b) Cr Kα
2µm
に失われることなく残存していることを示すものと考
えられる.なお,この両者を比較すると,CrFPB-D シリ
ーズの摩擦係数が全体にやや高いことがわかる.これは,
Surface
同シリーズの表面に,FPB 処理によって形成された凹凸
が存在していることに起因するものと考えられる.
したがって,DLC 被覆に先立ち FPB 処理を施した場
合には,FPB 処理を施していない場合と比較して良好な
膜密着性が得られ,その結果として,従来用いられてき
た中間層を利用する方法と同等に低摩擦を持続可能な
(c) Fe Kα
2µm
Fig.4 Microstructure and EDS maps of FPB treated specimen
(Cross section)
DLC 被覆材が作製できるものと考えられる.
なお,FPB 処理は,歯車などの強度を向上させる目的
で利用されており
10)
,この方法を用いて DLC 膜の密着
性が改善できれば工業的観点からのメリットはきわめ
て大きいものと考えられる.
CrFPB-D シリーズで良好な膜密着性が実現された理
れる.同図の(b),(c)は,EDX を用いて白枠内の領域を
分析することにより得られた Cr 元素と Fe 元素の分布を
示している.これらの図より,前述の変性組織には,母
材組織中よりも多くの量の Cr 元素が分布していること
がわかる.この Cr 元素の分布と,基材に由来する Fe 元
由として,(i)基材・皮膜間の硬度差が低減され,力学的
特性の不適合が緩和されたこと,(ii)表面に多く存在する
Cr 元素の寄与により DLC 膜と基材とが強固に結合され
たこと,(iii)表面の凹凸により膜と基材との間に機械的
な噛み付きが得られたこと,(iv)皮膜内部応力の緩和作
素分布の境界は明瞭ではない.したがって,変性組織部
から検出された Cr 元素は,単に投射材粒子が基材に付
0.7
ひずみを生じた部位へ投射材成分の拡散が生じたこと
0.6
に起因するものと考えられる.一般に,微粒子を高速度
で被処理材へ投射した際に生じる現象として,微粒子の
衝突に伴い被処理面近傍の温度が上昇すること 8),ある
いは高ひずみ速度で大ひずみが付与される結果,結晶粒
が極度に微細化すること 9),などが指摘されている.Cr
Friction coefficient
着,残留していることによるものではなく,大きな塑性
CrFPB SiLayered-D
Polished
0.5
0.4
0.3
0.2
粒子を用いて FPB 処理を施した場合にも,温度上昇や結
0.1
晶粒界の増加などの現象が,元素拡散を誘発するのに十
0
分な程度生じていたものと考えられる.
CrFPB-D
Polished-D
0
500
1000
1500
2000
Wear cycles
Fig.5 Friction coefficient as a function of wear cycles
用 11)により膜のはく離が抑制されたこと,などが考えら
いた試験片の成膜法が両シリーズのそれとは異なるた
れる.以下では,とくに(i)と(ii)について着目し,追実験
めである.一方,試験の中期から後期にかけては,基材
を行いながら検討を加える.
3・
・3
の硬さが比較的高い場合にのみ(図中□,○印),摩擦
DLC 被覆材の
被覆材の摩擦係数に
摩擦係数に及ぼす基材硬
ぼす基材硬さの
基材硬さの影
さの影
響
係数が低い値を示す傾向が認められる.
すでに述べたように,この実験におけるヘルツ接触圧
CrFPB シリーズの縦断面上で,表面から深さ方向にビ
は最表面の膜においておよそ 220MPa で,基材部にかか
ッカース硬さを測定した結果を Fig.6 に示す.
同図より,
る負荷はさらに小さいはずである.しかしながら,摺動
ビッカース硬さは,最表面で最も高い値を示し,内部に
面に介在する摩耗粒子や試験片の微小な研磨痕などに
なるにしたがって次第に低下していることがわかる.こ
起因して応力集中が生じることで,接触圧が局所的に基
のような,FPB 処理に伴う基材表面硬さの上昇が,DLC
材の降伏応力を超える可能性は十分にありうるものと
膜の密着性に及ぼす影響を検討するため,焼入れ焼戻し
考えられる.したがって,基材硬さが高い場合には,接
によって硬さを 350~700HV の範囲で系統的に変化させ
触面における基材の微視的降伏が抑制された結果,DLC
た基材に対して RF プラズマ CVD 法(反応ガス C2H2,
膜のはく離・脱落が生じにくくなり,比較的低い摩擦係
基材温度 150℃以下,出力 200W,圧力 13Pa,成膜速度
数が得られたものと考えられる.以上のように,FPB 処
4×10-3µm/s,成膜時間 30 秒)を用いて DLC 被覆を施し
理に伴う基材表面の硬さの上昇は,DLC 膜の密着性向上
た試験片を準備し,摩擦試験を行った.このとき,試験
に有効に作用するものと考えられる.
荷重は 0.196N であり,その他の摩擦試験条件は第 2 章
で述べたものと同様である.なお,作製した膜の硬さを
ナノインデンターにより測定した結果,およそ
3・
・4
DLC 被覆材の
被覆材の摩擦係数に
摩擦係数に及ぼす Cr リッチな
リッチな表
面層の影響
Fig.4 に示した Cr リッチな変性組織が,DLC 膜の密着
性に及ぼす影響について検討するために,表面硬さ・表
あった.したがって,ボール材と膜との接触部における
面粗さが CrFPB シリーズと同程度になるような条件の
最大ヘルツ圧は約 220MPa と算出された.摩擦試験の結
もとで,SKH59 工具鋼粒子(平均粒径 55µm)を投射材
果を Fig.7 に示す.同図より,試験の開始直後には,す
に用いて FPB 処理を施した基材を準備した(以下 FeFPB
べての試験片の摩擦係数は基材硬さの大小によらずお
シリーズと称する).さらに,イオン化蒸着法によりそ
よそ 0.3 から 0.4 の範囲の値を示していることがわかる.
の基材に DLC 被覆を施した試験片(FeFPB-D シリーズ)
シリーズのそれと比較してやや高いが,これは,今回用
を作製した.これらの試験片および CrFPB-D シリーズ,
460
440
420
400
Table2 Comparison of CrFPB-D, FeFPB-D and polished series
380
360
340
320
300
Preparation method
Vickers hardness
of substrate surface
Mean roughness Ra, µm
CrFPB-D
FeFPB-D
Polished
FPB (Cr particle)
then DLC
FPB (Steel particle)
then DLC
Mirror-finishing
then DLC
440
430
340
2×10-1
5×10-1
5×10-2
20
40
60
80
100
Distance from surface, µm
Fig.6 Vickers hardness distribution of CrFPB series
0.8
0.7
0.6
0.5
0.4
0.3
0.2
0.1
0
0
0.7
700HV
600HV
520HV
0
200
400
600
800
Wear cycles
440HV
350HV
1000
1200
Fig.7 Friction coefficient with a substrate hardness
ranging from 350 to 700HV
Friction Coefficient
Friction coefficient
Vickers Hardness, HV(0.245N)
13000MPa であった.また,ヤング率はおよそ 96GPa で
CrFPB-D
FeFPB-D
0.6
CrFPB
FeFPB
0.5
0.4
0.3
0.2
0.1
0
0
1000
2000
3000
Wear cycles
4000
5000
Fig.8 Friction coefficient of CrFPB-D, FeFPB-D, CrFPB
and FeFPB series as a function of wear cycles
CrFPB シリーズについて,摩擦・摩耗試験を行った.
CrFPB-D シリーズと FeFPB-D シリーズについて,基
材表面粗さと表面近傍の硬さを Table2 に比較して示す.
同表より,両シリーズの基材表面硬さが同程度となって
いることが確認できる.また,両者の粗さは若干異なっ
ものである.このような優れた密着性は,主に CrFPB-D
シリーズの表面に Cr 元素が拡散していることに起因し
ているものと考えられる.
3・
・5
DLC 膜の密着性に
密着性に及ぼす Cr リッチな
リッチな表面層
表面層の
効果
ているが,いずれもある程度の粗さを有する表面になっ
CrFPB-D シリーズと FeFPB-D シリーズの摩耗機構を
ている.すなわち,作製時に用いた投射材が異なる
明らかにするため,摩耗面の SEM 観察を行った.Fig.9
CrFPB-D シリーズと FeFPB-D シリーズは,いずれも鏡
に 500 サイクルまで試験を行った後の CrFPB-D シリーズ
面仕上げの基材と比較して,硬く粗い表面を有しており,
(同図(a))と FeFPB-D シリーズ(同図(b))それぞれの
Cr リッチな組織の有無という点において異なっている
摩耗面を示す.この時点では,両者の摩耗面は類似して
ということができる.
いることがわかる.すなわち,両者とも摩耗面には相手
これらの試験片について摩擦・摩耗試験を行った際の
材の接触に伴い平坦化された領域が認められるが,その
摩擦係数の変化を Fig.8 に示す.同図より,CrFPB シリ
摩耗の程度は軽微である.その一方で,ほとんど摩耗を
ーズと FeFPB シリーズの摩擦係数を比較すると,両者の
生じていない部位も残存している.これは,基材表面に
値は試験初期にやや異なるものの,ほぼ同程度であるこ
存在していた微細な凹凸のうち,凸部のみが実際に相手
とがわかる.一方,これらの試験片に DLC 被覆を施し
材と接触しているためである.
た CrFPB-D シリーズと FeFPB-D シリーズを比較した場
次に,5000 サイクルまで試験を行った後の CrFPB-D
合には,両者の摩擦係数の経時変化は異なっている.す
シリーズの摩耗面を Fig.10(a)~(c)に,FeFPB-D シリーズ
なわち,FeFPB-D シリーズの摩擦係数は試験期間全体を
の摩耗面を同図(d)~(f)に,それぞれ示す.図(a)に示され
通して CrFPB-D シリーズのそれよりも高く,2000 サイ
た CrFPB-D シリーズの摩耗痕は,FeFPB-D シリーズの
クルを超えると次第に上昇する傾向が認められる.また,
それ(図(d))と比較して幅が小さいことがわかる.これ
FeFPB-D シリーズの摩擦係数は,最終的に DLC 膜を有
は,CrFPB-D シリーズに生じた摩耗が FeFPB-D シリー
さない FeFPB シリーズのそれと同程度の値に達してい
ズに生じたそれと比較して軽微であることを示唆する
る.これは,FeFPB-D シリーズの DLC 膜が試験中に摺
結果である.また,同図(b)で明るく見えている領域は,
動面からはく離し,失われていたためと考えられる.
凸部が優先的に摩耗したことにより平坦化され,DLC 膜
これに対して,表面に Cr リッチな組織を有する
が残存していない部位と対応している.そのような平坦
CrFPB-D シリーズの摩擦係数の値は,多少の変動を伴う
な部位の周囲には,未だに摩耗が生じていない部位が残
ものの,試験終了時まで低い値を維持している.この結
存している(矢印部)
.さらに,同図(c) に示す C 原子の
果は,CrFPB-D シリーズの DLC 膜の密着性が FeFPB-D
分布より,摩耗が生じていない部位には DLC 膜が残存
シリーズのそれと比較して優れていることを示唆する
していることがわかる.
それに対して,基材表面に Cr リッチ層を有さない
FeFPB-D シリーズの摩耗面は,FPB 処理によって形成さ
れた凹凸がほとんど失われ,多量の摩耗粉によって覆わ
れていることがわかる(同図(e)).また,同図(f)より,
摩耗面には DLC 膜がほぼ残存していないことがわかる.
また,試験後の相手材を観察したところ,FeFPB-D シ
リーズに対して使用した相手材の摩耗が,CrFPB-D シリ
ーズに対して使用した場合のそれと比較して著しいこ
とが確かめられた.
(a)
20µm
以上で述べた観察結果に基づき,CrFPB-D シリーズお
よび FeFPB-D シリーズの摩耗機構を模式的に示すと
Fig.11 のようになる.
同図の(a)は,CrFPB-D シリーズの,
また(b)は FeFPB-D シリーズの摩耗プロセスを示してい
る.図中,凹凸に沿った黒線は DLC 膜を,また(a)のみ
に示されているグレーの部分は Cr 元素の拡散した領域
を示している.膜の密着性に優れる CrFPB-D シリーズで
は,表面の凸部に摩耗が生じた際に DLC 膜のはく離が
生じにくいことを示している(図(a)-(ii))
.その結果,図
(b)
20µm
Fig.9 Wear track of (a)CrFPB-D and (b)FeFPB-D
series after 500cycles of sliding
(a)-(iii)に示すように摺動面の一部に DLC 膜が残存する.
この残存した DLC 膜によって,Fig.8 に示したような低
い摩擦係数が維持されるものと考えられる.なお,Fig.5,
(a)
400µm
(b)
20µm
(d)
400µm
(e)
20µm
20µm
(c)
20µm
(f)
Fig.10 Typical feature of wear tracks after 5000 cycles of wear test, (a)CrFPB-D series, schematic of wear track, (b)magnified
observation of wear track, (c)C mapping in (b), (d)FeFPB-D series, schematic of wear track, (e)magnified observation of wear
track, (f)C mapping in (e).
Alumina ball
No delamination
of DLC film
DLC film
Cr-rich
layer
DLC film remains
on the contact area
Substrate
(i) First stage of wear test
(ii) Second stage of wear test
(a) CrFPB-D series
(iii) Third stage of wear test
Alumina Ball
Delamination
of DLC film
DLC film
No DLC film remains
on the contact area
Substrate
(i) First stage of wear test
(ii) Second stage of wear test
(b) FeFPB-D series
(iii) Third stage of wear test
Fig.11 Schematic illustrations of the wear mechanism in (a) CrFPB-D series and (b) FeFPB-D series
Fig.8 からは,いずれも CrFPB-D シリーズの摩擦係数が
DLC 膜が容易にはく離し(同図(b)-(ii)),ほぼ完全に失
試験開始から約 2000 サイクルにかけて,やや増加傾向
われることを示している(図(b)-(iii)).それに伴い,基
にあることがわかる.これは Fig.11(ii)に示した凸部の初
材,相手材とも摩耗が進行し,Fig.10(e)に示したように
期摩耗に起因しているものと考えている.したがって,
摺動面に摩耗粉が介在するようになる.その結果,DLC
今後 FPB 処理面の凹凸を適切にコントロールすること
膜の潤滑作用が失われ,Fig.8 に示したように摩擦係数が
により,初期摩耗を低減するとともに低い摩擦係数を実
増大していくものと考えられる.以上のように考えれば,
現することが重要である.
CrFPB-D シリーズと FeFPB-D シリーズの摩擦係数や摩
これに対し,表面に Cr リッチな領域を有さない
FeFPB-D シリーズの場合には,凸部に摩耗が生じた際に
耗面の様相について,矛盾なく説明することができる.
4
結
言
本研究では,鉄鋼基材に対するダイヤモンドライクカ
3) H. -G. Jentsch, G. Rosenbauer, S. M. Rosiwal, R. F.
Singer, “Graphite interlayer formation during CVD diamond
ーボン(DLC)膜の密着性を向上させるための手法とし
coating of iron base alloys: the analogy to metal dusting”,
て,微粒子ピーニング(FPB)処理に着目した.FPB 処
Advanced Engineering Materials ,
Vol.2 ,
No.6 ,
理を施した後に DLC 被覆を行う複合表面処理を適用し
pp.369-374, (2000)
た SCM440 鋼の摩擦・摩耗特性を明らかにするとともに,
4) M. D. Bentzon, K. Mogensen, J. B. Hansen, C.
FPB 処理によって形成された投射材成分(Cr)の拡散し
Barholm-Hansen, C. Traeholt, P. Holiday, S. S. Eskildsen,
た組織や加工硬化層が DLC 膜の耐はく離性に及ぼす効
“Metallic interlayers between steel and diamond-like carbon”,
果に着目しながら,摩擦・摩耗試験結果に対して検討・
Surface and Coatings Technology, Vol.68/69, pp.651-655,
考察を加えた.得られた結論を以下に示す.
(1994)
(1) Cr 粒子を投射材に用いて FPB 処理を施した後に DLC
5) F. J. G. Silva, A. P. M. Baptista, E. Pereira, V. Teixeira,
被覆を行った鉄鋼部材は,前処理なしで DLC 被覆を施
Q. H. Fan, A. J. S. Fernandes, F. M. Costa,“Microwave
した部材と比較して,低摩擦を長期にわたって維持する
plasma chemical vapour deposition diamond nucleation on
ことが可能である.これは,前処理として FPB 処理を施
ferrous substrate with Ti and Cr interlayers”, Diamond and
した場合に,繰り返し摩擦を受けた際に摺動面から DLC
Related Materials, Vol.11, pp.1617-1622, (2002)
膜がはく離・喪失することが抑制されるためである.
6) Y. Kameyama, J. Komotori, E. Shimodaira, “Diffusion
(2) FPB 処理と DLC 被覆を組み合わせた複合表面処理を
Induced by Fine Particles Bombardment (FPB) Treatment”,
施した鉄鋼部材は,中間層を介して DLC 膜を成膜する
Journal of Material Testing Research Association of Japan,
手法を適用した部材のそれらに匹敵する潤滑性や摩擦
Vol.48,No.4,pp.241-244
(2003)
係数の安定性を示す.かかる複合表面処理材の摺動特性
7) S.Takagi,M.Kumagai,Y.Ito,S.Konuma,E.Shimodaira,
は,FPB 処理後の表面粗さなどを適切に制御することに
“Surface nanocrystallization of carburized stell JIS-SCr420
よって,さらに向上可能なものと考えられる.
by fine particle peening”,Tetsu-to-Hagane,Vol.92,No.5,
(3) FPB 処理を前処理として施すことにより,DLC 膜の
pp.318-326,(2006)
はく離が抑制された主な要因として,表面に Cr 元素の
8) H. Maeda, N. Egami , C. Kagaya , N. Inoue ,
拡散した組織が形成されたことが挙げられる.また,FPB
H. Takesita, K. Ito, “Analysis of particle velocity and
処理による表面硬さの上昇も,DLC 膜のはく離防止に有
temperature distribution of struck surface in fine particle
効である.
peening”, Transactions of the Japan Society of Mechanical
なお,本研究の一部は,慶應義塾大学大学院 21 世紀
Engineers,Vol.67C, No.660, pp.2700-2706, (2001)
COE プログラム「知能化から生命化へのシステムデザイ
9) Y. Todaka, M. Umemoto, Y. Watanabe, K. Tsuchiya,
ン」および(財)みずほ学術振興財団より助成を受けた
“Nanocrystallization on surface of steels by shot peening”
ことを付記し,謝意を表する.
Journal of Japan Institute of Metals , Vol.67 , No.12 ,
pp.690-696,(2003)
参 考 文 献
10) D. Yonekura, J. Noda, J. Komotori, M. Shimizu, H.
1) T. Numata, S. Mori,“Friction decomposition reaction of
Shimizu , “The fatigue properties of ferrite-pearlite steel
lubricant oils used for HDD and chemical effects of slider
modified by WPC treatment”, Transactions of the Japan
surface -Chemical analysis by TOF-SIMS-“,Journal of the
Society of Mechanical Engineers , Vol.67A , No.659 ,
Surface Science Society of Japan,Vol.24,No.6,pp.346-350,
pp.1155-1161, (2001)
(2003)
11) H. Sawada, K. Kawahara, T. Nimomiya, “Improving
2) M.Kano, “Application of DLC coating to sliding parts in
adhesion of diamond-like carbon film using laser-induced
engine”, Journal of Japanese society of Tribologists, Vol.47,
surface periodic structures”, Journal of Japanese Society of
No.11, pp.815-820, (2002)
Tribologists, Vol.51, No.2, pp.180-186, (2006)