「哲学塾最終レポート」 塾生登録番号 7700160006 東洋大学文学部日本

「哲学塾最終レポート」
塾生登録番号 7700160006
東洋大学文学部日本文学文化学科
高谷 明日香
私は、東洋大学文学部一年生として、この井上円了哲学塾を受講することになりました。
高校時代の倫理哲学は、授業としては受けましたが、知識の習得でしかなく、特にこれと
いった感動も感慨もなく終わってしまいました。高校での勉強は、あくまでも知識の積み
重ねであり、知識の習得であり、目標は大学受験でしかなかったのです。しかし井上円了
哲学塾を受講して、こんな学びがあったのだということに驚かされ感動しました。今まで
の私にとって全く知らない世界のことでした。学びの中で出会った方々は皆、哲学を体現
し実践して、自らの望むところを現実のものにしていました。それを知ることができたこ
とが大きな感動であり喜びです。自分が生きていく上で一番大切にしなければいけないこ
とは何なのかということを、初めて考えるきっかけになったことが一番大きな収穫です。
そこにはどんな出会いがあり、どんな感動があり、どんな気付きがあったのか順を追って
述べていきたいと思います。
私が哲学塾に入ったきっかけは入学の時に配られた案内の紙です。ここに太字で書かれ
た、
「議論する場」
「意見を言う場」という言葉と、
「自己の基軸」という言葉に惹かれまし
た。なぜかと言うと、まず一つ目の議論する場については、私は世の中のことについて興
味関心があり議論したいと思っているのですが、それを話し合う場がないと思っておりま
した。だからこれを見つけた時に、ここで現代社会について議論ができるのではないかと
可能性を感じました。
二つ目の自己の基軸についてですが、私は基軸となるような信念というものが固まって
いません。アスリートや俳優がテレビのドキュメンタリー等で語っている信念に、感心す
ることはあっても、私の信念にはなりませんでした。自分の中にはっきりしたものがなく
て、他人の意見に共感する反面、流されているように感じていました。だから基軸が欲し
い、確立させたいと思いました。以上二つの理由で入塾を決めました。
そして哲学塾では様々なことを学びました。授業には大きく四つの教育の柱があり、一
つ目は哲学教育でした。まず井上円了について、入学時に学んだ生涯や思想よりも更に深
く踏み込んで学びました。しかし井上円了の思想は、今の自分が理解するには余りに大き
く、深すぎて、全部を理解するのは今の私にとっては難しいと感じましたが、哲学堂公園
のフィールドワークで、井上円了の作った建物や池等を拝観したのはとても有意義な時間
でした。その時に、いかにインスピレーションを感じることが大切かということが語られ
ましたが、インスピレーションと哲学は関係があると考えました。何か目に見えない大き
なものの力を感じることは、哲学をやる上での最初の一歩だと思いました。
二つ目はプレゼンテーション、ディスカッション能力の向上でした。私は自分の意見や
考えを人に伝えるのは得意ではありません。この授業で学んだプレゼンテーションについ
ては知識として役に立ちましたが、今すぐ身に付けるということはできませんでした。そ
の講義の後のディスカッションで、エネルギー問題について議論がなされました。そして、
いかに自前でエネルギーを供給するかということが大切なのではないかと考えました。自
前でエネルギーを供給するには地熱が有効だと考えています。自前で供給するというのは
強みであるのではないか、そしてそれを哲学で言うと「足るを知る」
、自分達の持っている
ものの範囲内で何とかするということではないでしょうか。外国人講師の授業にも強く影
響を受けました。それは「迷悟」という授業でしたが、その時私は自らの考えや思考でよ
り真実に近づくということが悟りではないかと考えました。人は迷いますけど、そこで自
分で気付くということが大事なのではないか、迷うから悟りが開けるのではないか、気付
こうとする努力というのが哲学ではないかと思いました。フィールドワークでは、東洋大
学の近くにある「さきちゃんち」という地域の人々が集う場所に行き、地域の取り組みに
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ついて実際に見学・体験をしました。ここは寄付や募金で成り立っているところです。こ
この運営委員さんは、欲しいと思ったものが叶うと仰っていました。それを不思議に思い、
何故だろうと考えていた時に、地域の人々や子供達のために、見返りを求めないまごころ
で動いているからではないかと考えました。
三つ目は「世界、特にアジアと連携する」という意識を持つことでした。アジアの連携
について考えた時に、日本は欧米を見ていて足元のアジアを見ていなかったのではないか
と考えました。
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がありますが、それを大切にする
べきではないか、経済や地域の安全保障について近くの人々と連携するということが大切
ではないかと気付かされることになりました。それを実践したのがカネパッケージです。
連携するにあたって感動体験をその国の人々と共有しました。また、共有した日本人の社
員がそれを持ち帰り、会社や家庭にも伝えていきました。感動が人から人へ伝わっていく
というのは、心を揺さぶる力があります。それはより真理に近いものだからではないかと
考えました。世代や様々な人種を超えて伝わるというのは真理であって、そういうものを
研究するのが哲学ではないかと考えました。そういう文脈で「さきちゃんち」とカネパッ
ケージは倫理哲学を体現していると思います。求めていることを結実させているその姿に
感動を覚えました。
四つ目は国際社会への対応力の向上でした。異文化コミュニケーションについて考えた
際、バックボーンを考えるのが大事だと思いました。バックボーンを大切にするというこ
とは、自分が日本人であるという自覚を大切にすることだと思います。日本の強さ・弱さ
ということを知って、それを土台にし、アイデンティティというものをしっかり持って、
それをバックボーンにすることで、初めて対等に異文化の人々と渡り合うことができるの
ではないでしょうか。理事長の授業では、五つのテーマから一つ選んで三分間でスピーチ
をするという内容でした。国内や国外の社会について議論するということは、私がとても
やりたかったことで入塾理由の一つでした。ですから日本の現状や国際関係について等、
様々な意見や考えを聞くことができ、すごく充実した時間になりました。私は日本の強さ
と弱さについて自分なりに考えて発表しました。日本人として生まれ育って、今の自分が
感じた日本の強さ弱さというのを自分のバックボーンにして、異文化とのコミュニケーシ
ョンを行うことが大事なのではないかと考えました。
結論として、私は、
「自己の基軸」というものを見つけるには至りませんでした。自己の
基軸を確立させることはできませんでした。哲学塾を受講するにはまだ早くて、年齢的に
も人生経験的にも浅く、受け止めきれなくて理解しきれないことが多くありました。しか
し様々な経験をすることができ、沢山のことを考えることができました。一生懸命に取り
組んだことというのは確かなものであると思います。実は日本語検定を申し込んでしまっ
てフィールドワークと重なってしまったということがありました。最初哲学塾を休むと伝
えたのですが、やはり哲学塾は今しかできないと考え直して、検定には行かずにフィール
ドワークに行きました。そして参加して良かった、良い経験を得ることができたと思いま
した。私は今できる経験をしたい、今しかできないことをやりたい、哲学塾で得た沢山の
貴重な経験を活かして、私は更なる経験を積んで社会に貢献できる人間になれるよう、毎
日を充実させていきたいです。
以上、
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