誕生会 - 真宗光明団

「他人に対して苛立ちを感じた時は、自分について知るいい機会である」
カール・ユング
テーマ「怒りの炎(ほむら)」
-さるべき業縁の催せば-
講題 「私たちの求めているもの」
講師 佐野 明弘師 石川県 光闡坊住持
期間 平成 28 年 7 月 15 日(金)16:00~17 日(日)13:10
場所 真宗光明団本部
〒733-0821 広島市西区庚午北 3 丁目 2-22
☎082-271-5808
講師のことば
「人間の求めるものは皆妄念妄想」 師から最後にお会いした際お聞きした言葉。
皆ということは仏道を求めることもだろうか。違うと言いたいが実にこれも又、妄念妄想。
いつの間にか仏道を求めているつもりになって仏法の言葉を操っているが、よく確かめてみれ
ば自分一個の満足を求めているのではないか。
もっと確かめてみるとそもそも仏道を求めたことがあったのだろうか。唖然とする。
しかし、この唖然とするところがまた大切なところなのです。
佐野明弘師
御
案
内
◆費用:全日程参加で 7,100 円 (講義・座談中は保育あり)
会費 1 日 1,500 円、朝食 300 円、昼・夕食 500 円、宿泊 500 円
未就学児は免除。小学1~2年生は食費半額のみ。小学3~中学生は食費全額のみ。
高校・大学・専門学校生は食費全額・会費半額・宿泊費免除。
◆持ち物:念珠・聖典(出来れば大谷派のもの)・讃歌集・筆記用具・洗面用具
・着替え・枕カバー(タオルで可)・保険証写し(聖典・讃歌集は本部で購入できます。)
◆申込:葉書 ・E メール ・電話 ・FAXで下記宛てにお願いします。7 月 10 日(日)必着!
記入事項…①氏名(ふりがな付)②年齢・性別(子どもは学年)③〒住所④電話番号(メールアドレス)
⑤参加予定(食事・宿泊数)※初日の夕食は各自ご用意ください。⑥保育利用の有無⑦車の利用
(駐車場には限りがあります。調整させて頂きます)
※その他、気がかりなことがございましたら、ご相談ください。
◆申込先・問合せ先
〒813-0044 福岡市東区千早 1-2-1-604
増田 豊 宛て
FAX:092-682-4354 TEL:090-7164-3716 mail: [email protected]
会場へのアクセス
〇J R西広島駅下車
広島電鉄「宮島」行きに乗車
2つ目の駅「高須」で下車 徒歩3分
総務のことば
★増田 豊
観経に「求哀懺悔」という言葉がありますが、懺悔といっても哀れみを求めようとするほかの
無い私。その私の「存在」とは一体どうなっているのか。「他人に対して苛立ちを感じた時は、自
分について知るいい機会である」という言葉がありますが、この「感情」が何に由来するのか。
こう問いかける所に初めて「教え」が届く道筋が開かれてくることだと思うことです。そして、「全く
の自己責任」の道こそ仏の教えが指し示す道ではないだろうかと思う事です。「欲望の満足」と
いう方向性しか持てない私たちにはたらきかけてやまない仏の慈悲智慧。皆さんと一緒に、ま
ずは日常に起こる感情をきっかけに仏言を聞かせて頂く会座になれば幸せこの上ないことで
す。
★岩隈 教子
二年前の誕生会で「あるお稽古ごとを始めて生々と生きられて毎日がとても楽しい。」と語っ
た私に、佐野先生が「それも欲ですよ。」と言われました。なぜ?なぜ?それが欲なの?生々
と生きられることが人生として最高じゃないの?私も子どもにもずっとそうあって欲しいと思ってい
ました。それ以来「それは欲です。」という言葉が私の脳裏から離れませんでした。自分の姿を
顧みると、よくよく欲だらけだと思えてきました。歩く時も、早足で。自分の身体が健康であるよう
に。早く歩くと時間も稼げるから。ただ、それだけ。けれど、そこに何の疑問も持っていませんでし
た。今思わず虫を踏んづけてしまったかも知れないこと。ある人の大切な場所だったかもしれな
いこと。そこに死んだ人がいるかも知れないこと。そういうこともお構いなしで、足早に歩いてきま
した。自分の身体が鍛えられればいい。自分の時間が少しでも節約出来ればいい。他の人の
心、痛み、悼みが全く感じられない世界を生きてきました。何のために・・・?この世の成功のた
めに。何も出来ない私では終われない。そう思っていたのかと、今感じさせて頂いています。
「私」の生き方について皆さんと共に尋ねさせて頂けたらと思っています。
★小林 佳恵
私が怒るのはたいてい、自分と違うものを受け入れられなかったり、自分と他人を比較したり、
自分のせいでコトがうまく進まない場合に他人に八つ当たりするからです。それを、相手を認め
て受け入れたり、自分が譲歩し(あきらめ)たり、「他人は他人、自分は自分」と割り切ったり、自
分の非を認めたりすることで、むやみやたらと怒らなくなった気がします。そしてそれは仏法のお
かげだと思っていました。でも、あるとき、「たまたまの境遇やご縁で今の自分がある、状況が変
ればどうなるかわからない」と教えていただき、私は今自分がおかれている場・周囲の人への感
謝が無い人間だと思いました。怒らなくなった理由がもう一つあります。それは、あえて鈍く(無
関心に)なることです。「怒る姿はみっともない」からと、結局ええかっこしいで怒らないようになっ
た私は、本来怒るべきことに対しても鈍感になっていることにも気づきました。今まで、怒りへの
対処法は考えても、「怒り」そのものについては考えたことがなかったので、それを考える機会にし
たいと思います。