1日 米、エニウェトク環礁、初の水爆実験

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日米、エニウェトク環礁、初の水爆実験の日】
(1952年11月1日)
( コ ピー 資 料 )
「 1 1 月 1 日 1 渉 米 、 エ ニ ウ ェ ト 々 環 礁 、 初 の 水 爆 実 験 の 日 」
第 2 次 世 界 大 戦 が 終 わ っ た 時 、 原 子 爆 弾 を 持 って い た の は アメ リ カ だ け で し た 。 ア
メリカは、「広島、長崎で示された原子爆弾の強大な威力は、絶対兵器になりうる。
つまりこれさえあれば必ず戦争に勝つことができるだろう」と考えました。しかし、
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1 9 4 9 年 8 月 2 9 日 、 旧 ソ 連 が 最 初 の 核 実 験 を 行 い ま し た 。 こ れ は アメ リ カ が 予 想 し
て い た よ り も か な り 早 い も の で し た 。 そ の こ ろ アメ リ カ は す で に 数 百 発 、 合 計 1 万 キ
ロ トン に 達 す る 原 子 兵 器 を 蓄 積 して お り 、 アメ リ カ の 優 位 は 圧 倒 的 で し た 。 し か し 、
ト ル ー マ ン 大 統 領 は 原 子 力 委 員 会 に スー パ ー 爆 弾 、 つ ま り 水 素 爆 弾 の 開 発 を 命 じ ま し
た 。 そ して、 1 9 5 2 年 1 1 月 1 日 に 工 ニ ウ ェ ト ク 環 礁 で 水 爆 実 験 に 成 功 し ま し た 。 核
出 力 は 、 約 1 0 メ ガ ト ン で、 広 島 、 長 崎 に 投 下 さ れ た 原 爆 の 約 了 ○ ○ 倍 に 相 当 し ま す。
参 照 資 料 : 服 部 学 著 「核兵器と核戦争」
フ リ ー 百 科 事 典 「ウィキペディア」
(説話)
1 9 5 4 年 3 月 1 日 、 ビキ ニ 環 礁 で 行 わ れ た 水 爆 実 験 ( 1 5 メ ガ ト ン ) に よ り 、 日 本 の
第 5 福 龍 丸 や マー シ ャル 諸 島 の 住 民 が 大 量 の 放 射 性 の 死 の 灰 を 浴 び ま し た 。 第 5 福 龍
丸の乗組員のうち、無線長の久保山さんは9月23日、放射能性に基づく黄疸により死
亡 ( アメ リ カ 政 府 や 原 子 力 委 員 会 は 公 式 に は 、 い ま だ 久 保 山 さ ん の 死 を ビキ ニ 水 爆 実
験 に よる も の と は 認 めて い ま せ ん 。 ビキ ニ 環 礁 で は 3 月 1 日 か ら 5 月 中 旬 ま で、 5 回
の水爆実験が行われ、汚染された日本の船は合計683隻にのぼりました。工ニウェト
ク 環 礁 と は 、 太 平 洋 の 真 ん 中 に あ る 輪 の か た ち に な っ た さ ん ご し ょ う の こ と で、 ブ ラ
ウ ン 環 礁 と も よ ぱ れ て い ま す。 第 2 次 世 界 大 戦 後 期 の 1 9 4 4 年 2 月 に ア メ リ カ 軍 が 占
領 し ま し た 。 戦 後 、 住 人 は 立 ち 退 か さ れて 、 環 礁 は 1 9 4 8 年 か ら 1 9 6 2 年 ま で 核 実 験
に 使 わ れ ま し た 。 日 本 は 、 広 島 、 長 崎 で 核 の お そ ろ し さ を 知 っ て い る 国 で す。 核 実 験
の お そ ろ し さ を み な さ ん も 考 えて み て く だ さ い 。
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米、エニウェトク環礁、初の水爆実験の日】
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(1952年11月1日 I
( コ ピー 資 料 )
「 n 月 1 日 1 渉 米 、 エ ニ ウ ェ ト 々 環 礁 、 初 の 水 爆 実 験 の 日 」
第 2 次 世 界 大 戦 が 終 わ っ た 時 、 原 子 爆 弾 を 持 って い た の は アメ リ カ だ け で し た 。 し か
し 、 1 9 4 9 年 8 月 2 9 日 、 旧 ソ 連 が 最 初 の 核 実 験 を 行 い ま し た 。 こ れ は アメ リ カ が 予 想
して い た よ り も か な り 早 い も の で し た 。 そ の こ ろ アメ リ カ は す で に 数 百 発 、 合 計 1 万 キ
ロ トン に 達 す る 原 子 兵 器 を 蓄 積 して お り 、 アメ リ カ の 優 位 は 圧 倒 的 で し た 。 し か し 、 ト
ル ー マ ン 大 統 領 は 原 子 力 委 員 会 に スー パ ー 爆 弾 、 つ ま り 水 素 爆 弾 の 開 発 を 命 じ ま し た 。
そ して、 1 9 5 2 年 1 1 月 1 日 に 工 ニ ウ ェ ト ク 環 礁 で 水 爆 実 験 に 成 功 し ま し た 。 水 素 爆 弾
は 核 兵 器 の 一 種 で 核 融 合 反 応 を 利 用 し た 爆 弾 で す。 ( 水 爆 と も よ ば れ ま す。 ) 原 子 爆 弾
を起爆剤がわりに用い、この核分裂反応で発生する放射線と、超高温、超高圧を利用し
て、水素の同位体の重水素やリチウムの核融合反応を誘発し、膨大なエネルギーを放出
さ せ ま す。 高 温 に よ る 核 融 合 反 応 、 別 名 熱 核 反 応 を 起 こ す こ と か ら 「 熱 核 爆 弾 」 や 「 熱
核 兵 器 」 と も よ ば れ ま す。 一 般 に 核 出 力 は 原 爆 を は る か に 上 回 り ま す。 工 ニ ウ ェ ト ク 環
礁 で の 水 爆 実 験 の 核 出 力 は 、 1 0 . 4 メ ガ トン で し た 。 ( 1 メ ガ トン は 1 0 0 0 キ ロ トン、 つ
ま り 1 0 0 万 ト ン 分 の T N T 爆 薬 ( ダイ ナ マ イ ト ) が 爆 発 し た と き に 発 す る エ ネ ル ギ ー
に 相 当 す る 核 出 力 を 意 味 し ま す。 広 島 に 投 下 さ れ た 原 爆 の 出 力 は 1 5 キ ロ ト ン 、 長 崎 は
20キロトンでした。)
参照資料:服部学著「核兵器と核戦争」
フ リ ー 百 科 事 典 「 ウ ィ キ ペ ディ ア 」
(説話)
1 9 5 4 年 3 月 1 日 、 ビキ ニ 環 礁 で 行 わ れ た 水 爆 実 験 に よ り 、 日 本 の 第 5 福 龍 丸 や マー
シ ャル 諸 島 の 住 民 が 大 量 の 放 射 性 の 死 の 灰 を 浴 び ま し た 。 第 5 福 龍 丸 の 乗 組 員 の う ち 、
無 線 長 の 久 保 山 さ ん は 9 月 2 3 日 、 放 射 能 性 に 基 づ く 黄 疸 に よ り 死 亡 ( アメ リ カ 政 府 や 原
子 力 委 員 会 は 公 式 に は 、 い ま だ 久 保 山 さ ん の 死 を ビキ ニ 水 爆 実 験 に よる も の と は 認 めて
い ま せ ん ) 。 ビキ ニ 環 礁 で は 3 月 1 日 か ら 5 月 中 旬 ま で、 5 回 の 水 爆 実 験 が 行 わ れ 、 汚
染された日本の船は合計683隻にのぼりました。工ニウェトク環礁とは中部太平洋、マ
ー シ ャル 諸 島 に あ る 環 礁 。 第 一 次 世 界 大 戦 中 の 1 9 1 4 年 に 日 本 が 占 領 し 、 1 9 2 0 年 に 委
任統治領となり、ブラウン環礁ともよばれました。第2次世界大戦後期の1944年2月
に アメ リ カ 軍 が 占 領 し ま し た 。 戦 後 、 住 人 は 立 ち 退 か さ れ 環 礁 は 1 9 4 8 年 か ら 1 9 6 2 年
ま で 核 実 験 に 使 わ れ ま し た 。 1 9 7 0 年 代 に 住 民 が 島 に 戻 り 始 め 、 1 9 7 7 年 アメ リ カ は 、
汚染された土壌などの除去をし、1980年に安全宣言が出されました。1990年現在の
人 口 は 8 2 0 人 で す。 日 本 は 、 広 島 、 長 崎 で 核 の お そ ろ し さ を 知 っ て い る 国 で す。 核 実 験
の お そ ろ し さ を み な さ ん も 考 えて み て く だ さ い 。
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