生物工学会誌 第94巻 第11号 特 集 生命の完全な理解を目指して ―構成的遺伝学の提唱によるバイオインターフェイスの新しい視点― 青木 航 *・植田 充美 生命と非生命のインターフェイスはどこにあるのだ ろうか.生命を生命たらしめる最小セットの遺伝子・タ ンパク質・代謝物とはどのようなものなのだろうか. Watson と Crick による DNA 二重螺旋の発見以来,多く の知見が蓄積されてきたが,この問いには未だ答えるこ とができていない.数多くの研究にも関わらず,なぜ大 腸菌レベルでさえ,ブラックボックスの部分が多数残さ れているのだろうか.本稿では,現代生命化学の方法論 を再考し,そこに内在する課題を指摘するとともに,筆 者らが提唱する新しい方法論『構成的遺伝学』を解説 図 1.従来の分子生物学のプロセス する. 構成的遺伝学の提唱 分子生物学の研究プロセス 生命科学の一つの目的 は,研究対象となる生物学的システム(転写・翻訳・代 謝など)を理解することである. 「生物学的システムを テムを理解したといえるが,失敗した場合には何が足り ないのかを知ることは難しい. 分子生物学の研究プロセスでは,個別関連因子の探 理解する」という状況を正確に定義することは難しいが, 索・同定・解析(還元的手法)と再構成によるシステム Richard Feynman が述べた“What I cannot create, I do not understand”という標語に表されるように,対象を 因子に分解し,機能を解析し,in vitro で再構成し,モデ 理解(構成的手法)が相補的に用いられ,一つの到達点 ル化することができれば,その生物学的システムをひと 大な労力と時間が必要とされ,大腸菌レベルでさえブ まずは理解できたといえるだろう. ラックボックスが多数残されている.たとえば,大腸菌 として完全再構成に至る(図 1).しかし,従来の分子生 物学の研究プロセスでは,生物学的システムの理解に莫 さまざまな手法を開発してきた.それらの手法はすべて, ribosome 生合成プロセスはもっとも複雑な生物学的シ ステムの一つであり,60 年以上にわたり多数の研究が 2 種類の概念的枠組み―還元的手法と構成的手法―に分 なされてきたが,いまだその完全再構成は達成されてい 類される(哲学で用いられる用語とは少し異なる意味で ない. 生物学的システムを理解するために,分子生物学者は あることに注意) .還元的手法とは,研究対象となる生 構成的遺伝学 従来の分子生物学では,還元的手法 物学的システムに必要とされる因子を探索・同定・解析 と構成的手法を交互に繰り返すことで生物学的システム する探索的方法論であり,遺伝学やオミックスなどが相 の理解が進められる.しかし,このプロセスではブラッ 当する.還元的手法を用いることで,研究対象を複雑な クボックスを完全に明らかにするために莫大な労力が必 全体から個別因子に落とし込んで解析することができる 要とされることをすでに述べた.それではこの弱点を克 が,システムが全体としてどう働くかを理解することは 服し,生命科学研究をハイスループット化することはで 難しい.この欠点を克服するために,構成的手法が用い きないのだろうか. られる.構成的手法とは,還元的手法で同定された因子 筆者らは,従来別個の方法論として扱われていた還元 を組み合わせて,生物学的システムの in vitro 再構成・ 的手法と構成的手法の融合,すなわち,“因子の探索” システム解析・モデル化を試みる証明的方法論であり, と“再構成”を同時に行える方法論を開発できれば,上 合成生物学やシステム生物学などが相当する.in vitro 再 記弱点を克服できるのではないかと考えた.これは,研 構成と正確なモデル化に成功すれば,その生物学的シス 究の最初のステップとして生物学的システムの完全再構 * 著者紹介 京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻(助教) E-mail: [email protected] 科学技術振興機構さきがけ研究員 684 生物工学 第94巻 バイオインターフェイス(前編) 成を目指し,あとから生化学的解析やシステム解析を行 中央).PURE system は構成要素が完全に定義づけ うことを意味する(図 2).生物学的システムの全体像を られているので,生細胞やライセートのように何が 把握するというもっとも難易度の高いステップを最初に 入っているかわからないブラックボックスではな クリアすることが可能であるならば,各因子の機能解析 い.蛍光を持つ細胞は,研究対象となる生物学的シ も迅速化することができ,生命科学のスループットを大 ステムの機能に必要十分な遺伝子セットを含むと推 幅に向上させられるだろう. 定される. 技術である.人工細胞とは,脂質二重膜(liposome)内 4.蛍光を示す細胞を 1 細胞レベルで単離する.次世代 シーケンサーによる 1 細胞ゲノム解析を行い,複数 部に完全再構成型転写翻訳システム(PURE system1))を の蛍光細胞に共通して含まれる遺伝子を同定し,生 含む人工の構造体である.この人工細胞に遺伝子断片を 物学的システムの必要十分条件を決定する(図 3 右, 封入すると,それに対応したタンパク質を発現させられ 図の例では遺伝子 A と B が必要十分条件). 筆者らの提唱する新規方法論のコアが,人工細胞作製 る.この人工細胞を用いて以下の戦略を実行することで, 任意の生物学的システムの完全再構成が一度の実験で達 5.バルク実験系で再現実験を行うとともに,システム のモデル化を行い,in vivo における挙動と比較して, 生物学的システムの完全な理解を目指す. 成可能となる. 1.研 究 対 象 と な る 生 物 学 的 シ ス テ ム( た と え ば ribosome 生合成)が“機能した場合のみ”に蛍光を 発するレポーターを作製する. この方法論の特徴は,研究対象となる生物学的システ ムに必要とされる遺伝子を発見するという遺伝学的手法 を,生きた細胞を用いるのではなく,完全再構成型転写 2.一つひとつの人工細胞に,研究対象となる生物の全 翻訳システム(PURE system)を用いて実行することで 遺伝子ライブラリから遺伝子をランダムに分配し, ある.そのため,筆者らは本方法論を『構成的遺伝学』 人工細胞ライブラリを構築する(図 3 左).分配され と名付けた.また,この研究プロセスは従来の分子生物 た遺伝子群は,個々の人工細胞のゲノムと見なせる. 学のプロセスを逆向きにしたものであるため, 『逆分子 同時に,蛍光レポーターと完全再構成型転写翻訳シ 生物学』と呼ぶこともできる. ステム(PURE system)も人工細胞に封入しておく. 構成的遺伝学の実証 人工細胞ライブラリを 37°C でインキュベートし, タンパク質を発現させる. 3.FACS などを用いて人工細胞ライブラリを解析し, 蛍光を発する細胞が存在するかどうかを調べる(図 3 ȕ- ガラクトシド加水分解システムの再構成 構成 的遺伝学のコンセプトを証明するために,大腸菌の ȕガラクトシド加水分解システムをモデルとして,実証実 験を行った.この ȕ- ガラクトシド加水分解システムは, LacZ 遺伝子(ȕ- ガラクトシダーゼ)のみを必要十分条 件とするものであり,もっともシンプルなモデルである といえる.筆者らは,人工細胞と大腸菌全遺伝子ライブ ラリ(4123 遺伝子)を出発点とし,構成的遺伝学によ る LacZ 遺伝子の超高速同定を試みた. 構成的遺伝学を実行するうえで必要な要素は,全遺 図 2.構成的遺伝学のプロセス 伝子ライブラリと蛍光レポーターである.全遺伝子ラ 図 3.構成的遺伝学の戦略 2016年 第11号 685 特 集 イブラリとしては,奈良先端大学の森らにより構築さ 2) トが正しく働くことを証明するものであり,全遺伝子ラ れた,大腸菌の全 4123 遺伝子を含む ASKA library を イブラリを出発点として,研究対象とする生物学的シス 利 用 し た. 蛍 光 レ ポ ー タ ー と し て は,CMFDG テムが機能するための必要十分条件となる遺伝子セット (5-chloromethylfluorescein di-ȕ-D-galactopyranoside) を, 超ハイスループットに同定できることを示している. を選択した.CMFDG は ȕ- ガラクトシド加水分解シス 筆者らはこの成果を 6FLHQWL¿F5HSRUWV 誌に発表した 3). テムによって分解されると,蛍光を発する低分子化合物 生命の完全な理解に向けて である.次に,PURE system,100 ȝM CMFDG,5 nM Escherichia coli ORF library を含む人工細胞ライブラ 構成的遺伝学には解決すべき課題がいくつか存在す リを作製した.作製された人工細胞を顕微鏡で観察する る.たとえば,多数の遺伝子を必要とする複雑なシステ と,その平均サイズは 2.4 ȝm(平均体積は 7.2 fL)であっ ムの再構成を試みる場合,莫大な数の人工細胞ライブラ た.遺伝子ライブラリの濃度を 5 nM に設定したため, リを構築しなければならないことである.仮に 10 種類 平均的サイズの人工細胞にはおよそ 20 種類の遺伝子が の遺伝子を必要とする生物学的システムの再構成を試み ランダムに分配されていると推定される.重複組合せの る場合,各人工細胞に 4000 種類の遺伝子から 200 種類 公式から計算すると,4123 遺伝子からランダムに 20 種 の遺伝子を分配すると仮定すると,1012 個の人工細胞ラ の遺伝子を選んだ場合,そこに特定の一つの遺伝子が含 イブラリを構築する必要がある.より複雑な生物学的シ まれている確率は,0.48%である.次のステップとして, ステムに構成的遺伝学を適用するためには,人工細胞作 作製した人工細胞を 37°C でインキュベートして遺伝子 製方法の改良や,事前に候補遺伝子数を減らすといった を発現させ,FACS で解析した.その結果,E. coli ORF 工夫が必要になるだろう.また未知低分子が必要とされ library を含まない人工細胞では CMFDG 由来の蛍光は 検出されなかったが,E. coli ORF library を含む人工細 胞では,0.26%の人工細胞に蛍光が検出された.この値 は理論的予測値である 0.48%に非常に近い.さらに,蛍 るシステムに関しては,別個の解決策が必要とされるだ 光人工細胞,および,ネガティブコントロールとして非 待される 4,5). 蛍光人工細胞を単離し,含有されていた遺伝子を次世代 1.適切なレポーターと遺伝子ライブラリを準備すれば, ろう.しかしそれらの課題を解決することができれば, 本稿で提案する構成的遺伝学は,以下のような特性を持 つ,次世代生命科学における非常に強力な手法なると期 任意の生物の任意の生物学的システムの完全再構成 シーケンサーにより同定した.蛍光人工細胞に含まれて が達成できる. いた遺伝子に対してクラスター解析を行うと,すべての 人工細胞に LacZ 遺伝子が含まれて明瞭なクラスターを 2.構成的遺伝学を用いることで,少なくとも単一細胞 形成し,それ以外には共通因子は見つからなかった(図 レベルの生命現象に関しては,生物学的システムの 4).また,非蛍光人工細胞に対しても同様の解析を行っ 全貌を捉えてから詳細な反応機構を解析できるよう たところ,共通成分は一つも見いだされなかった.この になるため,研究プロセスのハイスループット化が 結果は,本申請で提案する『構成的遺伝学』のコンセプ 実現できる. 3.FACS や次世代シーケンサーなど,比較的普及しつ つある解析法を用いるため,さまざまな研究室で利 用しやすい. 文 献 1) 2) 3) 4) 図 4.蛍光陽性細胞の遺伝子クラスター解析 686 Shimizu, Y. et al.: Nat. Biotechnol., 19, 751 (2001). Kitagawa, M. et al.: DNA Res., 12, 291 (2006). Aoki, W. et al.: Sci. Rep., 17, 4722 (2014). 古村 峻ら(植田充美 監修) :ベンターの戦略,人工細 胞の創製とその応用,シーエムシー出版,印刷中. 5) 青木 航ら(植田充美 監修):人工細胞を用いた遺伝学 的および合成生物学的手法の融合,人工細胞の創製と その応用,シーエムシー出版,印刷中. 生物工学 第94巻
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