経済Ⅱ(月3 丸山) 練習問題解答例とか

経済Ⅱ(月3 丸山) 練習問題解答例とか
UPがおくれてしまい本当に申し訳ありませんorz。進級がかかっている人もいるという
のに…
ということでとりあえず前半分だけあげておきます。残りはおそらく30日です。ギリギ
リですが許して下さい。
経済Ⅱのシケプリは、授業で配布されたプリントに二題ずつ用意されている練習問題の
解答例という形にしました。資本論自体をまとめるには量が多すぎるし、プリントに最小
限(本当に最小限)の要点はのっているからです。ただ、以下の解答例を参照する際に
は、最低一度は資本論を一通り読むことをおすすめします。正直プリントだけでは不十分
です。読んでいないとなんのことを言ってるのかさっぱりわからないと思うし、練習問題
の丸暗記で点が取れるようなテストではないでしょうから。そんなわけで、表現はいちい
ちわかりやすく噛み砕いたりはしていません。資本論片手にどうぞ。
井上
1.次の三つの概念について、違いが明確にわかるように説明しなさい。
使用価値・交換価値・価値
使用価値:その属性によって限定されて商品が持つ有用性が生み出すもので、商品の確
定した量を前提として、富の素材的内容として現れる。使用価値は、使用または消費され
ることによってのみ実現する。
交換価値:ある種類の使用価値と他の種類の使用価値との交換比率として現れる量的関
係であり、そのためそれは絶えず変化する関係でもある。x量の商品Aの交換価値は、y量
の商品Bとして表すことが出来るが、このとき両者の交換価値は共通な第三の物に整約す
ることが可能であることから、交換価値を特徴づけるのは商品の形体的属性ではなくその
使用価値そのものである。
価値:交換比率または交換価値に現れている共通なもの。商品は抽象的に、人間的な労
働が対象化・物質化されることによって価値を持ち、その価値の大きさは、価値を形成す
る実体である労働の量によって決まる。この労働量とはつまり、社会的平均労働力や社会
的に必要な労働時間のことである。この価値は、使用対象でなくしては成立しない。
2.相対的価値形態と等価形態の関係について述べなさい。
相対的価値形態と等価形態は、同一価値表現の両極にある。相対的価値形態はその中で
能動的役割を、等価形態は受動的役割を果たすと言える。そして両者は、相関的に依存し
合い、交互に条件付けあっていて、切り離すことのできない関係にある。また、同時に、
相互に排除し合い、対立し合う関係でもある。
3.拡大された価値形態(第二形態)と一般的価値形態(第三形態)とを比較して、相対
的価値形態と等価形態のそれぞれにどのような違いがあるのか説明しなさい。
第二形態においては、商品Aの価値を表す為にその他の商品はすべてAの価値の反射鏡
として働き、無差別な人間労働の凝固物とみなされる。これが相対的価値形態と異なる点
は、商品Aの価値の反射鏡としてA以外のすべての商品を扱っていることである。一方、
第三形態は、価値形態の変化したものであり、そこでは価値形態は単純で統一的である。
そして、商品Aが一般的等価物となるということは、等価形態の役割がAに集中し、Aが
すべての他の商品と直接交換可能となることを意味する。つまり単なる等価形態との違い
は、直接的交換可能性を持つ商品が複数ではなく唯一であると言う点である。ここでは、
誰のどのような労働も商品Aという形で表現される。
(※この問題については正直あまり自信がありません。特に下線部。間違いとかがあるの
に気づいた人はすぐに教えて下さい。訂正します。)
4.一般的等価物の価値が、第二形態でしか表現出来ない理由を説明しなさい。
一般的等価を演ずる商品は、商品世界の統一的な、つまり一般的な相対的価値形態から
排除される。一般的等価形態にある何らかの商品が、同時に相対的価値形態にもなるとす
れば、商品A=商品Aという、価値も価値の大きさも何の意味もない方程式の成立を認め
ることになってしまう。(同一商品は同一価値表現において同時に両極に現れることはな
いため、これはあり得ない。)したがって、一般的等価物は第三形態にあるままではその
価値を表現することはできないのである。
5.商品世界においては、なぜ、人と人との関係が物と物との関係として現れるのか、そ
の理由を、「物神崇拝(物神礼拝、Fetischismus)」および「置き換え
(Quidproquo)」の二つの概念を用いて説明しなさい。
生産者同士の接触である労働生産物の交換の中で、労働生産物に含まれる私的労働の、
特殊的な社会的性格が現れ、その際に生産者の私的労働は社会的分業の一構成分子として
見なされて社会的に連結する。このことにより、人による生産物がそれ自身生命を与えら
れ、生産物間、および人間との間で相関係する独立の姿に見える。「物神崇拝」の概念に
よると、これがその理由である。
また、商品形態は人間に対して彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の社会的
性格として、社会的自然属性として反映し、また、総労働に対する生産者の社会的関係を
労働生産物自身の対象的性格として反映するために、人と人との関係の、物と物との関係
への転化が起こるというのが、「置き換え」の概念による理由説明である。
6.商品交換は、なぜ共同体の中ではなく、外で始まるのか、その理由を説明しなさい。
まず、商品所有者にとって商品は非使用価値であり、その非所有者に対してのみ使用価
値であるから、商品が価値として相互に関係し価値が実現されるには商品交換が必要なの
であるが、商品の譲渡が相互的であるためには、人間が商品の私的所有者として相互に相
独立した個人として対することが必要になる。しかし、一つの共同体の成員の間ではこの
ような相互に分離しているような関係は成立し得ない。したがって、一つの共同体とその
他の共同体との成員が接触する「共同体の外」において商品交換が始まる。
(※補足…物はひとたび共同体の対外生活において商品となると、すぐに共同体の内部生
活においても商品となる。交換が何度もくりかえされ、習慣化すると、「直接欲望を満た
すため(使用するため)の有用性」と「交換のための有用性」は別物として固定され、使
用価値は交換価値から分離する。同時に、交換される量的関係はその生産自身に依存する
ようになり、生産物を価値の大いさとして固定する。)
7.価値尺度と価格の尺度標準の違いについて説明しなさい。
貨幣が価値尺度として用いられるとき、その目的は、全く異なるものとして存在する無
数の商品の価値を価格へと、つまり観念化された金量に転化することである。一方で、価
格の尺度標準として用いられるときは、貨幣はこの金量を測る、つまり金量を一定の金量
で測ることが目的となる。したがって、金やその他貨幣としての役割を背負いうる商品
(金属)は、貨幣となる以前にすでにその金属重量という点で価格の尺度標準を持ってい
るとも言えるのである。貨幣が価値尺度として、また価格の尺度標準として機能するとき
はこのような違いが生じる。
8.商品の流通と貨幣の流通の違いについて述べなさい。
商品の流通は、商品ー貨幣形態ー商品ー…といった変態の序列が循環する総過程があら
われたもので、商品はその流通に際してその最初の形態変化で流通から脱落し、その流通
へは常に新しい商品が入り込むという仕組みになっている。一方で、貨幣の流通は循環と
いう形をとらない。貨幣は流通手段の機能のみが与えられ、それ自身では運動し得ない商
品を流通させる。そして、貨幣は流通手段としてはたえず流通部面で動き回り、脱落をす
ることはほとんどないと言ってよい。この点が商品と貨幣の流通の仕方の違いである。
9.黄金欲の対象としての貨幣と支払手段としての貨幣の違いについて述べなさい。
黄金欲の対象としての貨幣は、流通が中断した状態にありいわば退蔵貨幣である。その
ため、物質代謝の媒介という役割を放棄し、いつでも役に立つ、絶対的に社会的な富の形
態として貯蔵されることになる。一方で流通貨幣量の変動のために貨幣を保管し、ときに
は流出させたりして調整の役割の一端を担うこともできる。支払手段としての貨幣は、買
い手が売り手に対して負った債務を履行するためのものである。したがって、支払手段と
しての貨幣は退蔵貨幣と違って運動することになる。但しこの運動はすでに運動以前に完
了している売り手ー買い手間の取引を表現しており、その流通量自体は突き合わせによっ
て相殺し、一定量まで減らすこともできるというのが特徴である。