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【順天堂人のためのメンタルヘルス講座 第37回】
獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授 井原 裕
今こそ「仁」を問い直す
平成28年は、私どもメンタルヘルス関係者にとって最悪の一年でした。7月に相模原
障害者施設襲撃事件が発生。19人が犠牲になりました。被疑者は私たちに「障害者の
生命の意味」
を強く問いかけました。
そもそも人は、
未熟な状態で出生します。
他の動物なら生後間もなく歩き出しますが、
人は
歩くどころか、首も座らず、食べることもできません。何もできない障害者のように生まれてきます。
一方、去るときもまた、同じような状態です。介護に依存せずに生命を維持する期間の
ことを健康寿命といいますが、
それは寿命とイコールではありません。健康寿命と寿命の
差異は、男性で約9年、女性で約13年。人は自立度の低下した障害者として生涯を終えます。
人は、生後の1、2年と晩年の10年ほどは、
もっぱら人の世話になって生きる。
この事実を
多くの健康人は実感できないかもしれません。
しかし、冷厳なる事実として、人は誰しも
生涯の最初と最後に、
ひとりでは生きられない期間を持ちます。
その程度は、
重度障害者と
呼ばれる人と違いはありません。
人のお世話になって人生を始め、
その後再び人のお世話になって人生を終える、
これが
生きるということの意味です。すでに一人前になった私どもは、何もできなかった赤ん坊の
頃のことは記憶にありません。一方で、
自分が要介護高齢者となることも、想像できません。
しかし、
「自分だけは大丈夫」
と信じてはいけない。老、病、死という人生の宿命を免れる
人はいないはずです。いかなる英雄も自然の摂理には抗いようがありません。
「自分は
誰の世話にもならずに一人前になった」
といえば、親たちに叱られるでしょう。
しかし、
「自分だけは寝たきりにならない」
といえば、
やはり、子供たちに叱られるでしょう。
「障害者の生命の意味」、相模原事件はそれを問うているようにみえて、
じつは私たち
自身の人生の意味を問うています。生きるとは、
人の世話になって生まれ、
人の世話になって
死ぬということです。私たちは、人に助けてもらうことなしには生きていけません。人の
思いやりと慈しみにすがって、
やっと生きていけるのです。順天堂の学是「仁」
を今こそ問い
直す必要がありそうです。
<執筆者紹介>
▼東北大学(医)卒。順天堂大学講師、准教授を経て、2008年から現職。
日本の大学病院で唯一の薬に頼らない精神科を主宰。