平和への願い Ⅶ

いま、語りつぐ
平和への願い
Ⅶ
被爆アオギリ二世記念植樹式
並びに
平和特別講演会の記録
広島市提供
宝
塚
市
宝塚市教育委員会
★★★★
発刊にあたって
★★★★
宝塚市は平成元年(1989年)3月に非核平和都市宣言を行い、その後継
続して平和の催しを行うとともに平成6年(1994年)の平和モニュメント
の建設、平成15年(2003年)の核兵器廃絶平和推進基本条例の施行など
様々な平和施策を進め、平成21年(2009年)に非核平和都市宣言後20
周年を迎えました。これを契機に平和を願う諸都市との連携を深めるため、そ
の年の7月1日に平和市長会議(会長市:広島市)に、11月1日には日本非
核宣言自治体協議会(会長市:長崎市)に加盟しました。
翌平成22年(2010年)は、国連でNPT(核不拡散条約)再検討会議
が開催されるとともに広島・長崎が被爆65周年を迎える特別の年でもあり、
本市でも例年の平和の催しに加え特別事業として秋葉忠利広島市長(当時)を
お迎えし被爆アオギリ二世記念植樹式並びに平和特別講演会を開催しました。
ここにその植樹式並びに講演会の様子を「いま、語りつぐ 平和への願い
Ⅶ」としてまとめましたので、市民の皆様とともにこの冊子を通してあらため
て命の尊さ、平和の大切さの認識を深め、後世に伝えてまいりたいと思います。
☆☆☆☆
目
☆☆☆☆
次
1 発刊にあたって
1
2 被爆アオギリ二世記念植樹式記録
2
3 平和特別講演会記録
4
4 非核平和都市宣言文
33
被爆アオギリ二世記念植樹式記録
【と き】
平成22年(2010年)10月30日(土)午前11時~
【ところ】 末広中央公園
【参加者】 中川智子宝塚市長、秋葉忠利広島市長(当時)
、宝塚市議会正副議長、
親子市民代表2組ほか市民や団体約150人参加
☆☆☆☆
☆☆☆☆
被爆アオギリ二世とは‥‥
昭和20年(1945年)8月6日、爆心地から北東へ約1.3km、広島市中区東
白島町の旧広島逓信局の中庭で被爆したアオギリは、爆心地側の幹約半分が熱線と爆風
により焼けてえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で
青々と芽を吹きました。
その後、被爆アオギリは昭和48年(1973年)に平和記念公園に移植されました
が、“平和を愛する心”
、
“命あるものを大切にする心”を後世に継承するため、この被
爆アオギリが実らせた種を発芽させて育て、成長した苗木を「被爆アオギリ二世」と名
付けて国内外各地に配付され平和のシンボルとして植樹されています。
今回の植樹式の苗木も、広島市から寄贈されたものです。
植樹する左から村上議長(当時)
、秋葉市長(当時)
、
中川市長、石倉副議長(当時)
植樹する親子市民代表(三地さんご家族)
植樹する親子市民代表(山本さんご家族)
除幕した植樹プレートを見る両市長
植樹プレート
植樹する市民
植樹する市民
植樹会場(末広中央公園)
成長する被爆アオギリ二世
平成23年(2011年)8月30日撮影
平和特別講演会記録
【と き】 平成22年(2010年)10月30日(土)
午後1時30分~3時30分
【ところ】 宝塚市立文化施設 ソリオホール
【講 師】 秋葉忠利広島市長(当時)
【テーマ】 「核兵器のない平和な世界を目指して」
~21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代~
【参加者】 市民約200人参加
☆☆☆☆ ☆☆☆☆
《プロフィール》
1966年東大理学部数学科卒。マサチューセッ
ツ工科大大学院博士課程終了後、ニューヨーク州
立大講師、タフツ大准教授、広島修道大教授など
を歴任。1990年衆議院議員初当選。衆議院議
員3期目の1999年、広島市長に初当選。以来
3期連続当選。この間平和市長会議会長として国
連をはじめ世界各国での精力的な非核平和活動
秋葉忠利 広島市長(当時)
により、フィリピンの「ラモン・マグサイサイ
賞」をはじめ多くの平和賞を受賞。著書多数。
講演会場(ソリオホール)
【講演記録】
大変丁寧なご紹介をいただきまして誠にありがとうございます。広島市長の秋葉でござ
います。ちょっと風邪気味ですので声がお聞きづらいかも知れませんけれども、ご勘弁い
ただければと思います。
本日の「核兵器のない平和な世界を目指して」というタイトル、これは私たちの目的で
す。何故このタイトルが大事かというと、実現に向けた環境が整ってきている、つまり私
たちの力で問題を解決できる時代がようやくやってきたからです。やってきたという傍観
者的な見方よりは、ここに努力をされてきた方がたくさんいらっしゃる訳ですけれども、
そういう時代を我々の力で創って行く、ようやくその成果をこれから目に見える形で創っ
て行くことができる時代になった、そういうふうに言った方がいいんじゃないかと思いま
す。
そのお話をしたいんですけれど、まず最初に今日、私が宝塚市で受けた印象をいくつか
説明させていただきたいと思います。
1 宝塚市 ――創造・生活・平和・未来――
まず最初に、環境というふうに書こうかと
思ったんですけれども、COP101 を名古
宝塚市
--創造・生活・平和・未来--
屋で開いており、環境の話は名古屋でしてい
ますので、名古屋市にも敬意を表し、それと
環境はかなり世界的に都市のレベルで理解
されていますので割愛をしておきました。こ
こでは四つ言葉をあげていますけど、もう少
し詳しく私の持っている宝塚市のイメージ
を説明させていただきたいと思います。
今、中川市長さんからご紹介いただきましたけれども、我々は、中川さんを国会の中で
本当に宝物だと思ってました。その国会の宝物が宝塚市長になったんですから、これはあ
る意味自然な流れかなという気がしています。私は先程もご紹介にありましたように、大
学で教えていた期間が長いものですから、どちらかと言うと抽象的なことばっかり考えが
ちな人間なんです。特に数学は抽象的な学問ですから、公理から始まって定理を証明する
ことが仕事なのですけれども、その中で、国会の活動の中で中川さんをとても素晴らしい
と思ったのは、皆さんお一人お一人、中川さんを代表としている人、中川さんを選んだ納
税者、選挙民と言ってもいいでしょうし、支持者、市民、色んな言い方ありますけれど、
そういった一人一人の人間の生活を大事にする、生活に根の張った考え方を国会の中でき
ちんと主張している、それを政策にまとめて実現していく、そういう意味で本当に宝物だ
と思います。色んなことを勉強させていただきました。
実は、平和についても全く同じことが言えますし、それから世界を変えていく、社会を
変えていく上でもやはり大事なのは、私たち一人一人の生活です。生活だけではなくて、
命もあり、そして世界、世界にも命があるんですけれども、英語で言うとlife(ライ
フ)という言葉ひと言で全部表されるんですが、その生活ということがとても大事、それ
を私は中川さんから教わりました。その意味では、宝塚市民の皆さんはそういう宝物を国
会から取り戻して、自分たちの生活、自分たちのまちを創ろうという選択をされた訳です
から、まさに敬意を表したいと思いますし、素晴らしいと思います。国会の方で考えると、
ちょっと残念かも知れませんね。でも、全てのことが完璧にできる社会じゃありませんか
ら、宝塚のためには素晴らしいと思います。
それからもう一つ、宝塚のイメージ。これは文化と創造のまち。創造というところがと
ても大事だと思いますけれども、新しくものを創り出して行くまちだと思います。あの手
塚さんがいい例ですし、それから、宝塚の歌劇場もやはり新しい価値を創り出していくと
いう意味でとても大事な存在だと思います。その伝統が宝塚には生きているということが
とても大事です。
もう一つ加えると、その源は多様性にあります。都市の特徴は多様性にあるんですけれ
ども、そういう意味でも素晴らしい都市です。
それと生活というところに戻ってくると、女性市長、女性と男性とを比べると、大分世
の中変わってきましたけれども、我が広島県の湯崎知事が育休を取る、言葉が悪いですね、
育休というと休みという字が入ってますから、半分くらいは子どもを育てて、後はパチン
コをやっているというイメージに捉えられがちなんですけれど、子どもを育てるというこ
とは、決して休むことではなくて大変な仕事です。やはり教育の基本は家庭にある訳です
から、家庭みんなで兄弟も含めて家庭で教育をする、その基本的なところを始めましょう
ということで大事なんですけれども、今の日本の状況ですとやはり生活というところを一
番良く理解しているのは女性です。生活というところは、先程申し上げましたように、命
にもつながっていますので、女性市長が活躍しているまちというのは、大変大きな可能性
を持っているまちだと私は思います。
それから平和志向のまち。宝塚市では修学旅行に全部の小学生が広島まで来てくれる。
こういうことをして下さっている市というのは、日本広しといえどもそんなにたくさんあ
りません。それを長い間続けてきて下さったということは本当に有難いと思いますし、そ
れが今日のアオギリの植樹式にもつながっている訳ですし、未来につながっているという
点でやはり平和をとても大事にして下さっているということを感じています。
それから未来志向のまち。未来を創るということは若者を育てるということなんですが、
これは修学旅行もそうですし、これも広い視野から広島を選んで下さっていることもあり
ますし、若いタレントが一定期間宝塚にいて、宝塚というイメージをさらに膨らませてく
れながら世界的な活動をする、このような特徴のあるまちというのは世界にも少ないと思
います。
それから最後は、私が今まで何人かお会いした方は、限られているので例外はあるのか
も知れませんけれども、皆さん大変知的な方が多いまちだと思っています。
こういった素晴らしいイメージのある宝塚市なんですが、実はここに書いていたことは、
これからお話しすることの内容とピッタリ重なっています。どこでどう重なっているかは、
時間があまりないので説明できないかも知れませんが、これを頭に置きながら、ああそう
か宝塚のあそことここが重なっているというような形で理解をいただいた上で、さらに宝
塚の強みを生かして、これからの様々な活動につなげていただければ大変有難いと思いま
す。それでは早速次に移りたいと思います。
2 被爆者のメッセージは世界の行く手を照らす一筋の光
被爆体験継承・伝承の重要性
今日は被爆者のメッセージを中心にお話
することになります。被爆者のメッセージは
 被爆者のメッセージ
「こんな思いを、他の誰にもさせてはなら
ない」
被爆体験を表現する手段がない
苦しみを前向きのエネルギーに変える力
 米国の哲学者ジョージ・サンタヤーナの
言葉---Those who cannot rember the past are
世界の行く手を照らす一筋の光、これは平和
宣言の中で使った言葉ですけれども、未来を
きちんと示して下さっていると思います。そ
の内容なんですが、何故被爆者の皆さんの体
condemned to repeat it.
験を私たちが継承していくことが大事なの
「過去を記憶できない者は、その過去を繰り
返す運命を背負わされる」
か、その内容は何なのか。ほかのところは忘
れても、ここのところは是非覚えておいてい
ただきたいんですけれども、被爆者の皆さんのメッセージは、簡単に言ってしまうと、「こ
んな思いを、他の誰にもさせてはならない」
。こんな思いというのは被爆者の皆さんが経験
した事柄です。広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には別の言葉でこれが表現されて
います。
「安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから」。決意として述べられていま
す「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」ということと同じ意味です。青い字で
説明が書いてありますが、何故このようなメッセージが出てきたのか、一度考えていただ
けると大変有難いと思います。これは、抽象的なレベルで出てきた言葉ではありません。
自分たちの苦しみ、あるいは悲しみを、そして亡くなった皆さんの思いを、それを何とか
分かってもらいたい、経験のない人にも伝えたい、そういう思いが中々伝わらない中で被
爆者の皆さんが大変苦労をされた時代がありました。今でも伝えることは難しいんですけ
れども、それでも1940年代、50年代には比べようもないのです。40年代はアメリ
カ軍のプレスコード2 と呼ばれる規則があって、原爆についての情報は一切外に出すことは
許されませんでしたから当然何も伝わらなかったのです。その後でも中々伝わらなかった。
それには色々意味があります。例えば東京で空襲に遭われた方にしてみれば東京の空襲は
大変だった訳ですから、ああそうか東京の空襲と同じものなんだねという理解をしがちで
す。でもやっぱり違うんだ。東京の空襲の話を聴いても、やっぱり広島・長崎とは違うん
だということを言いたい、でも十分に伝えることができないような状況の中で、最後の最
後のぎりぎりのところで出てきた言葉が、「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」
なんです。その「こんな思いを」というのは経験です。
「他の誰にも」というところが大事
で、じゃあ原爆を落とした人たちにもそんな思いをさせてはいけないのかと言われた時に、
その人たちにもさせてはいけない程ひどい体験なんです。殴り合い、殴られたら殴り返す
くらいのけんかというのは子どもの時代。大人になってやってる人もいるかも知れません
が、その程度のけんかは割りに分かりやすいですし、それなりに許容範囲に入ると言った
らいいのかもしれませんが、そんな許容範囲というか常識は通用しない。仮にそれが自分
に対しこれ程苦しい思いを経験させた人間であろうとも、それが仮に邪悪な本当にひどい
意図で行われたにしろ、その人にでさえこういう経験を味わせてはいけないくらい厳しい
経験をあなた達はしたことないだろう、と言った人もいたくらいですし、それから最後に
はフラストレーションのあまりに、そんなこと言ったって原爆に遭わなくちゃこのことは
分からないんだとおっしゃる被爆者の皆さんもたくさんいました。でもそれを、いわば普
遍的な、世界中の誰にでも分かるような言葉、そして未来の世界を創る上で役に立つ言葉、
という形で表わすと、この「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という表現に
なります。これが被爆者の皆さんが長い間かかって到達された表現だと思います。このこ
との意味は、実は色々な人が別の形で表現しています。
皆さんは「歴史は繰り返す」という言葉をお聞きになったことがあると思います。
「歴史
は繰り返す」という言葉は多くの場合、悲観的に使われています。例えば、核兵器をなく
そうとか平和な世界を創ろうとか努力をしている人達を前に、冷笑的に、見下して俺の方
が現実を知ってるよ、お前達みたいな素人達には何も分からないよ、というような人が、
歴史は繰り返すんだからあんた方が努力したってまた同じことが起きるよ。まあ無駄なこ
とはやめとくんだな、みたいな形で使われることが多いんです。けれども、本当の意味は
そうではなく、ジョージ・サンタヤーナという哲学者が1905年に言った言葉が原点で
す。英語の得意な方は憶えていただけるとこれは使えると思いますが、「Those who cannot
remember the past are condemned to repeat it.」です。「condemned to」というところ
を訳すのが難しいんですが、要するに「過去を記憶できない者は、その過去を繰り返す運
命を背負わされる」という意味です。逆に言うと、過去の教訓を生かすことが人類にとっ
ていかに大事かということです。実はそのことを被爆者のメッセージが十分に伝えている
という点を皆さんに確認していただきたいと思いますし、これを機に、どういう活動がで
きるのか、そしてどういう活動をしてきたのかを報告したいと思います。
まず、被爆者の皆さんがこういう結論を出した中には、色々な経緯があるのですが、そ
の被爆者の皆さんのたどってきた道筋は「三つの足跡」というふうにまとめられます。こ
れは1999年の平和宣言の中で感謝の気持ちと共に述べたものです。まず第一に、仮に
死を選んだとしても誰も非難できない状況
被爆者の三つの足跡
 死を選んでも誰も非難できない状況の
中で、生きる道を選び、生き続けたこ
と。
 被爆体験を語り続け、三度目の核兵器
使用を阻止したこと。
の中で、生きることを選んで人間であり続け
た。これは、常識的に考えると当たり前のこ
とです。生と死とどっちを選ぶのかと問われ
て、生きる方を選ぶのが常識です。でもここ
で私が申し上げたいのは、原爆がつくり出し
た現実というのはその常識があてはまらな
 復讐や敵対という世界観を捨て、和解
の哲学を創り出し実践したこと。
いようなとんでもない状況だったというこ
となのです。それをこの言葉で理解していた
だきたいのです。実際に原爆後、意識を失って、意識を取り戻した後に自ら命を絶った被
爆者がたくさんいらしたという証言があります。川の中に入っていったとか、あるいは列
車に身を投げたとか、そういう例がたくさんあります。年配の方は憶えていらっしゃるか
も知れませんが、1982年のNHKの番組の中で、当時声帯模写で有名だった江戸家猫
八さん、彼は広島の被爆者なんですけれども、その猫八さんが列車で広島から離れる時に、
列車が5分置きにガタンといって止まってしまうので車掌さんに聞いたら、あれは被爆者
の方が身を投げたんだという、例えばそういう証言があります。そういう状況の中でやっ
ぱり生きることを選択するというのは勇気のいることですし大変な意志が必要です。そん
な大変な状況の中でそれでもやはり生きることを選んで生き続けた、そこから出発しない
と被爆者の皆さんのこれまでの苦しみの正体が分からないのではないかと思います。常識
が全く通用しない状況が創り出されてしまった中で苦しみ、悲しみ、そして生き続けた被
爆者の皆さんの立場を何とか理解しようとするというところが私たち多くにとって、とて
も大事なことじゃないかというのが第一の点です。
それから二つ目ですけれども、それ程ひどい状況ですから、8月6日あるいはその後の
何日、何ケ月、あるいは何年後でも思い出すということは被爆者にとってはとても辛いこ
とです。思い出すこと、それは即ちその時の経験をそのまま心の中で再現することですか
ら、再びあるいは三度その経験を繰り返すということになる訳ですから、思い出すこと、
ましてやその話をすることはとても苦しい。その苦しさにもかかわらず経験を語り続けて
下さった方がたくさんいます。事実いまだに原爆の時のことは話したくない、あるいは話
したくてもしゃべれないという方たちがたくさんいらっしゃいます。そんな中にあって、
勇気を持って話をして下さる方もたくさんいます。その話をすることによって核兵器をな
くそう、悲劇をなくそう、それこそ自分の人生の使命である、そこまで考えて努力をして
下さる方がたくさんいるということは、我々にとってはとても有難いことだと思います。
そういった努力がなければ、仮に逆のことを考えた時に、戦争や紛争が起こる度に、必ず
どこかで誰かが、
「核兵器使えよ」と言い始めるといった時に、仮に、広島や長崎の被爆者
の皆さんの大多数が、俺たちは原爆に遭ってるんだから、原爆に対して原爆を使うのは当
然だよ、核兵器を使うのは当たり前だよということを言い続けて、それが世界の世論だっ
たら、核兵器は世界で何回も使われて、その結果としてすでに人類は滅亡していても全然
おかしくない状況なんです。
ですから、そうではなくて、辛い思いを話しながら、先程申し上げた、
「こんなことは二
度と繰り返しては駄目なんだ、こんな思いを他の誰にもさせてはいけないんだよ」という
ことを訴え続けてきた積み重ねが、そういった道を人類に選ばせなかった。だから人類の
存続あるいは未来が、若い人にとって未来がある、その意味のかなりの部分が被爆者の皆
さんの努力に負っている、これはとても大事なことだと思います。
それから三つ目ですけれども、先程「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」と
申し上げました。かつてアインシュタインが言った有名な言葉に、原子爆弾ができて世界
は全て変わってしまった、しかし唯一変わらないのは人間の考え方、人間の世界観という
趣旨のものがあります。その世界観というのは、要するに敵対関係を基にした国と国との
関係です。しかし、そのアインシュタインが人類の考え方が変わっていないと言った、彼
が希望したこういう考え方があればいいというふうに希望したその考え方こそ、正に被爆
者の皆さんの「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という和解のメッセージで
すね。
それに対して、通常の、国と国との関係をいまだに縛っているのは、報復のメッセージ、
やられたらやり返す、俺の方が強いんだ、それが報復のメッセージですが、支配・被支配
のメッセージといってもいいかも知れません。それを超える人類の未来を創り出す上で非
常に大事な考え方を、被爆者の皆さんが苦労の結果、生み出してくれたということが三つ
目の足跡です。
それだけではありません。この65年間
に大変多くのことが起こってきています。
全部は時間がないので申し上げられません
が、最初の10年間は先程申し上げました
プレスコードというのがあって情報がほと
んど出なかった時代ですし、戦後の時代で
すから被爆者の皆さんの生活もそしてすべ
ての人々の生活も大変厳しかった。そうい
う時代がありましたが、1954年に杉並
区の主婦の運動から始まって、核兵器を廃
絶するための運動が起こりました。
色々なことがありましたけれど、ここで一つ大事なのは1963年に部分核停3 という大
気中での核実験を禁止するという条約ができたことです。1970年には核不拡散条約4 、
これは基本的には核兵器を持つ国を増やさないようにしようという条約です。もう一つ大
事なことがあります。核不拡散というと誤解が生じ易くなるのです。つまり今、核を持っ
ている国はそのままでいいよ、それ以外の国に増やすことはいけないんだという意味に、
ずっと使われてきています。ただ、この条約はそれだけを言っている訳ではなくて、核兵
器を持っている国は核兵器をなくすための努力をしなければ駄目だよとちゃんと言ってい
ます。でも核を持っている国は都合よく忘れてというか、忘れるふりをして余りやってこ
なかったということなんです。しかし、この条約ができたということはやはり非常に重要
です。
その他にも色々とありますが、後は少し飛ばして1996年、国際司法裁判所で、ゆる
い かく
い意味ですけれども、核兵器の使用あるいは核兵器を威嚇のために使うことは、国際法違
反であるという勧告的意見が出された、そのあたりが非常に重要な点だと思います。
3 核兵器廃絶は世界大多数の声
もう一つ大事なことは、今まで核兵器の廃絶をするために運動してきたたくさんの人々
がいます。しかし、その人々の声は正確には伝えられて来なかったのです。これはマスコ
ミにも大変大きな責任があるのでここのところは声を大にして言いたいと思います。核兵
器の廃絶なんてことを言う人は少数派だ、理想主義を言っているにすぎない、お題目だ、
現実的じゃない、だから無視して構わない、仮にデモがあったとしても何か新聞のタネに
なるような、例えば誰かと誰かが大げんかをして、仮に20人対20人でも新聞の大きな
記事になるけれども、対照的に5万人や10万人の人が核兵器廃絶のためのデモをしても、
2~3行しか新聞に載らないというような傾向が長い間ありましたし、それはまだ続いて
います。
う
の
ここは、余りマスコミの報道を鵜呑みにしないで、例えばインターネットを見るとかと
いうことで情報を得ていただきたい、核兵器を廃絶するという声は世界の大多数の声なん
です。これは個人だけではなくて、大多数の国がそういうふうに考えている。問題は、そ
れ程大多数の国や人が願っていることが、報道されてもいないし、実は実現されていない
ということなんです。
そこをどう解決して行くのかというところを我々は考えなくてはいけない。例えば、数
で言いますと、国連の加盟国は192ケ国、先程申し上げた核不拡散条約、これから簡単
にNPTって言いますが、これを批准しているのは190ケ国です。これは100%近く
です。改めて申し上げますと、NPTの第6条には明確に、核兵器を持っている国は核兵
器がなくなるために、簡単にいうと核兵器廃絶のために協議を始めなくちゃいけないとい
うことが書かれています。協議を始めるだけではなくてその結論を得ること、その結論を
あかつき
得た 暁 には国際的な管理の下に効果的な方法によって核兵器の廃絶をしなくちゃいけな
いんだよということが義務として書いてあるんです。それに賛成したのが190ケ国です
から、世界中の国のほとんどが実は核兵器の廃絶を望んでいるということです。
それから、さらに強く、非核兵器地帯条約5 の対象国と書いてあります。簡単にいうと、
日本の非核三原則6 プラス核を持っている国は自分の国を攻撃しないということを約束し
て下さい。それに賛成しないところもありますけれど、一番完全な形での条約というのは、
非核三原則プラス核兵器を持っている国がその条約に参加している国を攻撃しないという
約束をしたと思って下さい。そういう国が実は119ケ国、これも過半数で非常に多い。
これを一番最初に始めたのはラテンアメリカです。
それから、日本のリーダーシップで毎年行われているんですけれども、核兵器を廃絶し
ましょうという国連決議。
「究極的に」核兵器を廃絶しようという言葉が生ぬるいという批
判もありますけれども、それは置いておいて、生ぬるくても何でもともかく核兵器を廃絶
しようということに賛成している国が171ケ国あるという事実も重視しなくてはいけな
い。問題は、生ぬるいからそれを批判だけして無視するんじゃなくて、生ぬるいんだった
らもっときっちりしたものにしてもらうような努力をするということの方が建設的でしょ
う。生ぬるくても何でもともかく核兵器を廃絶をしようという国が171ケ国あるんです
から、それを期限付きにしてきちんとした条約を作って、それを実行しようよ。これだけ
長い間そういうゆるい形でも提案している日本政府なんだから、その次の段階としてもう
少しきちんとしたことをやって下さいよと言ったっていい訳です。批判ばかりしてたらそ
ういうことにはなりません。だから一応素晴らしいね、今まで少しゆるい形であっても、
日本政府、こんなに素晴らしい努力をしてきたし、みんなで応援するからもう一歩先に行
ほ
こうよという方が、おそらく褒められた方が外務省のお役人も喜んでやってくれると思い
ますから、そういう意味でも大切です。
それから、アメリカの世論調査でも6割から7割が核兵器廃絶を支持しています。これ
も色々な考え方があります。例えばアメリカの世論調査を見ると、国民の中のかなりの数
の人、6割から7割は、いまだに広島・長崎に対する原爆投下が正しいというふうに思っ
ています。それは最近の結果ですけれども、それも批判はいくらでもできます。こんなに
多くの人が原爆に肯定的だということにびっくりしている人もいるんですけれども、19
45年にも同じような調査が行われた時に核兵器の使用が正しかったというアメリカ人は
8割か9割です。それが、時間はかかったけれど今6割から7割に減ってきたことは、あ
る意味ではアメリカ社会も時間はかかったけれども、正しい判断ができる人が増えている
というふうに考えた方がいいですよね。核兵器の廃絶について6割、7割の人が賛成して
いる訳ですから、これもやはり大変大きなプラスの要素です。
核兵器の廃絶を実現することはアメリカ抜きにはできません。アメリカがどうしても核
兵器を捨てないと言ったら他の国はやっぱり核兵器の廃絶はしない訳ですから、アメリカ
をどういうふうに説得して、一緒に核兵器の廃絶をする側になって頑張ってもらうか、そ
の工夫をしなくちゃいけないということがとても大事なところだと思います。
地図で示しますと、非核兵器地帯条約、もう南半球全部そうなんです。ですからこれも
楽観的に言うと、あとは北半球だけですから、半分できているんだからあとは頑張りまし
ょうということですけれども、北半球でも段々、非核兵器地帯条約を結ぶ国が増えてきて
すうせい
います。これも世界の趨勢だと思っていいことだと思います。下に書いてある条約のカタ
カナですけれども、これは条約を作りましょ
うという合意がされた都市の名前が全部つ
いています。ですからペリンダバ条約という
のは、ペリンダバという所で、これはアフリ
カ地方ですけれども、そこで条約を作りまし
ょうという合意ができたということです。
実は今、大変いい兆候が出ているのは、こ
ういう世界の大多数の声が国連も動かして
いるということです。最終的には国連の枠組
みの中で条約を作っていくことが必要ですので、そのことをご報告いたします。
4 世界大多数の声が国連を動かした
今年の再検討会議7 、これは1970年にNPTができて最初は暫定的な条約だったんで
すけれども、永久に続く条約にしようという会議が1995年だと思いますけれども開か
れて、その時の規定で5年毎にどのくらい核兵器をなくすための努力が進んだか検証する
会議を5年毎に開きましょうということになり、それ以後会議が開かれています。ですか
ら今年はそれが開かれる年だったんですけれども、大変大きな成果が上がりました。
これに平和市長会議8 代表団を派遣してスピーチを行いましたし、各国の政府代表への要
請も行いました。それから平和行進もしましたし、ヒロシマ・ナガサキ議定書9 の採択を目
指して活動もしました。しかし最終的に一番大きな成果は、この再検討会議で最終文書が
採択されたということです。
2005年の再検討会議では最終文書は採択できなかった。最終文書っていうのは、こ
の会議が開かれてどういう成果が上がったのかをまとめる文章なんですけれども、その文
章ができなかったということは、会議は開いたけれども何も合意ができなかったというこ
とに等しい。ところが今回はきちんとした合意ができた。その合意の中に、非常に重要な
項目がいくつか含まれています。
パンギムン
ここにある左下の写真を見て下さい。金の折鶴を持っているのは潘基文国連事務総長です。
これは昨年(2009年)の8月6日に広島で開かれた平和記念式典に参列された皆さん
に金色の折紙をお渡しして鶴を折ってもらい、それを束ねて事務総長にお渡ししているの
が左下です。それから右下は、NPTの議長であったフィリピンのカバクチュラン大使に
私たちが集めた
署名をお渡しし
ている写真です。
こういった行動
もしてきました。
それから、これがタイムズスクエアから国連までの平和行進の模様です。それ以外にも色々
な行事がありましたけれども、これは写真を
一目見ていただければいいと思いますので
飛ばします。
その再検討会議の中で大変大きな役割を
果たしてくれたのが、潘基文国連事務総長で
す。彼は実は一昨年の10月に、核兵器廃絶
のための5つの提案ということをしてくれ
ています。ここに一つずつ書いてあることは
潘基文国連事務総長の5つの提案(2008年10月)
ニューヨークの国際連合本部で開催されたシンポジウムの基調演説
1 NPT締約国が軍縮義務を履行すること、核兵器禁止
条約の交渉開始を検討すること
2 安全保障理事会常任理事国が核軍縮の協議を開始
すること
どれも核兵器を廃絶するためには必要なこ
となんですけれども、このこととオバマ大統
領がプラハで演説した内容というのはほと
んど重なっています。潘事務総長のこの5つ
の提案の方がより明確で、政治的な意味とい
3 CTBT、FMCT、非核兵器地帯条約、IAEA追加議定
書等を通じて法の支配を強化すること
うよりは、国連という外交の場で実際に効果
4 核保有国が説明責任及び透明性を強化すること
を上げる上で、どういう手続きが必要なのか
5 他の大量破壊兵器の廃絶を含む核軍縮の補完措置
が必要であること という観点から大変よく整理されているこ
となんですけれども、内容はほとんど同じで
す。
その潘事務総長ですけれども、何度も繰り
返しておっしゃるのは「今こそ、行動の時だ。
全面的な核軍縮に向けて行動すべきだ」。そし
て平和市長会議の取組について大変高く評価
をして下さっています。
オバマ大統領の演説も非常に重要だったと
思いますけど、これも先程申し上げたように
世界の大多数の声を代弁しているというとこ
ろが大事ですし、内容については潘事務総長の発言と大体同じです。それは一番下に書い
てありますけれども、被爆者の皆さんや平和市長会議のこれまでの考え方ともほぼ同じで
す。
そのオバマ大統領がこれからどのくらい力を発揮できるかというところで、大きな鍵を
握っているのが、この全米市長会議10、USCMというアメリカの人口3万人以上の都市約
1,200が加盟している会議なんですけれども、この活動が大きな役割を果たすことに
なると思います。
この全米市長会議は、平和市長会議の活動をずっと支持してきてくれています。今まで
何度も2020年までの核兵器廃絶に賛成だという決議を満場一致で採択してくれていま
す。実は、一番最初にその話を聞いた時には、1,000もの都市が加盟している大きな
会議ですから、この会場よりも何倍も大きいようなところで1,000人以上の、市長だ
けじゃなくスタッフもいる訳ですから、そういう人がわさわさいる中で、議長がいて、「そ
れでは決議案の第1,385を採決します。賛成ですか」って、わーっと内容も分からな
いままに賛成して、それでは満場一致で賛成ですというような形で採決されていてもおか
しくはないなと思っていました。それで次の総会に招かれて行ったとき、この会議の議長
さんですとかアメリカの市長さんたちと色々お話をしましたし、スピーチもしてきました。
ところが、私が考えていた以上に、アメリカの市長レベル、自治体レベルでは、当時のブ
ッシュ政権の核兵器に対する考え方っていうのは、テロに対する戦争のために核兵器を使
ったっていいんだという声が平気で出てくるような雰囲気の中だったんですけれども、そ
れでも市長さんたちの考え方は大変しっかりしていました。
よく話を聴いてみると、核兵器を廃絶しようということについて、平和市長会議が提案
してから初めて気がついて賛成しますということではなくて、1970年代から核兵器の
廃絶を求める決議というのを、ずーっと繰り返してやってきている組織だということが分
かりました。もう一つ付け加えると、この全米市長会議というのは、アメリカのルーズベ
ルト大統領、ニューディールの時代にできた会議で、ニューディールの政策が実は草の根、
特に都市にとって不十分な点がたくさんあって、それを改善してもらうために都市が集ま
って大統領に提案をして、結果としてニューディールがうまく動いて都市にお金が回るよ
うになり、都市で雇用が生まれるようになった、その結果としてニューディールがうまく
いってアメリカの経済の再生が実現したというようなことで、アメリカの再生のためにも
大変大きな力を振るった会議なんです。
この全米市長会議が関心を持っているのは、一つはアメリカの都市も日本の都市と同じ
ひ へい
ように大変疲弊していますので、例えば一番最近では、アメリカの連邦政府が核兵器の近
代化のために使うお金をやめて、それを都市の活性化のために、そして雇用のために使う
べきだ、そういう決議を採択しています。それ以外に今年の6月の決議の中には、まず核
兵器禁止条約を締結するための協議をオバマ大統領のリーダーシップの下に始めて下さい、
その条約を締結した上で2020年までに核兵器の廃絶をして下さいというのが決議の一
番最初に入っている。それから三つ目はアメリカの上院に対する注文ですけれども、CT
BT、包括的核実験禁止条約11、それからもう一つSTART条約12、これはロシアとの間
の条約ですけれども、これを批准して下さいということも入っています。そして一番最後
ですけれども、オバマ大統領、アメリカの閣僚、それから国会議員の皆さんにはできるだ
け早く広島あるいは長崎、あるいは両方に行ってほしいということが入っています。
こういう非常に強力な団体が全米市長会議なんですけれども、今年11月に中間選挙が
ありますから、その時に改選される市長さんたちもたくさんいるんですけれども、アメリ
カの下院議員の中で、こういう市長さんたちの考え方を基にしてどのくらいの人が同じ態
度を持ち続けるのかということが一つの鍵になるということです。
それからもう一つ報告をしておきますけれども、今年
の1月にもこの全米市長会議に招かれて、ホワイトハウ
スに行ってきました。上の写真はそのホワイトハウスで
の写真ですけれども、オバマ大統領と私は、握手をして
一言話ができました。
「ぜひ広島においで下さい」という
ふうに言いました。彼の答えは、これも非常に簡単で誰
でも分かるようにということですけれども、単語にする
と四つなんですね。「I would like to come. 」「ぜひ行
きたいです。」というふうに返事をしてくれました。それ
以前のマスコミ等の答えは広島に行くことができたら、
あるいは長崎に行くことができたら光栄に思います、と
か、行けたらいいですね、みたいなことを言っていたん
ですけれども、ここでははっきりと、「I would like to
come.」
「 行きたいです。
」という意思表示をしてくれたんです。今度開かれるAPEC13の
時には時間がちょっと不十分で来られないということなんですが、いつか来てくれると思
います。
それから、下が全米市長会議の幹部の皆さんと外国から招かれたメキシコシティの市長
さんとフィレンツェ市の代表と、一番左側が全米市長会議の会長のカウツさんです。
それで先程2010年の再検討会議の最終文書が採択されたことが重要だと言いました
けれども、どういうところが重要なのかと言いますと、これは必ずしも義務として全ての
国がこういうことをしなくちゃいけませんよということではないんですけれども、核兵器
廃絶を求める国の意思を尊重しなさいということを言っているんです。こういうことを最
終文書の中で触れたのは初めてですし、それから市民社会の声に耳を傾けなさいというこ
とも言っている。これも初めてです。それからもう一つは、これまでの国連の色々な決議
は、これは日本が提案している核兵器廃絶の決議案もそうなんですけれども、期限を区切
っていついつまでに核兵器の廃絶をしなさいということは言っていないんです。そこが批
判をされる理由の一つなんですけれども、この最終文書では、期限を区切った核兵器廃絶
ということに賛成している国が大多数だということ、だからやりなさいというところまで
言っていないんですけれども、少なくともその事実は認めている点がとっても大事だと思
います。
それからもう一つは、核兵器禁止条約という法的枠組みを作ること、ただ単にお題目で
核兵器を廃絶しましょうと言うだけでは駄目で、法律的な枠組みを作らなくちゃ駄目なん
だというところまで踏み込んだ発言をしているということです。これだけ内容が良くなっ
たんですから、あとはこれを実現すればいいんですけれども、この中で一番大事になって
くるのが、やっぱり国際世論です。世論の力で各国政府を動かして、この一つ一つを実現
させるということをしなくちゃいけない。ですから世論喚起というのがこれからもっとも
っと大事になるということがそれで分かります。
もう一つ重要なのは、核兵器廃絶の緊急性。要するに期限をつけないでもともかくいつ
かは核兵器をなくそうよ、一世紀先になるか二世紀先になるか、まあその頃にはできるだ
ろうからそれまでには何とかしましょうよというようなことだったら賛成する人はほとん
どなんです。そうじゃなくて、10年間に核兵器を廃絶しましょうよ、あるいは20年先
にしましょうよと言ってる人を増やさなくてはいけないんですけれども、その大きな差、
一世紀先でも二世紀先でもいいですよと言う人と、いや10年先にしなくちゃいけないん
だという人の非常に大きな差の一つは核兵器廃絶の緊急性。核兵器が一旦使われたらどん
なに大きな被害が起こるのか、あるいは被爆者の声をどのくらい真剣に聴くのか、人類の
滅亡っていうことがどのくらい身近な問題なのか、そういう緊急性についての認識が余り
多くの人に認識されていないということから、一世紀先でもいいっていうような考え方に
つながるところがあるんですけれども、実はこの緊急性も大変幅広く理解され始めていま
す。
ここに書いてありますけれども、被爆者を含
めた多くの市民の皆さんはその緊急性を感じ
核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透
ています。それから都市レベルでもそのことを
 被爆者を始め市民、都市、平和NGO
感じてくれています。世界のリーダーの中でも
 平和市長会議
 全米市長会議、ラテンアメリカ自治体協議会等
国連事務総長はそのことをはっきり言ってま
すし、オバマ大統領もそのことは感じています。
 潘基文国連事務総長
 オバマ米国大統領
 核兵器廃絶を目指す各国政府
それから核兵器廃絶を目指す国の数も増えて
います。これも緊急性を理解してくれている国
大多数の声が国際社会を動かす最大の力に
が増えてるということです。
こういう好条件がありますので、大多数の声によって核兵器の廃絶が可能になるという
ことがますます現実味を帯びてきているというふうに考えていいと思っています。
5 市民の声を代弁する平和市長会議
その中で、平和市長会議はどういうこと
平和市長会議加盟都市数の推移
をやっているかということなんですが、こ
平成22年(2010
年)10月1
1日現在
平成22年(2010年)10月
年
別
1000
900
800
700
600
500
400
300
200
100
0
4500
累計
年別加盟都市数(左目盛)
860
4000
811
累計加盟都市数(右目盛)
3500
3000
601
554
2500
429
2000
300
1500
1000
2
1
9
8
2
25 30
1
9
8
3
1
9
8
4
58 49 37
1
9
8
5
1
9
8
6
1
9
8
7
74
56
27
1
9
8
8
4 10 12
1
9
8
9
1
9
9
0
1
9
9
1
1
9
9
2
1
9
9
3
90
500
17 9 6 9 36 22 17 12 23 27
1
9
9
4
1
9
9
5
1
9
9
6
1
9
9
7
1
9
9
8
1
9
9
9
2
0
0
0
2
0
0
1
2
0
0
2
2
0
0
3
2
0
0
4
2
0
0
5
2
0
0
6
2
0
0
7
2
0
0
8
2
0
0
9
2
0
1
0
0
年
の組織は1982年に、当時の広島市長だ
あ ら き たけし
もとじま ひとし
った荒木 武 さんと長崎市長だった本島 等
さんが二人で作られました。4,200以
上の都市が現在入ってます。会長は伝統的
に広島市長が務めることになっています。
どういう形で加盟都市が増えてきたかとい
うと、ご覧のように2004年から急激に
増えています。明後日、毎月の末に集計を
して次の月の1日に発表することになる
んですけれども、その集計でいきますと、
この次に発表する時には4,307都市だ
と思います。149ケ国・地域だったと思
います。いずれにせよ4,300を超えて
います。それが始まったのが2004年。
その理由は何故かといいますと、2003
年の10月に核兵器廃絶のための緊急行
動という計画を作りました。目標は202
0年までに核兵器を廃絶しようということなんですが、2020(にいまるにいまる)ビ
ジョン14、英語の名前はトゥエンティトゥエンティビジョンというんです。ここで英語の勉
強をすると、2020ビジョンというのは、2020年までのビジョン。ビジョンという
のは計画という意味なんですけれども、もう一つ、右目で2.0見えて、左目も2.0見
えるような視野を持っている人という意味です。ですから2020ビジョンというのは、
そういう2020年までの計画ですよというのと同時に、先が良く見える人達の集団です
よという、先の見えない人もいますから一緒に見ましょうよというような意味も含めてこ
ういう名前を付けました。
中間目標は、2015年までに核兵器禁止条約を制定する、その条約によって2020年
までに全ての核兵器を廃絶しようというのが目的です。
先程、世界的に危機感が共有されているということを言いました。色んな理由があるん
ですけれども、一つはやはり、9.11の同時多発テロがあってその後核兵器が使われる
可能性が大変増えた、そのことに憂慮した人が非常に多くいるということです。
それから、先程の2020ビジョンを世界の都市に呼びかけた際に、各都市がやっぱり
核兵器の問題で本当に痛切に感じているのは、一旦核兵器が使われたら、それは都市に対
して使われるだろうと、いや都市以外に使われるんだったら構わないと言っているのでは
なくて、やはりこれは戦争で効果的に核兵器やその他の兵器を使う訳だから大きな都市に
使ってくるだろう。まあ小さな都市も対象になるかも知れないけれどもやはり都市に対し
て使われる兵器である、都市としてはやはり手をつないでそれを何とか防がなくてはいけ
ない、という意識が大変強いことが分かります。
それからもう一つ大事なことは、核兵器は大したことがないという証拠としてしばしば
使われるのが、これは非常に残念なことなんですけれども、広島や長崎のその復興ぶりな
んです。広島は世界的にも美しい都市として今知られていますし、世界の旅行ガイドブッ
クの最大の出版社であるロンリープラネット社という会社が発行した世界の最も魅力的な
都市200のリストがあるんですけれども、日本からは3都市選ばれています。東京、京
都、広島なんです。その解釈の仕方は色々あるんですけれども、こういう解釈をする人も
ある訳です。いや核兵器なんて怖くないよ、広島に行ってごらんよ、核兵器使われたけど
今や世界の一番美しい都市の一つじゃない、いい都市になっているじゃん、核兵器なんて
通常兵器と差はないだろう、通常兵器で被害を受けたところだって広島よりひどいところ
がたくさんあるよ、ということを言う人がいますし、アメリカ人の中には、日本とアメリ
カの戦争でアメリカが勝ったことになっているけど、今のミシガン州の例えばディアボー
ンという都市なんですけど、これはかつてはビッグスリー15や自動車産業が盛んな頃は大変
豊かなまちだったんだけれども、今はもうスラム街が特徴になっているところで、その写
真と広島の写真を並べて、これはインターネットで並べて出してわざわざ私の所へ送って
きてくれた人もいましたけれども、これ見てごらん、戦争に勝ったのはアメリカだけれど
広島はこんなに繁栄してるじゃないか、核兵器のどこが怖いんだというようなことを言う
人がいるんです。
それに対する反論として、実は今ある核兵器というのは、広島、長崎に使われた核兵器
とは比較にならないくらい大きい核兵器がほとんどだということ、広島、長崎クラスの核
兵器でも、それがたった数発使われただけで塵が空中に飛散して、その結果として地球の
温暖化ではなくて冷却化ですね、太陽の光が届かなくなるニュークリアウィンター、
「核の
冬」というのが1980年代盛んに宣伝されましたけれども、その時の想定以上に小さい
数の核兵器で「核の冬」が訪れるということが、最近の研究で分かってきています。
それと同時に、例えばロサンゼルスのすぐ隣のロングビーチ、もとミスユニバースのコ
ンテストが開かれた所で有名なんですけれども、ロサンゼルスとロングビーチっていうの
は、世界の港湾の中でも最大級の港湾の一つです。そこに、コンテナに入れて核兵器が持
ち込まれて爆発時に世界的な経済に与える影響がどのくらいかを、アメリカのかなり保守
的なシンクタンクですけれどもランドコーポレーションが調査をした結果があるんですけ
れども、これも経済的にはリーマンブラザーズのショックで世界的恐慌になりましたけれ
ども、あんなものでは済まないくらい世界の経済状況が悪くなるということです。これを
二つ合わせると、一つは「核の冬」で食物がなくなって餓死する人が続々と増え、もう一
つは世界の経済状況が悪くなって結局仕事のない人がものすごく増えて、10年間に死ぬ
人の数というのは何兆という単位になる。世界の人口が今まあ50~60億くらいですか
ら、ちょっと単位が違うんですけれども、そういった研究結果が現在出てきています。
ですから、偶発戦争にしろ、あるいは意図的に使われた核兵器にしろ、その被害が非常
に大きいということは、最近の研究では我々の想像してきた以上だということが改めては
っきり分かってきている。これがもう一つ危機感の共有されてる理由の一つです。
それと、もう一つはテロですよね。これは非国家主体というような言葉も使われていま
すけれども、テロリストが核兵器を手にする可能性がある。その場合には、いつどこで使
われるか分からないというようなことがあって、それが人類の破滅に簡単につながってし
まうという危機感があります。
それからもう一つ。これは全く別の視点なんですけれども、もうちょっと倫理的道徳的
な立場で考えてみた時に、被爆者の皆さんの悲願というのは、やはり自分たちが生きてい
る内に核兵器のない世界を実際に見たいという思いを持っていらっしゃる方がたくさんい
ます。その皆さんのかなりの方は、そのニュースを自分が見てあの世にいる亡くなった被
爆者に伝えてあげたいんだ、そういう思いを持っていらっしゃいます。やっぱり人間とし
て、本当に生き地獄というような状況の中を生きてきた被爆者の皆さん、先程申し上げた
ような様々な形で人類の未来に対して、未来を確実にするためのメッセージを発してきた
被爆者の皆さんに対する私たちの責任として、被爆者の皆さんがお元気な内に核兵器をな
くす義務っていうのはやはりあると思います。
そのくらいのことは最低限人間としてしなくちゃいけないことなんではないでしょうか。
難しいことだからいいんだよということで済まされる話ではなくて、難しくても、しかも
世界の大多数の国も人も望んでいることなんですから、せめてそれを背景にして被爆者の
願いを実現する。そのくらいのことをしても罰は当たらないどころか、やはりそれは人間
としての最低限の義務であるというふうに私は思います。
そういったことを実現するために、平和市長会議ではいくつものことをやってきたんで
すけれども、例えばCANTプロジェクト16があります。核兵器が使われると都市が攻撃さ
れるという訳ですから、都市を攻撃目標にするなということを各都市に呼びかけて、それ
で署名を集めるというような運動です。先程の全米市長会議は、ロシアと中国とアメリカ、
自分たちの政府に対してこのことを要求しています。もう冷戦は終わったんだからお互い
都市を攻撃目標にするっていう国の政策は捨てて下さい、ということを全米市長会議とし
て申し入れをしています。
それと先程出てきましたヒロシマ・ナガサキ
議定書ということなんですけれども、京都議定
書17をご存知ですよね。これは環境の問題で大
変重要になった議定書。条約に対する付属文書
を議定書というふうに呼ぶんですけれども、先
程申し上げたNPTの付属文書としてこのヒ
ロシマ・ナガサキ議定書というのを付けられな
いかということで運動しました。
この議定書の内容というのは、ここに書いて
あるように、核凍結から始めて2015年までの核兵器禁止条約の締結、2020年まで
の核兵器廃絶の道筋を示すということにあります。実はこれは外交の専門家も交えて、こ
の言葉のとおりA4サイズ、1頁に収まるくらい簡単にした文章なんですけれども、それ
を国連に提出してそのまま採択してもらっても法律的に有効で外交文書としても十分通じ
るようなものを作りました。これを採択して下さいということで専門家の間を回って説得
をするという努力をしました。それがその議定書の内容なんですけれども、この議定書を
使って新しい市民運動が始まりました。
今年の5月のNPT再検討会議を受けて、7
2020核廃絶広島会議の開催(2)
【7月27日~29日】
「ヒロシマアピール」:核兵器廃絶への10の「決意」
けれども、2020核廃絶広島会議18というの
を開きました。この中で、具体的に色々なこ
・ 2020年までの核兵器廃絶に向け
行動する
とを決めたんですけれども、基本的にはやはり
・核兵器禁止条約の実現に向け交渉
を開始、核軍縮に関する会議の
2011年開催を求める
アピール発表
・全ての国に核兵器等軍事関連予算
の削減、人と環境への転用を求める
・唯一の被爆国として日本国政府に
先進的・積極的行動を求める など 月の末に広島市で、ちょっと名前が長いんです
33
先程出てきました最終文書にあるように新し
い法的枠組みを作ろう、つまり核兵器の禁止条
約というものを目指した運動を始めようとい
閉会式あいさつ
うことをここで決めたんです。ヒロシマアピー
19
ル というものを作って、この中で一番大事なのは二番目に書いてある核兵器禁止条約の実
現に向けて交渉を開始しようということ。そのために核軍縮に関する会議を2011年、
来年どこかで開きましょうということをアピールの中で決めています。これを色々な国の
政府に働きかけて、どこかの政府の主導で始めてもらおうというのが我々の今の目標です。
これは皆さん、ご記憶されていると思いますけれども、対人地雷禁止条約、これはオタ
ワでそういう会議が開かれて成功しました。ですからオタワプロセスというふうに言われ
ています。もう一つはクラスター弾。これも禁止条約ができました。クラスター弾の禁止
条約が始まったのはオスロです。ですからオスロプロセスというふうに言われています。
残ったのが核兵器ですけれども、核兵器禁止条約を締結するための会議をどこかで開くの
かが次の課題です。先日アルゼンチンで開かれた会議に出席しました。ラテンアメリカっ
ていうのは、先程申し上げましたがトラテロルコというメキシコの町なんですけれども、
そこで決められた非核兵器地帯条約、これは世界で初めての非核兵器地帯条約ですけれど
も、それを締結したという歴史がありますから、ある意味で、世界に先駆けて非核兵器地
帯条約を作ったラテンアメリカが今度はリーダーシップを再び握って、オスロそれからオ
タワに並んでアルゼンチンですからブエノスアイレスプロセスというのを作ったらどうか
ということをアルゼンチンの大統領と側近と、それから総理大臣、外務大臣に提案をして
きました。
現実になるかどうか分かりませんですけれども、仮にアルゼンチンがそういうことを考
え始めたら、日本政府としてもやはりアルゼンチンに負けてていいのか考えてほしいです
よね。そのプレッシャーをかけられるのは我々ですから、そういう情報をどんどん流して、
日本がそういうところで遅れをとってはいけないでしょう。オタワ、オスロじゃあ次は広
島でも長崎でもいいですし東京でもいいんですけれども、みんな「オ」が付いてますから、
アメリカの大統領もオバマさんですから、小浜市で日本政府の肝いりでこういうプロセス
を始めるなんていうことを外務省が提案したら世界中から拍手喝采されますし、小浜市だ
ったらオバマ大統領も来てくれるでしょう。そういうことを考えて行く必要があるんだと
思うんですが、ともかく来年どこかで会合を開きます。ということで今、色々な国の政府
にも働きかけ、NGOと連携しながら頑張っている最中です。
私たちがこういうふうに今、核兵器廃絶の大きな流れができているというふうに感じて
いるいくつもの事実があるんですが、一つは今年の広島の平和記念式典に潘基文国連事務
総長が初めて国連事務総長として参列して下さったことです。大変素晴らしい発言をたく
さんして下さいましたけど、その基本にあるのがそのお話の中にあったんです。朝鮮戦争
の時に彼はまだ子どもでしたが、自分の町が攻撃されて火災にあって一家で山の中に逃げ、
その山道を通りながら後ろを見たら自分の町が炎に包まれている、それが自分の戦争の経
験なんだ、その時にもう戦争を二度としちゃいけないということを決意しました。そうい
うふうに潘事務総長はおっしゃっています。その潘事務総長が、それを基にやはり核兵器
は廃絶すべきだという先程の5項目を発表してくれました。
8月6日の広島では、
「原爆投下の75周年(註:2020年です)には、再びこの広島
に一堂に会して、被爆者の皆さんと一緒に核兵器のない世界が訪れたことを一緒に祝いま
しょう」ということを潘事務総長は言って下さいました。彼は個人的にも信じていること
だし、国連の事務総長として公的な場でもそのことを実行するんだということをはっきり
とおっしゃっています。
それから、今年の記念式典には、アメリカのルース大使、そしてイギリスやフランスの
代表も来て下さいました。他の国の代表はそれまでに来てくれています。全ての核兵器保
有国の代表が一度は広島の平和記念式典に参列してくれたという事実が、今年で出来上が
りました。今まで最高の74ケ国の政府の代表の方が今年は広島に来て下さいました。こ
れもやはり、核兵器の廃絶に向けた流れができつつあるということの一つの証拠だという
ふうに思います。
その中でやはり、日本の政府には大きな役割を期待したいと思うんですけれども、実は
昨年の9月には鳩山さんが国連で、核兵器廃絶の先頭に立つんだと言っています。これは
国際公約としての発言ですから、重要だと思います。皆さん、PKO20国会の時のことを思
い出して下さい。PKO国会があって、結局PKOを始動させようという時に最終的に使
われた文句は何か。これは当時の小沢一郎さんが一生懸命言って、それでマスコミもそれ
に賛同して、結果としてPKOを海外に出すということになったんです。うたい文句は何
かというと、国際公約です。PKOを出すのは国際公約で実現しなくちゃいけないことに
されたのです。しかも日本は唯一の被爆国だというふうに日本政府は言ってる訳ですから、
国連で核兵器廃絶の先頭に立つというのはこれも国際公約ですから、やらなくちゃいけな
いことですよね。これもやってないからけしからんというよりは、大賛成です、やりまし
ょうよ、少し遅れているかも知れないけど応援するから、何でも応援できることがあった
らやりますから一緒にやりましょう、という形で少しずつ後ろから押してあげるというよ
うなことで、日本政府に奮い立ってもらえると素晴らしいと思います。
色々なやり方がありますけれども、一つは非核三原則の法制化、それから「核の傘」21か
らの離脱、これも「核の傘」からの離脱は難しいうんぬんということ言ってますけど、こ
れは潘事務総長が広島で言われた言葉の中で、「核の傘」こそ虚妄であって、核兵器をなく
すっていうことが、実は一番現実的な解決策なんだということをはっきり言っています。
そういう言葉を引用しながらこれは進めてもらいたいと思いますし、それからやはり政
府として、各国の首脳、特に核兵器保有国の首脳には、広島、長崎へ来て下さいというこ
とを率先して実行する、そして同時に核兵器等軍事関連予算の削減を求めて、これは潘事
務総長の言ってることと同じになりますけれども、世界にはまだ経済的な支援を必要とし
ている地域や国がたくさんある、例えば軍事費の何%かはそういうところに回すというこ
とで、それは経済の振興にも役立つし世界の平和にも役立つというようなこと、それを日
本国政府として積極的に始めるということも可能だと思います。
後で、ちょっとこれには別の意味が出てきますので申し上げますけれども、先程ご紹介
がありましたラモン・マグサイサイ賞22、これは私が代理としていただきましたけれども、
基本的には被爆者の皆さんの訴えが世界に通じているということの表れだと思います。そ
の結果として世界中の都市のレベルで、やはり広島、長崎の役割は大事だよという認識が
広まっています。その結果として、フィリピンでも、これからフィリピンとしてももっと
大きな役割を果たして行こうという自覚が生じてこういうことにつながったと思います。
何故そういうことを申し上げるかというと、一昨日、フィリピンのマニラにあるセント・
スカラスティカ大学という小さな大学の代表の方が広島にいらっしゃって、何を言って下
さったかというと、この大学でやはり核兵器の廃絶というのはとても大事だと思う、セン
ト・スカラスティカということですからキリスト教徒、カトリックの修道女の皆さんがた
くさんいらっしゃるんですけれども、副学長さんはじめ色々と相談して、平和市長会議の
活動は大事だし、またアジアには十分広がっていない、広げるためには拠点が必要だろう、
じゃセント・スカラスティカ大学の自分たちの大学の一室を平和市長会議の事務所として
提供して、そこに電話とかFAXとかコンピュータくらいは置いて、学生がたくさんいる
から先生の指導の下色々と仕事をするインターンとしての学生を一人、平和市長会議の仕
事をする人として任命をして、アジアでもっと核兵器廃絶のための運動を広げます、広げ
ることをやりたい。そのことを正式にお伝えに来ましたと、わざわざマニラから広島に来
て下さいました。
それは、被爆者の皆さんの65年間の努力、それからここにいらっしゃる皆さんも同じ
だと思いますけど、皆さんが努力して来られた核兵器廃絶の声が色々な形で世界的に伝わ
っていく、フィリピンにも伝わってそういった申し出になっている。それがさらに今度は、
核兵器保有国にも伝わって最終的には2020
年の核兵器廃絶が実現するだろうというふうに
私は信じています。
それから、ロシアにも行ってきたんですけれ
ども、ゴルバチョフ元大統領が来月広島で開か
れますノーベル平和賞受賞者世界サミット23に
必ず行きますよというふうに約束して下さいま
した。
上の写真は、モスクワ市長と話をして、モスクワ市長も全面的に平和市長会議の活動に
協力をすると約束してくれました。大変強力な政治家ですから、これで期待できるのかな
と思ったんですが、そのすぐ後に残念ながら失脚されましたので、後継者がどうなるか分
かりませんが。実はもう一つ別の流れがあって、ロシアの中でちょうど日本で言えば自治
大臣の立場に相当する人が、ロシアに2,000自治体があるけれども、そこで平和市長
会議に協力するようなことをやりましょうと言ってくれました。ついては平和市長会議の
説明をいくつかの会議で、2,000都市があるので州毎に会議を開くんですけれども、
当面、今計画されている四つの会議に出てきて説明をして、ロシアの都市に入ってもらう
ように計らうからということを約束してくれてますので、ロシアの都市もまた大変に増え
ると思います。
それから、これは先程申し上げたアルゼンチンで
す。トラテロルコ条約が出発点ですから、これを何
とか世界中に広げてもらいたい。それからラテンア
メリカの自治体協議会というのがあります。アルゼ
ンチンの自治体協議会というのは、日本で言えば、
全国市長会のようなものですけれども、そこでも協
力をしましょうということで、左の写真はその協力
するための協定書にサインをしているところです。
6 新しい市民運動の創造と成果
こういった色々な動きがあるんですけれども、これを支えているのは、実は皆さんの動
きです。市民運動のすごい動きがたくさん出ています。これが、Yes!キャンペーン24と
いうのが一つなんですけれども、先程申し上げましたヒロシマ・ナガサキ議定書。説明を
する時にわざわざ外交文書としてそのまま採択されてもおかしくない文書だと申し上げま
した。ですから外交文書としておかしくない文書ですから、普通の人が読んでも分からな
いです。でも内容は重いものですので、その内容が誰にでも分かるように絵本を作ってく
れたグループがあります。被爆者の方も含めて老若男女たくさんの人。黒田征太郎さんは、
ご存知の方たくさんいらっしゃると思いますけど、彼の協力でイラストを画いてもらって、
それを作って随分売れたんです。17,000部、本屋に並べないで17,000部売れ
たんだという話で、私も何冊か本を書いてるんですけれども、6,000部売るのも大変
です。とってもうらやましかったんですけれども、そのお金を使ってこのYes!キャン
ペーンとして全国のキャラバンをしました。どうしてるかと言うと、何人かのチームを作
ってミニバン見たいなのに乗って、4~5人でどこかの自治体に行く。アポを取っている
都市もあるでしょうが、アポなしでも市役所に行って、市長さんに会わせて下さいという
ことで市長さんに会って、実は我々は広島から来てヒロシマ・ナガサキ議定書というのを
国連で採択してもらいたいと思っている。その目的は2020年の核兵器廃絶です。当然
これは市長さん賛成ですよねと言って。うんそうだな、できるかどうか分からない、それ
は別にしても、でもできれば素晴らしいよねぐらいは、社交辞令で言ってくれた人もいる
はずです。でも誠実に言ってくれた方もたくさんいるはずです。署名をもらって今度は、
ところでご存知の市長さんを是非紹介して下さい、同じようなことをしたいと、というよ
うな形でどんどん広げていって署名運動をしてくれました。その結果が何と、日本の1,
778ある都市の内、1,166の市長さんからそういう署名を集めて66%、2/3です。
2/3だったら憲法の改正もできるぐらいのすごい数ですよね。しかも今までの日本の核兵
器廃絶運動で、こういうことをしたグループというのは、皆さんご記憶の中で恐らくない
でしょう。大集会をしたとか大きなデモをしたとか、原水禁25の大会で私は通訳してました
けど、第9回大会で分裂をしたとか何か色々大きな事件はありましたけれども、直接自治
体の市長さんのところへ行って、一緒にやりましょうよ、そのために署名して下さい、と
いうことをしたのは初めてです。
こういう新しい動きが起こっている。これはこれで皆さん色々考えた末おやりになった
んですけれど、皆さんも、先程申し上げたように宝塚は創造的な都市ですから、このYe
s!キャンペーンに負けないような何か楽しくて効果があって皆さんでできる運動という
のは必ず何か生み出せると思います。是非何か始めていただけると有難いんですけれども。
ということでこういう新しいキャンペーンが始まっています。それだけではなくて、ニュ
ーヨークでもキャンドルキャンペーンなんていうこともおやりになっています。これも素
晴らしかった。
全国の議会でも、色々と核兵器の廃絶のための決議をどんどんしてきてくれています。
一番率が高いのは都道府県ですけれども、市町村でももっともっと働きかけることによっ
て決議が増えると思いますので、皆さんにもご協力をお願いしたいと思います。
7 これからの取り組み
これからの取り組みの中で、先程申し上げましたように、11月にはノーベル平和賞受
賞者世界サミットを広島で開きます。有名な方がたくさんいらっしゃいますので、広島か
ら新たな発信をしたいと思います。
8 核兵器廃絶のため立ち上る都市
結局、市民、都市、市長、我々の出番だということを言いたい訳ですけれども、そのため
にちょっと、歴史を簡単に振り返りたいと思います。時間があまりなくなってきていて申
し訳ないんですけれども、何で都市とか市長が立ち上がるのか。これ、歴史が非常に大き
く関係しています。世界の歴史は悲劇の歴史
といってもいいんですけれども、その悲劇の
ほとんどには都市の名がついています。アウ
シュビッツ26、ゲルニカ27、イーペル28、ヒ
ロシマ。それはやはり戦争あるいは様々な災
害というのは都市のレベルで共有して、そし
てそこで癒し再生をするというのが、人間の
長い歴史の中で自然の単位としてそういう
いとな
営 みが行われてきた結果だと思います。その結果として、どの都市も同じようにこんな悲
劇が二度と繰り返してはいけないんだということを結論づけて行動してきてるということ
になると思います。
もう一つ大事なことですけれども、先程ちょっと申し上げた都市の創造力ということなん
ですけれども、都市の力の一番大きな源というのは多様性にあります。多様性があるから
こそ、創造的、クリエイティブになる訳ですよね。例えば変な話ですけれども、世界中の
全ての人がモーツアルトを大好きで、モーツアルト以外一切認めないというようなことだ
ったら、それは当然多様性がないことになる訳ですけれども、そういう世界だったとした
ら、当然ビートルズは現れなかったと思います。だからそういう意味では、新しいものが
生まれるためには多様性がないと駄目なんです。モーツアルトも大事です。天才です。け
れども、モーツアルトだけじゃなくて、やはり多様な価値観、その多様な価値が存在する
ために大事なのは、それを認める寛容性ということです。それが非常に重要で、その結果
として都市の活力が生まれるということです。色々な今の産業の例を見ると、都市の活力
がどのくらいあるのか測るのに一番簡単で一番正確な指標は何かというと、その都市の持
っている寛容度です。ということが、これはリチャード・フロリダというトロント大学の
先生の25年以上の研究の結果、最近分かったことです。ですからやはり寛容な都市、多
様な都市、クリエイティブな都市、それを創って行くことが大事で、世界の都市がそれぞ
れ違う立場から、それでも広島、長崎と一緒に核兵器廃絶をしようという結果になったと
いうことは、その多様性を基にして、その中でも普遍的な人類として踏み外してはいけな
い価値としてそれがあるんだということになりますから、これはさらに強力な意味を持つ
ということになるんだと思います。
もう一つ大事なことは、多くの場合、都市というのは国家の未完成な形というか、国家
が完璧な形なんですけれど、その未完全な形が都市だというふうに私たちは教えられてき
ています。その発想を逆転して、都市こそ理想的な姿だと考えて未来を描いてみるという
のも一つの方法じゃないかと思います。
そこで一番大事なのは、都市は武力を持たないということ、都市同士は戦争をしないと
いうことです。それが実はパラダイム29の転換というふうに言うんですけれども、もう一つ、
当面そこまで極端に動くことはできないにしろ、国連の改革の中で日本が常任理事国入り
するうんぬんということが大きな話題になっていますけれども、それ以上に、国連に下院
を作りましょうという方がもっと我々にとっては身近な存在になると思います。今の国連
総会はそのまま上院にするんです。下院には世界の都市の代表を入れる。半分くらいは悲
劇を味わった都市、それから枠の半分は大都市でいいと思いますけれども、そういう都市
からなる下院を国連に作るということを考える可能性ということも当然あるんじゃないか
と思います。
これを言っているのは実は私だけではなくて、イスラエルの外交の専門家のウリ・サビ
ールという人ですけれども、彼はパレスティナとの間の和平協定を結んだ人です。その人
が同じことを言っています。
9 2020年までの核廃絶 = 緊急かつ可能
それから、2020年までに核兵器を廃絶する大事な理由ですが、75年間は草木も生
えないと先程、植樹の時に申し上げました。やはり一人でも多くの被爆者の皆さんと一緒
にその日を迎えたいということが大事だと思います。2020年までに核兵器のない世界
を実現することは非常に重要で可能であるということと、それからパラダイムの転換で、
ここのところも説明したいのですけれども、名前だけ申し上げておきますから関心のある
方は読んで下さい。
10 パラダイムの転換
コーネル・ウエストというプリンストン大学の教授の書いた本で、日本語訳は「人種問
題」です。その中で「変革」のために大事な4原則の説明があります。簡単に言うと、変
革をする力は自分の中にある。だけどそれは歴史的な文脈で使わなくちゃ駄目だよという
のが一つ。二つ目は英語で言うとlife(ライフ)が大事だよということ。生活、生命
そして地球全体の生命それが大事だよ、でも身近なところから始めるんだよということ。
生活者の視点から始まる。ですから平和というのが大事だ。先程、中川市長の話をしまし
たけれども、彼女の姿勢はまさに二番目にぴったりだと言っていいと思います。
それから三番目は、変革の目的は未来のためにある、子どもたちのためにあるというこ
と。これは当たり前のことですけれども。
それから四番目は、リーダー。皆さんも色んな立場でのリーダーな訳ですけれども、リ
ーダーの役割として大事なのは、一つには因習に囚われない、古い枠組みに囚われない。
もう一つは、人間の中にある最善のものを引き出す力を持った人が必要である。その第一
歩として、人の話が聴けるのが、リーダーの役割だということです。
パラダイムの転換ということで、あと一つ説明をしたかったんですが、あまり時間があ
りませんから一つだけ、地球の温暖化の問題がありますね。例えばブッシュ時代のアメリ
カは全く冷淡でした。そこでアメリカの都市が立ち上がりました。連邦政府が温暖化の問
題に取り組まなくても、アメリカの都市一つ一つが温暖化の削減目標を作ってそれを実現
して、全ての都市が実現した、それはアメリカの連邦政府が実現したのと同じことになる
じゃないか、都市が、市民がグローバルな問題を解決する能力を持っているんだというこ
とを主張して、今、1,000以上のアメリカの都市がそれに協力をしています。オバマ
政権になって変わってきて、連邦政府としても力を入れていると思いますけれども、そう
いう考え方です。
それは、ただ単に温暖化の問題だけではなくて、核兵器の問題、人権の問題、食料の問
題その他全ての問題に当てはまる時代になってきているということが実は大事なところで
す。広島でも同じようなことをやっています。
11 2020年までに核兵器の廃絶を! 同時にオリンピックの開催を!
最後にその2020年、大事な年になりますけれども、核兵器が完全になくなった暁に
は、是非広島でオリンピックを開きたいということで、今年中に本当に手を上げるかどう
か決定をすることにしています。何とか手を上げることができるように努力をしています。
新しい形のオリンピックを是非提案したいと思っています。
色んなことが言いたいんですけれども、中川市長がいい提案をしてくれたんで、そこの
ところだけ触れて終わりにしたいと思います。大変いい基本計画案というのができたと思
うんですが、もちろんお金がかかります。広島市としては52億円負担すればできるとい
う話で、寄付金として組織委員会の集めるお金が、約1,000億円です。1,000億
円をどういうふうに作るんだという疑問が出てくるんですが、中川市長の提案では、例え
ば1,000都市が仮に協力したとすると、1,000億ですから1都市当たり1億円に
なります。10年間で集める訳ですから1年間だと1,000万円、仮にその都市の人口
が10万人だとすると、1,000万割る10万は100ですから、市民1人当たり10
0円の寄付を10年してもらえばいい。それは、1,000都市と言ってますけど、日本
の平和市長会議に加盟している都市は800あります。世界の都市で4,300ある訳で
すから、まあ1,000ということはないでしょうから仮に2,000とすると1人50
円でいい訳ですね。あるいは5年間だけ協力してもらえればいい。まあ100円の方が区
切りがいいですから世界中で、広島でオリンピックをするために、核兵器をなくすために
100円募金をお願いしますというのは、これは無理な話ではないと思います。という中
川市長の大変前向きの、しかも数字に裏付けられた提案に呼応して、これまでに応援者も
増えています。応援メッセージも平松大阪市長が一番熱心に応援してくれています。素晴
らしいメッセージを他の方からもたくさんいただいています。この関西地方の4政令指定
都市の市長さんたちからもメッセージもらいました。それから外国からもたくさんのオリ
ンピック賛成のメッセージが届いています。
最後に、先程クリエイティブなアイディアを出していただ
きたいと申し上げましたけれども、色々なことで是非、たく
さんの人じゃなくてもいいんですけれども、話を始めていた
だけると大変有難いと思います。ブログをお持ちの方は何で
もいいですから。今日、植樹式良かったですよ。あの4人家
族、宝塚市だけの代表じゃなくて、日本の代表として、ああ
いういい形で木を植えてくれたということ。すごいことじゃ
ないですか。やっぱり日本中にPRするということも可能で
すし、それから先程申し上げた、Yes!キャンペーンとい
うのは、今までの常識でいうと、市長さんなんて偉い人だか
ら直接行って会えるなんて思う人は少ない、我々の世代なん
てそのことを考えもしませんでした。でも、今の世代は変わってますから、影響力のある
人にどんどん働きかける。この間もありましたよね。ホリエモンか何かにツイッタ-で自
ばってき
分を売り込んで、何か主役に抜擢されるみたいなことがありますから。時代が変わってま
す。色んな人に働きかける、でもその前にやっぱりいい本を読んだり、いい映画を観たり。
映画を観るというのは話題作りにすごくいい話だと思います。それから、音楽を聞くとい
うのも良くて、私は再婚したものですから子どもが小さいので、小学生6年生の子どもに
は
や
最近流行っているグループの歌を教わりました。「9mm」(キューミリ)というグループ
なんですけれども、ご存知な方は少ないと思いますが、最後にその「9mm」の話をした
いと思いますが、
「9mm」の演奏している歌詞なんですけれども、映像は見ない方がいい
です。動画も出てるんですけれども、映像は非常に強烈なんですが、歌詞はすごく良くて、
どういうことかと言いますと、世界というのは見えないラインで区切られているつぎはぎ
だらけの世界地図、国境は歴史の傷跡でそれを治せる薬を探してる。国境というのは歴史
の傷跡なんだということで、その治療薬が必要だということを歌ってる。こういう感覚が、
今、子どもたちの間で流行ってる、若いロックグループの歌詞になっているということ。
これはやはり、我々の世代のメッセージが若い人たちにも伝わっているということだと思
います。
治療薬、その一つが平和市長会議です。皆さんにも治療薬色々ありますから、漢方もあ
れば西洋医学もありますし、指圧もいいかも知れないし、色々な治療薬があると思います。
それを皆さんに是非試していただいて、その古い歴史の傷跡を治して、日本で、核兵器の
ない世界を2020年までに是非創れたらと思います。
2020年のオリンピックには皆さん特別にご招待いたしますから、その際には是非お
いでいただきたいと思います。
せいちょう
どうもご清 聴 ありがとうございました。
【用語説明】
1
COP10 ‥‥COPとは、Conference of the Parties の略で、国際条約の締結国が集まっ
て開催する会議のこと。COP10は「生物多様性条約第10回締約国会議」の略
称で、2010年10月に名古屋で開催された。
2
プレスコード ‥‥太平洋戦争後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本における書物、
新聞などを統制するために発した規則。
3
部分核停 ‥‥部分的核実験停止条約の略で、1963年8月にアメリカ、イギリス、ソ連との
間で調印された、核兵器の大気圏内など一部での実験を禁止する条約。部分的核実
験禁止条約ともいう。
4
核不拡散条約 ‥‥核兵器の不拡散に関する条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty
略称
NPT)の日本語略で、核拡散防止条約とも呼ばれる。アメリカ、ロシア、イギリス、
フランス、中国を核兵器国と定め、核兵器国以外への核兵器の拡散を防止するとと
もに、各締約国には核軍縮に向けた誠実な交渉を義務付けている。また、原子力の
平和利用を各締約国の奪い得ない権利と定める条約。1970年3月に発効し、2
011年2月現在の締約国は190ケ国。
5
非核兵器地帯条約 ‥‥対象地域内での核兵器の開発、実験、保有、配備、使用を禁止する条約。
核兵器保有国による対象地域内への核兵器による攻撃や威嚇を禁止する内容も含
む。
6
非核三原則 ‥‥「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の三つの原則からなる、日本の国
是。1967年、当時の佐藤栄作首相が打ち出した。
7
再検討会議 ‥‥核不拡散条約再検討会議のことで、NPT再検討会議とも呼ばれる。1970
年に発効したNPT(核不拡散条約)の運用状況を振り返り、今後の行動計画を策
定するための会議で、5年に1度開催される。
8
平和市長会議 ‥‥1982年、当時の荒木武広島市長と本島等長崎市長の呼びかけで設立され
た国際的な自治体組織。世界の都市の緊密な連携を築くことにより核兵器の廃絶の
市民意識を国際的な規模で喚起し、核兵器廃絶を実現させるとともに、人類の共存
を脅かす飢餓・貧困・難民・人権などの諸問題の解決、さらには環境保護のために
努力することにより世界の恒久平和の実現を図ることを目的としている。2011
年3月現在、世界の4,500を超える都市が加盟。
9
ヒロシマ・ナガサキ議定書 ‥‥平和市長会議が2008年4月に発表した、2020年までの
核兵器廃絶に向け、各国政府等が守るべき具体的プロセスを示した外交文書。20
10年5月のNPT再検討での採択を目指した。
10
全米市長会議 ‥‥都市と連邦政府との関係強化、全米の効果的な都市政策の支援などを目的に
1932年に設立された超党派の組織。(The United States Conference of Mayors.
略称USCM) アメリカ国内の人口3万人以上の都市、約1,200が加盟してい
る。これまで6回、平和市長会議の取組への賛同決議を採択している。
11
包括的核実験禁止条約 ‥‥包括的核実験禁止条約(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty)
の略称がCTBT。宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核爆
発を伴う核実験等を禁止する条約。1996年国連総会で採択されたが、未発効。
オバマ大統領は2009年4月のプラハ演説でCTBTの発効推進を表明。
12
START条約 ‥‥アメリカとソ連/ロシアとの間で結ばれた軍縮条約。戦略兵器削減条約
(STrategic Arms Reduction Treaty)の略称でSTARTと呼ばれる。1991
年に第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)が結ばれ、2011年2月には新た
な戦略兵器削減条約が発効し、戦略核兵器の上限を1,550発、その運搬手段を
800にすることを定めた。
13
APEC ‥‥アジア太平洋経済協力(Asia-Pacific Economic Cooperation)の略称。アジア太
平洋地域の21の国と地域が参加する経済協力の枠組み。各国間の様々な問題を解
決し、相互の協力のもと持続的な経済発展を図ることを目的としている。
14
2020ビジョン ‥‥平和市長会議が2003年秋に策定した、2020年までの核兵器廃絶
を目指す具体的な行動指針(2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)
)
のこと。
15
ビッグスリー ‥‥アメリカの三大自動車メーカーで、ゼネラルモーターズ、フォード、クライ
スラーの三社のこと。かつてはアメリカ経済の根幹を担ってきたが、現在ではいず
れも厳しい経営環境にある。
16
CANTプロジェクト ‥‥2020ビジョンの主な取り組みの一つ。都市を攻撃目標にするな
(Cities Are Not Targets
キ ャ ン ト
略称CANT)プロジェクトのこと。市民が暮らす都
市を標的にすることの非人道性を訴え、政策変更を求めている。100万を超える
CANT市民署名が2010年のNPT再検討会議に提出された。現在、核兵器禁
止条約の早期実現を求める新たな署名活動を展開している。
17
京都議定書 ‥‥1997年12月に京都で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球
温暖化防止京都会議 COP3)で採択された気候変動枠組条約に関する議定書。
18
2020核廃絶広島会議 ‥‥2010年5月のNPT再検討会議の結果を踏まえ、今後の核兵
器廃絶に向けた活動方針を検討するため、平和市長会議と広島市が主催し、201
0年7月に開かれた国際会議。
19
ヒロシマアピール ‥‥2020核廃絶広島会議での核兵器廃絶の実現に向けた決意と提言を取
りまとめたアピール。核兵器禁止条約の実現に向けた交渉の即時開始、核軍縮に関
する特別な国際会議の2011年開催など10項目が盛り込まれている。
20
PKO ‥‥国際連合平和維持活動(United Nations PeaceKeeping Operations)のことで、紛
争においてその平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に紛争解
決を促す国連の活動。略してPKOと呼ばれる。
21
核の傘 ‥‥核兵器保有国がその核兵器を背景に自国や同盟国の安全を保障すること。また、日
本が核兵器を持たなくても、安全保障条約を締結しているアメリカの核兵器によっ
て核の抑止力が得られるという考え方。
22
ラモン・マグサイサイ賞 ‥‥フィリピンの発展に貢献した故ラモン・マグサイサイ大統領を記
念して創設された賞。アジア地域での社会貢献などに尽力した個人や団体に贈られ
ている。アジアのノーベル賞とも言われ、2010年、平和・国際部門での功績に
より秋葉忠利広島市長(当時)が受賞した。
23
ノーベル平和賞受賞者世界サミット ‥‥ノーベル平和賞受賞者が集い、平和創造、非暴力・紛
争の分析、社会環境問題等の分野における世界的な課題を議論する重要な行事とし
て位置づけられ、第1回サミットは1999年にローマで開催。2010年11月、
アジアで初めて広島で開催され、各国政府の核兵器禁止条約の策定に向けた行動開
始などを求める「広島宣言」を発表した。
24
Yes!キャンペーン ‥‥「核兵器廃絶にYes!」をコンセプトにした市民運動。平和市長
会議の取組に賛同し、ヒロシマ・ナガサキ議定書を解説する絵本を制作。全国の自
治体首長を訪問してヒロシマ・ナガサキ議定書のPR、自治体首長への賛同署名活
動などを行った。
25
原水禁 ‥‥1954年の第五福竜丸の被曝を契機に原水爆禁止の運動が始まり、1955年、
第一回原水爆禁止世界大会が開催された。
26
アウシュビッツ ‥‥第二次世界大戦中、ヒトラー率いるナチスドイツの人種差別的な抑圧政策
により、多くのユダヤ人が虐殺された強制収容所のあったポーランドの都市名。強
制収容所名でもある。
27
ゲルニカ ‥‥1937年のスペイン内戦中に、ドイツ軍の爆撃等により壊滅的な打撃を受けた
スペインの都市。
28
イーペル ‥‥第一次世界大戦中、ドイツ軍と連合国軍の間で長期間戦闘が繰り返され、一時廃
墟となったベルギーの都市。2007年に「2020ビジョンキャンペーン協会」
を設立し、加盟都市等に対する寄付の呼び掛けを行っている。
29
パラダイム ‥‥ある時代における、支配的規範となる物の見方や捉え方のことで、一般的には
模範や範例を意味する言葉。しかし、時代の変遷により物の見方や捉え方が変化す
ることがあり、この変化を「パラダイムの転換」などという。
非核平和都市宣言
青くすみきった空、清らかな武庫川の流れ、緑あふれる六甲・長尾の山々・・・。
この素晴らしい自然と明るくおだやかな暮らしは宝塚市民すべての願いです。
このような私たちの願いに反し、世界では依然として、人類同士の悲しむべき争
いが絶えず、しかも地球上の全生命を滅ぼすことのできる核兵器が蓄積されてきま
した。
しかし、人類の平和への切実な願いが全世界に高まり、大きなうねりとなっ
て、ようやく戦略核兵器の縮小や、各地域の紛争解決への明るい兆しが見えよ
うとしています。
私たちは、このようなときにこそ、戦争を、そして核兵器をなくし、世界の
恒久平和を強く願わずにはいられません。
ここに、宝塚市は憲法の平和精神に基づき、恐るべき核兵器の廃絶を願い、永遠
の平和社会を築くことを誓い、
「非核平和都市」とすることを宣言します。
平成元年(1989年)3月7日
宝
宝塚市平和モニュメント「火の鳥」
塚
市
いま、語りつぐ
平和への願い
Ⅶ
平成23年(2011年)10月発行
編集・発行
宝塚市総務部人権平和室人権男女共同参画課
宝塚市東洋町1-1
電話 0797-71-1141(代表)