マシュ・キリエライトは藤丸立香の夢を見るか? ID:112365

マシュ・キリエライト
は藤丸立香の夢を見る
か?
三柴 樹
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小説の作者、
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︻あらすじ︼
大体タイトル通りのマシュがもしも主人公の夢を見ていたとしたらという話です。
︵6章ぐらいまで到達してから読むことを推奨。
考察その他としては甘い部分があるかもですがその辺り所謂﹁よその子設定﹂として
捉えられると鼻をほじりながら読めます︶
起︵夢1、1︶ ││││││││
目 次 承︵2︶ │││││││││││
1
い話 │││││││││││││
かもしれないしどうでもいいかもしれな
Extra あったかもしれないしない
結︵※途中まで︶ │││││││
転︵夢2︶ ││││││││││
4
18
27
39
起︵夢1、1︶
﹂
?
なは帰っちゃったし。いや、まぁ最初は面白がって待ってたんだけど﹂
﹁そりゃこっちの台詞だって。あんたがいつまでたっても起きないから、もう他のみん
目を手の甲でこすりながら、わたしは起こしてくれたクラスメートにそう質問する。
ぼやける視界。椅子に座ったまま思いっきり上体を伸ばすと、自然と欠伸が出た。右
﹁うあー⋮⋮もうこんな時間
やると、短針は5の数字を示していた。
げるチャイムの音は聞こえてこない。教室の中、黒板の上にかけられている時計に目を
る生徒の声や、吹奏楽部の管楽器の音が聞こえてくるけれど、放課後のSHR終了を告
パシン、と頭が叩かれて、そこでようやく目を覚ました。グラウンドで練習をしてい
﹁おぉ∼い、だから起きなって﹂
る。
色の夕日の光が目の中に差し込んできて、思わずまたまぶたを閉じてしまいそうにな
わたしを呼ぶ声がして、それからトントン、と肩が軽く叩かれる。薄目を開けると橙
﹁おーい、起きなよリツカ﹂
1
﹁それで、最後まで面白がって待っててくれた、と⋮⋮うわーん素敵ー愛してるー
﹂
て、わたしは﹁げぺ﹂とかなんとかカエルみたいな声を出しながら床に不時着した。
立ち上がり、抱きつこうとした私の頭に手刀が叩き込まれる。正確無比な迎撃に対し
!
﹂
抱きつくの﹂
﹁⋮⋮あのねぇ⋮⋮むやみやたらに人に対して直接的なスキンシップを取らないって、
親に言われなかった
﹁しなかったしなかった。だからもっかいチャレンジしてもいい
?
?
すいません大丈夫です、だからその指の骨を鳴らすのはやめてすごく怖いから
﹁そう。頭に加える衝撃が足りなくて、また直ってないみたいね﹂
﹂
﹁あ
!
これでも改善の努力はしてるけどまだまだだと思ってるんだけど。そんなに
の二点は本当あんたらしい。あぁ、そういえば眠くて廊下で行き倒れる、も追加かな﹂
﹁あんたっていっつもそうだよね。変わんないとも言えるけど。よく寝る、ベタつく、こ
を1つ吐き出していた。
頂面、そのどちらも該当しそうな顔つきは少しばかり和らいで、それから大きくため息
頭を両手でガードしながら、攻撃態勢に入ったクラスメートを見上げる。無表情と仏
!
?
﹁誉めてないから﹂
誉められちゃうと照れるなー﹂
﹁そう
起(夢1、1)
2
﹂
さっきと同じように手刀は飛んでこなかったが、今度は言葉の刃で一閃された。茶化
したのはこっちの方が先だから、当然といえば当然なんだけれども。
﹁ところで、さっきからその両手で写真を撮るようなポーズは何の真似なわけ
わぶっ
﹂
﹁そりゃ勿論、この地面に横たわった体勢から見える白いはなぞのを激写しているので
?
3
!?
さん自身の弁によればこれは男装衣装であって、臀部に関しては芸術性の発露であるら
を隠すための目的をあまり発揮していないように思えるスカートではあるけれど、ネロ
例えばネロさんは赤いドレスを身に纏っている。臀部が半分露出しているのと、下着
ただ、カルデアに召喚されたサーヴァントが増えてからは、それは変わった。
だ。そこに色彩やお洒落という感覚なんてものは、殆どないに等しかった。
たし、マスター候補生に支給された標準の制服型魔術礼装も白を基調としているもの
アの職員は所長やレフ教授といった一部の人物を除いて制服を着ていることが多かっ
ただ、鮮やか、というのはやっぱり色彩の問題で。わたしがそうであるようにカルデ
以外のマスター候補生もいた。それなりに賑やかではあったのだ。
リギリの数ではなく、予備スタッフなどが存在する程度には人的余裕があったし、先輩
てから、食堂を利用することがなかったわけじゃない。そのときは今と違って職員はギ
賑やかではなく、鮮やか。無菌室を出て、カルデアの内部で自由に動くことを許され
そしてもう1つ、食堂の中も鮮やかになった。
先輩とレイシフトを行うようになってから、鮮やかな外の景色を見ることが増えた。
承︵2︶
承(2)
4
しい。
もう1人、今現在先輩の隣に着席して先輩に﹁はいあーんです、旦那様﹂と言ってい
る清姫さんは、和服を着用している。どうやら日本の伝統的な衣装の1つらしく、佐々
木小次郎さん曰くあぁいった服装を着たおしとやかな女性を﹁雅﹂と言ったりするらし
﹂
い。⋮⋮ただ、先輩にあんな風にベタついている今の清姫さんにそういった言葉が当て
はまるかどうかは、正直微妙なところだと思うけど。
﹂
?
﹄と質問を書き込んで
?
⋮⋮タマモキャットさんの言うことは、結構よくわからない。バーサーカーだから、
いるような主婦のソレだぞ
持ちすぎているような気がします。これは不倫なのでしょうか
﹁うむ、しているな。具体的にはネット上の知恵袋に﹃最近旦那が私以外の女性と関係を
う。
見なくてもわかる。多分いまのわたしの顔は、同じくらい沈んだ表情をしているのだろ
そう口にした自分の声は、自分でもはっきりとわかるぐらいに沈みこんでいた。鏡を
﹁⋮⋮そんな表情してたんでしょうか、わたし﹂
少し目線を上にあげると、そこにはニヤニヤと笑うタマモキャットさんの顔があった。
背後から声をかけられる。振り返ると、まず視界に入るのはメイド服。次に獣の手。
﹁そこなマシュマロ、何を物憂げな顔で悩んでいるのだ
?
5
と言ってしまえばそれは当然なのだろうけど、同じバーサーカーでもこの人の言うこと
は特によくわからない気がする。
返事をする前にタマモキャットさんはトレーをわたしの隣におき、﹁いただきますだ
﹄と赤文字が記されていた。
﹂
キャッ
ツ
ワン﹂といって食事を開始する。トレーの上に載っているのはオムライス1つで、ケ
チャップで﹃ご主人様
﹁それ、エミヤ先輩が作ったんですか
ただの一度も理解
?
再び、後ろから。今度は嗜めるような声が聞こえた。エミヤさんの声だ。
﹁││誰がカルデアの主夫だ、誰が﹂
オカン
のご主人の主婦の日課なのだな﹂
でカルデアの主夫をサポートする意味合いでも、料理ができるなら自分で作るのが未来
オカン
はされないかもしれないがアタシは知っている。それはつらい。とてもつらい。なの
アレは常に独りカルデアのキッチンで料理を作っている故な
﹁おう、疑問形に疑問形で返されてアタシは悲しい。だが答えよう。Bad.
?
?
﹂
?
?
はぁ、と聞こえた深いため息はエミヤさんの物だろう。
嗜めたところで、タマモキャットさんはエミヤさんをオカンと呼ぶことをやめない。
まっても構わんのだろう
﹁おう、噂をすればオカンが出たのだな 心配するな││別に、料理を自分で作ってし
承(2)
6
⋮⋮正直、わたしも先輩と同じ見解で、エミヤさんがオカンと呼ばれることにはそれ
ほど違和感を感じないのだけど。
﹁人手が足りない、つまるところこの猫の手を借りたいほど苦難だと言うのだな し
では人手が足りていない﹂
も手伝ってほしいんだが。君の料理の腕は確かだ。正直なところ私とブーティカだけ
﹁⋮⋮まぁ、それは構わないのだがね。出来れば自分のだけと言わず他の人の分の料理
7
またまたエミヤさんが本日三度目のため息をつく。二度ある事は三度ある、というら
バーの顔は三個以上ある。不思議ダナー﹂
﹁あ い 分 か っ た。仏 の 顔 も 三 度 ま で、次 回 ま で は 満 面 の 笑 み で 拒 絶 し よ う。だ が セ イ
う﹂
確かだ。君の言うとおり、本当に猫の手も借りたくなったときにまた声をかけるとしよ
﹁わかったよ。まぁ、まだギリギリのラインではあるがどうにかなっているというのも
て、タマモキャットさんは相変わらず満面の笑顔だった。
人の様子を見ると、エミヤさんは片手で頭を抱えたようにしながら悩んだ表情をしてい
さっきよりも深いため息がエミヤさんから漏れる。わたしから右側に座っている二
がてっとり早いニャンと﹂
かし名無しよ答えたはず。ご主人に近づくライバル、一網打尽にするのには一服盛るの
?
しいけれど、タマモキャットさんと会話をしているとエミヤさんは四度目以上のため息
をつくことがありそうだ。
さい、エミヤ先輩﹂
﹁あ、あの⋮⋮もしよかったらわたしも手伝いますので。とりあえず元気を出してくだ
どこか疲れきった感じのまま、エミヤさんはわたしに向かって笑って返答する。厨房
﹁すまないな。そう言ってくれると助かるよ﹂
での料理の話、という平和的な話題のはずなのに、その笑顔は何故か戦場でどうにか生
き残ってきた兵士みたいな表情だった。
今ならオカンが聞いてくれるぞ
﹂
﹁ところでマシュ、先程はするりとはぐらかされてしまったが何か悩みがあるのではな
いか
?
かかりそうだ。
口一口丁寧に箸で食べさせているのに加えて、味の感想まで聞いているのだから時間が
先輩の方を向いていた。相変わらず、清姫さんが隣に座って料理を食べさせている。一
そう言いながら、わたしの視線はキャットさんの方ではなく自分の前方に座っている
﹁あ、いや⋮⋮悩みなんてありませんよ、キャットさん﹂
?
で不安なのだろう
﹂
﹁ふふふ、目は口ほどに物を言う。皆まで言うな、およそ後輩は蛇に先輩を寝取られそう
承(2)
8
?
いつの間にか私の目の前に回り込んできながら、キャットさんは私の目の前で不敵そ
うに笑いながら指を振る。確かに清姫さんと先輩があぁやって近づいているのを見て、
なんだかモヤモヤとした感覚が心のなかであるのは事実だけど、今悩んでいるのはその
事ではない。
でもなく、箸でご飯を口に運びながら、世間話でもするような自然な感覚の聞き方。
今度はエミヤさんだった。こちらの方を向いているというわけでも席を詰めるわけ
﹁││で、悩みがあるのなら相談にのるがね、マシュ﹂
倍になると思う。
て、二人が同じように味の感想や雑談を持ちかけているのだから、多分かかる時間も二
どうやら、交互に食べさせるという形で決着したらしい。食べさせる人物が二人になっ
ト さ ん が 着 席 す る。そ し て 清 姫 さ ん と 同 じ よ う に 先 輩 に 料 理 を 食 べ さ せ 始 め て い た。
と、思ったら清姫さんの反対側、空いていた先輩のもう一個の隣の席にタマモキャッ
乱入して、激論を交わしている。
訂正する前に走っていってしまった。先輩と清姫さんの中にタマモキャットさんも
!
!
しヴェルダンにされるのはノーサンキューなのでな。タマモ地獄をお見せしよう
﹂
﹁任せろ というのもキャット的にご主人にイチャつく輩がいるのはオッケー、ただ
﹁キャットさん、そうではなくて││﹂
9
﹁大丈夫です、問題ありません﹂
そう口早に返答して、わたしも同じように食事を開始する。両手を合わせて日本式の
﹂
食事のあいさつをした後に、箸を手に取りご飯を一口分、口の中に放り込む。やや時間
の経過した白米からは熱が失われていて、冷たい味がした。
﹁そうか。では私からの質問だが、ご飯が美味しくなかったかな
座っていた、ということは、どうやらバレているみたいだった。
て、微かに出ていた湯気の姿はない。食事をもらってからしばらく手を付けずにただ
と思うけど、結構気にされているみたいだ。私の味噌汁からは配膳された直後と違っ
そう言った後にエミヤさんはズズズ、と味噌汁を啜る。⋮⋮意外と、というと失礼だ
し、私も同意見だが﹂
まぁ、冷えた味噌汁よりは暖かい味噌汁を食べてほしいと彼女の方でも言うだろう
ではない。ライダー⋮⋮ブーティカにもお礼を言ってやるといい。
﹁そう言ってくれると厨房担当としては冥利に尽きるがね。ただ作っているのは私だけ
﹁いえ、そんなことはないです。エミヤ先輩の作るご飯はいつでも美味しいです﹂
?
﹂
?
黙々と食事を進めて、少し悩んだ後に結局1つの質問をすることにした。少し回りく
の夢を見たことはありますか
﹁⋮⋮あの、エミヤ先輩。これは相談ではなく質問なんですが。エミヤ先輩は、マスター
承(2)
10
どい聞き方だ、と自分でも思う。でも直接的に、サーヴァントがマスターの夢を見るこ
とと、その逆もあるのかということを聞くことは何故か怖いような気がして、できな
かった。
私が感謝の言葉を続けようとする前に、エミヤさんは言葉を続けた。
﹁付け加えるなら﹂
してそんな声が出たのかは、よくわからなかった。
声は少し凹んでいた。落胆によるものなのか。安堵によるものなのか。私でもどう
﹁そう、なんですか﹂
したら、それこそ人間業ではないのだがな。彼女でなくても不可能だろう﹂
るような魔力は彼女にはない。⋮⋮まぁ、そもそもそんなことを一個人で実行可能だと
ういった限定的な繋がりだけだ。これほどの数の英霊を召喚し、その契約を維持し続け
無論、戦闘時や令呪の使用時には彼女からの魔力供給が行われる。だが裏を返せばそ
デア自体の魔力によるものが大きい。
今回の召喚に関して、その契約維持の大部分を担っているのは彼女の魔力ではなくカル
﹁私は彼女と直接契約を結んでいるわけではないからね。君も知っての通り、私たちの
即答だった。だとしたら、あの夢はただの私の妄想なのだろうか。
﹁ないな﹂
11
⋮⋮もし、そうだとしたら。先輩がわたしに抱きついて泣いていた理由が、わたしの
較的高い確率で存在しうる、ということになる。
回答を聞く限りは先輩がわたしの夢を見たという可能性も十分にあり、そしてそれは比
とになるのだろうか。そして直接聞いたわけではない以上憶測の域を出ないけど、この
だとしたら、やっぱりわたしが見た夢は先輩の過ごした記憶のうちの1つ、というこ
わたしの盾だ。
なり、先輩と直接契約を行っている。他のサーヴァント召喚の際にも、触媒となるのは
直接契約を結んだ、そうでないサーヴァント。確かにわたしは他のサーヴァントと異
る。
そう言ってエミヤさんは再び食事を再開し、サラダを箸でつまんで口の中で咀嚼す
また異なるだろうが、それは自然現象とは言えないだろうな﹂
いサーヴァントに比べて夢を見る精度も頻度も低下する。第三者のサポートがあれば
る。ようは確率の問題だ。大部分をカルデアの魔力に依存している私たちと、そうでな
といっても、彼女と私もマスターとサーヴァントという契約関係は確かに存在してい
いこむというのは、それほど不思議なことではなく自然現象の1つだ。そもそも限定的
元々マスターとサーヴァントが夢を介してその精神世界││ひいては記憶の中に迷
﹁彼女と直接契約を結んだ英霊ならば、彼女の夢を見ることは十分にあり得るだろう。
承(2)
12
記憶を夢で見ていたからだとしたら。わたしは先輩に対して、これからどうやって対応
﹂
をしていくべきなのだろうか。そしてそのことをわたしは、先輩に言うべきなのだろう
か。
﹁不安かね
な﹂
いった光景は見れはしないだろう⋮⋮そして、私が厨房で苦労することもないんだが
﹁もし、彼女が君の過去について少し知ったぐらいで態度を変えるような人間なら、あぁ
があった。
わらず、そこにはタマモキャットさんと清姫さん、二人にご飯を食べさせられている姿
先輩の方を指す。わたしもそれにつられて、改めて先輩の方を見る。先程までと大分変
そう言いながら、エミヤ先輩は静かに手に持っていた箸でわたしの前方で座っている
﹁そうか。だが││安心したまえ。それはきっと、杞憂に過ぎないさ﹂
﹁そうなのかもしれません。少しだけ﹂
を、わたしは口にしているのに今さら再確認した。
あぁ、そうか。この人は先輩とは別だ。けれどこの人もまた先輩だった、ということ
は先達者が未経験者に向ける、優しさを持った微笑み。
微かに箸を置く音がしてから、そうエミヤさんはわたしに声をかけてくる。その表情
?
13
ぼんやりと先輩を見つめたままのわたしに、そうエミヤ先輩はフッ、と笑いながら
言った。苦笑い気味に、なのかもしれない。ぼんやりと先輩を見つめたままのわたしに
は、その表情まではわからなかった。
﹁君のマスターは一流の魔術師というわけではなく、ただの一般人だ。正直、サーヴァン
トという言葉の意味を理解しているかも怪しい。それぐらいに彼女は私たちを特別視
することがないからな。まるで個々そこにいる人であるかのように向き合おうとする
んだ、彼女は。中には忌まわしき伝承を持つ者がいたとしても、な﹂
清姫伝説、という言葉が頭に浮かぶ。確かにエミヤ先輩の言うとおりだ。あの伝説の
内容を知っている人なら、恐らく適度に清姫さんとは距離をおこうとするのだろう。も
しものことがあって焼き殺されてしまったら、たまったものではないからと。でも、少
なくとも今目の前に映る光景では先輩はそんなことを気にしているようには思えな
かったし、自分に好意を向けてくれている清姫さんを拒絶しているようには見えなかっ
た。
椅子をガタリ、と引く音。エミヤ先輩の方を見ると、すでに食事を終えたようで手に
はわからない、ということさ﹂
の態度をコロリと変えるようなマスターではない。だから君が何を気にしているのか
﹁君が過去に何があったかということは私は知らない。だがそれを知ったところで君へ
承(2)
14
トレーを持ったまま立ち上がっていた。
﹁何、私は相談などにのった覚えはない。君がしたのは質問だろう 私はそれに答え
か、ということが、よく分かった気がしたからだ。
座ったまま、膝におでこが付くほど深く頭を下げてお礼をする。どうすればいいの
﹁⋮⋮相談にのってくれて、ありがとうございました、エミヤ先輩﹂
15
﹁はー⋮⋮お待たせーマシュ。あれ、どうしたの
げた。
﹂
黙ってくれている、という心遣いが嬉しくて、もう一度だけ立ち去るその背中に頭を下
ニッコリと笑ってそう言い、エミヤ先輩は立ち去っていく。こうした話をしたことを
さ﹂
たまでだよ。だから私は、この相談についてをマスターに聞かれても答えたりはしない
?
⋮⋮わかってると思うんだけどさ、ご飯を食べさせられてたでしょ それで、清姫が
﹁あー、やっぱり見てたんだ。見てたならフォローに入ってくれてもいいんだよマシュ
でしょうか﹂
﹁いえ、なんでもありません。それより先輩、清姫さんやキャットさんはどこへ行ったの
の方に向き直ると、やっぱりどこか疲弊しているようにも見えた。
わたしの座っている場所の、対面から聞こえる聞きなれた声。先輩の声だ。改めてそ
?
?
それで
味の感想を聞いてくるけど、ただこれってブーティカとオカンが作ったもので清姫が
作ったものじゃないよねって言ったんだよね。
そしたら、
﹃まぁ、 ご主人様は私の手料理を食べたい、ということですね
共をしよう。どうだ
﹄って言って。それで二人してどこかに行っちゃった﹂
にタマモキャットが﹃ならばまずは食材集めから始めねばなのだな。微力ながら狩りの
は夕食の後支度は私がさせてもらいますね、ま・す・た・ぁ﹄って言っちゃって。それ
!
﹁あれ、マシュ⋮⋮私、何かおかしいこと言ったかな
のも悪くないかな、と思いまして﹂
﹂
﹁いえ、何も。でも⋮⋮そうですね。それでは明日は、わたしが先輩のご飯を作るという
?
通りの先輩だった。
つものことで困ったな、というような形で。そこにいるのは普段と変わらない、いつも
ど、そう言う先輩の口調はそれを嫌がっているようには思えない。強いて言うなら、い
そう言い終えると、先輩は疲れた様子で机に突っ伏した。疲れてはいるのだろうけ
?
そう言って先輩は申し訳なさそうに笑う。その笑顔もいつも通りで、それこそ清姫さ
どね﹂
のは嬉しいけどそろそろご飯食べちゃいなよ。むしろ待たせてごめんなさい、なんだけ
﹁あ、いいね。マシュの作ったものなら喜んで食べるよ。ただ、マシュも待っててくれた
承(2)
16
んが怒るような嘘の欠片もない本当の笑顔だ。
朝起きて、会ったときから何も変わってはいなかったのだ。先輩は誤魔化したつもり
なのかもしれないけど、確かに私の胸の中で先輩は泣いていて。そして今は普段通りに
こうやって話して、笑っている。見たから、といって唐突に何かが変化するわけでもな
い。先輩は先輩のままだし、そしてわたしはわたしのままなのだから。
そう考えると、とても心が穏やかになる。わたしも笑顔で、そう先輩に返答した。
﹁⋮⋮そうですね。早く食べて、わたしも先輩と一緒に訓練がしたいです﹂
17
魔力。
治したり、力を強くしたり、動きを速くしたりできるそうだ。
いうらしい。限定礼装ともいうらしく、着用者の魔力を使って念じることで誰かの傷を
同じくダンボールの中に入っていた説明書によると、どうやらこの服は魔術礼装、と
た。
ボールからこの服を取り出して鏡の前でこの服を着た自分を見て、わたしはそう思っ
けられていて、少しだけ拘束具にも似た印象を受けると思う。少なくともはじめにダン
自分の着ている服を見る。白い服にはベルトに似た黒い帯が胸を挟むように取り付
とではなくて、ただそこに何かを触ったという感覚だけがある。
手袋を外し、直接雪に触る。感覚がない。冷たすぎて手の感覚が麻痺した、というこ
思える。
で、目の前にある登山家向けの高い山には白以外他の色を見つけることは困難なように
色がなく、ところどころに黒がある程度だ。とはいえそれも空が曇っているというだけ
真っ白な銀世界というものが目の前に広がっていた。一面の白には殆どそれ以外の
転︵夢2︶
転(夢2)
18
19
魔術。
礼装。
当然、どれもこれも聞き覚えはない。なんだか全てが空想上の産物の言葉のようで、
この説明書みたいなものを読んだときは正直現実味がなかった。
けど、確かに今手に触れているこの感覚は現実で、そしてわたしがここにいるのも現
実だ。副次的な効果として、これ自体が防寒及び耐熱機能を兼ね備えていて、これさえ
着ていれば魔力が尽きない限りは火山だろうと雪山だろうと踏破できる優れものらし
い。そしてこれと上着を一枚だけ着用してこの場所まで来るというのが、わたしが受け
たアルバイトの前提条件らしかった。
再び、歩きだす⋮⋮自慢じゃないけど、わたしは頭がよくない。この前の世界史は5
段階中2の評価だったし、そもそも全体の評定平均自体が3.0を切っていた。
高校を出てから何をするのかも決めていない。周りの大部分は進学で、中には一部就
職ルートの子もいたりする。とりあえず確かなのは今のわたしの現状の成績だと進学
は厳しいだろうということと、だらしのないことにそもそも特に進学する気もなかった
ということ。かといって就職したいのかと言われればそれもまた微妙なところで、さな
がら目の前に見える一面の白と同じ程度にはわたしの未来は白紙の状態だった。
親は特になにも言わなかった。年頃の娘と更年期の親とで関係が冷えきっている、と
転(夢2)
20
いうわけではなく、まだ若いから別に悩みたいなら悩めばいいというスタンスで、本人
たちからしたら放任主義らしい。その話をしたときは、少しありがたい気持ちではあっ
たけど、やっぱり少しばかり申し訳ないような気もした。
とりあえず、お金だ。
わたしが次に考えたのは、その事だった。何をするのにもお金はいる。これから先何
をするのか、明後日の事すら細かいことはよくわかりはしない。だけど、とりあえず生
きていくためにはお金は必要なのだ。
⋮⋮まぁ。そういう大仰な言い方をしていたらカッコいいなぁというだけで。実際
のところはただ、駅前で配られていたティッシュの中の、怪しい治験みたいなバイトが
記された紙の内容に目が眩んだだけなんだけど。1つ桁を書き間違えたんじゃないの
か、というレベルに高い。同じような内容のモノは見たことはあるけれど、その中でも
ずば抜けている。長期休暇ということで、なにか1つ稼げるバイトを、と探していたわ
たしには適合していた。
とはいえ、だからこそ怪しかった。そもそもこんな秘密基地がありそうなところに呼
び出される時点でこれはもう新手の詐欺か悪質な洗脳商法なんじゃないかと思う。さ
らに、期間は一ヶ月を予定してはいるが、延長の可能性もあるらしい。なおさら怪し
かった。
21
ただ││説明会の後に採血を受けて、その後結果を聞いた後に熱心な勧誘を受けて。
それから更にわざわざダンボールの到着を待ってから説明書と契約の細かい内容︵この
バイトを誰かに絶対にしゃべらないという守秘義務、もしもそれを違反した場合の違約
金の発生などなどだった︶を見て、そして今魔術礼装というのを着て、パスポートを取っ
て飛行機に乗って。そうして結局ここに来ることを選択したのは、他の誰でもなくわた
しだったのだ。何故、と言われると多分明確に答えられない。それでも答えろと言われ
るなら、きっと半分は面白半分というのになるのだろう。
ザクザクと足が雪原を踏み鳴らす。それ以外は雪と風の音しか聞こえないから、殊更
耳のなかに響く。確かにここにいるのは現実なのだろうけど、延々と変わらない景色は
夢の中を歩いているような感じがする。何が面白いのか、と言われれば、きっとこの夢
のような現実。普通の日常を過ごす上では絶対に経験できない物。もちろん最初にこ
の服を見たとき、話を聞いたときに感じた詐欺じゃないかという疑念が0というわけで
はない。だけど多分、この勧誘を引き受けたときに決め手になったのはそれよりも面白
さが││興味が強かったからだと思う。お金だけなら怪しいと思って引き受けなかっ
ただろうから。
歩いているうちに、吹雪でよく見えていなかったけど、よく目を凝らすと丸い建物が
見えてくる。鉄の色は白によくにているけど、さっきからその色しかみえていなかった
転(夢2)
22
わたしには
そこが少し救いの地のようにも見えていた。
⋮⋮寒くなってきた。説明書の内容を思い出す。魔力というのは無尽蔵というわけ
ではないらしい。詳しいことは専門外のわたしにはよくわからなかったけど、どうやら
わたしの魔力とかいうものは別に対したことはなくて、平凡未満程度らしい。魔術礼装
についている防寒機能というのは着用者の魔力を自動的に消費して機能する物なのだ
そうだ。なんとなくで手袋を取って直に雪に触れてみたのは、自分で思っていたよりも
浅はかな行動だったかもしれない。少しだけ後悔したけど、今ここから見える距離とこ
の寒さなら凍死する前には間に合うと思う。
顔をあげて、空を見上げる。曇天という言葉がお似合いの空には太陽も青空も見えな
くて、灰色だけが見える。そこから降り注ぐようにして白色が、雪が落ちてきていた。
ため息にも似た息を1つ、大きくハァ、と吐き出す。吐息は雪と同じ白色になって空中
に浮かんで消えた。それでもって、開けていた口に少しだけ雪が入り込んで冷たい思い
をした。
パン、と自分の両頬を手袋付きの両手で叩く。一連の行動でもう一度自分に気合を入
れ直して、止まりかけていた足をもう一度動かす。根拠は特にないけれど、これで大丈
夫という気がした。
というのも多分理由の1つだろう。普通だったから││今まで特に何もしていない、た
思って、わざわざこんなところまで来た理由。そう考えると熱心な勧誘をされたから、
⋮⋮ あ ぁ、そ う か。だ か ら な ん だ と 思 う。わ た し が こ の 怪 し げ な バ イ ト を 面 白 い と
うと、それもやっぱり同じだ。普通の子。特に何もしていない子。
りな言い方をするなら、何もしていない子だった。じゃあ、今は何をしているのかと言
その頃にわたしが何をしていたか。一言で言うと普通の子だったと思う。ありきた
か。多分今より30cm以上身長が小さい頃の話だ。
くなる。雪のなかで走るなんて子供みたいなことをしたのは、いつ以来のことだった
走った。ザクザクと誰も踏んでいなかった雪原に足音をつける音が、さっきよりも早
わりない。
えたということ。さっきまでみたいに悠長に歩いていると言うのは、もう自殺行為と変
れていた感覚を思い出すようなソレは、恐らくわたしの魔力が寒さを誤魔化す限界を越
だけどまぁ、寒さを感じ取っているということはそれなりに危険だということだ。忘
な気がしたからだ。
ていることでもあるけれど、何よりも口を閉じているとそのまま凍りついてしまいそう
誰が聞くわけでもないのに、なんとなく独り言を言う。それだけ寒さを強く感じ取っ
﹁あー⋮⋮冬はやっぱし寒いなー﹂
23
だなんとなく夢見るだけの一般人だったから、これを面白いと思っていたのだ。そし
て、これまで特に自分でなくてはダメだということもなかったから。あぁいう風に何か
を強く勧められたことがなかったから、きっとわざわざこんなところまで来てしまった
のだ。
目的の場所の、そのすぐ前までたどり着く。鉄製の入り口の扉は固く閉ざされてい
て、その中心にはパスワードでも入力するような機械がある。IDを入力して、通過。
﹂
その扉が開いた先にもまた扉があって、そしてその扉の前にはコクピットのような機械
が1つだけ置かれている。
?
その内部を見てから、今は閉じた背後の扉をもう一度確認する。どうやらこっちの扉
いった程度の広さで、正にコクピットだ。
イッチのようなものを押してみる。自動で開いた。内部は一人が入るのがギリギリと
こ の コ ク ピ ッ ト み た い な 機 械 の 中 に 入 ら な く て は い け な い の だ ろ う か。横 に あ る ス
扉の前を見ても、さっきと同じような入力装置は見当たらない。と、なるとやっぱり
しい。
がいて誘導のアナウンスがあるのかと思ったけれども、どうやらそういうものもないら
首を傾げながら言った独り言に返答はない。てっきり、監視カメラとかで見ている人
﹁確か、これに入ればいいんだっけ
転(夢2)
24
には出るための入力機械があるみたいで、今なら逃げ出すことができるんじゃないか、
という考えが頭の中に浮かんだ。
魔術も魔法も、どちらの違いもよくわからないわたしだけど、これだけはわかる。
解けてしまうような感覚。
はずなのにまるで開いている時と同じように見える。身体中が光に包まれて、そのまま
││確かに目は閉じていた。けれど瞼の裏側からでもわかるほどの光が、閉じている
度横になってしまった自分の体は意思とは裏腹に動いてくれず、口も開かない。
ごめんよくわからなかった。もう一度言ってほしい。そう口を開こうとするけれど、一
⋮⋮さっきから、何か言われているような気がする。認証、だとか、シフト、だとか。
自分でも大きい欠伸だな、どこか他人事みたいに思ってから、目をつむった。
くけれど、欠伸を手で押さえるような動きができるほど、コクピットの中は広くない。
ていなかったけど、体はそれなりに疲れていたのか自然とまぶたが重たくなる。口が開
コクピットの中に入り、自然と横になる体勢に。動いていたときには自分ではわかっ
ころで何だっていうんだ。
よく理解していないけど、このよくわからないコクピットの1つや2つ、乗り込んだと
そう一人で言って、思わず笑った。ここまで来たらもう乗りかかった船だ。仕組みは
﹁まぁ、今さらだよね﹂
25
﹃わたし﹄は多分、コクピットから消えた。
転(夢2)
26
﹂
結︵※途中まで︶
﹁フォゥ、フォフォーウ
からといってわたしの先輩に対する対応や態度が変わるわけではない。それはこの前
わたしのことを知ってもこれまで通り対応が変わらないように、先輩のことを夢に見た
先輩の夢を見るのは、これが二度目。でも、だからどうしたというのだろうか。先輩が
さっき見たのも││多分だけど、先輩の夢だ。このカルデアに来る前の記憶。そして
りとした程よい冷たさは、今の自分が夢の中でなく現実の中にいることを実感させた。
ベッドから出て鏡の前に立つ。蛇口を捻って出た水を両手で掬い、顔を洗う。ひんや
0分ほど早く起きてしまったみたいだ。
目覚まし時計を手に取り、今の時間を確認する。どうやら早めに設定した時間よりも3
の横に置く。いつもと同じように、リモコンを手に取り部屋の照明を点ける。それから
布団から両手を出して、自分の顔のすぐ近くにいるフォウさんを抱え、丁寧にベッド
﹁⋮⋮フォウさん、おはようございます﹂
少しだけくすぐったい。同時に、頬を舐められる感覚。
聞きなれた鳴き声で目を覚ます。もふもふとした毛並みの感覚は心地がいいけれど、
!
27
に分かったことだ。
⋮⋮それなのに、どうしてなのか。そう心の中で言い聞かせているのに、洗顔を終え
て蛇口を逆側に捻るその手は震えていた。
自分の首に手を当て、体温を確認する。冷水を直接浴びた手は冷たいけれど、特に体
温に異常はなく、熱があるというわけじゃない。喉が痛むようなことも頭痛がするよう
なこともない。風邪を引いているというわけではないようだった。
⋮⋮そんなことは。風邪を引いているかそうじゃないかなんてことは、わざわざ体温
を確かめなくてもわかる。きっとわたしは誤魔化しているだけなのだから。
誤魔化している││それは、何を
﹂
?
ていた自分の顔は酷くショックを受けた顔をしていたから、そのせいだろう。
心配するようなフォウさんの声が足元から聞こえて、そこに我に返る。鏡の前に映っ
﹁フォーゥ⋮⋮
?
んを両手で持ち、自分の肩の上にそっと乗せる。そうするとフォウさんは、どこかわた
からない。そのまま、笑ってみせてもやっぱり足元で不安そうな顔をしているフォウさ
は優しく笑ってみせた。鏡は今目の前にないから、その表情がうまく作れているかはわ
フォウさんの目線と同じ位置にしゃがみこんでから、問題ない、と伝えたくてわたし
﹁すいません、心配させてしまったみたいですね﹂
結(※途中まで)
28
しを慰めようとするように頬に体を擦り寄せてきた。
けれども多分、その理由もなにもかも全部はあそこに行けばわかるような気がした。
あ そ こ に 向 か お う と し て い る の か。何 故 か は わ か ら な い。わ か ら な い こ と だ ら け だ。
どうして早歩きになっているのか。どうして先輩のご飯を作ることを後回しにして、
すリズムでわかる。走っているわけではないけれど、いつもよりは早歩き。
入口の方へと足を進める。廊下を歩く自分の足音がやけに耳に響く。カツ、カツと鳴ら
真逆の方向を振り返る。躊躇することなく、わたしは厨房とは逆側にあるカルデアの
足は部屋を出て数歩、厨房の方へ向かったところで止まってしまった。
てはいけないのだ。そのために早めに時間を設定したのだから。そう思っているのに、
いというほどではない。今日は早起きして、先輩に食べさせるサンドイッチを作らなく
かりは普段よりも薄暗い。省電力モードに切り替えているのだろう。それでも、歩けな
部屋を出て通路に出る。比較的この時間帯は起きている人が少ないせいか、通路の明
物が2つ混じっている。本当に、お利口さんだ。
にはどうしたしまして、という物と、やっぱり元気がなさそうだ、という心配している
なおも体を擦り寄せたままフォウさんは耳元で囁くように返答してくる。その声色
﹁フォーウ﹂
﹁ありがとうございます。フォウさんは、本当にお利口さんですね﹂
29
﹁フォフォーウ
﹂
く駆け出し、ある地点を中心としてグルグルと回り始める。
こんで静かにフォウさんを地面に降ろす。地面に降りたフォウさんはその場から素早
スッ、と片手で肩の上にいるフォウさんを優しく撫でて、それからその場にしゃがみ
﹁⋮⋮そうですね﹂
のであればいつも変わらない雪景色が見える窓がある、というぐらいの場所。
の入口を出て、割とすぐにある場所。特に何かがあるというわけではなく、強いていう
││そうして、しばらく歩いたところで、フォウさんがわたしに質問する。カルデア
?
⋮⋮立ち上がろうとする、けれど。足にも膝にも力は入らなくて。いつの間にか自分
る。
て、わたしはこんなところまでわざわざ来たのだろうか。そう思って立ち上がろうとす
うわけじゃないのに、思い出すとなんだか無性に懐かしく感じる。これを思い出したく
先輩で。それがはじめて先輩と出会ったときの話だったのだ。別に何年も前の話とい
はそこに殆ど行き倒れるようにして眠っていた。そしてそれを起こしたのはわたしと
あの夢のあとだろう。元々疲れていたことに加えて、霊子シフトに慣れていない先輩
ウさんとわたしが先輩と会った場所ですね﹂
﹁はい。確かにその辺りです。その辺りが││先輩が寝ていたところで、はじめてフォ
結(※途中まで)
30
はしゃがんでいるのではなくて、殆どそこに座り込んでいるということに、ようやく気
づいた。
う現実を。
先輩のこれからの未来の中には、わたしというものはきっといなくなってしまうとい
なっていた。
人で。そしてそれを見てしまう度に、わたしは現実を見せつけられているようで怖く
夢を通してみる先輩の記憶は、どこまでもわたしの持っている記憶と違って、普通の
は未来はないという現実を直視するだけの勇気が、怖がりのわたしにはなかったのだ。
例えこの未来を守るための戦いに勝ったとしても、先輩には未来があって、わたしに
本当はただ怖かったのだ。夢を通して現実を見てしまうことが。
のことなんて、本当はそんなに重要なことじゃなかった。
はじめからわかっていた。先輩がわたしのことを知っていようといなかろうと、対応
決壊したダムからとめどなく流れる水のようにこぼれ落ちていく。
口で拭き取る。だけど一度流れ始めた涙は少しも止まらない。拭いても拭いても涙は、
中に侵入して塩の味がする。涙を流していることにようやく気づいて、眼鏡を外して袖
そう口に出した声は震えていた。視界がぼやける。頬を伝う水の感覚と、それが口の
﹁あれ、可笑しい、ですね﹂
31
⋮⋮なんて皮肉な話なんだろう。はじめて先輩に会った場所を眺めながら、ぼんやり
と思う。
わたしが見ていたのは確かに夢だったのに││それのせいで、現実を突きつけられて
しまったのだから。
﹂
どこかに置いてしまっていた眼鏡があった。
立ち上がろうとすると、フォウさんから声をかけられる。その胴体にはさっき外して
﹁フォウ、フォウフォーウ﹂
うになる。
涙が止まった。ぼやけていた視界がハッキリとして、膝に力をいれることができるよ
こへいくときにもそれをつける先輩の顔を思い出す。
大きく息を吸い込み、吐き出す。そうしながら、お気に入りのシュシュだ、といって、ど
しかできていなかった顔には涙の止め方を。そして、怖い時に思い浮かべる人の顔を。
元気づけるような鳴き声。膝にこそばゆい感覚を感じて、そこで思い出す。泣くこと
﹁フォーウ
!
に軽く体を撫でてあげると、フォウさんは気持ち良さそうに体を震わせていた。
お礼を言ってから、その眼鏡を受け取ってかける。改めて感謝の気持ちを伝えるため
﹁ありがとうございます。フォウさんが持っていてくれていたんですね﹂
結(※途中まで)
32
さっきと同じようにフォウさんを抱え、肩の上に乗せて立ち上がる。視界はもうハッ
キリしていた。心の中に残るモヤモヤを、先輩の顔を思い浮かべ続けることで誤魔化
す。ここで泣いているよりも、先輩の喜ぶ顔を見たいから。
来た道をもう一度戻る。歩いているうちにパチリ、と照明がつく。腕時計に目をやる
と、自分が想定していた時間よりも大分遅れていることに気がついた。これ以上遅れて
しまうと、予定に支障が出てしまう。
走る、前に肩に乗せている重さに気づいて、一旦しゃがみこむ。
ろだって1分程度で到着することができる。
向上していた。本気になって走り出せば、これまでだったら10分もかかっていたとこ
り、走り出す。デミ・サーヴァントになってから身体能力はそれ以前と比べて飛躍的に
しゃがんだ体勢から立ち上がることなく、クラウチングスタートの要領で地面を蹴
を食堂に連れ込むのは衛生上あまりよくない、とエミヤ先輩に怒られてしまう。
おりで、それでなくても食堂に行くならフォウさんを連れていくのは不味かった。動物
事の後に、フォウさんはその場でちょこんと待機する。⋮⋮確かにフォウさんの言うと
そう呼びかけて肩に乗せていたフォウさんを廊下に降ろす。フォウフォウ、という返
う。一旦お別れです﹂
﹁ごめんなさい、フォウさん⋮⋮少し急がないといけないので。あとでまた会いましょ
33
ほどなくして、食堂にたどり着く。素早く入口にある食堂の照明のスイッチに手を伸
﹂
誰も食堂の中を西洋の冥
ばし、スイッチを入れる。照明がついて真っ暗だった食堂の中が照らされて、いない。
いたずらですか
界のようなイメージにしろとリクエストをしてはいないのですが
﹁ちょっ、誰ですか電気を消したのは
!
としたら驚いていたのではなく、対応を決めかねていたのかもしれなかった。
すぐにはニトクリスさんから返事はなかった。ふう、というため息が聞こえる。ひょっ
その場でニトクリスさんに向かって頭を下げる。突然の来訪者に驚いているようで、
ですが、わたしの勘違いでした﹂
﹁すいません、ニトクリスさん。誰もいないだろうと思って電気のスイッチをいれたの
来たのかもしれない。
だ。その前のテーブルにはコップが1つ置いてある。何か飲み物をのもうと休憩しに
されて、そこには褐色の肌にエジプト系の服に身を纏った女性がいた。ニトクリスさん
⋮⋮もう一度スイッチに手を伸ばし、今度は逆側に押す。今度こそ食堂の内部は照ら
!
!
﹁先輩と一緒に食べるための昼食を作ろうと、エミヤ先輩やブーティカさんが皆さんの
それにしても⋮⋮大分慌てていた様子ですが、何事ですか一体﹂
を下げていたのと、その謝罪の言葉に偽りはないようなので。許します。
﹁大丈夫です。いきなり電気を消して驚かせる行為は不敬ではありましたが、すぐに頭
結(※途中まで)
34
﹂
ご飯の用意をする前に厨房をお借りしようとしていました。それが少し遅くなってし
まって
││ニトクリスさん
は少し苦々しげな表情をしていた。
顔をあげて事情を説明する。許す、というその言葉とは裏腹に、ニトクリスさんの顔
?
眼鏡を取り、流し台の前に立つ。水道の蛇口を捻り、まずは手を洗う。それから朝起
ハッキリとわかるほどその口調は不機嫌な様子だった。
そう言ってから、厨房の方へと歩を進める。意図したつもりはないのに、自分でも
﹁⋮⋮気にしないでください。これはただ、ちょっと夢を見てしまったせいです﹂
でいたのだろう。
表情は怒っているのではなくて、いきなり現れてそんな顔をしていたわたしを見て悩ん
所謂泣き顔のようなものになっているのだろう、ということに気がついた。苦々しげな
ら、といったようにそう返答する。その様子を見て、わたしも自分の顔が泣いたせいで
名前を呼ばれて、そこでハッと気がついたようにニトクリスさんは言葉を選びなが
とも忘れない方がいいと、ファラオ的に助言します﹂
⋮⋮えーと⋮⋮そうですね、その。料理を作るなら手だけでなくちゃんと顔を洗うこ
﹁あー⋮⋮いえ、そうでしたか。見上げた忠義です。その心がけ、努々忘れぬように。
35
きて自分の部屋でしたのと同じように両手で流れてくる水を受け、顔を洗う。洗う最
中、両手で触れる顔は泣いていたせいか若干の熱を帯びていた。
熱をさますように、元の温度に戻すように、何度も水を掬ってそれを顔で受ける行程
を繰り返す。
ニトクリスさんの声がする。水で顔を洗っている最中だから、その顔は見えない。な
﹁⋮⋮﹃夢を見たことは決して無駄ではないはず﹄﹂
にも見えない。そんな中でただ声だけが、厳かな啓示のように聞こえていた。
だけど。それは。
﹁そうですね、わたしの言葉です。ニトクリスさん﹂
蛇口を逆側に捻り、水を止める。顔を洗う前に予め取っていたタオルを手に取り、そ
れで顔を拭いた。料理の準備も始め、ニトクリスさんの方を向かないままわたしは返答
する。間違いだ。向かないのではなく、向くことができなかった。
き浴びた水のように冷たく、淡々としていた。
冷蔵庫から野菜を取りだし、相づちを打つ。そんなつもりはないのに、その声はさっ
﹁そうですか﹂
⋮⋮でも、私はその言葉は嫌いじゃありませんよ。むしろ好きでした﹂
﹁そうですね、私の言葉ではない。
結(※途中まで)
36
﹁1つだけ付け加えさせてください。私は夢を見ること、それは何も悪くないと思いま
す。だから⋮⋮いや、違いますね。貴女が過ごしている今も、決して無駄ではありませ
んから﹂
手が止まる。お礼の言葉を口にしようとして、口が上手に機能しない。泣いたあとと
いうわけでもないのに、すぅ、と息を1つ吸い込み、吐き出した。
まうのは当たり前だ。けれど、確かに残るものがあるから、それは無駄じゃないという
楽しいのだから、無駄じゃないことはわかっている。夢なのだから、目を覚ましてし
料理をする上で無駄な思考は止まってくれない。
堂々巡りだ。そう悩みながらもわたしは料理を動かす手を止めずにいた。けれども
夢を見ることは無駄ではなく、悪ではない。そしてはそれはきっと今現在も。
ていた。その時の言葉が、さっきの言葉なのだろうか。
ハロウィンを少しだけ思い出す。心配とは違ったけど、あのときも何かを言おうとし
るかのような顔。
そう言って足早にニトクリスさんは立ち去った。去り際に見えたその表情は、心配す
﹁いえ、謝るのは私の方ですね。邪魔をしました﹂
お礼と同時に謝罪を付け加える。深呼吸をしたあとなのに、声は震えていた。
﹁ありがとうございます。⋮⋮ごめんなさい、ニトクリスさん﹂
37
結(※途中まで)
38
ことであって。
行き詰まり、手が止まる。楽しい夢が覚めるその時を思ってしまうと、やっぱりどう
しようも怖くなる。終わる、怖さ。
先輩の顔を思い浮かべる。握ってくれた手の温もりを感じられなくなるその瞬間を、
想像してしまう。
⋮⋮グッ、と目とか顔のいろんな部分に力をいれて、再びでかけた涙をどうにかこら
える。
怖さと向き合うこと。先輩にはそれができているのに、後輩のわたしには、それがで
きないみたいだった。
Extra あったかもしれないしないかもしれないし
の声はそこで止まる。少女本人からすれば訓練か、修行のつもりだった動きを止め、公
違和感を感じたのか、あるいは、少女にも杖の音が聞こえたのだろう。勇ましい気合
具の上に座るカラスの姿は既にない。
かその一体の空間にはそれしか聞こえなくなっていた。公園に備え付けられた照明器
そこに、1つの音が加わる。カツン、カツンと地面を杖で叩く音。いや、いつの間に
気合を真似たような未熟な少女の勇ましい声が聞こえるだけだった。
こえるはずだ。だが今この公園で聞こえるものといえば空で哭くカラスの声と、武道の
遅い時間というのもあるのだろう。昼間であれば複数の子供達が遊び、はしゃぐ声が聞
で遊ぶ子供が比較的少ないというのもあるが、もう子供が一人で遊ぶには、少しばかり
既に公園には少女を除き誰もいない。団地の中に挟まれた箇所に立地するこの公園
夕日によって黒が染められたからではなく、少女のもつ生来のものだった。
橙色に染まった景色の中で、公園で一人遊ぶ少女がいた。髪の色は夕日と同じ橙色。
カァ、カァとカラスの声が聞こえる。
どうでもいいかもしれない話
39
園の入り口へと少女は視線を向けた。
そこには一人の青年がいた。少女にとっては見覚えのない人物だ。だが、それ以上に
少女の目を引いたのはその杖だった。持ち手は宝石によって象られ、あまり知識のない
少女から見てもすぐに高価そうな代物であるとわかる。普通の青年が歩行の補助のた
めに使うには、あまりにも成金趣味が過ぎる杖だった。
青年の方も少女の視線に気づいたのだろう。
﹂
?
﹁こんばんは、おじいさん。これはね、とっくん
﹁せいぎのみかたの
﹂
﹁なるほど、特訓か。何の特訓なんだい
!
﹂
﹂
園に1つしかない小さなベンチに座りながらそう推測していた。
青年ぐらいからはいつでも逃げることができる、という上での余裕なのか。青年は、公
から警戒心が薄いというのもあるのかもしれない。あるいは、その気になれば杖を使う
引き留める者も咎める者もいないがために、少女は逃げることを選択しなかった。元
!
今は公園には少女以外誰もいない。
師や親なら、完全に走って逃げなさいと言ってしまうようなシチュエーション。だが、
と軽く挨拶をしてニッコリと笑う。端から見れば不審者然としている。小学校の教
﹁こんばんは。何をしてるんだい
Extra あったかもしれないしないかもしれないしどうでもいいかもしれない話
40
?
ガッツポーズをしながら、少女はそう宣言するかのように青年に返答する。あまりに
﹂
も幼い年齢相応のその返答に対して、ただ青年は声をあげて笑うこともなく静かに微笑
むだけだった。
﹂
﹁そうか、君は正義の味方になりたかったのか。もう1つだけ、質問してもいいかい
なんでも
!
ろう。
﹁君にとって、正義の味方っていうのはなんなんだい
﹂
?
世の中には悪い人もいっぱいいるはずだ。そういう人
?
﹂
﹁ん、そういうひとたちもたすけるんだよ
?
﹂
当然であるかのように少女は答えた。その回答には一切の躊躇がない。それが常識
?
か
たちを正義の味方が倒さなかったら世の中はメチャクチャになってしまうんじゃない
﹁なるほど。でもいいのかい
ていたからだ。だが青年はそんな表情をおくびにも出さず、ただ質問を続ける。
少しだけ青年は驚いた。てっきりこの少女は、悪い人をやっつける、と答えると思っ
﹁こまってるひとや、よわいひとをたすけるひと
!
﹂
地の悪い質問をこんな小さい子に対して行うのは、今の自分か余程性悪な奴かの二択だ
││自分は人が悪い。質問を口にする前に、青年はそう自己評価した。こんなに底意
﹁いいよ
!
?
41
であるかのような、迷いのない回答。
﹂
?
﹂
﹂
でねこれはプリティアみたいなせいぎのみ
かたになるためのしゅぎょーなんだよ。ひっさつパンチ
!
﹂
?
﹂
とそれぐらいだれかがこまってるってことだとおもうんだ﹂
﹁ふむふむ、それで
⋮⋮おじさん、なに笑ってるの
﹂
﹁だから、わたしがいざっていうときに止めてあげるの。これはそのしゅぎょう
?
少女に指摘され、そこで初めて青年は自身の口元が綻んでいることに気づいた。
?
!
﹁ん、えーとね⋮⋮そうじゃないんだよ。だれかがわるいことをするってことはね、きっ
ないんじゃないかな
がプリティアみたいな正義の味方を目指すなら、悪人を助けるっていうのは当てはまら
﹁そうか。だけどね。だったらやっぱりおかしいよ。プリティアは悪人を倒してる。君
!
﹁あ、知ってるんだおじいさん、すごいね
れ悪を倒し、正義を成す。単純ではあるが、典型的な正義の味方の例だった。
呼ぶものを青年は知っていた。とあるものを作る際に、ふざけて見ていた物。颯爽と現
青年が続けて質問を行う前に、質問をしたのは少女の方だった。プリティアと少女が
﹁あぁ、知ってるよ。女の子が変身して、悪い奴をやっつけるアニメーションだろう
?
﹁あのねおじさん、プリティアって知ってる
Extra あったかもしれないしないかもしれないしどうでもいいかもしれない話
42
⋮⋮それは、笑うだろう。少女の回答はあまりにも平凡で、凡百な善人の回答だ。聖
人とまではいかないまでも、世にあふれでている多数と変わらない。付け加えるなら、
極めて魔術師らしくない回答でもある。そもそも、こんなところで修行と称して一人で
いる時点でらしくないといえばらしくないのだが。
﹁おもしろかった
え
なにが
?
﹂
?
パチン、と青年が指を鳴らすと、それを合図にしたかのようにいつの間にかいなく
ない状況を作った男が言う台詞でもないのだろうが、な﹂
ない人とお話するのは感心しないな。今後は気を付けなさい⋮⋮まぁ、こうして人がい
﹁君とこうして話した、この時間がさ。ところで私だったからいいものの、あんまり知ら
?
表情は、心底何かに納得したかのように笑顔だった。
そう言って青年は杖を支えにして立ち上がる。礼を口にしながら少女に向けるその
﹁ありがとう。君と話せてよかったよ。とても面白かった﹂
だが││きっと、それがよかったのだろう。
れは決して誰にでもなることができるような、正義の味方などではないというのに。
らないというように首を傾げる。曲がりなりにも素養はある少女が目指すべきもの、そ
抑えきれない、といったように笑う青年を前に、ただ少女は何を言っているのかわか
﹁あぁ、いや⋮⋮そうだね。君が目指したものがそれでよかったな、と思ってね﹂
43
なっていたカラスたちが再び照明器具の上へと足を下ろす。次いで、先ほどまでは誰も
通らなかった公園の前を、犬の散歩をしている老人が通る。その次に違う人が通り、車
も通っていった。まるで青年が指を鳴らしたという合図が、1つの許可を示したかのよ
﹂
!
うに。
まるで魔法使いみたい
!
人がいた。
?
まっていないようだった。
呟く。そうして老人が翳した手を下げたあとにはどこか少女の目は虚ろげで、焦点が定
嗄れた声でそう答えた後、老人は少女の顔の前に静かに手を翳し、呪文めいた言葉を
﹁君がいったろう。魔法使いだよ﹂
﹁⋮⋮おじちゃん、誰
﹂
それは少女にとって一瞬の出来事で。まばたきをした瞬間、そこには青年ではなく老
えのようにして佇む老人がいた。
のだった。先ほどまでそこにいたはずの青年はそこにはおらず、ただ宝石の杖を歩く支
││いや、正確には青年だったものが。既にその声は青年のものではなく、老人のも
疑いを持たず、純真無垢そのものといえる少女の回答を、苦笑い気味に青年は嗜める。
﹁やれやれ⋮⋮軽々しく魔法だなんていうものではないよ。まぁ、今回は正解なんだが﹂
﹁なんかすごいねおじさん
Extra あったかもしれないしないかもしれないしどうでもいいかもしれない話
44
﹁君はこうして私と話したことを覚えない﹂
ただ、少女に語りかけるように老人は言う。少女はどこか夢遊病者のような様子なま
まで頷く。
﹂
?
﹂
!
公園の入り口を通りすぎる間際、老人はそんな少女の姿を一瞥した。彼女でなくても
ごっこが、少女のいうところの修行なのだから。
撃 退 す る 様 を 想 像 し て。そ ん な 年 頃 の 子 供 で あ れ ば 少 な か ら ず や る よ う な ヒ ー ロ ー
こにはいない仮想の敵を自身の頭の中で作り上げながら、虚空に振るった拳でその敵を
そう言って、少女は再び修行を開始する。自らを激するための気合を口にしつつ、そ
﹁あ、そうだ、しゅぎょうしないとね
る老人のことなど認識していないかのように、腕を組み首を傾げていた。
やはりそれを合図として、少女は夢から覚めたように首を傾げる。その視線の先に映
﹁⋮⋮あれ。わたしなにやってたんだっけ
に会った位置に戻ったところで、老人は青年であったときと同じように指を鳴らした。
再度少女は頷く。その様子を見てから老人は少女に背を向け、数歩歩き出す。はじめ
ことを覚えてはいないから、このことを話すこともない﹂
結界はもう解除したから、そのうちに君の親が迎えに来るだろう。でも君は私に会った
﹁君は今までこの公園でいつも通り、自分なりの修行というものを行っていただけだ。
45
よかったのかもしれない、と口には出さないまま老人は考える。きっと、彼でもよかっ
たのだろう。きっと少し町を歩いていたら、そう時間のかからない内にあの少女と同じ
ような子どもなど見つかるに違いない。
││それ故に。果てを渇望する魔術師でもなく、全てを救済しようとする英雄でもな
いが故に││あくまでも普遍的な、他者を理解しようとする凡人であるが故になのだろ
う。
んことを﹂
﹁さようなら。願わくは君の行く末に、7つの苦難を。そしてその果てには成功があら
Extra あったかもしれないしないかもしれないしどうでもいいかもしれない話
46