退任挨拶 - 菊池市長選挙

退任にあたって
木 下 堅
て海から河から上って来ています。
私たちは常敗と汚濁を絶対に排
除して'太陽と緑の豊かなこの自
木下前市長は'昭和三十一年九
して退圧されました。
菊池市の歴史に輝かしい業績を残
代市長から通算十年八カ月に亘-
併の初代町長へ市制施行による初
長は'去る七月二十五日へ町村合
菊池市育ての親、木下 琴前市
数々の事業を実施へその卓適した
五代市長に当選、今回の退任まで
れましたが'四十五年には再び第
庁舎建設などに大きな業績を残さ
ばで一旦退職され'その後七力年
間は'有田市長が受け継がれ'市
を制定へ翌三十八年五月'任期半
市営プールの建設へ名誉市民条例
完成二二十七年には塵芥等場へ
を負いながらもひたすら軌道に乗
た不始末の違反で'私はその重荷
だ。これは全-市民の皆さんのご
助力の結果で'第二期は自ら招い
みてよ-も私ごときで出来たもの
乗せて市制を施行した事は'今顧
名実ともにある町村合併を軌道に
合の解散という難関を背負って'
産教育の実権をもつ十二ケ町村組
謂裸合併であり'そのうえ土木財
前後十年'大がかりな合併も所
もって市長の職を退きました。本
当に永い闇、お世話になりました。
市民の皆さんへ七月二十五日を
感謝申し上げますとともに'調子
で'この際あらためて衷心から
り切った和合のご支援のたまもの
も'選挙は選挙'市政は市政と割
るはたしなめへ及ばざるは補って
頂いた結果であ軒.市民の皆さん
て-れ'議会議員の方々も過ぎた
ガ-ガ,皇一口われながらもよ-働い
す。この四年は'私には満ち足り
た四年で'これ-円に職員諸君が
ることの出来る喜びでいうばいで
いま去るに臨みまして何等の思い
残す事もなくへ新市長にお譲りす
年1日も休まず取り組んで釆て'
の気が見えています。どうか笠市
ですLt加えて育杜にして練運な
笠市長が迎えられ﹁茜丈換天心﹂
幸いに'議会も県下一の少壮議会
中心として行政されていきます。
も広域行政という名のもとに'七
城町・潜水町・旭志村が菊池市を
らななめに熊本への国道昇格も夢
を変えてもっと大型に豊後水道か
れています。頼本日田線など・も名
山村振興の大型杯道等夫々着工さ
地中山間地の大型な構造改善事業へ
入や平担地の農地基盤整備へ平担
にあたり'明るく健康な田園をつ
然に調和した住みよい小都市建設
月'町村合併後の第1回選挙で初
電十鹿で'立ちおくれた市の発
に乗りすぎたり'頑固に徹したり
にこの期は百五十という僅差で当
に僅少の差で当選しています。殊
私は私の不肖のためか'選挙毎
ねますが'すぎた事としてお許し
何卒へ齢に免じてとも申し上げ兼
消え入りたい思いも致しますが'
£方情と対比して隼田垂もなくと
あろうと思いますとJd皆さまの
成長させて下さい。
市長を中核として輝しい菊池市を
員も市民の皆きんもあげて、.この
って過言でない市長でも議会も職
長は全市民総意によった市長とい
ではありません。それに地方自治
くる事が出釆ます。島村工業の導
代町長に当選へ同三十三年八月市
展のためへ生活基盤の盤備に積極
った市政を中断せぬよケ努めたも
しても愚革'周布屡の方々に
輝かしい業績を残し
菊池市育ての親
木下堅市長退任
制を施行(初代市長)へ この年に
的に取り組まれ'年令を忘れさせ
ので'これについてもずいぶんと
対して不遜の言動も多くあったで
なお、在任中に計画又は着工さ
の市政に不満をもっておられまし
遷しましたからへ市民の半数は私
多大な芳情を寄せへ又は偉大な功
れた事業で完成をみていないもの
本市は本県+一市の中ですべて
に下水道事業の着工'老人ホーム
たが'私自身はかえってその少差
の点でまだまだ他市に及びません
なおへ凍筆になって申し訳があ
りませんが'息の公的生活十毎の
中に、私のた軌﹂又本市のため、
の改築'街麟事業(深川木摩橋線)
は勿論'反対の半数の市民の万々
が私のファイトを沸かして'公約
を願います。
し尿処理場の建設'ダムの問題へ
広域圏事業の特別養護老人ホーム
一部開通
野菜集荷所1雑
菊池公園造成1.8血
購入,整備完了
市道直営舗装
菊池,阿蓉スカイライ
よる工場誘教
大琳寺に水道用水源地
完成
々が既に物故されて'市政二十年
15,768m 樹園地農道
緒を遂げられた数多-の壷革の方
市道直営舗装 135.47 ,U
が'未だ及ばなかったところに将
土地改良区の一本化 ホ湯整備事業
来の魅力があるかと思います。そ
分の紺地造成 附帯農道 8.092塀
の納得のいく市政をと'全力投球
広域基幹林道・大規鷺道など多
くの事業が山積しており、これら
中央公民館建設 第二次農業構造改善
ならんとする本市を静視されてい
北宮に公営住宅500戸 島地造成 76.68Jk
るお1人お一人を院想Lt心から
限小体育館建設 林道開設1,882 m
してその発展の緒が今ついている
水着小プール建設 林業構造改善
の元気が出たものでした.この期
は有田前市長の病気のため残され
昭和47年度( 812,992千円)
は'笠新市長に受け継がれること
開通
そのご萎佃を祈-ます。
公民館竜門支館建設 18,758 m
老人福祉センター建設 ホ場整備事業
塵芥塊却場建設 66.2ヘクタール
公営住宅建設 29戸
ホ場整備 111.8Ai
島村工業導入促進法に
樹園地農道1,738m
進出企業操業開始
ち
有線放送電話事業に着手'三十四
年には限小の改築、新農山村建設
?TZ紺は瀧に恥:li- >のiV・"J.C-よ
皆さまにはご迷惑をかけ訂した。
北申体育館新築 林道開設1,810m
く
事業二年目を施行、翌三十五年に
す。ここに、今期四年間の業績を
隈小改築(鉄筋) 林業構造改善
き
は芦二代市長に当選'この年には
写真グラフで紹介し、その功をた
昭和45年度(事業費る弘508千円)
m
広
市立体育館を建設へ第十四回国民
たえたいと患います。
街路事業北宮袈裟局線
体育大会の馬術、バド-ントン会
場となり'国体事務局を設置して
街路事業温泉通線一部 公営住宅建設 24戸
と思われます・。今'油がのりかか
限小改築(完了) 林業構造改善
た仕事を'ぶっつけ本番と申しま
昭和46年度( 501,451千円)
になりますが、一日も早い完成が
15,262*B 農高跡地買収 限小改築,初の鉄筋校舎出現
った時ではないでしょうか。高度
の機械化産業は幾多の公害を残し
市道直営轍 温泉通線着工
すか'着任早々から次々に片づけ'
そして次々に生れ出る仕事を四ケ
第二幼楽園プール建設 公営住宅建設 32戸
市民憲章制定 街路事業
北申寄宿舎改畠 北宮袈裟尾線
待ち望まれます。
ン開通
13,533 m
市営グラウンド敷地
霊慧芸槻)開通
●
甲和48年度( 811,327千円)
●
野菜ハウス 7棟
街路事業
近代化施設盤席
水源北小プール建設
附帯農道 3,953m
戸埼小体育館建設
島地造成13.72to.
SH3ElをHi
第二次農業構造改善
南中体育館建設
林道開設 2,518m
ご TEiy-i^品
市道直営舗装
北申
これを運営'また有線放送電話も
目でみる木下市政の4 カ年
昭和49年8月1日(2)
も れ1t6'!
(3)昭和49年8月1日 広 報 き く