松江歴史館所蔵「江戸始図」の学術的意義の概要 (奈良大学の千田嘉博教授の報告より) 1.「江戸始図」の概要 ●慶長 8-19(1603-14)年にかけて徳川家康が築いた近世江戸城の創築期の縄張り(城 の平面設計)を描いた絵図 ●記載の大名・旗本の名前や官職から、慶長 12-14 (1607-09) 年ごろの江戸城を描いた と比定※ される(徳川美術館・原史彦氏の分析による) ※他の類似のものと比べて、そのものが どういうものであるかを推定すること ●近世江戸城を詳細に描く最古の絵図は、慶長 12-14 (1607-09) 年ごろの江戸城を描写 したとされる東京都立中央図書館所蔵の「慶長江戸絵図」 →「江戸始図」は「慶長江戸絵図」と同じく近世江戸城を詳細に描く最古級の絵図 2.「江戸始図」発見の意義 ●近世江戸城は改修が繰り返されるなど、徳川家康が築いた創築期の江戸城の詳細は不明 ●東京都立中央図書館所蔵の「慶長江戸絵図」は本丸内の御殿などを描くが、石垣など描 写のゆがみが大きく、石垣と建物との描き分けも明確でない ●「江戸始図」は、「慶長江戸絵図」よりも描写が正確で、石垣や堀、城の出入口などの城 郭構造を細部まで明快に描く →「江戸始図」により、徳川家康が築いた江戸城中心部の詳細を、はじめて的確に把握 できるようになった 3.「江戸始図」で明らかになったこと (1)家康の江戸城は本丸に詰丸(天守曲輪)を備えて姫路城のようになっていた ●江戸城本丸の内部に大天守と小天守を多門櫓で連立した詰丸(天守曲輪)を描く ●「慶長江戸絵図」も同様の詰丸を描くが、ゆがみが大きく、明確に読み取れなかった ●「江戸始図」によって、家康の江戸城は姫路城のように大天守と小天守が多門櫓で連立し ていた連立式天守であることが確実になった (2) 江戸城本丸の南側に、強力な軍事機能を発揮した連続外枡形があった ●「江戸始図」により、家康が築いた慶長期江戸城の本丸南側には、城壁を外側に張り出し て互い違いにした出入口を連続させた外枡形を備えていたことが、はじめて判明した 1 4.まとめ ●「江戸始図」によって、家康の慶長期江戸城は戦いを意識した強力な要塞機能を最大限に 備えた当時最強の城であったことが明らかになった 千田嘉博(せんだ よしひろ)教授プロフィール 奈良大学文学部文化財学科教授。 1963 年、愛知県生まれ。奈良大学文学部文化財学科卒業。 専門/城郭考古学。 経歴等/名古屋市見晴台考古学資料館学芸員、国立歴史民俗博物館考古研究部助手・助教 授、ドイツ・テュービンゲン大学客員教授などを経て現職。 著者・論文/『真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く』(NHK出版)、『織豊系城郭 の形成』(東京大学出版会)、『戦国の城を歩く』(ちくま学芸文庫)、『信長の城』(岩波新 書)など。 2 江戸始図(松江歴史館所蔵) ※便宜的に右側の慶長江戸絵図(都立中央図書館特別文庫室所蔵)と方角を揃えている 3 〔参考〕慶長江戸絵図(都立中央図書館特別文庫室所蔵) ※本絵図を利用する場合は都立中央図書館特別文庫室の許可を得ること 4 北 東 小天守 詰丸 大天守 小天守 西 詰丸(天守曲輪)部分(赤丸枠内) 大天守と複数の小天守を 多門櫓などでつなぐ構造 姫路城大天守・小天守(連立式天守) 5 南 西 北 東 南 慶長期江戸城の特徴 •本丸の出入口は織田信長の安土 城、豊臣秀吉の大坂城が用いた外 枡形を5連続させた熊本城のよう なつくり。 •天守は、大天守と小天守が連立 して天守曲輪を構成した姫路城の ようなつくり。 •つまり家康の江戸城は、熊本城 と姫路城のすぐれたところを合わ せた史上空前の最強の城。 (参考)熊本県 熊本城の5連続外枡形 6
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