Economic Indicators 定例経済指標レポート

EU Trends
目指すはハード・ブレグジットなのか?
発表日:2017年1月18日(水)
~メイ首相の二枚舌外交~
第一生命経済研究所 経済調査部
主席エコノミスト 田中 理
03-5221-4527
◇ 英国のメイ首相はEU離脱後の英国が単一市場を抜け、自由貿易協定の締結を目指す基本方針を明ら
かにした。これは英国が「ハード・ブレグジット」を選択したことを意味するが、関税の極力かから
ない貿易関係の構築を目指すことや、自動車や金融サービスなど戦略産業については例外的に現行ル
ールの適用を求めるなど、今後も単一市場へのアクセスを最大限確保する意向も示唆している。
◇ 離脱協議が始まれば、英国とEUの対決姿勢が表面化する恐れがあり、今後も金融市場の動揺を誘う
可能性がある。戦略産業への例外適用、移行措置、移民制限などの具体策の手掛かりは乏しい。英国
経済や進出企業への影響を判断するには、まだ開始時期すら不透明な通商協議の行方を見守る以外に
ない。離脱後の英国を巡る不透明感が払拭することは当面なさそうだ。最終合意の議会関与を好感す
る見方もあるが、議会が離脱決定を覆す可能性は低く、無用な政治混乱を引き起こす恐れがある。
昨年6月の国民投票でのEU離脱選択を受け、3月末までに正式な離脱手続きを開始する方針を明らか
にしている英国のメイ首相は17日の演説で、離脱に対する政府の基本方針を明らかにした。これは、離脱
手続きの開始に先駆けて政府の方針を明らかにすべきとの野党・労働党の求めに応じたもの。議会は昨年
12月初旬、政府の基本方針を明らかにすることと引き換えに、3月末までに離脱手続きを開始する日程を
先送りしない動議を賛成多数で可決している。
離脱後の英国の対EU関係を巡っては、ノルウェーやスイスのように単一市場へのアクセスを重視する
「穏健な離脱(ソフト・ブレグジット)」を目指すのか、EUからの移民制限やEU予算への拠出回避を
優先し、単一市場へのアクセスが制限される「強硬な離脱(ハード・ブレグジット)」を目指すのかが注
目を集めてきた。離脱協議に対するEU側の立場は、単一市場の4つ(ヒト・モノ・サービス・カネ)の
移動の自由は一体不可分で、その一部を制限する“いいとこ取り”は許さないとの立場で一貫している。
メイ首相はこうしたEUの交渉姿勢と離脱選択に至った英国世論を受け止め、EUの単一市場にとどま
る選択肢はないとの判断に至ったと説明。ノルウェーやスイスのようにEUの準加盟国的な立場で単一市
場へのアクセスを確保するのではなく、EUとの間で新たに、包括的で、大胆で、野心的なFTAを締結
することで、可能な限り最大限の単一市場へのアクセスを確保する方針を明らかにした。そのうえで、自
動車輸出や国境を越えた金融サービスの提供など一部の分野では、現行ルールが継続されるように求めて
いくことも示唆している。また、EU以外の国・地域とも貿易協定を結ぶ方針を表明。EUの関税同盟に
残れば、独自の通商政策の採用が困難になると発言しており、関税同盟からも抜ける準備があることを示
唆している。さらに、円滑で秩序だった離脱を目指し、離脱通告から2年以内の交渉期限中に合意をまと
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る
と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内
容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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めることや、新たな合意を段階的に導入する準備期間・移行措置を設けることの重要性を訴えた。移民制
限、関税体系、司法制度、金融規制などを移行措置の対象として挙げ、異なる準備期間を設けることを検
討している。
これまで複数の関係閣僚がバラバラに発言してきたこともあり、英国政府がどういった方針で離脱協議
に臨むかは必ずしも明らかでなかった。今回の演説で、離脱後の英国が単一市場を抜け、EUとの間で新
たにFTAの締結を目指すこと、離脱協議の2年以内の合意を目指し、新たな取り決めを段階的に導入す
る移行期間を設ける基本方針が示された。真にグローバルな英国となることを目指すとともに、今後も欧
州の一員であり、EUにとって重要なパートナーであり続けることを表明。英国の独自性を強調し、離脱
選択がグローバル化に背を向けるものではなく、EUとの新たな友好関係を構築することを求めた。自動
車、エネルギー、食品、飲料、化学、医薬、農業などの分野で英国がEUにとって重要な輸出相手国であ
ること、EU企業にとって英国の金融ビジネスへのアクセスを確保することの重要性、さらには安全保障
や諜報活動での協力も引き合いに出し、新たな関係の構築が英国とEUの双方の利益になると主張。英国
に対する懲罰的な対応をしないようにEU側を牽制し、建設的な交渉が重要と予防線を張った。万が一、
単一市場へのアクセスが阻害される場合、英国は企業誘致の積極化や税率引き下げなどで対応する可能性
があるとも警告した。
今回の演説で英国政府の基本方針は明らかとなったが、自動車や金融サービス分野での特例、移行措置、
EUからの移民制限、英国(EU)に居住するEU(英国)市民の取り扱い、北アイルランド(英国)と
アイルランド(EU)間の国境管理など、具体策についての手掛かりは乏しい。表向きは単一市場へのア
クセスを断念した形を採っているが、関税の極力かからない貿易関係を維持し、戦略産業での特例を求め
る英国の要求を、EU側は“いいとこ取り”と受け止める可能性が高い。実際に離脱協議が始まれば、両
者の対決姿勢が鮮明となり、金融市場の動揺を誘うことになりそうだ。
英国進出企業の欧州戦略や英経済への影響を考えるうえでは、離脱後のEUや他国との貿易関係がどう
なるかが重要となる。EU側の交渉担当者は、離脱協議を終えるまで、英国とのFTA交渉には応じない
方針を示唆している。新たな貿易協定の締結には相当な時間を要する。モデルケースとなるカナダとEU
のFTAは、交渉開始から協議終了までに5年余り、欧州議会や各国議会承認に2年余りを費やした挙句、
ベルギーの地方議会の反対で危うく廃案になりかけた。離脱後の英国を巡る不透明感が払拭されることは
当面なさそうだ。
メイ首相は最終的な離脱合意を議会両院の投票にかけることも示唆した。国民投票で残留を支持した議
員が多数を占める議会の関与によって、強硬離脱に歯止めが掛かるとの見方もある。だが、中途半端な形
でEUに残留しない今回の決断は、移民制限や国家主権の回復が英国民にとって譲れない一線であること
を示唆している。残留派議員の多くも投票結果を尊重する方針で、議会が英国のEU離脱や単一市場から
の離脱を阻止することは難しい。政権を率いる保守党は、非公選制の貴族院(上院)で過半数を保持して
いない。最終段階での議会投票が無用な政治混乱を招く恐れがある。
なお、首相演説後のポンド相場が反転上昇したのは、今月初旬のメイ首相のテレビ・インタビューやメ
ディアの事前報道から、単一市場からの完全な離脱を目指す政府の方針が広く知れ渡っていたことが影響
した。事前報道時の金融市場は「ハード・ブレグジット」の言葉に過剰反応したが、メイ首相の演説から
は自動車や金融サービスの例外を求めていく方針や、最終合意を議会で採決することが示唆されたことも、
不安後退につながった。演説の直前に発表された英国の物価統計が上振れしたことや、米トランプ大統領
や経済顧問のドル高牽制発言が重なったことも、ポンドの上昇要因として働いた。
以上
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る
と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内
容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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