「竹島漁業組合」関係資料 - www3.pref.shimane.jp_島根県

明治39(1906)年の「竹島漁業組合」関係資料の発見について
1.資料1について
・資料名:「印譜」
・資料作成年月:明治38(1905)年頃から大正2(1913)年頃
・所蔵者:隠岐の島町 個人
・大きさ:縦165mm×横70mm
・内容:西郷町大字中町(現在隠岐の島町)の松島屋印判店当主松浦虎太郎(まつうら
とらたろう、1867~1936)が製作した印章を押したもの。
・竹島との関連:2ページ(明治39年頃)の印譜に、「竹島漁業組合」の印影3点「竹島
漁業組合之印章」、「竹島漁業組合理事印」、「竹島漁業組合監事印」が出ている。
2.資料2について
・資料名:「竹島貸下海驢漁業」
・資料作成年月:明治38(1905)年から明治40(1907)年
・所蔵者:島根県公文書センター所蔵
・竹島漁業組合との関連:明治39(1906)年の資料には、同年6月25日「竹島漁業組合設
置認可申請」など、「竹島漁業組合」設置認可申請関係資料が入っている。同年6月20
日「竹島漁業組合規約」には、第5条に「本組合使用スル印章左ノ如シ」とあり、「竹
島漁業組合之印章」、「竹島漁業組合理事印」、「竹島漁業組合監事印」が手書きで
記されている。今回隠岐で見つかったのはこの印章である。
3.特記事項
(1) 隠岐の島町役場竹島対策室では、隠岐の島町内で竹島に関する資料調査、聞き取り調査
を継続して実施している。昨年5月隠岐の島町内の関係者から、新たな資料についての情
報提供があった。それがこの「印譜」である。「竹島漁業組合」については、従来の研
究では、元島根県庁職員田村清三郎氏の『島根県竹島の新研究』にも記載がなく、研究
者の間でもこれまでほとんど知られていなかった。
(2)島根県公文書センター所蔵の「竹島貸下海驢漁業」と題する資料のなかを確認したとこ
ろ、明治39(1906)年の資料に、「竹島漁業組合」関係の資料が確認された。同年6月25
日の松永武吉島根県知事宛「竹島漁業組合設置認可申請」によると、「竹島漁業組合」
の発起人として、隠岐の中井養三郎・橋岡友次郎・加藤重造・井口龍太・島谷タカの5名
が入っている。島谷タカ以外は竹島漁猟合資会社の社員である。明治39(1906)年6月20
日に可決された「竹島漁業組合規約」には、第5条に「本組合使用スル印章左ノ如シ」と
あり、「竹島漁業組合之印章」、「竹島漁業組合理事印」、「竹島漁業組合監事印」が
手書きで記されている。
(3)「竹島漁業組合」設置に向けての流れは次のようになる。法的手続きに基づいて申請作
業が実施されていることが確認できる。
1)明治39(1906)年6月25日、中井養三郎他4名→松永武吉島根県知事「竹島漁業組合設置
認可申請」(島根県公文書センター所蔵「竹島貸下海驢漁業」所収)
※法的根拠:漁業組合規則(明治35年5月17日省令第8号)
第6条 「創立総会ヲ開キ規約ヲ議定シ地方長官ノ認可ヲ受クヘシ」
第13条「創立総会ヲ終リタルトキハ発起人ハ組合設置ノ認可申請書ヲ地方長官ニ差
出スヘシ」
2)明治39年9月26日、農商務省水産局から島根県知事への回答「竹島漁業組合設置認可ニ
関スル御照会之次第」(島根県公文書センター所蔵「明治39年 漁業組合」所収)
→「竹島の如きは従来無人島であって、ある漁業季節に出稼の目的で、5・6ヶ月間出
漁する者であるので、竹島に住所を有しないものと認められるので、漁業法第18
条により、漁業組合を設置すべきものではないと考える」
3)明治39年10月20日、島根県第三部長事務官藤本充安→隠岐島司東文輔宛「中井養三郎外
四名ヨリ竹島漁業組合設置ノ件」(島根県公文書センター所蔵「竹島貸下海驢漁業」所
収)
→「竹島の如きは従来無人島であって、ある漁業季節に出稼の目的で、5・6ヶ月間出
漁する者であるので、竹島に住所を有しないものと認められるので、漁業法第18
条により、漁業組合を設置すべきものではないので、その旨を申請者へ指示する
ように」=竹島漁業組合の設置は不許可
※法的根拠:漁業法(明治34年4月13日法律第34号)第18条
「一定ノ区域内ニ住所ヲ有スル漁業者ハ行政官庁ノ認可ヲ得テ漁業組合ヲ設置スル
コトヲ得、
漁業組合ノ地区ハ浜、浦、漁村其ノ他漁業者ノ部落ノ区域ニ依リ之ヲ定ムヘシ、
前項ノ区域ニ依リ難キ場合ニ於テハ、市町村又ハ之ニ準スヘキ区域内ニ於テ其区域
ヲ定ムルコトヲ得」
すなわち、「竹島は従来無人島で、申請者はある漁業季節に限って出稼ぎの目的で、5・
6ヶ月の間出漁する者であるので、竹島に住所(=生活の本拠地)を有するものとは認め
がたいので、漁業法第18条により漁業組合を設置すべきものではない」としている。
(4)「竹島漁業組合」については、「竹島漁業組合規約」には、第6章「漁業権ノ享有行使及
漁業方法」の第25条に「本組合ノ享有スル漁業権左ノ如シ、一、地先水面専用漁業権」
とあり、ナマコ、アワビ、サザエ、アシカなど50点の魚介類が列挙されている。「竹島
漁業組合創立総会決議録写」には、竹島漁業組合創立総会議長として、中井養三郎の名
前が、出席者として、橋岡友次郎・加藤重造・井口龍太の名前、捺印が出ている。これ
らのことから、「竹島漁業組合」とは、明治38年6月5日、島根県によって、中井・加藤・
井口・橋岡に許可されたアシカ漁業の許可以外に、竹島での魚貝類の採取を目的として、
竹島での地先水面の専用漁業権を確保するために、設置された組織であることが分かる。
(5)中井養三郎らによる「竹島漁業組合」の設立、竹島での地先水面専用漁業権の設定の背
景としては、竹島漁猟合資会社以外の漁業者による竹島でのアシカ密猟があった。明治
39(1906)年 4 月 30 日の中井養三郎から隠岐島司東文輔への「竹島経営ニ関スル陳情書」
によれば、同年 4 月 30 日に竹島の長期貸下(5 年間)並びに海面専用漁業免許を出願す
るに至った理由を説明し、もし他に竹島で何等かの事業を営むものがあれば、これを如
何にすることもできず、竹島漁猟合資会社によるアシカ漁業は甚だしい妨害を受け、ア
シカの群集は撹乱して、結局絶滅すると訴えている。さらに明治 40(1907)年 4 月 17 日
の中井養三郎から隠岐島司東文輔/島根県知事松永武吉への「竹島海面専用ノ義ニ付申
請書」によれば、他の者の水産物採取は口実に止まり、実際はアシカの濫獲を企てるに
至るは必然であると訴えている。実際、同年 5 月 13 日周吉郡西郷町大字西町漁業組合理
事松崎実三郎は、竹島地先編入を申請し、同年 5 月 20 日穏地郡五箇村久見漁業組合理事
池田吉太郎は、竹島地先編入申請及び竹島海面専用漁業免許を申請し、同年 8 月 31 日知
夫郡黒木村真野哲太郎は、竹島潜水器漁業許可を申請した【いずれも不許可】。これら
の動きは、中井養三郎の予想通り、竹島でのアシカ猟の参入を意図したものであり、行
政区域への編入という意味よりは、漁業組合の区域、漁業権と関連していたといえる。
すなわち、「竹島漁業組合」の設立、竹島での地先水面専用漁業権の設定は、竹島漁猟
合資会社以外の漁業者による竹島でのアシカ猟を阻止することを目的としたものであっ
た。結局この問題は、明治 41(1908)年 6 月 30 日の「島根県漁業取締規則」の改正、す
なわち、漁業取締規則第 8 条において、竹島とその地先 20 丁以内では海驢漁業以外の漁
業は禁止という項目を追加することで決着がはかられた。
(6)中井らの「竹島漁業組合」設置認可申請を島根県が農商務省と協議のうえ却下したこと
は、その理由が、申請の根拠法である漁業法(明治34年4月13日法律第34号)第18条第1
項の住所要件を満たさないことを理由にしたものであるので、申請の却下という行政処
分(漁業組合設置不認可)あるいは申請を接受し審査し却下した行為の全体を指してお
り、竹島に対する行政権行使(国家権能の表示、実効的占有の一例)であると言える。
竹島漁業組合の「竹島」は漁業法18条2項にいう「漁業組合の地区」(浜、浦、漁村其他
漁業者ノ部落ノ区域)を表しており、当該地区に係る漁業組合の設置主体は、「一定ノ
区域内ニ住所ヲ有スル漁業者」(同条1項)であるところ、本件申請者は竹島に住所があ
るわけでないという話であるため、不認可は、まさに法令を適用した結果だということ
になる。
4.その他
隠岐の島町久見の竹島問題の調査研究施設「竹島資料収集施設」(愛称「久見竹島歴史
館」)では、今後この資料の展示を検討しています。