わが国初、民間向け飛行機の誕生

戦後のGHQ解禁から7年、その間日本の航空機工業は、自衛隊向けの戦闘機を中心に生産を行ってきた。そのため、当時日本の空を飛ん
でいた民間旅客機はすべてが海外製であった。「日本の空に、日本の翼を-」日本国内で長期安定した航空機の生産を行っていく
ため、1959年に日本航空機製造が発足した。その翌年には三菱重工業、川崎航空機工業、富士重工業、新明和重工、日本飛行機、昭和
飛行機の6社の作業分担、部品・材料などの生産体制が決まり、中型輸送機はYS-11と名づけられた。YS-11は日本の航空機工業界に
とって、初の民間航空機であり、安定した航空機工業の再建に貢献した。
欧米先進国で「滑走路ゼロ航空機」への挑戦がはじまった。これに呼応してわが国も1990年代までに滑走路なしで離着陸ができる旅客
機の実用をめざして開発がスタートした。これはエンジン2基を機体に対して垂直に取り付け、下向きに噴射するジェット推力で垂
直に浮き上がるというものである。1962年からエンジンの開発に着手、1970年に初の離陸に成功したが、結果として経済性、騒音など
の難題により実現には至らなかった。その後日本の技術開発の重点は経済性と低騒音性を備え、かつ短距離で離着陸できるSTOL旅客機
へと方向転換された。1985年にFJR710ターボファンエンジンを搭載したSTOL実験機「飛鳥」が初飛行に成功し、この垂直離着陸実験に