B767の開発では、燃費をよくすること、環境に配慮 することが求められた

B767の開発では、燃費をよくすること、環境に配慮
することが求められた。
開発がスタートした1969年頃は、オイルショックの直
後で、不安定な燃料価格や公害問題が重視され
た時代。いわゆる環境にやさしい、乗り心地の
いい、乗客本位の航空機開発を進めていた。
羽根や胴体の設計は日本の担当だった。胴体は、
空気の抵抗が少なくなるよう設計した。
客室は広く、座席の配置も2人、3人、2人の配置に
し、人の間にできるだけはさまれないよう、乗り心地
に気を配った。
さらに空港や客室内も低騒音を目指した。
オイルショックの影響で、石油価格がどんどん上昇
すると思われていた当時、特に低燃費は開発の
重要なポイントとされていた。低燃費だからコストを
かけず快適に飛べる、B767は、まさに時代に求めら
れて生まれた飛行機だった。
昔は飛行機にも、自動車にも、たくさんの丸い計器
がついていた。日本初の中型輸送機として開発され
たYS-11にも、大小さまざまな丸い計器があった
が、B767になると、計器はコンピュータ画面に納
まった。これにより、パイロット2人で操縦できるよう
になり、運航費を下げることに成功した。
通常、機長は左側に、副操縦士は右側に座る。以
前は、もう1人、後ろに横向きになってフライトエンジ
ニアが座っていた。エンジンの調子を見たり、機体
の油圧やエアコンをみる係がいなければ空を飛ぶ
ことができなかった。
B767は、フライトエンジニアの仕事をコンピュータに
置き換えて自動化し、パイロット2人だけで操縦でき
る、最初の飛行機となった。計器盤が示していた
情報を、現在のコンピュータと同様の方式で画面に
表示することができる最新式のコックピットは、そ
れまでの飛行機とはまったく違っていた。
ターボファンを採用したB767のエンジンにも日本の
技術が生きていた。ターボファンといっても古いエ
ンジンで、エンジンの出力や重さ、燃費、騒音など、
問題が数ある中で、特に力を入れたのは騒音対
策だった。
エンジンの騒音を減らす技術はさまざまあるが、ひ
とつにはエンジンのケースがある。
エンジンの外側のケースを専門用語で「ナセル」と
いうが、この「ナセル」に音を吸収する物質を張りつ
ける。それをどういう形にするかで騒音は大きく変
化する。この形を検討する試験に日本も参加した。
その当時から、騒音をはじめとする環境対策が大き
な社会問題となっていた日本は、早くから技術開発
の重点を経済性や低騒音性に転換していたため、
その開発の成果は世界に誇るものとなっていた。
B767の開発で、日本は主に胴体を造ることになっ
た。特に腐食を防ぐための研究は繰り返し行わ
れた。飛行機で一番大切なのは安全である。腐食
のために胴体が裂けて乗客が飛び出すようなこと
が絶対にあってはならない。
点検がしやすく、腐食しにくく、胴体が長持ちする、
それでいて安全性に優れた胴体にするため、最善
の安全策が研究された。ハワイで胴体が吹き飛ぶ
事故が発生した後、改良を重ねたB767プラスでは、
この種類の事故は起きていない。
設計では、どうやって軽くするかが問題となった。重
い飛行機では燃費が悪くなるため、軽く造らなけれ
ばならない。しかし、安全にしよう、整備しやすくしよ
うとすると、どうしても重たくなってしまうため、その
矛盾をクリアしなければならない。
飛行機は胴体を軽くするために、胴体の外側は
アルミ板を使用している。YS-11では、取り付けたア
ルミ板ごとに厚みは一定のままであったが、B767で
は、設計にあわせて削れるところは薄く削った。
もっと精密に削れるようエッチングという手法も取り
入れた。金属の表面にワックスを塗り、引っかいて
から酸につけると、引っかいたところが薄く凹むとい
う原理の応用だ。1分間、つけると何ミリ凹むのかを
計算した上で、アルミ板にカバーをし、削りたいとこ
ろはカバーをはずして液に浸し、削っていった。この
作業を繰り返すことで、アルミ板を軽量化した。
完成するまでには、合計7回のエッチングが必要
だった。図面を見た製造現場からは、不満の声がも
れるほど、大変な作業だった。エッチングの基本原
理は、広い分野で応用され、これまでも小さい部品
ではよく使われてきたが、大きな部品では、これが
初の試みであり、商業ベースに乗せるために、それ
から数多くの実験を必要とした。