資料4

資料4
レジメ
保阪正康
はじめに…聴取項目(8項目)のすべてに意見を述べるのは、無理なので、私自身が関
心をもつ項目を中心に、個人的意見を述べたい。私の関心をもつのは、④、⑤、⑥、⑦
である。④、⑤は摂政と、政務代行であり、天皇の御公務が天皇の手を離れることを
意味する。⑥と⑦は、譲位に関してである。摂政と譲位についての私見を具体的に語
っていきたい。
摂政について…近代日本の摂政設置について、法的、あるいは政治的な形で見るのでは
なく、現実に行われたケースをもとに具体的に確かめていきたい。そこには次のよう
な特徴があった。
(イ)大正天皇の病いを国民に伝えたときの発表文の非礼(ロ)皇太子(のちの昭和天
皇)の複雑なご心境(ハ)摂政の性格の曖昧さ(ニ)摂政の国事行為の不透明さ(ホ)
その他(国民の反応など)
こうした現実を検討していくと、そこにはきわめて微妙な問題がある。さらに大正1
0年11月から大正15年12月25日の大正天皇崩御までの5年間は、
「天皇という
存在の二重性」が明らかになり、実際にこの間は、天皇の存在が曖昧な形になってい
る(むろん現在とは体制が違うので単純な比較はできないが、統帥権は実質的に不透
明であった)。一方、昭和天皇におかれては昭和63年のある時期からは、御政務がと
れないために、政務代行を置くという形になっている。今上天皇はそのようなおふた
りの状態を、人道的視点で納得することはできない旨を今回のメッセージに託された
ように思う。
譲位について…近代日本にあっては大日本帝国憲法と旧皇室典範が一体化することで大
日本帝国をつくりあげてきた。そのあとの現在の憲法のもとでも、この憲法に即応す
る皇室典範が考えられるべきだった(GHQは旧皇室典範と異なり立法府における一
法案とすべく命じた)。昭和21年3月から臨時法制調査会で新しい皇室典範が論議さ
れたが、中心になったのは、皇位継承であった。それに続いて「退位」も論じられてい
る。退位についての容認論も多かったのだが、現実にはこのときの退位容認論は「戦
争責任」ともからむので、退位は新皇室典範ではふれられなかった。
(このときの議論
で、注目すべき点は宮沢俊義氏は「皇室典範」ではなく「皇室法」とすべきではないか
との見解を示したこと、さらに枢密院で三笠宮殿下が発表された意見書である。殿下
は退位を人間的側面から主張していた)。
おわりに…私は現在の憲法と一体化、あるいはその精神とつながる形の皇室典範(ある
いは皇室法)が望ましいと思う。現在の皇室典範は昭和21年に考えられたもので、
戦争直後という背景もあった。しかし今なら新しい視点で改正できるはずである。よ
しんば特例法によって「生前退位」を認めるにしても、それは現在の皇室典範の改正
を前提としての法律でなければならないと思う。
(以上)