自衛の研究は認めるべき

戦争目的には反対
員会の結論を待ってほし
解は︵同会議内の検討︶委
一方、同制度の来年度予
算で同省は8月、110億
筑波大学
管弦楽団定期演奏会 5
オリジナルコーヒー発売 2 3
連覇8
絶対音感
女子バドミントン
リーグ戦優勝確定 9
インカレ団体
今年もプロ野球は﹁戦力外
通告﹂の時期を迎えた。シー
ない疎外感は痛いほどわかる▼経済
自分にとって、チームに必要とされ
協力開発機構︵OECD︶の調査に
向 上 し な い 技 術。﹁ 戦 力 外 ﹂ だ っ た
月ごろまで
よると、現在の日本のひとり親家庭
ズン終了後から
に発表される退団勧告。毎年
の貧困率は
カ国
100人前後がその対象とな
収入が少なく、一日一食だけだった
中 ワ ー ス ト 1 位 だ。 報 道 に よ る と、
・6%で、加盟
るが、結果が出なければ﹁無
用﹂となるプロの厳しさを象徴する
り、子供の健康悪化すら懸念される
天久保3丁目で被害
言葉だ▼プロ野球好きの自分にとっ
母 子 家 庭 が 多 い と も い う ▼ 今、﹁ ダ
わいせつ事件
ては嫌な季節だ。ある時、大学球界
イ バ ー シ テ ィ﹂︵ 多 様 性 ︶ と い う 言
学内各所で試験営業
2人が応募を希望していた
で注目されプロ入りした捕手がい
る人、そうでない人。人間は多様だ。
が、1人は辞退。もう1人
そ し て そ の 多 様 性 を 踏 ま え た 上 で、
筑波大学の研究推進部に
ない。文科省の科研費など 科学の発展が見込めるので
よると、同制度の今年度募
一般の競争的資金を増額す はないか﹂とも語った。
今、彼がどうしているかを考えると
誰もが幸せになれる社会を作るべき
葉が叫ばれる。持つ人、持たざる人。
切なくなる▼高校時代、漕艇部にい
だ と 思 う。 社 会 で の﹁ 戦 力 外 通 告 ﹂
た。頭脳的なリードに魅せられ応援
た。 週 6 回、 欠 か さ ず 練 習 し た が、
は決して許されない。
は他の研究機関を中心とす
筑波大教員の
応募なし
と指摘された。いくら漕ぎ続けても、
﹁ 動 き が 遅 い ﹂﹁ 水 を 押 す 力 が 弱 い ﹂
笑顔でつくばを訪問
リオ柔道メダリスト 永瀬・廣瀬両選手
筑波大で2人は約 人の
教職員が出迎える中、本部
話した。
に向け稽古を重ねたい﹂と
取れず︶悔しい。東京五輪
講 演 で 永 瀬 選 手 は﹁︵ 金 を
棟に到着。リオ大会での結
スーパーでも宿舎から1㌔ 日学園義務教育学校︵つく
︵ 徳 永 翼 = 日 本 語・ 日 本 文
だが敗者復活戦を勝ち上が
を獲得し、大会後に引退を
表明した。講演では﹁東京
はとても緊張したが、深呼
た か ﹂ と 聞 か れ、﹁ 大 会 で
講 演 後 に は 質 疑 応 答 も。
廣瀬選手は﹁緊張しなかっ
永瀬選手は金メダル候補 大会では応援する側に回り
だったが、
準々決勝で敗退。 たい﹂と笑顔で話した。
した。
160人の生徒を前に講演
一方、廣瀬選手はアテネ
年度体育専門学群卒︶と、 動 し 市 原 健 一 市 長 ら と 懇
大会以来2度目の銀メダル
の背景には、今年5月に国
以上離れており、特に雨の
ショッピングプラザ誘致
ば市春日︶を順に訪問した。 り、 3 位 決 定 戦 も 制 し た。
果を報告した。市役所に移
中学校で講演も
得した永瀬貴規選手︵平成
談 し た 後、 春 日 学 園 で 約
リオデジャネイロ五輪の
柔道 ㌔級で銅メダルを獲
㌔級
パラリンピック柔道
月 日、筑
年度理療科教員養
で銀メダルの廣瀬誠選手
︵平成
成施設卒︶が
く、
買い物に不便だったが、 ピングプラザを建設。利用 は平砂・追越地区に建設が
立大学法人法が一部改正さ
波大学とつくば市役所、春
状況が良ければ西側にも増 進 む 新 宿 舎﹁ グ ロ ー バ ル
誘致が実現すればその問題
筑波大生は﹁大学からの帰
グ プ ラ ザ が 開 業 さ れ れ ば、
日は買い物がとても不便
設する考えだ。
駐車場があり、計画ではこ の運用を予定しており、日
賃借料を取り、収益を研究
波 大 生 以 外 の 地 域 住 民 も 来日直後で大学周辺の地理
ショッピングプラザを使え に詳しくない留学生にとっ
費などに生かす考えだ。
過去、平砂宿舎に住んで 化学類2年、石川泰行=社
いた筑波大生は﹁一番近い 会学類2年︶
るように、駐車場を充実さ て 不 便 だ と 指 摘 さ れ て い
筑波大によると、計画で
せていきたい﹂としている。 る。
ザ に 期 待 感 を 示 し て い た。
今回の計画では、筑波大 宅途中に学内で買い物がで
携・渉外室の担当者は﹁筑 マ ー ケ ッ ト な ど が 少 な く、
は出店する企業から土地の きる﹂とショッピングプラ
になった。
生活が非常に便利になる﹂
れたことがある。筑波大な
デストリアンデッキ︵図中
と話している。また同宿舎
ヴィレッジ﹂に入居する学
の赤い道路︶を約200㍍
可を受けた上で、大学の土
の解消が期待できる。筑波
ショッピングプラザの建設
北上した同デッキを挟んだ
地などを民間業者など第三
ど国立大学法人は来年の4 だった。学内にショッピン
を計画していることが、連
両側の広場。西側の広場は
付近のアパートに住む別の
生の利用も視野に入れてい
携・渉外室などへの取材で
ヘリポートに指定されてい
者に貸し付けることが可能
月以降、文部科学大臣の認
分かった。これまで平砂地
るため、まず東側にショッ
12
集︵3∼5月︶に応募した
るべきだ﹂と発言した。
いのではないか﹂とした。
献したが、日本では機械な
ど民生研究が科学界をけん
引 し て き た と 指 摘 し、﹁ い
たずらに防衛関連の研究費
を増やすより、民生研究に
が上がった。
(佐々木悠里=人文学類2年、2面に関連記事)
障がい者、健常者。そして才能のあ
ARE 制度で研究先取り
書き入れて押印し「五輪精神」の書が完成すると、会場から歓声
していたが、プロ7∼8年で戦力外
キッチンカー導入
男子バスケ
3
るチームの一員として応募
の研究も否定されるべきで
集し、資金を拠出する防衛
円を概算要求。認められれ
学生に資金援助
学群長が共同で書道作品を作るイベントも。会長が最後の一筆を
その理由として大西氏
は、同制度が対象とする研
究の内容が基礎的なため科
研 費 で も 行 え る 点 を 指 摘。
昨年度の同制度の採択率
︵109件中9件︶が科研
件
費に比べ大幅に低かったた
めに、今年度の応募が
と前年より半減するなど研
究者が同制度を敬遠した可
能性がある。このため大西
場の見直しを含め議論して
は な い ﹂ と 話 し た。 ま た、 的に合う研究成果が出やす
氏は﹁科研費などを増やし
目的の研究﹂の否定声明を
いる。来年3月までに一定
この立場について﹁戦争目
た方が結果的に防衛省の目
出すなど、戦後軍事研究を
の見解をまとめる予定だ。
省の﹁安全保障技術研究推
い﹂としながら、個人の考
また大西氏は、米国では
大西氏は軍事研究の是非 的ではなく、過去の声明と
だが、安全保障などに役
軍事研究が科学の発展に貢
立つ研究を大学などから募 に つ い て、﹁ 学 術 会 議 の 見 も矛盾しない﹂とした。
進制度﹂の開始を受け、同
倍以上になるが、これに
ば今年度予算︵6億円︶の
紙面から
筑波大の教員はいなかっ
茨城県つくば市
天王台1−1−1
に な り、 消 息 が 分 か ら な く な っ た。
筑波大学
したが、採択されていない。
᭶䚷 䚷 ห
た。昨年度の募集では当初
発 行 所
る。同宿舎は来年4月から
入札を行いたい考えで、そ
の状況を見て店舗数などを
区など大学構内の一部は
34
6, 7
特集
で開催された。式典の最後には、バッハ会長と中村伸夫芸術専門
﹁自衛の研究は認めるべき﹂
日本学術会議会長
軍事研究に対する立場の再検討を5月から進めている、日本の科学者の代表機
関・日本学術会議の大西隆会長︵豊橋技術科学大学学長︶が本紙の取材に応じた。
大西氏は、個人の見解として﹁戦争のための研究には断固反対する﹂と話す一方
で、﹁自衛目的の研究は認めるべきだ﹂と発言。この考えは戦後、軍事研究を否
定した同会議の立場とは矛盾しないとした。一方、防衛省が昨年度創設した﹁安
全保障技術研究推進制度﹂については﹁科研費など他の競争的資金を増額した方
shinbun@
un.tsukuba.ac.jp
否定した。
言。このため﹁自衛のため
E-mail
力を入れた方が、安定した
27
が合理的だ﹂と指摘した。
︵添島香苗=生物学類4年、2面に関連記事︶
防衛省公募の増額
﹁賢明ではない﹂
029(853)2040・6699
また東側広場の更に東に
大は早ければ今年度中にも
は車が120台収容できる
ついて大西氏は﹁賢明では
大学教員の思いとは
会長を招いた特別式典が東京キャンパス文京校舎
(東京都文京区)
編集代表
福原直樹
TEL:
会 議 は 5 月、﹁ 安 全 保 障 と えとして﹁自衛隊の設置は
人 ︶ を 設 置。 過 去 の 立 日本は解釈している﹂と発
関東学生新聞連盟 合同紙面
10 月 20 日、
トーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)
編集責任
学 術 に 関 す る 検 討 委 員 会 ﹂ 国際法で認められていると
年に﹁戦争 ︵
60
25
同 会 議 は、 科 学 者 が 戦
争に協力した反省から
1950年と
学内に商業施設計画
ミニ特集
IOCバッハ会長 書に触れる
筑波大学新聞
の駐車場を拡大し、同プラ 本人学生と留学生が共同生
筑波大学が、平砂学生宿 決める予定だ。
計画では、建設予定地は ザ の 駐 車 場 と す る 予 定 だ。 活を行う予定だ。だが、同
舎︵つくば市天久保︶の北
平砂学生宿舎共用棟からペ 計 画 を 進 め る 筑 波 大 の 連 宿 舎 の 近 く に は ス ー パ ー
平砂宿舎の北側
年度中にも入札
81
12
大西隆会長
11 11
撮影・秋田耕平=社会学類1年
第331号
スーパーマーケットが遠
側 に、 複 数 の 店 舗 が 入 る
10
18
60
花道を通る永瀬選手(中央)と廣瀬選手(右奥)
15
54
た。 ︵秋田耕平、写真も︶
かった﹂と興奮ぎみに話し
持 っ た が、 予 想 以 上 に 重
徒は﹁永瀬選手のメダルを
した。講演を聞いた男子生
に握手しながら会場を後に
最後に2人は生徒が並
ぶ﹁花道﹂を通り、生徒ら
と語った。
い緊張感で試合に臨めた﹂
吸して落ちつくことで程良
(10 月 25 日、春日学園義務教育学校で)
67
44
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
(1)
筑波大学は 月 日、来日したトーマス・バッハ国際オリンピック委員会︵I
OC︶会長を招いた特別式典を東京キャンパス文京校舎︵東京都文京区︶で開き、
同氏に名誉博士号を授与した。バッハ会長は﹁非常に名誉に思う。私だけでなく
IOC全体がもらったものだと思いたい﹂とした上で、東京大会に向け注目を集
める筑波大のつくば国際スポーツアカデミー︵ TIAS︶= =にも言及。﹁世
界のスポーツ界が急速に複雑化・グローバル化する中で、若い世代への教育は重
と述べた。またバッハ会長
れぞれ1300円、ホット
ひたちなか市︶と共同開発
アーモンドやビターチョコ
日まで、中央
月 日から
中央図書館で
月
図書館で特別展
﹁歴史家 二宮宏
之の書棚﹂が行わ
類法ではなく、二宮氏が定
めた分類法のまま収容。津
崎准教授は﹁極めて珍しい
収集事例﹂という。
特別展では同文庫内の貴
重書を中心に、二宮氏が岩
波書店の編集者と交わした
日には、二宮氏と生前
交流があった成城大学の林
書簡なども展示している。
田伸一教授と国際基督教大
れている。二宮宏
大学などで教壇に
之氏は東京外国語
立ち、2006年
に死去したフラン
ス史家。
年に、二宮氏
の蔵書を夫人が立
学の高澤紀恵教授が、津崎
准教授の司会による座談会
に 登 壇。﹁ 二 宮 氏 に 卒 業 論
文の相談をすると、当時貴
今後について話し合われ
振り返りつつ、二宮文庫の
た﹂などの生前の思い出を
川 孝 一 名 誉 教 授 重だった本を贈ってくれ
︵人社系︶を介し
て、筑波大学附属
た。
属図書館は﹁二宮文庫﹂と
図書館に寄贈。附
的なブランド力が向上して
ることができた﹂と話した。
んの人間性をより近く感じ
も展示されており、二宮さ
ほしい。また、サザコーヒー
回の試みで、筑波大の国際
企画を担当した連携・渉
外室の山田哲也室長は﹁今
話していた。
味わいが印象的だった﹂と
んだ直後に広がる爽やかな
た筑波大の男子学生は﹁飲
サザコーヒーのつくば駅
前店で同コーヒーを注文し
される。
た﹁筑波大学基金﹂に寄付
支援などを目指して新設し
成 年度に、学生への経済
上げの一部は、筑波大が平
購入可能だ。これらの売り
のオンラインショップでも
されている。サザコーヒー
コーヒーが550円で販売
オリジナルコーヒー発売
筑波大がサザコーヒーと共同開発
は、問題となっている東京
大会の開催費について﹁︵政
府、東京都、大会組織委員
会、IOCの4者で行う予
筑波大学は 月1日、サ
定の︶協議で、開催費を大
ザコーヒー︵本社・茨城県
る﹂と話した。更に被災地
の﹁筑波大学アリアンサエ
きく削減できると信じてい
今回の授与は﹁筑波大の 基 づ く ス ポ ー ツ 教 育 や ス
式典には永田恭介学長の での一部の競技の開催案に
スポーツ教育に賛同し、自 ポーツ科学の振興に寄与し ほか、小池百合子東京都知 ついて﹁被災者の皆さんの
ステートコーヒー﹂を、サ
要だ﹂と期待を寄せた。
︵佐々木悠里、秋田耕平、1面に関連写真︶
力になると信じている﹂と
したオリジナルブランド
事、森喜朗大会組織委員会
た﹂ことなどが理由。
ザコーヒーのつくば駅前店
身もオリンピックの精神に
も話した。
ル人材の育成に大きく貢献 ンつくば店︵つくば市小野
TIASについては小池 ︵ つ く ば 市 吾 妻 ︶ と T S U
長 官、 竹 田 恆 和 日 本 オ リ
ン ピ ッ ク 委 員 会︵ J O C ︶ 都 知 事 も 言 及。﹁ グ ロ ー バ T A Y A L AL A ガ ー デ
会長などが顔を揃えた。森
く評価していた。
会長は﹁バッハ会長の下で、 している﹂と取り組みを高 崎 ︶ の 2 店 舗 で 発 売 し た。
同じ船に乗り、協力して東
T I A S = 国 際 的 な ス のような風味と後味の甘さ
京大会を成功させたい﹂と
ポ ー ツ イ ベ ン ト の 運 営 者 が特徴で、発売開始から約
あいさつした。
バッハ会長は名誉博士号 や、国際オリンピック委員 1カ月で好調な売れ行きを
の授与を受けた後に﹁五輪 会 の 幹 部 な ど、 今 後 の ス 見せている。
に引き継がれ、今年8月に
同展に来場した女子学生
して整備してきた。退職後
は津崎良典准教授︵人社系︶ は﹁書物だけでなく、手紙
サ ザ コ ー ヒ ー の 店 舗 で のような地元の企業との連
コーヒーは、筑波大のサ 理事長がブラジルに所有す
が教育において果たす役 ポーツ界を支える人材を
割 ﹂ と 題 し て 講 演。﹁ オ リ 育 成 す る 目 的 で 筑 波 大 が ン パ ウ ロ オ フ ィ ス を 通 し る﹁アリアンサ農園﹂で生 は、 コ ー ヒ ー 豆︵ 2 0 0 携は、地域産業の振興にも
産されたものを使用してい
蔵書約9000点を収め終
て、2016年9月にブラ
㌘︶と、カップに乗せてお つながるため継続していき
2015年に設立した大学
ンピックが社会に貢献する
月
DC展・MC展
日︵日︶にDC展が、
日︵日︶にMC展が茨城県つくば美術館︵つくば市
月8︵火︶︱
催事
伊藤純郎
︵人社系 教授︶
︵人社系 准教授︶
山澤学
︵火︶
二宮文庫は通常の図書分 ︵鈴木瑞穂=人文学類1年︶
㌘×9袋︶がそ 太=人文学類1年、写真も︶
︵ 益 本 健 えた。
湯 を 注 ぐ 形 式 の コ ー ヒ ー た い ﹂ と 話 し た。
ジのデザインは原忠信准教
サザコーヒーが、パッケー
チ・ドーピングなどの各分 したことを記念して作られ
パック︵
ことが重要だ﹂としたほか、 院博士前期課程の専攻。イ ジル・サンパウロのサンタ・ る。豆の焙煎や抽出などは
対するスポーツ教育も重要
﹁ T I A S な ど の 次 世 代 に ベ ン ト の 運 営 方 法 や ア ン クルス病院との協定を締結
11
東日本大震災等を経
書を展示する。
専攻する学生らが製作した洋画・版画・日本画・彫塑・
開催時間は両展とも午前9時 分から午後5時まで
で、最終日はDC展が午後3時で閉館、MC展が午後2
回筑波大学学園祭
︵DC展︶、
[email protected]
︵MC展︶
[email protected]
問い合わせ=
時で閉館。入場は無料。
第
第 回筑波大学学園祭﹁雙峰祭﹂が 月4︵金︶︱6
日︵日︶に行われる。今年度のテーマは﹁全部森のせい
頁。 月7日刊。 だ。﹂。3日間で約450の企画が行われる。
判並製、224
る本です。A5
意味をも発信す
し、学問の存立する
ることを実践して示
対応しうる学問であ
歴史学・人類学が
現代的な問題関心に
いかけます。
られている問題を問
験した私たちに課せ
方まで視野に入れ検
DC展は筑波大学大学院の人間総合科学研究科の博士
証 し て い る 本 書 は、 後期課程で、MC展は博士前期課程で、それぞれ芸術を
吾妻︶で開催される。
来を構想し、﹁再生﹂
︱
へと導いた先人の知
15
・
性と社会秩序のあり
13
・
授︵芸術系︶が担当した。
大学の対応分かれる
4月、部局長会議で﹁軍か は、革命・戦争・テ
同制度への大学の対応は
グローバルな現代
分かれている。京都大学は 文明を生きる私たち
ら の 研 究 資 金 は 受 け な い ﹂ ロリズムなどの社会
然災害、地球規模の
とする1967年の申し合 的暴力、あるいは自
わせを確認した。また新潟
環境破壊など、さま
ざまな﹁破壊﹂に直
月、学内の﹁科
大学は昨年
学者の行動指針﹂を改定し
﹁ 軍 事 へ の 寄 与 を 目 的 と す 面している。単純に
過程のみを解明する
る研究は行わない﹂という ﹁ 破 壊 ﹂ の 凄 惨 さ・
文言を追加している。
――自然・災害・戦争の記憶から学ぶ
た。コーヒー豆は同病院の
で、 大 い に 期 待 し て い る ﹂ 野を総合的に学ぶ。
定。例えば、現行制度では
件あった
一方で、同制度に応募し のではなく、﹁破壊﹂
た大学の研究者もいる。今 された後、新たな未
年度の募集では
11
会長、鈴木大地スポーツ庁
支給額数十億円の場合も
長期支援も視野に
沿ったものだという。
鈴木氏によると、概算要
求の大幅増額分は、資金の
支給期間の延長のほか、半
1件あたり最大3年間で計
21
30
防衛省公募
︻1 面 参 照 ︼ 防 衛 省 が 昨 年 度 創 設 し た﹁ 安 全 保 障 技 術 研 究 推 進 制 度 ﹂ に つ い て、
同制度を運用する防衛省の外局・防衛装備庁の鈴木茂・技術戦略部技術振興官が本
紙取材に応じた。同制度は国の安全保障などに役立つ研究を大学などから募集し資
金を配分するものだが、同省は来年度の予算について8月、今年度︵6億円︶の
倍以上にあたる110億円を概算要求している。鈴木氏はこの理由について﹁高額
導体など高額な資金が必要
給額が数十億円になる可能性も示した。
︵添島香苗、写真も︶
約1億円を支給するが、増
な研究の支援に充てる予
術基本計画﹂を閣議決定し
な研究の長期的な支援体制を整えるため﹂と話し、今後、現行の最大約1億円の支
たが、同戦略では﹁我が国
の学術研究に対する海外か 氏は﹁いろいろな意見があ
﹁安全保障技術研究推進
鈴 木 氏 に よ る と、 来 年
制 度 ﹂ は、 同 省 が 定 め た 度 の 概 算 要 求 が 一 気 に
額後は最大5年間で計数億
件
1 1 0 億 円 に 増 え た の は、 の安全保障を巡る環境が一
応募のうち、約半数の
基礎研究の課題に取り組
学︵北海道大学、東京農工
らの信頼が損なわれる﹂と る の は 当 然 ﹂ と し、﹁ 今 年 が大学。審査の結果、5大
大学、東京理科大学、大阪
∼数十億円の支給も検討し
いう指摘もある。応募件数 度も設定した研究課題に沿
国 の﹁ 安 全 保 障 技 術 重 視 ﹂ 層厳しさを増している﹂と
は昨年度の109件から今 う内容の応募が集まり、採
む 研 究 者 に、 最 大 で 年 間
∼
3000万円の資金を1∼ の 意 向 を 踏 ま え た た め だ。 指 摘。﹁ 安 全 保 障 の 確 保 に ているという。
3年間支給する。昨年度の 政 府 は 1 月、 平 成
市立大学、山口東京理科大
学︶が採択されている。
11
防衛装備庁が入る防衛省市ヶ谷庁舎(10 月 19 日、東京都
新宿区で)
年度は 件と半数以下に減 択上問題はなかった﹂と話
い ﹂ な ど の 批 判 や、﹁ 日 本 少した。これについて鈴木 している。
同制度には﹁科学者が軍
資する技術の研究開発﹂を
事研究に加担すべきではな
推進するとしており、今回
の大幅な概算要求はこれに
13 10
12
22
11
42
詳細=
前夜祭は4日午後3時 分∼午後9時、本祭は5日、
2800円+
6日とも午前 時∼午後9時。
税。
www.sohosai.tsukuba.ac.jp
10
12
10
年度の科学技術政策の方針
サザコーヒーと共同開発した「筑波大学アリアンサエス
編著
破壊と再生の歴史・人類学
東京キャンパスで
をまとめた﹁第5期科学技
特別展「歴史家 二宮宏之の書棚」
20 11
42
10
筑波大が名誉博士号を授与
予算は3億円で、今年度は
32
テートコーヒー」
(10 月 16 日、つくば駅前店で)
10
20
28
10
23
44
IOC トーマス・バッハ会長
倍の6億円になった。
44
30
記念撮影を行うトーマス・バッハ会長(下段左から 3 人目)
、
小池百合子都知事(上段左から 3 人目)ら=秋田耕平撮影
18
(2)
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月) 学内総合
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
大学の教員は多士済々だ。研究者、教育者のほかに、評論家、芸術家など複数
の﹁顔﹂を持つ教員も多い。彼らは﹁大学教員﹂という職をどのように捉え、な
ぜ大学教員になり、学生にどんな指導を行っているのか。また大学と教員の現状
をどう考えているか。若手からベテランまで4人の教員に聞いた。︵今回の特集
は関東の7大学新聞で組織する﹁関東学生新聞連盟﹂の企画です。本紙のほか、
るなど、多方面で活躍中だ。
上智新聞編集部、慶應塾生新聞編集部から記事の提供を受けています。︶
技術を使い、光で空中に描
の世界観を提唱。最先端の
上智大学
れる。テレビに多数出演す
外や志賀直哉を中心とした
日本の近代文学で、加えて
職業について、文学や文 近代短歌も研究する。
自身の経緯について、職
学者を通して知ることは少
業として大学教授を志した
漱石は﹁道楽と職業﹂とい
授。
ことは一度もないと小林教
なくない。かの文豪、夏目
う題目で講演をし、自身の
で修士の学位を修得。同大
いた。小林教授は、上智大
科の小林幸夫教授に話を聞
て、上智大学文学部国文学
だけでは食っていけないか
ことが嫌いだけれど、研究
しばしば講義内で﹁教える
こ と を し て い る 時 で あ り、
に。労働とはやりたくない
職 業 観 を 語 っ た。 文 学 と、 好きな研究をより長く続
けられるとして大学教授
博士課程在籍中に作新学院
ら仕方なく教えている﹂と
大学教授という職業につい
女子短期大学の講師が決ま
本などを教えるセミナーで
いう。教員であり、研究者
は、学生にパワーポイント めには、何事にも時間をか れすぎだ﹂と指摘。予算が
会で腐らない学生を育てた も っ と 経 営 を﹃ 回 し ﹄
、研
授業方法も独特 い﹂
究大学としての役割に集中
だ。 1、2 年 生 対
事務仕事も多い。学類ご するべきだ﹂と話す。
象の﹁コンテンツ とに教員が組織する広報委
また教員が授業や研究以
員会に所属し、大学説明会 外の事務に追われる現状に
応用論﹂では、授
を 用 い た 自 己 紹 介 を さ せ ける必要がある。そんな社 年 々 減 少 す る 中、﹁ 大 学 は
た。
を学生がツイッ
業への質問や感想
1∼2回の職員会議に出席 教員は専門的な授業以外は
の準備などを行うほか、週 ついては﹁人員整理を行い、
タ ー で 授 業 名 に したり、大学入試に関わる 担当を外して、専門的な教
ハ ッ シ ュ タ グ = 仕 事 も。﹁ 大 学 入 試 の 関 連 育・研究に専念できるよう
= を 付 け て ツ 業務は、学会の発表原稿の に す る べ き だ ﹂ と 述 べ た。
イート。落合助教 締め切りと重なることも多
︵佐々木悠里︶ 大学2年の時に陸上部で
がそれを見て授業 く、徹夜が続く﹂。
ハッシュタグ=ツイート 膝を故障した経験から﹁選
に反映させる。ま
最近ではメディア露出も などに付ける﹁#﹂のマー 手 を 身 体 的 に 支 援 す る こ
増え、常に仕事に追われる。 クで、これを基に更なる検 と ﹂ に 興 味 を 持 っ た。﹁ ト
トレーナーの第一人者だ
が﹁あくまで大学の職務が
優 先 ﹂。 ト レ ー ナ ー の 仕 事
は、 基 本 的 に は 週 末 の み。
大学では、体育専門学群以
外の一般の学生への指導も
重視し、必修科目の体育で
ゴ ル フ を 受 け 持 つ。﹁ 授 業
で学生に新たな知識や技術
を授け、視野を広げるのが
教員の役目﹂と話す。
レ ー ナ ー を 勤 め た。 だ が、 的データを精密に管理。そ
合スポーツ用品の﹁アシッ
筑波大では選手の体脂肪
ク ス ﹂ で 同 社 の 選 手 の ト 率やMRI画像などの医学
ルフの授業では、学生との
て指導したい﹂と話し、ゴ
そ、学生と面と向かいあっ
を入手できる現代だからこ
指導方法には信念があ
る。﹁ ネ ッ ト で 簡 単 に 情 報
価され、元プロ野球選手の
を感じなかった﹂。
﹁ 仕 事 が 少 な く、 や り が い れを利用した指導が高く評
合った指導を行う。
化を見極め、一人ひとりに
レーナー﹂という職が浸透
集 を 知 り、﹁ 再 び 大 学 で ト や世界レベルのシンクロナ
1週間の閲覧数が で、研究室には着替えと簡
独学で選手の支援法を勉強
し、陸上部員の体調や戦績
レ ー ナ ー の 研 究 を し た い ﹂ イズドスイミングの選手な
は ネ ッ ト で 公 開。 睡眠時間は平均4時間ほど 索が可能になる。
9000件を越え
る場合もある。
﹁今の日本で成功するた
られた授業時間の中で、学
生にできる限りの指導をし
を与えられるかを大切にし
︵鈴木瑞穂︶
たい﹂と話した。
強になる﹂と話す。
ている﹂
教員とトレーナーの両立
きだ﹄という制約にとらわ
という。論文で発表した内
る人はいないというヒロイ
ズムの精神﹂だ。研究者と
ない。さらに、性急に成果
い生活を送らなければなら
が 一 挫 折 し て も、 められるまで経済的に苦し
しているという。そのため、
るような﹁哲学者﹂を目指
話していても聞いてもらえ
学教員﹂ではなく、道端で
聞いてもらえるような﹁哲
はこない。研究に専念でき
また、学生に教える際に
は、教室で話しているから
林良輔︶
る。
︵ 慶 應 塾 生 新 聞 会、 小
の精神が林氏を支えてい
して、教育者としても、こ
生活に困ることは
を出すことが求められるた
るわけではなく、結果が認
ないという﹁恵ま
め、そのプレッシャーにも
が寺院であり、万
こうした取り組みの根底
にあるのも﹁自分しかでき
容や、現在研究しているも
のを授業で取り上げてい
る﹄といった気概がなけれ
的に難しい﹂と語る。
は な い か ﹂ と し、﹁ 仕 事 そ ば学問を続けることは一般
のものが好きな人は、もち
心に据え、研究者の側面を を 実 践 し て い る 村 だ。﹁ 好 な生活を掴む努力も必要で
失った生き方はしたくない きなことを仕事にして生活
するのが一番だが、それを
慶應義塾大学
れた環境﹂にいた
導教員からの紹介
と が あ る が、﹁ 授 業 の 準 備 り す る。﹁ ど れ だ け 収 入 に を﹁
しいものだと捉えられるこ
繋がるかよりも、学生に何
﹁哲学者﹂目指して
できるのは自分だ
けであり、やらな
ければ一生後悔す
年に創刊﹂と記載し
行している﹁Camp us ﹂
で講師の職に就い
と研究活動は同じもの﹂だ
学生とお茶を飲みに行った
た。﹁
﹃この研究を
えした。
耐える必要がある。
330号3面の記事と図
履修者が100人を越える
慶應義塾大の大
一方、このような背景か レポート課題に細かいコメ の中で全学学類・専門学群
学院に在学中、指 ら、研究と授業の両立は難 ン ト を つ け て 返 却 し た り、 代表者会議︵全代会︶が発
ことが動機を下支
つことがある。
他の大学では﹁文学から 掴 み と れ る 人 は 一 握 り だ。 ろん仕事だけをして良いけ
論文の執筆や学会での発 る。それを聞いた学生から
見る職業﹂という科目を開 仕事はほどほどに、残りの どね﹂と付け加えた。
表などアカデミックな業績 の反応や指摘が研究に役立
という。
91
講している小林教授。講義 時間を趣味に費やせるよう ︵上智新聞編集局、澤翔太︶ を積み上げなければ、仕事
内では学生に﹁仕事は、生
涯をかけて成し遂げるもの
と最低限の生活に必要な金
銭を稼ぐものの大きく二つ
に分けられる﹂と仕事観を
語る。ただ、後者はなるべ
くせずに生きることが夢
で、 で き る 限 り 全 く 労
働せずに生きたいと語っ
を 務 め る。﹁ 学 部 を 卒 業 す
し た か ら だ。﹁ 最 先 端 の 事 た。 例 と し て、 作 家、 慶應義塾大学の文学部哲
学系哲学専攻で非常勤講師
のか。理解のために基礎も ﹁ 新 し き 村 ﹂ を 挙 げ た。 労
るときに民間企業に就職す
員長も務める。専門は森鴎
柄を教えなくて何を教える 武 者 小 路 実 篤 が 作 っ た
しかし、大学教授を続け でもある大学教授だからこ
に。現在は上智大の国文学
ていく中で、自分はこの職 そ、学生に最先端を教える
必要だが、それに終始して 働時間は最低限に抑え、そ
るつもりは全くなく、学問
科教授として文学研究科委
ことができると使命を見出
の世界で生きていこうと
業に向いていると感じたと
しまってはダメだ﹂と大学 の他の時間を陶芸など芸術
思っていた﹂と話す。実家
り、その後、助教授︵当時︶ 学生に言うほど。
13
教授(国文学)
小林 幸夫
い ﹂ と 言 わ れ る と き。﹁ 限
研究分野では働ける民間企 ス レ テ ィ ッ ク ト レ ー ナ ー﹂ ピ ン グ す ら 知 ら れ て い な と応募。1985年より技 どのトレーナーになった。
教員のやりがいを感じる
時は、学生に﹁分かりやす
自 身 が 主 催 す 室 ﹂ と も 話 す が、﹁ 自 分 の ゴルフを指導する一方、﹁ア の管理をした。﹁当時はテー
る﹁デジタルネイ
易 ベ ッ ド を 常 備 す る。﹁ 今
大 学 教 員 と し て 1、2 年
一番欲しいものはシャワー 生対象の体育の必修科目で
そんな中、筑波大の体育 工藤公康選手︵現・福岡ソ 対話を重視。対話を通して
し て い な か っ た 当 時 か ら、
センター技官︵当時︶の募 フ ト バ ン ク ホ ー ク ス 監 督 ︶ 学生の身体の調子や心の変
た学生のレポート
白木 仁 教授(体育系)
官となり、その後、名城大
チャー研究室﹂に 業はほぼなく、筑波大は自 として、五輪選手などの世 かった﹂と振り返る。
以降、教員とトレーナー
昨年度から筑波大に勤め
いた﹁物体﹂を﹁触る﹂感
筑波大大学院で解剖学を 学講師を経て 年に筑波大 を 両 立 し て き た。﹁ 筑 波 大
人間と自然、そして最新 触を得ることができる﹁F る。今年度の授業は7つで、 は現在約 人が所属。 人 分の研究ができる数少ない 界レベルの選手の体調管理
には、コーチング学や心理
学び、修了後は2年間、総 の講師となった。
を行う。
技術を融合した﹁デジタル a iry L ig hts ﹂ クラス担任も務める。新入 は 自 身 も 修 了 生 の A R E 環境だ﹂という。
今後の大学については
学など、トレーナーの仕事
ネ イ チ ャ ー﹂︵ 現 実 と ネ ッ な ど の 作 品 制 作 と 研 究 で、 生を対象に、春学期にクラ ︵ 先 導 的 研 究 者 体 験 プ ロ グ
﹁ 今 の 大 学 は﹃ こ う あ る べ
に役立つ専門家が多く、勉
筑波大学
研究に専念できる環境を
ト の 世 界 が 融 合 し た 世 界 ︶﹁ 現 代 の 魔 法 使 い ﹂ と 呼 ば ス担任がレポート作成の基 ラム︶の学生だ。
20
教 員 と し て の 使 命 を 語 る。 的な活動に使い、自分の精
ましたが、正しくは﹁ 年
て訂正します。
に創刊﹂でした。おわびし
75
落合 陽一 助教(図情メ系)
また、学内の運営などを中 神性を高めるような生き方
85
大学教員の思いとは
最先端の研究教えたい
非常勤講師(哲学)
林 晃紀
教育者として
研究者として
関東学生新聞連盟
合同紙面
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
ミニ特集
(3)
選挙が行われる。だが、この選
挙で投票権を持つ筑波大学生は
少ない。住民票をつくば市に移
しておらず、つくば市での投票
権を持たない学生が多いから
だ。住民票を移していないこれ
たびに新しい面白さに出会
代、読み返してみると共感
たが、女子校だった高校時 ︻社学3年・女性︼
として、実際に不在者投票が認
外を除いて住民票を今の居住地
える。現実の世界にも、作
住民票を移すことは、市政へ
の当事者意識を持つことにつな
だ。それは国際的なジェンダー
原理や政治秩序がなお支配的
よって形成された組織運営の
聞副編集長・社会学類3年︶
校時代、晴れた日にはよく
遊びをよく覚えている。高
中の﹁かげおくり﹂という
トの作品を読破した。
館に通ってショートショー
利いた作風が好きで、図書
に第一世代の女性議員から大臣
本社会党委員長に就いているの
1986年からおよそ5年、日
差を表し、日本の政治参画は男
女格差が大きい。
機会の格差が少ない高スコア
諸国では、政党、選挙、地方自
治の仕組みを変えるべくポジ
ティブ・アクションを導入して
きた。例えば、候補者の一定割
合を女性に割り当てるクオータ
制がある。
佐藤多佳子作の﹃一瞬の り返し読んでいるが、読む
授業の合間の過ごし方
秋学期が始まって約1カ月。学期中、多くの学生
の時間割には授業と授業の合間の﹁空きコマ﹂があ
る。筑波大学生は﹁空きコマ﹂の時間に何をしてい
るのか。石の広場や第三エリアで聞いた。︵中村愛実、
梁安吉子=人文学類1年︶
︻知識図書1年・女性︼
︻比文1年・女性︼
親の結婚記念日に行ったサ
んだ本なので特に印象に
J・K・ローリング作の 残っている。将来子どもが
﹃ ハ リ ー ポ ッ タ ー﹄ シ リ ー できたら読ませたいと思っ
映画も全部観た。
が分かりやすく、好きだっ
と、 程 良 い 怖 さ が 好 き で、 レオ・レオニ作の﹃スイ
ミ ー﹄。 絵 が 綺 麗 な 上、 話
瀬田貞二作の﹃きょうは ズ。小学校の先生に薦めら ている。
な ん の ひ?﹄。 主 人 公 が 両 れて読んだ。独特の世界観 ︻比文1年・女性︼
プライズが印象に残ってい
学年の頃に読んだ。当時は 今でも覚えている。
H・G・ウェルズ作の﹃タ た。スイミーの﹁僕が目に
イ ム マ シ ン ﹄。 小 学 校 の 低 なろう!﹂というセリフは
る。自分もまねしたくなっ ︻応理1年・男性︼
たが、いまだに結婚記念日
を教えてもらえない。
︻比文1年・女性︼
リーズ。想像もつかない犯
イーニッド・ブライトン 単に冒険ものとして楽しん ︻人文1年・女性︼
作の﹃おちゃめなふたご﹄。 で読んでいたが、今読むと
杉山亮作の﹃ミルキー杉
人類や平和について考えさ 山 の あ な た も 名 探 偵 ﹄ シ
小学生の頃は自分が女子校
人やトリックにわくわくし
うので、所属する部活の部 関連する本を読んで過ごし
せられる。
室で寝ていることがほとん ている。
に通うと想像していなかっ
た。
︻体専1年・女性︼
上橋菜穂子作の﹃獣の奏
者﹄シリーズ。ストーリー
は難しかったが、主人公・
エリンの、獣と向き合いな
がら成長していく姿や勇敢
さが好きだった。
︻芸専1年・男性︼
あさのあつこ作の﹃バッ
テリー﹄シリーズ。読んだ
いころからスポーツをして
のは小学校高学年の時。幼
いたため、登場人物の感情
で小テストの勉強などをす
ど。
に入り込めた。
る。
︻比文3年・女性︼
︻人文1年・女性︼
︻知識図書1年・女性︼
中央図書館で授業の課題 ︻障害1年・女性︼
空 き コ マ が 続 く 時 に は、
中央図書館で課題をした 家に帰って洗濯や料理など
をしたり、前の授業で録音
り、昼寝している。
の家事をしている。
した講義内容を文字に起こ
学園祭の実行委員会に所
課題をやるか、午前中が
属しており、開催が近いの 空いている場合は、午前中
してノートにまとめたりし ︻生資1年・男性︼
ている。
︻芸専2年・女性︼
朝練や授業で疲れてしま
の 論 文 や 経 歴 を 調 べ た り、
サークルの先輩と春日エリ
憧 れ の 大 学 教 員 に つ い アの体育館で練習すること
て、中央図書館でその教員 もある。
石の広場の芝生に座って飲 ︻人文1年・女性︼
中央図書館のスターバッ で、秋学期はその活動で追 だ け ア ル バ イ ト を し て い
石の広場の芝生で女子会を
ク ス で コ ー ヒ ー を 購 入 し、 われている。
る。所属するバドミントン
第三エリアの食堂や購買 することもある。
女性リーダーを生み出す社会
的・ 制 度 的 な 成 熟 を 促 す に は、 で軽食やお菓子を買い、の ︻工シス2年・男性︼
ん び り し て い る。 ス タ ー
工シスは基本的に授業が むことが多い。
多く、空きコマは少ないが、︻体専2年・男性︼
つ ぶ す こ と も 多 い。 ま た、 授業がある時は中央図書館
バックスや図書館で時間を
中川李枝子作の﹃いやい
や え ん ﹄。 初 め て 一 人 で 読
に 移 す こ と が 定 め ら れ て い る。 められなかった事例もあった。
することばかりだった。
生に積極的に移動を呼びかけて
通り、読書しようと意気込むが、何を読むかは悩ま
しい。芥川賞の受賞作や古典的な名作など、選択肢
は多いが、幼少期に読んだ文学作品も、読み直せば
当時と違う視点で楽しめることが多い。筑波大学生
はこれまで、どんな文学作品を読んできたのか。印
象に残る文学作品について、中央図書館前などで聞
いた。 ︵越智小夏、北沢佳苗=比較文化学類1年︶
を対象にした毎日新聞の調査で
関 連 指 数 に 如 実 に 表 れ る。 日
校庭に出て、部活の仲間と ︻比文1年・女性︼
い。男女雇用機会均等法の施行
から約
職務遂行の技能に熟練していく
みである。
門戸を開放する以上の工夫が欠
かせない。
えたことを覚えている。
中の﹁時間どろぼう﹂がい
い く 必 要 が あ る の で は な い か。
心に残る文学作品
るのでは、と幼いなりに考 ︻物理1年・女性︼
先の役所へ転出証明書を添えて
ナ ー で 学 生 に 情 報 を 与 え れ ば、
市の行政に目を向けるきっかけ
ともなる。
イギリスの政治学者ブライス
は﹁地方自治は民主主義の学校﹂
という言葉を残した。住民は地
域の政治に参加し、地域の問題
を考えることで、民主主義に必
要な素養を身につけられるとい
今年も 月 日から2週間、第 回目の﹁読書週
間﹂が始まった。﹁いざ、読書。﹂という今年の標語
今後、筑波大は住民票の移行
住民票を移す場合、原則的には
前 住 所 の 役 所 で 転 出 届 を 提 出。 案内を入学案内の書類に同封す
転入届を提出する。手続きをし
また住民票の移行について、筑
るなどし、住民票を移さない学
ない場合、過料5万円以下の罰
日以内に転居
則が科される。
引っ越し日から
由には﹁手続きが面倒﹂などの
象にアンケート調査︵有効回答
声が聞かれるが、これほど多く
数1088人︶を実施した。そ
の結果、大学入学を機につくば
の〝市民〟の民意が投票で市政
波大でもフレッシュマンセミ
市外から市内へ越してきた学生
に反映されない状況は異様だ。
住民票を移さない場合、実家
でも投票ができなくなる恐れも
%
は全体の約 %だが、うち住民
市政に対し当事者意識を
ある。全国の道府県庁所在地と
は、青森▽松山▽高知▽長崎▽
読み返すと、当時の陸上に
に上ることが分かった。
公園﹂建設の是非を問う住民投
ズ。中学生の主人公の冒険
対する熱い気持ちがよみが
風 に な れ ﹄。 陸 上 部 に 所 属
票があった。もしあなたが住民
がる。若者の政治離れが叫ばれ
に憧れた。主人公の年齢を
える。
︻比文1年・女性︼
筑波大の学生数はおよそ
らの学生は、つくば市に住民票
1万6000人。それを基に概
大分▽宮崎▽鹿児島⋮⋮の7市
て久しいが、まずは自分たちが
追い越してしまったが、年
う意味だ。
算すると、このうち約8000
票を移していない場合、どんな
が、住民票を移さず市外に下宿
住む街の出来事に関心を持つこ
自治体
ば市にあり、市の行政サービス
人もの学生が、市内に居住して
に建設を望んだとしても、投票
する学生の不在者投票を﹁原則
区の計
を受けているのなら〝市民〟と
いながら投票権を持たないこと
権がないため、その声を結果に
はやみねかおる作の﹃都 していた中高時代、この本
会のトム&ソーヤ﹄シリー が心の支えだった。今でも
して責任を持って投票権を行使
になる。この数字は、つくば市
すべきだと思うからだ。
上の目線で読み返したい。 ︻生資1年・男性︼
選では、1年以上居住歴がない
本における2015年のジェ
かげおくりをした。
住民基本台帳法では、一部例
ン ダ ー・ ギ ャ ッ プ 指 数 は 0・
︻応理1年・男性︼
の約5%。住民票を移さない理
諸制度が不可欠なのは言うまで
670で145カ国中101
本紙は今年5∼6月に全新入
生と2年生以上の一部学生を対
もない。
位、 政 治 参 画 の 分 野 で は 0・
星新一のショートショー
︻医療1年・女性︼
あまんきみこ作の﹃ちい ト。読書よりも外で遊ぶこ
ち ゃ ん の か げ お く り ﹄。 作 とが多かったが、とんちの
政治に限れば、1946年に
を上げた上で、指導力を養い信
完全普通選挙が実施され 年代
すると考えられている。それぞ
い。しかし継続的に複数の女性
年 を 経 た 2 0 1 5 年、 が 生 ま れ た。 門 戸 の 開 放 は 早
れの領域に参入して、活躍実績
大臣が任命されるようになった
頼関係を築いていかねばならな
企業の女性役員数が目立って増
機会や、組織の中で役割と責任
政治の世界では女性リーダー
が 出 現 す る 社 会 的・ 制 度 的 な
成 熟 の 遅 れ が 際 立 ち、 男 性 に
ミヒャエル・エンデ作の
﹃モモ﹄。幼稚園の頃から繰
加したと言われるが、この事実
針決定過程において﹁指導的地
位 ﹂ を 占 め る 女 性 の 出 現 に は、
60
を分担する機会が提供されるこ
とでようやく可能になる。
これに加えて優れたリーダー
の確保には、子育てを支援する
社会的・制度的な成熟が欠かせ
この夏、政治の世界で2人の
女性リーダー、小池百合子・東
1 0 3 0、1 0 4 位 だ っ た。 ス
京都知事、蓮舫・民進党代表が
のは 年代半ば以降である。都
女性リーダーの更なる増加へ
90
30
社 会 的・ 制 度 的 な 成 熟 必 要
人社系・准教授。1975年東京女子大
学卒業。東京都老人総合研究所助手、白梅
学園短期大学講師などを経て、1985年
より現職。
コアは資源や機会の配分での格
はそうした時間的費用をよく示
ないことを示唆する。
女 性 会 長 が 初 選 出 さ れ、 サ ッ
他にも日本公認会計士協会では
ら ず 装 い に も 注 目 が 集 ま っ た。
性初の都知事として言動のみな
誕生した。とりわけ前者は、女
17
准教授︵ジェンダー社会論︶
カー日本女子代表に女性監督が
就任した。
と か ら 始 め た い。︵ 筑 波 大 学 新
政令市、東京
70
認めない﹂とした。今夏の参院
よく考えてほしい。例えば昨
年8月、つくば市で﹁総合運動
27
大学生と
政治
半数の筑波大生 移さず
票を移していない学生が約
78
反映させられないのだ。
を移すべきだ。生活拠点がつく
63
大西美雨
つくば市では 月、 歳選挙
初となる市議会・市長のダブル
18
道府県レベルでは、2000年
している。
日本社会では、リーダーの養
これらの出来事は、男女共同
意思決定への参加は、門戸の 以降に初の女性知事が選出され
参画の視点に立てば、政策・方 成には男女問わず長い時間を要
開 放 に と ど ま る も の で は な い。 た。 政 党 で は 土 井 た か 子 氏 が
川 典子
たる
男女共同参画
イラスト=長手彩夏(地球学類 3 年)
10
14
23
11
の全有権者︵約 万7000人︶
74
住民票
(4)
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月) オピニオン
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
管弦楽団の第
という演目では、赤い衣装
芸術専門学群の授業の一 踊り、会場は大いに盛り上
環で行われるパフォーマン
ス公演﹁ねぞうのへん﹂が
を身にまとった女性が自身
設会場で行われた。出演者
観客の前に置くパフォーマ
切 れ 端 を 皿 の 上 で 燃 や し、
の衣装を包丁で裂き、その
時を忘れるほど素晴らし
つくばスタイル縁日
由で妻とけんかした男が主
人公。男は夢を覚えておら
落語の後には、観客から
お題をもらって4人の会員
落語研究会の﹁秋の落語 ず、 友 人 に 仲 介 を 頼 む が、 が大喜利する企画などが行
会﹂が、 月 日にデイズ 友人にも夢の話をするよう われ、会員と観客が一体と
タウンつくば︵つくば市竹 迫られ、別の人のところに。 なり盛り上がった。
来 場 者 は、﹁ 普 段 は ラ ジ
オで落語を聞くが、今日は
園︶のイベントホールで行 長屋の大家、奉行所、更に
われた。会場には親子連れ は天狗までが仲介に乗り出
演者との距離が近く、一体
感があった。大学生らしい
から学生まで約 人が来場 すが、全員夢の話をしろと
し、
落語の世界を堪能した。 言う。最後には、実はすべ
特に会場が盛り上がった てが夢だったと分かるとい 元 気 な 落 語 が 聞 け て 楽 し
のは﹁麗久舎よみ﹂こと堀 う、どんでん返しの演目だ。 かった﹂と話した。
9月
日から
月 日にか
同口演は、つくば市の魅
江冬芽さん︵知識図書2年︶ 堀江さんは6人の登場人
の﹁天狗裁き﹂だ。夢の内 物 を 多 彩 な 声 色 で 演 じ 分 力 を 再 発 見 し 広 め よ う と、
容を話さなかったという理 け、観客の携帯電話が鳴る
ア ク シ デ ン ト に も﹁︵ 本 作 けて行われている﹁つくば
月 日にも、同会
の舞台の︶山には電波が届 スタイル縁日2016﹂の
かないはずなのに﹂とアド 一環。
る 予 定。
︵越智小夏=比較
リブで対応し、会場を笑い 場で第2回落語会が行われ
の渦に巻き込んだ。
堀江さんは﹁後輩や仲間 文化学類1年、写真も︶
のさまざまな落語を見る中
で、自分に合った魅せ方を
見つけたい﹂と話した。
らすが、これは物語の中の
第1主題をオーケストラ
回想シーンで、ファルケが が強奏すると、曲は独奏と
浦さんの跳ねるような軽快
パニの躍動的な序奏に、三
浦 さ ん ︶。 管 楽 器 と テ ィ ン
散りばめられている。例え が見えるような独奏が観客
第3楽章は﹁お祭りのよ
う に 華 や か で 情 熱 的 ﹂︵ 三
の物語である。
㌅︵約5㍍︶の天体望遠鏡建設
た、当時世界最大の口径200
ア州のパロマー山頂に建設され
た。
反射鏡の躯体となる直径
200㌅の単一のガラス円盤の
・枕辺はおろかに紅葉見にゆかな
・むら竹に吹きつぐ桜紅葉かな
・洗はれて筆の嶮しき紅葉かな
6限を終えて外へ出ると
ずいぶん寒いのでこたえ
る。あちこちで目を楽しま
いうちに刈られてしまっ
せてくれた女郎花が知らな
て、学内は殺風景になるば
かり。でも、そろそろ紅葉
の時期になる。葉が落ちて
しまうまでのほんのひとと
き、この美しい赤や黄の深
ま り に 心 を 寄 せ た い。
︵堀
下 翔 =比較文化学類3
年、写真も︶
面した困難と、それらを克服し
物の建設。これらの各工程で直
研究者の滞在などに使われる建
じめ、天文台全体の維持・管理、
物を円滑に動かすマウントをは
や、それを支えつつ、巨大構造
る 研 磨。 反 射 鏡 を 支 え る 鏡 筒
表面を正確無比な曲面に仕上げ
て 北 米 大 陸 を 横 断 し た ︶。 そ の
西海岸まで貨物列車に載せられ
国東海岸から望遠鏡を設置する
様であるが︶私が強く感じるこ
クトを取り上げた書籍からも同
本書から︵そしてすばる望遠
鏡のような最近の巨大プロジェ
べきものであると私は思う。
駆けとして、長く語り継がれる
における巨大プロジェクトの先
クトの規模と価値は、現代科学
で、ヘールの望遠鏡のプロジェ
知のことだろう。このような中
いることは、多くの方々もご承
学の新たな地平が開かれ続けて
これからの日本と世界が、基
礎科学と応用科学の両方におい
とは、人が科学を育てると同時
て、このことの大切さを等しく
ていった人々の努力や忍耐、そ
パロマーに天体望遠鏡が完成
認め、科学における知的探究心
に、科学が人を育てるというこ
して以来、科学に
や 新 し い 発 見 の 喜 び を、 パ ロ
して情熱。これは人類が宇宙に
おいても、いくつ
マー天文台の物語のように、世
とである。
もの大規模プロ
代を超えて共有できる社会であ
対してより深い理解を得るため
ジェクトが推進さ
り続けることを、切に願ってや
の挑戦であり、私は本書でそれ
れ、本書の登場人
まない。
らのすべてに圧倒された。
物のように、たく
数物系・准教授。筑波大
学数学研究科数学専攻中
退。筑波大数学系助手、数
物系助教を経て、2011
年より現職。
の努力のもと、科
さんの人々の不断
照井 章 准教授︵数式処理︶
鋳造と移送︵鋳造が行われた米
D ・O ・ ウ ッ ド ベ リ ー 著︵ 岩 波 文 庫 ︶
﹃パロマーの巨人望遠鏡﹄
本書は、 世紀前半に﹁天体
物理学﹂を創始、開拓したヘー
ル︵1868∼1938︶が建
オーケストラの会話のよう
な独奏が続き、2つの印象
1920年代末に始まったこ
の プ ロ ジ ェ ク ト は、 そ の 技 術、
設に尽力し、米国カリフォルニ
な掛け合いの中、アップテ
的な旋律を軸に終始華々し
小田野さんの指揮の下で見
いて空前の大プロジェクトだっ
ンポで情熱的なクライマッ
中に、物憂げなメロディー
第1楽章の最後の和音を ナーレに、観客席からは﹁ブ
を挟み、終盤にかけて劇的 ファゴットが奏で続けて第 ラボー﹂という声とともに
クスへ。
に表情を変えながら加速し 2楽章につなぎ、各楽器が
事に表現。人気曲をそろえ
を味わえた﹂と話した。
紅葉
がった。﹁身替わりランチ﹂
月 日に体芸食堂裏の特
がそれぞれの芸術的感性を
ことを表現した。
くすことで自分を傷つける
ンスを披露。他人に身を尽
身体で表現し、訪れた観客
約200人を魅了した。
身体による芸術表現を学
ぶ授業﹁展示造形・パフォー
マンスⅠ・Ⅱ﹂の受講者
会場に訪れた男子学生は
人が出演。テーマは﹁寝て ﹁ 圧 巻 の 演 技 で 見 と れ た。
かった﹂と話した。
授業を担当する村上史明
助教︵芸術系︶は﹁多くの
人に見てもらえて良かっ
た。出演者たちが身体で表
27
い た 時 の は な し ﹂。 出 演 者
たちが考えた、現実の中に
ありそうで存在しない世界
を表現した。
午後6時半、枕を持った
出演者の掛け声とともに開
れしい﹂と語った。
も感じ取ってもらえればう
演。﹁ 出 番 ﹂ と い う 演 目 で 現したものの意味を少しで
は、女性が笛を吹きながら
︵秋田耕平、写真も︶
3年︶は第2楽章を﹁恋愛
1小節半のオーケストラの スの相曽比奈子さん︵日日
前奏から、哀愁漂う有名な
第1主題を三浦さんが奏で 物語のようなドラマ性を持
た。﹁ 甘 美 で 繊 細 な 音 色 に つ ﹂ と い う。﹁ 恋 に 悩 み 不
安を感じていた男女が、後
楽 章 の 本 質 ﹂︵ 三 浦 さ ん ︶ 半で結ばれるイメージ﹂
隠れがちな、実は情熱的な
23
規模、資金、期間のすべてにお
ば序盤にチャイムを6度鳴 を曲の世界に誘った。
27
11
く 展 開。 堂 々 と し た フ ィ
酔いから覚めた朝6時の鐘
演奏会は3曲構成。
1曲目はJ・シュトラウ の音を暗示する。
演奏では、曲の持つ陽気
ス2世作の喜歌劇﹁こうも
な印象を忠実に奏でた。途
トラ付きの歌劇だ。同劇は
盛大な拍手が沸いた。
﹁オペレッタの王様﹂と名
て曲を閉じた。爽快感のあ 合流して長調に転じる。
る演奏で、記念公演の1曲
第2楽章の前半部では三
のワルツが全体を彩る。
浦さんが優美に主題を奏で
舞台は 世紀オーストリ 目を華々しく飾った。
2曲目はF・メンデルス たが、中盤は対照的に短調
ア。ファルケという男性が、
ゾーン作の﹁バイオリン協 に戻り、重々しいオーケス
た構成と完成度の高い演奏
続くJ・ブラームス作の
﹁交響曲第 4番 ホ短調 作
トラと独奏が不安な感情を
で、観客を終始魅了した。
﹂でも、曲の重厚さを
奏曲 ホ短調 作品
想起させる。その後、再度
品
自身を置き去りにした悪友
奏曲は、ある楽器の独奏者
﹂。 協
アイゼンシュタインに仕返
ロディーに戻り、楽章を終
えた。コンサートミストレ
撮影地=第三エリア
10
とオーケストラの演奏で構
舞踏会の帰り道で泥酔した
12
20
会場を駆け回り、観客を連
人が輪になって
れ、共にフォークダンスを
回記念定期演奏会が、 月9日にノバホール︵つくば市吾妻︶で、
日にミューザ川崎シンフォニーホール︵川崎市幸区︶で開催され、計約1800
ルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務める三浦章宏さんを招き、美しい
オリン協奏曲﹂では、バイオリンのソリスト︵独奏者︶に管弦楽団OBで、東京フィ
人が来場した。指揮にプロの小田野宏之さん、2曲目のメンデルスゾーン作﹁バイ
10
20
21
披露。約
50
授業で演技披露
会場に「ブラボー」響く
10
東京フィルの三浦章宏 独奏
受講生が異世界を表現
管弦楽団 第 80 回記念定期演奏会
10
しを企てる喜劇だ。
第1楽章の冒頭、わずか
成する楽曲だ。
科学が人を育てる
演技をする学生たち(10 月 21 日、体芸食堂裏の特設会場で)
演奏で観客を魅了した。
︵田中開=教育学類3年、写真も︶
落語研究会
高く、優雅で軽快な3拍子
レッタ﹂とも言うオーケス
り﹂序曲。喜歌劇は﹁オペ
‫ޏ‬௲!௖ȞɈ۲Ʌ
転調して冒頭の穏やかなメ
来場した女子学生は﹁心
に訴えるような生音の迫力
19
曲には今後の展開を示唆
するメロディーが少しずつ
98
15
「天狗裁き」を演じる堀江さん(10
月 10 日、デイズタウンつくばで)
15
情熱的な演奏で観客を魅了した三浦さん(右手前)と相曽さん
(左下)(10 月 15 日、ミューザ川崎シンフォニーホールで)
観客の「お題」で大喜利も
64
80
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
学芸
(5)
年後には出なくなると思う﹂と、日本の大学環境の厳しさを危惧した。
究発表を行う。
生と交流したり、相互に研
AREは文部科学省
が平成 年度に始めた
■背景と目的
けて研究を開始。研究を進 料にもなるという。
ほか、進路を考える材
生より早く研究が進む
あるため、他の大学院
も、すでに研究蓄積が
大学院への進学の際
で き る こ と ﹂ と 話 す。
研究分野を定めて研究
1年生からでも自身の
支援を行うもので、
は、制度の利点を﹁学群の 省の資金を得て独自の学生
識者の声
筑波大のARE制度につ
合が多く﹁留学生が参加し
いて、高等教育論が専門の
にくい﹂という。
文の発表を日本語で行う場
えば日本人学生は研究や論
年度まで募集が行われ
白 川 特 命 教 授 に よ る と、
AREには課題もある。例
が制度を利用した。
れまで116人の学生
が自由に研究でき、こ
情報学群の1∼3年生
しい学生もいるという。
多く、AREとの両立が難
必修科目などの他の授業も
定されるが、特に1年生は
度から独自に開始。同プロ
グラムをほぼ引き継ぎ、対
経験者の話
優秀な学生と交流
行われる集中授業で、AR
の学生も活発に意見を表明 初から﹁研究をしたい﹂と
上の課題を率直に発言。他 孔 性 材 料 の 開 発 ﹂。 入 学 当
む学生とそうでない学生の
︱︱今後の課題は。
予算だ。国立大の厳しい
財務状況の中で制度を維持
するには、国を含む学外か
ら の 競 争 的 資 金 が 必 要 だ。
テーマを設定する場合があ
︱︱学群生の時から研究 する必要があるが、学生は
をすることの利点と問題点 最初から壮大な研究範囲や
は。
早くから﹁研究の楽しさ﹂ る。教員の細やかな指導が
を知ることができる点が一 不可欠だ。
加 に 寄 与 し た 程 度 な ど は、
ARE制度が研究者の増
︱︱ A R E 制 度 の 特 徴
番の利点。大学教員になっ
た時、楽しんで授業できる は。
を支給すること。科研費の
い。
学生がテーマを考え、︵そ データなどで評価しにくい
ことにつながる。研究の課
題とその解決法を考える力 れに基づき︶大学が研究費 ため、予算を配分されにく
も早くから身につく。
に行うもの。学群生の能力 に大いに役立つ。申請書の が文科省の﹁理数学生応援
文系学生が少ないことも
問題もある。本来研究は 申請と全く同じ構図で、学
卒業研究や大学院の進学後 生が将来研究者になった際 課題だ。ARE制度の原型
差 が 激 し い こ と ﹂ と い う。
ることは問題だ﹂と話した。
以上、意識の低い学生がい
山さんは、ある特定の分子 ﹁ 大 学 か ら 研 究 費 を も ら う
だけが吸着する多孔性材料
説明力がついた
を作る研究に取り組み、3
月には、自然科学を学ぶ学
生が研究成果を発表し合う
贈られるコンソーシアム奨
され研究を行った。採択さ
地理学を学ぶ友人と共同
を呼びかける必要がある。
か﹂という視点が身に付く 生にも積極的に制度の利用
のも特徴だ。
話した。
で、飼い主がペットのため
に墓地を設ける風潮から日
本人のペット観を研究。実
際に墓地の調査を行い、墓
碑に刻まれた文字などか
ら、飼い主がペット墓地を
法﹂と捉えていると分析し
﹁ペットへの愛情の表現方
た。また墓地増加の背景と
して、日本社会の核家族化
があると分析した。
と、 発 表 の 場 が あ る こ と ﹂
砂田さんは制度の利点を
﹁研究費が支給されること
エネルギー変化から、CN
という仮説を立て研究を進 ることも視野に入れている ど、文系の研究に関係がな
状に連結した﹁カーボンナ
の 情 報 を 共 有 す る こ と で、 ﹁ 多 孔 性 材 料 ﹂ は、 活 性 交 流 で き る こ と ﹂ と 話 す。 振動を発生させ、その状態
研究の視野を広げ、自らの 炭 な ど 微 細 な す き 間︵ 孔 ︶﹁ 人 脈 が 広 が る 上、 学 群 生 やエネルギーの変化などを
めた。研究は高く評価され、 と い う。﹁ A R E 制 度 は 研 いものも多い。砂田さんは
来年度から筑波大学大学 と話す。だが、﹁研究者体験﹂
Tに吸着している物質へエ
ネ ル ギ ー が 移 動 し て い る、 院に進学予定。研究者にな の 授 業 で は 特 許 の 講 義 な
調べるもので、現在も引き
多かった。それらを自分の
AREの利点について
主的に研究室のゼミに参加
したりしていた。当時、研 ﹁ 研 究 内 容 を 専 門 外 の 人 に
と話している。大学院に進
学予定だが、研究の道に進
ゼミの学生に触発され、3 う。違う分野を研究してい 催する﹁研究者体験﹂の授
が多く勉強になった。将来
自分の研究を説明する機会
究発表では、理系の人にも
宗教学を学ぶ砂田さんは
られるようになりたい﹂
でない人にも面白さを伝え
研究者になった際は、専門
年生からテーマを決めて研 る 友 人 も で き た ﹂ と 語 る。 業を知り興味を持ち、友人
生させた際、CNT内部の 見が出るのではないか﹂と
分散したCNTの振動を発 会の時に更に踏み込んだ意 マで研究を行った。
制 度 を 利 用 し た 1 年 間 での交流が少ない。普段か のペット墓地から見る日本
で、中山さんは、溶液中に ら交流をしていれば、発表 人のペット観﹂というテー
究を始めようと考えた。
そ の 一 方 で、﹁ 発 表 会 以 外 と共同で﹁つくば市や周辺
砂田恭佑さん
︵比文4年︶ むかどうかはまだ決めてい
究したい内容は決めていな 説明する機会があり、他人
かったが、研究室の教員や に 伝 え る 力 が つ い た と 思 は2年生の時、AREが主 な い と い う。﹁ A R E の 研
文系学生の参加を
中山さんは2年生の時か する研究発表会で優秀賞を てくれた。将来は学生への ば、授業内容やカリキュラ
教育などにも携わりたい﹂ ム も 改 善 し て い く の で は ﹂
ら学術論文を読んだり、自 受賞した。
究者を志すきっかけを与え ﹁ 文 系 学 生 の 参 加 が 増 え れ
続き研究している。
これにより学生が研究内容
研 究 に 取 り 入 れ た い ﹂︵ 工
AREの採択者全体が参加
のときから優秀な学生たち
話した。
ることも授業の狙いだ﹂と 分などを吸収する材料。下
テーマについてヒントを得 を多く持ち、匂い物質や水
と専門的な話ができる﹂
ノ チ ュ ー ブ ﹂︵ C N T ︶ の
ザーを用いて炭素原子が筒
励 賞﹁ D E R U K U I 賞 ﹂ れたテーマは、特殊なレー
を受賞した。
研究が﹁社会にどう役立つ も一因ではないか。文系学
︵聞き手・秋田耕平︶ に合った研究テーマを設定 作成などを通して、自分の プロジェクト﹂であること
予算の少なさが課題
ラム﹂を行った。理工
また、AREに採択され 田中正弘准教授︵ビジネス
学 群、 生 命 環 境 学 群、 た研究は原則として単位認 系︶に聞いた。
研究者資質形成プログ
れた大学による先導的
筑波大は 年度に採
択され、4年間﹁開か
た。
■今後の課題
や 研 究 能 力 を 伸 ば す た め、 象 を 全 学 群 の 学 生 に ま で
て研究ができる。
今年のノーベル賞で、日本人では東京工業大学の大隅良典栄誉教授が医学生理学
AREを運営する研究交 プロジェクトに採択された 拡 大 し た。 昨 年 度 ま で に
賞に選ばれた。受賞に日本中がわく一方で大隅教授は﹁このままいくと、受賞者が 流 室 の 白 川 友 紀 特 命 教 授 各大学が原則4年間、文科 130人が利用している。
年後、
筑波大学の学群生からの研究者育成の現状はどうなっているのか。筑波大が行う研
究者の育成支援事業﹁先導的研究者体験プログラム﹂︵ARE︶の実態を取材する
一方で、他大学の取り組みも見た。︵益本健太=人文学類、大城沙織=比較文化学類、
秋田耕平、前名裕一=社会学類、吉永真理=生物学類、深作歩美=生物資源学類︶
生の高校での研究歴の有無
な ど を 参 考 に 選 考 を 行 う。 める一方で﹁研究者体験授
奨励﹂の5段階でランク付
そ の 後﹁ S、 A、 B、 C、 業﹂を受講し、他の参加学
けし、審査したうえでラン
く、期間は1年間。期間終 プロジェクトは理数分野に
了後も申請が通れば継続し 強い関心を持つ学生の意欲
到達目標の1割にも満たな
い 学 生 も い た。﹁ 実 験 器 具
の 扱 い が 難 し い ﹂﹁ 実 験 設
備 が 少 な い ﹂﹁ テ ー マ が 複
数の分野にわたるため、担
きたい﹂と話した。
クと内容に応じた研究費を
A
R
E
は
同
プ
ロ
グ
ラ
ム
の
﹁
理
数
学
生
応
援
プ
ロ
ジ
ェ
ク
研
究
内
容
は
所
属
学
群
の
学
白
川
特
命
教
授
は
﹁
問
題
点
配分する。
一方、ARE制度の問題
問 分 野 と は 無 関 係 で も よ ト﹂の延長線上にある。同 期間終了後、筑波大が 年 は多いが、今後も学生の研
究環境の改善を目指してい 点を﹁研究に熱心に取り組
AREは卒業研究前の学
生に研究資金を援助し、学
■ARE制度とは
学生研究に資金援助
ARE 制度で研究先取り
生の自主的な研究活動を支
援する制度だ。AREを利
田中正弘准教授
下山雄人さん︵応理4年︶﹁ 第 5 回 サ イ エ ン ス・ イ ン
中山智仁さん︵応理4年︶
当教員だけでは指導しきれ
ない﹂など、発表者は研究 の研究テーマは﹁高機能多 カレ﹂で、独創的な研究に は昨年度ARE制度に採択
Eの学生を対象に、論文の
していた。
考えており、入学後に大学
書き方を教えたり、研究計
同授業は春学期の終わり
から秋学期にかけて計7回
AREの授業
人を採択
参加し、授業の狙いや、受講学生の様子などを取
2016﹂という授業を履修する。実際に授業に
A R E に 今 年 度 採 択 さ れ た 学 生 は 人。 各 人
のテーマに沿って研究を行うほか、﹁研究者体験
今年度は
選ばれた学生は、研究内
に研究テーマを定めて応
容に合った指導教員を見つ
用したい学生は、まず大学
22
25
20
募。大学側は、応募した学
21
10
材した。
自主的な研究を支援
画や研究テーマを話し合
下山さんはARE制度の
担当教員の白川特命教授 のホームページからARE
利点を﹁優秀な学生たちと
は﹁学生が異なる研究分野 を知った。
う。最終回では研究発表会
を行い、学生が意見を交わ
す。
れた3回目の授業。学生が
1人ずつ自分の研究につい
受 講 し た 学 生 ら は、﹁ 他
の学生の研究方法を知るこ
て報告し、他の学生が質問
や進捗などの情報を交換す
シス1年︶、﹁他の学生の状
や 意 見 を す る 形 式 だ っ た。 とができ、参考になる点も
ることができる。
況 を 知 り、 研 究 意 欲 が 上
が っ た ﹂︵ 生 物 1 年 ︶ な ど
ぼ 完 成 し た 学 生 も い れ ば、 と話していた。
研究の進捗状況は学生に
よって大きく差があり、ほ
レーザーを照射するための実験器具を調整する
中山さん(9 月 16 日、3D 棟で)=吉永真理撮影
19
学生の意識に差
「学生の意識の差が激しい」と語る下山さん
(9 月 13 日、3B 棟で)=益本健太撮影
28
今回、記者が参加したの
は、9月 日の6限に行わ
研究業績・成果に応じてよりレベルの高い研究を申請するこ
とで、ARE 制度を通しレベルアップできる
43
43
(6)
特集
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
戒能洋一教授︵生環系︶
の 研 究 チ ー ム は、 農 業・
食品産業技術総合研究機
この問題を解決したの
が 戒 能 教 授 ら の 研 究 だ。
囲に天敵昆虫が好む植物
もう一つは、農作物の周
が下がってしまう。
だれてしまい、商品価値
成果を発表する﹁サイエン
ス・インカレ﹂や国内の学
会 に 参 加 す る こ と も 可 能。
4年生からは海外の学会に
も参加できる。
一 方、﹁ 文 系 学 生 が 少 な
識を身につける。3年生に がほとんどだという。担当
な る と 個 人 の 研 究 を 進 め 者はコースの利点について い﹂との声も聞かれた。理
欲のある学生と研究できる
のはうれしいはず。今後も
る。コースで開講される一 ﹁ 生 物 学 や 物 理 学 な ど、 分 系学生が多ければ、制度も
している。
てすぐの6月、2年生は学 研究する学生もいた。予算
合いつつ研究できる場とし
研究意欲の高い学生が文
理関係なく関わり、影響し
もない。
スズメバチの仲間もそん 通常攻撃の前に大顎をカチ
な 悩 み の 種 の 一 つ。 で も、 カ チ と 鳴 ら し 威 嚇 す る が、
やみやたらに刺してくる怖
彼女らのことを知れば、﹁む
という行為は自らを危険に
してくる。ハチ自身、刺す
そのサインを無視すると刺
さらすため、刺さないで済
い や つ ﹂、 と い う 印 象 は 変
限りまず刺さな
握ったりしない
スズメバチは
は無いし、ヒメ
なければ普通刺されること
間だけの話ではないかもし
はもしかすると、私たち人
をよく知ってあげる。これ
い。会話して、相手のこと
ションの希薄化があるらし
隣人トラブルの原因の一
つに隣人とのコミュニケー
むなら刺したくないのだ。
い。一方モンス
真も。写真はオオスズメバ
2年、野生動物研究会、写
チが育室から出ようとして
れ な い。
︵桒原良輔=生物
に出てきて威嚇
いるところ︶
ズメバチは近付
してくるやん
にも直面しない、そんな
つまり、顕著な功績も
ないが大きな困難や挫折
いる暇もないうちに過ぎ
とにかく忙しく、悩んで
す が、 最 初 の 2、3 年 が
夫かなあとも思ったので
も大学時代の友人・知人
仕事でもプライベートで
す。 歳を過ぎた頃から、
然線になるということで
つながりも、点と点が突
り ま せ ん で し た。 し か
続けることに迷いはあ
す。妊娠したとき、働き
中にいるためだと思いま
いぐらい、現在の私が渦
んでした。客観視できな
が、どうしても書けませ
スズメバチは
平凡な日々でした。いっ
去 り、 現 在 に 至 り ま す。
と再び交流する機会が増
し、育児をしながらの仕
ちゃものだ。
いただけで大量
は参加しにくくなる。
山を歩いていると毎回何 わるかもしれない。スズメ
だが、私自身、農学を学 かしらの発見があって楽し バチにも性格があって、オ
んでいて感じるが、意欲の いが、楽しいことばかりで オスズメバチは巣を刺激し
スで学ぶことで視野を広げ のになり、さらに文系学生
視点
高い文系学生と研究につい
のさまざまな学科から参加
取 材 を し て 驚 い た の は、 て話すことは、違う視点を
利 用 学 生 の 研 究 意 欲 の 高 知れて勉強になる。それは
入試の合格者などが理学部
理数科クラス出身者や推薦
今 年 度 の 参 加 者 は 2、3 られる﹂と話している。
年生合わせて 人。高校の
位になる。
部の授業は卒業に必要な単 野の異なる学生が同じコー 自然と理系学生に沿ったも
制度を継続的に運用してい
きたい﹂と語った。
岡山大
平成 年度か
ら理学部に﹁フ
ロンティアサイ
エンティスト特
は課題だが、こうした学生
文系学生にも同じだろう。
生の時自主的に
生 ど う し で 交 流 し、 研 究
研究を進めるための指導 さ。制度利用前から自主的
別コース﹂を設
は手厚い。コースが始まっ に大学院のゼミに参加して
行っていた研究
テーマについて話し合う1 の受け皿として、AREの て、さらなる制度の拡充を
置。学生が高校
を、大学でも続
期待したい。 ︵深作歩美︶
泊2日の合宿を行う。その 制度維持は今後も重要だ。
後、学内外で実験実習など
けられるよう支
援する。
更なる制度の拡充を
に 参 加。 3 年 生 に な る と、
ただ同コースの研究は
内容などを書類
にまとめ応募し、合格する ﹁あくまで副専攻﹂︵岡山大
たいなぜ﹁卒業生からの
大学で勉強した日本語学
えました。大学時代の経
事︵仕事をしながらの育
教員や院生のサポートを受
ある学生が集まる﹂と話す。 と 同 コ ー ス に 参 加 で き る。 担当者︶で、コースの研究
手紙﹂を依頼され、執筆
も生かせるし、一つの本
験や知識が仕事につな
1年生で理学
の基礎分野を学
は3年終了時までにまと
しているのか、自分でも
にじっくり取り組めるの
が っ た こ と も あ り ま す。
けながら院生レベルの専門
め、4年生になると主専攻
よく分かりません。参考
で、私には合っているの
習し、2年進級
2年生からはコース参加者
の卒業研究に集中する学生
私 が 日 本 語・ 日 本 文
化学類に入学したのは
にしようとバックナン
同大の担当者は﹁プログ
ラムは単位として認定され
また﹁受け入れる研究室の
専用の授業を受講し、科学
1999年のことです
的な研究を進める。
教員からの評判も良く、研
者倫理など研究に必要な知
除できるようになったの
⋮⋮と書いて、
けなので、本当にやる気の
る課外授業のような位置付
究室の人たちにとっても意
いる。農薬を使わずに多
ではないか﹂と話し、﹁コ
も前のことであることに
筑波大学で過ごした
4 年 間 は、 今 振 り 返 る
と、不思議ときらきら輝
いて思い出されます。と
は言っても、私の学生生
活はごくごく一般的なも
のでした。宿舎生活にな
想像以上に気力と体力が
要ります。私の場合、実
家が遠方ということもあ
り、夫と2人、色んな人
や制度に頼って、どうに
か一日一日を終えている
というのが現状です。
でもきっと、子どもた
ちの手が離れたとき、私
べ、飲み会をし、時間を
先 輩 方 が 次 々 登 場 し て、
バーを読んだら、立派な
に、間接的とはいえ関わ
す。日本中の子どもたち
かな、と今は思っていま
来にしか分からないこと
意味を持つか、それは未
現在の出来事がどういう
にいるときはその輝きに
思っています。輝きの中
思い出すのではないかと
らきら輝いたものとして
は今の生活を懐かしくき
忘れて語り合う。日本語
謎は深まるばかりです。
学の授業が好きで、留学
す。
なかなか気付けないもの
卒業後は、国語教科書
の編集職に就くことがで
なので、あまり考えすぎ
生のチューターになった
きました。教職課程の授
れるのもうれしく感じま
り、会津若松や奈良への
仕事を始めてから感じ
ることは、経験も人との
は、育児と仕事について
も書こうとしたのです
年度日本
語・日本文化学類卒︶
ま す。︵ 平 成
さで生きていこうと思い
です。そのくらいの気楽
フィールドワークに参加
業も受けていないし大丈
ずに行動しても良いので
したりもしました。
大学での経験 仕事につながる
最後に、私には8歳と
4歳の子がいます。本当
はないかなと思います。
じみ、友だちとご飯を食
児︶は、今の世の中でも、
とを突き止めた上で、こ
くの害虫を駆除できるた
ストもライトの購入費と
動 く 夕 方 の 3 時 間 ほ ど、
も期待できる。
社会学類2年︶
年近く
の天敵昆虫が最も活発に
め、減農薬栽培への活用
害虫の付いたナスの上か
ら 紫 色 の 光 を 照 射 し た。
戒能教授は﹁この研究
で、より安全に害虫を駆
その結果、ナスの周囲に
植えた植物からナスに移
倍とな
動 し た 天 敵 昆 虫 の 数 は、
無照射のナスの
り、害虫のアザミウマの
数も %減少した。
現在、研究は実用化に
向 け て 動 き 出 し て お り、
紫色照射の特許を申請す
語っている。︵石川泰行=
がくぜんとします。
時に研究したい
図
鑑
電気代だけで済む﹂と
ず、自主的に学生が参加す
23
他大も理数系に重点
す る。 2 年 生 か ら 2 年 間、 け入れている。
研究の対象はナスの害
共同研究で、光で害虫の
を植え、天敵昆虫を呼び
17
東北大
スクールに参加する学生
通常のカリキュラムよりも
工学部電気情報物理工学 早い段階で研究を始められ には英語の講義の受講を義
科では、理数分野の研究に る。
務づける。海外の学会で英
望するものを選択し、教員 学術英語を学ぶ。グループ
れを利用した駆除法は以
虫・アザミウマとその天
天 敵 と な る 昆 虫 を 集 め、
戒能教授らはまず、光
に集まる虫の習性︵走光
副専攻として取り組む
筑
波
◇ オオスズメバチ ◇
関心を持つ学生を支援す
各研究室の研究内容に関 語を使い発表することを目
る﹁Step ︱Q Ⅰスクー 連するテーマから学生が希 指し、理系の分野を中心に
年度から開
や 大 学 院 生 が 指 導 に あ た での議論やプレゼンなども
ル﹂を平成
講。学部生の早期研究や学
る。現在、 ある研究室の 行う。
前 か ら 考 え ら れ て い た。
敵昆虫・ナミヒメハナカ
優秀な研究成果を出した
学 生 は、 2、3 年 生 で 研 究
会参加、英語でのプレゼン
一つは人工的に飼育した
メムシ。アザミウマは針
害虫を駆除する技術を開
寄せる方法。前者に比べ
性︶に着目。天敵昆虫の
ると共に、企業と提携し
て光源の製品化を進めて
倉井睦 さん
テーション技術などを指導 うち の研究室が学生を受
天敵昆虫を農地に放す方
状の口でナスに傷をつけ
発した。近年、殺虫剤へ
経費がかからない一方
ナミヒメハナカメムシが
光村図書出版
ない難点があった。
法だが、天敵昆虫の飼育
るため、ナスの表面がた
害虫の天敵となる昆虫
を天敵昆虫と呼ぶが、こ
に莫大な人件費がかかる
光で 昆 虫 集 め 害 虫 を 駆 除
た め 実 用 性 が 低 か っ た。
電磁界実験室で実験する東北大の学生=東北大提供
減 農 薬 栽 培への活 用 期 待
の耐性を持つ害虫が増え
紫色の光の波長を好むこ
撮影地=一の矢学生宿舎
30
70
で、天敵昆虫が植物から
構の霜田政美さんらとの
10
30
農作物へなかなか移動し
14
60
20
24
ており、打開策として期
待できそうだ。
天敵昆虫が好む植物で近くに呼び集めた天敵昆虫を作
物に移す仕組み=戒能教授提供
学生に資金援助
戒能洋一教授
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
特集
(7)
︵
月 日∼ 月4日︶の出場権を手にした。
︱
で勝ち
点以下
きて安心した﹂と話した。
女子 最優秀選手に土井さくら
4 連覇の偉業達成
で
む連携プレーで差をつけ
︱
先取。第2ゲームでは﹁相
た。第1ゲームを
シングルスでは、山中芹里
手に疲労が見えた所を、自
3年︶の同学年ペアが2︱
主将の大久保は﹁プレッ
第1ダブルスでは加藤美
幸︵同3年︶、柏原みき︵同 シャーもあったが、優勝で
に抑え、優勝を決めた。
共に相手の点数を
取った。第1、第2ゲーム
せ﹂︵綿矢︶、
分たちのペースに上手く乗
︵同2年︶が後半に焦って
た堂々としたプレーで、そ
日の準決勝では日本体 ミスを連発し、1︱2で敗
育大と対戦。3︱1で勝利 北。だが、コート全体を使っ
し、決勝に駒を進めた。
を前衛の綿矢が鋭く打ち込
4年︶、安田美空︵同1年︶、男子主将の馬場湧生︵同3年︶が全日本総合選手権
となった。また、本大会の結果を受け、大久保敦美︵体専4年︶、綿矢汐里︵同
﹁同秋季リーグ戦﹂﹁東日本学生選手権大会﹂と合わせた年間主要4大会で9連勝
決勝で早稲田大を破り3連覇を果たした。これにより﹁関東大学春季リーグ戦﹂
︻千葉ポートアリーナ︵千葉市中央区︶で、吉永真理=生物学類1年、写真も︼
全日本学生選手権︵インカレ︶が 月 ︱ 日に開催され、筑波大女子は団体戦
20
同日に行われた決勝戦の の後のダブルスに勢いをつ
相手は、9月に行われた秋 けた。
季リーグ戦での5戦中、唯
一敗北した早稲田大。選手
の得意なプレーを活かせる
第1セットは単調なミス イクでラリーを制し、 ︱ につながった﹂と語った。 を落とした。
中西康己監督︵体育系・
が 続 き、 ︱ で 落 と し 9で勝利を決めた。
第2セットでは筑波大の
塚田は第3セットでの復 准 教 授 ︶ は、﹁ 前 半 は 選 手 個人の技が光った。9月の
た。第2セットは幾度とな
調 に つ い て﹁
﹃ こ の セ ッ ト 一人ひとりの気持ちがバラ アジアカップで日本代表に
くデュースとなる大接戦
と な っ た。 だ が あ と 1 点
を落とすと負ける﹄と思い、 バラで、必死でボールをつ 選出された兒玉康成︵同4
しやカバーをするように
気持ちを入れ直してトス回
てからは、動きが確実に良 ブロックで点を重ね、 ︱
かった。気持ちを切り替え らの高さのあるスパイクや
で セ ッ ト を 取 れ る 場 面 で、︵このままではいけないと︶ な ご う と い う 気 持 ち が 弱 年 ︶ や 樋 口 裕 希︵ 同 2 年 ︶
サーブの失敗やチャンス
なった。ラリーで点を取れ
主力欠き低迷
くなった﹂と語った。
で
は、それまでミスが目立っ
たセッター塚田しおり︵同
でこのセットをとった。
筑波大は第3・第4セッ
トでも持ち前の高い攻撃力
を発揮。しかし、中央大の
石川や大竹壱青︵3年︶な
どの強烈なスパイクやサー
第1セットでは両チーム ブに最後まで対応すること
︻東海大学湘南校舎総合
で 体 育 館︵ 神 奈 川 県 平 塚 市 ︶ 点 の 取 り 合 い に な っ た が、 ができず、 ︱ 、 ︱
4年︶のトスの精度が上が
り、得点を量産。 ︱
るようになったことが勝利
ボールを譲り合うミスが相
︻ 青 山 学 院 大 学 相 模 原 次ぎ決めきれず、 ︱
キャンパス︵相模原市中央 奪われた。
第3セットも序盤はリー
区︶で越智小夏=比較文化
ドを許した。だが中盤以降
学類1年、写真も︼9月
月
日から開催されていた関東
大学秋季1部リーグが
日に終了し、筑波大女子
は8勝1敗で4連覇を果た
した。最優秀選手に土井さ
くら︵体専4年︶が選ばれ
るなど、4選手で6つの個
人賞を受賞した。
月 日に行われた東京
女子体育大戦では、2セッ
取り返し、反撃ののろしを で佐々木悠里=人文学類2 筑波大はわずかにリードを で落として敗北した。
に筑波大の攻撃を封じるた スのタイミングなど息が合
秋 山 央 監 督︵ 体 育 系・
トを握った。だが、中央大 助教︶は﹁スパイカーとト
年、佐藤巧基=物理学類1 維持し、先にセットポイン
続く第4セットを ︱
年︼春季リーグで 季ぶり
で連取すると、第5セット の優勝を飾った男子だった
めのローテーションを敷か わ な い 場 面 が あ っ た の で、
上げた。
もその勢いで東京女子体育 が、その時の主力メンバー
れていたことが効き、あと 全日本インカレ︵ 月
1︱3で敗れた。
し、筑波大は6勝7敗で5
位だった。不振を脱却でき
ず、春季リーグから順位を
日
大を圧倒した。井上愛里沙 の負傷離脱が相次ぎ、6勝
丸尾遥香︵同2年︶のスパ
首都大学秋季リーグ
3つ落とした。
日の最終戦では日本体
︻サーティーフォー相模
原 球 場︵ 相 模 原 市 中 央 区 ︶ 育大と対戦。接戦となった
1点が取れず、逆に中央大 │ 月3日︶に向けてチー
の エ ー ス 石 川 祐 希︵ 3 年 ︶ ムをまとめ、連携の精度を
でこのセット
4回以降は一転して投手
戦に。先発の大場遼太郎︵同
3年︶が直球と変化球を巧
みに織り交ぜ相手打線を抑
えた一方、打線は沈黙。勝
ち越し点を奪えず延長戦に
突入した。
決着は 回表。1死から
大場が四球を与えると、続
く打者に左翼越えの2点本
塁打を浴び、勝ち越しを許
した。
裏に2死3塁から佐藤史龍 う少し相手が嫌がるような
び逆転されたものの、その 展開の試合が多かった。も
2塁打を打たれ2︱3と再 た 今 季 に つ い て、﹁ 単 純 な
ち逆転。3回表には3本の と悔しさをにじませた。ま
が走者一掃の左前安打を放 を 援 護 で き ず 申 し 訳 な い ﹂
ャンスで楠本歩︵体専4年︶ と一本が出なかった。大場
そ の 裏、 1 死 2、3 塁 の チ つなぐことを意識したがあ
川 村 卓 監 督︵ 体 育 系・
表 に 1 点 を 先 制 さ れ た が、 准教授︶は試合後﹁打線を
され、 ︱
た。
のまま点差をつけ、最後は で も 相 手 の 守 備 を 崩 せ ず、 にサーブで崩された。逆転 高めたい﹂と話した。
制し一気に3点を奪うとそ 月9日に行われた中央大戦
トを先取され苦しい展開と ︵ 同 3 年 ︶ の ス パ イ ク で 先 5敗の6位に終わった。
なったが、第3セット以降
19
28
14
ように、前回とオーダーを 0で早稲田大を圧倒した。
吹田真士監督︵体育系・
4試合目の第2ダブルス 助教︶は﹁技術や体力、精
変えたことなどが功を奏
し、3︱1で優勝を決めた。 では綿矢、安田ペアが出場。 神力など、総合的に成長し
調子を取り戻し、逆転勝利
を収めた。
25
11
試合序盤はシーソーゲー ︵ 同 3 年 ︶ の 左 中 間 へ の 適 攻撃をしたかった﹂と振り
ムとなった。筑波大は2回 時3塁打で同点に追いつい 返った。
3︱5で敗れた。
で 前 名 裕 一 = 社 会 学 類 2 が、延長 回に勝ち越され
年、写真も︼6チームが優
26
たので優勝できた﹂と話し
た。
25
勝を争う首都大学秋季1部
12 回途中まで力投した大場(10 月 23 日、日本
体育大戦で)
敗れた渡邊聖未︵早稲田大 助 教 ︶ は、﹁ 勝 ち に 徹 す る
2 年 ︶ と 同 じ 舞 台 で 再 戦。 練習が試合で生かせたこと
小野卓志監督︵体育系・ ︵加藤未悠=社会学類2年︶
語った。
21
12
21
10
主要大会9連勝飾る
女子 団体戦3連覇
第1シングルスは大久保 後衛から安田がスマッシュ
が2︱1で奪取した。第2 を打ち、甘く返ってきた球
3 選手が優勝
始めから主導権を握り試合 が、 好 成 績 に つ な が っ た。
秒内股で有効を獲 る執念が誰よりも強く、津
を有利に進めた津金は、残 田川と竹内は、勝利に対す
り2分
得。後半、指導を受けたが 金は技の切れが光った﹂と
いた。試合を決めたのはわ
が、互角の展開が続き互い
全日本学生体重別選手権
ずか指導1つの差。残り1
リードを守り抜いた。
月1︱2日、日本武道
分 秒で末木が指導を受け
田川がリードすると、田川
は最後まで守りきった。
て 内 股 で 技 あ り を 奪 う と、
22
19
12
21
リーグ戦が 月 日に終了
24
多くのスパイクを決め、勝利に貢献した井上(10 月 15 日、
東京女子体育大戦で)
に有効な技をかけられずに
勝利への執念光る
が
㌔級で田川
館︵東京都千代田区︶で行
われた。男子
兼三︵体専2年︶が、男子
㌔級で津金
竹内は、決勝で島田隆志
㌔ 級 で 竹 内 信 康︵ 同 4
郎︵國學院大1年︶と対決。
年︶が、女子
とができず、指導も2回と
恵︵ 同 3 年 ︶ が 優 勝 し た。 前半は思うように攻めるこ
またほか3人が準優勝する
られる苦しい展開に。だが
粘り続け、次第に攻撃の形
など、筑波大勢の活躍が目
立った。
を作り出すように。すると
そのまま押さえ込みに入り
残り 秒、一瞬の隙をつい
で勝ち上がった。決勝は末
田川は、二回戦で1本勝
ち、その後はポイントの差
木貴将︵同3年︶との同門
津金は昨年大会の決勝で
一本を獲得した。
17
12
全日本学生
体重別選手権
対決。序盤から両者は一歩
34
25
25
男子
32
関東大学
秋季1部リーグ
24
10
優勝トロフィーと表彰楯を持ち、笑顔を見せる津金(左
端)(10 月1日、日本武道館で)=柔道部提供
28
15
10
15
25
23
15
も引かず技をかけ合った
12
23
63
25
23
第2ダブルスに出場した安田(左)と綿矢。息の合った連携プレー
で相手を圧倒した(10 月 16 日、
早稲田大戦で)
10
21
66
44
27
5位でリーグ終了
不振脱却できず
10
10
73
55
21
14
15
11
16
(8)
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月) スポーツ
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
全日本学生選手権
ライバル校に大敗続く
︻秩父宮ラグビー場︵東京都港区︶などで佐々木悠
里=人文学類2年、写真も︼8大学で行われる関東大
■早稲田大戦
学対抗戦が9月 日から開催されている。昨年の対抗
月2日に秩父宮ラグ
戦で3位だった筑波大だが、今季はライバル校に大敗 ビー場で行われた早稲田大
月 日現
戦では、 ︱ で敗北した。
が続き、1勝3敗で5位と苦しんでいる︵
分に れ
︱ で敗北した。
早稲田大にトライを許すと つき
︱
で折り返した。
発メンバー全員が得点を挙 塾大を突き放した。
27
記者の目
昨年は、関東大学対抗戦
で当時 連勝中だった帝京
大に勝利するなど力を発揮
にパスミスでチャンスをつ
うプレー。8人で息を合わ
げ込まれたボールを奪い合
レーを明治大戦では多く成
ぶす場面が目立った。忽那
功させ、チャンスにつなげ
せることが必須のこのプ
呼吸﹄がまだまだできてい
は﹁部員同士の﹃あうんの
ないと感じる。もっと部員
J C 最終戦
都 田4 位
門を決められた順序で通過
しタイムを競う。途中、旗
門のポールに当たるとペナ
ルティーとして1回につき
タイムが2秒加算される。
していたが、今年は不振に 同士で声をかけ合うことが た。 古 川 監 督 は、﹁ ゲ ー ム
カヤックはオールの両端
あえぐ。主将の忽那健太︵体 必要﹂と話す。
を重ねるごとに、チームと ︻ 御 岳 渓 谷 特 設 カ ヌ ー 競 に水かきが付いたパドルを
だが、対抗戦を通して成 しての戦い方ができるよう 技場︵東京都青梅市︶で秋 左 右 交 互 に 漕 ぎ 進 め る 競
技。予選では他の選手がペ
長しているチームプレーも になってきた﹂と話した。 田耕平=社会学類1年、
専4年︶はその原因にチー
ムプレーができていないこ
とを挙げる。
始めてわずか3年での快
きを隠さない。
大きく分けて8種類の
レースがある自転車競技
の 中 で、 舗 装 さ れ た 道
1列ずつ並び、その間に投
月 し、4位で決勝へ。決勝で
日 に 開 催 さ れ た。 都 田 も都田はペナルティーを受
都田は﹁強豪が集まる最
い状況だが、チームワーク シ ン グ ル の 2 種 目 に 出 場。
を発揮し、一つひとつ勝利 カヤックで4位、カナディ 終戦での決勝進出は初めて
右する。レース展開を読
だが当初は、本腰を入
れ る つ も り は な か っ た。
両立していたが、3月に
だ。1年生の間は水泳と
ろ が 入 学 後 は、﹁ 弱 点 の
を決められるため。とこ
有言実行してみせた。
目 を 含 む 5 種 目 で 優 勝。
チャシマ︶ではその2種
だった。ミス無く漕げたこ
を積み重ねてほしい。
アンで6位に入った。
︵佐々木悠里︶ スラロームは カ所の旗 とが良かった﹂と語った。
転車を始めたきっかけ
に 生 か せ た り、 逆 に ト
んで、作戦を考えるのが
高校入学後もクラブチー
全国高校選抜自転車競技
楽しい﹂とのめり込ん
だったという。
ムでは水泳を続けてお
大 会 の 3 種 目 で 優 勝 し、
ばれると、自転
車一本に集中し
た。
2年生の5
月、初めての国
際大会となるア
ジア・ジュニア
下半身を中心に鍛えては
いる。しかし自分で考え
たトレーニングで伸びる
のか﹂と不安に感じたと
いう。だが、国内外のさ
まざまな大会で結果を出
し 続 け て お り、﹁ こ の 道
は 間 違 っ て い な か っ た。
最近は筋力が強くなった
る。
きた﹂と手応えを口にす
ことで、加速力がついて
スタン・カラガ
今後の目標は東京五輪
でロードとトラック両方
でのメダル獲得。これま
で自転車競技で表彰台に
登った日本人女子選手は
い な い。﹁ 自 転 車 競 技 は
日本ではまだマイナース
取って、競技を有名にし
ポーツ。五輪でメダルを
たい﹂。︵佐藤巧基=物理
供︶
学類1年、写真は本人提
取りたかった。次は絶対
同大会︵タイ・ナコンラ
猛練習の末、約半年後の
に金メダルを取りたい﹂。
た。﹁ ど う せ な ら 1 位 を
悔しさがこみ上げてき
て﹂と喜んだが、次第に
さかメダルを取れるなん
メ ダ ル を 獲 得 し た。﹁ ま
ドの2種目で銀
だったが、ロー
力試しのつもり
ンディ︶に出場。
選手権︵カザフ
筑波大に進学した理由
は、自分で練習メニュー
自転車競技を始めたの
は筑波大学附属坂戸高校
り、﹁ 自 転 車 は﹃ 弱 点 の
ナショナルチームから強
いる。
に進学後。それまでは水
下半身の強化に役立つか
な﹄くらいの軽い気持ち
化指定選手に選
泳に取り組んでおり、小
ドに生かせる﹂と考えて
ラックのスピードがロー
連携不足が課題
し早稲田大戦、明治大戦共
後半になると筑波大が流 で 行 わ れ た 明 治 大 戦 で は、 全員でつなぐラグビーを意
サイドラインに垂直に両
対 抗 戦 は 残 り 3 戦 と な 輝夏︵体専4年︶が女子カ けることなく、4位入賞を
れをつかみ、9分には山田 後半に一気に点差をつけら 識している﹂と話す。しか チームのフォワード8人が り、大学選手権出場は厳し ヤック、女子カナディアン 果たした。
めの一手はまだない。
は出てきたが、競り勝つた パンカップの最終戦が
ある。サイドラインの外に
試合を重ねるうちに課題 面に関連写真︼4月から行 ナ ル テ ィ ー を 取 ら れ る 中、
を修正し少しずつまとまり われているスラロームジャ 都田はミス無く旗門を通過
古川拓生監督︵体育系・ ボールが出た後に試合を再
スクラムで押し負けるなど
■明治大戦
月 日に高崎市浜川陸 准 教 授 ︶ は、﹁ 今 年 は 絶 対 開する際のプレー﹁ライン
上 競 技 場︵ 群 馬 県 高 崎 市 ︶ 的 な エ ー ス が い な い た め、 アウト﹂だ。
セットプレーから崩され0
│ と突き放された。
12
10
10
在︶。上位4チームに与えられる全国大学選手権の出
日
路 を 走 る﹁ ロ ー ド レ ー
学4年生からは毎年全国
で取り組んでいた﹂
ス﹂と、競輪のような専
用コースを周回する﹁ト
大会に出場していた。だ
月 日現在、2試合を残 功。 第 2 ピ リ オ ド に 入 る
ラックレース﹂の2つに
が中学3年生の時には出
ところが、自転車への
熱は次第に高まっていっ
勝1敗で、2位の東海 と、馬場雄大︵同3年︶が てしまったが、後半は自分
大の 勝に大きく差をつけ 2本の3Pシュートを含む たちのペースで試合を進め
挑戦している。ほとんど
場 を 逃 し、﹁ 悔 し く て、
た。﹁ 前 の 選 手 を 抜 か す
し
3連続得点で流れを引き寄 ることができた﹂と話した。
の選手が一つに専念する
他のスポーツもやってみ
年ぶり 回
の と は 対 照 的 だ。﹁ ロ ー
タイミングもレースを左
夢は女子初の五輪表彰台
ようと思った﹂ことが自
大を応援する観客が多く来 浦のブザービーターなどで きたい﹂と語った。
22
は大西訓平︵同2年︶がト
前半は明治大に先制を許
ライを決めた。だが 分に したものの、必死に食らい
山優平︵同1年︶が連続で
早いパスに翻弄され、失点 啓 太︵ 同 3 年 ︶、 8 分 に 杉
を重ねた。
試合前、
古川拓生監督
︵体 トライを決め逆転。だが勢
育系・准教授︶は﹁スクラ いはここまでだった。スク
ムを起点とした失点が増え ラムや個人での突破で崩さ
今年7月2日、全日本
学生選手権トラック自転
ている﹂と課題を挙げてい れ明治大にトライを量産さ
た が、 対 応 は で き ず、﹁ 相 れた。勢いに乗った明治大
秒
車競技大会の3㌔個人
追 抜 き 予 選。 3 分
手 の 押 し に 耐 え れ な か っ を止めることができず逆転
を許し、更に突き放された。
り、これまでの記録から
た﹂と話した。
場し、会場は多いに盛り上 完全に試合の主導権を握っ
︱
約5秒も縮めた。競技を
がった。筑波大は応援に応 た。
で第4ピリオド
112の日本新で走りき
37
前半は早稲田大の一方的
な展開となった。筑波大は
50
挙に﹁まさかこんな大幅
85
吉田監督は﹁速攻などで
せた。その後も着実に得点
目の優勝が確定した。
月9日には慶應義塾大 を重ね、筑波大がリードを 積極的に攻めることができ
た の が 良 か っ た が、 3 P
と対戦。年に2試合しかな 保ち ︱ で前半終了。
ているため、
23
後半序盤は勢いに乗ったが逆転する
ことはできなかった(10 月 2 日、早
稲田大戦で)
勢いを失い、逆に早稲田大
後半序盤、筑波大がペー
に力で押し込むプレーと素 スをつかんだ。3分に鈴木
20
58
︻ つ く ば カ ピ オ︵ つ く ば えるように、盤石の試合運 につなげると、吉田健司監
市竹園︶で益本健太=人文 びを見せ、 ︱ で快勝し 督︵体育系・准教授︶は次々
98
40
第3ピリオドでは馬場の シュートを多く決められて
いつくば市でのホームゲー
ムということもあり、筑波 豪快なダンクシュート、杉 しまったので、改善してい
50
11
場権を9年ぶりに逃す危機にひんしている。
16
48
に更新できるとは﹂と驚
学類1年、大西美雨=社会 た。
戦が9月3日から 月
10
試合後、馬場は﹁前半は
まで行われている。男子は げ、スタートダッシュに成
少し相手のペースに合わせ
30
10
梶原悠 未(体専1年)
英 貴︵ 体 専 3 年 ︶、
相手を上手くかわしながら力走する主将の忽那(10 月
2 日、早稲田大戦で)
筑 波 大 は 第 1 ピ リ オ ド 1年︶が3Pシュートを決
学類3年、 面に関連写真︼
チームが2回戦総当たり で、 杉 浦 佑 成︵ 体 専 3 年 ︶ めるなど、交代選手もテン
12
ドでの持久力がトラック
27
関東大学対抗戦
2試合残し優勝確定
10
28
14
77
46
12
自転車競技トラックレースで日本新
䛾
25
28
10
で争う関東大学1部リーグ の連続得点を皮切りに、先 ポ良く得点を挙げ、慶應義
10
10
15
12
10
5位と不振 全国逃す危機
慶應大に快勝 1敗守る
24
12
と選手を交代。牧隼利︵同
関東大学リーグ
ダンクシュートを決める馬場(10 月 9 日、慶應義
塾大戦で)=益本健太撮影
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
スポーツ
(9)
卒業・入学式 会場変更
来年のみ 大学会館改修受け
︵橋野朝奈=日本語・日本文化学類2年、小宮山瑛生=社会学類2年︶
いで、今年で3回目の開催。
会場では9種の地酒やきり
たんぽ、黒石やきそばなど
の東北地方の郷土料理が振
る舞われた。
会場には、実行委員会が
選んだ観光地の紹介ブース
や、現在の被災地の姿や復
興活動などを写真を通して
伝える企画もあった。中央
のステージでは筑波大のサ
話で、私たち留学生は行動
をする前にさまざまなこと
も日本人との間にはさま
自分は来日してもうす
ぐ2年目になるが、今で
ないのかと悩んでいた。
本人に理解をしてもらえ
語の言い回しや発音は日
に、なぜ自分の話す日本
結果的に話が通じないこ
い事柄があった場合に少
ち留学生と日本の学生の間
こ れ ら の こ と が 原 因 で、
と、全く違う意味になり、
知らず知らずのうちに私た
しでも違う表現を使う
に壁が作られてしまってい
壁となってしまった。
自然と自分と日本人の間の
を考えている。この行動が
ざまな点で壁を感じてい
とがよくある。このこと
る。このような壁ができて
意思疎通の壁を感じる
る。文化の違いはもちろ
が日本人との壁を強く感
本の学生との人間関係を築
私たち留学生が日本の学
生と良い人間関係を築くた
くことが困難になってしま
で、間違った振る舞いを
めには、一人で考え過ぎる
更に、来日して自分が
知る日本の伝統や習慣は
しまった場合、留学生と日
ある時、自分は日本人
から見ると外見で外国人
ん、一番感じているのは
て私に英語で返事したの
ために、日本人は、あえ
であると判断されやすい
じる一番の理由だ。
言葉の壁だ。
来日してから1年間は
他国の留学生に囲まれた
この経験から自分が日
本 人 に 伝 え た い こ と は、
してしまうことへの不安
のではなく、分からないこ
う。
と が、 日 本 に 興 味 を 持
その中では、母国語の
違いや多少の文化の違い
すべての外国人が英語を
から、一時は必要以上に
とや疑問に感じることがあ
とても少ないことに気付
ち、日本語を勉強し始め
な ど が あ っ て も、﹁ 自 分
話せるわけではないとい
自分の言葉や態度に気を
いた。言葉の壁がある中
o ︲Wop ﹂が演奏などを
たきっかけだった。その
たちは留学生同士だ﹂と
うことだ。自分のように
使っていた。
だと気付いた。
披露し、会場を沸かせた。
当時からいつか日本で友
いう点では気持ちは同じ
英語が堪能でない留学生
環境で過ごしていた。
実行委員会代表の藤田朋
花さん︵比文4年︶は﹁東
人を作り、その文化を知
で、留学生との間に壁を
中学生のころに日本の
ー ク ル﹁ と き め き 太 鼓 塾 ﹂
有名なアニメを見たこ
北に行き、酒造業者に出店
る こ と が 夢 だ っ た。 現
感じることは少なかっ
も 珍 し く は な い。 ま た、
ところが実際は間違っ
た表現を使ってしまった
やアカペラサークル﹁Do
を依頼するなど苦労した
在、筑波大学で勉強して
た。
しかし、日本人に話し
かけた際に英語で返事さ
開 い た = 写 真︵ 中 ︶。 更 に な 音 が 発 生 す る だ け だ っ
ちを正確に説明するのが
め、日本語で自分の気持
に 直 し て く れ る。 し か
るどころが、正しい表現
際に、日本人の友人は怒
も日本語︶
年=ミャンマー出身、原文
い な い。
︵比較文化学類1
好な人間関係が築けるに違
ことで日本人と壁のない良
日本語で自分が話した
に参加することなどがあ
し、これは間違った後の
あまりにも難しい。
れば、日本人の友達に聞く
が、無事に開催できて良か
いるため、その夢は叶っ
ないが、日本人との交流
れることが多かった。そ
出のために窓ガラスを割る
複 数 回 ハ ン マ ー を 振 る と、 た。車上荒らしの犯人がこ
自分は日本人でないた
った。来場者が震災を忘れ
は思ったほど順調ではな
たように見えるかもしれ
かった。
ことが使用の目的。実験で
のような対応をされた時
に知ってもらい、東日本大 と話した。 ︵前名裕一︶
た。=写真︵下︶。
つくば市で車上荒らしが連続発生している問題で、本紙は犯行で使われたとみら
また、実験で車の窓ガラ
れる﹁緊急脱出ハンマー﹂で車の窓ガラスを割る実験を行った。︵330号で一部
緊急脱出ハンマーは車が ガ ラ ス を 1 回 た た く だ け スが割れた際は大きな音は
既報︶実験では女性でも簡単に窓ガラスを割ることができた。つくば中央警察署へ 水中などに転落した際、脱 で、 直 径 ㌢ 程 度 の 穴 が 出ず、﹁パン﹂という小さ
車上荒らしで悪用か
震災の風化を防ぐことが狙
が 月 ︱ 日につくばセ
東北地方の地酒や料理を ず、現在の東北について知
ンター広場︵つくば市吾妻︶ 通じて現在の東北を来場者 っ て も ら え れ ば う れ し い ﹂
で行われ、多くの来場者で
売を行う﹁食と酒東北祭り﹂ にぎわった。
使った料理や地酒などの販
筑波大学生と東北の酒造
業者らが東北地方の食材を
復興伝える写真展示も
食と酒で東北の今を知る
定だ。
ホームページで公開する予
するかも課題となる。
筑波大学は来年の3月下旬と4月上旬の卒業・入学
新入生を対象としたガイ
式の会場をこれまでの大学会館から、つくば国際会議 ダンスを総括する教育推進
場︵つくば市竹園︶の大ホールに変更する方針だ。大
課は﹁会場変更に伴う計画
学会館の講堂・ホールの耐震改修工事が 月下旬から
の見直しを行っている﹂と
来年6月まで行われるためで、入学式後に毎年行われ
話している。
るイベントやガイダンスなどの実施方法についてはま
筑波大は卒業・入学式の
だ未定だ。︵岡田優太=社会学類2年、 面に関連写真︶ 詳細な日程を 月中にも
また例年、入学式の後に
つくば国際会議場は大学
会館を除くと大学周辺で最 は同会館周辺で学内のサー
も 大 規 模 な ホ ー ル を 持 つ。 クルや部活などが団体紹介
ただ収容人数は大学会館の のチラシを配るなど﹁新入
大ホールの約1600人に 生 歓 迎 祭 ﹂︵ 新 歓 祭 ︶ を 行
したガイダンスや各学群ご
比べ、同会議場の大ホール うほか、全新入生を対象と
は 約 1 2 0 0 人。 こ の た
め、卒業・入学式の運営を とにオリエンテーションが
担当する総務部総務課によ 行われる。
り、どこを新歓祭の中心に
12
月になっても市内で同様の手口による車上荒らしが散発してお
10
り、同署では警戒を呼びかけている。
間で気付かれることもなく
り、地域住民と交流する機
会が充実。更に、学生が雨
宮准教授らと市との協議に
加わり、実際に住んで感じ
たことを基に、今後の街づ
くりについて学生目線で考
えてもらう予定だ。
生 の 中 か ら 将 来、 永 住 す
守谷市の事業担当者は
﹁シェアハウスに住んだ学
る人が出ればうれしい﹂
しくしているという。同署 アハウスの入居者を募集し
在6人が入居を希望中。
ロットの西さんは﹂と記述
入居期間は平成 年度まで らが中心となり、どのよう
330号 面の鳥人間コ
を予定。定員は9人で、現 に街づくりを行うか協議を ン テ ス ト の 記 事 で、﹁ パ イ
れたが、近年、急速に高齢 トロールを通し町内会活動
進めている。
は﹁荷物を車に放置したま ている。守谷市と共同で行
とみられ、これが摘発を難 複数人で共同生活するシェ
と 話 し た。 問 い 合 わ せ は
化が進んでいる。今年度か 0297︱45︱1111
げ、市外に住む学生を対象 ト﹂では、地区の活性化を
﹃ 学 生 が ︵守谷市総務部企画課︶
守谷市が同市みずき野地 ら 開 始 し た 事 業﹁
︵岡田優太、写真も︶
区 の 空 き 家 3 棟 を 借 り 上 輝くまち﹄再生プロジェク
てもらうことがねらい。
実際にシェアハウスとして貸し出される住宅
(10 月 20 日、守谷市みずき野で)
さんでした。おわびして訂
で、地域住民と交流しなが
ら学生に街づくりに携わっ
正します。
しましたが、正しくは井上
10
10
窓 ガ ラ ス の 大 部 分 が 割 れ のハンマーを使えば、短時
犯行が行われる可能性が高
いとみられる。
守谷に住んで街づくり
ま 車 を 離 れ な い で ほ し い ﹂ う地方創生推進事業の一環
そのため、入居の条件に
同地区では1980年代
に大規模な宅地開発が行わ は同地区の夏祭りや防犯パ
11
の取材によると、
酒造業者自ら酒を振る舞った(10 月 15 日、つくばセン
ター広場で)=食と酒東北祭り実行委員会提供
は本紙の女性記者が軽く窓
(上)脱出ハンマーで割る前の窓ガラス
(中)女性記者が軽く1回たたくと簡単に割れた
(下)3、4回たたいたところで窓ガラスの大部分は割れた
(9 月 29 日、筑波大学新聞編集室で)=岡田優太撮影
同署の調べではつくば市
内では7月6、 日、9月
件となっ
ており、同市内の発生件数
は1∼9月で
た。また、 月以降も大通
シェアハウス入居者募集
しているが、犯人らは偽造・
筑波大学は 歳以上の学 に貸し出す。間取りは3L 目指し、都市計画が専門の
盗難ナンバーを使っている 生を対象に、守谷市にある、 DK。 月から入居開始で、 雨 宮 護 准 教 授︵ シ ス 情 系 ︶
18
16
エイン・ピィ・ソン・ウィン
に連続車上荒らしが発生し
11
96
り沿いを中心に事件が散発
10
と話している。
30
女性の力でも楽に
本紙実験
15
11
だが国際会議場は大学会
る と、﹁ 式 典 の 構 成 を 大 き
く変える場合もある﹂とい 館 か ら 約 3・5 ㌔ 離 れ て お
う。
容易に窓ガラス粉砕
10
12
(10)
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月) 学生生活
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
天 久 保 で わいせつ事件
犯人 自転車を襲う
女子学生被害
時
分ごろ。アルバ
を触られたときは驚いて頭
たという。女子学生は﹁体
ズボン姿。面長で、
短髪だっ
ていた﹂と話していた。
の少なさ、道の暗さを感じ
ているが、通るたびに街灯
名したことを発表した。
2階ラウンジ 今 月 か ら 利 用 開 始
筑波大学体育・芸術図書
せ つ 事 件 が 多 発 し て い る。
館︵体芸図書館︶で 月
中央アジアを考える
月 ︱ 日に1D棟で
中央アジア・ミニ映画祭
行われた。同祭は中央アジ
が
アについて考える外務省の
﹁ Eu r e ka ﹂ と は ギ イベントの一環。
リシャ語で﹁見つけた﹂
﹁分
映画は、中央アジア諸国
かった﹂を表す言葉。新し の大使館などから日本語字
月1日から利用が始
まった2階ラウンジの改装
くなったラウンジを利用者 幕 付 き の も の を 提 供 さ れ
日、
を記念した式典が行われ
の市よりもわいせつ事件が
多く、自転車に乗った男が
た。
今回の式典では改装の際
に企画立案や部屋の色彩の
人。主に能と狂
を謡う役、楽器の奏者な
う役に加え、せりふなど
鑑賞をする部員もいる。
古するが、能楽の研究や
言のどちらかを選んで稽
者まで
どが必要で﹁歌舞劇﹂の
色が強い。
活動は週3回。午後6
∼9時に、開学記念館の
一室で稽古に励む。また
ふ劇。庶民の日常に滑稽
月に2回ずつ稽古を受け
対して狂言は演者同士
の対話を中心としたせり
名に至った。
い を 描 い た﹁ ダ イ ダ ロ ス
てほしいという思いから命 ザフスタンでの部族間の争
のひらめきの場として使っ た。
日には、 世紀のカ
やはり自転車で走る女性を
またつくば市は茨城県の他
体芸図書館で改装完了
が真っ白になった﹂と証言。
つくば中央警察署による
と、この付近では路上わい
女子学生はその後、アルバ
イ ト を 辞 め、﹁ そ の 道 は 通
17
追い抜きながら、体に触る
などの事例が後を絶たない
に対し、附属図書館長の西
という。
川博昭副学長︵学術情報担
まれており、公園内には街
同署は、▽夜は一人で出
歩かない▽防犯ブザーを持
午後
11
面白かった﹂と話した。
会工学類卒︶が師匠だ。
一郎さん︵平成4年度社
で動きの確認をすること
り、平砂宿舎の共用棟前
の 練 習 時 間 で は 足 り ず、
演を行う。公演前は普段
︵鈴木瑞穂︶ した。
︵佐藤巧基︶
会長の洞口智香さん
︵芸専2年︶は大学から
もあるという。
市内の公民館を借りた
能を始めた。興味を持っ
組が出場
製作時期や演者によって
う。﹁能面は多種多様で、
C入試でも描いたとい
ことに没頭。筑波大のA
以来、能面を油絵で描く
新聞社賞﹂を受賞した。
分を演じ、4位の﹁中日
敷の梅などを懐かしむ部
が、生前に住んでいた屋
た。霊となった和泉式部
の一部を舞いと謡で演じ
する中、能の演目﹁東北﹂
ル﹂に出場。
今年8月には初めて
﹁全国学生能楽コンクー
表情が変わる﹂と魅力を
ちが、地響きのような太
普段はもの静かな会員た
う ﹂ と 練 習 を 始 め る と、
えた﹂と話していた。
が、その難しさに向き合
舞で表現するのは至難だ
年︶は﹁演目の世界観を
同演目で舞い手を演じ
た 伊 藤 梨 沙 さ ん︵ 同 3
い声で謡い始めた。
練習は自由参加。だが
誰かが﹁そろそろ始めよ
話した。
議 な 魅 力 に 引 か れ た ﹂。
舞台を見て﹁能面の不思
時代。地元の宮城で能の
たのは美術部だった高校
に使ってほしい﹂と話した。 るきっかけになれば﹂と話
ワークやサークルの打ち合
主催者の松下聖助教︵人
わせなど多くの場面で大切 社系︶は﹁中央アジアを知
れ て う れ し い。 グ ル ー プ
体芸図書館でアルバイト 希望の大地﹂を上映。来場
調整などに携わった学生ら
をしている学生は﹁改装さ 者は﹁戦いの描写が細かく、
ち歩く▽露出の多い服装を
当︶から感謝状が贈呈され
灯があるものの、道路を照
た。また、その学生らがラ
らす街灯は一つもなかっ
避ける⋮⋮など、身を守る
が、男は逃げて行ったとい
手段を講じるよう呼びかけ
た。
女 子 学 生 の 証 言 に よ る ら言い、男を捕まえようと
と、被害にあったのは同日 自転車から降りようとした
イト先から自転車で帰宅途 う。
﹁逢わでぞ恋は添うも
のを⋮⋮︵逢うことがで
ka ︵ ユ ー リ カ!︶﹂ と 命
ウンジの愛称を﹁Eure
も通らず、自転車が3台と 通っただけだった。自転車 校からの帰り道で毎日通っ
での出店が中心なので長期 グ ︶、 ボ ン ベ イ︵ カ レ ー︶、
き ず、 恋 心 は 募 る ば か
移動販売車で料理を提供 入するか決めるという。
学生生活課によると、近
する﹁キッチンカー﹂の試
キッチンカーは平日の午 年、学内の食堂の利用者が
日から学 前 時ごろから午後2時ご 減り経営が悪化。春日エリ
演じたり能面を付けて舞
ている。
後ろから誰かが走ってくる グレーのTシャツと黒の長
足音が聞こえた。
﹁闇の現場﹂道路に街灯なし
その瞬間、男がいきなり
視界に入り、自転車の荷台
キッチンカーで昼食を
的 な 営 業 に 慣 れ て お ら ず、 わんかよ︵ローストビーフ
り︶﹂。腹に直接響いてく
段は数日間のイベントなど ブ ︶、 L A X︵ ホ ッ ト ド ッ
る こ と で 相 乗 効 果 が 生 ま た。
現在出店している主な店
れ、食堂など学内で昼食を
たこ焼きなどを販売する は 次 の 通 り︵ 順 不 同 ︶。 K
とる人が増えるかもしれな ﹁ お お き や ﹂ の 店 主 は﹁ 普 A P A D O K Y A︵ ケ バ
日に、千葉県柏市に本
店があるカレー屋﹁ボンベ
常連客ができるか不安。学 丼 ︶、 ご は ん や︵ ハ ヤ シ ラ
るような声が、大学会館
い﹂と話した。
イ﹂のキッチンカーを利用
生や教職員の声や、売り上 イ ス ︶、 あ ず き や 工 房︵ サ
近くの木造平屋﹁開学記
店舗ほど出店 学生の要望取り入れ
した学生は﹁地元で有名な
げなどを見つつ、どんなメ ンドイッチ︶、おおきや︵た
月
店がキッチンカーとして大
員の声だ。
言う﹁謡﹂を練習する会
のせりふを、節をつけて
念館﹂から聞こえる。能
内で始まった。カレーやサ ろまで、第一、体芸、医学、 アや医学エリアでは、学生
値段が700円ほどと学食
︵徳永翼︶
学 に 出 店 し て お り 驚 い た。 ニューを出していくか考え こ焼き・焼きそば︶
営業する。来年2月末まで 店予定は、筑波大学厚生会 満もあったという。
利用しないと思う﹂と話し
より高かったので頻繁には
行われ、利用状況をみてそ のウェブページで公開され
同課の担当者は﹁キッチ
ンカーという選択肢が増え
能 と 狂 言 は、 合 わ せ
て﹁ 能 楽 ﹂ と 言 わ れ、
2008年に日本で初め
てユネスコの無形文化遺
産に指定された
両者の上演形式
な部分を見いだして笑い
伝統芸能。だが
11
気の中にも、伝統芸能へ
のどかなサークルの雰囲
す る こ と も あ る と い う。
たちに受け継がれてい
日本の伝統芸能は、学生
室で、室町時代から続く
ぎる開学記念館。その一
同会は年に2度、 月
の学園祭と3月ごろに公
類1年︶
る。
︵梁安吉子=人文学
の熱い思いを感じた。
会員の一人は、練習後、
プ ロ の 能 楽 師 2 人 か ら、
外界から隔絶されたよ
謡いながら自転車で帰宅
うに、ゆっくり時間が過
は大きく異な
る。能は観世流の西村高
のOBで和泉流の山下浩
に変える、今で言う﹁コ
会員は初心者から経験
夫さん、狂言は同研究会
ント﹂に近い。
る。
10
13
10
記者は現場で約 分取材
女子学生によると男の身
中、公園と雑木林に挟まれ
た 道 路 に 差 し か か っ た 時、 長 は 1 6 5 ∼ 1 7 0 ㌢ で、 したが、その間、車は1台 ラ ン ニ ン グ す る 人 が 1 人 で通りかかった女性は﹁学
11
ンドイッチ、ハワイ料理な 春日の各エリアに2店舗ず から﹁食堂のメニューが少
行営業が、
10
全国学生能楽コンクールで舞う伊藤さん(8 月 21 日、
名古屋能楽堂で)=筑波能・狂言研究会提供
30
本 格 的 で 美 味 し か っ た が、 たい﹂と話した。
11
18
11
10
ど 店舗ほどが日替わりで つ出店。各店舗の毎月の出 なく飽きてしまう﹂との不
17
16
20
10
20
現場の人通りはほとんどなく、ほ
ぼ真っ暗で何も見えなかった(10
月 24 日、つくば市天久保で)
らないようにしている﹂と
つくば市天久保3丁目の﹁しらかし公園﹂周辺で、 月4日夜、筑波大学の女子
をつかまれて自転車を止め いう。
学生が不審な男に体を触られる路上わいせつ事件が発生していたことが分かった。
本紙記者が現場を午後
られた。その後でサドルと
つくば中央署によるとこの地域はわいせつ事件が多発。本紙記者が夜歩くと、付近
体 の 間 に 手 を 差 し 込 ま れ、 時前後に歩くと、暗闇が広
には街灯がほとんどなく、暗いところでは約 ㍍先も見えない状況だった。女子学
体も触れられたという。そ がっていた。現場となった
生は男の特徴を覚えており、すでに同署に通報している。被害者の女子学生に取材
の間、約3∼5秒。学生は 道路は、北側の公園と南側
した。
︵橋野朝奈、小宮山瑛生、写真も︶
﹁ な ん で す か ﹂ と 怒 り な が の大学敷地内の雑木林に挟
地図の斜線部の通りで事件が発生した
能では、舞台
上で登場人物を
筑波能・狂言研究会
伝統芸能を受け継ぐ
11
25
10
の後キッチンカーを本格導 る。
昼休みにキッチンカーを利用する学生(10 月
25 日、第一エリアで)=秋田耕平撮影
25
19
第 331 号
筑 波 大 学 新 聞
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月)
学生生活
(11)
坂︵ ト サ カ ︶ く ん ﹂、 頭 の 右 側 に リ ボ
と生徒のやり取りを描いた漫画で、今
ニワトリ頭の謎の教師・パチキン先生
トリで、気の抜けた表情を巧みに描く。
フは小学4年生の時に飼っていたニワ
ニワトリにしたのは、衝撃的で覚え
てもらえるキャラにするため。モチー
で は 2 コ マ 目 に も﹁ 突 っ 込 み ど こ ろ ﹂
4 コ マ の 構 成 は﹁ 2 段 オ チ ﹂。 通 常
は1∼3コマ目で話を展開して4コマ
女に笑ってもらえる作品にしたい﹂。
面 参 照 ︶。 ス タ ジ オ ジ
キャラ設定にはこだわりがある。パ
チキン先生は実はおしゃれに気を使っ
を描き、4コマ目の大オチにつなげる。
ンを着けた女子生徒は﹁雛︵ヒナ︶ちゃ
ない鶏は、ただの鶏です﹂という台詞
ており、服装は毎回変わる。中心生徒
﹁ 大 オ チ が は ま ら な く て も、 4コ マ の
号 で 5 話 目︵
ブリ作﹁紅の豚﹂を想起させる﹁飛べ
目 を オ チ に す る が、﹁ パ チ キ ン 先 生 ﹂
われ、ぼんやりと憧れた。中学生から
は ページほどの読み切り漫画を描く
マに詠んだ俳句も掲載して
からなかった﹂と苦笑いを浮かべる。
に持ち込んだ。だが﹁箸にも棒にも掛
集英社の﹁週刊少年ジャンプ﹂編集部
ようになり、高校に入学するとそれを
集者が付き同誌への掲載を目指した
終候補まで残った。その後、担当の編
で、斬新な視点が評価され新人賞の最
きる床屋の青年を主人公にした漫画
り漫画を持ち込んだ。髪の毛と会話で
筑 波 大 学 心 理 学 類 に 入 学 し た 直 後、
﹁週刊少年ジャンプ﹂に改めて読み切
しました▼
学内の﹁秋﹂を多く記事に める学生の列が見られまし
で表現されます。今号では られなかったメニューを求
秋 は さ ま ざ ま な﹁ ○ ○ の ﹂ など、これまで学食で食べ
秋が来ました。音楽、読 ンカーが試験導入され、昼
書、 食 欲、 ス ポ ー ツ ⋮⋮。 休みにはケバブやたこ焼き
います▼学内の食事情にも
﹁どうしたら漫画がうまくなるのだ
ろ う ﹂。 た ど り つ い た 答 え は﹁ 多 く の
が、1作を描くのに3カ月以上かかる
月中旬に来日 た︵
面︶▼ 月4日︱6
変化がありました。キッチ
人 に 読 ま れ る こ と ﹂ だ っ た。 そ こ で、
など苦しみ、掲載には至らず。
に2作の4コマ漫画を連載した。
卒業式・入学式の会場変更
全校生徒約500人全員に発行してい
を描き編集部に持ち込んだ。すぐに採
それまで学内新聞には4コマ漫画が
な く、﹁ こ れ は チ ャ ン ス だ ﹂ と 数 話 分
く来年以降には、インターネット上に
きたい﹂と思うように。学業が落ち着
も あ っ た が、﹁ ゆ っ く り で も 楽 し く 描
挫折に﹁漫画を描くのが実は好きで
ないのでは﹂と悩み、筆を置いた時期
では落語研究会や管弦楽団 み た い と 思 い ま す。
︵編集
さ せ ま し た︵ 1 面 ︶。 5 面 再 開 し ま す。﹁ 秋 ﹂ を 楽 し
輪精神﹂という大書を完成 た人気企画﹁松美記念﹂も
教員と共に書道に挑戦。﹁五 だ。﹂で、昨年は中止になっ
は東京キャンパスで筑波大 テ ー マ は﹁ 全 部 森 の せ い
で、 作 品 は 学 内 で 一 躍 人 気 に な っ た。
や防災袋を背負うキャラデザインなど
ない﹃あねざきまこと﹄の漫画を描い
う人生を歩むことで、他の人には描け
る と い う 夢 も で き た。﹁ 漫 画 家 と は 違
漫画家のほかにも、大学で学んだこ
とを生かせる家庭裁判所の調査員にな
発行予定です
月5日︵月︶
次号は
の公演のほか﹁紅葉﹂をテー 長・田中開=教育学類3年︶
用され、始まった連載が、行く先々で
知 ら な い 生 徒 や 教 員 か ら も﹁ 面 白 い ﹂
て発信していきたい﹂。
︵田中開=教育学類3年、写真も︶
しかった。漫画家としての一歩を踏み
出 せ た と 感 じ た ﹂。 そ の 後 も 卒 業 ま で
﹁ファンです﹂と声をかけられ、﹁うれ
ギ ャ グ 漫 画﹁ 天 災 く ん ﹂。 常 に 消 火 器
漫画を公開する予定だという。
会︵IOC︶のバッハ会長 祭﹂が行われます。今年の
した国際オリンピック委員 日、筑波大の学園祭﹁雙峰
11
ん﹂という。
など、パロディーが効いたネタが光る。
の名前も決まっており、割れた卵のよ
10 面へ
来年の卒業式と入学式が行われる予定のつくば国際会議場
(10 月 22 日、つくば市竹園で)= 岡田優太撮影
9 面へ
女子カヤック決勝で力強くカヌーを漕ぐ都田(10 月 23 日、御
岳渓谷特設カヌー競技場で)= 秋田耕平撮影
雷や地震にあう男子生徒が主人公の
た学内新聞の門をたたいた。
11
本 紙 の 4コ マ 漫 画﹁ パ チ キ ン 先 生 ﹂
の作者。とある小学校に赴任してきた
﹁学生だけでなく教職員や保護者など
どこかで笑ってもらえたらうれしい﹂。
三重県津市出身。小学1年生の時か
ら、自由帳に猿の冒険漫画を描いてい
た。学校の写生大会や作文コンテスト
では常に入選。画力と文章力の高さか
ら、周囲に﹁漫画家になれば?﹂と言
10
12
9 面へ
素早いドリブルでボールを運ぶ青木
(10 月 9 日、
つくばカピオで)
=大西美雨撮影
謎の教師「パチキン先生」
30
バスケ 関東大学 1 部リーグ戦
うな眼鏡を頭にかける男子生徒は﹁登
「パチキン先生」のイラストを描く姉崎さ
ん(10 月 27 日、筑波大学新聞編集室で)
11
カヌースラロームジャパンカップ
老若男女に受ける漫画を
高校時代から4コマを連載
5面へ
観客からもらったお題で大喜利をする落語研究会員
(10 月 10 日、
デイズタウンつくばで)=越智小夏撮影
にも読まれる新聞だからこそ、老若男
姉崎 信 さん(心理4年)
2016 年(平成 28 年)10 月 31 日(月) トピックス(12)
筑 波 大 学 新 聞
第 331 号
秋の落語会
本紙の4コマ漫画「パチキン先生」を担当