人 間 科 学 (XX)

人
間
科 学
(XX)
筒 井 健 雄
信州大学教育学部紀要第 5
0号
1984年 3月
人間科学
(XX)
一一一<臨床の知>について一一
筒 井 健 雄
0中村雄二郎のいうく臨床の知〉
哲学者の中村雄二郎はく近代の知〉に対してく臨床の知〉を提唱している 1)。 この臨床の
知の中には臨床医学や臨床心理学での領域も含まれるが, より大きなまた立ち入った狙いを
う
。
持っていると L、
彼によると,それは一言でいえばく近代の知〉が切り捨ててきた人間の豊かな知として,
う
。
またく近代の知〉の独走をはばみ相対化するもう一つの原理として提出するものだと L、
う
。
さらに上記の点を敷桁するとく臨床の知〉は次の 3点の特色を持つと L、
第 1は近代科学を代表とする近代の知が原理上客観主義の立場から,物事を対象化し冷や
やかに眺めるのに対して,それは相互主体的かつ相互作用的に自己をコミットさせる。つま
り対象と自己との聞にいきいきとした交流を保つようにする。
第 2に近代の知が普遍主義の立場に立って物事をもっぱら抽象的普遍性の観点から捉える
のに対して,それは個々の場合を重視し,したがって物事の置かれた場所(トポス〉を重視
する。いし、かえれば,普遍主義の名のもとに自己の責任を解除しない。
第 3に近代の知が分析的,原子論的であり論理主義的であるのに対して,それは総合的,
直感的(=直観的〉であり,共通感覚的である。いし、かえれば,表層の現実だけでなく,深
層の現実(無意識や身体性をも含む〉にも目を向ける。
中村の提唱しているく臨床の知〉は筆者の主張しているく人間科学〉の中に含まれるもの
である。
く近代科学〉からく人間科学〉へと到る道程の中には物理学者の坂田昌ーが主張し
たく現代科学〉が介在するのであるが,その点については既に触れたことがあるののでここ
では取り上げないことにする。
01950年代の教育心理学
8年前 1
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5年の 1
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月2
5日と 1
1月2
5
く臨床の知〉の提唱に関連して思い出されるのは今から 2
日に名古屋大学で、持たれた「教育心理学に関するシンポジウム」のことである 3)。 そのシン
ポジウムは教育事象をし、かにく近代科学〉によって解明し,またその成果を教育実践へと返
してゆくかという意図のドになされたのであるが,まだく臨床の知〉を科学として捉え切る
ことが出来ずに苦悩している様を描き出している。
例えば続は次のように述べている。~教育心理学が,心理学や精神医学,社会学,文化人
類学等々の周辺科学と関連しつつ,人聞の行動の法則性,あるいは原理を仮説的に持つとし
ても,複雑にして独自的な具体的個人への働きかけを試みようとするとき,その間隙を埋め
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.
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るものは,働きかける人が個々に体得したところの「人間知」であって,この間隙を埋めて
ゆくところの研究は容易にすすまないであろうのに,しかも,働きかけは,現に目前におい
て必要なのであり,そこにいわゆる科学にあらざるものを介入せしめなければならないとい
うところにあると思います。これを思避して,科学たるの分を守るか,科学の限度を超えて
も,なお,目前の教育的必要性に応えようとするのかが,実践につらなる学問として検討し
なければならない点でありましょう。』と。
この続の科学観はまさにく近代の知〉に立っているものである。科学的な教育者は被教育
者を対象化し冷ややかに眺めなければならないのである。被教育者を暖かく眺めるなら,そ
れは主観的であって科学にならないのである。しかも教育は日々具体的になされなければな
目的を持った人間
らず,それをこなしてゆくのは科学にあらざるく人間知> (Menschenken
なのだというのである。この科学観によると教育活動そのものは科学ではないという視点に
立つことになるのである。
こういった近代科学の科学観を持つことについての反省として役立つのは竹内敏晴の述べ
I
あるとき数人の精神医と話していて,
ていることである。竹内は次のように述べている 4)0 F
たまたまある女性の症例が話題になりました。かの女は大学の成績もよく,教師から見て申
し分のない,キチンとした学生だったのだが,親にも友達にも秘密な奇癖があったそうです。
学校が終り,アルバイトなどして自分の部屋に帰ると,かの女はあるだけの金をはたいて買
いこんできた食料を食べに食べる。それこそのどにつまって,口に溢れそうになるまで。そ
して,次にそれを全部吐いてしまれこれが毎晩毎晩つづくのです。
偶然、チラと口をすべらせたことから感づいた医師はかの女の精神分析を行い,かの女の幼
時体験や,爪を噛む癖や,それを父親にひどく叱責されて強圧的に止めさせられた後から症
状が始まったことなどをつきとめ,治療にかかったそうですが¥, 、くら手をつくしでもなお
らない。かの女は言ったそうです。
r
実は,昼間の優秀な学生としてのわたし,行儀のいい
娘としてのわたしはウソなんです。食べに食べたあげくゲ、エーと吐いているのがホントの自
分なんです」と。やがて卒業の時が来て,かの女は教師として他県に赴任することになり,
お別れの挨拶に現れた。医師は,
r
もうあんたはなおらないよ」と言ったそうです。「し、いじ
ゃないか。そのまんまウソの自分のまんま押し通せば。それしか仕方ないさ」数カ月たって
「相変らす毎晩吐いています」とし、う手紙が来たとし、し、ます。
私は話を聞いているうちにだんだんめいってしまって,出されたケーキにもコーヒーにも
手がつかなくなってしまいました。そうなのか,近代科学とはこういうものなのか,とくり
返し私は口の中で,つぶやいていました。精神医ならばもっと人間全体に対する理解が深い
のだろうとひとりぎめしていたわたしだったが,近代医学の方法論は精神医学の場合も精確
に近代科学の論理を貫徹して変ることはないのだ,とわたしは思い知ったのです。』と。その
精神医は夜食べて吐いているホントの彼女を救い出してやることをせずに昼間のニセの適応
をしている彼女で通すことをす L めてしまったので、ある。ニセの自分を拒否することは彼女
に犠牲を強いることになるであろう o しかし,彼女にとってニセの自分で得をしているより
も,ホントの自分で損をしてもありのままの自分のいることの方が価値があったのである。
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1
その精神医は客観主義,普遍主義のく近代の知〉に立っており,個を重視するよりも世間一
般の平均的な見方を重視する。こうして彼女はウソで固めたやり切れない自分を毎晩奇癖を
することにして維持してゆくしか方法がなかったのである。彼女の奇癖は彼女の実存の中で
の正当な意味を認められることなく,奇癖として止められてしまったのである。
竹内はまた,次のことも述べているめ。~精神科の医師たちのレッスンをしたことがあり
ます。大変良心的な,し、し、感受性を持った医師たちとして前から尊敬していた人々です。そ
の終りに「出会し、」のレッスンをやった。一人の女性が,相手と,非常に繊細な感受性をも
ってふれ合っていました。ところが,相手の男性が激しい動きをした時に,彼女は,ふと立
ち止まって,スッと相手を観察する目付きになった。相手の動きが,そこでピタッと止まっ
て,またためらいがちに動く。だが彼女の目付きは,もう変わらなかった。手を出したり,
ふれ合ったりさまざまに動いたけれども,それから先は,二人の関係は常に等距離を保って
いて,親しくならず,反発にも至らず発展することはないまま二人は別れたので、す。後で私
が指摘するまでかの女も同僚も,その目付きに全く気がついていませんでした。しかし,言
われたとたんに,彼女は自覚した。では,どうしたらいいのか。精神科の医師にとって,患
者を一つの客体として,これを対象化して,自然科学的な検査の対象として見てはならない,
人間として向うのだということは,このグループの基本的な態度であったのだが,それはた
だ主観的,心理的な範囲に止まっていて,かれらのからだはそれを裏切っていたと言えるで
しょう。かれらは,ある線のところで,スッと自分をニュートラルな場において,相手を観
察する立場に立つというふうに自分を切り換えていたことに,それまで気がつかなかったの
でした。だが,患者と同化するわけにはいかない。それは医師の立場を放棄することにな
る。ではいったいどこで線を引きどう距離を取るべきなのか。患者を「ミル J
はどう L、うことか
rミトル」と
n と。
以上の例から,科学における続の立場と精神科医の立場とがし、かに似ているかということ
がわかるであろう。両者は共に自然科学,いし、かえれば近代科学の立場に立っているのであ
る
。
この点は続のシンポジウムに参加した城戸にしても,正木にしても,依田にしてもニュア
ンスの違いはあっても,基本的には変りがないのである。そして,四者ともに近代科学の科
学観がおかしいのではないかという発想は少しも持っていなかったので、ある。
近代科学の科学観は,これを土台から根本的に修正しなければ教育事象の研究を科学的に
遂行することが不可能なのである。つまり近代科学の根底に横たわるデカルト的心身二元論
を克服しなければならないのである o しかし当時の四者は誰もそれに気づいてはいなかった
のである。むしろ,彼らは教育事象をし、かにして近代科学の方法論でもって明らかにしてゆ
くかということに腐心していたのである。
正木の立場は城戸に近く,教育相談など臨床的実践も行なっており,近代科学よりも現代
科学,さらには人間科学へと歩みを進めていたのであるが,それはまだ無意識的なものであ
り,現実には理論的にも実践的にも近代科学の路線上にあったのである。そのことは彼の次
のような言葉からも明らかなのである。
r
教育者は,やはり教育とし、う責任において,教育
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o
.
5
0
的であらざるをえないのではなし、かと思われる。そこで教育心理学的なものに高めていくに
は,その教育的傾向を反省し,時間的流れにおいて,その働きかけの過程を克明に捉えなけ
ればならない。つまり,実践記録という形のものを資料 (
d
a
t
a
) にする。その実践記録を認
識の普遍性へ高めるのが教育心理学者だと思う。
しかし,教育心理学者に果してそれができるかというと L 私は悲観的である。教育心理学
者は教育の問題と共に成長していかなければならない,というのが私の気持なのである。た
とえば,教育相談をしていて,何をわれわれはしているか,謙遜でも何でもなく,じつに私
は悲観している。施設 (
i
n
s
t
i
t
u
t
i
o
n
)としては,教育相談は成功しているが,しかし,与えた
結果が何か,ということになると,全く悲観的で¥もう投げ出そうかとし寸気持さえ出てい
る。」めと。
ここには正木自身が自分が何をしているのか分らなくて悲観している気持がよく表わされ
ている。これはまさに近代科学の科学観でもって教育相談にかかわった真撃な学究の本音で
ある。
これに対して.城戸の方はもっと楽天的である。「私の考えているような心理学でいけば,
人間というものを本当に理解することができると思っている。そして結局,その結論として
は,ヒューマニズム (humanism)にゆく,あるいは,ヒューマニズムを自分のイデー (
i
d
e
e
)
として持つようになるのではないか。そうなってはじめて,教育の実践をやる場合に,いろ
いろな技術が生きてくる。 J7) といっている。教員養成大学でヒューマニズムの態度を養えと
城戸はいうが,それに対して依田は「ヒューマニズムの態度というのは,ぜひ必要なんだが,
それと科学とは別ではないか。科学自体は超個人的 (unhuman)なものだ。 J8) といっている。
依田は四者の中では一番近代科学の科学観に忠実な観点をとっている。
この依田の意見に対して城戸は「それはそうだが,今までの心理学が人間的な主観を捨象
して.客観的なものを出そうとしてきたが,それは一つの技術である。その技術が,それ自
体で人間と何の交渉も持たなければし、し、が,しかし,それは何等かの意味で人間と交渉をも
ち,人聞を診断するとか,教育するとかいうふうにこれを使用する。……」めといっている。
筆者にとっては城戸が何故ここで「それはそうだが」といったのか気になるところである。
そう大して意味もなく言葉のあやとして「それはそうだが」と言ってしまったので、あろうか,
それとも城戸の中にも近代科学的科学観しかなかったために,こう言ってしまったのであろ
うか。どうも後者の方であると筆者には思われる。城戸は「研究は科学的に.実践はヒュー
マニスティックに」と考えている。その態度の養成の問題では城戸は彼の考えるような心理
学によって養成されるといい,依田は教育心理学によっては出来ないと言っているのである。
城戸の言っている他の部分を読んでみても彼のいう心理学がどんなものか明らかでないし,
また,どのようにしてヒューマニスティックな態度が養成できるのか明確ではない。その点,
近代科学に立っている依田の方が,当時の教育心理学ではヒューマスニティックな態度を養
成出来ないとしている点が卒直であり,現実的であると思われる。
筆者の立場は当時の城戸により近いので.城戸にもっと気のきいたことを言ってもらいた
かったので、あるが,
r
それはそうだが」と言っているので少々失望したのである。
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現在,日本教育心理学会において「教育心理学の新しいあり方を求めて」と L、う題の自主
, 1
9
8
1年
, 1
9
8
3年と 3回に渡って開催された 10)。このシンポジウム
シンポジウムが, 1980年
の開催を提案したのは筆者で、あるが,黒田正典司会の下にこれまで既に 9名 の 者 が 各 自 の
「教育心理学の未来像」を開陳し討論を重ねて来ている。計画としては更に 2回ほどシンポ
ジウムを重ねた後に一書をまとめて世に間おとしている。
9
8
1年 9月に「心理学を問 L、直す一一現代の状況と人間研究一一」
日本心理学会においては 1
という題の公開・パネルディスカッションを行なった。このノミネルディスカッションは既に
年 7月に出版されている 11)。この中で筆者にとっ
「現代の心理学を考える」と L、ぅ題で 1982
て関心があるのは河合隼雄,林知己夫,結城錦ー,村上英治,戸田正直らの考え方である。
河合も林も「古い自然、科学,物理学」を心理学が手本にしすぎたのではないかと主張して
しる。結城はアメリカ的行動主義心理学がやたらと自然科学的方法・技法を借りて来ては無
反省に忙しく動きまわっていることに対して彼一流の皮肉をとばしている。村上もまた,心
理学がモデルを自然科学に求めすぎてはいないかという点を反省し,現代の状況をになって
きびしく生きつづけて L、く人間の,内なる「人間性」にも目をみやり,かかわりの中で追究
していきたし、としている。戸田は,物理学のように「単純な」対象を扱う学問でさえ,理論
はその中核であるとし,心理学全体の統ーのために理論心理学をすすめようと提案してい
る
。
O く臨床の知〉とく科学的存在観〉
以上のように, 日本教育心理学会においても,また, 日本心理学会においても新しいあり
方を科学としての路線上に求めようとする動きは近年ますます大きくなり現実的なものとな
りつつあるのである。こうした動きを意識しつつ,中村雄二郎のいうく臨床の知〉の提唱が
筆者の提唱するく科学的存在観〉とどのようにかかわるかを考察してみよう。
中村はく近代の知〉に対してもう一つの原理としてく臨床の知〉を提唱している。だから
彼は〔く近代の知〉ー→く近代の知〉十く臨床の知
あって,
>
Jという統合された知を提唱しているので
く近代の知〉を否定してく臨床の知〉に変えよといっているのではない。
筆者はくデカルト的心身二元論〉からく科学的存在観〉へと主張している。
く近代の知〉
の根底にはくデカルト的心身二元論〉があるのであるが, (く近代の知〉十く臨床の知
>
Jの根
底にはく科学的存在観〉がなければならぬとしづ対応関係になるのである。
中村はく近代の知〉の特色を 3点あげている。第 1は客観主義,第 2は普遍主義,第 3は
分析的・原子論的・論理主義である。この 3つの主義の背後には既に発達しきったものとし
ての成人の観察する眼が潜んで、いるのである。デカルト的心身二元論は身体に依存しない精
神を前提としている。その精神は昼間の活動の時も夜間の睡眠の時も変ることなく存続する
のである。さらには.生前においても死後においても変ることなく永続するのである。こう
した発達し切った成人のまなざしが控えていてこそ 3つの主義は成立するのである。だが,
このような発達し切った成人のまなざしは,その本人が眠っているその時にも本当に存在し
ているのであろうか。また本人の屍体が横たえられている時にも本当にそこに存在している
のであろうか。科学の成果を基とした真実の発達心理学は,そのような前提(¥,、やデカルト
4
4
信 州 大 学 教 育 学 部 紀 要 No.50
においては前提ではなく当然のことであったのだが〉に対して疑問を提起するのである。
中村はく臨床の知〉の特色をく近代の知〉の特色に対比させて 3点あげている。第 1は対
象・自己・交流主義である。第 2は個別尊重主義,第 3は総合的直感主義である。(これら
の主義は中村の説を圧縮して筆者が造ったものである。〉
く近代の知〉とく臨床の知〉を統合した知においては成人のまなざしの永続性を仮定しな
い。睡眠中の個人は覚醒中の本人の意識を維持することはないし,死んだ人の屍体は物質レ
ベルの機能を持つだけで、あって本人の覚醒中の意識を継続することはあり得ないのである。
こうして,生前や死後の精神があるとの仮定(多くの人々にとって,これは仮定ではなく信
仰である。)はく近代・臨床統合の知〉においては否定されることになるのである。ただ,覚
醒中の成人がその豊かな音声言語的,あるいは文字言語的知能によって自己の生前の世界と
か死後の世界を空想することは自由である。こうしたく近代・臨床統合の知〉の根底には科
学的存在観がなければならないのである。科学的存在観に立つ成人は「我思う,故に我あり」
を肯定する。しかし,自分が寝ている時にも,死んだ時にも「我思う」が成立しているとは
考えない。覚醒と睡眠,生と死における自己の人格変動を正しく捉えているのが,科学的存
在観に立つ成人である。
こうした大まかな対応関係を知った上で,対象・自己交流主義や個別尊重主義や総合的直
感主義の具体的な意味をみてゆくことにしよう。
例えば,既にあげた竹内の述べる例で,夜中に食べでは吐く女子学生の例を考えてみよう。
こうした学生を治療しようとする時にはく近代の知〉の客観主義は限定された場と方法で使
用されなければならない。客観主義は自分のかかわり方が出来るだけ相手のあり方に影響を
与えないようにと配慮するのであるが,それでは治療が成り立たなし、からである。治療を成
立させるためには、治療者は自分のあり方,かかわり方が相手をよい方向に変化させるような
主体的なかかわり方をしなければならないのである。………自分のありのままの姿で,相手
を総合的直感的(直観的〉に感じ,またそれに従って自分の本当の気持(=主観)によって
かかわらなければならない。しかもその主観は自分のあり方を相手に押しつけるものであっ
てはならず,相手のあり方をよく見て,それに教えられて広がってゆくという,対象・自己
交流的なものでなければならないのである。また相手が本当の意味で進歩するのはまさに相
手自身が一歩一歩あゆむことによってである。治療者は自分がその相手にとって望ましいと
思う場所へ相手を一気に連れてゆくことは出来ないのである。これが相手の個別性を尊重す
るという,個別尊重主義に基ずかざるを得ない所以である。
人間いかに生くべきか」と Lづ高度な価値観を治療者
しかも,これらをひっくるめて. i
は持っていなければならない。例にあげた女子学生にかかわった治療者は「食べようとして
.
:
.i
/
:
'豆杢当史良旦を認めず,成長させず,従順に(価値ある
は拒絶して吐く」という拒絶し t
栄養として他者の提供したもの〉を食べおえて見せている彼女を保証したので、ある。自分の
食べたし、ものだけをゆっくり食べて成長してゆこうとする彼女を育てるためには治療者自身
が人格の下部構造と上部構造の調和的発達とし、う人格形成理論を持つと同時に.そうした意
筒 井 . 人 間 科 学 (XX)
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5
味での人格形成を実践して来ている必要があるのである。
参考文献
1
) 1
9
8
3
年 9月 2日朝日新聞
中村雄二郎魔女ランダ考岩波書庖
中村雄二郎西田幾多郎岩波書庖
1
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2
) 筒井健雄人間科学三一書房 1
9
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.p
.
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9
3
) 続有恒編「現代の教育心理学」国土社 1
9
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2,pp.196-197
4
) 竹内敏晴からだが語ることば評論社, 1
4
)の P.
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5
) 上 記(
6
) 上 記(
3
)
p
p
.125-126
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) 上 記(
3
)P.
1
2
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)
p.
1
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7
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) 上 記(
9
) 上 記(
3
)
p.
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7
2回総会発表論文集,ならびに第2
3回,第 2
5
1
mのそれを参照。また,教育心
1
0
) 日本教育心理学会第2
理学年報第2
0集,ならびに第 2
1集さらには第2
3集参照。
1
1
) 杉渓一言責任編集現代の心理学を考える
川島害賠
1
9
8
2
(
19
8
3年 1
0月3
1日 受 理 〉