E. ゴッフマンの“social occasion”概念の分析

早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊 24 号―1 2016 年9月
E. ゴッフマンの“social occasion”概念の分析(酒井)
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E. ゴッフマンの“social occasion”概念の分析
酒 井 瞬
1 問題設定の背景
アメリカの社会学者アーヴィング・ゴッフマン(Er ving Gof fman, 1922–1982)は,非常に多くの
概念を用いて,自身の論を展開している。ウィリアムズによれば,用いている概念の数は 900 以上に
(1)
及ぶという
。そのような数多くの概念の中から,本稿では,ゴッフマンが主に初期に扱っていた
social occasion という概念の分析を目的とする。この概念を取り上げる理由は次の通りである。
ゴッフマンは,数多くの概念を通して,対面的相互作用がどのようにして起こるのかという分析を
行っていた。『行為と演技』では,舞台に関する語彙を用いて,対面的相互作用の分析をしているが,
結論の部分において,ゴッフマンはこの報告の関心事を「日常生活に忍び込んでいる劇場的側面では
(2)
ない」 と示している。ここからは,別の視点からの分析が必要であるとゴッフマン自身が認識して
いることがわかる。その後著された『集まりの構造』では,「集まり」という概念を用い,対面的相
(3)
互作用の分析を行っている。その際に使った概念として,①対面的なかかわり(face engagement) ,
(4)
②社会的場面(social occasion) ,③社会的集まり(social gathering)を取り上げていた。この三
つの概念のうち,①と③については,その概念に派生する概念も含めて,説明がなされている反面,
(5)
②の社会的場面については,主な考察対象ではないために,詳しく扱っていない
。
加えて,この概念は,管見の限り,先行研究の中で,研究対象としてあまり扱われていない。先行
研究の中でも,この概念を用いる際に,日本語訳にばらつきが見られる。訳語としては,次の四つが
ある。「社会的場面」は,丸木・本名(1980)や宮坂(1985)による訳,「社会的場」は椎野(1985)
や宮内(1991),安川(1988,1991)による訳であり,「社会的機会」は内田(1996),「社会的行事」
は浅野(2002)による訳である。さらには,この訳語に関連して,石黒毅は『スティグマの社会学』
(6)
の中で,settings を「社会的場面」と訳している部分がある
。ここからは,social occasion という
概念について,共通理解が図られていない可能性が考えられる。
以上のことを踏まえて,まずは,social occasion がゴッフマン,および先行研究の中でどのように
説明されているのかをおさえる。次に,social occasion の定義の中から,四つの観点を提示し,そこ
から social occasion がどういう概念なのかということについて,明らかにしていくこととする。
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2 social occasion について
2−1 定義と先行研究の整理
まずは,ゴッフマンが social occasion をどのように定義しているかを示す。
人びとが直接的な共存の関係に入る時には,社会的場面とでもいうべき空間への参加者として行
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動することが多い。この社会的場面は,広範な社会的事象,行為,あるいはできごとであって,
場所と時間が定められており,前もって場面の段どりが定められていることが多い。すなわち,
社会的場面は,多くの状況や集まりに社会的コンテキストを与え,それらを形成したり,解体し
たり,再形成したりするが,その過程で,ある型の行為がその場に適した,(しばしば)公認の,
あるいは予定されたもの―― R・バーカーの用語を用いると,「慣習的な行動類型」――として
承認されるようになる。社会的場面の例は,パーティ,職場,ピクニック,あるいはオペラの夕
(7)
べなどである。
この定義に対して,先行研究の中では,次のように解釈されている。
まず,宮坂敬造は「社会的場面」と訳し,
「状況における不適合性・適合性の規範が,参集者の〈当
座の行為(活動)〉(situated conduct(activity))を統制し,彼らの相互作用の円滑な流れの過程を,
(8)
その開始から終了まで維持させている」 と解釈している。
椎野信雄は social occasion を「社会的場」とし,先に示した定義を「社交の会,事業,行事(等の
出来事)であり,場所と時間に関して境界づけられ,典型的には固定した設備によって助成されてい
(9)
る」 と捉えている。この「場」というのは,「さまざまな状況や集まりが形成・崩壊・再形成され
(10)
る社会的コンテクストを構造化するもの」 であり,そのことを踏まえて,「状況の定義は単に主観
(11)
的に実行されているのではなく,社会的場に限定されながら投企されている」 と指摘している。
宮内正もまた「社会的場」と訳している。しかし,この概念を扱う際に,具体的な言いかえをして
いない。ただし,社会的状況との関係について,「家庭の台所や,小さな作業場(職場),近所の居酒
屋のように,一つの「社会的場」が一つの社会的状況のなかに納まることもあれば,図書館のなかで
なにか修理工事をしているときのように,一つの社会的状況に複数の「社会的場」があって互いに対
立する可能性が生まれることもあれば,工場や空港や病院や大通りのように一つの「社会的場」が
(12)
複数の社会的状況にまたがるものもある」 とゴッフマンが social occasion について説明している部
(13)
分
に着目している。
(14)
安川一は「社会的場」と訳し,「状況と集まりを意味づける文脈,もしくは単位」 としている。
安川がそれ以前に著した論文では,「空間的時間的に枠取られ,そこで起こっていることに一定の色
(15)
「社会的場」で起こっていること
あいを与える,ひとつの社会的出来事」 と捉えている。そして,
を次のように表現している。
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社会的場はそこに固有なルールに人々が従うことを通して維持されているということ,その
ルールは通常人々の個々のふるまいに沈潜し,そこに具現化されていて,破綻がなければ露顕し
ない,すなわち人々の意識にのぼらないということである。そして,このようなルールを具現化
する集まりこそが社会生活であるということ,あるいは,このルールこそが社会生活のリアリ
ティを支えているということ,そして,この社会的位相に展開されるルールこそが社会生活にお
(16)
ける人々の内的位相を構成しているということである。
社会的場は,そこに固有の「状況適合性」のルールが人々の個々の行為に具現化されることを
(17)
介して(中略)その社会的リアリティを再生産していく,ということである。
以上に挙げた先行研究の解釈から,social occasion に対して,次のことを前提にとらえているとい
うことが考えられる。それは,状況の中にすでに規範・ルールがあり,それに基づいてそこに居合わ
せている人々が行動するという前提である。
ここからは,その先行研究も参照しながら,ゴッフマンがどのように social occasion を捉えている
のかを吟味し,そこから改めて social occasion という概念を深く理解していくこととする。
2−2 共存の関係
先に示した定義の 1 文目には,social occasion に人々が参加するのが「直接的な共存の関係に入る
時」であると表現されている。ここには,「共存」という言葉がある。この言葉をゴッフマンははた
してどういう意味で使っているのかということについて,ここでおさえる。
ゴッフマンは,共存(copresence)の十分条件として,次のような状況を考えている。
各自が行なっていることが相手に知覚されるほどに,また知覚されているという感覚が知覚され
るほどに,近接していなければならない。西洋社会では壁で仕切られた生活が一般的なので,部
屋に居合わせるすべての人びとはこれらの条件をその部屋の中のどの空間においても充足でき
る。それとは対照的に,公共の街頭(そしてあまり障害物がない他の場所)では,共存の範囲を
明示することはできない。大通りのあちこちに群がっている人びとは,それぞれわずかに異なる
(18)
地点にいる他の人びとを観察したり観察されたりするからである。
この箇所で,ゴッフマンが用いている「知覚」というのは,「「知覚する」(perceive)というような
(19)
用語は,特に視覚と関連がある」 とゴッフマンが表現しているように,主に視覚のことを指してい
る。つまり,ゴッフマンが捉えている共存の十分条件というのは,お互いに見ている,見られている
という感覚を共有していることとなる。
このようなことから,social occasion に人々が参加するというのは,そこにいる人たちがお互いに
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見ている,見られているという感覚を共有しているということとなる。
2−3 event について
定義の 2 文目の中で着目する概念として,出来事(event)を挙げる。なぜ event に着目するのか。
それは,ゴッフマンの博士論文 Communication Conduct in an Island Community の第九章の“social
occasion”において,social occasion を説明する際に初めに示された概念だからである。また,先に
示した先行研究の中で,この event を出来事として捉えているものがある。例えば,「社交の会,事
(20)
業,行事(等の出来事)」 と訳しているところや,「時間的空間的に枠取られ,そこで起こっている
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0
0
(21)
ことに一定の色あいを与える,ひとつの社会的出来事」 と捉えているところである。ここからは,
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0
0
social occasion と event との間には何らかの関係があると,先行研究で捉えていることがわかる。
ゴッフマンは,博士論文の中で social occasion が出来事に対して与えられるものだとしている。こ
の出来事というのは,始まりと終わりがあると感じられるものである。ただし,出来事の中には,始
まりと終わりが厳密には定義されないものもあるとゴッフマンは付け加えている。そして,この出来
事というのは始まりと終わりの間にある連続体(continuous existence)の中で感じられるとも表現
(22)
している
。
つまり,ここからは,social occasion は,そこに居合わせている人々が出来事というある一連の流
れを認識するということであるとわかる。では,その出来事とはどういうものなのか。
ゴッフマンは,『儀礼としての相互行為』の「面目―行為―社会的相互行為における儀礼的要素につ
いて」の中で,出来事について,次の二点を指摘している。一つは,出来事というのは,出会いへの
参加者たちによって解読・解釈され,その後にその中身が値踏みされる対象であるということであ
(23)
る
。二つめは,出来事というのは出会いの参加者たちによって,修正可能なものであるというこ
とである。その理由を,そこにいる人のイメージが損なわれることを防ぐためであると,ゴッフマン
(24)
は指摘している
。
ここからは,出来事というのが,そこにいる人々が解釈し,価値づけるものであり,場合によって
は修正可能であるというものである。言い換えれば,出来事というのは,人々によって意味づけられ
たものであり,その意味づけは状況によって変わりうる。
2−4 慣習的な行動類型
定義の 3 文目からは,「慣習的な行動類型」(standing behavior pattern)に着目する。ゴッフマン
が参照しているバーカーの「慣習的な行動類型」について,原著をもとにしながら,関連性を見てい
くこととする。
「慣習的な行動類型」とは,「存続する(persisting),個人の外にある(extra-individual)行動の現
(25)
象」 であり,この行動に関与する人々は変わるものである。つまり,この行動類型というのは,行
動する主体があらかじめ持っているものではなく,存続している社会の中に存在しているものであ
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る。また,この行動類型を発見することは,「私たちの目的に合った‘community unit’の識別につ
(26)
ながる」 と表現している。つまり,その行動をすることによって,そこにいる集合体がどういうも
のかがわかる。さらに,バーカーは行動類型について,次の二つのことも指摘している。
① この行動類型のほとんどは,特定の場所,物,時間などとむすびつく。
例:ショッピングは店で起こる,通りや歩道では起こらない。
掃除はほうきでなされ,ナイフではなされない。
② 行 動 類 型 と 行 動 類 型 と 結 び つ い て い る 文 脈 の 帰 属 物 の 間 に は, 知 覚 的 な ふ さ わ し さ
(perceived fittingness)がある。
例:書くことは,ショベルよりも鉛筆とのつながりで起こることが適切と思われる。
(27)
食べることは,図書館でよりもカフェで起こることが適切と思われる。
この部分からは,この行動類型は行動が独立してあるのではなく,特定の状況と結びついたもので
あると考えられる。加えて,ある時間・空間・物とその行動との間には,この組み合わせであればふ
さわしいと思わせる概念であるということもわかる。
以上から,慣習的な行動類型というのは,次のような段階を経てできあがったものである。まず
は,特定の状況下で人々が何かを知覚し,それに対応して行動していく。その過程の中で,ある行動
パターンが形成される。そして,その行動パターンはその社会の中で承認され,存続している。
2−5 social occasion の例から
定義の 4 文目では,social occasion の例が挙げられている。それについては,ゴッフマンが取り上
げている social occasion の部分に着目する。
具体例として挙げられているのは,二つの social occasion の例である。一つは告別式であり,そこ
では始まりと終わりがはっきりしていることと,参列者やそこで許される行為には厳しい限定がある
(28)
ことが指摘されている
。もう一つが火曜日の午後の下町である。ここでは,先の告別式とは対照
的に,散漫な場面であり,参加者が全体として見通したり,それを再構成したりできる独特な展開や
構造を持たないとしている。そして,この散漫な場面が進行していく中で,一定の構造と方向をもっ
(29)
た social occasion となるということも指摘している
。つまり,後者の例においては初めから social
occasion には構造や方向はないということになる。しかし,そこに居合わせている人々の行為によっ
て,構造や方向が生じることとなる。そして,一つ目の具体例においては,すでにこの構造や方向が
生じているということとなる。
以上のことから,social occasion については,構造や方向が最初からないものも存在することが明
らかとなった。そして,その構造や方向は,その場に居合わせている人々が行為をすることによって,
生じることもある。
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2−6 まとめ
以上から,social occasion について,次の四つのポイントにまとめることができる。
① その場にいる人々がお互いに見ている,見られているという感覚を共有している。
② そこにいる人々が event を認識する。
③ そこでの行為は社会的に承認されている。
④ social occasion には構造や方向がない場合がある。しかし,それはその場に居合わせている人々
の行為によって方向や構造を持つこともありうる。
以上の四点を踏まえた上で,social occasion について,次のように定義することができる。social
occasion とは,見る・見られるという感覚の共有と event の認識が前提となっており,event に対して,
その都度,社会的コンテキストを与え,何らかの行動をもたらす機会である。ここでなされる行動と
いうのは,社会の中でパターンとして定められている場合とそうでない場合があり,定められている
場合は一定の構造と方向を持っている。構造と方向を持っているというのは,バーカーが示した「慣
習的な行動類型」と対応するものである。
最後に,なぜ「機会」と表現したのかをまとめることとする。先行研究で扱われていた「場」であ
ると,空間的なイメージが強くなる。「場面」であると,その場所にある物の配置などの諸条件も含
(30)
みこんでいるが,それについては,ゴッフマンが「状況」(situation) という概念で表現しているた
めに,合わないと判断した。「行事」になると,すでに構造と方向がある表現であり,それらがない
場合を表現することができなくなる。「機会」であれば,時間的に捉えることができ,出来事という
始まりから終わりにいたる各段階で,社会的コンテキストがその都度与えられるということを表現で
きると考えられる。
3 今後の課題
本稿では,ゴッフマンの social occasion という概念についての分析を行った。その結果,わかった
ことは,見る・見られるという感覚の共有と event の認識を前提にした,event に対し社会的コンテ
キストを与え,何らかの行為をもたらす機会ということである。
今後の課題は次の三点である。一つは,本稿で示した「社会的機会」という訳がどこまで妥当なの
かということである。その検討作業が必要となる。
二つめは,この概念が個人に帰するものなのか,それとも社会制度や社会構造に帰するものなのか,
ということである。その点について,ゴッフマンは,「対面的なかかわりよりも広い社会―心理的単位
(31)
であり,個々のかかわりの準拠枠となる」 と表現しており,それがどちらかであると,明言してい
ないことがわかる。
(32)
三つめは,‘occasion’と‘frame’を同じ概念であると捉えたゴノスの先行研究
から示唆を受け
たことである。この先行研究にも出てくる frame という概念については,本稿では考察対象としてお
らず,今後 occasion との関係性を研究していく中で,明らかにしていきたい概念である。この frame
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という概念は,ゴッフマン後期の著作である『フレーム分析』の中で分析されている。そのため,
occasion と frame の関係性を明らかにすることで,ゴッフマンが対面的相互作用に対して,首尾一貫
とした問題意識を持ちながらも,その都度使用する概念を変えていることが明らかになると考えら
れる。
注⑴
Williams, R, 1988, “Understanding Goffman’s Methods”, Drew, P. and Wootton, W. eds., Erving Goffman, Polity
Press, p88
⑵
アーヴィング・ゴッフマン著,石黒毅訳『ゴッフマンの社会学 1 行為と演技―日常世界における自己
呈示』誠信書房,1974 年,300 頁
⑶
この言いかえとして,ゴッフマンは出会い(encounter)とも言っている。アーヴィング・ゴッフマン著,
丸木恵祐・本名信行訳,『ゴッフマンの社会学 4 集まりの構造―新しい日常行動論を求めて』誠信書房,
1980 年,261 頁参照。
⑷ 『集まりの構造』の中では,「社会的場面」と訳されていたので,ここではそのように表記する。
⑸
アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,23–24 頁参照
⑹
アーヴィング・ゴッフマン著,石黒毅訳『スティグマの社会学 烙印を押されたアイデンティティ』せり
か書房,2001 年,14 頁
⑺
アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,20 頁
⑻
宮坂敬造著「儀礼におおわれた対人的相互作用―狂気と性の考察にみられるゴッフマンの儀礼論につい
て―」現代社会学会議編『現代社会学』19 巻,1985 年,71 頁
⑼
椎野信雄著,安川一編,『ゴフマン世界の再構成―共在の技法と秩序』世界思想社,1991 年,51 頁
⑽
同上
⑾
同上
⑿
宮内正著「儀礼秩序の仕掛け―自己崇拝の維持装置」安川一編『ゴフマン世界の再構成―共在の技法
と秩序』世界思想社,1991 年,97 頁
⒀
アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,22–23 頁参照
⒁
安川一著「〈共在〉の解剖学」安川一編『ゴフマン世界の再構成―共在の技法と秩序』世界思想社,1991
年,26 頁
⒂
安川一著「相互行為の演技と儀礼 ―ゴッフマンの初期著作を素材として―」亜細亜大学経済学会『亜細
亜大学経済学紀要』第 13 巻第 1 号,1988 年,85 頁
⒃
同上論文,87 頁
⒄
同上
⒅
アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,19–20 頁
⒆
同上書,17 頁
⒇
椎野信雄著,前掲論文,51 頁(傍点部は筆者による)
安川一著(1988),前掲論文,85 頁(傍点部は筆者による)
Goffman, Erving, 1956, Communication Conduct in an Island Community, Ph.D.dissertation, University of
Chicago, p127
アーヴィング・ゴッフマン著,浅野敏夫訳『儀礼としての相互行為―対面行動の社会学』法政大学出版局,
2002 年,7 頁参照
同上書,18 頁参照
R.Barker and H. Wright, 1955, Midwest and Its children, Evanston: Row, Peterson, p7
R.Barker and H. Wright, 1955, op. cit., p8
E. ゴッフマンの“social occasion”概念の分析(酒井)
78
R.Barker and H. Wright, 1955, op. cit., p8
アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,21 頁
同上
状況について,ゴッフマンは「すでに存在する(あるいはこれから存在することになる)集まりの空間的
環境の全体」と定義している。アーヴィング・ゴッフマン著,丸木恵祐・本名信行訳,前掲書,20 頁
Goffman, Erving, 1963, op. cit., p243
George Gonos, 1977, ““Situation” versus “Frame”: The “Interactionist” and The “Structuralist” Analyses Of
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