インドで輝いた Hitachi の名前

インドで輝いた Hitachi の名前
―日立グループの存在感を高めろ!
日本在外企業協会 業務部 主幹
(元・日立インド社 Senior General Manager)
藤田寿仁
Fujita, Toshihito
日立環境フォーラム(2012 年 12 月デリー)
2011 年6月に日立インド社はインド地域統
括会社となり、約 30 社からなるインド日立グ
Innovation”。電気、水、交通、空気を対象とし
ループを束ねていくことも使命となった。
てこの環境問題に“SocialInnovation”はどう貢
東京本社からいろいろな要請が来たが、その
献していけるのか? これをテーマとした日立
中の1つが「インドで日立グループの存在感を
環境フォーラムを開催することで日立のアピー
高めてくれ」ということだった。ここでは、日
ルをしたいと本社に提案した。日立インド社で
立インド社がいかにインドでグループ全体の存
事業企画とグループ会社支援を担っていた私の
在感を高めていったかを紹介する。
チームでこの企画を実現することとなった。
日立の存在感を高める3本の矢
折しもインドを視察に来た当時の川村会長
が、この企画に加えて、強力な支援策として日
注文を取ることは、それぞれのグループ会社
立製作所の海外初の取締役会のデリー開催を提
が血眼になって進めていた。TATA モーター
案してくれた。創業以来 100 年以上の間、取
と 日 立 建 機 の 合 弁 で 設 立 さ れ た THCM 社 は
締役会は日本でしか開催されなかった。これを
ショベルカーやブルドーザーを製造販売し、イ
海外で開催することで日立という会社が変わり
ンドでは No.1 のシェアを持っていた。HHLI
つつあることもアピールしたいと川村会長は考
社は日立エアコンを製造販売しており、イン
えていた。さらに、日本大使館の支援で、日立
ドで日立と言えばエアコンを挙げる消費者が多
環境フォーラムの前夜祭を大使公邸で開催でき
かった。
る可能性が出てきた。
グループ会社の事業が様々な分野にまたがる
「取締役会のデリー開催」、「大使公邸での日
中で、日立グループの存在感を高めるために何
立環境フォーラム前夜祭」
、そして「日立環境
をするか? これは難題だった。
「日立がイン
フォーラム」と3本の矢のイメージができ上が
ドでやる気だ」という印象を持ってもらう必要
り、開催時期は 2012 年 12 月となった。
があった。
インドの社会は、急激な都市化が引き起こす
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一方で、日立グループのスローガンは“Social
ネットワークで実現した3本の矢
電力不足、きれいな水の不足、公共交通の不足、
イメージはできたが、どうするか?
空気の汚染など様々な課題を抱えている。
取締役は社内6人、社外7人で合計 13 人い
2015年7/8月合併号