人 間 科 学 (VH)

人
間
科
学
(
V
H
)
筒 井 健 雄
信 州 大 学 教 育 学 部 紀 要 第 29号
1
9
7
3年 1
1月
人間科学
筒 井
(
V
I
I
)
健雄
6 知能と感能
人間科学 (V[)においては,行動の感情的側面について考察した。今回はその発展としての
感能(新造語〉について考えてみたい。感能というのは感情的能力のことであり,自己統御
能力のことである。これについての細部の説明は後にのベる。感能について考察するために
は必然的に知能について考えておかなければならない。知能の方が従来から研究されて来て
おり,データも豊富だからである。知能について考察することにより感能も自づと浮彫りに
されてくるのである。したがって,ここではまず始めに知能について考察し,次に感能につ
いて検討することとする。
(
A
J知能
9
0
5
年ビネ
知能についての詳細な研究は知能検査の創始と共に始まるといってよかろう。 1
8
5
7
1
9
1
1
) は医師のシモン (Simon) と協力して世界最初の知能尺度
ー (
A
l
f
r
e
dB
i
n
e
t,1
をつくった。その後 1
9
0
8
年に年令尺度 (AgeS
c
a
l
e
) をつくり,これが最初のピネー・シモ
ン式知能検査であるとし、う。ここに精神年令(知能年令ともいわれる) (MentalAge,MA)
9
1
1年にこれを改訂してピネーは世を去
の概念とその測定法が発明されたのである。さらに 1
った。cl)
彼の創始した方法は直ちに世界各国に伝えられ非常な勢いで発展していったので、ある。ア
8
7
7
1
9
5
6
) がビネーの
メリカではスタンフォード大学のターマン (Lewis,M. Terman, 1
方法を改訂し,改訂スタンフォード・ピネ一知能検査を創り上げた。彼は精神年令の代りに
In
t
e
l
l
i
精神年令を生活年令 (CA) に対する百分比によって表わしたところの「知能指数J(
genceQ
u
o
t
i
e
n
t,IQ) を使用した。その他多くの人々によって新しい知能検査が次々と作ら
れ実施されていった。
ところが,知能検査の実際的使用の進む中で,もともと確定していなかった知能の意味が
ますます多義的になり暖味になっていった。製作と使用に忙しくて,理論的整理が追いつか
なかったためである。このような事情のために,知能研究の歴史は既に久しいにも拘らず,
その本質規定や定義づけはまだ確定されていないのである。 (2)
勿論,従来,理論的整理が全くなされていなかったわけで、はなく,多くの定義づけが試み
られたのである。それらを整理して分類すると,次のような 3つのカテゴリーにまとめるこ
とができるとされている。 ω それらは
1
. 抽象的思考能力説
2
. 学習能力説
3
. 適応
能力説の 3つである。
さて,この小論では科学的存在観による知能の定義を試みる。そして,その中で上述の 3
つのカテゴリーについても,もし,できれば批判的に検討しようと考えるのである。
48
信州大学教育学部紀要
NO.29
(
a
) 科学的存在観
ここで,科学的存在観なる用語を始めて述べたが,この点について若干説明しておく必要
がある。これは人間科学(I)において既に提起した 2大前提を修正して,それに包括的な名
前を与えたものである。この修正は次のようである。まず第一に,第 1前提には「存在の根
拠」と L、う名前を与える。そして命題そのものは無修正である。第 2前提には「存在の見方」
という名前を与えて,命題を次のように修正する。
r
存在は要素,構造,機能の 3側面から
成る。要素は研究者(観察者〉の目的に従って定められる。構造は要素の配置であり,機能
はその構造下における要素聞の作用〈運動〉である。ある存在の機能や構造が失なわれると,
その存在は消滅し,その要素はその存在よりも下位の存在となる。いくつかの既存の存在が
要素となって構造や機能を持ち新しい存在を創造することができる。 J(下線は新しく修正し
たり,つけ加えた部分を示す。)
r
構造」の方がより一般的であり, しかも静的な感じ
r
空間的配置」を単に「配置」とした理由はその方が解り易く誤解を招
「構成」を「構造」と換えた理由は,
がするからである。
かないからである。要素の定め方について研究者(観察者〉を導入したのは研究者の目的に
応じて妥当な分析のレベルがきまってくるからである。目的が現実に応じた正しいものであ
っても,要素のとり方が相応しくないと目的を達成することができないのである。更に解体
消滅ばかりでなく,生成発展についても触れておくようにしたのである。
以上の点をまとめると,次のようになる。
[
第 1前提「存在の根拠」
科学的存在観{
1
第 2前提「存在の見方」
(
b
)科学的存在観による知能の定義
科学的存在観による行動の知的側面,感情的側面については既にのベた。つまり行動の対
b
j
) を行動の知的側面,
象指向的側面 (1+1,m,o
主体指向的側面 (f+1,m,m) を感情的側
面と定義したのである。行動を人格の現われ(現象形態〉と考えるならば,行動の知的側面,
感情的側面は同時に人格の知的側面,感情的側面と見なすことができる。この場合,人格と
) を中心として,人
o
b
j
e
c
t
) と共に形成した存在 (b+1) を人 (
bo
いうのは人 (man) が対象 (
の特性と見なした概念である。(記号としてはん 1,m をあてる。〉
知能の発達というのは人格の発達のー側面として考えられなければならぬのである。つま
り知能とはある人格(個人〉の対象認知能力ならびに対象処理能力である。しかも対象認知
・処理能力というのはその個人の持つ独特の目的に応じて決定されてくるものである。例え
ば原始的な生活をしているサヴァンナの住民は文明社会で作られた知能検査の得点能力が低
いけれども,だからといって彼らが精神薄弱であると断定するわけにはゆかなし、。それはサ
ヴァンナの住民の生活の目的が文明社会の住民とは異なるからである。
知能検査で測っている知能というものを反省してみると,それが既に我々の文化に特有の
目的を前提としていることがわかる。つまり,我々の社会で教育上当然のこととされている
/1話し,聞き,読み,書き,計算し,考える"等の能力が前提とされているのである。だか
ら知能検査による個人の得点の出てくる過程を被験者の立場から考えると,そこには当然
筒井健雄:人間科学
C
¥
i
町
49
大きく分けて 2つの段階が考えられる。①被験者は与えられた課題を自己の目的と見なすこ
とができなければならない(取り入れ〉。②次に,その目的を達成できなければならない(遂
行〉。これら 2つの段階を立派に果すことによってある知能検査の得点が出てくるのである。
だから,もしも自己の固有の目的を立派に達成できる人であっても,与えられた課題を自己
の目的とすることができないとしたら,その人は第①の段階でつまずいてしまうので,その検
査の得点は低くなってしまうのである。幼児・児童の知能検査においてはラポート (
r
a
p
p
o
r
t
)
の必要がよく説かれるが,それはこのことと深く関係するのである。いわゆる情緒的に問題
のある児童は課題提供者(検査者〉となじむことができず,課題そのものを自己の目的とす
ることができない。そのため知能得点が低くなるのである。
本来の知能を測ろうとするなら,第①の段階を無事通過したあとで,第②段階を達成する
度合を調べ,それによって知能が測られなければならないはずである。しかし,0)多数の被
験者に施行した@客観的な結果のみによって,知能一般を調査(研究〉しようとする従来の
方法からは第①の段階は無意識の中に脱落させられて来たのである。このため,学校教育に
一通り適応して,しかも提供された課題に協力する用意のある被験者群のみについて,研究
者の目的がある程度満たされると Lづ結果が得られ続けて来たのである。この場合には,幼
児や情緒障害児(者〉や文明外の人々,動物などは基本的に視野の外に置かれていたのであ
る。この傾向が特に著しいのは1.抽象的思考能力説に立つ人々であり,次に,第 1の人々
ほどではないが,その傾向のみられるのは 2
. 学習能力説に立つ人々である。
知能テストの課題を自己の目的と転化しない被験者であっても,何らかの意味で彼固有の
目的を持っている。そしてその目的の達成度を調べることは可能である。これには(i)被
験者の個有の目的と一致するような目的を状況的に設定する場合と(i)被験者の目的を検
査者が何らかの方法によって推測する場合である。
(i)の場合は,ネズミや猫を使った学習の研究や,チンパンジーを使ったケーラー
(
w
.
Kohler, 1881-1967) の研究があげられる。これらの研究においては動物の食欲という目的
を状況設定に使っている。つまり,始めに腹の減った動物がし、なければならない。餌を見て
も一向に食欲が湧かないとし、う動物は使うことができない。しかも腹が減りすぎて動けない
ようでも困る。適度な空腹状態にある動物が研究対象として望ましいのである。そしてチン
パシジーによるケーラーの実験のように状況設定が困難になるほど,その目的を達成した時
の知能の程度は高いと見なされるのである。
(
i
i
)の場合は行動観察や面接や投映法等を使って,検査者が被検者の目的を推測する場合
である。被検者の目的を推測し,彼のいる状況の困難度を判断し,その達成度を調べるなら
ば,大体の知能が推定できるのである。
さて,通常の知能検査を施行できる被験者についても,これまでの知能検査は一体彼らの
何を測って来たのかと L、う問題が残る。従来の知能の理論においてはサーストン(L.L
.Th-
u
r
s
t
o
n
e
. 1887~1955) のように空間的因子 (S ,
) 数的因子 (N), 言語理解の因子 (V)…
と多くの因子を考えている人もいるが,これらの因子が出される際の基本的な過程として
は,結局(ア〉与えられた課題を自己の目的化する能力と(イ)その目的を達成する能力の総合
信州大学教育学部紀要
50
No.29
された結果から導き出されているということである。そして,被験者が持っている目的のレ
ベルについては一向に照明が当てられてこなかったのである。つまり,従来の知能検査にお
いては被験者の持つ目的のレベルの違いには全く関心がなかったといってよい。このことは
「目的の違いによって知能の質にも違いがある」と L、う考え方は従来の知能観の中にはなか
ったことを示すといってよいだろう。これはまた従来の科学観(近代科学の観点〕が目的論
を過度に忌避した伝統ともつながっていよう。
我々は被験者の持つ目的の違いにもっと深くかかわる必要を痛感する。そのことは彼らの
人格的レベルの違いにさらに深くかかわることを意味するのである。
(
1
3
) 感能
感能は新造語であるので,まだ知能ほど研究されていない。知能年令,知能指数と同じよ
うに感能年令,感能指数を創り出す可能性もあるが,それらはまだこれからの課題である。
感能についても知能と同様
(
1
) 同一目的の中での自己統御能力の高低の間ノ彊と
(
2
) 違
った目的の下における感能の質的差異の問題とがある。
(
1
)に関していえば,何らかのテストを考案することにより,感能年令や感能指数を出すこ
とができるであろう。感能においても(i)対象に直接触れることによって自己統御できる段
i
i
)条件刺激のみによって自己統御できる段階, (
i
i
i
)言語刺激のみによって自己統御で
階
, (
きる段階など,より後の段階になるほど感能レベルが高いといえるのである。
(
2
)に関しては知能の場合と同様,被験者の持つ目的のレベルの違し、による感能レベルの違
いということが考慮されなければならない。目的のレベルの違いは人格のレベルの違いと深
く関係する。したがって,知能の場合と問機,人格発達の段階区分をまずのベる必要がある。
(
c
)人格発達の段階区分
以下に,科学的存在観に従ったところの,人格発達の段階区分をのべる。これは従来の研
究の成果を部分的にふまえているが,それらを批判的に検討し尽してはいない。それで現段
階としては一つの試みとしてのべるのである。
受精卵から出発する人間の発達も,行動として捉えるなら誕生以後に絞って差支えない。
この誕生以後の人格発達の段階を次のように区分してみよう。
f
無条件反射的段階
反射的段階〈条件反射的段階
I(古典的条件づけの段階〉
f
道具的条件づけの段階
行動的段階{
l
対人知覚開始の段階
人間的レベル Iの段階
第 1自我形成期(第 1反抗期) (2~ 4才頃)以後,第 2自 我 形 成 期
(
第 2反抗期) (12~14才頃〉まで
言語的段階{人間的レベ川の段階
第 2自我形成期(第 2反抗期〕以後,第 3自我形成期(第 3反抗期〉まで
人間的レベノレ Eの段階
般若の知恵を獲得して以後
5
1
筒井健雄:人間科学(Vll)
、〆士、一
λ
P
タ 人イ
町一 Jh
〆、戸与
G14¥Gff
G G 匂 i、必 L
・
fkd-L
oqfJMUfh/9
H4A 十
以上の段階区分と科学的存在観との関連は第 1図の如く示される。
ー反射的F
支
持k
行動的段階
71
﹄-F
司
ュ
@
一
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@
ペ
ヤ
、
魚
住-→治
一一ーーーー一一ーーーーー一
活的段階
il
5
5
7
2
(
実
話i
直接的接触(感覚運動))
破線…… IHl接 (1'~Wlf系
l
第 1図
(
D
)人格発達段階における知能と感能
(a
) 無条件反射的段階
無条件反射的段階というのは個体の生理的活動に注目した段階で,しかも条件刺激が含ま
れない段階を指している。この段階というのは新生児期(大体生後 1ヶ月まで〉にその特徴
屡反射,把握反射,初旬反射,起立反射などがその例である。この時
がはっきりと出る。吸 i
期の子どもは全身の動きが統ーなく,パラパラに,内外界の刺激に応じて動いているように
見えるのである。
(b) 条件反射(古典的条件づけ〉の段階
条件反射の段階においては,やはり生理的なレベルで、の身体活動に焦点を置いている。乳
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信州大学教育学部紀要
NO.29
児の場合,最初の自然的条件反射は生後1O~20 日の年令で発生することが確認されている。
例えば「子どもは普段の授乳の姿勢に手で抱き上き上げられると頭で探求運動を開始し,口
を聞いて吸乳運動を示す。」また「生後 3ヶ月日と 4ヶ月目の境界で吸乳運動が母の乳房をみ
ただけてや起り
5ヶ月目には音響刺激一一母の戸一ーもふくまれるようになる oJ(4)
以上の反射的段階においては焦点が生理的レベルにあるので,知能と感能には触れる必要
がない。人格的なレベルは生理的レベルの上に成立するもので,あくまでもそれとは質を異
にするからである。
や)道具的条件づけの段階
従来においては明確に区別されることがなかったけれども,この段階は本来 2つに分ける
ことができると思われる。第 1は条件刺激が明確に示されない場合で, ソーンダイク (Ed-
wardLeeThorndike, 1874-1949) やスキナー (
B
u
r
r
h
u
s,F
.S
k
i
n
n
e
r, 1904-) の問題箱
による実験がこれに当る。第 2はグリンドレイ
(
G
.C
.G
r
i
n
d
l
e
y
) やプログデンら (W.J
.
Brogden他〉の実験がこれに当る。第 1の方は無条件反射に対応し第 2の方は条件反射に対
応する。
ソーンダイクは内側からロープをヲ│し、たり棒を押したりすると掛金がはずれて戸が開く仕
掛の問題箱をつくり,その中に猫を閉じ込めて実験した。 (5) 猫は空腹で外側に餌が置いてあ
る。始めのうち猫は外へ出ょうとして盲滅法に暴れまわるが,そのうちに偶然ロープを引っ
ぱったりして外に出られる。外に出ると餌を少し食べ,終るとまた箱の中に連れ戻される。
この実験を続けている中に猫は次第にロープや棒と戸の関係を知るようになり,箱に入れら
れると忽、ちの中に外へ出られるようになるのである。猫にとっては外界の中の解放機構が明
確になり,その操作方法が身につくと共に,反応時聞が短かくなるのである。外界との関係
を内面化して猫の存在レベルは上昇するのである。
この場合,知能と感能の変化を考えてみよう。猫は始め解放機構も知らず,どうしたら外
に出られ餌にありつけるかわからなかった。これは知的に低い段階である。感情的にも興奮
し,空腹をかかえてイライラしていた。噛みついたり,ひっかし、たりして暴れていた。試行
を繰り返して,対象処理能力が高まると当然その場面での猫の知能は高まったのである。そ
れと共に感能的にも落ち着きを示し,以前のように箱に入れられそうになると心臓がドキド
キしたり,逃げようとして暴れたりすることもなくなるのである。猫は“どうせ,すぐ、出ら
れるさ 1/ とL、う見通しを持っと共に安心感を持っているのである。
第 2の道具的条件づけは条件刺激をはっきりと提示する。グリンドレーはモルモットの体
を固定して首だけ動かせるようにし,ブザーを鳴らして,それを合図に動物が首を右なら右
に回せば人参(餌)が自動的に現われ
-n
歯するとまた去ってしまうと L、う機構をつくり実
験した。 ω この実験を繰返してゆくと,ブザーの音の開始と反応開始の時間間隔は次第に短
縮する。彼の実験では 1
0
0
秒から 1秒に至る学習曲線が画かれたという。しかも,その間,
逆の側への頭部回転はほとんど起らなかったというのである。この実験動物の場合には餌を
出さなくてもブザーの音をきかせさえすれば,自然と首を右へ回すようになったのである。
勿論それ(ブザーだけきかせること〉を続ければその反応も消去してしまうことは明らかで
筒井健雄:人間科学
c
v
n
)
5
3
ある。
さて,この場合の知能と感能の変化を考えてみよう。始めモルモットはブザーの音をきい
ても,どうということはない。唯一の動かせる部分である頭をあちこち動かすだけである。
ところが,ブザーの音をきいた時首を右へ回せば餌が現われると知り始めると,その因果関
係を把握して,その場に適切な行動をし,対象処理能力が高まるのである。一方感能的には,
始めのうちブザーの音は空腹に伴うイライラを増大させるものでしかなかったで、あろうが,
後にはブザーの音をきくと気持が落着き喜んで首を右へ回すようになるのである。
第 2の道具的条件づけにおいては無条件刺激が個体にとって不快な効果を及ぼすものであ
る場合は更に興味ある反応がみられる。ブログデンらはモルモット用の回転かごをつくり,
実験動物に 1
0
0
0サイクルの音をきかせてから 2秒後に電気ショックを与える装置をつくっ
7
) そして一群のモルモットに音をきいてから,かごを回し始めれば自動的に電気ショッ
た
。(
クがかからないようにし,他の群にはかごを回そうが回すまいが電気ショックがかかるよう
にした。この実験を続けた結果両群には,かごを回す反応について大きな差が現われたので、
ある。しかも,彼らの他の実験によって示唆されるのだが,かごを回せばショックに遭わな
い群はブザーを聞かせればすぐに回転運動を始め,電気ショックが全くかからないようにし
たあとでも,その反応はなかなか消去しなかったのである。これは一度条件づけられると,
この場合,半永久的に条件反応が起るということを示すのである。
0
0
0サイクルの音によって
この事態、を知能と感能の変化について考察すると,知能的には 1
直ちにショックを避けることができると Lづ能力を持つようになることであり,感能的には
1
0
0
0サイクルの音が始めはどうしようもないショックの予告であり恐怖の源泉であったもの
が,次には
μ
ショックが来るから走れ 1/ という意味に変り,現実の恐怖から遠去かるように
なるのである。しかし,それと同時に現実には見えないが起りうる恐怖への不安という意味
0
0
0サイクルの音は持つようになるのである。このようにして現実には無いかも知れない
を1
恐怖への不安によって追い廻されるとしづ感能的な変化も伴なうのである。しかも,この不
安は消去し難いとし、う効果を伴うのである。このような反応は人間の場合にもみられる。一
つの例は吃音である。子どもがしゃべりたし、と思い,しゃべり始めると,親からしゃべり方
0
0
0サイクルの音を聞いたことであり,親
を注意される。しゃべりたい気持を感ずることは 1
から注意されることは電気ショックをかけられることである。あわてて言葉を出そうとした
り,出ないのでもがくことは走りまわることである。この条件づけの完成は人前でしゃべり
たい気持を感じたり, しゃべらねばならない時に吃り始めるということである。この意味に
おいて,吃りは一種の不安反応である。
(
d
)対人知覚開始の段階
この段階の開始は既に生後 2~3 ヶ月の頃から始まると L 、う。この頃乳児は自分の母親を
周囲の人々と区別し始める。母親に抱かれると喜んではしゃくやが,父親に抱かれると大人し
くしているか泣き出したりする。生後 6ヶ月の乳児は身内の人々を他人から区別し始める。
他人から話しかけられたりすると,すぐにほほえむかわりに,長い間じっとその人をみつめ,
その後,ほほえむか顔をそむけるかし,時には大声で泣き出すことがある。このことを「人
54
信州│大学教育学部紀要
No.29
見知りをする」とし、う。
ここには知能と感能の双方がすでに描き出されている。人は生まれながらにして社会的存
在であるが,それを主体的に受け入れ行動し始めるのは対人知覚を開始する時点からである。
これがきっかけとなって次に言語的段階の人格が形成されてくるのである。もしも対人知覚
の展開,発達が思わしくないならば,言語の発達も思わしくない。この段階の知能や感能は
親しい人(特に母親〕と深く関係する。自分の欲求(目的〉を達成するために親の力を期待
し依存する。始めは唯,生理的反射として泣いていたのが,親を呼ぶために泣くようになる。
眼の動き,手の動き,声の出し方によって,親を使って自分の目的を達成しようとするので
ある。これが親を使う段階の知能である。また感能としては親がし、ないと淋しくなって探し
まわったり,泣いたりする。片時も親のそばから離れられない。起きてる聞は親が自分の相
手をしてくれることを期待する。人聞が社会的存在として発達してゆくためには,まず子ど
もの側に誰かに依存せざるを得ない状況がなければならない。その依存状態にある子どもを
親かそれ以外の大人が世話していなければならなし、。しかもその子どもの仮u
で、欲求充足のた
めに親を意識し,親に求めるようにならなければならないのである。摂食,排i
札着脱,睡
眠,遊戯,交友,において依存状態から次第に独立してゆく中で知能と感能は高まってゆく
のである。独立は孤立ではなし、。人から離れ遠去かることではない。むしろ独立は人間関係
がー府深まることである。
(
e
)人間的レベル Iの段階
言語的段階は対人知覚開始の後で成長してくる。その最初の現われは従来第 1反抗期とい
われて来た現象の発現で、ある。年令的には丁度 2才から 4才頃に当っている。ただし,この
第 1自我形成期は過渡期であって,この頃にはまだ,人間的レベル Iの段階は定着していな
いのである。
対人知覚の開始は人間関係の形成を意味する。人間関係の中に子どもが積極的に入り込ん
でくることにより,その関係を基盤として言語的概念が成立してくるのである。言語的概念
は言語を抜きにしては形成されない。言語は単なる音声ではない。第 1図に示したように,
それは人 υ 人 2,実物,音声,から成る存在 C
b
+1) を音声を中心にして把えたものである。
音声言語はム 1,V01Ce と記号的に定義できる。一方,概念は人を中心とした機能である
Cf+hm,
s
o
)。
2~4 才頃の第 1 自我形成期を境として,子どもは質的に変化する。氷が熱量を蓄積して
水に変るように,子どもは動物から人聞になるのである。 2才頃迄は体質的にも動物とあま
り違わないような状態にある。(例えば白血球の組成にみられるように。)(8) また心理的にも
動物の子のようにあどけない。しかし
3才を過ぎると完全に動物の世界と訣別し,人聞の
世界に入り込むのである。勿論,極く小数の例外はある。例えば,重度の精神薄弱児や自閉
症児のように言語を駆使できない子ども達がし、る。彼らは生理的な障害によって,あるいは
対人関係の障害によって,最初の峠を越えることのできなかった者達で、ある。通常 2~4 才
頃を過ぎると,言語の獲得が極めて困難になるといわれている。(のその例は「狼に育てられ
た子J(l司や「アヴエロンの野生児 J(U)に端的に示されているのである。人格発達的にみれば
筒井健雄:人間科学(VIl)
5
5
この時期に自我感情が芽生えてくるといわれる。 (2)この様相を親から見れば, 言うことをき
かない,反抗する,と見えるのである。実のところ,身体的な運動能力の発達を中心として
子どもの側に個有の世界が形成されて来たことに反抗の原因があるのである。人が 2人以上
居れば目的と期待が喰い違うことは当然起り得るのである。言語的段階においては言語能力
食い違いを調整しているのである。
の発達と信頼関係の発展によって,目的と期待の I
人間的レベル Iにおいては子どもの心は多く外に向いており,知能の発達が著しい。音声
言語を基にして文字言語を学習し,対象処理能力が極めて高まる。時計やカレンダーを学習
し,将来起ることを予測し,待てるようになる。一方感能的にみれば,その時々における自
己統御能力が次第に発達してゆく時期である。けれども,まだ,自己というものを一個の独
立した特徴ある存在として捉えたり,反省したり誇ったりするということはあまりない。善
も悪も(特に悪は〉外部に起因すると考えているのである。
この時期の終り噴に第 2自我形成期を迎える。これは従来第 2反抗期と呼ばれていた時期
である。第 1反抗期が親に対する反抗として特徴づけられるのに対し,第 2反抗期は親も含
めた社会的権威に対する反抗として特徴づけられる。言語的概念の発達と共に外に向いてい
た眼が次第に内側に向けられるようになる。自己の性格が意識されるようになり,自己嫌悪
の感情も芽生えてくる。それと共に人の生き方に関する関心が高まり,筋道立った一貫性を
要求するようになる。現実世界への関係の浅さと,観念的思考力の増大とによって,論理的
倫理的一貫性の貫徹を好むようになるのである。そして現実妥協的に見える親や教師に反抗
するのである。この時期は大体 12~14才頃と考えることができる。この時期は身体的発達,
性的発達の急激な時期であり,心身共に激動の時期である。
この時期を経過して安定期に入ると人間的レベル Eの段階に入る。第 2自我形成期を経な
い場合には,この時期に入ることができなし、。そのような個人は現実の動きに密着した生き
方をするのであるが,精神的な深さや複雑さのない人生を生きるのである。
([)人間的レベル Eの段階
この時期は職業生活,結婚生活に対する見通しを得たり,あるいは実践することができて
安定する時期である。現代文明社会に生きる大多数の人々はこの段階に生きているのである。
この段階の個人は精神内界を意識し,社会的な関係を尊重して生きることができる。しか
し,ここでは成長と発展,力と繁栄が基盤となっており,表退と消滅は忌避される。
この段階における知能は力と繁栄を基盤とした知能であり,分析的,客観的である。分析
的把握のためには対象をその成立している基盤から切り離して破壊し,消滅させることも厭
わぬ知能である。対象をあるがままにして知るということに納得し得ない知能である。その
ため死んだ対象についてはよく知り得るが,生ける対象は知ろうとしても知り得ない知能で
ある。
この段階における感能は繁栄と発展,力を喜ぶ感能である,滅亡と老衰,弱さと死を嫌悪
する感能である。
この段階の終り頃に第 3自我形成期を迎える人々がし、る。従来この時期を迎える人々は比
較的小数であったしこれを乗り越える人はもっと少なかった。第 3自我形成期は第 3反抗期
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信州 大学教育学部紀要
No.29
とも呼ぶことのできる時期である。何に反抗するのかというと1"存在のあり方そのものへ
の反抗」である。反抗とし寸表現が激しすぎるとすれば, 1"存在のあり方そのものへの疑問」
といってもよし、。釈尊は生老病死の 4大苦について深刻に悩んだというが,これは上述のこ
とを説明する上で最もよい例である。
弱肉強食としづ生物の存在原理は,考えてみれば何と残酷なことであろうか。老病死につ
いても同様である。特に死は最も恐れられ忌み嫌われる。生あるものに,どうして死がある
のか。死がある限り,一切の生の営みは結局のところ無駄ではないのか。 しカミし, あるべか
らざるものが,どうしようもなくそこにある。
J が第 3自我形成期の特徴である。こ
このような「存在のあり方そのものへの疑問(反抗 )
れを抜け出すための道はけわしく,目標は身近にありながら果しなく遠し、。釈尊は 29才で長
男の誕生を機に出家し,始め師匠について禅定を行ない一時的な心の平静を得た。しかし,
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寄りを得ょうとした。しかし,苦行は肉体を苦しめ
やがてこれに失望し,次に苦行によって1
るばかりで得ることがないことを感じ,やがて彼独自の膜想による方法を工夫した。そして,
2月 8日の暁に悟りを得たとしづ。時に彼は 3
5才。出家してから 6年の歳月が経過して
遂に 1
いたので、ある。(13)
(ゆ人間的レベノレ Eの段階
シッ夕、、ルタは倍りを得て仏陀となった。仏陀の倍りとは何か。それは空の思想である。彼
は人生を一切皆苦と見,それを積極的に受け取る心境を形成し得たのである。全てのものは
皆形成され,そしてまた解体消滅するのである。諸行無常をそのまま受け止める知恵。それ
が般若の知恵である。分析し解明しようとする知識の究極において,分別知が破産する時
あるがままに生きて働く知恵が輝き出すのである。彼にとって生老病死は苦でありながら,
苦ではないのである。もはや他者と競って勝利を得ょうとあくせくする必要はない。老衰や
破滅を恐れる必要もない。彼は生きながらにして死んだからである。もはや己一個にかかず
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(第三反抗期)
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(第二反抗期)
第二自我形成期
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第 2図
筒井健雄:人間科学
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らう必要はない。一国のことにも,一つの惑星のことにも縛られる必要はないのである。そ
れにもかかわらず。その悟りを得た人は全ての必要な束縛を自ら喜んで受け入れるのである。
彼にとって対象は唯向う側にあるというだけのものではない。対象は彼の中にあって彼と共
に生きるのである。彼にとって人生は生ける科学であり,生ける芸術である。
言語的段階における人聞の発達は車を押して山道を登るのに似ている。それは第 2図のよ
うに,所々に谷のある山道である。峠を越すまでは本人の努力や環境の力が弱まると車が坂
道をころがるように人間的レベルが低下してしまう。ところが一旦高度のエネルギーを集中
して峠を越えてしまうと,その谷のレベルより下へ降ってゆくことはない。このようにして
質的な変化が安定するのである。
次に人格発達の段階に応じた知能と感能の系統樹を表わした。この系統樹において,知能
Eは知能 Iを母胎とし,そこから生ずるが,知能 Iよりもレベルが高い。知能 Iは知能 Eに
助けられてより一層伸びてゆく。知能 Eにある人は知能 Iにある人を理解することができる
が,知能 Iにある人は知能 Eにある人をおぼろげに感ずることができるだけである。知能 E
と知能 1
1,知能 Nと知能皿についても同様のことがし、える。なお,感能についても知能の場
合と同様のことがし、える。
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第 3図
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第 4図
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筒井健雄:人間科学(VJl)
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