XXll - 新しい科学

人
間
科 学
(XXll)
筒 井 健 雄
信州大学教育学部紀要第 5
3号
1
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8
5年 3月
1
9
人間科学
(XXII)
一一内観法の治療的意味について一一
筒井健雄
は じ め に
人間科学においては死後の世界を否定している。ところが内観法の前身である浄土真宗の
修行法「身調べ」では死後の世界である地獄や極楽を考えて「今死んだらあなたはどこへ行
くと思いますか」と質問することによって修行させたのである。現在の内観法は吉本伊信に
よって改革されて浄土真宗の信者でなくとも実践できるようになっている1)。だから表向き
は死後の世界のことに触れることなく,科学的な心理療法とされている。だが,この療法の
根底には「地獄,極楽は存在する」という思想が根強く有るのである。
ところで今考えようとしているのは顕著な治療効果を有する内観法が本質的に地獄極楽思
想を必要とするものかどうかという点である。確かにこれまでの経験では地獄極楽を信ずる
者,つまり神仏を信ずることの出来る者の方が治療効果が大きかったように思われる。しか
し,死後の世界の無いことは理論的に明らかなことであるし,一方内観法の持つ治療効果も
無視できない。そこで地獄極楽は存在するかという議論から入って行きながら,最後には理
論と実践の統合を目指そうと思うのである。
後生はあるか
1
9
8
4年 1
0月 1日筆者は初めて奈良県大和郡山にある内観道場を訪れた。 1
9
6
8年の夏休みに
筆者は故竹内硬教授の勧めもあって,大町のモリロンハウスという別荘で行なわれた一週間
の集中内観に参加したことがあった。その時のことであるが,ある日,指導者〈吉本伊信〉
が修行者一同を集めて「今死んだらどこへゆくのや,ということを取り詰めて考えて,自分
は地獄行き一定の身やと本当に分かった時に救われるのや」と自分の経験を交えて指導した
ことがあった。その頃筆者は「死後の世界は無 L、」とし、う確信を持ち,主張しはじめていた
ので,心に抵抗を生じてその後の修行がうまくはかどらず,結局不十分なままに終わってし
まったのであった。そのまま十数年が過ぎたわけであるが,たまたま竹内教授御夫妻の亡く
なられた後,御遺族から多数の内観法のテープを譲り受けた。そのテープを繰り返して聴く
うちに,内観法の持つ大きな力に改めて感動したのであった。そこで心を入れ替えて内観修
行にこれから励むことにしようと決心して,京都大学での教育心理学会の後,内観道場を訪
れたので、あった。
さて,道場主(吉本伊信〕に会って話をするうちに,モリロンハウスでの経験に及んだ。
筆者の「死後の世界は無し、」とする主張に対して道場主は「後生があるかないかと L、う問題
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0
信 州 大 学 教 育 学 部 紀 要 N.
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は重大な問題であるとしてそのことを,たまたまその頃修行に来て指導者の代理も務めてい
るとし、う東京大学二年生 (F) と話し合ってみてくれ」といわれた。筆者としては「内観法
においては死後の世界があるかないかはそんなに重大な問題では無いのではないか」と考え
始めていたので,あまり気が進まなかったが,応じてみることにした。
Fは切れ長の澄んだ目をして仏画が生きて現れたかと思うような好青年であった。私は彼
を相手にして,マイクを片手に話し始めた。(道場主の録音したいという要望に応えたので
ある。〉
Fは印度哲学志望の学生で「後生は有る Jという立場に立っていた。それは「理性は信仰
に従属する」と L、
う
ノ ξ スカル的な立場に立って「後生は有る」と主張するものであった。彼
自身は「後生とか信何の問題は論争で解決されるものではなし、」と信じているので「こうし
た論争は無意味」と感じていた。ただ,彼は尊敬する道場主のたっての要望もあって,あま
り気はすすまなかったが筆者との論争に応じたのであった。
確かに,信何と理性,宗教と科学は別のものである。宗教は本質的には証拠や論争を必要
としなし、。それに対して科学の本質は証拠を元にした論証にあるのである。
こうしたわけで彼自身に「後生の実在」を証明する積極的な証拠がある訳ではないので,
彼は筆者の主張を聴きながら,それへの反証を試みるという形の話し合いを欲した。私は
[一卵性双生児の存在すること]と[ハンス・ドリーシュのウニの卵における実験結果]か
ら考察した結論を話した 2)。始めに彼は[一卵性双生児は人工的に造ることができる]とい
うことに関して,
r
ウニの卵での発生実験を人聞に適用することは不当である。」と反論した。
6
年前まだ試験管ベビーが現れる以前に私が一卵性双生児の人工的な創造と
しかし,これは 2
その創造中止の可否を論ずるために使用したに過ぎないのである。今日では一卵性双生児を
人工的に造ることや造ろうとしたが止めることなど造作もなく出来るはずである。だから彼
の反論は当たらないのである。
次に彼は筆者の説の前提は「人聞の全体性が遺伝子によって決定づけられている」という
決定論かと確かめた。筆者が[遺伝と人聞を含めた環境と主体としての人間との相互作用に
よる]としたのに対して,彼は「哲学,宗教の分野では,そういう考えかたはお話にならな
いとされている。」として「遺伝子は人聞が造ったのですか?J と聞いた。私が[そうでは
ない。]と言うと,彼は「では,自然に出来たのですか。」と聞く,私は[科学的な仮説では
5
0
億年前とされているビツクシミン以降に出来たと言える。]と言うと,彼は「で
あるが,約 1
は,この宇宙や私自身はどのようにして存在し得たのか」と反論した。私が[ビッグパン以
来の宇宙の発達と人類の発達,さらには私自身については,誕生いらい環境との触れ合いを
通して私の人格は発達して,ここに,このように存在し得た]と言うと,彼は「ビッグパン
以前についてはどのようだったか分からないのではないか。そこにこそ神が存在するとする
しかない。人聞の理性などというものはお笑い草でしかない。」と言う。これは神こそが第
ーの原因であるとする説である。
しかし,この点について{イギリスの哲学者パートランド・ラッセルはジョン・ステュワ
ート・ミルの自叙伝を読んで,その中の一文章『わたしの父は,
r
誰がわたしを造ったかJ
筒井:人間科学
(XXID
2
1
という問題は,答えられないということをわたしに教えた。なぜならばその問題は,たちど
だれが神を造ったか」という,さらにもう一つの問題を暗示するからである。』か
ころに, I
ら第一原因説の誤謬を知った九}と言っていることを私は F との論争の後に思い出したの
であった。
ただ,私としてはラッセルの主張を忘れていたせいもあるが, Fの意見を十分に聴いても
みたかったので,こうした反論を敢えてせずに,聴き入っていた。
彼はまた「意識を持った人間のような存在が物質から生ずるとすれば,大きな石から人聞
が生じて来なければならない。ところが,その石を前にしていくら待つでも人間のようなも
のは生じてこなし、」と言った。これはまたびっくりする程,発生学や発達学に無知な人の発
言であったが,私としてはこうした発言も自由に出せる彼の性格とその場の自由な雰囲気を
嬉しく感じながら, [月の世界は大きな石の塊であるが,何千年何万年と待ってもそこに生
命が生じてくるとは考えられない。これは存在が創造されてゆく条件が地球の場合のように
豊かでないからである。物質から人聞が創造されてくるためには地球に与えられているよう
な条件が必要なのだ。]と説明した。
後の議論で明らかになったのだが,彼は原子や分子そのものが意識とし、う機能を持つかの
ように誤解している面があった。私が原子や分子や物質は意識と L、う機能は持たないと説明
することによって,若干存在の階層説についての共通理解が得られたようであった。
このようにして二人の意見はすれ違ったまま話し合いは終わったのであるが,もっと根本
的に考えれば, [死後の世界は無い]とする説も誤解される危険性を含んだものであるから,
さらに詳しい説明を必要とするのである。
外在的存在と内在的存在
[死後の世界は無い]ということの正しい意味は[死後の世界は外在的存在で、はな L、]と
いう意味である。このことは[死後の世界は外在的には存在しない]とも言える。別の言い
方をすれば, [死後の世界は内在的存在である]とも言えるし, [死後の世界は内在的に存在
する]とも言える。
ところで外在的とか内在的ということの意味は
s
.1.ハヤカワの言う定義である。彼は次
のように言っている。「ある発言の外在的意味 (
t
h
ee
x
t
e
n
s
i
o
n
a
lmeaning) は,それが外在
的(物理的〉世界において指しているものである。……外在的意味はコトバでは言い表せな
い (
c
a
nn
o
tbee
x
p
r
e
s
s
e
di
nw
o
r
d
s
) それはコトパが代表しているものだから。これを記憶
するやさしい方法は,外在的意味を言えと言われた時は,いつでも,自分の口を手でふさい
で,指でさせばいし、。……一方,ある語か表現の内在的意味 (
t
h
ei
n
t
e
n
s
i
o
n
a
lmeaning) は
これと反対に,人の頭の中に想起 (
s
u
g
g
e
s
t
) (connoted=内包される)されているもので
ある。簡単に言えば,ある語の意味を他の語を使って言えば,われわれはその内在的意味ま
たは内包を言っていることになる。これを記憶するには,自分の眼を手でふさいで,その語
を頭の中で転がせばし、¥, ,
4)oJ と。このことを具体的な例でもって考えてみよう。ここに将
棋の駒で金というのが有るとする。この駒が木で出来ているとすれば,落とせば落ちたり,
2
2
信州大学教育学部紀要 N
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3
燃せば燃えたりするであろう。駒そのものの存在や性質は外在的なものである。しかし駒の
金としての動きは駒自体のものではない。それは勝負する者たちの内在的な世界の代表物で、
ある。勝負する者たちは言語段階の人格を持っている。言語を獲得していない者や獲得して
いても将棋を習ったことのない者には駒の金としての性質は見えていないのである。つまり,
そういう人にとって金の動きは存在しないのである。従来の科学,つまり自然科学は普遍性
を求めた。誰にとっても有るものは有る,無いものは無い,と明確に規定していた。しかし,
新しい科学,つまり人間科学は誰にとってもということは言わないのである。将棋を知って
いる人にとって存在する金の動きが知らない人にとっては存在しないのである。覚醒してい
る自分にとって存在する物が熟睡している自分にとっては存在しないのである。「後生を信
じている人」は誰にとってもいつでも後生は有ると信じている。覚醒している人間科学者は
人格水準の違いによってそれが存在したれしなかったりすることを知っている。
こうした個人の違いによって物が存在したり,しなかったりすることを認めるならば,科
学であることを人間科学が主張する限り,主観の違いによる暖昧性や立場の違いによる不一
致などを避けるための工夫が必要になってくるのである。そのことの一つが科学的存在観に
立って,心身二元論に立たないということである。さらに大切なことは共通な目的を設定し
て対話しあうということである。
例えば,内観法的な人格変化は仏教徒にとってもキリスト教徒にとっても,あるいは無神
論者にとっても起こりうることであるし,意味のある大切な事柄である。そこでは後生が有
るか無いかということは,意味の無い事柄である。後生などというものは有る人には有る,
無い人には無いのであって,それで良いのである。どちらかに決着を着けることなどは必要
の無いことであって,われわれはただ,その成果を楽しめば良いのである。
ところで,釈迦は死後の世界のようなものを信じないリアリストであったと L、ぅヘただ,
彼は別にそのことに対する確信を持っていたわけではなかった。彼にとって大切なことは人
格を形成する(悟りを得る〉ことであった。つまり,彼にとって大切なことは浬繋を得るこ
I
Iの段階に到達するこ
とであったので、ある。これは人間科学的広言えば,人間的レヴェル I
とである。このため彼は不用な形而上学的議論をことさらに避けたのである。彼が説明する
ことを拒んだ形而上学の問題には次の四つがあったと言われている。それらは
1.宇宙は永遠か,永遠でないか。
2
. 宇宙は有限か,無限か。
3
. 霊魂は肉体と同ーか,別か。
4
. 知来(すでに解脱したもの〉は死後存続するか,しないか。
であった 6)。
これら四つの問題に対しても現代では科学的な解答が示されるようになってきたのである。
当時のインドの科学水準を考慮、した場合,釈迦の到達した思想水準の高さは殆ど驚異的と
すらいうべきである。人間科学的に見た場合,釈迦は偉大な模範である。
我が国の生んだ禅僧道元も死後の世界に関しては否定的な見解を示している。彼は先尼外
道の考え方を批判している。先尼外道の考え方というのは[大道(霊知〉は,我々のこの身
筒井:人間科学
(XXI
I
)
2
3
体の中にあり,その有様は容易に知ることができる。即ち,それは苦楽を区別し,冷暖を知
り痛停を知る。万物に影響されず,対象とかかわりは持たなし、。物は移り変わり,対象は生
滅するけれども,霊知は常に存在していて不変である九]というものである。このような
思想に対して唐の大証国師, (南陽〉慧忠和尚は[もしこのような思想を調べて見るならば,
それが正しいかどうかは論ずるまでもない。どうしてこんな説を肯定することができょう
か九]と言っている。道元は[大証国師(慧忠)は六祖古仏の高弟であり,人間界におけ
る偉大な師である。国師の示す仏道の根本義を明らめて修行の鑑とすべきである。先尼外道
の教えに従ってはならない 9)0 ]と言っている。
釈迦や道元など真理を究めたりアリストたちは後生が外在的なものではありえないことを
看破していたのである。
内観法の効用
さて,仏教の基本的な教えにとって後生が有るか無し、かは本質的な問題ではないことをこ
れまでの議論において明らかにした。むしろ釈迦による原初仏教や道元による曹洞宗におい
ては後生は否定されていたので、ある。
だが,このような理論的な検討と同時に,忘れられてならないことは内観法の持つ治療上
の力あるいは人格形成上の力である。例えば,戸田と L、う死刑囚の改俊,前科十犯で指宿の
親分こと橋口勇の改心,などは最も劇的な例であるが,その他にも数知れないほど多くの改
心者を内観法は生み出したのである。ただ,単に精神的な改善だけでなく,肝炎や頭痛や腰
痛,関節炎などの身体的な障害も改善されたのである。
失恋の悩みを癒し,嫁姑問題を解決し,夫婦聞の問題や親子聞の問題,また兄弟聞の問題
を解決してきたのである。
こうした内観法の効果をありのままに見た上で,こうした効果が果たして地獄行き一定の
身と己れを悟ることから成り立つのか,それとも別の見方によって十分に説明がつくものか
どうかを見て行きたいのである。
内観法は理論ではなく実践であるといわれる。理論を知りすぎた人は実践において高度の
段階まで到達することが難しいということも言われる。しかし,また優れた実践は優れた理
論を必要とするし,その逆もまた言えることであろう。
人間科学は己れの理論に内観法の理論が合わないからと言って,その効用までも捨て去る
ような愚を犯してはならなし、。そのためには、内観法の効用を人間科学の理論から解明する
必要が,どうしても,あるのである。
効用について人間科学的に解明するためには,まず内観法のやり方について調べてみなけ
ればならない。
(
1
) 内観法のやり方
内観法には集中内観と言われるものと日常内観(これは以前は分散内観とも言われた〉と
言われるものとがある。集中内観は一週間の間,朝 6時から始めて夜 9時まで 1日1
5時間,
総計 1
0
5時間内観するものである。これに対して日常内観は毎日 1時聞か 2時間位内観する
2
4
信 州 大 学 教 育 学 部 紀 要 Nu53
ものである。
集中内観の場合は 2時間に 1回位の割合で指導者(道案内人ともいう,以前は開悟人とも
いわれた。〉が「いま,自分が何歳の頃,誰に対して調べていますか。してもらったこと,
して返したこと,迷惑をかけたことはどういうことがありましたか。」を聞きにくる。これ
を聞いた上で,次にいっ頃の誰に対しての自分を調べるかを内観者と相談して決めてゆく。
この指導者のことを御用聞きとも言うように,その他なにか気に懸かっている事は無いか,
してもらいたい事は無いか,などを聞いて行くこともある。
日常内観の場合は自分一人でやるので,指導者が来ない点を除けば,その内容は集 "
1
"内観
と同じである。
また,内観の順序としては自分がお世話になった方から始めるようにしている。たとえば
母親には大抵の者がお世話になっているので,まず母親に対する自分から調べ始めるように
指導がなされるのである。自分が幼児の頃の母親に対する自分を調べたら,次は自分が小学
生の頃の母親に対する自分を調べるのである。こうして現在の自分に至るまで繰り返し調べ
て行くのである。母親に対する自分を調べ終わったら,次には父親,兄弟,祖父母,先生,
友人などと順に調べて行くのである。こうして徹底的にかかわりのある人々に対する自分を
調べあげてゆくと,初めのうちは笑いながらやっていた内観が三日四日となるにつれて,真
剣なものとなってくる。そして,ついには慨悔の涙にくれながら内観するようになるのであ
る。自分がいかに罪深い人聞かという自覚は非行少年や犯罪者の方が普通の人よりも深く,
感動的ですらある。まさに,親鷺上人の言葉のごとく「善人なおもて往生をとぐ,いわんや
悪人をや 10)J なのである。
(
2
) 内観のやり方に対応する理論
吉本伊信著,内観四十年には『私はねむたい眼をこすりながら,ねえさんに励まされつつ
父に対して,母に対して,兄弟に対して,自
身調べに精出しました。当時は今のように, I
今,死んだら魂はどこへ行くのか?と
分の年令を追って」と教えてくださるのではなく, I
真剣に無常を取りつめて身・命・財の三つを投げ捨てる思いで反省してくださ L、」とかわる
がわる二時間に一回,奥座敷に座っている私を励ましに来てくださいました。』と書かれて
し
、
る
。
昭和 1
0
年頃の「身調べ」はまさに,後生がある,死んだら地獄か極楽へ行しという思想、
.信念の下になされたので、ある。
だが,改革された後の内観法は「身調べ」とは違って後生とか死後に魂が赴く処としての
地獄極楽などを必要としないものに変わったと考えてよいと思う。例えば,新しいやり方で
は「今,死んだら魂はどこへ行くのか?J と問うことはしないのである。むしろ,母親なら
母親が自分に何をしてくれたのか,その母親に対して自分は何をして返したのか(恩に報い
たのか,それとも恩を仇で返したのか),その母親に自分はどんな迷惑をかけたのか,その
ことをありのままに調べてゆくのである。勿論,ありのままにと言っても自分の記憶の中に
残ることであるから事実とは違っているかもしれない。たとえ事実と違っていても,故意に
自分の記憶をねじ曲げようとしない限り,内観の効果は現れるのである。
筒井:人間科学
CXXI
I
)
2
5
内観の効果というのは[広がつた自己の形成]ということである。内観法において広がつ
た自己を形成してゆく過程を考えてみると第一に自分だけの立場カかミら他者を含んだ立場への
広がりがある。例えば,先に挙け
2
歳頃から継母に対して甘えたくとも甘えられないと
改名〉の場合,内観前においてはll'-"1
7
歳に至るまで引きずっていた。ところが刑務所の中で内観を
いうひがみから生じた恨みを 3
始めて継母の自分に対する愛情に気づき始めた。そこへもってきて,近所の人からの知らせ
で継母が「勇さんをこんなにしたのは私の責任だ。私はあの世で前のお母さんに合わす顔が
ない」と言って人事不省に陥ったことを知った。その時,彼は「俺は必ず,かたぎになって
帰り,幸せにするから待ってろよ。死ぬなよ。」と祈った。ところが,そこへ追い討ちをか
けるように,継母が死んだとの知らせが届いたのであった。彼は自分が立ち直ろうとした矢
先に継母が死んだことを知ってヤケを起こした。だが, ["そんなことでは死んだ継母に申し
訳ないではないか」という担当の言葉によって立ち直り,死に物狂いで内観して,ついにや
くざの組織を解散し,たった一人で出直すまでに自己変革をしたのであった。これは橋口
勇が[子どもとしての立場からしか継母を見られなかった自分]から[(本当は自分を愛し
てくれていた〉継母を含み込んだ自分]に変わった例である。
第二に,内観法には身体言語的な理解の水準から音声言語的な理解の水準まで,しかもそ
の音声言語の高度な水準まで広げるという働きがある。科学的存在観から言えば,既存の存
在に新しい要素が加われば新しい存在が出来上がるのである。内観する場合,内観者の中に
内観材料は既にあるのである。だが,それらはバラパラで統ーされていない。既に統ーされ
ていたとしても,それは自己中心的な狭い水準の統ーである。
身体言語は個人的な水準から社会的な水準への過渡期的な言語で、あるが,音声言語は本質
的に社会的な水準の言語である。内観は内的な音声言語によってなされている活動である。
その活動によって新しい自己が造られるのである。内観法の指導者はこうした変化を「新し
い自己の発見」と説明しているが,この説明は本当の説明になっていないと筆者は考えるの
である。発見は既に存在していたものを見出だすことである。内観後に成立した人格は果た
して内観前から存在していただろうか。そんなことは有り得ないのである。内観を通して新
しい人格が造られ生み出されたのである。その人格は内観前には無かったものなのである。
したがって,発見と言うよりは創造というべきなのである。そして創造ということには消滅
半っており,人格の消滅が必ずあるのである。これが[後生は無い]とい
ということが必す1
うこととつながっているのである。
第三に内観法はまず, ["自分が,どんなに人にお世話になってばかりいて,恩返しをして
いない人物であるか。どんなにちっぽけで取るに足りない人物か」を明らかにするのである。
自分などとても生きるに値しない人物のように思わせられるのである。例えば, ["私は母に
甘えてばかりおりました。とくに小学校低学年時代は,母のことを思いやってあげるどころ
か,自分の欲求だけをとおしているような,親不孝者でした !!JJ ということに気がつくので
ある。もしも,そうした気づ、きだけに終わるならば,内観をすることは苦痛なだけであり,
死んだ方がましだということにもなりかねないのである。
2
6
信 州 大 学 教 育 学 部 紀 要 Nu53
ところが内観法の不思議な効力はそうしたちっぽけな取るに足りない自分が今まで生かさ
れてきた有り難さに気づかせられることである。例えば,
r
自殺しようとした自分があれほ
ど,恐ろしかったことはかつてなかったことですが,また,これほど,自分が今日あるとい
うことを,嬉しく,ありがたいと思ったことはありませんでした。そして,自殺に対しての
願望も,根こそぎ崩れ去りました。全く,死にたいなんて思えなくなりました」とし、う例の
こ12)。
よう U
そして,この喜びの最大限のものの一つは次のように表現されている。「前のめりにぶつ
倒れたまま,しばらくの間,人事不省におちいっていた私は,ふと気がつくと嬉しくて嬉し
くて,ただ涙のみで、した。……この喜び,この感激を世界中の人々に伝えたい,これこそ人
生最大の目的であり喜びであるとの確信を得ました。……顔もちょっと前までは地獄の底か
らはい出たように恐ろしかったのが,ニコニコ,ゲラゲラ,喜び笑いが腹の底からこみあげ
てきて防ぎょうがありません。細長かった人相が急に丸顔に変わっていたことでしょう。
……そうだ。今救われたんだ!もわいつ死んでもいい,満足だ。目的は果たせた。この世
に生まれた最終・最大の目的を果たすことができた! 嬉しし、,全く嬉しい。手の舞い足の
踏む所を知らずとは,こんな気持だろうか?同」と。
参考・引用文献および注
1
) 吉本伊信 (
1
9
6
5
),内観四十年,春秋社
2
)
3
)
4
)
5
)
6
)
7
)
筒井健雄(19
7
5
),人間科学,三一書房および雑誌「信濃教育第 1
1
6
5号
」
パートランド・ラッセノレ著,大竹 勝訳(19
5
9
),宗教は必要か,荒地出版社, 1
1頁
s
.1.ハヤカワ著,大久保忠利訳 (1965),思考と行動における言語
増谷文雄 (
1
9
7
0
),原初経典
若麻績
阿含経,筑摩書房, 176~177頁
修編(19
7
2
),釈尊の生涯とその教え,長野保育専門学校人文科学研究室, 4
2頁
道元著,中村宗一訳(19
7
1
),正法眼蔵巻ー,誠信書房, 87~88頁
8
) 向上,
9
)
1
0
)
1
1
)
1
2
)
1
3
)
第二版,岩波書庖
9
9頁
向上, 9
1頁
増谷文雄 (
1
9
7
6
),歎異抄,筑摩書房, 2
4頁
吉本伊信編(19
7
9
),学校内観,内観研修所, 5
8
頁
向上, 5
8頁
1)と同じ, 97~99頁
(
1
9
8
4年 1
1月3
0日 受 理 〉