speech

 ― 目次 ―
学会の組織で、特に注意すべき指導
(P 3~42)
最新の指導
(P 44~)
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* 学会の組織で、特に注意すべき指導
*
(P.3~42)
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2月度本部幹部会
御書にも繰り返し、「善き友に近づけ!」と仰せである。
「悪知識を捨てて善友に親近(しんごん)せよ」(P.1244)と。
悪人にたぶらかされてはならない。いばられて、利用されるだけである。悪い人間は、学
会を利用し、肩書きを利用し、国家を利用し、すべて自分の名聞名利のための手段とする。
自分のことしか考えていないものだ。また、歴史をひもといても、嘘が横行し、正義と真実が
踏みにじられる社会は、必然的に衰亡の坂を転がり落ちていくものだ。 仏法は厳しい。つく人を間違ったら、大変である。
戸田先生の時代から、学会にも悪い幹部がいた。そういう人についた人間は、結局、皆、
だめになっている。ゆえに、悪を責めねばならない。
放置すれば、自分が悪になってしまう。闘はないのは「悪の黙認」に通じる。嘘に負け
たことになる。これが大聖人の教えなのである。
― 1999年 2月度本部幹部会より ―
青木副会長 - 会員と語る -
――実は最近、こういう投書があったんです。
「幹部の中には、“自分は偉い”と勘違いして、威張り散らしている人がいます。そういう人に
限って、皆、退転しています」
・
青木 これだけ大きい学会です。残念なことだが、畜生根性の幹部もいた。そういう幹部は、
最後は、必ずダメになる。
・
学会の役職と信心の位は違う。そこを履き違えてはならない。
学会で一番偉いのは、第一線の会員の方々です・・。
第一線で戦っている方が、一番、偉い。その方々のために尽くすのが、学会の幹部です・・。
その根本を忘れ、会員の方々を見下す。いわんや立場を利用して、金儲けをしたり、後輩を
上下関係で見て、自分の手段にする。
すべて学会利用であり、信心利用です。そうなったら、もはや広宣流布の幹部ではない。
「魔」です。「敵」です。
・
――学会の幹部は、責任が大きい。その幹部がおかしくなったら、学会組織にも影響が出ま
す。
青木 学会員は、人の良い人ばかりだから、インチキな幹部というものは、そこに付け込
んで利用しようとする。その結果、広布前進を阻害し、多くの同志を苦しめる。だから、まず、
幹部から襟を正していかなければならないのです。
――「この幹部は、誰がどう見てもおかしい」と思ったら、どんどん言っていくべきですね。
青木 さも偉そうにして、何も言わせない雰囲気をつくっていく。こういう人は、必ず問題
を起して、皆に迷惑をかけていくものです。
・
どんな幹部であれ、おかしいのがいれば、どんどん声をあげていくべきです。それが結局は
、そのひとのためになるんです。
・
――池田先生は常々、「一流の人は皆、謙虚である」と語られていますね。
青木 学会の幹部こそ、謙虚を肝に銘じなければければなりません。学会の幹部は「責任
職」です。幹部だから偉いとか、そんなことは、まったくない。
――「偉ぶっている幹部ほど、全然、人の話を聞かない」という声もありました。
青木 ………徹底して「一人の声」に耳を傾けるのが本当の幹部です。
人の話を聞かず、一方的に自分が話してばかりいる。ただの自己満足です。そんな幹部は、
皆から嫌われていく。
――草創の先輩が語っていました。「退転する人は、要領が良く、口がうまい人間ばかりだっ
た」と。
青木 そういう人間に限って、後輩や会員を自分の言いなりにさせようとする。とにかく人
を自分のところに囲おうとする。自分のために人を使うのは魔性です。「他化自在天(たけじ
ざいてん)」の働きです。
しかし、一時的に一部の人を騙すことができても、やがて化けの皮は必ず剥がれていく。
結局、自分で問題を起こし、皆から見破られ、清浄な学会の世界にいられなくなるものです。
――組織利用の幹部は、断じて許してはなりませんね。
青木………慌しい年末年始になります。絶対無事故で、晴れ晴れと新世紀を迎えていき
たい。……「完勝」の中心軸は、地区です。地区部長、地区婦人部長が将軍です。幹部が地
区に入るということは、「上から命令する」ということではない。将軍である地区部長・婦人部
長のもとで働くということです。
・
――ところで、こんな声がありました。
「個人的な悩みで指導を受けたら、いつの間にか、その話が、多くの人に伝わってしまい、
困っています」と。
青木 断じて、あってはならないことです。みな、幹部を信用して、なんとか解決したいとの
一心で、やむにやまれず、悩みを打ち明けてくださっているんです。その信頼を裏切り、みだ
りに他人に話をもらすとは、何事ですか。人権にも関わる問題です。
――ええ。これが公務員や公的な立場にある人だったら、場合によっては「守秘義務違反」で
す。
青木 幹部はもちろん、会員同志にあっても、個人のプライバシーに関わることをむやみ
に話すことは厳禁です。
だいたい、個人のプライバシーを尊重しない人は、幹部としての資格がないばかりか、人間
としても失格です。そのような人間に限って、問題を起こし、反逆し、破滅していく。
・
――金銭に絡んだ組織利用などは、特に注意すべきですね。
青木 組織の仲間同志で金儲け目当ての事業をするとか、マルチ商法やネズミ講まがい
の話を持ちかけるとか、絶対に、あってはなりません。商品販売などでも、気をつけなくてはな
らないケースがあります。
“幹部だから”“あの人には義理があるから”“同じ信心をしているから”といった気遣いは、
一切、無用です。キッパリ断ってください。
戸田先生も、そうした人間が家にきたら、「門前三尺以内に入れてはならぬ。大魔がきた
か、学会の敵がきたかと、にらみつけて、追い返してしまいたまえ」と明解に指導されている。
金銭を目的にして仏子を利用し、あまつさえ食い物にするのは、誰であれ「魔」であり「敵」
です。
――厳しく見破っていくことですね。特に、幹部だから、というだけで信用しては、いけません
ね。
青木 そうです。「会員間の金銭貸借や連帯保証は厳禁」。これが戸田先生の時代以来
の学会の伝統です。断じて反してはならない「鉄則」です。
金銭絡みのトラブルで、清らかな信心の世界を乱されてはなりません。
学会は、金銭については神経質なぐらい、厳格でなくてはならない。
もし金銭的に困っている方があったとしても、本人が信心根本に、自分の力で立ち上がって
いけるよう、全力で励ましていくのが、学会指導の本来の在り方です。
――特に幹部の組織利用は、会員への影響力も大きいだけに、よくよく心すべきですね。
青木 そう。重大な幹部失格です。学会を撹乱する破和合僧の行為です。
私も長年、いろいろな人を見てきました。その中で、金銭にルーズな人間、不明瞭さのある
人間は、最後は必ず、信心の軌道を踏み外しています。
あの元恐喝犯の山崎正友など典型です。
~
聖教新聞より
悪鬼は内部にも食い込んできます。金銭問題や男女問題を起こして、組織に迷惑をかけ
る者があれば、職員であれば懲戒解雇、組織であれば役職解任など、除名処分まで含めて、
厳格に行ってまいります。
2001.3 3月度本部幹部会 秋谷栄之助会長
―民衆に仕える「無冠の王者」―
名誉会長 幹部に会員を叱る資格なんかありません。大事に大事に仕えていくべきです。
いばるんなら、権力者に対して、いばりなさい。叱るんなら、魔を叱りなさい。弱い立
場の後輩を苦しめる幹部は卑怯だ。
後輩を思いやれない無慈悲な幹部は成仏できません。意地悪したり、仏子を苦しめ
たら、罰を受けます。
私だって、毎日、朝から晩まで「民衆の奴隷」のようなものだ。
それでいい。それが本当の「王者」だと思っている。
「妙荘厳王」。
「妙法の功徳で荘厳した王」です。
<御義口伝に「妙法の功徳を以って六根を荘厳す可き名なり」(P779)
と>
権力で自分を飾っていくのではない。
権威や財産や名声で、自分を荘厳している限り、それは悪の、入信前の
「妙荘厳王(みょうしょうごんのう)」です。
それらをかなぐり捨てて、「妙法以上の宝はない」と、信心に徹したとき、
善の「妙荘厳王」となる。無冠の王者が一番尊いのです。
幹部となり、学会のおかげで有名人となった人間が、増上慢になって、
「信心」以外のもので自分を飾ろうとし始める。そうなったら、
もはや魔の存在です。
斎藤 本当に、「見栄」が信心の「敵」だと思います。
― 「幹部のくせに」と言われる ―
遠藤 例えば、幹部であるほど、「自分がこんなことで悩んでいるのは恥ず
かしい」と思って、素直に指導を受けられない場合がありますね。
須田 実際、「あの人は幹部のくせに」と、冷たい目で見る人もいるよう
ですから………
名誉会長 どんな人にだって、悩みがある。凡夫なんだし、悩みがあるから信心
しているんです。
子供が学校に行かない。主人が頑張らない。家族が寝たきりになって
しまった。そういう悩みがあるから前進もできる。煩悩即菩提です。
幹部だからと言って、完全な人間なんかいるわけがない。それを背伸び
して、自分をよく見せようとしても、自分も苦しいし、周囲だって納得
できるわけがない。
ありのままの自分でいいんです。「私には、こんな悩みがあります。
でも、最後には必ず解決してみせます。こんな自分ですが、広宣流布
のために一緒に頑張ってほしいのです」と謙虚に言っていけばいいのです。
最後に幸福になればいいのです。
途中には、いっぱい、いろいろなことがある。当たり前です。
子どもに問題がある。安心できない。まだ死ぬわけにはいかない――
だから頑張れるんです。煩悩即菩提です。
「信心してるくせに」とか「幹部のくせに」とか、言いたい人には
言わせておきなさい。言ったほうは、その報いを受けるし、言われた
ほうは、その分、罪障消滅できるんです。
明るく、伸び伸びと、自分らしく活躍していけばいいのです。自分の
生命そのものを光らせていくのです。
見栄っ張りは、体にネオンをつけて歩いているようなものだ。その
おかしさが自分ではわからない。それくらい狂ってしまっている。
他人をうらやんで生きるのは爾前の生き方です。「自分はこれで行くんだ」
と決めて生きるのが法華経です。
虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが信心です。それが
「妙荘厳王」の意義なのです。
名誉会長 会合にしても、無駄な会合は悪です。
昭和31年の参院選で、大阪は勝ったが、東京は敗れた。その時、
戸田先生は「形式主義を排して、実質主義でいけ!」と、厳しく指導
なされた。
<当時、会合の数が、あまりにも多く、実質的な個人指導などが
十分にできていなかった。そこで少人数の「組座談会」一本の方針が
打ち出され、皆が第一線に乗り出した>
悩める人を救うための学会です。
会合は手段です。それが会合をこなすだけの組織になっては本末
転倒です。
苦しんでいる人がいないか、行き詰まってるところはないか、
サーチライトを当てて、探し出すのです。問題は必ずある。そこへ
直ちに飛んでいって指導し、「励まし」を贈ることです。
私は、一度会った人は、最後まで励まします。その人が、千里の果て
に行こうとも、信心を少々休んでいようと、どんなことがあっても
守ってあげたい。
退転しそうな人は、背負ってでも、引っ張ってでも、一緒に素晴らしい
妙法の功徳に浴させてあげたい。
「戦った功徳は、こんなにすごいのか!」ということを実感させて
あげたい。
「相手を幸福にしたいという真心が通じれば、「はっぱ」などかけなく
ても、皆、立ち上がるのです。
また「真心が通じますように」と祈っていくことです。
斎藤 大聖人から相伝を受けられた日興上人も、最後の“遺言”(「遺誡
置文」)のなかで、この一点を述べおられる。この一点が、大聖人
との師弟不二の魂の叫びであったことが明瞭です。
「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りといえども
当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」(P1618)――
「身は軽く、法を重しとする弘教の実践者」に対しては、たとえ、
その人が、位や立場が低い法師であっても、「当に仏を敬うが如く
すべし」との道理のままに、信じ敬っていくべきである――。
遠藤 まさに学会精神そのものですね。
須田 折伏する人が、どんな高位の人よりも尊いのだ、と。
名誉会長 そうです。
たとえ弘教がなかなかできなくても、人から尊敬されなくても、
支部員のこと、学会のこと、御本尊様のことを心から思い、広宣流布
を願って活動しきっている人は、黄金の人です。「仏の使い」です。
どんな誹謗を受け、迫害を受けても、最後は必ず成仏の境涯になる。
少し長く見れば、わかります。
五年、十年、二十年、三十年、そして一生を見れば、わかります。
反対に、どんな幹部になり、有名人になろうとも、信心をなくしたり
後輩への思いやりがなければ、成仏はできない。仏さまの子どもである
学会員を、自分の思いやりのなさから苦しめるようであれば、その報い
は当然であります。
名誉会長 それが本因妙の仏法の「信心」です。信心とは無限の希望です。
たとえ状況がどんなに悪かろうと、すべて負け戦のように見えたと
しても、その中から「何くそ!」と思って立ち上がり、妙法の無限の
可能性を実証していくのです。それが、信仰の本義ではないだろうか。
無から有を生み出していくような、生死をかけた戦いなくして、
本当の「信心」はわからない。
損を得に、悪を善に、醜を美に変えていく――価値創造の壮絶な
戦いが、「創価」の心です。それが「信心」です。
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」
(P790)です。
<憶劫という、きわめて長遠の時にわたって尽くすべき辛労を
今の一念に尽くして(広宣流布に戦って)いくならば、もともと自分
の身に備わっている無作三身の仏の生命が、瞬間瞬間に起こってくる
のである>
ちょっと状況が悪くなったくらいで、へこたりたり、だれかを批判
しようとしたり、そんな卑怯な人間になってはならない。
状況が悪ければ悪いほど、団結していくのが、まことの同志です。
かりに何ひとつ報いがなかろうとも、広宣流布のために、民衆の
幸福の犠牲になる覚悟で、殉じていく。それが「信心」です。
名誉会長 「万人が仏である」と悟った人を「仏」というのです。
「仏」の悟りとは、ほかのものではない。
だから、いばったり、人を見下す仏など、いるわけがない。それだ
けでもう、「にせもの」とわかる。
― 「増上慢」との戦いが法華経 ―
須田 勧持品(第一三章)の「三類の強敵」には、すべて「増上慢」と
付いています。
<俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢>
「増上慢」こそ「法華経の敵」ということだと思います。
特に僭聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)は、人々から聖人のように尊敬されなが
ら、内面は悪心に満ち、「人間を軽賎する者」と呼ばれています。
「自分を低くすること」――素晴らしい言葉だ。
今は、「他人を低くすること」しか考えない世の中になっている。
他人のあら探しに狂奔し、少しでも貶めようと躍起になっている。
嫉妬社会です。
名誉会長 その通りです。
彼女(注)は、「自分を低くする」指導者でなければ人を幸福に
導くことはできないと知った」。
「指導者とは、生来親切で、愛情深く、直接手をくださなくても、
子どもたちに好かれながら子どもたちに規律を教えることのできる
人でなくてはなりません。その人が、高等教育を受けているか否かは
重要なことではないのです。なぜかというと、その人の毎日のつとめ
は子どもに奉仕することなのですから」
これは教育だけでなく、すべての指導者に言えるのではないだろうか。
「子どもの下に立つ」人であって、はじめて「子どもの心がわかる」
し、導くこともできるのです。
斎藤 感動的な話しです。
「万人が仏」と説く法華経の「行者(実践者)」が、だれよりも
「低い」、「せん陀羅が子」として出現なされたことも、考えれば考える
ほど深い意義があると思います。
名誉会長 永遠に「民衆の一人として」「民衆とともに」「民衆のために」
生きるのです。
その心を忘れて、将来、もしか自分は特別に皆より偉いと思うような
指導者が出たら、皆で追放していきなさい。
(注)文学活動だけでなく、平和運動にも貢献した
ノーベル賞作家、パール・バック女史。
知的障害の娘を抱えて苦闘したが、
その娘から、人を心から理解し尊敬する姿勢
を教わったと語っている
1999年 5・6月号大白 「法華経の知恵」(最終回)より
―― 「白蛇」 ――
三重子は、人の心をつかむ才には長けていた。また、如才なく人の面倒をみるという面もあ
った。
彼女の場合、そうした性格が自分の取り巻きを増やすために発揮され、次第に“親分・子
分”のような、いびつな組織をつくりあげていったのである。
人事も、すべて自分の感情が優先され、“腰巾着”のような、メンバーで固められていった。
彼女から、「私の言うことが聞けないの!」と迫られれば、誰も反論などできない雰囲気が、
組織内につくられていったのである。
また、三重子は、自分の意のままにならない相手には、容赦しなかった。みんなの前で激し
く罵倒したり、反対に何を言っても無視するという、陰湿な“いじめ”を執拗に繰り返すのであ
る。
皆、「白蛇」と呼んで、彼女を恐れるようになっていった。
彼女が夜中に、電話で、「ちょっと、お寿司が食べたいんだけど」と言えば、市内を車で駆け
回り、買い求めて届ける、取り巻きの婦人部の幹部もいた。
だが、組織としての活動の結果だけは出ていたこともあり、東京の首脳幹部たちには、
その実態がわからなかった。
しかし、山本伸一の彼女を見る目は厳しかった。
幹部との懇談の折りなどにも、彼女には、「会員のために奉仕するのが幹部である。
自分のために会員を利用するようなことは、絶対にあってはならない」と厳しく言い続けてき
た。
・
沼山夫婦の処遇については、再度、審議され、学会除名に決定した。
山本伸一は、この沼山夫婦の問題を最も深刻にとらえていた。
彼らは、地域の学会の草分けともいうべき存在であり、周囲の幹部も、それを評価し、
敬意を表してきた。また、彼らなりに、真剣に活動に励んできた時期もあった。
だから、幹部に登用されてきたのである。
・
信仰とは、己心の魔と仏との戦いでもある。
幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくか
は、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。
・
自己の生命の魔性に敗れた、沼山広司・三重子夫婦は、学会の組織や会員を、自分のた
めに利用することしか考えないようになっていったのであろう。
では、どうすれば、こうした問題を防ぐことができるのか。
少しでも、学会の指導に反する行為が見られたらならば、相手が誰であろうと、すぐに指摘
し、戒めていくという、勇気ある行動をとることである。
それが根本的には、学会の組織を守り、相手を守ることにもなる。
ともかく、皆が聡明になることだ。悪を見逃さぬ目をもち、悪とは敢然と戦うことだ――それ
を訴え続けていく以外にないと、山本伸一は思った。
・
皆、広宣流布の途上に、障魔が競い起こることは、よく知っていた。事実、多くの会員が、信
心を反対され、悪口を言われてきた。
しかし、幹部として皆を指導していた者が、不正な問題を起こし、しかも、学会を非難すると
いう事態に直面したのは、始めてのことであった。
・
伸一は、この方面に新たに誕生した会館を訪れ、そこで、幹部の姿勢について訴えていっ
た。
「姿のうえでは、学会についてきているように見えても、心のなかでは自分のために学会を
利用しようと考え、卑怯な態度で、信心をしている人もいます。
過去にも、そういう人たちが何人かおり、結局は学会に迷惑をかけ、同志を裏切っていきま
した。
だが、その人たちは、今になって、本当に悔いております。それが仏法の厳しさです。
大勢の幹部がおりますゆえに、これからも、学会を利用し、私利私欲を貪り、名聞名利の
ために、退転していく人も出るでしょう。
しかし、皆様方は、絶対にそうなってはならない。あとになって、地獄の苦しみを受けるよう
では、信心をしてきた意味がありません。
信心第一に、何があっても、御書に仰せの通りに、純粋に、一途に、自身の一生成仏のた
めに、清らかな信心を貫いていっていただきたいのであります」。
彼は、信心は、どこまでも「法」が中心であり、つくべき人を間違えることなく、学会の指導を
根本に、広宣流布に生き抜くことの大切さを、諄々と語っていった。
・
婦人部のメンバーは、真剣な目で、山本会長の指導に耳を傾けていた。
「極端な言い方をすれば、夫がよくなるのも、悪くなるのも、また、子供がよくなるのも、悪く
なるのも、ひとえに、妻であり、母である婦人の皆さんにかかっているといえます。
その婦人がひねくれてしまったり、自分の虚栄心のままに生きたり、あるいは鬼子母神のご
とく、わが子を溺愛し、他の人の子を食うかのような生き方になればどうなるか。
やがては、夫も、子供も、また、周囲の人々も、不幸になってしまう。
・
伸一は言葉をついだ。
「ご婦人は、一家の幸福と信心の太陽であります。
ゆえに、どこまでも、信心強情であっていただきたい。また、見栄を張り、派手になって、生
活を破壊していくようなことのないよう、堅実で、清楚で、聡明であっていただきたい。
生活も無駄をなくして、賢く、価値的にやりくりしてください。
・
「皆さんは、何かあれば愚痴をこぼしたり、人を嫉妬したりする、暗い沼地のような
生き方であってはならないと思います。
明るく、はつらつと、日々、生活の軌道を力強く歩みゆく、“太陽の人”であってください。
また、ご一家を守りながら、宿命に泣く人びとを励まし、地域に希望の光を送る“太陽の人”
であってください。
北海道の婦人部の皆さんの健闘を、私は心から願っております」
伸一は、未来のために、警鐘を鳴らしておきたかったのである。
・
ある時、沼山三重子は、かつての婦人部長である、清原かつを訪ねてき来た。
清原は、その変わり果てた姿に、息を飲んだ。
体はやつれ、顔色は青黒く、生気は全くなかった。
三重子が、弱々しい声で、喘ぐように語ったところでは、癌に侵され、しかも、転移してしまっ
ているとのことであった。
彼女は、深々と頭を垂れて言った。
「学会に御迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。もう一度、もう一度、学会
員にして下さい…」
病に苦しみ、死を見すえた彼女は、学会に敵対し、仏法に違背した罪の深さに、気づかざ
るをえなかったのであろう。
仏意仏勅の団体である創価学会の組織を撹乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りな
く深い。
・
しかし、ほどなく三重子は他界している。無惨な末路といわざるをえない。
人は騙せても、自分は騙せない。また、自分は騙せても、仏法の法理をごまかすことは絶
対にできない。
生命の因果の法則の審判は、どこまでも厳格であり、峻厳であることを知らねばならない。
新・人間革命 「清流」 より 抜粋
「信仰の王道(一兵卒)」
九州総合研修所での、山本伸一の敢闘は続いた。八月二十五日には、男子部、学生部の
中核メンバーで結成された、人材育成グループ「伸一会」の集いに出席した。
食事をしながらの懇談であった。
伸一は、同じ円形テーブルに着いた十人ほどのメンバーの、近況報告などに耳を傾けなが
ら、種々、指導を重ねた。
「昨日は、私の入信記念日でしたが、二軒のお宅を訪問し、一人ひとりを真剣に激励してき
ました。君たちも、誰が見ていようがいまいが、一兵卒となって、会員のために汗を流し、懸
命に励まし、学会を守り抜いていくという姿勢を、忘れないでいただきたい。
諸君は、既に学会の中核であり、これから多くの人が、さらに、副会長などの要職に就いて
いくでしょう。さまざまな権限をもつようにもなるでしょう。最高幹部になっていくのは、学会を
守り、会員に奉仕し、広宣流布に尽くしていくためです。
しかし、なかには、最高幹部という地位を得ること自体が目的となったり、自分の野心を実
現するために、学会を利用しようとする人間も出てくるかもしれない。もしも、そうした人間に、
いいようにされたら、学会の正義は破壊され、仏法は滅びてしまう。純粋な学会員がかわいそ
うです。
君たちは、そんな人間に、絶対になってはならないし、そうした人間がいたならば、徹底して
戦うんです。
また、金銭の不正、飲酒、異性の問題などで、人生の軌道を踏み外すことのないよう、自ら
を厳しく戒めていかなければならない」
厳しい口調であった。伸一は、未来のために、青年たちの胸中深く、信仰の王道を打ち込
んでおきたかったのである。
「学会も組織である限り、皆が皆、中心者になるわけではない。脚光を浴びる立場から外れ
る場合も、当然ある。実は、その時に、人間の本性が現れ、真価がわかる。
それをきっかけに、組織から遠ざかり、やがて、離反していく者も出るかもしれない」
山本伸一のテーブルにいるメンバーは、緊張した顔で、彼の話を聞いていた。
「自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観
者を決め込む者も出るでしょう。
私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきまし
た。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を
言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。
結局、彼らは、金銭問題等を起こし、学会に迷惑をかけ、自滅していきました。皆、最後は
惨めです。仏罰に苦しんでいます。
仏法の因果は厳しい。人の目はごまかせても、仏法の生命の法則からは、誰人も逃れられ
ない。
人間革命、宿命転換、一生成仏のための信心です。それには、見栄、大物気取り、名聞名
利の心を捨てて、不惜身命の精神で戦う以外にない。広宣流布への師弟不二の信心を貫き
通していくことです。遊び、ふざけなど、絶対にあってはならない」
伸一は、祈るような思いで語っていった。
「生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。
唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関紙の購読推進に、弘教に、
地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ま
しく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。
模範の一兵卒たり得てこそ、広布の大リーダーの資格がある。私は、君たちが五十代、六
十代、七十代……と、どうなっていくか、見ています。人生の最後をどう飾るかだよ。大事な、
大事な、中核の『伸一会』だもの、創価の師弟の大道を全うして、広宣流布の歴史に名前を残
してほしい……」
彼の「伸一会」への期待は大きかった。一人も堕ちていくような人間を出したくなかった。だ
から、信仰の王道を訴えたのだ。
新・人間革命 ― 敢闘50~51 ―
幹部の心得(団結)
山本伸一は、幹部の心得について、微に入り細をうがつように語っていった。
「言葉遣いにしても、横柄であったり、ぞんざいであったり、変になれなれしく、礼を欠くよう
なことがあってはならない。言葉遣いには、人格が表れます。
年長者に対してはもとより、後輩に対しても、敬語を使うべきです。
また、会員の方々とお会いした時には、すぐに自分の方から、あいさつするんです。その場
合も、ポケットに手を突っ込んだまま、『おうっ』なんて言うようなことをしては、絶対にいけませ
ん。青年部出身の幹部は、特に注意すべきです。きちんと礼を尽くし、真心を込めて、あいさ
つするのが基本です。
さらに、人と接する時は、笑顔を忘れないことです。いつも眉間に皺を寄せ、ぶすっとした、
機嫌が悪そうな顔や、怒っているような顔をしていたのでは、みんなが不愉快になります。相
談もしなくなります。幹部は、さわやかな笑顔で、皆を包み込んでいくんです。
そして、会員の皆さんへの感謝が大切です。特に、苦労して頑張ってくださっている方や、何
かで尽力してくださった方がいたら、機会を逃さず、丁重に『ありがとうございます』と、御礼を
言うことです。
組織といっても人間の世界です。感謝の言葉もなく、やって当然というような態度であれば、
皆の心は離れていってしまう。
もう一つ重要なことは、迅速な行動です。本部から会員の皆さんにお届けする物が来てい
るのに、何日もそのままにしてある。あるいは、会員の皆さんから何か頼まれても、なかなか
行動しない。そういう幹部は、信頼を失います。連絡、報告もスピードが勝負です」
皆、自分自身に当てはめて考えてみると、粛然として襟を正さざるを得なかった。
「私は、青年時代から、常に『迅速第一』を心掛けてきました。戸田先生も、『伸一は、すべ
て電光石火だな。まるで隼のようだ』と感嘆されていた。それは、私の誇りです」
福島県の代表たちは、緊張した顔で山本伸一の次の言葉を待った。
「リーダーは、自分が一人立つことは当然ですが、組織の全同志が、自分と同じ決意に立っ
て、喜び勇んで、戦えるようにしなくてはならない。
よく、こういう組織があります。
――県長をはじめ、総ブロック長も、大ブロック長も、必死になって頑張っている。しかし、結
果的に、はかばかしい前進がない。
それは、本当に張り切って、駆け回っているのは、ライン幹部だけで、必勝の息吹が、組織
全体に波及していないからなんです。
この状況を打開するには、全幹部が結束していくことです。特に、すべての副役職者が、い
かんなく力を発揮していくことがポイントです。そうなった時に、組織全体が回転していくんで
す。
学会の組織は、次第に重層的になってきているので、副役職の人は、これからますます増
えていきます。世代交代のための人事もあるので、副役職の方が、正役職より活動経験も豊
富で、力もあり、年齢も上というケースも多くなっていくでしょう。
それだけに、正役職者は、“俺が中心だ”などという顔をするのではなく、“副役職の方々の
力をお借りするのだ”という姿勢で接し、尊敬していくことが大事です。
連絡なども、むしろ、正役職の方から積極的に取って、意見や応援を求めていくんです。人
間は、“自分は期待もされていないし、軽んじられている”と思えば、力を出そうとはしません。
また、副役職の役割分担や責任を明確にしていくことも必要でしょう。
ともあれ、副役職者が、中心者と呼吸を合わせ、はつらつと活躍している組織は、大きな力
を発揮しています」
荒野に一本の木が立っているだけでは、風は防げない。多くの木々が茂り、森をつくってこ
そ、風も防ぐことができるし、さまざまな森の恵みも、もたらすのである。
山本伸一は、情熱を込めて訴えていった。
「ともかく中心者は、大きな心で、皆を包みながら、仏法のため、同志のために、陰で黙々と
汗を流していくんです。
しかし、学会を破壊し、攪乱する動きに対しては、毅然(きぜん)として、阿修羅のごとく戦う
んです。そうでなければ、仏子を守ることはできない。みんなを不幸にしてしまいます。その炎
のごとき闘争心、覇気(はき)、勇気がなければ、広宣流布の指導者ではありません」
強いからこそ、優しくなれる。人を不幸にしてしまう“優しさ”は、偽善である。
伸一は、言葉をついだ。
「どんなに時代が変わっても、広宣流布の責任を担うという、幹部としての根本の使命は変
わりません。しかし、時代とともに、幹部に求められるものは、変化してきています。たとえば、
かつては“威厳がある”ということが、幹部の大事な要件の一つであったが、今は“気さくさ”や
“親しみやすさ”の方が大切です。
ところが、幹部自身に成長がなく、慢心があると、その変化に気がつかなくなってしまう。旧
態依然とした自分のやり方でよいと思い、結局、時代に逆行し、広宣流布を遅らせてしまう結
果になる。これが怖いんです」
それから、皆に視線を巡らした。
「ともかく団結だよ。学会に団結がなくなれば、仏法の流れは途絶えてしまう。堅固な、ビク
ともしない、団結の石垣をもつ、難攻不落の信心の民衆城を築くんだよ」
そして、団結の要件について語り始めた。
「団結するということは、自分の人間革命をしていくということでもある。自己中心性やエゴ
イズムを乗り越えなければ、団結はできないからです。
学会の世界にあって、団結するための第一の要件は何か。それは、皆が、広宣流布の師
弟という堅固な岩盤の上に、しっかり立つことです。それが創価の団結の礎(いしずえ)です。
まずは師匠と呼吸を合わせ、師弟の魂の結合を図ることこそが、異体同心の一切の根本で
す」
山本伸一の口調は、厳しくなっていった。
「本気になって団結しようと思うならば、陰で同志を批判し合ったり、悪口を言ったりしては、
絶対にならない。それが、魔の付け入る隙を与え、組織に亀裂を生み、仏法を破壊すること
になっていくからです。
戸田先生は、よく、こう言われていた。
『この戸田の命よりも大切なのが、学会の組織だ。世界で、いや、大宇宙で、ただ一つの、
広宣流布を成就する仏意仏勅の組織なんだからな。だから、断じて守り抜くんだ』
当然、幹部同士で、意見の異なる場合もあるでしょう。また、互いに、要望したいこともある
でしょう。その場合には、率直に、本人に伝えることです。もちろん、言い方には注意が必要で
す。感情的になったりしないように、配慮もしなければなりません。
ただ、何があろうと、幹部同士が、陰で反発し合い、足を引っ張り合ったり、派閥をつくった
りするようなことがあっては、決してならない。皆が心を一つにし、団結の歯車が、しっかりと、
かみ合ってこそ、広宣流布のモーターは大回転を開始するんです」
陰で同志を批判し、悪口を言うことは、無自覚ではあっても、謗法(ほうぼう)となるのだ。
十四種類の法華経誹謗である十四誹謗のうち、最後の四つは、軽善(きょうぜん)、憎善(ぞう
ぜん)、嫉善(しつぜん)、恨善(こんぜん)、すばわち、信心に励む同志を、軽んじ、憎み、嫉
み、恨むことなのである。
法華経誹謗の罪報について、法華経譬喩品(ひゆぼん)には「其の人は命終して、阿鼻獄
に入らん」(法華経199㌻)と説かれている。ゆえに大聖人は、その罪を犯させまいと、「忘れ
ても法華経を持(たも)つ者をば互いに毀(そし)るべからずか」(御書1328㌻)と、戒められ
ているのである。
同志を誹謗することは、広宣流布の魂の結合を破壊し、皆の心を攪乱(かくらん)させ、前
進の活力を奪っていく。御書には「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法
を破るべし師子身中の虫の師子を食(はむ)」(同957㌻)と仰せである。深く心にとどめねば
ならない。
新・人間革命 ― 福光14~17 ―
5・3祝賀最高代表協議会㊤
天高く 五月三日を 皆様と 祝賀の集い なんと嬉しや
一、きょうは、栄光の5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」を祝賀する最高代表協議
会である。
天高く 五月三日を 皆様と 祝賀の集い なんと嬉しや
本当に、おめでとう!(大拍手)
本年も「5・3」を大勝利で、最高に晴れやかに迎えることができる。すべて、尊き全同志の奮
闘のおかげである。
日本をはじめ世界中から祝電が続々と届いている。「創価学会、万歳!」 「わが同志、万
歳!」と、誇り高く叫びたい(大拍手)。
― 平和こそ使命 ―
一、4月28日は「立宗宣言」の日である。
建長5年(1253年)のこの日。
日蓮大聖人の太陽の大仏法が、全世界を照らし始めた。
御聖訓には、妙法の題目の偉大な力について、譬えをとって、「太陽が東方の空に昇られた
ならば、南閻浮提(=世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大光を備えておられるからである」
(御書883㌻、通解)と仰せである。
大聖人が、ただ御一人、唱え出された「南無妙法蓮華経」の題目は、750年余の時を超え、
創価の三代の師弟によって192力国・地域へ弘まった。
今や、全地球を包み、未来を照らしゆく大音声の広がりとなっている(大拍手)。
わが創価学会は、立宗の御心のままに広宣流布を遂行し、創立80周年へ前進している。
梵天・帝釈も来下して祝賀するかのごとき、その晴れ姿は、皆様が、よくご存じの通りであ
る。
あな嬉し 創価の使命は 広布なり 全人類の 平和なるかな
この誉れの使命の道を、まっすぐに進んでまいりたい。
一、学会は、すべてに勝ちました!(大拍手)
今日の隆々たる大発展を、ともに築き上げてくださった全同志の皆様に最敬礼し、心から御
礼申し上げたい。
5月3日を祝し、大変に多くの方々が、学会本部にお越しくださっていることも感謝に堪えま
せん。
「皆が大勝利を! 皆が幸福に!」と祈りつつ、記念のスピーチをとどめさせていただきたい
(大拍手)。
― 一歩前に出よ ―
一、本年1月、私は全同志を代表して、中央アジアのウズベキスタン共和国の名門「ウズベ
キスタン国立芸術大学」から名誉教授の称号を拝受した。
このウズベキスタンで敬愛されている、10世紀から11世紀に活躍した大学者イブン・シー
ナー(アヴィセンナ)は語っている。
「はつらつとした人のもとでは、すべてが活気に溢れている。快活さこそ、心身を清らかにす
る」
千年にわたって、人類融合のシルクロードの天地で語り継がれてきた“英知の言葉”であ
る。
リーダーは、いついかなる時も、はつらつと、明るく、生き生きと前進することだ。
一歩前に出るのだ。張り切って! 胸を張って! そうすれば、新たな力がわく。
リーダーの生命の勢いが、縁する人々にも希望を贈る。そこから勝利への活力が広がるの
である。
音楽隊 鼓笛隊ありがとう
― 「太陽の心」で! ―
一、今、結成55周年の音楽隊、また鼓笛隊の友も、全国各地のパレードなどで活躍してく
れている。
寒風の日も、炎熱の日も、ただ広宣流布のために、尊き使命に徹する若き友に感謝を込め
て、音楽の大英雄ベートーベンが作曲した歌曲の一節を贈りたい。
「太陽は昇り、輝き、彼方より笑いかけ/勇士のように、その軌道を歩みゆく」(高橋浩子訳
「ゲレルトによる6つの歌」、『ベートーヴェン全集 第6巻 別冊』所収、講談社)
ともあれ、私たちは宿福深厚なるがゆえに、太陽の大仏法に巡りあうことができた。
題目をあげると、生命に“太陽の光”が差してくる。大きな前途が開かれていく。
だからこそ、ともどもに、一日また一日。太陽の心で、妙法を朗々と唱えながら、生きて生き
て生き抜いていきたい。
昇りゆく朝日のごとく、勢いよく勇敢に、常楽我浄の生命の軌道を、前へ前へ進んでまいり
たい。
特に“太陽の乙女”の集いの意義を持った「広布第2幕 池田華陽会」の女子部の皆様は、
健康で、朗らかな青春であっていただきたい。
さわやかな歌声を響かせながら、幸福と友情のスクラムを広げゆくことを、私は妻とともに祈
っている。
信心とは大宇宙の最極の秘法
広布に戦えば無量無辺の大功徳が
― 永遠の幸福の道 ―
一、わが人生を、思う存分、信心の力で生きていただきたい。
何のために生きるのか。幸福になるためである。
では、幸福とは何か。その答えは複雑であり、難しい。
健康で長生きする人や、お金に不自由しない人もいる。それはそれで満足の人生のようで
あるが、今世一回限りのことである。
しかし、生命は永遠である。信心を持った人は、無量百千万億回、生まれてくるたびに、絶
対的幸福を味わえる。天地雲泥の違いなのである。
南無妙法蓮華経は大宇宙の法則であり、久遠元初の秘法である。それを唱え広めゆく功徳
は計りしれない。
だからこそ、広布のために、晴れ晴れと戦い、堂々と勝とうと申し上げたいのだ。
一、大聖人は、すべての女性の幸福を願う大慈大悲ゆえに、立宗を宣言された。
千日尼への有名な御聖訓には仰せである。
「ただ法華経だけが女人成仏の経であり、悲母の恩を報じる真実の『報恩の経』であると見
きわめました。
そこで(私は)悲母の恩を報じるために。この経の題目を一切の女人に唱えさせようと願った
のです」 (御書1311㌻、通解)
わが創価の母たちの微笑み光る、世界一の「平和」と「歓喜」の大行進を、大聖人は、どれ
ほどお喜びくださることか。
偉大なる 広布の学会 築きたる 東奔西走 皆様 仏か
ここで、尊き婦人部の新出発をあらためて祝福し、皆で大拍手を送りたい(大拍手)。
一、非暴力の勇者マハトマーガンジーが、日々の祈りに仏教を取り入れ、「南無妙法蓮華
経」と唱えていたことは有名である。
そのガンジーが、現状の行き詰まりを打開し、新たな歴史の道を開く力として、深く信頼して
いたのも、女性であった。
この点について、私は、ガンジー直系の大哲学者であるN・ラダクリシュナン博士と語り合っ
た。<インド国立ガンジー記念館前館長の博士と名誉会長は対談集『人道の世紀へ』(第三
文明社)を刊行している>
博士は強調された。
「ガンジーにとって国の豊かさとは、豪華な建物でもなく、兵器などでもなかった。
生命を慈しみ育む女性こそ、大いなる宝でした。女性を大切にできない国家に、未来はあり
ません。
ガンジーは知っていました。女性を信じれば、未来が安泰であることを! 人々を差別から
解放し、すべての人々の平等を実現するには、女性への尊敬が必要であることを!」
全く同感である。
学会も、これまで以上に、婦人部・女子部を尊敬していくべきである。
創価の女性に存分に力を発揮してもらえるよう、男性は心を配り、厳然と支えていくことだ。
そこに、リーダーの責任がある。
威張るのは、力がない証拠だ。
同志に対しては、どこまでも優しく接していく。それがリーダーの哲学でなければならない。
前国連事務次長
“創価の母”は人類の希望
「SGIの女性の平和と人権への貢献は実に素晴らしい」
― 友の苦しみを取り除きたい! ―
一、現在、私が進めている、国連の前事務次長のチョウドリ博士との対談でも、まさに女性
の力が大きな焦点となっている。<「新しき地球社会の創造へ」と題し、月刊誌「潮」で連載中
>
博士は、国連での自身の経験を踏まえながら洞察されている。
「男性より女性のほうが、社会のため、そして現在と未来の世代のために何が最善なのか、
ずっと深く心を砕いています。その意味では、女性こそ『あらゆる社会の土台』なのです。女性
こそが『社会を一つにまとめる要の存在』なのです」
博士は、さらに、こう述べている。
「女性には、人々の苦しみを取り除こうとする心があります。時には、社会の苦しみを取り除
くために、それを一身に引き受けることさえあります」
「その『自己犠牲』の精神と『奉仕』の心、そして本来の『慈愛』が相まって、女性は、よりよい
社会を築くための最も理想的な存在となっているのです」
まさに、その最良の模範こそ、創価の婦人部である(大拍手)。
一、チョウドリ博士はユーモアを込めて、こうも語っている。
「女性には、人生の苦しみや困難を、より賢明かつ冷静に受け止め、苦難を悠々と乗り越え
ていく力が備わっています。
それは、男性にはなかなかできないことです。男性は、もともと動揺しやすい傾向がありま
すから」(笑い)
とりわけ、博士は、わが婦人部・女子部の平和貢献の活動を高く評価されている。
「SGI(創価学会インタナショナル)の婦人部や女子部の皆様が、『平和の文化』の推進、女
性と子どもの権利の推進、社会における女性の地位の向上、人類の目標全般の推進のため
に重ねてこられた貢献には、実に素晴らしいものがあります。
皆様との長年にわたる交流を通して思うのは、SGIの中でも、女性のメンバーの方々が、最
も活動的で情熱的で、そして熱心であるということです。
平和と人権への課題が、ますます山積する今日において、婦人部や女子部の皆様方が、な
お一層のこと、その精神性と創造性を保ちながら、素晴らしい活動を続けていただきたいと願
っております」
平和の文化のパイオニア(先駆者)から寄せられた信頼と期待として、ありのままに紹介さ
せていただいた。
「創価の女性の世紀」は、いやまして、希望の光彩を放っている(大拍手)。
― 神奈川の友ヘ ―
ー、30年前の昭和54年(1979年)4月、私は、神奈川の同志に一首の和歌を詠み認め
た。
変わらざる不二の心で「共戦」の歴史を刻んできた神奈川の友への感謝を込めて、ここで紹
介したい。
美しき 心と心で 神奈川城 守りし君らに 幸は昇りぬ
今、海外からの研修メンバーはもとより、多くの識者の方々も神奈川を訪問される。
先日の4月24日も、世界華文文学連合会の先生方が、神奈川文化会館と鎌倉のSGI教学
会館に来館された。
そして30年前、神奈川から世界へ向けて、新たな創価の正義の波を起こしていった歴史に、
深い感銘を語ってくださっている。
断じて勝て 断じて恐れるな
師弟の正義の旗を持て
― われ一人! ―
一、第3代会長を辞任した私は、30年前の5月5日、神奈川文化会館で、「正義」そして「わ
れ一人正義の旗持つ也」と認めた。
あらゆる嵐を突き抜けて、勝利する原動力は「師弟」の精神しかない。
その師弟の絆を断ち切ろうとする邪悪と、誰が戦うのか。
誰が、師の魂を護るのか。誰が、師の哲学を、現実社会に打ち立てるのか。
弟子と名乗るならば、ただそれだけを、わが胸に問うべきだ。
いざという時に、卑怯な心であっては、永遠に悔いを残す。
創価学会の世界は、信心の世界である。広宣流布の世界である。真に幸福になるための世
界である。
ゆえに、悪い人間をのさばらせて、正直な人間が苦しむような世界であっては断じてならな
い。
虚偽や不正の人間と戦い抜いてこそ、本当の同志の和合僧ができるのだ。
悪と戦えない、臆病な指導者であってはならない。幹部は心していくのだ。
― 波瀾万丈の日々 ―
一、私は波瀾万丈を生きてきた。
私は勝った。戸田先生を護りきった。
低迷する文京では、支部長代理として指揮を執り、懐かしき友と第一級の支部を築いた。あ
まりの躍進の姿に、他の支部は、唖然としていた。
負けるに決まっていた大阪でも、“まさかが実現”と世間を驚愕させた偉大な勝利を関西の
友と勝ち飾った。
近代日本の揺藍であった山口に飛び込んで、実に10倍近い拡大を成し遂げたことも、誉れ
高き青春の歴史である。
私は不惜身命で戦ってきた。
無実の罪で、牢獄に入れられたこともある。
しかし、正義の信念を貫いて獄死された牧口先生、そして、2年間の獄中闘争を耐え抜かれ
た戸田先生の苦労を思えば、私の10日余りの投獄など、何でもなかった。
“先生をお護りするのだ。先生にお仕えするのだ。先生にお応えするのだ”――ただただ、そ
の心で、すべてを耐え抜いて、そして、すべてを勝ってきた。
一切をなげうって、世界的な連帯を築き上げた。
何もかもやって、私は戸田先生の言われる通りの学会にした。
ゆえに私には何の後悔もない。
報恩の人生は晴れやか!
御聖訓
“大恩ある父母・師匠を救いたい”
― 万年の未来へ「今」を勝て! ―
一、亡くなる直前、戸田先生は、安心しきったお顔で、「俺は、いい弟子をもって幸せだよ」と
言われ、ニッコリとされた。
また戸田先生は、「お前以上に弟子が師匠を護った歴史は、これから永劫にないだろうな」
とも、おっしゃってくださった。
命をかけて戸田先生に仕え、命をかけて学会に仕えた私である。
その精神があるかぎり、学会は盤石だ。
反対に、幹部である諸君が、師弟を軽んじて傲慢になったり、何の苦労もしないで威張っ
ていくならば、学会は滅びる。
また、邪悪と戦えない臆病な幹部ばかりになってしまえば、学会の未来はない。
信心の世界は、師弟不二である。
私は、その通りに貫いてきた。
それを護るのか。壊すのか。すべては後を継ぐ指導者で決まる。
万年の未来へ、学会が永遠に勝ち栄えていくために、大事なのは「今」である。
わが後継の諸君に、「今こそ正義の旗高く、師弟の勝利城を築け! 広布の大闘争のなか
で、崇高な師弟の魂を受け継げ!」と私は叫びたい。
皆様の栄光と勝利を祈りつつ、記念の一首を贈りたい。
勝ちまくれ 人生劇場 汗流し 勝利の万歳 三世に響けと
一、大聖人は、京都でもなく、また鎌倉でもなく、安房(現在の千葉県南部)の地で「立宗宣
言」をなされた。御自身の故郷へ戻っての大宣言であられた。
「報恩抄」では、大難を覚悟し、仏法を弘通される御心境について、次のように綴られてい
る。
「今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何 いか なる世にか父母・師匠を
も・すくひ奉るべきと・ひとへ(偏)に・をもひ切りて申し始め」(御書321㌻)と。
不惜身命の行動、末法の一切衆生を救わんとの大願――その御心中には、父母と師匠へ
の報恩の一念があられたのである。
日蓮仏法には、その出発点から、赫々たる報恩の一念が脈打っている。このことを、私たち
は心肝に染めてまいりたい。
― 君よ“生命の正道(せいどう)”を歩め ―
一、今年の3月16日、私は、愛する創価学園生とともに、南米の名門ボリビア・アキーノ大
学から名誉博士号を拝受した。
この大学の名前は、日蓮大聖人と同時代を生きた、スコラ哲学の完成者トマス・アクィナス
(スペイン語でトマス・デ・アキーノ)に由来する。大学の理念にも、彼の思想が高らかに掲げ
られている。
トマス・アクィナスについて、かつて私は大学講演で論じたことがある。
また、ブラジルの人権の闘士アタイデ博士や、イラン出身の平和学者テヘラニアン博士を
はじめ、数多くの識者との対談でも触れてきた。
ここでは、トマス・アクィナスによる「忘恩」についての考察を紹介しておきたい。<稲垣良典
訳『神学大全 第20冊』創文社を参照>
彼によれば、忘恩には次のような段階があるという。
まず、「(自分が受けた)恩恵にたいしてお返しをしない」――この人は、恩返しするどころか、
「善きものにたいして悪いものを返す」。
次に、「自分が恩恵を受けたことを示さないで、それに注意を払おうとしない」――恩への
感謝の念など、さらさらない。この人は、かえって「恩恵を非難する」。
そして、「忘却あるいは他の何らかの仕方によって、恩恵を認知しない」――自分が受けた
恩そのものを忘れ果ててしまうのだ。
この人は、「恩恵があたかも加害であるかのように思いなす」というのである。
まことに興味深い洞察であり、人間の心の闇を、鋭く突いている。
いかにずる賢く、自身を正当化しようとも、恩知らずは恩知らずであり、この一点において、
正しき人間の道を踏み外している。これは洋の東西を問わず一致した原則であるといえよ
う。
私が出会いを結んできた世界の一流の人物は皆、「報恩」という “生命の正道”を歩み通
されている。
一、仏法においては、「報恩謝徳」の真髄は、不惜身命の心で正義に生き抜くことである、と
示されている(日寛上人の『報恩抄文段』)。
すなわち、身命を惜しまず、人々を不幸にする邪法を破折し、人々を幸福にする正法を弘
通すれば、一切の恩に対して報ずることができると説かれるのである。
広布、折伏に生き抜けば、父母をはじめ、一切の恩人への報恩になっていくことを、晴れ晴
れと確信していただきたい(大拍手)。
ともあれ、わが創価学会は、ありとあらゆる三類の強敵と戦い抜き、打ち破りながら、世界
192力国・地域まで、正法正義を弘めてきた。
御本仏・日蓮大聖人に対して、最高無上の報恩を果たしゆく人生である。
学会の恩。自分が広宣流布させていただいているという恩。師の存在があるからこそ広
布ができるという恩。
この三つの恩を、ともどもに心に刻みたい。
2009.4.28 5・3祝賀最高代表協議会での名誉会長のスピーチ㊤
新時代第43回本部幹部会
一、 わが愛する全同志の尊き健闘を讃えて、メッセージを贈ります。
とくに、海外の皆さん方の偉大な求道の旅を、日蓮大聖人はいかばかり讃嘆しておられるこ
とでしょうか(大拍手)。
御聖訓には、仏法のため“千里を通い”“万里を越える”功徳が繰り返し説かれております。
皆さん方の福運は永遠であります。
釈尊は「閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505㌻等)と
厳命されました。
大聖人は、「終(つい)には一閻浮提(いちえんぶだい)に広宣流布せん事一定なるべし」(同
816㌻)と断言されています。
「一閻浮提の広宣流布」こそ、釈尊、そして大聖人の悲願であられました。
大聖人の御聖誕から700年――。
悪世末法の極まった戦乱の世にあって、まさに断絶せんとしていた大仏法の命脈を蘇生さ
せたのは、わが創価学会の初代・牧口常三郎先生であり、2代・戸田城聖先生であられま
す。
どんな困難にもへこたれるな!
「師子王の心」で進め
一、どんなに悪口罵詈(あっくめり)されようとも、どんなに猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難を
受けようとも、どんなに破和合僧の攪乱(かくらん)をされようとも、すべては御聖訓通りであり、
創価の師弟は断じて負けなかった。
迫害されればされるほど、圧迫されればされるほど、いやまして「師子王の心」を光らせまし
た。
そして今、世界192カ国・地域に広宣流布を推し進めました。
創価学会は、揺るぎない人類の「平和の柱」「文化の大船」「教育の眼目」として、そびえ立
っております。
もはや、何ものにも絶対に崩れない金剛不壊の人材の大城が築き上げられたのでありま
す。
牧口先生、戸田先生は勝ちました。私は勝ちました。学会は勝ちました。全学会員が勝ちに
勝ったのであります(大拍手)。
尊きブロック長・白ゆり長に感謝
「一番地道な人」が一番偉大 「一番陰徳の人」が陽報に輝く
― 広布の大潮流を ―
一、御書には、「此の人(上行菩薩)末法に出現して妙法蓮華経の5字を一閻浮提の中(う
ち)・国ごと人ごとに弘むべし」(1239㌻)と仰せであります。
この大聖人に直結する地涌の菩薩として、学会員は「国ごと」「人ごと」に、少しも「たゆむ
心」なく、妙法を唱え、語り抜いてきました。
なかんずく、その先頭に立つ、最も誇り高きリーダーこそ、わがブロック長の皆さんであり、
わが白ゆり長の皆さんであると、私は宣言したいのであります(大拍手)。
天も晴れ、地も晴れ、我らの心も晴れわたる、歴史的な「全国ブロック長・白ゆり長大会」、ま
ことに、まことに、おめでとうございます。
一番地道な人が、一番偉大です。一番陰徳の入が、一番の陽報に輝くのです。
私も、戸田先生の会長就任と時を合わせて、実質のブロック長として、わが地区の前進に奔
走しました。
妻も現在の白ゆり長として、幼子を背中に負い、子どもの手を引きながら、第一線を走りま
した。
今も、その心は変わりません。
信心は幸福の力!悩める友の味方に!!
一人一人を立ち上がらせよ
一、 戸田先生は語られました。
「大聖人の仏法は、逆境にある人が、必ず幸福になる宗教である。信心で、苦難に立ち向
かえば、すごい仏の力が出る。その人こそ本当に皆を励ますことができ、悩める人の味方に
なれるのだよ」と。
一人のために法を説き、一人の人材を立ち上がらせる。内外を問わず、一人一人に具わる
尊極の仏の力を開いていく。その本舞台が、ブロックであります。
この創立80周年、ブラジルでは約6000人の全ブロックが、“王者ブロック”として目標を達
成しました。
「学会の強さは、最前線から盛り上がる力にこそある」とは、恩師の大確信であります。
私たちは今再び、仲良く朗らかに「わがブロックを見よ」「我らの地区に続け」と祈り、戦い、
広宣流布の大潮流を起こしていこう!
― 人生とは挑戦 ―
一、 本日、お集まりくださった海外メンバーの国々の箴言を紹介させていただきたい。
まず、フィリピン独立の若き英雄であるホセ・リサール博士は叫びました。
「良いことは、あらゆるものをつらぬいて進むものではないでしょうか?」(岩崎玄訳『ノリ・メ・
タンヘレーわが祖国に捧げる―』井村文化事業社)
広宣流布は、絶対に行き詰らない、究極の善と正義の前進であります。
16世紀、韓国の女性の書画家・申師任堂(シンサイムダン)は綴っております。
「すべてのことは、大いなる志を抱くことから始まるのです。大いなる志を抱いた人に成し遂
げられないことはありません」
広宣流布の大願に生き抜く創価の婦人部、華陽の女子部こそ、その模範です。
また、アルゼンチンの大医学者ウサイ博士は明言しました。
「大いなる力を秘めている青年の中に、偉大な人物や偉大な出来事の源がある」「一時的
な障害を前に、へこたれてはならない」
わが青年部よ、創立100周年ヘ勝ち抜いて、素晴らしい歴史を残してくれたまえ!
さらに私が対談したインドネシアの哲人指導者アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領は語られ
ました。
「青年たち一人一人が、21世紀の正しい軌道を、迷うことなく、まっすぐに進んでいけるよう
に、道を開いていきたい。そのためにも、社会におけるさまざまな悪弊や不正に対し、声をあ
げ続けていかねばならないと決意しています」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)
壮年部よ、後輩のため、学会のため、未来のために、断固たる師子吼を頼む。
そして、わが敬愛するブラジルの人権の闘士アタイデ博士は結論されました。
“人生は、次から次へと挑戦の連続である。大事なことは、その挑戦に勝ち続けることだ”
終わりに「広宣流布に躍進しゆく人材は三世の功徳が満々たり」と申し上げ、私のメッセー
ジといたします。
風邪など、ひかれませんように!
お元気で!大切な大切な全同志の健康と幸福を心より祈りつつ(大拍手)。
2010.10.16 新時代第43回本部幹部会・全国ブロック長・白ゆり長大会への
名誉会長のメッセージ
「団結」
われら創価の団結は、広宣流布という崇高な目的に向かって進もうとする、純粋なる信心
の志から生まれる。同志を、互いに仏・菩薩と見る、真実の尊敬の念から始まる。
強い者に媚(こ)びへつらい、弱い人を蔑(さげす)むような心根や、嫉妬と勝他の炎に胸を
焦がす修羅の生命であれば、決して本当に団結することはできない。また、自己中心的で、
傲慢、我欲に心が支配されていれば、結局は、異体同心の結合を破る魔の働きとなってしま
う。
団結し、仲が良いという姿に、皆の人格革命があり、人間革命の実証があるのだ。
香川県婦人部総会が終了すると、山本伸一は、四国研修道場内を視察した。
石を組み合わせた恩師記念館の壁が、城の石垣のようにそびえ、青い瀬戸の海には、幾つ
もの島が浮かんでいた。美しい、心安らぐ、名画のような風景であった。
伸一は、道場の構内を歩きながら、四国の幹部に語った。
「いいところだね。研修に訪れた人たちは、落ち着いて、ゆっくり研鑽に励み、美しい自然を
見て、英気を養うこともできるね。
合戦の舞台となったこの地に来て、今度は生命の尊厳と平和の生命哲理を学んで、皆が各
地に帰って行く。 戦乱の地” が 平和発信の地” になるんだ。見事な蘇生だね。すごいこと
じゃないか!」
伸一は、研修道場の隣に立つ、マリンパーク魚類博物館にも足を延ばした。近隣の人びとと
あいさつを交わし、交流をもちたかったのである。彼は、同行の幹部に言った。
「人がいたら、こちらから積極的に語りかけ、友人になっていくことだよ。人間は、結び合い、
助け合うためにいるんだもの。素知らぬ顔をして、言葉も交わさなければ、互いに孤立してし
まうし、学会への理解を深めさせていくこともできない。
学会の社会的な使命の一つは、人間が分断された時代にあって、人と人の心を結び合わ
せることにあると、私は思っているんだよ」
新・人間革命 ― 勇将17 ―
「第一線」
二十二日の夕刻、山本伸一は、会館に勤務する職員と面談したあと、四国研修道場で方
面・県幹部との懇談会をもった。
「聞きたいことは、なんでも聞いてください。私は、四国が大発展するための、あらゆる布石
をしておきたいんです。今回も、可能ならば、全会員の方々とお会いしたかった」
伸一は、十九日の夕刻に、香川入りして以来、この二十二日の夜までに、延べ八千人ほど
と会ったことになる。
彼は、必死だった。すべてに、時間的制約がある。そのなかで何事かを成そうとするなら、
一刻も無駄にすることなく、効率よく、一つ一つの事柄に全精魂を注いで臨む以外にない。無
計画な、漫然とした歩みでは、本当の仕事を成し遂げることはできない。
伸一は、香川滞在中、多くのメンバーと語り合ったなかで、会合が多いとの声があったこと
に言及していった。
「活動を推進していくためには、当然、さまざまな会合を開催していく必要がありますが、打
ち出し等の会合は、できる限り少なくして、すべての幹部が、活動の現場に入れる時間を多く
もてるように工夫すべきです。
会合の趣旨、参加対象者が同じなのに、県で会合を開き、さらに、圏や本部でも会合を開く
のは、効率的ではありません。
たとえば、新しい方針などを発表する際にも、県として支部幹部の会合を開き、そのあとは、
各支部ごとで会合をもって徹底していくという方法もあります。あるいは、県で圏幹部の打ち
合わせをしっかり行い、次は、圏ごとに大ブロック幹部の会合を開くという方法もあるでしょう。
実情に合わせ、効率のよい会合のもち方を考えていくことです。
また、方面や県で活動のスケジュールを立てる際には、大ブロックやブロックなど、活動の
第一線、活動の現場に焦点を合わせて組み立てていくことです。打ち出した活動が、いつ、
どのようにして、最前線に伝わるかが、勝敗を決する最大のポイントだからです」
第一線を支え、守るための組織である。
新・人間革命 ― 勇将48 ―
「正義」
波多光子は、自分としては、露崎アキと二人で一生懸命に葬儀を執り行ったつもりであった。
しかし、それでも歳月を経るごとに、“本当にあんなんで、よかったんやろうか。故人の一家に
惨めな思いをさせたのではないか”という気持ちが、心の底に、澱(おり)のようにたまっていっ
たのである。
山本伸一は、彼女の話を聴き終わると、大きく頷いた。
「おばあちゃんは偉い! 最も清らかで、尊い、真心の葬儀です。それが本当の葬儀です。
故人も、最高に喜んでいるでしょう。あなたは、広宣流布の大功労者です」
そして、同行の幹部らに語った。
「君たちは、大学を出て、若くして幹部になったことで、自分は偉いかのように思ったりしては
いけません。そんな考えが微塵でもあるなら、既に生命が慢心に毒されている証拠です。君
たちには、地域広布に命をかけてきた、このおばあちゃんのような戦いはできていないではあ
りませんか!
誰が、本当に広宣流布を推進してくださっているのか、創価学会を支えてくださっているの
か――私は、じっと見ています。
もしも、要領主義がまかり通り、捨て身になって戦いもせず、人の努力を自分の手柄のよう
に報告だけしている者がリーダーになって君臨していけば、真面目な会員がかわいそうです。
そんな創価学会にしてはならない」
厳しい口調であった。
それから伸一は、包み込むような笑みを、波多に向けて言った。
「おばあちゃん、ほかに何かありますか」
瞬間、彼女の表情が曇った。
「先生。実はな、私を折伏してくれた露崎アキさんが、心臓病で入院しとりますんや。あの人
はな、私なんどより、もっともっと信心強盛でな。『先生に会いたい、会いたい』と、いつも言うと
りました。元気なら、今日、一緒に、先生とお会いできましたのにな」
新・人間革命 ― 正義60 ―
「激闘」
5月15日、山本伸一は、九州研修道場にあって、終日、研修会参加者らの激励に時間を費
やした。そして、夕刻には、前日に引き続いて、自ら研修会を担当した。
彼は、「今日は、私どもの信心を妨 さまた げる第六天の魔王について、ともどもに思索して
まいりたい」と前置きし、「辧殿尼御前御書 べんどのあまごぜんごしょ 」を拝していった。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土
どうごえど を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二
十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)
まず、この御文を通解した。
「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。
そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫 ぼんぷ と聖人が共に住
むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、
大きな戦を起こして20余年になる。その間、一度も退く心をいだいたことはない──それが、
御文の意味です。
なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の
領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法を
もって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。
そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の
道は魔との壮絶な闘争になるんです。
この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王
という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。
ゆえに、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜む魔性との熾
烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、
幸せを築く大道が開かれるんです」
第六天の魔王は、智慧の命を奪うところから、「奪命」といわれる。また、「他化自在天(た
けじざいてん)」ともいって、人を支配し、意のままに操ることを喜びとする生命である。
その結果、人びとの生命は萎縮し、閉ざされ、一人ひとりがもっている可能性の芽は摘み取
られていくことになる。戦争、核開発、独裁政治、あるいは、いじめにいたるまで、その背後に
あるのは、他者を自在に支配しようという「他化自在天」の生命であるといってよい。
それに対して、法華経の行者の実践は、万人が仏性を具えた尊厳無比なる存在であること
を教え、一人ひとりの無限の可能性を開こうとするものである。
つまり、両者は、人間を不幸にする働きと幸福にする働きであり、それが鬩(せめ)ぎ合い、
魔軍と仏の軍との熾烈な戦いとなる。この魔性の制覇は、仏法による以外にないのだ。
では、魔軍の棟梁である第六天の魔王が率いる十軍とは何か。
十軍は、種々の煩悩を十種に分類したもので、南インドの論師・竜樹の「大智度論(だいち
どろん)」には、「欲(よく)」「憂愁(うしゅう)」「飢渇(きかつ)」「渇愛(かつあい)」「睡眠(すい
みん)」「怖畏(ふい)」「疑悔(ぎけ)」「瞋恚(しんに)」「利養虚称(りようこしょう)」「自高蔑人
(じこうべつじん)」とある。
山本伸一は、研修会で、その一つ一つについて、実践に即して語っていった。
「第一の『欲』とは、自分の欲望に振り回されて、信心が破られていくことです。
第二の『憂愁』は、心配や悲しみに心が奪われ、信心に励めない状態です。
第三の『飢渇』は、飢えと渇きで、食べる物も、飲む物もなくて、何もできないことです。学会
活動しようにも、空腹で体を動かす気力もない。交通費もない。だから、やめてしまおうという
心理といえるでしょう。
第四の『渇愛』は、五欲といって、眼、耳、鼻、舌、身の五官を通して起こる、五つの欲望で
す。美しいものに心を奪われたり、よい音色、よい香り、美味、肌触りのよい衣服などを欲する
心です。それらを得ることに汲々(きゅうきゅう)として、信心を捨ててしまうことです」
山本伸一の十軍についての説明に、研修会参加者は目を輝かせて聴き入っていた。
「第五の『睡眠』は、睡魔のことです。
たとえば“唱題しよう” “御書を学ぼう”とすると、眠気が襲ってくるという方もいると思います。
釈尊も、悟りを得るまでのなかで、この睡魔と懸命に戦っています。
睡魔に襲われないようにするには、規則正しい生活を確立し、十分な睡眠を心がけることで
す。さらに、熟睡できるように工夫することも大切です。寝不足であれば、眠くなって当然です。
また、眠気を感じたら、冷水で顔を洗うなどの工夫も必要でしょう。
第六の『怖畏』は、恐れることです。
信心することによって、周囲の人から奇異な目で見られたり、仲間はずれにされるかもしれ
ない。時には、牧口先生のように、迫害され、命に及ぶこともあるかもしれない。
そうなることを恐れ、学会から離れたり、信心を後退させてしまうことが、これにあたります。
結局、臆病なんです。
大聖人は『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書1282ページ)と仰せです。 信
心を磨き、一生成仏していくための要諦(ようてい)は、勇気をもつことなんです。入会するに
も勇気です。折伏するにも勇気です。宿命に立ち向かうにも勇気です。信心とは、勇気なん
です」
彼は、参加者一人ひとりに視線を注いだ。どの顔にも決意が光っていた。
「第七の『疑悔』は、疑いや後悔です。せっかく信心することができたのに、御本尊を疑い、
学会を疑い、難が競い起これば、“信心などしなければよかった”と悔やむ。その暗い、じめじ
めとした心を打ち破るには、すっきりと腹を決めることです。そこに、歓喜が、大功徳があるん
です。
第八の『瞋恚』は、怒りの心です。『折伏をしましょう』と指導されると、“よけいなお世話だ”と
憤(いか)り、怨嫉(しっと)してしまう。また、学会の先輩が、本人のためを思い、御書に照らし
て信心の誤りを指摘すると、腹を立て、恨む。そうした心の作用です」
山本伸一の指導は、具体的であった。
研修会メンバーは、わが身にあてはめ、時に大きく頷 うなず き、時に苦笑しながら、伸一の
話に耳を傾けていた。
「怒 いか りの心は、それ自体が悪いというのではありません。悪事に対して怒りを感じるこ
とは必要です。邪悪への怒りがなくなれば、正義もなくなってしまいます。怒り、腹を立てた結
果、信心を後退させてしまうことが問題なんです。
たとえば、いい加減で、周囲に迷惑をかけてばかりいる、問題の多い先輩幹部がいたとしま
す。その姿を見て憤りを感じる。それは当然です。しかし、ともすると、“だから、私は学会活動
をやらない。会合にも出ない”ということになってしまう。それが、『瞋恚』という魔に敗れた姿な
んです。
自分が、人間革命を、一生成仏をめざして仏道修行していくことと、先輩幹部がだらしないこ
ととは、本来、別の問題です。それを一緒にして、自分の信心の後退を正当化しようとする心
こそ、克服すべき対象なんです」
現実に即した伸一の展開であった。
「第九の『利養虚称』ですが、『利養』は、利を貪 むさぼ ることです。『虚称』は、虚名 きょめ
い にとらわれることをいいます。つまり、名聞名利を追い求め、信心を軽んじ、成仏への道を
踏み外してしまう生き方です。
利欲に翻弄 ほんろう されればされるほど、心は貧しくなり、すさんでいきます。また、組織
で金銭の問題を起こしたりするケースは、この『利養』に蝕 むしば まれた結果といえます。
さらに、『虚称』を求めても、名誉や地位は、永遠の生命観から見れば、うたかたの夢のよう
なものです。それに心を奪われて、信心を忘れるのは愚かです。
学会の人事でも、正役職から副役職になった時など、自分が軽視されたように思い込んで、
新しく幹部に登用された人を嫉妬し、学会活動への意欲をなくしてしまう人がいます。
それは『虚称』の心によるものです。その心を打ち破っていく戦いが信心なんです」
十軍に関する山本伸一の講義は、いよいよ、第十の「自高蔑人」となった。
「これは、自ら驕 おご り高ぶり、人を卑しむことです。つまり、慢心です。慢心になると、誰
の言うことも聞かず、学会の組織にしっかりついて、謙虚に仏法を学ぶことができなくなる。ま
た、周囲も次第に敬遠し、誤りを指摘してくれる人もいなくなってしまう。
社会的に高い地位を得た人ほど、この魔にたぶらかされてしまいがちなんです。
『自高蔑人』の心をもつと、みんなが褒め讃えてくれれば、学会活動にも参加するが、機嫌
を取ってくれる人がいないと、仏道修行を怠ってしまう。したがって、宿命転換も、境涯革命も
できず、福運も尽きていきます。そして、結局は、誰からも相手にされなくなってしまう。最後は
惨めです。
信心の世界、仏道修行の世界は、一流企業の社長であろうが、高級官僚であろうが、大学
教授であろうが、あるいは、学会の最高幹部であろうが、皆、平等なんです。地位も、名誉も、
関係ありません。
信心の実証を示すために、社会で成功を収めていくことは大事です。しかし、それが、名聞
名利のためであれば、信心のうえでは、なんの意味もありません。地位や名誉は、絶対的幸
福の条件でもなければ、成仏を決するものでもありません。
信心の世界では、一生懸命にお題目を唱え、たくさんの人を折伏し、誰よりも個人指導に励
み、多くの人材を育ててきた方が偉いんです。広宣流布のため、仏子のために、黙々と汗を
流してきた方が尊いんです。
信心の王者こそ、人間王者なんです。最高最大に御本仏から賞讃される大福運、大勝利の
人であることを確信してください」
熱のこもった講義であった。一人として魔に敗れ、退転していく人など出すまいとする、伸一
の魂の叫びであった。
研修は、まだ終わらなかった。
「では、『富木殿御返事』、御書の962ページを開いてください」
山本伸一は、朗々と、「富木殿御返事」の一節を拝していった。
「『但生涯本より思い切て候今に飜返 ひるがえ ること無く其の上又遺恨(いこん 無し諸の
悪人は又善知識なり』(御書962ページ)
戸田先生が第2代会長に就任された27年前、学会の会員は、実質3 000人ほどにすぎな
かった。それが、今では、世界に広がり、約1 000万人の同志が誕生したんです。会館も立
派な大文化会館が、全国各地に陸続と誕生しました。皆が歓喜に燃えて、弘教に走っていま
す。
これだけ広宣流布が進んだんですから、第六天の魔王が憤怒 ふんぬ に燃えて、競い起こ
ってくるのは当然です。予想もしなかった大難もあるでしょう。大事なことは、敢然と、それを受
けて立つ覚悟です」
哲学者キルケゴールは記している。
「信仰の強さは、その信仰のために苦難をうける覚悟がじゅうぶんにあるかどうかによって
証明される」
伸一の声は、力強さを増した。
「大聖人は、『但生涯本より思い切て候』と言われた。題目を唱え始めた時から、大難の人
生であることを覚悟されていたんです。そして、その覚悟は『今に飜返ること無く』と仰せのよう
に、竜の口の法難、そして佐渡流罪という最大の難局に際しても、決して揺らぐことはなかっ
た。
覚悟は、生涯、持続されてこそ、本当の覚悟なんです。その場限りの、勢いまかせの決意な
ど、法螺(ほら)を吹いているにすぎません。
そして、『遺恨無し』と明言されている。
大聖人は、『世間の失(とが)一分もなし』(同958ページ)と仰せのように、本来、社会的に
はなんの罪も犯していない。それなのに弾圧され、迫害されることは不当であり、普通ならば、
恨みをもつのが当たり前です。
しかし、『遺恨無し』と言われるのは、正法を流布したがゆえに、経文に照らし、仏法の法理
通りに、起こるべくして起こった難だからです。むしろ喜びとされているんです」
情熱を込めて、山本伸一は訴えた。
「次の『諸の悪人は又善知識なり』(御書962ページ)の御文も、非常に大事です。
善知識というのは、仏道修行を支え、助けてくれる存在です。しかし、日蓮大聖人は、諸の
悪人、すなわち仏法者を迫害し、信心を妨げる働きをなす悪知識を、御自身にとって、善知識
であると言われている。
なぜか──。諸の悪人による迫害に遭(あ)うことによって、法華経の行者であることが立証
できるからです。風があってこそ、風車が回るように、迫害あってこそ、悪業を転換し、一生成
仏することができる。
難が競(きそ)い起これば起こるほど、強盛に信心を燃え上がらせていくならば、悪知識も、
すべて善知識へと変えていくことができる。むしろ、それが、真実の信仰の姿です。
反対に、学会の先輩が成長を願って、誤りを指摘してくれたにもかかわらず、恨みをいだき、
退転していく人もいます。その人にとっては善知識となるべきものが、結果的に悪知識と同じ
働きをしてしまうことになる。
善知識にするのも、悪知識にするのも、最終的には本人の信心なんです。ゆえに、弾圧、
迫害も、信心の大飛躍のバネにすることができる。つまり、どんな逆境に遭遇(そうぐう)して
も、それが、そのまま魔になるわけではない。どう受けとめるかで、一念次第で、魔にもなれ
ば、信心向上の力にもなっていくんです。
どうか、第六天の魔王が率いる十軍という己心の魔に打ち勝ってください。この魔を打ち破
る力は唱題です。
生命の根本的な迷い、すなわち無明を断ち切ることができるのは、南無妙法蓮華経の利剣
です。どこまでも、唱題第一に戦おうではありませんか!」
伸一は、集った人たちの魂を揺 ゆ さぶる思いで、語り抜いた。叫び抜いた。訴え抜いた。
全生命を振り絞っての指導であった。
彼は、広布第二章の大飛躍を期すために、全会員が、真の信仰に立ち返り、いかなる障魔
の嵐にも翻弄されることなく、信心の正道を歩み抜いてほしかったのである。
新・人間革命 ― 激闘31~37 ―
「広宣譜」
山本伸一は、九州総合長を交代することになった鮫島源治に、厳しい口調で言った。
「信心には、ヒロイズムも自己陶酔も必要ありません。幹部に“自分が、自分が”という自己
中心的な考えがあれば、信心の軌道を踏み外して、勝手なことをしたりする。結局は、大勢の
会員に迷惑をかけ、広宣流布の組織を攪乱し、破壊する魔の働きとなる。
私は、君を、そうさせたくはない。これを契機に、信心の原点に立ち返って、一兵卒の決意で、
本当の仏道修行に励んでほしい。これは、信心の軌道を修正するチャンスです。
幹部にとって、最も大切なことは、“自分は泥だらけになっても、どんなに屈辱を味わっても、
仏の使いである学会員を、絶対に守り抜いてみせる、幸せにしてみせる”という一念と行動
なんです。格好や見栄ではない。
もう一度、新しい決意で、一から信心を鍛え直す覚悟で組織を駆け回り、苦労に苦労を重ね
て、人間革命していってもらいたい」
それから伸一は、吉原力に視線を注いだ。
「吉原君は、どこまでも誠実に、謙虚に、皆と接していくことです。それによって、信頼を勝ち
得ることができるんです。信頼こそが強い人間の絆を結ぶ力になっていく」
吉原の入会は一九五七年(昭和三十二年)十二月、結核で自宅療養していた大学四年生
の時である。入会はしたものの、本気になって信心に取り組む気のない彼のもとへ、毎日の
ように勤行の指導や激励に通ってくれたのが、男子部の班長であった。それによって吉原は
奮起し、病を乗り越え、大学卒業後は建築金物販売会社に就職した。また、第一線組織のリ
ーダーである男子部分隊長になった。
その時、彼は誓った。
“私が、信心に奮い立ったのは、班長が通って来て、日々、励ましてくれたからだ。家を訪ね
てくれる回数に比例して、私も信心を学び、深めることができた。今度は、私が、それをやる番
だ!”
励ましの連鎖が、人材群を生み出す。大切なのは、最初の一人の行動である。
新・人間革命 ― 広宣譜43 ―
「革心」
北京に向かった孫文の体は、既に病に侵されていた。一九二五年(大正十四年)三月、彼
は、北京で五十八歳の生涯を閉じる。
彼の最期の言葉とされるのが、「現在、革命、なおいまだ成功せず」である。悪と戦い続け
ることが、革命の道である。
孫文亡きあと、国民党右派の蒋介石は、国民革命軍総司令となるが、共産党との対立姿勢
を明らかにし、南京に国民政府を樹立。第一次国共合作は崩れ去ったのである。
孫文の妻・宋慶齢(そうけいれい)は、夫の死後、国民党の中央執行委員となった。彼女の
妹・宋美齢は、蒋介石の妻である。しかし、宋慶齢は、ソ連との協力、共産主義の容認という
孫文の政策を貫くことを訴え、蒋介石に抗議している。
三一年(昭和六年)、満州事変が起こる。
宋慶齢は、国民党と共産党は、互いに協力して抗日戦を展開すべきであると、国共合作を
強く主張。日中戦争を機に第二次国共合作が成る。だが、戦後は両者の争いが激化し、中国
は内戦状態になっていった。そして、国民党は共産党に敗れ、蒋介石は台湾に去る。
宋慶齢は、孫文の志を受け継ぐ道を、共産党に見いだしていた。
四九年(同二十四年)の中華人民共和国誕生後は、中央人民政府副主席、国家副主席を
務めるなど、新生・中国を支えてきた。
彼女は、山本伸一の第四次訪中の時には、既に八十五歳の高齢であったが、全人代常務
委員会副委員長に就いており、国家を代表する存在として活躍していたのである。
九月十一日夕刻、伸一は、孫中山故居(そんちゅうざんこきょ)を見学しながら、同行のメン
バーに語った。
「なぜ、国民党は、共産党に敗れたのか。
さまざまな要素があったと思うが、人民の支持を得られなかったことだ。国民党には、幹部
が私腹を肥やすなど、腐敗、堕落が横行していた。人びとは、そうした姿に失望し、心が離
れていった。革命の理想を体現するのは人だ。人間の生き方がすべてだよ」
孫中山故居の参観を終えた山本伸一の一行は、中庭に出た。そこには、木々が茂り、青々
とした芝生が広がっていた。一行は芝生に腰を下ろし、しばし懇談の機会をもった。
山本伸一は、訪中団の青年たちに視線を注ぎながら語り始めた。
「孫文先生の生き方のなかには、天道という考え方が確立されていた。
たとえば、人間を抑圧することは、天に逆らうことであり、それに抵抗することは、天に従っ
て行動しているとする考え方だ。この天道に従うという考えのもとに、革命を組み上げていっ
た。だから、そこには、自分を律する力が働き、困難に屈しない力が湧く。
“法”が根本になければ、結局は、崇高な理想を掲げた運動も欲望に蝕まれ、頓挫してしま
う。いかなる革命も、人間革命なくしては、本当の意味で成就することはできない」
孫文は、訴えている。
「革命事業をなすには、どんなことから始めたらよろしいのか。それにはまず、自分の心の
中からはじめ、自分がこれまでもっていた良くない思想・習慣や性質、野獣性、罪悪性や一
切の不仁不義な性質をすべて取り除かなければなりません」
さらに、こんな言葉も残している。
「ただ、われらは、中国の改革と発展を、既に自らの責任と定めているのだ。何があろうと、
生ある限り、その心を断じて死なせない。失敗しても落胆せず、困難に遭っても後退してはい
けない。全身全霊を注いで勇往邁進していく。世界の進歩の潮流と合致し、『善は栄え、悪は
滅びる』という天の法則に則るならば、最後は必ずや成功を勝ち取ることができる」
それはまさに、仏法という生命の法理のもと、世界の平和と人類の幸福の実現、すなわち
広宣流布をわが使命として立ち上がった、創価の同志の生き方、確信に通じよう。
私利私欲、立身出世といった“小物語”を超え、人びとのため、世界のためという“大物語”
を編むなかに、人生は真実の輝きを放つ。
新・人間革命 ― 革心16~17 ―
「勝利島」
仏法の世界で偉いのは誰か――御書に仰せの通り、迫害、弾圧と戦いながら、懸命に弘
教に励み、人材を育て、地域に信頼を広げながら、広宣流布の道を黙々と切り開いてきた人
である。人びとの幸せのために汗を流し、同苦し、共に涙しながら、祈り、行動してきた人であ
る。僧侶だから偉いのではない。幹部だから偉いのでもない。
山本伸一は、話を続けた。
「学会のリーダーは、自分が偉いように錯覚し、会員の方々に横柄な態度で接したり、慇懃
無礼な対応をしたりするようなことがあっては絶対にならない。健気に戦ってきた同志を、心
から尊敬することができなくなれば、仏法者ではありません。
もしも幹部が、苦労を避け、自分がいい思いをすることばかり考えるようになったら、それは、
広宣流布を破壊する師子身中の虫です。そこから学会は崩れていってしまう。そのことを、深
く、生命に刻んでいただきたい」
伸一の眼光は鋭く、声は厳しかった。
一月二十五日、霧島連山の中腹にある九州総合研修所には、肌を刺すような寒風が吹き
つけていた。午前十一時前、離島本部の第一回代表者会議に参加するメンバーのバスが到
着した。バスを降りると、そこに待っていたのは、伸一の笑顔であった。
「ご苦労様です! よくいらっしゃいました! 広布の大英雄の皆さんを、心から讃嘆し、お
迎えいたします」
伸一は、手を差し出し、握手した。島の同志たちも、強く握り返した。彼らには、伸一の手が
限りなく温かく感じられた。その目に、見る見る涙が滲んでいった。
多くは語らずとも、皆、伸一の心を、魂の鼓動を感じた。勇気が湧いた。
この日の代表者会議では、各島にあって、伝統文化を守り、島の発展に尽くすことを決議し
た。また、島の実情に応じ、社会性を大切にしながら、活動に取り組んでいくという基本方針
を確認し合った。
新・人間革命 ―
勝利島40 ―
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*
* 最新の指導
*
*
(P 44~)
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国立トゥクマン大学「名誉博士号」授与式
民衆のための教育こそ我らの使命
人生の総仕上げの事業を「教育」と定めてきた私にとりまして、宝の励ましとして大切に心に
刻んできた、アルゼンチンの先哲の至言があります。
貴国の憲法の起草者で、「南米のジェファーソン」とも讃えられる、アルベルディ博士の信念
の叫びであります。
すなわち、「民衆のための教育を成し遂げたと宣言できた時、初めてあなた方は、その使命
を全うしたと言えるのである」と。
― “共和国の花園”トゥクマン ―
本日は、このアルベルディ博士の名前が冠された貴大学の由緒ある劇場において、かくも
荘厳に、またかくも盛大に、名誉学位記の授与式を挙行してくださり、御礼の申し上げようも
ありません。
祝賀の記念演奏と伝統音楽の調べも、1万7480㌔の距離を超えて、私の生命に尊く響い
てくる思いがいたします。
本来ならば、私自身が参上すべきところ、寛大なるご配慮を賜り、バルドン総長をはじめ貴
大学の諸先生方のご厚情に、心より感謝を申し上げます。
アルゼンチンの心臓部に位置するトゥクマンは、「共和国の花園」と讃えられる、世界の憧れ
の文化薫る天地であります。200年前、貴国の独立が誇らかに宣言された歴史の都でもあり
ます。
― 哲学から医学まで 数多(あまた)の人材を輩出 ―
貴大学は、そのトゥクマンの地に聳(そび)え立つ人間教育の最高学府として、世紀を超え
て、社会と国家の発展の原動力となり、時代の試練を乗り越えながら、南米大陸の希望の未
来を開いてこられました。
誉れの貴大学からは、綺羅、星のごとく、数多(あまた)の卓越した人材が羽ばたき、哲学か
ら医学まで、探求と創造の最前線で、人類社会の前進に偉大なる貢献を果たされておりま
す。
ちなみに、私の故郷にある東京・羽田空港の第2旅客ターミナルビルや、わが青春の故郷
である大阪の歴史博物館など、日本の多くの名建築の設計を手掛けられたのも、貴大学の
卒業生で、世界的な建築家のシーザー・ペリ氏であります。
私は、この伝統光る英知の殿堂から賜りました最高に栄誉ある宝冠を、平和と文化と教育
の世界市民の連帯を広げゆく、トゥクマンはじめアルゼンチンSGIの友人の皆さま、そして世
界192カ国・地域のSGIのメンバーと共に、分かち合わせていただきます。
誠に誠に、ありがとうございます。(大拍手)
向学の若人たちよーー
現実の大地を踏みしめながら
心は宇宙大のロマンを燃やせ
貴大学のモットーは、誠に素晴らしい。「足は大地に、眼差(まなざ)しは天空に」――。
これは、貴大学の初代総長である、テラン博士の座右の銘に由来すると伺いました。
テラン博士は若き日、荒野を旅するなかで、視界の悪い、泥だらけの道に疲れ果ててしまっ
たことがある。しかし、夜空を見上げれば、美しい星々が輝きわたっていた。その天井の光彩
に勇気を得て、博士は再び歩みを進めたと回想されているのであります。
テラン博士は、33歳にして、教育の理想に燃える同志と力を合わせ、貴大学を創立されま
した。
貴大学の建学の理念は。まさに向学の若人たちに、現実の大地を堅実に忍耐強く踏みしめ
ながら、心には、宇宙大のロマンと希望を燃え上がらせていくことを、呼び掛けてやみませ
ん。
この精神を生き生きと受け継ぎ、貴大学の21世紀の大発展を指揮してこられたバルドン総
長をはじめ、諸先生方の長年にわたる献身に、私は心からの敬意を表すものであります。(大
拍手)
とともに、貴大学の哲学と、私どもの目指す人間教育が、深く響き合っていることに、感動を
禁じ得ないのであります。
他者に尽くしゆくことは 自身の「生命」を潤すこと
テラン博士は、「他者のために生きることは、自身の生命を潤すことである」との確信に立ち、教
育や学生たちにも、他者に尽くしゆく人生の重要性を訴えておられました。
わが創価教育の創始者であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生も、「自他共の幸福」に貢
献しゆく、世界市民の育成を目指しておりました。
そして人類社会は、「軍事的競争」でも、「政治的競争」でもない。さらに「経済的競争」でもなく、
断固として「人道的競争」の時代へと進んでいかねばならない、と展望していたのであります。
― 歴史の歯車を逆行させるな ―
その意味におきまして、世界に開かれた貴大学で、バルドン総長はじめ皆さま方の多大な
ご尽力を頂き、「核兵器なき世界への連帯」展や、「法華経――平和と共生のメッセージ」展な
ど開催できましたことを、私たちは心から光栄に、うれしく思っております。
今、世界は、歴史の歯車を暴力と憎悪、分断と対立へと逆行させてしまうか、それとも平
和と理解、共生と融合へ前進させられるか、大きな分岐点にあると言っても決して過言では
ないでありましょう。
青年の正義の連帯を強く大きく
その希望の鍵は、どこにあるか。私の胸奥には、ここトゥクマンが生んだ、偉大な教育者で
あり作家である、リカルド・ロハス博士の確信の至言が響いてくるのであります。
「つまり、われわれの進歩は、人間の連帯の成果である」と。
きょうよりは私も、貴大学の誉れ高き一員として、尊敬する貴大学の先生方と共に手を携
(たずさ)え、この人間の連帯、なかんずく青年の正義の連帯を、いよいよ強く、大きく広げゆく
決意であります。
最後に、貴大学の永遠の栄光と発展、そしてご列席の皆さま方の、ますますのご健勝をお
祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)
2016.8.23 国立トゥクマン大学「名誉博士号」授与式へのへの池田SGI会長のメッセージ
ノルウェーでの核兵器廃絶に向けたシンポジウム
深緑のフロイエン山と碧きフィヨルドに囲まれ、雄大な自然の芸術とも謳われる美しき文化
都市ベルゲンにおきまして、展示会「核兵器なき世界への連帯」ならびに、シンポジウム「核
兵器廃絶に向けて――ノルウェーと日本の平和運動とその役割」が開催されますことを、私
はこの上ない喜びとするものです。
この行事の趣旨にご理解を賜った関係の皆さまに、世界192カ国・地域のSGI(創価学会
インタナショナル)のメンバーを代表し、心からの感謝を申し上げます。
私たちは今、大きな歴史の転換点に立っています。
人類はこれからも核兵器が存在する世界で生き続けるしかないのか、それとも、禁止と廃絶
に向けた道を開くのか。具体的な選択が問われる時を迎えようとしているからです。
核兵器は、ひとたびそれが使用されれば、壊滅的な結末を招く非人道的なものであり、実際
にそれがどのような取り返しのつかない被害をもたらすのかを、私どもは、広島と長崎の惨劇
から深く胸に刻みました。
しかし、核兵器廃絶への足取りは遅々として進まず、世界には、いまなお1万5000発以上
も核兵器が存在しています。
― 核兵器は破壊と分断の象徴 ―
核兵器は破壊と分断の象徴であります。
それに打ち勝つものは、平和と共存を求め抜く「民衆の連帯」から生み出される歴史創造
の力をおいてほかにはありません。
国際社会では今、核兵器をめぐる議論に大きな潮目の変化が起きています。
とりわけ2013年からのオスロ、ナヤリット、ウィーンでの3回にわたる国際会議での論議を
通じ、核兵器の非人道性に対する懸念が広く共有され、その法的禁止に向けた交渉開始を
求める声が高まりを見せています。
この8月には、ジュネーブでの国連作業部会で、17年に核兵器禁止条約の交渉を開始す
るよう国連総会に勧告する報告書が、広範な支持を受けて採択されました。
まさに、核兵器の廃絶に向けた正念場ともいえる歴史の節目を迎えています。
この重要な時に、私たちは核兵器の問題をどう考え、その非人道性を踏まえて、どのような
具体的な手だてを生み出していくのか。
その重要な選択が、同じ地球に生きる私たちの手に委ねられています。
核兵器の非人道性の核心は、その圧倒的な破壊力だけにあるのではありません。幸福な
人生を歩むためにどれだけ人間が努力を重ねようと、長い時間と労力をかけて文化と歴史を
育もうと、その一切を一瞬にして無意味なものにしてしまう。この言語に絶する“理不尽さ”に
あるのではないでしょうか。
それは、人間性の否定であり、民衆の生存権を根源から脅かすものにほかなりません。
民衆の“草の根”の対話を軸に
歴史創造の選択を今こそ
― 原水爆禁止宣言こそ不戦の原点 ―
このことを、59年前の9月に「原水爆禁止宣言」の発表を通し訴えたのが、私の師である戸
田城聖創価学会第2代会長です。私どもSGIは、この宣言を原点として、民衆による草の根
の対話を軸に、不戦の誓いを共にしていくグローバルな民衆の連帯を広げる取り組みこそが、
「核兵器のない世界」を築くための基盤となると信じ、これまでもざまざまな団体と連携しなが
ら、核兵器廃絶運動を展開してきました。
共存の時代へ 行動力を高めるべき時
今、世界を取り巻く状況は厳しさを増していますが、であればこそ、目の前の厳しい現実に
押し流されることなく、私たちが望む平和と共存の世界をつくり出すための想像力と行動力を、
今こそ高め、発揮していかねばなりません。
何より、核兵器廃絶への挑戦は、核保有国だけでなく、全ての国家と市民社会の関与に基
づいた、地球的な共同作業であります。
この地球上で、核兵器の脅威と非人道性に無縁でいられる場所などなく、あらゆる国や
人々が立場の違いを超えて、「核兵器のない世界」という同じ目的を力強く共有することから、
人類史を画する挑戦を成し遂げることができるのではないでしょうか。
また、こうした連帯の裾野を広げる努力は、人類が直面する諸課題を打開するための道筋
をつけるものともなっていくに違いありません。
核時代に終止符を打つために、私どもSGIは、今後も尊敬する皆さま方と共に力を合わせ、
平和と人道の新しい潮流をいやまして世界に広げ、核兵器廃絶にまい進しゆくことを、固く
決意するものです。
結びに、ご臨席の皆さま方のご健勝とともに、関係諸団体のますますのご発展を心より念
願して、私のメッセージとさせていただきます(大拍手)。
2016.9.5 ノルウェーでの核兵器廃絶に向けたシンポジウム
への池田SGI長のメッセージ
第46回創大祭・第32回白鳥祭「創価栄光の集い」
さあ、希望の新時代!君よ栄光の青春劇を舞え
「希望の新時代」を告げる創大祭、白鳥祭、本当におめでとう!
わが愛する創大生、短大生、そして留学生の皆さんの「栄光の青春劇」に、私も一緒に連な
る思いで、心からの喝采を送っております。
きょうは、私のかけがえのない友人であるナンダ博士ご夫妻、また、日本の各界を代表され
る、ご来賓の先生方が、わが誇りの創価の世界市民たちを祝福してくださり、感謝に堪えませ
ん。ご多忙の中、誠に誠にありがとうございます(大拍手)。
私は、皆さん方の創立者として世界の多くの大学を訪問し、友情を結んできました。その中
でも、20年前の6月、ナンダ博士に迎えていただいたデンバー大学の卒業式は、一幅の名
画のように蘇ります。
儀式は、無窮に晴れわたる青空のもと、広々とした屋外の中庭で、実に伸びやかに行われ
ました。昼の月も浮かんでいました。
席上、私は急きょ、来賓を代表してスピーチをするよう促されました。原稿は何も用意してお
りません。世界90カ国から集った俊英たちをはじめ、5000人の参加者の方々が見つめてお
ります。
さあ、どうするか。私は一呼吸して、大空と大地を見張らしながら、頼もしい味方を見つけま
した。天を指さし、こう切り出したのです。
「太陽は燦々と輝いています。月もまた、皆さま方に輝いています。太陽は情熱。月は知性
です。ロッキー山脈は厳然たる信念の姿で皆さま方を見守っています」と。
そして、「皆さま方の前途に、栄光あれ!勝利あれ!全世界に羽ばたいていかれることを念
願します」と結びました。
卒業生たちも、共に空を見上げ、彼方のロッキー山脈にも目を向けながら、賛同の拍手を送
ってくれました。ナンダ博士とご一緒に刻んだ、忘れ得ぬ交流の一こまであります。
「太陽のごとき情熱」「名月のごとき知性」そして「ロッキー山脈のごとき厳然たる信念」――
これは、まさしく、わが敬愛してやまぬナンダ博士が、生き生きと体現されている世界市民の
気風であります。
きょうは、博士と発刊した対談集を踏まえつつ、この3点について、簡潔に確認し合いたいと
思うのであります。
信念 情熱 知性の人に
― 価値ある変化 起こせる力を ―
第一に、「ロッキー山脈のごとき信念」であります。
ナンダ博士は、1947年、インドとパキスタンの分離独立に直面されました。1000万人とも
1500万人ともいわれる人々が故郷を失い、100万人を超える尊い命が犠牲になったとされ
ております。12歳だった博士も、お母さまとふるさとを離れ、何日も何日も、ひたすら歩き続け
ざるを得ませんでした。
この悲劇を原点として、博士は人道の国際法学者として、人権の擁護と世界平和の推進に
尽力し続けてこられたのです。
博士は、私との対談で毅然と語られました。
「すべてが闇のように思われるこの現代社会であっても、変化を起こすことは可能です」「私
は、明るい未来を信じ、人間の善性を信じ、友情を信じ、人間を信じているのです」と。
あのマハトマ・ガンジーの不屈の楽観主義に通ずる信念です。
わが創価の友も、この揺るぎない信念をもって、青春においても、学問の研鑚においても、
立ちはだかる試練に朗らかに挑み、価値ある変化を起こせる力を鍛え上げていただきたいの
であります。
― 悪戦苦闘の中で“光と熱”は帯びる ―
第二に、「太陽のごとき情熱」であります。
先日、私が創大・短大のキャンパスを回った折、留学生の皆さん方が生き生きと躍動する英
姿を、うれしく拝見しました。遠く母国を離れ、言うに言われぬ苦労も多いでしょう。
しかし、負けじ魂を燃え上がらせて悪戦苦闘する中で、皆さん方の心は太陽のような光と熱
を帯びていきます。そして、未来の地球社会を照らしていけるのであります。
ナンダ博士も、アメリカのエール大学などに留学されました。
そこで出会った恩師は、まるで“世界中で君よりも大切な人はいない”という態度で、若き博
士に接してくれたといいます。
その恩義を忘れずに、博士ご自身も、まさに太陽のごとき大情熱で「学生第一」を貫き通し
ておられるのであります。
人間教育の真髄がここにあります。
わが創大・短大の先生方、職員の方々も、どうか、この情熱で、私の命である英才たちの薫
陶を、よろしくお願いいたします。
― 月光は凍てつく夜空こそ冴える ―
第三に、「名月のごとき知性」であります。
ナンダ博士と私は、“最も苦しんでいる人を救っていこう”という人間性の発露に、教育の原
動力があると語り合いました。
博士は、「知識から智慧を汲み出す教育」を呼び掛けられています。人間と社会が直面する
諸問題を直視し、人類のためにと探求を重ね、“個人の平和と幸福”を勝ち取ると同時に、“国
際舞台における平和と幸福”をもたらす智慧を薫発しようと言われるのであります。
月光は、秋冬の凍てつく夜空にこそ、いっそう冴えわたります。
スーパーグローバル大学にして、人間教育の世界的拠点たる、わが創価の学舎も、地球的
問題群が山積する今こそ、いよいよ英知のネットワークを多次元に結び広げながら、人類の
平和と幸福へ、創造的な智慧を赫々と輝かせていこうではありませんか!
エマソンの言葉 正義にはやがて勝利がおとずれる
結びに、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンの言葉を贈ります。
「他人の嘲(あざけ)りを心にとめず、敗北にも挫(くじ)けず、勇気をもってまた起ちあがれ、
いっさいの正義にはやがて勝利がおとずれるのだ」(『エマソン選集3 生活について』小泉
一郎訳、日本教文社)と。
皆さんの健康と無事故、成長勝利を祈ります。親孝行を忘れずに!(大拍手)
2016.10.8 第46回創大祭・第32回白鳥祭「創価栄光の集い」
への池田名誉会長のメッセージ
世界広布新時代第20回本部幹部会
一、法華経が説かれる会座は、「地涌(じゆ)の菩薩」をはじめ、三世十方の仏菩薩が勇ん
で集い、日天・月天など無量無辺の諸天善神も喜び連なり、全宇宙をも包む、壮大な広がり
をもっております。
この法華経の会座さながらに、今、本部幹部会は、日本全国はもとより、全世界の創価家
族の心を結んで、和気あいあいと、また意気軒高に、一閻浮提(いちえんぶだい)広宣流布
(こうせんるふ)へ前進しゆく「地球座談会」といってよいでしょう。
愛する「我等の天地」四国から、世界広布新時代の「紅の朝」を告げる大勝利の幹部会、誠
におめでとう!(大拍手)
遠く28時間のフライトを経て駆けつけてくれたブラジルの未来部リーダーの皆さん、また台
湾の皆さん、インドネシアの皆さん、そして、韓国の皆さん、尊い尊い研修、ご苦労さまです。
皆で熱烈に歓迎しましょう!(大拍手)
わが四国の友は、あまりにも健気です。創価の師弟の波乱万丈なる広布の航路にあって、
常に荒れ狂う波浪を受け切りながら、私と一緒に怒濤を勝ち越えてくれました。四国家族は、
いつも私の生命に躍動しています。
きょうの四国総会を目指し、全地区が総立ちをしての見事な弘教、さらに任用試験の推進、
そして日本一の堂々たる聖教拡大、本当にありがとう!(大拍手)
絶望を希望に 宿命を使命に
「人間革命」の劇を舞いゆけ
戸田先生 “私たちは幸福になるために生まれた”
― 一人の母の闘い ―
一、60年前、戸田先生は、ここ四国で一人の婦人を温かく励まされました。夫を戦争で失い、
病苦や生活苦と懸命に闘って、わが子を育てる母でした。
先生は力強く言われました。「私たちは、なんのために生まれてきたのか。それは、幸せに
なるためだ。あなたも、きっと幸せになるんだよ。いや、必ずなれる!御本尊から、学会から、
生涯、離れてはいけないよ」と。
この激励に立ち上がった母は、病を克服し、経済苦を打開し、私が指揮を執る関西にも馳
せ参じてくれました。やがて、支部婦人部長となって、ふるさと四国を駆け巡り、広布の城を
築いていってくれたのです。
絶望を希望に変え、宿命を使命に変え、現実世界を理想郷に変える。
恩師が勇気の火をともした「人間革命」の幸福劇は、一人から一人へ、無数に連鎖し、「歓
喜の中の大歓喜」の舞が世界中に広がっています。
一、先日も、広布の拡大が勢いを増すブラジルの婦人部の方から報告が届きました。ご主
人は、私も期待してやまない立派な青年リーダーでしたが、残念ながら、18年前、アマゾン川
で不慮の事故で亡くなられました。
まだ7歳の息子と5歳の娘が残されました。ご夫人は悲しみの淵にあって、後継のわが子を
学会の庭で育て上げると誓いました。
母の祈りの通り、ご子息は音楽隊、お嬢さんは鼓笛隊で薫陶を受け、見事に成長して、きょ
うだいで8世帯の弘教も実らせています。兄も妹も正義の弁護士となって、社会に貢献する青
春です。ご夫人も子育てと同時に努力を重ね、弁護士になりました。一家和楽の福運と勝利
の晴れ姿を、すがすがしく示されているのです。
きょうの幹部会には、ご一家を代表して、お嬢さんが参加してくれました(大拍手)。
― 全て変毒為薬を ―
一、私がハーバード大学で講演でも紹介した「御義口伝(おんぎくでん)」に、「我らが生老病
死に当たって、南無妙法連華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄(じょうらくがじょう)とい
う四つの徳の香りを吹き薫らせていくのである」(御書740㌻、通解)とあります。
創立の父・牧口先生は、この「常楽我浄」について、わかりやすく「常に楽しく我浄(きよ)し」
という境涯であると教えてくださっています。
誰人たりとも、生老病死という四苦を避けることはできない。しかし、自行化他の題目を唱え
ゆく私たちは、何があっても「変毒為薬」しながら、「常に楽しく我浄し」と、自他共に生命の宝
塔を荘厳していけるのです。
なかんずく、「香川」「高知」「愛媛」「徳島」と、いずれも、おとぎの国のようなロマンあふれる
名前を冠した四国は、「常楽我浄」の生命の宝塔が林立する幸福と平和の楽土を、永遠に勝
ち栄えさせていってください。
御本仏・日蓮大聖人は「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提(いちえんぶだい)にひろ
まらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わとうども二陣三陣つづきて迦葉(かしょう)・阿難
(あなん)にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(同910㌻)と仰せになられました。
大聖人に直結するわれらは、いよいよ「二陣三陣」と、人類が渇望してやまない希望と人道
の大哲理を、語り弘めていこうではありませんか!
正義の師子吼を恐れなく
終わりに、さきがけ光る四国をはじめ、全世界の宝の友に――
万葉の 生命(いのち)の賛歌を 勝ち綴る 誉れの父母 永遠に讃えむ
そして――
いざや征け 正義の師子吼を 恐れなく 地涌の拡大 勝利 勝利で
と贈り、私のメッセージといたします(大拍手)。
2016.10.9 世界広布新時代第20回本部幹部会・四国総会
への池田名誉会長のメッセージ