古代日本の太陽信仰

일본연구 제61호
2014년 9월 30일 205-224쪽
古代日本の太陽信仰
– アマテル神と神鏡を中心に –
17)
*
洪 聖 牧
<目次>
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 中古の物語の中のアマテル神
Ⅲ. 内侍所の神鏡
Ⅳ. 内裏の火事と神鏡破損事件
Ⅴ. おわりに
Key Words : 아마테루(Amateru), 태양신(The sun god), 신의거울(Shinkyo), 기노쿠니
(Kinokuni), 자연신과 황조신(Nature deity and Imperial ancestors god)
Ⅰ. はじめに
日本の代表的な太陽神といえば伊勢神宮に鎮座する皇祖神アマテラスであ
るが、そのアマテラスの原像と関連し、注目すべき神名が「アマテル(天照)」
である。アマテルはその名称の如く、天地を照らすという太陽神らしい神の
名に冠する名称であり、自然の太陽をそのまま神格化した神と考えられる。
アマテルに関する太陽信仰は、各地の太陽神を祀る神社として記録され、今
に残っている。アマテル神に関する記事は、記紀及び風土記などにはほとん
ど見当たらず、延喜式神名帳などの神社の名前として残っているのみであ
る。
例えば、󰡔延喜式󰡕神名帳に記載されている大和国城下郡鏡作・大和国城上
他田・国嶋下郡新屋・摂津国嶋下郡新屋・山城国葛野郡木島などに見えるアマテ
ルミタマ(天照御魂)神社、丹波国天田郡のアマテルタマノミコト(天照玉命)
神社、対馬国下県郡のアマテル(阿麻氐留)神社がそうである。
* 韓国外国語大学校 日本学部 非常勤講師 日本上代文学専攻
206 日本研究…第61號
これらのアマテル神がもともと太陽神格であったことは、その一つである
対馬国下県郡のアマテル神社が、対馬県主によって奉じられていた、「照日権
現」とも呼ばれている日神を祀る神社であったことからわかる。対馬では古く
から太陽崇拝が盛んな地域であって、後世の天童信仰にもこれが顕著にあら
われる。
1、対州豆酘郡内院村に照日之菜と云者、一人之娘を生す。……此女日輪之光に
感じて有妊て男子生す。其子長するに及て聡明俊慧にして、知覧出群、僧と成て
後巫祝乃術を得たり。
(󰡔対州神社誌󰡕)
2、其母或朝日に向って尿漏し、日光に感じて娠めり。其誕辰に至っては、即ち
瑞雲四面に棚引きたり。此天瑞有りしを以て、小字を天道童子と云ひ、日輪の精
なるを以ての故に、十一面観音の化身と謂へり。……其母は乃ち内院女御の賤婢
なりしと、女御は昔日大隅国より正八幡を氏神に勧請」せり、内院の正八幡是也。
(󰡔天道法師縁起󰡕)
三品彰英氏は、「天童法師の誕生には、照日の菜という人物の女が日光に
感じて孕み、天童を産んだと伝え、またある伝えでは朝日に向かって放尿
し、受胎したという、日光感精譚が語られている」と述べる。恐らくこの照日
の菜という名と、この人物に関わる日光感精型の伝承から照日権現という日
神が生まれ、祀られるようになったのであろう。そして、これらの伝承から
対馬のアマテル神が、皇祖神アマテラスとは別の太陽神であったことが察せ
られる。
なお󰡔日本書紀󰡕顯宗天皇三年四月記事に対馬の日神の神託の記事が見え
る。この日神は阿閉臣事代という人物に、その祖神タカミムスヒのために田
を献上するようにと神託を下す。対馬の県主が日神の神託をうけることと、
この神を祭る阿麻氐留神社が天童説話の伝説地と同じ下県郡にあるというこ
とをあわせて考えると、この地には民間の太陽神信仰が伝われ祭られていた
と十分考えられるのである。1)その際に日神を祀ったのは對馬下縣直であ
り、これはこの日神が皇祖神アマテラスではなく、対馬のアマテルであった
1) 洪聖牧(2013)「日本の太陽神に関する一考察-ヒルコを中心に-」󰡔日本研究󰡕第57號 p.256