TED Plaza MEMS 熱計測で観察された沸騰熱伝達

JSME TED Newsletter, No.79, 2016
TED Plaza
MEMS 熱計測で観察された沸騰熱伝達メカニズム
矢吹
智英
九州工業大学 助教
工学部機械知能工学科
[email protected]
1.はじめに
沸騰は対流やふく射などの他の伝熱形態と比較して高い熱伝達率を有し,これまでに冷却や蒸
気生成を目的とする多くの熱機器に利用されてきた.近年では,気体や液体の単相対流熱伝達で
は十分な除熱が難しいパワー半導体や高輝度 LED などの冷却のために沸騰熱伝達を利用してコン
パクトで高性能な熱交換機を開発しようとする動きが高まっている.産業における沸騰の利用と
並行して行われてきた 80 年以上にわたる沸騰研究の中で,沸騰を構成する伝熱素過程が明らかと
されてきた.しかし,気泡底部に形成されるミクロ液膜と呼ばれる薄液膜の形成,蒸発,ドライ
アウトや気泡周囲過熱液の蒸発,気泡運動が誘起する対流などの伝熱素過程は時間的にはマイク
ロ秒からミリ秒,空間的にはサブミクロンからミリメートルと幅広い時空間スケールで生じるた
め,一般的な温度計測技術では分解能の不足によって精密な計測が難しく,このことが一つの要
因となり伝熱メカニズムに量的に不明な点が残されている.一方近年,薄膜温度センサやヒータ
ーを集積した MEMS センサや 1kHz を超える計測周波数で温度分布計測が可能な高速度赤外線カ
メラの登場により,沸騰を詳細に観察する研究が行われている(例えば,Demiray and Kim, 2004,
Moghaddam and Kiger, 2009, Wagner and Stephan, 2009, Jung and Kim, 2014).確かにここ十年程度
の間に微視的研究が盛んに行われているが,約半世紀前の時点で,Cooper & Lloyd が薄膜温度セ
ンサを用いた高速温度計測を通じてミクロ液膜の存在を明確なものとし,計測温度をもとに液膜
厚さを算出した先駆的な研究を行って優れた成果を得ている(Cooper & Lloyd, 1969)ことを付け
加えておく.また,高時空間分解能計測された温度データは,伝熱メカニズムを調べるだけでな
く,近年行われている沸騰の数値計算の妥当性の検証にも有効であると考えられる.
本研究では自作の MEMS センサを利用した気泡底部温度の高速計測と,計測温度を用いた伝熱
量解析により孤立気泡域の水の沸騰伝熱メカニズムを調べた.明治大学,中別府修先生のもとで
行った博士後期課程の研究の一部を以下に紹介させていただく.本研究の対象は低熱流束の孤立
気泡域の沸騰であるため,得られた知見を工業的に重要度の高い多数の気泡が互いに干渉しあう
高熱流束の沸騰にあてはめることには慎重さを要するが,なぜ沸騰は高い熱伝達率を持つのか,
という沸騰の描像を詳らかにすることの一助にはなっているのではないかと感じている.
2.孤立気泡沸騰における伝熱素過程
図 1 は本研究で計測対象とした飽和温度条件での孤立気泡沸騰が含む伝熱素過程のスケッチで
ある.まず,飽和温度以上に過熱された温度境界層(過熱液層)下の壁面上で気泡が核生成する.
その後,
気泡は気泡底部の厚さ数ミクロンのミクロ液膜と過熱液層の蒸発により成長する(a),
(b).
形成されたミクロ液膜は,その薄さゆえの小さな熱抵抗に大きな温度差(界面熱抵抗や蒸気の過
熱を考えなければ飽和温度と壁面温度の差)がつくため,1MW/m2 を超える高熱流束で蒸発する.
また,液膜の蒸発によりドライパッチが時間経過とともに壁面上で広がっていく(b).ドライパッ
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チでは壁面・蒸気間の熱伝達になるため熱伝達率が急激に低下する.気泡離脱過程(c)に入ると,
気泡が立ち上がって縦長の形状になり,接触線が前進してドライパッチが再び濡らされるリウェ
ッティングが生じる.気泡が離脱すると上昇気泡の運動に誘起された強制対流により伝熱が促進
される(d).
水の孤立気泡飽和沸騰に対する本研究の結果(Yabuki and Nakabeppu, 2014)を先に述べておく.
ミクロ液膜の蒸発と過熱液層の蒸発は気泡成長に対して同程度の寄与を持ち,リウェッティング
や気泡離脱後の強制対流に伴う伝熱促進はミクロ液膜の蒸発と比較すると無視しうるほど小さい.
ちなみにサブクール沸騰では,気泡が過熱液層から外に顔を出すと凝縮が生じる.ミクロ液膜と
過熱液の蒸発量とサブクール液への凝縮量の競争により気泡が成長するか収縮するかが決定され
る.サブクール度 10~30K の条件では凝縮による熱流はミクロ液膜の蒸発による熱流に匹敵する
(Yabuki and Nakabeppu, 2016)
.
Fig. 1
Fundamental heat transfer phenomena in isolated bubble boiling.
3.孤立気泡底部壁面温度の MEMS 計測
3・1 沸騰研究用 MEMS センサ
図 2 はフォトリソグラフィとスパッタリングによりサイズ 32mm 角のシリコン基板上に加工し
た MEMS センサである.センサは表面に核生成用の電解トリガと 13 個の薄膜温度センサ(11 個
の薄膜熱電対と 2 個の薄膜測温抵抗体)を持ち,裏面には加熱用のヒーターを持つ.ある一つの
薄膜温度センサと気泡,ミクロ液膜の位置関係は図 1 に示されている通りで,センサ列により気
泡底部の温度分布を高速に計測する.センササイズに対応する空間分解能は薄膜熱電対で 20 × 40
m2,測温抵抗体で 63 × 205 m2 であり,両センサとも 10s 程度の応答性を持つ.センサ上に内
寸 10mm 角のガラスセルを接着して小さなチャンバを形成し,中に脱気した蒸留水を注いで過熱
度 8~15K で実験を行った.周波数 50kHz での壁面温度計測に加え,4000fps で気泡挙動の撮影を
行った.
Fig. 2 MEMS sensor for boiling research, (a) top side, (b) thin film sensors and electrolysis trigger on the top side,
(c) back side.
3・2 孤立気泡底部壁面温度
ここでは,代表的な計測結果を紹介する.図 3 は過熱度 10.8K の条件で発生した孤立飽和沸騰
気泡底部の壁面温度を示している.グラフ中の凡例には発泡点から各センサの距離を示した.温
度データからは図 1 に示したミクロ液膜の蒸発,ドライアウト,リウェッティングを明瞭に読み
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取ることができ,グラフ中には各温度センサ位置におけるドライアウト開始,リウェッティング
のタイミングを示している.
気泡発生直後,発泡点近くの温度センサがミクロ液膜の蒸発による急激な温度低下を示してい
る.発泡点に近い温度センサほど早く温度低下を開始しているのはミクロ液膜が発泡点から外に
向かって形成されるためである.素早い温度低下の後,液膜のドライアウトにより壁面温度は底
を打ち上昇に転じる.ドライアウト点における温度レベルが薄い液膜が形成される内側の温度セ
ンサほど高くなっているのは,気液界面熱抵抗か蒸気の過熱によるものと考えているがここでは
詳細を割愛させていただく.ドライアウト後に 50 ミクロン,200 ミクロン位置で温度の再低下が
確認される.この再温度低下は,ドライアウトが生じている発泡点近傍とミクロ液膜蒸発が生じ
ているその外側の領域の間で生じる基板内の半径方向の熱伝導によるものであることが基板内の
非定常熱伝導解析の結果からわかっている.また,気泡が立ち上がって接触面積が減少する気泡
の離脱過程では,ドライパッチのリウェッティングに伴う素早く小さな 1K 程度の温度低下が外
側の温度センサほど早く生じている.気泡離脱後は 1 秒程度かけて温度が発泡前のレベルへ回復
していく.
MEMS 計測技術により気泡底部における伝熱素過程を詳細に観察することができた.また,Sato
博士は我々の実験を模擬した数値計算(Sato and Niceno, 2015)を行っており,気泡形状,サイズ,
温度低下量,速度の観点から本研究で得られた実験結果と数値計算結果の間の良好な一致を示し
ている.
Fig. 3 Bubble behavior and local wall temperature beneath isolated bubble in saturated boiling (Tsat = 10.8 K, Dmax
= 4.4 mm).
4.孤立気泡沸騰の伝熱特性
4・1 気泡底部の局所熱流束分布
次に,撮影した気泡挙動と熱流束分布の関係から,気泡底部で生じる伝熱素過程を定量的に議
論する.計測した温度データを表面の境界条件とする基板内の二次元非定常熱伝導計算により基
板表面の熱流束分布を算出した.図 4 は計測した温度(上)と計算した熱流束の時空間分布(下)
を示している.白抜きの丸○は気泡画像から読み取った気泡と伝熱面の見かけの接触半径,黒塗
りの丸●は気泡半径である.また,熱流束分布の右のスケッチは熱流束分布から推定される発泡
から 3ms 経過時点での気泡底部の気液構造を示している.発泡直後,ミクロ液膜の蒸発による温
度低下領域は外側に広がっていき,
接触半径の内側に形成されるミクロ液膜の蒸発により 1MW/m2
を超える熱流束が生じている.発泡点近くほど熱流束の最大値が大きくなっているのは,発泡点
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近くほど形成されるミクロ液膜の厚み(熱抵抗)が小さいためであり,最大熱流束は発泡前の過
熱度に比例して増加することもわかっている(Yabuki and Nakabeppu, 2016)
.1ms を過ぎたあたり
から熱流束がほぼゼロのドライパッチが発泡点中央から外に向かって広がっている.気泡半径が
1.6mm の 3ms における熱流束分布を見ると,気液構造のスケッチに示したように,約 0.2mm のと
ころまでドライパッチが存在し,その外側に 1.2mm の位置まで高熱流束を示すミクロ液膜が存在
している.気泡が離脱過程に入ると,接触領域がゼロまで減少し,その過程で,接触半径のプロ
ットと重複して見にくいが,リウェッティングによる局所的な伝熱促進が観察される.
任意の位置の熱流束をミクロ液膜の蒸発期間に渡って積分するとミクロ液膜の形成時の厚さを
算出することができ(Yabuki and Nakabeppu, 2014),レーザー計測された Utaka らの結果(Utaka et
al, 2013)とも良い一致が得られている.
Fig. 4
Spatiotemporal distributions of measured temperature and calculated heat flux.
4・2 ミクロ液膜蒸発の気泡成長への寄与
次に,局所熱流束をミクロ液膜形成領域に対応する接触半径の内側で積分することでミクロ液
膜蒸発熱流 Q ml [W]を算出し,熱流を経過時間に渡って積分してミクロ液膜蒸発熱量 Qml [J]を算出
した.また,撮影した気泡画像から抽出した気泡体積 Vb から蒸気の密度v と蒸発潜熱 hlv を使っ
て気泡内潜熱 Qb = vhlvVb [J]を算出した.図 5 を見ると,熱流 Q ml はミクロ液膜の形成領域の拡大
と蒸発に伴って増加し,その後,ドライアウト領域の拡大と蒸発を駆動する局所壁面過熱度の低
下に伴って減少していき,約 18ms の気泡離脱時にはゼロになっている.気泡内潜熱はミクロ液膜
蒸発熱量と同様の変化の傾向を示し,気泡離脱時における両者の比較より,ミクロ液膜の蒸発は
気泡成長に対し Qml /Qb = 44%の寄与を持つことが分かった.言い換えると,残りの約半分の熱量
は気泡周囲の過熱液から供給されたこととなる.
また,全壁面熱輸送に対するミクロ液膜蒸発熱輸送の寄与は 90%を超えており,水の孤立気泡
沸騰における壁面熱輸送では,ミクロ液膜の蒸発が支配的な伝熱メカニズムであることが示され
た(Yabuki and Nakabeppu, 2014).蒸発潜熱の小さなフロリナートを沸騰媒体とする研究では,リ
ウェッティングや強制対流熱伝達のような顕熱輸送がより重要であるという結果(Demiray and Kim,
2004, Moghaddam and Kiger, 2009)が示されており,Kim は顕熱と潜熱の比である Jacob 数により
潜熱輸送,顕熱輸送いずれが重要かを概ね予測できると主張している(Kim, 2009)
.
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図 6 は本研究で計測対象とした全ての気泡に対する結果をまとめたグラフで,気泡離脱時にお
けるミクロ液膜蒸発熱量 Qml,気泡内潜熱 Qb,ミクロ液膜蒸発の気泡成長に対する寄与 Qml /Qb を
発泡前の過熱度に対して示している.Qml,Qb ともに過熱度に対し非線形に増加しているが,近似
曲線のべき乗の指数がほぼ等しいため,結果的にミクロ液膜蒸発の気泡成長に対する寄与は過熱
度の変化に対しほぼ一定で約 50%であった.以上の結果から,水の孤立気泡沸騰では,ミクロ液
膜の蒸発と気泡発生前に過熱分のエンタルピーを蓄えた過熱液層の蒸発が伝熱に重要な役割を果
たしていると言える.
Fig. 5
Heat taransfer characteristics of isolated bubble boiling of water.
Fig. 6
Contribution of microlayer evaporation to bubble growth.
5.まとめ
MEMS 熱計測技術を用いて飽和条件における水の孤立気泡沸騰熱伝達メカニズムを調べた.な
ぜ沸騰は高い熱伝達率を持つのか,という問いに対しては,本研究の結果を踏まえると,少なく
とも水の孤立気泡沸騰においてはミクロ液膜の蒸発や気泡周囲過熱液の蒸発のような潜熱輸送が
生じているためと答える.本文でも触れたが,顕熱と潜熱の比である Jacob 数が大きければリウ
ェッティングや強制対流のような顕熱輸送が重要となる可能性もあるし,気泡間干渉・合体が生
じれば現象はより複雑となって,本研究で得られた知見をそのまま適用することは難しいかもし
れない.気泡が多数発生する高熱流束域の沸騰を取り扱う場合,MEMS 計測では伝熱量評価に必
要な境界条件を構築するのが容易でなく,高速度赤外線カメラでは時間分解能が不足していると
考えている.高熱流束域での熱伝達メカニズムや限界熱流束メカニズムを調べるには,熱計測と
気液構造の可視化の組み合わせなど,何らかの工夫が必要と感じている.
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謝辞
本研究は科学研究費補助金(11J10651)の支援を受けて行われた.ここに記し感謝の意を表し
ます.また,今回執筆の機会を与えてくださった,日本大学,田中三郎先生をはじめ,熱工学部
門広報委員会の皆様に感謝の意を表します.
References
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(3) E. Wagner, P. Stephan, High-Resolution Measurements at Nucleate Boiling of Pure FC-84 and
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Computational Physics vol.300 (2015) pp.20–52.
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Multiphase Flow vol.35 (2009) pp.1067–1076.