07-4 寂静 (4)

 勝又先生の教室を出たあと龍介は学会の準備をすると言い自分の研究室へ残った。晩飯は銀座で食う約束をして、俺は
そ の ま ま 警 視 庁 へ 戻 っ た 。大 部 屋 は い つ も の こ の 時 間 よ り 閑 散 と し て い る 。目 ぼ し い 事 件 で も 起 こ っ た の か と 思 っ た 俺 に 、
六係の男が近付いてきた。
﹁ 遠 山 さ ん が 亡 く な っ た と 知 ら せ が あ っ た 。 つ い 十 分 前 だ ﹂
俺は背中に冷や水を浴びせられたような気持ちになった。こんなに早く? 反射的に携帯を見た。五分程前に着信が二
件。倉沢からだった。マナーモードにしていて気付かなかった。
木村が大部屋の入口から俺を呼んだ。
﹁ お 、 帰 っ た か 。 行 く ぞ ﹂
神妙な顔で首を振る。
﹁ 勝 又 先 生 ん と こ を 出 た 時 に 倉 沢 へ メ ー ル し た だ ろ ? そ ろ そ ろ 戻 っ て く る 頃 だ と 思 っ て 待 っ て た ﹂
﹁ あ あ ・ ・ ・ ・ 悪 い ﹂
六係の男に軽く手を上げ、俺は大部屋を出て木村の後を追った。ついさっき勝又と遠山の話をしたばかり、しかも退院
してからまだ一週間だ。エレベーターの中で、木村も俺も無言だった。今生と前世、あらゆる場面で見てきた遠山の姿が
眼前に現れては消えて行く。龍介はきっと遠山に会いたいだろう。知らせてやろうと思ったが、俺は何となく躊躇した。
ゴルフへ乗り込んでも俺はしばらく迷っていた。そんな俺を目ざとい木村が覗き込む。
﹁ 二 階 堂 に 教 え て や れ よ ﹂
﹁ ・ ・ ・ ・ う ん ﹂
﹁ 迷 う の か ﹂
﹁ 何 と な く ﹂
﹁ お 前 の 気 持 ち も 判 る よ ﹂
唐突に遠山の死が現実となってのしかかってくる。涙が滲んだ。見ると木村の目も赤い。
549
俺はちょっと笑った。俺たちの知っている木村の気の遣い方だった。携帯を俺に返してきてウィンクする。
﹁ い い よ 。 い い け ど お 前 と し ゃ べ っ て る と 俺 も 可 愛 い 言 葉 遣 い に な っ ち ま う ﹂
﹁ 泣 く か も し れ な い け ど い い ? ﹂
﹁ あ い よ ﹂
﹁ 法 医 学 教 室 の 棟 の 地 下 二 階 に 付 け て く れ る ? ﹂
﹁ い い よ ﹂
﹁ 一 緒 に 行 っ て も い い ? ﹂
﹁ そ う だ ﹂ ﹁ 主 任 ? ﹂
﹁ 二 階 堂 。 俺 だ 。 今 か ら 迎 え に 行 く 。 東 大 か ? ﹂
木村が携帯をよこせと言うので渡した。
会いたい、遠山に。もう一度だけ。
﹁ 俺 も ・ ・ ・ ・ 行 っ て も い い の か な ﹂
龍介は遠慮がちに言った。
ると、龍介は電話の向こうで一瞬押し黙った。前世で賢吾の自殺を伝えた時を思い出した。 木村はハンドルへ手をかけたまま黙って俺を待っていた。俺はしばらく考えてから、龍介に電話した。遠山の死を告げ
え、この世界の遠山は逝ってしまったのだ。
てくるのだった。俺たちにとって、遠山はかけがえのない存在だった。それを伝える間もなく、向こうの俺たちは命を終
た俺たちにはもう、遠山の顔を見ることも、声を聞くこともできない、そう考えると激しい慟哭が胃の底から這いあがっ
ことは、何かの序章のような気がしてならないのだった。遠山がいくら並行世界で生きているとしても、別離してしまっ
幾多の死を目の当たりにし、ついには自分とも訣別せざるを得なかった俺にとって、遠山の早過ぎる死を龍介に伝える
550
﹁ そ う い う 訳 だ 。 今 か ら 向 か う ﹂
﹁ 了 解 ﹂
龍介の声が笑う。少しだけ涙声になっているのが判った。
倉沢に連絡を取ると、遠山の遺体は自宅ではなく、宮城先生の家に安置されていると言った。俺は一瞬その意味が判ら
ず倉沢へ訊き返すと、倉沢は暗い声で続けた。
﹁ 退 院 し た 日 、 大 部 屋 へ 来 た だ ろ う ? あ の あ と 宮 城 先 生 が 連 れ て 帰 っ た ん だ 。 こ っ ち の 世 界 で は 、 遠 山 は 独 身 だ っ た ﹂
俺もそのことを思い出していた。
﹁ 宮 城 先 生 と 遠 山 は ど っ ち の 世 界 で も 親 友 だ 。 そ う い う 人 間 が い て 、 遠 山 は よ か っ た の か も し れ な い な ﹂
今どこだと訊く倉沢に、龍介を拾うところです、と俺は言った。
﹁ そ う か 。 二 階 堂 も 会 い た か っ た だ ろ う な ﹂
木村がドアロックを解除すると龍介がリアシートへ乗って来た。ゴルフはすぐに発進した。
﹁ 宮 城 先 生 の お 宅 は ? ﹂
﹁ 遠 山 の 家 か ら 直 線 で 二 百 メ ー タ ー 東 だ ﹂
﹁ 管 理 官 ら し い ナ ビ で す ね ﹂
﹁ そ う か ? そ う だ な ﹂
倉沢の声が若干和らぐ。
﹁ で か い 日 本 家 屋 だ か ら す ぐ に 判 る 。 俺 は 門 の 前 に い る 。 中 へ 入 る 勇 気 が な い 。 早 く 来 い ﹂
﹁ 了 解 ﹂
倉沢との電話を終え、俺はネクタイを緩めた。見ると木村も同じ仕草をする。バックミラーの中の龍介を見ると、こい
つはそのままするりと外してしまった。
551
まアクセルを踏み込み、葛飾への道を急いだ。
木村が掌で豪快に鼻をこすった。瞬きをすると長い睫毛が上下し、横顔を涙がひとつぶ転がっていった。木村はそのま
﹁ 泣 く と 喉 が 膨 張 す っ か ら な ﹂
俺と龍介がハモった。
﹁ な い ﹂
﹁ 遠 山 の 前 で ノ ー ネ ク タ イ だ っ た こ と は 未 だ か つ て な い よ な ﹂
木村が横目で俺を見ながら笑う。
552