オレオサイエンス 第 16 巻第 8 号(2016) 369 巻 頭 言 油=悪ではない 日本油化学会関東支部 支部長 島 田 邦 男 都市伝説とは,大辞林では「口承される噂話のうち, 般的になったのは地中海に渡ってからで,エジプトでは 現代発祥のもので,根拠が曖昧・不明であるもの」とい 医薬品,灯り用,ミイラ作りの香料の主原料としてオリー う。ネット社会の今,この都市伝説を無視できない。そ ブ油やアーモンド油を使用した記録が残っている。 また, こで,油脂の都市伝説について考えてみた。 “油は肥満 ギリシャ神話や旧約聖書にもオリーブの実と油について のもと”と美魔女やサラ美ーマンはすぐに思う。化粧品 書かれている。ごま油も古代エジプトで利用されている の“油っぽい”や“脂汗”はネガティブな表現で, “頭 記述があり,アフリカから種子を取り寄せナイル川流域 皮の脂で毛が抜ける”と真剣に信じている。だがベジタ で栽培していたらしい。エジプトからインド,中国に渡 リアンが,必須脂肪酸オメガ 3 が不足して体に湿疹がで り,古代インドでは仏教の教えで肉食が禁じられていた き体調を崩すこともあり,逆に油は“健康のもと”にも ため,ごまは貴重な栄養源だった。また,インドの伝統 なる。頭皮の脂が脱毛の原因なら,洗髪しないホームレ 療法アーユルヴェーダのオイルマッサージにも古くから スのみんなが禿になる。油を不健康と考えるヒトの思考 使用されていた。 や行動の脳の約 7 割は脂質でできている。全身約 60 兆 日本では縄文時代にごまやエゴマの栽培がされていた 個の細胞をコーティングし,きちんと働けるようにして 記録がある。また,ハシバミの実(ヘーゼルナッツ)か いる主な成分も脂肪酸である。米国でトランス脂肪酸を ら摂った油の記述が日本書紀に出ている。大化の改新 含む加工油脂について, 食品への添加を 2018 年 6 月以降, (645 年)の頃には,税金のかわりに油を納める制度が 原則禁止としたからといって全てが悪ではない。 あり,エゴマ油やひまし油などが現物税として朝廷に献 ことわざ しかし,これまでにも油の諺といえば,互いに気が合 上された。その後,菜種を利用した搾油も盛んになり, わず反発し合って仲が悪い「水と油」や,仕事の最中に 全国に油の製法が広まった。油が食用としたのは,奈良 人目を盗んで怠ける「油を売る」 。そして,勢いの激し 時代の寺院での精進料理に,野菜ばかりでは脂肪分が不 いものにいっそう勢いを加え,結果が望ましくない「火 足するために油で揚げた食物を摂取するようになったの に油を注ぐ」もある。世間の油に対する好感度が低いよ が始まりと言われている。安土桃山時代にはてんぷらが うだ。 登場したが,これは主に豆腐類を油で揚げたもので,南 蛮料理という言葉が生まれ『南蛮漬け』のルーツとして そもそもヒトが,油と関わったのは旧石器時代の後期 言葉が残っている。 (1 万~3 万年前) ,クロマニヨン人の壁画を残した遺跡 などに,動物の脂肪を燃やした跡のある皿が残されてい 過去の歴史には油=悪どころか,ヒトは水と同じくら る。脂肪を光源として使ったようだ。人類史上,オリー い油を大切にして生きてきた。明るい未来や健康という ブ油とごま油の起源は,両方ともアフリカからエジプト ワードの中に油脂文化が貼り付いていたことだけは間違 である。オリーブの栽培は,紀元前 3000 年代にはエジ いない。各自が自由の情報発信できる今こそ,私たちが プトを中心とする中近東世界で栽培され,やがてそれが 偏ることのない新たな油化学の伝説をつくりたい。 ギリシャなどの地中海へと伝わった。主に食用として一 ― 1 ― (東京農業大学客員教授)
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