植物育種学レポート課題

植物育種学レポート課題
<1>自分の進めたい育種計画の提案
戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)というものがある。これは、内閣府が主導し、総合科
学技術会議が司令塔となって課題研究に予算を与えてくれるといったものだ(*1)。このプログラムでは、
農林水産分野の、特に育種に関連して、「多様なニーズに対応した農林水産物の提供を実現するため、
新たな育種技術を開発する。この技術により、超多収性などの形質を有するイネ(例えば、単収 1.5 ト
ン/10a (現在の平均 0.5 トン))を育成するほか、果樹では、従来、「桃栗 3 年柿 8 年」(りんご
は 10 年)と言われた結実までの期間を 1 年以内まで短縮」させるという目標を掲げている(*2)。ここ
では特にそのイネの多収量化に関して考えていきたい(*3)(イネの方がまだ果樹よりは実現可能性が高
いと考えた)。
もちろん、この課題に関してはバックアップとして強力な組織が後ろに控えているから予算は十分に
見込める。また、文中で「現在の平均 0.5t」と述べているからには、これは多収米ではなく食用米を想
定しているのだろうから、経済効果も相当に大きいと考えられる。農業従事者の高齢化が見込まれる昨
今においてこれ以上の耕地面積の増加は難しく、そういった中で国内の米の生産量を維持してくために
は、耕地面積当たりの収量を高くすることが一つの強力な解法となりうる。従ってこのテーマに沿って
研究をすれば、社会のニーズ・品種の魅力・潤沢な予算の 3 つは満たしたことになるだろう。
そうなってくると、やはり問題となってくるのは、果たしてこれが本当に実現可能なのか、そして可
能であればいかなる手段を用いるべきかということであろう。これについては、否定的な過去の研究の
積み重ねが大量にある。まず、統計学的には、最近の穀物収量の増加が頭打ちになってきており、もは
や従来の育種法では限界を迎えつつあるという考えがあり(*4)、別の研究には、穀物の収量は物理的強
度の観点から見て全重量の 60%までが限界であるという考察(*5)がある。また、講義でも開花期の遅延
によって栄養生長期間は伸びるが、その原因遺伝子は収量にも関係するため、増収は見込めない(*6)と
いう例に触れた。従って、安易に思いつくように、タカナリや北陸 193 号などの多収良品種とコシヒカ
リを交配した後 QTL 解析によって多収量性やバイオマス向上の原因遺伝子を特定するゲノム育種を敢行
してもあまり良い結果が出るとは思われない。あくまで憶測ではあるが、特定した QTL のいずれかが食
味を落としたり、植物体の特定箇所の成長が悪化させたりする可能性が高くなっていることが予想され
る。
更に、緑の革命にならい、半矮性品種を使って多量に施肥し収量をあげる方式も日本ではとられてい
ない。これは、窒素肥料分を多量に与えることで米のタンパク質含有量は増大するが、これは食味を落
とす原因となるためである。従って、多収良品種はともかく、今現在流通している食用米の多くは、収
量の最大限までいかないような栽培方法をとっている(*8*9)。
また、これも別講義の受け売りになるが、従来の遺伝子組み換え育種は収量にはあまり関係なく、害
虫抵抗性や除草剤抵抗性などの生産者の効率を上げる工夫がなされてきた。これは、収量の増加が一筋
縄ではいかないことの裏返しであろう。
以上のことを考え、それでも更なる増産を目指すために、わたしは以下の 2 つの手法を提案したい。
1 つ目は、イネの可食部にタンパク質をあまり蓄積させないような変異体を作ることである。その個体
にさらに矮化遺伝子を導入すれば、多肥条件下でも食味を落とさないイネが出来上がるのではないだろ
うか。または、現存の多収量品種に低タンパク質の原因遺伝子を導入してみることも可能かもしれない。
米のタンパク質含有量は品種によって 5.3%‐13.6%の幅がある(*10)。従って、この量的形質には複
数の遺伝子がそれに関与していることが予想され、実際にいくつかの報告がある(*11*12)。また、品種
間で QTL 解析を行えば、タンパク質蓄積の原因遺伝子とメカニズムが分かるはずであり、実際に7箇所
の QTL を指摘している研究(*13)がある。その他にも、突然変異育種で関連遺伝子を変異させ、タンパク
質含有量を減らそうとした研究もある(*14)。私は、これらの研究成果を踏まえた育種を行っていけない
かと考えている。もちろん、この際に原因遺伝子を完全にノックアウトしてしまうと種子の発達に大き
な支障をきたすことが予想されるので、これに関連するカスケードの一部の因子の活性を低下させた、
もしくは転写調節領域を少しだけ変えた個体を作ることで、種子のタンパク質蓄積量を低下させたい。
そうすることで、多量の施肥をしても食味の落ちないイネの増産につなげられるのではないか。(補足:
今までのイネの含有タンパク質変異体の研究は、腎臓病などの疾病対策や食味という観点からみている
ものがほとんどであったが、増収という観点を導入したことが今回の提案の新しい点であると考えてい
る)
2 つ目は、植物体の全重を増やしてしまうというものである。もっとも上述のように、イネの多収量品
種から考えた品種改良は難しそうである。そうであるならば、もっと抜本的な部分から大きさを変えて
しまいたい。古くから、3 倍体、4 倍体…の生物は 2 倍体のものに比較して、体のサイズが大きくなるこ
とが知られている。イネは 2 倍体の生物であり、放射線照射やコルヒチン処理等の手法によって 4 倍体
化することができる(*15)。この場合、全重量が増えているので、今まで考えてきたような制約に縛られ
ない品種が出来上がるのではないだろうか。
もっとも、こんな単純な発想が今まで考えられてこないはずはなく、先行研究が数多存在する。例え
ば放射線照射によって 4 倍体を作り、その形質を見る研究では、植物体が現品種に比べて大型化し、穂
数は若干減少しているもののそれ以上に穂が大型化しているため、収量が大幅に増加していることが分
かった。(*16)。また、DNA の量によって植物の大きさが決まる新たな仕組み(DNA topoisomerase Ⅵが
関与しているらしい)も解明された (*17)ため、これを用いれば 4 倍体でなくとも核内倍加によって植物
体を大型化できるかもしれない。更に、私が調べた限りでは、プロトプラストなどによるイネの異質倍
数体に関する研究の実例はあるものの(*18)多くは行われていなさそうであり、まだあまり大きな成果を
得られているわけではない。しかしながら、これはコムギの作物化の過程で見られることで有名な現象
(*18)であり、大きな可能性を秘めているのではないかと思っている。
<2>ゲノム育種の短所や長所をまとめる&これからの育種に生物学的な分子メカニズムの理解が必要かどうか
ゲノム育種とは、ゲノム情報を利用した品種改良のことである(*1)。1995 年に米バイオベンチャー企
業「セレラ・ジェノミクス社」がインフルエンザウイルスの全ゲノムを解読(*2)したのを皮切りに、2001
年にヒト(*3)、2002 年にイネ(*4)などと、次々に解読が進められていき、今ではおびただしい数の生物
種について解析が完了している。
ここで、今現在ゲノム育種はどのように行われているのかまとめていきたい。
現在のイネのゲノム育種で一般的に用いられる DNA マーカー育種は、個体が小さいうちにその葉の DNA
を解析し、それが導入したい遺伝子を持っているかどうかで選抜個体を決定し、交配している。この育
種法では従来のように植物の形質によって判断をしなくてもいいので、植物が大きくなるまで育てるコ
ストを節約でき、育種期間も短縮化できるうえに、複数の有用形質を導入する時間と手間の低減が可能
となる。また、その他にも、子孫の遺伝子型が父親タイプの遺伝子のみをもつのか母親タイプの遺伝子
のみをもつのかあるいは両方のタイプの遺伝子をもつのかの判断が容易である、目的とする優良形質以
外は全て親と同じであるような品種・系統の開発を迅速かつ効率的にできる、有用個体選抜時に不良形
質が導入されてしまうリスクが低減できる、等の利点がある。(*5)。
ただし、この手法にも欠点は存在する。まず、有用な形質遺伝子を持つ遺伝資源が無ければ、津葉で
きる遺伝子がない。従って、突然変異育種などとは違い、基本的に今現在存在している形質以上のもの
は出こない。また、基本的に交配できる個体間の遺伝子の移動を見ているので、GM 育種のように別種の
遺伝子を導入したりできるわけではない(もっとも、これは裏を返せば、GM 技術を使用していないので一
般市民の理解を得やすいのだともいえる)(*5)。従って以上の長所・短所をまとめてみると、良くも悪く
も、ただの(とても強力な)交配育種ということができるだろう。
また、イネの育種では、品種形成時にゲノム情報が活用された例はまだ少なく、また、活用例は特定
の育種機関及び形質に集中している。更に、活用例とされているものの中に選抜系統による該当遺伝子
の有無の事後判定が含まれていることを考えると、ゲノム育種が普及したとは言い難い状況である(*7)。
さて、2 つ目の問である「育種に生物学的な分子メカニズムの理解が必要かどうか」という問題に移ろ
う。私はメカニズムの理解も並行して必要であるという意見を持っている。しかしながら、現在 QTL 解
析や GS 育種などの技術革新が著しく、これらは必ずしも個々の遺伝子の働きが分かっていなくてもその
遺伝子を導入することで育種に応用できる(*8*9)ことは事実である。また、そもそも従来の純系選抜育
種・交配育種・突然変異育種のような古典的育種法も、何も目的遺伝子が分かって選抜していたのでは
なく、ましてやその遺伝子の持つ細かい分子メカニズムなど知る由もない。これは、ただただ有用な形
質を選んでいった結果、ある有用遺伝子が固定化されたに過ぎない。結局育種で重要なのは表現型であ
り、そこに至るまでのカスケードは黙殺されがちである。
しかしそれでもなお、分子メカニズムの理解が必要であると私が考えるのは、以下xつの理由がある。
1 つ目は、今後の更なる技術革新に使用できる可能性があるためである。今現在、agrobacterium など
の細菌やトランスポゾンをベクターに用いることで、遺伝子の組み換えが可能になっている(*10)。更に、
ゲノム編集の名で総称される TALEN や CRISPR/Cas9 システムのように、標的の遺伝子配列さえわかれば、
ノックアウト・ノックインの容易に行うことができる時代になってきている(*11)。このような遺伝子操
作技術が発展する一方で、生物種の全ゲノム情報は解読されても、個々の遺伝子の情報は未知のものが
多い。従って、今現在ゲノム情報を用いた育種とはいっても、SF のような万能性があるわけではない。
また、遺伝子配列とそれが支配する形質が分かっても、目的遺伝子に導入した変異が致死性の場合もあ
るし、ほかの形質も同時に変えることもあるため、ただある遺伝子をノックアウトしただけといった遺
伝子組み換え作物を作るくらいなら、既存の品種/変異体を探した方が確実である。そのため、遺伝子組
み換えは専ら外来遺伝子の導入時に使われているといった印象だ(*12)。ただ、今後各遺伝子の働きが明
確になれば、要求通りの変異体をピンポイントで作ることが可能になるかもしれない(例:「この形質の
支配遺伝子である X は、カスケードの下流にあるため、少しだけ配列を変えて活性を落とした変異体な
らば致死ではなく、同時に要求を満たすだろう」などといった方針の立て方が可能になる)。また、何も
遺伝子組み換えに限った話ではなく、例えば「目的形質に関して7つの QTL が出たけど、そのうち 2 つ
は別のカスケードにも関与して収量性を落とすことが分かっているから他の 5 つでゲノム育種を行って
みよう」といった方針の立て方も可能になるかもしれない。そのためにも、ゲノム解読後の白地図を埋
める研究は必要であろうと思う。
2 つ目は、市民に安心を与えるという役割があると思っている。例えば上述の遺伝子組み換え技術は、
広く理解を得られているとはいい難い状況である。それには、遺伝子組み換え作物に対する不信や不安
(健康に悪影響を与える、など)が働いているのだろう(*12)。ただし、今後の育種を行う上で、遺伝子組
み換え的手法を全く切り捨てるのは大きな損失であるとも考えている。従って、遺伝子組み換えする側
は、改変した遺伝子とその細かい働き、そしてそれが悪影響を与えないと考えられる根拠、などを説明
する能力は持っておくべきだろう。この場合も、もちろん遺伝子組み換えに限った話ではない。技術が
高度化する昨今において、自分が導入した遺伝子がどのようなメカニズムで働いているか、後付けでも
知っておく事は、必要かもしれない。
3つめは、何に使えるかわからない、という理由である。今まで実用化されてきた技術の多くは、基
礎的な研究の中で派生したものである(例えば CRISPR だって初めから遺伝子組み換えシステムを作るつ
もりでバクテリアのウイルス防御機構を調べたわけではなかっただろう (*13))。従って、自分が見つけ
たメカニズム中の分子が、育種やそれ以外の何らかの形で応用できる可能性は十分にある。直接育種に
は関係ない場合でも、そういった研究は貶められるべきではないと思う。
<1>の References
*1 内閣府 HP
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/
*2 内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当). 2016.3.10. 次世代農林水産業創造技術研究開発計画.
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/keikaku/9_nougyou.pdf
*3 これは、作物学の大杉先生の講義からヒントを得た
*4 Grassini et al. (2013). Distinguishing between yield advances and yield plateaus in historical crop production trends.
Nature Communications. DOI: 10.1038/ncomms3918
*5 Austin et al. (1980). Genetic improvements in winter wheat yields since 1900 and associated physiological changes.
The Journal of Agricultural Science. 94: 03:675-689
*6 Itoh et al. 未発表のデータ (講義資料より)
*7 Okada et al. 未発表のデータ (講義資料より)
*8 秋田県農業試験場. (2015). 高品質・良食味米安定生産マニュアル.
http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1427865020782/files/manual.pdf
*9 農林水産省. (2015). 多収品種に取り組むに当たって- 多収品種の栽培マニュアル -.
http://www.maff.go.jp/j/seisan/kokumotu/pdf/siryom_m.pdf
*10 Webb, B, D et al. (1968). Characteristics of Rice Varieties in the U.S. Department of Agriculture Collection. Crop
Science 8:03:361-365
*11 Soave, C., Suman, N., Viotti, A., & Salamini, F. (1978). Linkage relationships between regulatory and structural gene
loci involved in zein synthesis in maize.Theoretical and Applied Genetics, 52(6), 263-267.
*12 Smith, L. L., Lee, P. G., Lawrence, A. L., & Strawn, K. (1985). Growth and digestibility by three sizes of Penaeus
vannamei Boone: effects of dietary protein level and protein source. Aquaculture, 46(2), 85-96.
*13 Aluko, G et al. (2004). QTL mapping of grain quality traits from the interspecific cross Oryza sativa × O. glaberrima.
Theoretical and Applied Genetics. 109:03:630-639
*14Iida, S., Kusaba, M., & Nishio, T. (1997). Mutants lacking glutelin subunits in rice: mapping and combination of
mutated glutelin genes. Theoretical and Applied Genetics, 94(2), 177-183.
*15 稲崎新 et al. (2007). 栽培イネ実用品種のコルヒチンによる倍加個体の選抜法. 宮崎大学農学部研究報
告,53(1), 27-32.
*16 福岡浩之. (1992). イネ 4 倍体への放射線照射による誘発突然変異に関する研究. 東京大学生産環境生物学
専攻博士論文
*17 Breuer, C. et al. (2007). BIN4, a novel component of the plant DNA topoisomerase VI complex, is required for
endoreduplication in Arabidopsis. The Plant Cell, 19(11), 3655-3668.
*18 冲中泰, 森宏一, & 木下俊郎. (1991). 細胞融合による Oryza sativa と O. punctata および O. officinalis 間
の体細胞雑種作成. 日本育種学会・日本作物学会北海道談話会会報, (30), 22.
*19 木原均. (1962). 小麦および近縁種における比較遺伝子分析. 遺伝學雑誌, 37(5), 363-373.
<2>の Refrences
*1 農研機構
作物ゲノム育種研究センターHP
http://www.naro.affrc.go.jp/genome/purpose.html
*2 Fleischmann, R.D. et al. (1995). Whole-genome random sequencing and assembly of Haemophilus influenzae Rd.
Science 269:496-512.
*3 Venter, JC, et al. (2001). The sequence of the human genome. Science 291 (5507): 1304–1351
*4 Stephen, A.G. et al. (2002). A Draft Sequence of the Rice Genome (Oryza sativa L. ssp. japonica). Science
296:92-100
*5 農林水産省技術会議. ゲノム情報の品種改良への利用-DNA マーカー育種https://www.s.affrc.go.jp/docs/report/report21/no21_p1.htm
*6 講義資料より。山本敏夫先生の講義資料。
*7 Collard, B. C. Y., Jahufer, M. Z. Z., Brouwer, J. B., & Pang, E. C. K. (2005). An introduction to markers, quantitative
trait loci (QTL) mapping and marker-assisted selection for crop improvement: the basic concepts. Euphytica, 142(1-2),
169-196.
*8 Jannink, J. L., Lorenz, A. J., & Iwata, H. (2010). Genomic selection in plant breeding: from theory to
practice. Briefings in functional genomics, elq001.
*9 Hooykaas, P. J., & Schilperoort, R. A. (1992). Agrobacterium and plant genetic engineering. In 10 Years Plant
Molecular Biology (pp. 15-38). Springer Netherlands.
*10 Gaj, T., Gersbach, C. A., & Barbas, C. F. (2013). ZFN, TALEN, and CRISPR/Cas-based methods for genome
engineering. Trends in biotechnology,31(7), 397-405.
*11 講義資料
*12 市民団体「オルター・トレード・ジャパン(ATJ)」の HP
http://altertrade.jp/alternatives/gmo/gmoreasons
*13 Barrangou et al. (2007). CRISPR provides acquired resistance against viruses in prokaryotes. Science, 315(5819),
1709-1712.
*時間の関係上、References の資料は全部を完全には読めておらず、abstract のみ読んだものや、資料
の孫引きになってしまっているものが多く存在しているため、齟齬があるかもしれません。